「ここでお別れね。」
「・・・うん。」
海の上に渡った橋の上で、言葉を交わす。
チケットを持っていないサトシは、これ以上先に進むことはできない。
直接自分の身体が海に漂っているかのように、ザザーン という波の音がより大きく聞こえてくるようだが、その波の音は目の前の少女との会話を打ち消してくれる程大きくはなく、永遠に続いてほしい時間は数少ない言葉と共に過ぎ去っていってしまう。
数秒間、二人の間には何の言葉も生まれない。
それを別れの合図と認識したのか、カスミはゆっくり身体をひねり、橋を渡るために足を進めようとする。
「あ、か、カスミ!」
特に話すことは何もない。
別れの言葉も、言いすぎるほどに言った。
それでも、何か話さなければと、想い人の名前を呼ぶ。
「え、えと、その、む、向こうでも元気に、ね・・・―――」
中身の無い言葉。
しかし、意味こそ無いにしろ、その言葉の中には溢れんばかりの感情が込められている。
ピタと足を止めたオレンジ髪の少女は、無言で男の子の方を見つめる。
少し寂しそうな、それでいて嬉しそうな目で、名残惜しそうに、忘れないように、世の中をまだ知らない純粋な目を見つめ続ける。
「―――ええ、そうね。・・・ねえ、サトシ。最後に一つ、訊いてもいいかしら。」
突然の問いかけ。
「え?う、うん!もちろん!なんでもきいてよ!」
二つ返事で許可を出す。
意図はなく、素直に、目の前の少女の役に立ちたいと思っているからこその返事。
「私は、なんのために生きているのかな。わかんなく、なっちゃった。」
「―――――――――」
長い沈黙。
実際は数秒。
波の音も、風の音も、客船の汽笛も、すべてが聞こえなくなった。
サトシはカスミの問いかけの真意を探ることなく、ゆっくりと吟味し、考慮し、自分の思うことを、正直にそのまま飾りつけすることなく、泣きそうな顔をする少女に伝えた。
「ここ数日、カスミと一緒に居て、こう思ったんだ。本当は何かを傷つけたり、壊したりすることは好きじゃないんじゃないかって。」
カスミは黙ってサトシの言葉を待つ。
ずっと長い間求め続けた答えが、まさに今目の前にあるのではないかと期待するかのように。
「カスミは優しい、と思う。思いやりがたくさんあって、その場の空気を和ませてくれる。僕はそう思う。でも、それは僕が勝手に思っている感情。だから、僕が言えることはこれだけだ。」
ゆっくりと深呼吸し、気持ちを整え、サトシは質問に対する答えを口に出す。
「カスミは、それを探すべきだと思う。今までのことは無くならない。それをきちんと踏まえて、考えて、自分で結論を出さなければいけないと思う。」
カスミは先ほどよりも表情を崩し、目のフチに小さく涙を溜めている。
ズキンと傷つく心を堪え、サトシはさらに言葉を続ける。
「――――でも、僕は、カスミは、誰にでも優しく、強く接することができると思ってる。必ず答えにたどり着くと思ってる。だから、もしふさぎ込んでしまったり、泣きそうになったりしたときは、僕が話を聴きにいくよ。絶対に。どこに居ても。必ず。」
心臓の音が周囲にも聞こえているのでは、と錯覚するほどにサトシの鼓動はバクバクと大きな音でリズムを刻んでいる。
カスミは黙って顔を伏せてしまい、今はその涙で溢れた目元を見ることは適わない。
やがて、顔を伏せたまま手で無理やり目を擦り、涙を振り払ったカスミがゆっくりと顔を上げた。
その顔はすがすがしい程の笑顔で、サトシの心臓は破裂しそうな程に速まった。
「厳しいね、サトシは!でも、ありがとう。嬉しかった!!」
まばゆいほどの笑顔で少女は少年に最後の別れを告げる。
サトシもまた、無理やりに笑顔を作って、目の前の少女を見送る。
「うん!また会おうね!カスミ!!」
じゃね、と手を振り、カスミは橋の上を駆けて客船へ向かっていった。
サトシは名残惜しかったが、くるりと背中を向けて、手を挙げた。
涙を浮かべた顔を、想い人に見られないように。
―――――――――――――――――――
なんとか気持ちが落ち着き、その場を離れようとするが、後ろから橋を駆ける音が再度聞こえた。
別段何を思ったわけでもなく、なんだろう、誰か忘れ物かな?とかそんな単純な考えで振り向くと
オレンジ髪の少女の顔が目の前にあり、そのまま驚くサトシの口を塞ぎ、頭の後ろに手を回された。
時間にして一秒程。
パッとサトシから距離を離した少女は、頬を紅く染め、照れた顔で軽く手を振り、先ほどと同じように橋を駆けていき、今度こそその姿を客船の中へ滑り込ませ、サトシの視界から消えた。
驚いた表情のまま固まったサトシ。
その後ろで、二メートル超えの巨体が不思議そうにサトシを眺め、どうしたの?と言わんばかりにピカピカ言っていた。
そのままたっぷり十分程固まっていたサトシは、動き始めた後もすぐに先ほどの出来事を思い出して数分間悶えるという行動を繰り返した。
町を歩く人達はその姿を見てヒソヒソと小声で会話し離れていく者もいれば、一部始終を見ていた老夫婦からは青春じゃのうほっほっほと無害な笑顔を向けられているのであった。
―――――――――――――――――――――――――――――
日が落ちる頃に豪華客船サントアンヌ号は出航し、その船影が見えなくなるまで見送った後、これ以上は何もできないと判断したサトシはポケモンセンターに向かおうとするが、ピカチュウにリュックサックを引っ張られる。
ぐえ、と変な声を出して立ち止まったサトシ。
「いてて、どうしたのピカチュウ?って、なにそれ、封筒?」
ピカチュウが自分の着ているつなぎのポケットから、一通の封筒をサトシに手渡した。
それを受け取ると、随分と重たい。
綴じられていない封をそのまま開けると、中には見覚えのある札束と、一枚の白い紙が入っていた。
「これは、マサキさんの?でもカスミの旅費・・・」
白い紙を見ると、一言だけ、女の子らしいかわいい文字でサトシに向けた言葉が書いてある。
『私はいらないわ。またね、サトシ。 カスミより』
やれやれ、一体いつ仕込んだのだろうかあの少女は。
この手紙で再度カスミの姿をありありと思い出して悶えたのは言わずもがな。
同時に、先行き不安だった金銭面がカバーできたのは嬉しい誤算だった。
これでおいしい海産物を堪能できるというものだ。
サトシにとっても、ハナダシティで味わった海産物は再度食べたいと思っていた。
その金額に不安を感じていたが、今日くらいはいいよね?
涎を垂らしたピカチュウにハンカチを渡しつつ、晩御飯を堪能するために、大きい影と小さい影は、再度町の中に消えていった。
―――――――――――――――――――
誰しも寝静まった深夜、豪華客船の甲板で一人の少女が暗い海を眺めていた。
特徴的なオレンジの髪を隠すグレーのキャップが、風で飛ばないように抑えつつ、ポケットから二枚の写真を取り出す。
そこには、真面目にマサキの話を聴いているサトシと、寝心地悪そうに床に寝転がっているサトシの寝顔が写っていた。
「マサキのやつ、こんなの封筒にいれるんじゃないわよ。本人に見られたらどうするのよ。」
憎まれ口を叩きながら、その顔は少しだけ紅い。
指で写真の中にいる男の子の顔をなぞり、しばらく眺めていた。
夜空に輝く月が、少しだけ恋に染まった少女を祝福するかのように、金色に照らし続ける。
少なくとも今夜は、本来の少女が抱く感情に流されて良いのだと。
そう、言ってくれているようだった。
ぐああああああ
カスミEND。
このまま幸せになりたい。