目の前の石造りの床が砕かれる。
サトシの目前を通過した巨石の如く握られた右手は躊躇なく石を叩き割り、その右手の持ち主の眼光は鋭くサトシを射抜いていく。
その目は、以前のような何を考えているかわからない、きょとんとした目ではなく、もっとどす黒い殺意のようなものが感じらえた。
今までも人間からは殺意を向けられたことが幾度かあるが、自分のポケモンから向けられるなんてことは初めてだ。
「う、うわあああああ!」
後ろに飛びのき、よろけながら後ずさる。
起き抜けの乾いた喉がひりつき、呼吸が早まる。
短くなった鎖はすでにサトシの行動範囲を大きく狭めており、逃げることすらできない。
ピカチュウは振り下ろした右手をゆっくりと引き上げ、一度拳を見た後、再度サトシに目を向け、一歩前進する。
三メートル近い身長は歩幅も大きく、あっという間にサトシの目前に立ちふさがる。
この位置から拳を振り下ろされたら、今度は間違いなくサトシの脳天を叩き割るだろう。
目の前の砕かれた床と同じように、頭蓋が割られてそのまま床の染みに変わってしまうだろう。
なんだ、どうすればいい?なにがおきてる・・・?
混乱。
だが、ここでサトシの頭をよぎるものがあった。
―――自分のポケモンを信じるんやで―――
マサキからの手紙の一文。
あれば、どういう意味―――
黄色い巨体が拳を振り上げる。
「――――!!!!」
ガバッ
サトシは意を決してピカチュウに―――抱き着いた。
「ピカチュウ!!ゲホッ、ピ、ピカチュウ!ピカチュウなんだろ!?なにしてんだっゲホゲホッ!ハァハァッ!僕だ!サトシだよ!ピカチュウ!なあ、助けに来てくれたんだろ!?何でっかくなってんだよ!ピカチュウ!おいってば!帰って来いよピカチュウ!ピカチュウーーー!!!」
巨大な体に少年が抱き着こうとも、その体はびくともしない。
振り上げた拳はそのまま振り下ろされ、サトシと壁を繋いでいた鎖を真っ二つに切り裂き、その衝撃でサトシは一瞬首を絞められ、床に投げ出される。
「ぐぅっ」
むせながらサトシはピカチュウを見上げる。
恐怖で足も手も震えている。
歯がカチカチと鳴り、今にも逃げ出したいという気持ちが大半を占める。
だが、だが、ポケモンを信じろという言葉がかろうじてサトシをこの場所につなぎ留める。
「ピカチュウ!!!何してんだよ!おいしいごはんあげないからな!それでもいいのかよ!」
「ビ、ガ」
「無駄に音立てたり、変な事件に自分から巻き込まれたり、今度は巨大化して暴走かよ!ちょっとはトレーナーの言うこと聞いてくれよピカチュウ!なあ!僕のピカチュウだろ!!ポケモンマスターのパートナーだろ!ねえ!」
ピカチュウがぐらつく。
そして、頭を抱えてふらふらと二、三歩歩き、そのまま壁に体をぶつけながら扉のあった場所を通り抜け、そのまま奥へと消えていってしまった。
「ピカチュウ・・・どうしたんだよ・・・」
呆然と立ち尽くすサトシ。
遠くの方で破壊の音がたまに聞こえてくる。
明らかに以前と違うピカチュウ。
それとマサキの言葉。
あれは本当に自分のピカチュウなのか?
・・・考えていてもしかたがない。
ある意味では、ピカチュウが道を開いてくれた。偶然にも鎖もちぎってくれた。
サトシをこの部屋につなぎ留めるものはもはや無い。
衰えた体にムチをいれ、よたよたと薄暗い部屋から顔を出す。
左右に伸びる長い通路には誰もいない。
サトシはとりあえずふうと一息つき、遠くで破壊の反響音が響く方へ足を進める。
通路は先が見えないように湾曲した造りになっており、先を気にしながら ゆっくり、且つ急いで進むが、三十メートルも歩くと上に登る階段はすぐに見つかった。
所々、壁や地面が陥没していたが、歩くのに支障は無い。
キョウに出くわさないものかと恐る恐る階段を上る。
薄暗い部屋とは打って変わって、通路から階段は白い照明に照らされていた。
怪しさはありつつも歩きやすいこの現状に文句はいっていられない。
自身のポケモン達も心配だが、とにかくまずは、外にでなければ。
ここでキョウに会ってしまったら、あっけなくまたあの部屋に連れ戻されてしまうだろう。
ピカチュウがかき乱している今がその最後のチャンス。
階段をあがりきると、そこは最初にサトシが訪れた和室。
隠し階段、のようなものなのか、壁と同じ見た目の扉が床に転がっていた。
・・・つまりは破壊された跡。
先ほどから遠くで聞こえていた破壊音も今やすぐ近く。
誰もいない。
キョウはどこにいるんだ?
ここまで誰とも会っていない。
部屋にも破壊の後が残っており、壁紙は破れ、畳は折れ曲がっている。
・・・通路は、この部屋に入ったところだけ。
ジムの正面玄関。
意を決してサトシは通常ジムとして使われている空間へと進む。
そう長くない道を過ぎ、広間を見ると
そこには、地獄のような光景が広がっていた。