「ナツメ・・・?え?どうして・・・・?」
眼光が怪しく緑色に光る女性。
姿形は紛れもなく先ほどまで隣にいた女性だが、身にまとう空気感は全くの別人のそれ。
『私は超能力で身体を操っているにすぎない。さあ、戦いましょう。』
「超能力で身体を―――そうか、機械の中から・・・」
意識はある、ということだ。
だが、他人の身体を支配しなければ意思疎通はできない。それがどれだけ自由の無いことで、不幸なことなのか、彼女は理解しているのだろうか。
『バトル方式は総力戦。お互いにすべてのポケモンを出してバトル。最後に残ったポケモンのトレーナーが勝利よ。じゃあ始めましょう。』
「え!?ちょ、ちょっとまって!ナツメはなんで戦うのさ!研究対象になってまで!自由を奪われてまで!」
『私のポケモンはバリヤードとフーディン。出なさい。』
「話を――――」
問答無用。何も話すことなど無いとばかりにナツメはバトルを進める。
機械の両サイドから赤い光が漏れだす。
見慣れた光景。サトシもよく知っている、モンスターボールから出る光だ。
光が形作った二体のポケモンが弱々しい蛍光灯に照らされて浮かび上がる。
サトシから見て右。
白い胴体、頭には赤い角、細い四肢。顔はスマイルマークのような笑顔。
バリヤードというポケモンの姿を当てはめるのであればそれらは満たしていると言える。
だが、それ以外を含めると到底バリヤードなどというポケモンとはかけ離れた造形をしている。
まず、笑顔は表情では無い。能面を張り付けたかのような不動の笑顔。感情も感じられなければ、生命であるかどうかも曖昧になるかのような、不安と不吉を形にしたらこうなるのかと感じてしまうような、不気味な顔。
足は不自然な程細く、その先端には角と同様に赤く尖った靴状の物体が浮き上がっている。
人間の足から皮膚と筋肉をまるっと削ぎ落した大腿骨そのもののような不自然な細さとリアルな造形。
その二本の脚では支えきれないハズの胴体はきちんと一定の高さを保ち、左右にゆらゆらと揺れている。
腕は一際異様な造形をしている。
その数六本。本来生えている通常の二本とは別に、腹部から二本、腰のあたりにさらに二本。左右前後に伸びた六本の腕はそれぞれ円を描くように不気味な動きをしている。
それだけでも奇怪な姿をしているが、さらにその異様さを増大しているのがその六碗の先に付いている物。
普通は腕の先端についているものは掌と五本の指。だがこの生き物の掌についているのは「五本の腕」だ。
腕の先端から伸びるのはさらなる腕。その腕の先に掌があり、指が五本ついており、うねうねと気味悪く動いている。
六本の腕それぞれから五本の腕。都合三十本の腕から百五十本の指が蠢いている。
醜悪―――ドーピングの効果としてはあまりに狂った造形。神に見放されたか、それとも造形主が狂っていたか。
子供が粘土細工で作るにしても、もう少し救いようのあるデザインに落ち着くだろう。
サトシから見て、左。
人の形をしている。が、人と形容するにはあまりにもふざけている。
黄色い痩せぎすの胴体に、細長い四肢。それは良い。フーディンというポケモンはそういうモノだ。
だが、その頭部が異常な程に巨大。
本来の狐のような形からは程遠い、後ろに倍近く膨張した巨大な脳と、それを覆う頭骨。
その重みを支えるために、腕を床につき、四つん這いになっている。
黄色く細い胴体からはあまりに不釣り合いな頭。
歪な形をした頭に張り付く顔には、白く長い髭が二筋。
床にだらりと垂れ、ゆうに二メートルはあろうかという髭はまるで手足のようにグネグネと怪しく動いている。
おそらくはエスパー能力によって動かしているのだろう。
だがそれですら、自身の頭の重量を支えるには不十分なようで、ずりずりと床に這いつくばっている。
これが、ナツメのポケモン―――
不気味で醜悪。
そして得体が知れない。
心もとない照明に照らされるその姿からはどのような攻撃をするのか想像できない。
『さあ、あなたもポケモンを出しなさい。始めましょう。』
「ちょ、ちょっとまって!まだ質問に―――」
『しつこいわね。私がやってあげる。』
サトシのモンスターボールが緑色に発光し、六個すべてが手も触れずに床に投げられる。
ボールはそれを合図に赤い光を機械的に射出し、中のポケモンを無理矢理に形作る。
クラブ、サンドパン、コイキング、メタモン、ゲンガー。
五体のポケモンがサトシの命無くフィールドへ現れた。
「な!か、勝手に!!まだ何も―――」
―――次々に状況が進んでいく。
サトシは今まで、望むにしろ望まないにしろ、自分の意志で物事を進めてきた。
状況に合わせ、自身で考え、行動を決定してきた。
だが、そんなサトシの意志や考え、問い、疑問などまるで眼中に無い。
存在すらも、ただの一人のポケモントレーナー程度としか認識されていない。
そのような状況は初めてで、さらに迂闊な事に、サトシの中では今、単純に割り切れない理不尽が大量に渦巻いている。
解消できないとは頭でわかってはいても、投げかけずにはいられない疑問が山のようにある。
何故戦っているのか。父親のことは。母親のことは。研究については。今の状況は。自分のことは。超能力については。
疑念は尽きない。そして、そのどれもが、サトシの望む回答は得られないだろうということもわかりきっているのに。
それでも訊かずにはいられないのはサトシの本質なのか、優しさなのか、哀れみなのか。それとも、それこそが狂気なのか。
自身の中で何も状況に追い付いていない。それがどれだけ危険な事かを認識する余地が生まれない程、サトシの頭の中はごちゃごちゃと答えの無い疑問がぐるぐると渦巻いていた。
常日頃ではそれでもいいだろう。だが、今はバトルの―――それも裏のバトル。ジムリーダーとの戦いの真っ最中。この状況下で余計な思考をすることなど自殺行為で、そのことなどサトシ自身、身をもって知っているハズなのだが、サトシ自身の中核的な部分がそれを許容できずにいた。
ナツメがその思考を読み取っていたかどうかはわからないが、当然のように、さらにサトシの混乱と後悔に落とし込んでいく。
『―――サイコキネシス』
サトシの目の前で、サンドパンが身体中から血を噴き出し、その場に崩れ落ちた。
「――――――えあ?」
思考の渦の中にあったサトシの脳内が何か別のもので上書きされる。
数メートル先に、血だまりが広がり、鉄のような臭いが鼻孔に刺さる。
ドクンドクンと心臓が波打ち、頭の中は紙にぐりぐりと鉛筆で書き殴った跡のようにぐちゃぐちゃで、目の前に起きた出来事を受け入れられずにいる。
視界はボヤけ、歪み、ぐるぐるとかき回される。呼吸が早まり手が震える。
その間にも目前では赤い染みがじわじわと広がり続け、サトシのつま先をぴちゃりと赤色で滲ませた。
「サン・・・ドパン・・・?」
サトシに過去の記憶が急激に押し寄せる。
自身のポケモンを失った、不甲斐ない記憶.後悔すべき教訓。気づいた時にはいつも手遅れ。それが裏のバトルであるという認識はあれど、到底許容できない行為。
目の前で救えた命が失われるという経験は、普通であればそうそうするものではない。それこそ物語の主人公で悲劇の過去を背負うなどというありきたりなストーリーを抱える羽目になった創作物でなければ。
物語の上ならばかわいそうと思って終わりだろう。文章を読んだだけであれば、そういう話なのだろうと一蹴できよう。
感情移入もするかもしれない。自分に重ねるかもしれない。それによって悲しみを共有しようとするかもしれない。
そうできるように書かれていることが、優れた物語の前提だろう。
―――だが、それは真実ではない。感情移入など、『そうであった気分』を想像するだけだ。決して、決してそれを経験した人間はそういない。居たとするならば、そのような文章が書かれた本など引きちぎって燃やしてしまうだろう。
二度と味わいたくない感情、体験、そして自己嫌悪。
偽りの感情移入などで到底同意できるなどと口にできない『本物の感情』を、あろうことか物語の上でなく目の前のリアルとして反復してしまった時の感情は、到底想像のできない、筆舌し難いものになる。
「え・・・あ・・・・?うぇ?」
悲鳴をあげる、などというありきたりな感情表現など、出来ない。
ただ、ただ理解不能な声を出す。
頭の中が伽藍洞となり、今までの思考などかき消えて目の前の光景に目を見開くことしかできない。
まだ息があるのか、ピクピクと小刻みに動く身体からは、その動きに合わせて血が噴き出している。
「う・・・えぅ・・・・」
何もできず、ただ立ち尽くす。
目の前で起きた出来事が理解できない。理解しようとすると記憶が拒絶する。理解してしまうと、自分の精神が崩壊してしまうと、無意識化で脳が制御しているかのように、サトシは唯々、つぶさに、目の前を見つめて茫然とするしか出来ない。
頭が焼け付くように痛く、足元もふらつく。開きっぱなしの瞼の所為で眼球が乾き、ひりつく。
数秒―――
黄色い閃光が、薄暗い地下室を一閃し縦断する。
主人の命令は無く、同調するポケモンも無く。
一筋の眩い光線となり、同じく黄色い身体を気味悪く這いつくばらせるポケモン目掛け、拳を振り抜く。
普通の反射神経、反応速度ならば到底躱しきれない。
貧弱な胴体など、真っ二つに千切れ跳ぶ。
だが、巨大な拳が降りぬいた空間には何もなく、空間を打ち抜く高速な物体が出す空気との擦過音のみが地下空間に反響したのみだった。