ヤマブキシティ南を抜けると、クチバシティは目と鼻の先だった。
前に来た時はカスミと一緒に地下通路を抜けてきたのだが、周囲に気が向くような状況ではなかったのでまったく気づかなかった。
カスミは今頃どこにいるのだろうか。無事に陸地にはたどり着いたのだろうか。
まだそこまで時間は経っていない筈だが、もう数か月も経過したような、そんな気すらする。
自堕落に夢と希望だけを目指して生きていた時期とは大違いだ。旅に出てからは毎日が濃厚で、まるで一日が一週間くらいの密度に感じる。
カスミのことを想うと今でも胸が高鳴るし、別れの瞬間を思い出すと顔が紅潮する。
幸い、紅い顔を見てからかう人間はいないが、もうクチバシティはすぐそこだ。
ぶんぶんと頭を振り、徐々に感じ取れる海の香りでリフレッシュさせる。
クチバシティは長居せず、要件を済ませたらすぐに抜けよう。
急いだところで何があるわけでもないのだが、なんとなく、そう、なんとなくこの港町には長居したくないのだ。
そんなことを考えていると、あっという間にクチバシティの入り口に到着した。
「ついたー!」
「ピッピカチュ」
ピカチュウと共にもろ手を挙げて潮風を全身に浴びる。
やはり海の香りというのは格別なのだ。
勝手な行動をとらないように、まずはピカチュウと予定の確認をする。
会話できているかなど関係ない。気休めではあるが、ピカチュウも頭の隅っこにはサトシの言葉がうすぼんやりと残っていることに期待する。
「まずはスピアーのところに行く!」
「ピピカチャ」
「そしておいしいごはんを食べる!!」
「ピッピカ」
「お買い物をする!!!」
「チャー」
「そして町を出る!!!!」
「なるほどのう。」
「よし!れっつご・・・」
はた、と足が止まる。
今、なんだかとっても違和感を感じた。
いや、きっと気のせいに違いないと思うのだけれど、自分の言葉に対してピとカとチュウ以外の言葉で反応された気がしてならない。
何かの勘違いだと思う。青天の霹靂ではあるまいか。
しかしなんだか聞き覚えのある声だった気がするし、しかもその声はサトシのトラウマに直結するような気がしてならない。
ものすごく忘れたい記憶だが、脳髄の奥の奥にびっしりと絡みついているその記憶はときどきひょっこり顔を出してサトシの苦しめていくのだ。
そしてその記憶を笑顔で植え付けていった人物はここクチバシティにいるわけで。
そう、たしか、そのような口調だったような気が、しないでも、ないような、気がする、のだけれど。
「久しぶりじゃのう、サトシ君。元気にしておったかの?」
「ううわあああああああ!!!会長だ!!!!」
「そうとも、ポケモン大好きクラブの会長じゃよ。ほっほっほ。」
目の前に急に現れたこの人物こそが、サトシのトラウマそのものであり、且つサトシ自身も知らない、サトシの内面を深く知る人間である。
ポケモン大好きクラブとはその名の通り「ポケモンが大好きな人が集まるクラブ」である。
もちろんその名前通りにポケモンを愛して愛してやまない人達が集まるクラブであり、その言葉以上の意味は無い。
そう、言葉以上の意味は無いのだ。
だから、その言葉で定義できる部分はすべて包括する。
ポケモン大好きクラブは「好きな理由」については一切合切問わず、全てを受け入れ、もっと好きになれるように環境を提供するという、字面だけみたら大変すばらしい活動なのである。
その会長ともあろうお方が、どんな理由でポケモンを愛してやまないかと言うと、「ポケモンを食べるのが好き」とのことだ。
まさに狂気に染まった狂ったクラブを運営している狂った人間なのだ。
サトシがクチバシティを早急に立ち去ろうと思っていた理由はまさに、この人物と会いたくなかったからだ。
それほどまでにサトシはこの人物を最重要警戒人物としてチェックしている。ちなみに警戒人物リストの中にはサカキと、イワヤマトンネルのやまおとこがいる。
「元気そうじゃの、サトシ君。少し、影が増えたようにも視えるが―――良いことじゃな。ほっほっほ。」
「そうですか・・・」
「ピカチュウも、壮健そうじゃな。」
「ピーピカピ」
「ところでサトシ君。これからどうじゃ、お茶でも。」
「嫌です。」
「ピカピカ」
「おや、つれないの。先の短い老人に少しばかり付き合ってくれても損は無いのではないかね?ほれ、ピカチュウも乗り気じゃないか。ほれほれ。」
「ピカピーカピカ」
「・・・先に済ませたい用事があるので・・・その後に少しなら・・・まあ・・・」
「そんな嫌そうな顔を見たのは生まれてこの方初めてじゃ。長生きするものじゃな。ほっほっほ。では、わしの家でいいかね?」
サトシの頭に記憶がよぎる。
薄暗い室内に木製のダイニングテーブルとギシギシと軋む椅子。
そして食器棚。キッチンは無い部屋。
奥の部屋に続く扉が一つ。
そこで会話した内容。
知らされた事実。
「・・・嫌です。」
「ほほ、随分ハッキリ物を言うようになったではないか。わしは嬉しいぞ!では、ポケモンセンターの隣にある喫茶店にしよう。わしはのんびりしておるから用事が終わったら来なさい。待っておるよ。ほっほっほ。」
そう言うと、ポケモン大好きクラブの会長は、老人とは思えないほどの健脚でスタスタと町の中へ消えていった。
「なんでこう、一番会いたくない人に一番最初に会うのだろうか・・・」
世の中とはいつだってそういうものである。
いい気分の時に悪いことが起き、都合のいい時に都合の悪いことが起きる。
時間が無い時にトラブルが起き、余裕があると思うと実は余裕の欠片も無かったり。
まるで狙っているかのように、ピンポイントで不都合がサトシを襲う。もはや伝統芸。運に見放されている割に、命に関する運だけはついている始末。
死ななければなんでもいいと思っている神様など、非人道的にも程があるのではないだろうか。いや、神に人道は無いのか。
そんなことを考え、はあとため息を大きく吐いて、サトシは歩き始めた。
「・・・もしかして見られてたり、して?」
「ピピカ?」
そんな被害妄想すら思い浮かべるサトシであった。
もう早く歩く必要は無いので、久しぶりの港町を散策しつつスピアーの元に向かった。
――――――――――――――――――――――――
「久しぶりだね、スピアー。」
人気のない町のはずれ。
海が一望できるこの場所に、サトシのスピアーが眠っている。
ビードルの時にゲットし、多くのバトルでサトシを助け、そしてクチバジムで命を落とした。
未だにその光景は目に、脳に焼き付いている。決して忘れてはならない記憶。
「スピアー、ごめん。ありがとう。」
サトシは目立たない程度の花を手向け、手を合わせる。
ピカチュウの声も今は聞こえない。後ろで黙って立っている。
「スピアー、僕はもう、迷わない。でも僕は弱いから、一人だときっと止まりそうになってしまう。だから、一緒に行こう。みんなで先に進もう。」
ざざ、と強めの風か吹く。
草が大きく揺れ、木々がざわめく。
まるでサトシの声に応えたかのように。
しばらくその場所に立ち尽くすサトシ。
そして、ふと顔を向け、
「ピカチュウ、行こう。」
と言い、ゆっくりと踵を返して町の中へ向かっていく。
「ピッカピッカ、ピッピカピ」
しかし、ピカチュウはその場所でなにかやっている。
「ピカチュウ?いくよ?」
「チャ!ピッカチュ」
ピカチュウが振り向き、サトシへついていく。
その手には、サトシのカバンからいつの間にか抜いていたシルフスコープが握られていたが、サトシは知る由も無かった。
――――――――――――――――――――――――
「ほっほっほ、待って居ったよサトシ君。」
「おまたせ、しました。」
ポケモンセンターの隣の喫茶店。
スピアーのところに行った後、ピカチュウと共に昼食に行った。
クチバシティに到着したのは昼前だったので、これ以上延ばすとピカチュウの機嫌を損ねる。
決して会長と会うのを先延ばしにしたわけではない。ごはんのためだ。
そこでいつも以上にたくさん、且つ豪勢に海産物を胃袋に入れる。
少しでもストレスを減らそうという試みではあるが、そこそこの金額のクチバシティの海産物をなぜこんなにたらふく食べられるのかというと、ヤマブキシティジムでもらった封筒の中に、二百万円入っていたからだ。
これは大きい。久しぶりにガッツリ食事できると思うと喜ばざるを得ない。
ピカチュウともども胃袋いっぱい食べた後、(金額は見ていない)非常に重い足取りでポケモン大好きクラブ会長の待つ喫茶店に来たというわけだ。
「まあまあ、座りなさい。」
喫茶店の中は、昼過ぎという時間もあってか八割方の席は埋まっている。
ピカチュウは目立つが、会長が一緒だということを知ると皆納得の面持ちでスルーしていく。
「さてサトシ君。すこしばかりお話しよう。わしはおしゃべりが大好きでな。ほっほ。」
そして、まったくもって落ち着かない、食後のお茶会が始まったのであった。
会長再来