ポケットモンスター 「闇」   作:紙袋18

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第七十三話 注意散漫怪我一生。

 遠くの方で振動音が聞こえてくる。

 そして時々、可笑しなモノを見たかのような馬鹿笑いが耳に入る。

 

 頑丈な扉と壁に囲まれているため、遠くで誰かが遊んでいるのか、程度の音にしか思えないのだが、紛れも無く扉一枚隔てた場所で行われている鬼の所業だ。

 サトシにとっては『悪』だと、なんの躊躇も無く断じることができる行為なのだが、悲しきかな、サトシの頭の中には、悲惨な仕打ちを受けている彼ら彼女らを救う手立てが思いつかない。

 

 唯一あるとすれば、サトシがバトルで勝利すること。

 当然、勝利したくらいで手放しで解放する男ではなさそうなので、バトルの前に条件を提示する必要がある。

 

 こちらも奴隷になる可能性がある以上、対する条件を提示することも可能だとは思う。

 それに、サトシが勝利するということは、マチスは本人が言うところの敗者になるということ。そう考えればどんな条件でも問答無用で訊かせることができるような気がする。

 

 マチスが、自分が敗北した時の対策をとっていないハズは無いとも思うのだが。

 

 その場合、奴隷の解放を求めた場合、それに対する条件を求められるか、もしくは拒否されるかだ。

 どちらにしてもサトシに不利な条件には変わりがない。

 

 この条件を受けたところで、マチスには何の得も無いのだ。

 勿論、そうなったところでサトシにはそれしか彼ら彼女らを救う手立てが思いつかない。

 

 

 

「最悪、マチスを捕まえて―――」

 

 

 

 そこまで考えて、ブンブンと頭を振る。

 

 今、自分は何を考えていたのか。

 捕まえて―――拷問すると、そう言おうとしてはいなかったか。

 

 身震いする。

 自分の思考が狂い始めているのでは、と初めて自分の脳みそに疑問を感じる。

 十四歳という穢れの知らない脳を動かす歯車が、徐々にずれ始めている。

 気づかない程度にじわりじわりとずれていったその歯車は、ここにきてようやくサトシにとって実感できる形で正体を現し始めた。

 

 

 冗談だと、何かの間違いだと、そう自分を誤魔化す事は簡単だったが、今回は何故か、気の所為だと断ずる事が出来ず、心臓を茨で締め付けるような痛みと気持ち悪さを胸に抱えることになった。

 

 

 

 

「結果がどうなろうとも、僕はマチスに挑まなければいけない。」

 

 

 

 

 選択肢は元より無い。

 バッジを取得するという目的に追加して、奴隷となってしまったトレーナー達を助けるという目的ができただけだ。

 

 さて、あと問題があるとするならば、どうやってマチスから勝利を奪い取れるかということなのだが―――

 

 

 

 

 

「タケシさんは岩場、カスミはプール、電気タイプのマチスはどんなフィールドなんだろう。ピカチュウ、どう思う?」

 

 

 なんとなしに首を起こし、横に振る。

 まあ、何を訊いたところで返ってくる返事はピカピカだけなのだが。

 

 だが、唯一返ってくるその二文字ですら、今回は返ってこなかった。

 

 

 同じ部屋にいたハズのピカチュウが忽然と消え失せ、重く閉ざされていた鉄製の扉がいつのまにか開かれ、キィキィと音を立てて揺れていた。

 

 

 

 開かれた扉の先を、振り向いた姿勢のまま直視し、注目していると、わー きゃー と悲鳴が聴こえ、その合間合間に英語で怒鳴り声が聞こえてくる。

 

 ほどなく笑い声が聞こえ、ガゴン、バキバキという音がしたかと思ったら再度怒りの声が聞こえ、悲鳴も復活した。

 

 聴くだけでも阿鼻叫喚。一体何が起きているというのか。

 

 そして、十中八九ピカチュウが引き起こした出来事だと判断できるだけに、サトシの苦悶の表情が目に見えて悪化する。

 そして、心に決めるのであった。

 

 ピカチュウ用の首輪を購入し、勝手に移動しないようにすることに。

 

 

 ―――結局はつけたところで、引きちぎられて何の障害もなくフラフラしてしまうことが容易に想像できるのではあるが。

 

 

 

 

 現実逃避をしたい、という一種の強迫観念に近いものと戦いながら、サトシはゆっくりと立ち上がり、扉の方へ音も無く歩き、そっと扉の外に視線を動かした。

 

 

 どういう風に考えても、明らかにピカチュウが粗相をしでかした結果しか思いつかない。

 若干十四歳にしてここまで心労に悩まされることは非常にレアケースと言えよう。

 胃が痛くなる、なんて表現をまだサトシが知っているとは思えないが、胸がキリキリと痛むこの感じは紛れもなくストレスによるものだ。

 部下に恵まれない上司よろしく、相方に恵まれなかったサトシの身体が気遣われる。

 

 しかし、その経験をもって人は大人になるのだ。

 サトシも徐々に大人の階段を昇っているに違いない。

 どういう大人へ続く道かは知る由もないが。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 サトシがうんうんと唸って考えていた時まで遡る。

 その視線の先にも、思考の中にもピカチュウの姿は無い。

 頭の中にはマチスとの交渉について絶賛考え中であり―――サトシの悪い癖なのだが―――他の事は一切関知しない状態になっていた。

 

 

 当然その間ピカチュウは手持無沙汰になる。

 サトシがいくら今後の所作に悩んでいたところで、ピカチュウにとってはどこ吹く風。戦うことになるのは自分であることなど念頭に無いらしい。

 なにか面白そうなものはないかななどと考えているかどうかは本人にしかわからないが、よっこいしょと座っていたソファから立ち上がり、とりあえず室内を物色する。

 

 サトシはそんなことに気を回している心の余裕は無く。床を見ながら頭を抱えて考え込んでいる。

 もはや十四歳の少年の考え込み方ではない。

 人間、絶体絶命の危機に陥るとこういう思考方法に帰結するのだろうかと、考えたくなるほどの、美しい形での悩み方だった。

 

 

 ピカチュウはしばらく室内の調度品を物色していたが、得に収まりの良いものが無かったのか、そのクリっとした大きなつぶらな瞳で鉄の扉を見据える。

 

 少しだけ何かを考えたような間があり、やっぱり何も考えていないようにスルスルと歩いて、決して無視できないようなガチャリという音を立てて鉄扉を開いた。

 

 ――サトシは気づかなかったが。

 

 

 

 キイイと甲高い音を立てながら扉はゆっくりと開き、開き切った時には、すでに室内に黄色い巨体の姿は無かった。

 

 

 

 

 

 扉の外に出て、『オモチャ箱』の中を一望したピカチュウ。

 ただし、マチスにとってのオモチャとピカチュウにとってのオモチャは違うようだ。

 ピカチュウにとって、この施設にある『発電機』の数々は、なんだか面白そうな遊具にしか見えなかったのだ。

 おそらく、ではあるが。この後のピカチュウの行動を考えると、そうとしか思えなかった。

 これをすら意図をもってやっていたとすると、まさしくピカチュウの目的はサトシを困らせることではないだろうかと、解決できない疑問を抱かざるを得ない。

 

 

 

 ピカチュウは先ず、手近にあった発電機―――直径一メートル程度の柱の元へ行き、必死に押していた六十歳程の男性を両手でつかみ、横に降ろした。

 

 何が起きたかわからない、といった顔で、棒を押していた姿勢そのままで硬直する男性。

 その結果、四人で廻していた柱を三人で廻す羽目になり、残った三人は突然重くなった柱に驚愕したあと、横に外れた男性とピカチュウを睨みつけた。

 

 

 未だに何が起こったかわかっていない男性であったが、今まで一緒に柱を廻していた人達から睨みつけられることで状況を把握したようだった。

 柱は止まり、その違和感は周囲に伝達し、徐々に広がっていく。

 

 

 そしてその違和感の波はついに金髪の男にまで届き―――

 

 

 

「What you doing!!(何をやっているんだ!)」

 

 

 

 という怒号と共に、ツカツカと速足で歩いてくる。

 

 奴隷の恰好をしている人達は、自分には責任はない、全てあいつが悪いのだとばかりに視線を黄色いデカ物の方へ一斉に向ける。

 

 それを見てなのかどうかはわからないが、マチスは一直線に視線の向く先へ進んでくる。

 

 

 

 そんなことは知ったことかと自由に振る舞うピカチュウ。

 柱についた横棒―――今まで男性が押していた場所を陣取ると、ものすごいスピードで廻し始めた。

 

 そのあまりの勢いに、他の横棒で廻していた三人が外側へ撥ね飛ばされる。

 重い柱を一人(?)で廻している姿も滑稽だが、その勢いと満面の笑顔がたまらなく面白い。

 

 その姿に、怒気を孕んだマチスもたまらず吹き出し、HAHAHAと笑うのだが、回転が速すぎて横棒が根本からちぎれ、勢いそのまま回転する他の横棒に激突しピカチュウが撥ね飛ばされ、もう一つの発電機へ激突。

 

 廻していた柱は高速回転しすぎてバリバリバリメキメキメキという音を立てて盛大に崩壊。

 ピカチュウが激突したもう一つの柱も頑強な筋肉が勢いよくぶつかったことで柱が傾き、これも回転に耐えられなくなって煙を吹き、ボン、という音と共に故障したようだ。

 

 肝心のピカチュウはぶつかった勢いそのまま床に転がっており、笑顔を上に向けて大文字で仰向けになっている。

 

 

 

 いろいろと突っ込みどころがある行動ではあるが、肝心の突っ込み役はいまここには誰一人としていない。

 

 先ほど大笑いしていた金髪の軍人は―――

 

 

 

「Hey、ユーはサトシサンノピカチュウデスネ。イイデショウ。ソチラガソノキナラ、イマスグニデモ、センソウヲ、ハジメマショウ。ココマデ、コケニサレタノハ、ヒサシブリデース。」

 

 

 それはそれはお怒りだった。

 

 

 そして、遠くからその光景を見ていたサトシは、網に捕らわれた魚のような、もうどうにでもなれと言いたげな死んだ目をしていた。

 

 

 

 

 

 




ああああああああああ!!!
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