サトシはピカチュウとニョロボンから遠ざかる。
事実として役に立てることは現状ないし、ニョロボンの技構成もわかった。
かげぶんしん、メガトンキック、じごくぐるま、バブルこうせん だ。
バブル光線の巻き添えになるわけにはいかない。
うまく射線上から避け、自分の位置を確保する。
「地べたを這いつくばる虫のようね!愉快だわ!でもまあ、その生に対する執着だけは褒めてあげる!無駄だけどね!!あはは!」
いちいち上からの言い方だ。
だがそれに一喜一憂している場合ではない。
命がなければ始まらないし終わらせられない。
とにかく、自分の命が最優先だ。
「ピカチュウ・・・たのむよ―――」
その願いに、ピカチュウはその大きな背中で答える。
会場の空気は最高潮だ。
一進一退の攻防に、観客も熱をもって盛り上がっている。
フィールドにいる2人にはその声は一切耳に入ってこないが、それでも会場の室温は徐々に上がり、頭が暑くなってくる。
ピカチュウが地面を蹴り、前へ走り出す。
隙のできる電撃攻撃はしない。
あくまでピカチュウの選んだ戦法は肉弾戦。
反して、ニョロボンの戦略はどうか。
肉弾戦においてあまり差が無いと察したニョロボンは遠距離戦を選択。
ニョロボンの周囲に大量の泡が形成されていく。
単発のバブル光線は一メートルを超える大きさの泡であったが、ニョロボンの周囲に浮く泡は三十センチ程。
しかし、その数は十を超える。
ニョロボンが片手を振り上げ、何かを投合するように振り下ろすと、浮いている破壊の球体が三つ、高速でピカチュウの方へ発射された。
ピカチュウは走りつつ、右に宙返りし、首を振り、左にステップし、紙一重で躱していく。
しかし球体の攻勢は収まらない。
次々と飛翔する虹色に輝く破壊の泡。
避けきれないとなれば微量の電撃で泡を破裂させる。
その一瞬の隙にニョロボンはさらに泡を生成し、ピカチュウへ打ち出す。
距離が縮まっては離れ、離れては縮まりを繰り返す。
一見互角の攻防のようだが、バブル光線は一撃必殺。
身体のどこかにでも当たればそこが爆散するという脅威の技。
それが大量に襲い掛かってくる恐怖を、どれだけの時間耐えきれるというのだろうか。
電撃一発で割れるとはいえ、逆に言えば電撃一発を当てないと割れないのだ。
ピカチュウが不利な攻防だというのは明らかだ。
ピカチュウもそれがわかっているのか、ジリ貧を続けるつもりはないようだ。
ニョロボンの手の内はすべて割れている。
だがピカチュウはまだ、切れる札がいくつか残っている。
できれば最終戦まで相手に見せたくなかったが、負けるよりかはマシだ。
「これで最期よ!!」
カスミの声と共に、大量の泡がピカチュウに押し寄せる。
回避もできない、電撃で処理しきれる量でもない。
絶対絶命の瞬間、ピカチュウはその場から姿を消した。
何もいない空間で泡がお互いにぶつかり合い、破裂音と共に姿を消す。
先ほどのピカチュウとは逆―――今度はニョロボンの懐に、腰を沈めて拳を振りぬく直前のピカチュウが存在していた。
―――『こうそくいどう』
ピカチュウの切り札であり、本来スピードを活かす戦い方をするピカチュウにとっても相性抜群の技である。
初見の相手であればほぼ間違いなく先手が取れるであろう、目にも見えない速さの一撃。
感知などできない。回避もできるはずがない。
ピカチュウの渾身の一撃は、狙いを少しも外すことなくニョロボンのうずまき模様の中心を貫通した。
「んーーー、おしい!残念でしたぁ!!」
カスミの嬉しそうな声が響き渡る。
ピカチュウが打ち抜いた拳は、確かにニョロボンを貫通していた。
しかしそこに手ごたえはなく、体液が飛び散ることもない。
徐々に薄れるニョロボンの姿。
『かげぶんしん』
自分の分身を作り出し、相手の攻撃を躱す技。
ピカチュウの目の前からニョロボンの姿が消える。
渾身の一撃は虚しく空を切り、そのエネルギーを霧散させてしまった。
では、本物のニョロボンは一体どこへ――――――
ピカチュウの黄色い姿が黒く染まる。
強い照明から生み出される光は、同時に濃い真っ黒な影を生み出す。
黄色い巨体をその濃すぎる黒が覆った。
瞬間、ピカチュウが上を見上げる。
ニョロボンがピカチュウに向けて、全力のメガトンキックを繰り出した瞬間だった。
回避不能の一撃。
相手の隙をついたピカチュウの高速移動。
しかし、それすらもカスミとニョロボンは読んでいた。
ジムリーダーの名前は伊達ではない。
戦闘の一手先、二手先を読む能力無くして、その立場は務まらない。
いくつもの死闘を乗り越えてきたカスミとニョロボンの戦闘の勘。
単純な技の威力や技量よりも、戦闘においてはこの勘こそが勝敗を決するのだ。
カスミが今日最高の恍惚の表情を浮かべる。
サトシは無言で戦闘を見守る。
ニョロボンのメガトンキックがピカチュウに触れた瞬間、この試合の決着は着いた。
―――――――――――――――――――
「どういうことよ・・・ねえ、どういうことなのよ!!」
カスミが吠える。
サトシは相変わらず、無言でフィールドを見守っている。
フィールドには二体のポケモン。
一体は立ち、一体は倒れている。
ほぼ同様の背格好をしたその二体。
立っているのは、筋肉の鎧を纏っている、黄色い巨躯だ。
「おかしいじゃない!私の―――私のニョロボンがピカチュウを蹴り潰したでしょ!!!なんで逆なのよ!!なんで、どうして!!!」
怒気を孕んだ悲痛な叫び声を、サトシは無言で聞き続ける。
―――――――――――――――――――
ニョロボンのメガトンキックがピカチュウに触れる瞬間、ニョロボンの動きが突如止まった。
慣性によってそのままピカチュウに向けて落ちていったが、難なく回避する。
サトシがピカチュウに伝えた唯一の情報。
そして、ピカチュウが持つ最後の技。
『でんじは』である。
電気を発すればバブル光線の泡は破裂してしまう。
破壊力抜群の攻撃ではあるが、相性としてはたしかに電気には弱い。
つまり、必然的にニョロボンの決め手は随一の物理破壊力を誇る、メガトンキックとなる。
ピカチュウに触れねば倒せない。
しかし、ただの電撃を纏っていたからといって、ニョロボンに多少のダメージを与えるのみ。
メガトンキックの勢いを打ち消せるものではない。
しかし、電磁波ならば。
相手を確実に麻痺に追い込む技。
動けなくなれば当然、技を出すことはできない。
そしてもちろん、動けないということは、ピカチュウの攻撃を防ぐこともできない。
ニョロボンの攻撃をいなし、先ほど打ち損じた胴体へ、再度渾身の右拳をめり込ませる。
身体がくの字に折れ、白目を剥く。
さらにそのまま地面に叩き付け、十万ボルトを直接胴体へ流し込む。
麻痺した身体では悲鳴を上げることも出来ず、バリバリバリという電気の流れる音がその代わりとなり響き渡る。
先ほどのヒトデマンと同様の光景が広がり、その後に残るのもまた同様。
黒焦げになったニョロボンの巨体が、パチパチとまだ放電しながら、少しも動くことなくピカチュウの足元に倒れた。
―――――――――――――――――――
―――まさに一瞬の出来事だった。
カスミは勝利を確信していた。
影分身によって攻撃を回避し、メガトンキックでとどめを刺す。
完全に勝利のビジョンしかカスミには見えていなかった。
それなのに、現状はそのイメージと異なる。
本当の意味で、カスミの思惑を超えられてしまったのだ。
油断でも、偶然でも、ポケモンの能力の差でも無い。
カスミが一番負けてはならない分野。
『駆け引き』に置いて、自分より年下である、飛び入り参加の初心な少年に負けてしまった。
サトシには全くそのつもりがないし、戦闘における駆け引きはすべてピカチュウが行っている。
しかしそれでもカスミが駆け引きに負けたことには変わりがない。
負けた。
あえて負けたのではない。勝って、打ちのめすために戦ったのに、負けてしまった。
過去にない経験。
これはカスミの心を酷く傷つけた。
手を握りしめ、振るわせるカスミ。
その姿を見て、会場の静まりかえる。
誰も、何も声を発さない。
ここで最初に何かを言う権利があるのは、カスミのみ。
それはサトシを含め、すべての人間が理解していた。
そして間もなく、その権利者がこの静寂の空気を切り裂き、言葉を発した。
「あーあ、もういいや。やーめた。」
「・・・・・・は?」
サトシは素っ頓狂な声を上げた。