ポケットモンスター 「闇」   作:紙袋18

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おひさ~


第百四十四話 人と人為らざる者

「ぴかぴよ、どうだ、血沸き肉躍るか?俺はまさに字の如く、だ。がはは。」

 

 

 空手王が殴り飛ばしたピカチュウを見下ろし、満足げに言葉を落とす。

 その体は人間のものとは思えないほど紅く、鬼というものが存在するのであればこういう見た目かもしれないなどとふと考えてしまった。

 サトシからすれば鬼のような生き物は何度も見てきたハズで、ある程度耐性がついているものだと思っていたのだが、『鬼のような人間』を目の前にすると、それはそれで別種の恐怖に包まれた。いや、もしかしたら『人間のような鬼』なのではあるまいか、と頭をよぎってしまう程度には、空手王は人間離れしていた。

 

 壁に穴をあけたピカチュウがゆっくりと体を起こす。

 その表情はいつもと変わらず、ニッコリとしたポーカーフェイス。だが心なしか、ムッとしてるような感情が見て取れた。

 そんなことがわかるのは長旅を共にしてきたサトシだけなのかもしれないが、ピリピリと緊張した空気がさらに重苦しくなったのはピカチュウの影響であることは想像に難くない。

 先ほどまではピカチュウが本気を出したらどうやって逃げ出そうか、などと考えていたサトシであったが、あの空手王を前に穏便に済ませる方法が存在するのだろうか。

 もはやサトシの脳内で完結できる問題ではなく、固唾を飲みながら見守ることしかできなかった。

 

 

「ふむ、やはり無傷か。まああの程度でくたばってしまうような相手でないことは承知の上。俺にも時間が無い。嫌だと言っても相手をしてもらうぞ!」

 

 

 そう言うと、空手王は再度床を踏み砕く音と共に姿を消す。常人が見ることすら叶わぬ速さの極致。

 生き物としての限界など存在しないのだと確信しているからこそ成し遂げられる人間の極意。それを相手取るのは同様に限界を超えた生き物。

 

 

「ピカ~」

 

「見切るか・・・!だがそれでなくてはな!」

 

 

 空手王の一撃をピカチュウが受け流す。

 いつもなら掌で受け止めるピカチュウでもってして、一撃一撃をひらりひらりと躱す。しかしそれは余裕なのではなく、正面切って受け止めることが困難であることの証左。

 否、ただの力技であれば受け止めることは不可能ではないし、過去にもあれ以上のパワーを持った相手とも戦っていることは間違いない。

 だが、違うのだ。技術が、信念が、気迫が。人間が強化されたポケモンに勝る点、それをすべて高めた相手。

 決して慢心せず、決して立ち止まらず、決して油断せずに突き進んできた一人の人間。

 その存在そのものが、力の権化であるピカチュウを押し込んでいた。

 

 

 

「す、すごい・・・」

 

 

 息を呑む。

 ピカチュウにしてみれば、電撃を使えば勝てる勝負なのかもしれない。

 事実、ここに至るまで人間として使えるものしかピカチュウは使っていない。電撃しかり、尻尾しかり。

 最初はお遊びのつもりだったのだろうが、今はどうか。

 音が遅れて聴こえるほどの速度で打ち出す空手王の拳。

 当たらずとも風船を破裂させたような音が耳を突き刺す。

 空気を切り裂き、拳圧で空間を振動させる。

 華やかな戦いではない。唯々愚直で、重苦しく、それでいて、命そのものを感じる闘い。

 ピカチュウもその空気に充てられたのかもしれない。

 その理由はピカチュウにしかわからないが、とにかくピカチュウは人間として空手王と対峙しているように思える。

 

 

 

「ははは!どうしたぴかぴよ!躱すだけでは勝負にならんぞ!!ぬおおおおりゃああ!!」

 

 

 

 大きく踏み込み、右中段蹴りを放つ。

 そして、当たれば骨が折れるどころか胴体が真っ二つになりそうな蹴りは、何もいない空間を切り裂いた。

 

 

「・・・・!?」

 

 

 それまで極限まで鍛え抜かれた動体視力によって補足されていた巨体。ただでさえ目立つ大きさではあるが、それは空手王も同じ。

 自分が巨体であるがゆえに、自分以上の巨体が目の前で消え去る、という現象が理解できない。

 たしかに自分以上の強さを持ちうる相手との闘いだ。力量の差を感じる部分はある。

 自分の渾身の一撃をこうするすると躱されているのだ。だがそれは良い。寧ろ望むところだ。当たればタダでは済まない、と認識されているからこその回避への専念のハズだ。

 だが、それが、そうだとしても、この現象はなんだ。

 

 いない。消えた。

 

 完全に視界から消えた。周囲からすれば自身の動きすらまともに見えてはいまい。だがこの空手王本人が見失うなどということが果たしてありえるだろうか。

 

 

 時間にして一秒に満たない、ほんの小さな空虚。

 一瞬でも反応が遅れていたら、どうなっていただろうか。

 空手王は全身の力を一気に抜き、膝から崩れ落ちた。

 

 そして頭の上、数ミリの所を何かが突き抜けた。

 

 

 

 

 傍からみれば空手王が謎の一撃を受け、倒れこんだように見えただろうか。

 

 だが実態は高度な格闘戦。格闘の頂点に立つ空手王にすら、空虚を生み出してしまう程の精密な動き。

 

 

 

「がはは、危ないところだった。まさか足の影に入るとはな。その巨体でよくやる。さすがの俺も一瞬見失ったぞ。」

 

「ピーピカ」

 

 

 もはやなんだかわからない。

 サトシがインテリ門下生に説明を促す。

 

「ん?ああ――もはや私にもはっきりと見て取ることはできないが・・・蹴りというのは拳に比べて胴体を大きく捻る必要があるから、自然と死角ができる。そこに一瞬で入り込み、背後に回り込んだのだろう。加えて、空手王のあの脱力。この一瞬の油断すら許されない状況で一気に全身の力を抜くことで最速で回避する。もはや人間業では無い。」

 

 

 ということらしい。もはや人知を超えている。

 遠くで見てればなんとなくわかるのかもしれないが、今見ているのは数メートル先の出来事だ。

 目の前でものすごいスピードで動かれたら、もはや目で追う事など不可能だ。

 サトシに理解できる範疇はとうの昔に超えているので、決着を見守るしかない。

 

 

 

「ぴかぴよ。」

 

「ピカー」

 

「やはり、本気で闘うことはできぬのだな。」

 

 

 

 周囲がざわつく。

 本気では無い―――?空手王の猛攻をあれだけ受けておいて、本気ではないと。

 サトシは内心ドキドキしているが、口には出さない。

 だが、もう空手王は気づいているのだろう。到底自分には届かない場所にいる相手なのだと。

 人生を懸けて、命を賭して磨き上げてきた自慢の肉体、技。それをもってすら、届かない武の頂。

 

 空手王にとって強さとは全てであり、つまりは自分こそが全ての頂点であろうとしてきた。

 ただ、少なくとも自分ではなかった。それがわかってしまうのも、強さ故。

 

 

「ぴかぴよ、最後の我儘だ。」

 

「ピー?」

 

「もはや技ではお前に勝てぬ。その身のこなし、到底真似できん。だが、このまま敗者となるのだけは納得できん。この空手王、自分の力を最大で、全力でぶつけたい。それさえできれば満足だ。たとえそれで負けてもな。」

 

 

 

 敗者の弁―――こういうのを言い訳と言うのだろうか。

 駄々をこねる幼児のような、そんな幼稚な言い訳。

 闘いにおいて正々堂々など存在しない。それはただのスポーツであって、闘いではないのだ。

 そして、空手王対ピカチュウは、スポーツの範疇では無いことは誰の目にも明らか。

 その上で、空手王は何の臆面もなくこう言うのだ。「自分のフィールドで戦え」と。

 

 

「―――わかっている。我儘だとも。だが、いいではないか。こんな機会、二度と訪れるかどうかわからんのだ。少なくとも今まで、ここまで本気で立ち会える者など存在しないとすら思っていたのだ。一生のお願いというものを使えるのだとするならば、俺はたった今、ここで使う。ぴかぴよ。純粋に、力比べがしたい。」

 

 

「―――ピーカ」

 

 

 

 頷いた、のだろうか。

 とくに微動だにしない姿勢は変わらずだが、別に否定しているような感じもしない。

 まあピカチュウが否定する時は問答無用でつかんで放り投げるという選択肢しかないのだが。

 

 

 

「がはは、それでこそぴかぴだ。礼を言う。では、早速始めよう。」

 

 

 

 

 一体何をするのかと、その場の誰もが考える。

 純粋な力比べ。空手王はそう言った。今までのは技比べとでも言いたげな。

 技では完敗したと。そう認めた。だが力では負けぬと。それゆえの『力比べ』。

 何をもって勝敗を決するのか。皆が空手王の言葉を待つ。

 

 

「ぴかぴよ――――」

 

 

 紅い身体。頭に巻かれたハチマキが不自然にたなびく。

 目を一段とギラつかせ、ニンマリと獰猛な笑みを浮かべて、決戦方法を口に出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備はいいな。腕相撲だ。」

 

 

 

 

 

 

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