高速移動を駆使したピカチュウの一撃を回避することは、ほぼ不可能に近い。
制止状態から急速に動く物体など認識できる余地がある筈も無く、そもそも肉眼で捉えられる速度では無い。
そうでなければただ速く動くだけの技に『高速移動』などという名前が付く事などありえない。あらゆるものを置き去りにするスピードだからこその技。
その技を捉える方法は、常人離れした動体視力を持っているか、同じ速さで動くことが出来るか、未来予知が出来るか、そもそも避ける必要が無いほどの耐久力か。
だが、そのどれにしても相手に肉体がある以上、『何かに当たる』という結果は付きまとう。
直撃にしろ、ガードされるにしろ、そこには必ず物体への衝突という物理現象が起こりうる。奇跡的に回避しえたとして、それは打った張本人―――ピカチュウの認知の中で完結されうる出来事。
だが、たった今、そのどれとも異なる結果が発生し、ピカチュウを混乱へ陥れる。
たった一瞬。認識から外れる。その場所に直前まで、それこそ拳が当たるか当たらないかという瞬間までその場所には異形の化け物が居たハズだった。
―――ゾク、と悪寒を感じてピカチュウは右を見る。視線の先にいるのはバリヤードのハズだが、ピカチュウとバリヤードの間には今胴体を打ち抜こうとした相手、フーディンが地面に這いつくばって、細い目を見開いてこちらをじっと見ている。
何故そこにいるのか。
高速移動で動くピカチュウにすら、そこに至るまでの過程がすっぽ抜けている。
つまり、フーディンは動いていないのに、移動している。
矛盾そのもののようだが、そうとしか言えない。
―――テレポート。フーディンが使用した技は、その場から消えて別の場所に転移するという技。
本来は戦闘から離脱するための技。戦闘に応用できないものかと考えたトレーナーもいたが、そもそもどこにテレポートできるか細かくコントロールできるものでは無く、単純に逃げ出すくらいしか用途が無かった。
尚且つ、技を使うために精神を集中する必要があるため、使うと決めて瞬間的に移動することなど出来ない代物。
フーディンの進化前、能力の低いケーシィが逃げ回るためだけに覚えているのではと考えられているほどに実践で使い道の少ない技。
だが、それをコントロールし、瞬間的に狙った場所に移動できるとすればどうだろうか。
自身の認識の中であれば、どこにでも、好きな場所にテレポートできる。
ただそれだけ、と揶揄するにはあまりに凶悪な技。
空間指定のテレポートというのは言うほど簡単なものでは無い。
何故なら、移動先の空間座標を正確に認識できていなければ、下手をすれば自身の身を破壊しかねない。
コンクリートで固められた床の中に移動してしまえば、考える余地無くその身は瞬間的に粉々になりコンクリートと混ざったグロテスクなシェイクとなり果てる。
正確に空間座標を把握し、移動前から移動後の場所を計算し、且つ正確に計算した場所へとテレポートを行う。
不規則だからこそ安全だった技をコントロール下に置くための弊害。
通常では不可能。いや、むしろ可能だと考える方が埒外な物。
それが『テレポート』をコントロールするということなのだ。
―――ピカチュウは初撃を外した。だが、だからなんだとでも言うが如く、第二撃を繰り出す。
フーディンはまたも消え、ピカチュウの腕の範囲外へとテレポートする。
三撃目も同様。
ピカチュウは追いすがる。
まるで遊ばれているかのように、フーディンはピカチュウを翻弄し、弄ぶ。
ピカチュウは尚も目にも止まらない高速をもって地面に頭をこすりつける化け物に拳を振りぬき、そしてついにその拳に衝撃の反動が返ってくる。
だが、そこにいたのはフーディンでは無い。
フーディンが消えた場所に現れたのは無数の掌。
そしてその掌が作り出す『バリアー』だった。
ピカチュウの拳は、その透明の壁に阻まれ、フーディンどころかバリヤードにも届かない。
直ぐに右にステップし、バリヤードの左腹にボディブローを撃ち込むが、前後左右に蠢く腕を持つバリヤードに死角は無く、再度バリアーで防がれる。
フーディンはバリヤードの後ろから動かず、あざ笑うかのようにグネグネと髭を動かしながらピカチュウを見上げている。
二度の攻撃を完全に防がれたピカチュウだが、ピカチュウとて歴戦の兵。
目の前で繰り出すテレフォンパンチが通じずともまだ攻撃手段はある。
―――ピカチュウの両頬から光が漏れる。今までに数々の標的を無力化してきた伝家の宝刀。まともに食らえば黒焦げになる威力の電撃。『十万ボルト』である。
薄暗い室内を太陽が発生したかのような強烈な光が暴れまわる。
空気が破裂するようなチリチリという音と、部屋の奥で豪快に炸裂する稲光。
通常なら跡形も無くなり黒い跡しか残らないほどの高電圧だが、相手はジムリーダーの持つ強力なドーピングポケモン。さすがにノーダメージとはいかないが、拳を撃ち込むだけの隙はできる。
そう思ってか思わずか、ピカチュウは再度高速移動からの強烈な打撃技『たたきつける』を繰り出す。
――――強烈な光が姿を消し、そこに三体の無傷なポケモンが再度姿を現した。
十万ボルトはバリヤードの『光の壁』で完全に防がれ、叩きつけるはフーディンの『リフレクター』で無効化された。
二つの防御幕がナツメのポケモンを覆う。
ピカチュウが攻撃を仕掛けて十数秒。
サトシのポケモン達は微動だに出来ず、サトシ自身も思考停止状態。
ピカチュウの攻撃は完封されてしまった上に、ナツメのポケモンはまだまだ余力を残している。
ナツメが操る女性は無表情で、何の関心も無さそうに、いつもやっている作業の如く、誰に言うでもなく呟く。
『もういい。無駄だから終わらせましょう。』
バリヤードとフーディンの防御壁が解かれ、二体のポケモンが待ちかねたとばかりに、ゆらりとその身を揺らして一歩踏み出した。
―――ピカチュウは動く。
それしか選択肢が無い。
他のポケモンに何ができようか。
クラブ、メタモン、コイキング。
ゲンガーに至っては言う事をきかない。
寧ろ、ピカチュウの邪魔をしてしまう事にもなりかねない。
今、ピカチュウは目の前のことで手一杯なのだ。とても誰かを守れる状況には無い。
常に高速移動でバリヤードを攻撃し続ける。
時折コンクリートの壁が丸く抉れるのはフーディンのサイコキネシスか。
とても念力とは思えない破壊力。それがあの自身の身体能力を犠牲にした脳の巨大化の結果だと言われれば、納得せざるを得ない。
まるで固定砲台。だが、スターミーの時と違い、この砲台が放つ砲弾は目に見えない上に、その砲身すらも自由自在にテレポートし、様々な角度でピカチュウを襲う。
さらに言うのであれば、その不規則な動きに指示をしているのがあの不気味な機械の中にいるナツメ本人なのだ。
あらゆる意味で規格外。エスパーとして深くポケモンと深層で繋がり、直接指示しているとしか思えない程の正確さ。
ピカチュウはその不規則に襲い掛かるサイコキネシスを回避するために、自身も不規則に動き続けるしかない。
しかし、いくら致命的な攻撃を躱したと言っても、ピカチュウはテレポートしているわけではない。当然、その体には物理法則が降りかかる。
急に反転すればそのために無駄な力が足にかかり、ジワジワと疲労と微小なダメージを蓄積する。ドーピングを施された強靭な体とて、自身の持つ実在の肉体。普段なら問題の無いダメージでも、このレベルの戦いでは致命的にすらなりえる。
事実、フーディンの放つサイコキネシスは徐々に正確性を増し、ピカチュウの巨躯の端々を抉り、削り取っている。
消耗戦―――だが、ピカチュウとてそれは百も承知。とにかく二体のうちどちらかを打倒しなければならない。
意を決し、一転攻勢するためにピカチュウは電撃を身に纏い、拳をバリヤードに思い切り撃ち込んだ。
いつぞやのライチュウがやっていたように、自身に電撃を纏うことでその破壊力を増大させる。これであればバリヤードの鉄壁を打ち破れるハズ。
ピカチュウの巨大な拳は、バリヤードのバリヤーを破壊し、華奢な胴体をぐしゃぐしゃに叩き折り、勢いそのまま猛烈なスピードで弾け飛び、灰色の壁にぐしゃりとへばりつき、前衛的なアートのように血みどろの塊と化した。
―――バリヤードは倒した。が、油断はできない。次はフーディンだ、と意識を切り替えようとしたピカチュウを、誰が攻められようか。事実、バリヤードの身体は滅茶苦茶に破壊され、無機質な壁を飾る芸術と化したのだ。
―――ではこれは。
―――目の前に存在している無数の腕は、いったいどこの誰の腕なのか。
――――『みがわり』
自身の体力を使うことで、まったく同じ個体を作り出す技。
その名の通り本来はただの身代わりなのだが、ことドーピングの蔓延る裏の世界においてはその限りでは無い。
つまりバリヤードは。この異形の怪物は。たった今破壊した物はただの身代わりで、目の前にいるこいつこそが本物で。
―――・・・!!
もう一歩。
ピカチュウはさらに勢いを増して怪物に襲い掛かる。
大丈夫、今の攻撃はバリヤーを割った。つまり、もう一度繰り出せば同じ結果になる。もう身代わりを使う時間は無い。これで、これでバリヤードを今度こそ壁の染みに出来る。
さらに加速した拳を撃ち込む。躊躇など無い。先ほどと同様にその脆い胴体を殴り壊す。
防御が割れればただの脆い肉体に過ぎないのだ。
筋肉の権化のような身体から放つ岩のような拳を、耐えられるわけはない。
その一秒後、ピカチュウは床に転がり気を失っていた。
やべえじゃん。