ギリギリ、メキメキと音が鳴る。
血管が浮き出た右手の中には異形から繰り出された球体が握りつぶされ、その体液とピカチュウの血が混ざり合い滴っている。
あくまでも表情を変えないピカチュウと、痛覚など存在しないかのように平然とする虫ポケモンが見つめあう。
ピカチュウがその手を離し、サトシを後ろに庇う。
キャタピーはつぶされた球体をひっこめ、滴る体液をものともせずに戦闘態勢を整える。
「なかなかやるじゃん、そのピカチュウ。驚いたよ。俺のキャタピーの速度に反応するなんてさ。まあ美しさは足元にも及ばないけど。」
虫取り少年の一言はひどくその場の空気に合わなかった。
緊張感のかけらもない発言。
いや、むしろ緊張しているサトシが異質なのだろうか。
裏バトルというのはこういうものなのだろうか。そんな疑念すら生まれる。
「死んだらキャタピーに喰わせてみよう。虫は雑食だからね。肉も喰うんだよ。はっはっは!」
気持ち悪い――――しかし、単純にサトシには別の考えが湧いてきていた。
なぜ、この少年は裏の世界に染まっているのか。
これは一般人であるサトシからでる、当たり前の疑問。ましてや相手は虫取り少年。
裏の世界とはまったく逆方面にいてもおかしくない、平和と共に存在するような存在だったからである。
「・・・どうして」
「あん?」
「どうして、ドーピングなんか・・・」
その質問をした瞬間、気持ち悪い笑みが、虫取り少年から消える。
背筋に走る寒気。緊張に身を固めるサトシだったが、なおも言葉を続ける。
「虫・・が・・・・虫が好きだったんだろ!なんでそんな!ドーピングなんかしたんだ!他の虫ポケモンを殺してまで!!」
「・・・バカか。死ぬお前に話して意味なんてない。俺の理解者は俺だけでいい。」
「勝ったら・・・話してもらうぞ・・・虫取り少年。」
「さっさと死ね!!!」
その言葉をきっかけに、キャタピーが動く。
サトシは勘違いしていた。
キャタピーの繰り出す攻撃は、その力を使っての尻尾の打撃のみだと。
ここまでにキャタピーが使った攻撃はそれのみ。サトシが勘違いするのも無理はない。
その考えはこの瞬間に覆されることになるが――――――
「飛んで・・・る?」
キャタピーが目の前から消えた。
いや、その表現は正確ではない。
厳密には筋肉ではないが、筋力と表現せざるを得ないほどふくれあがった胴体を鞭のようにしならせ、反動で跳躍。
森の中を縦横無尽に飛び回る姿は、もはや芋虫ではない。
さらに―――
チュイン!
という音がしたと思うと、ピカチュウの腕から血肉が弾け飛ぶ。
「ピカチュウッ!!」
ダラダラと腕から血を流すピカチュウ。
無表情な顔は余裕からくるものなのか、単純に何も考えていないのか。
腕を貫いて地面にまで穴をあけたレーザーのような何か。
その音の発生源はまぎれもなくキャタピーであろう。
ではその攻撃の正体は想像に難くない。
「糸を吐くの威力じゃないだろ・・・・これ!」
キャタピーのもつ攻撃方法。
おそらくほぼすべてのポケモントレーナーに知れ渡っている二つの攻撃。
『たいあたり』と『いとをはく』
所詮虫ポケモンのすること。むしろ、糸を吐くのは攻撃でもなんでもない。
相手のすばやさをさげるだけのもののはずだが、圧倒的なスピードと質量をもつとそれは単なる糸ではなく、すべてを破壊する一筋の光線となる。
木々に隠れながら超スピードで飛び回り、糸を吐き徐々に相手の動きを止め、尻尾の一撃で粉砕する。
言葉にすればシンプルなその攻撃手段も、それを目の前にすると圧倒的なまでの力量の差を感じる。
ピカチュウの四肢を地面に縫い付けるかのように、糸が襲う。
速すぎる攻撃に反応ができないピカチュウ。いかに肥大した筋肉をもっても、すばやく飛び交う蠅を退治できないように、非常な現実が目の前に繰り広げられている。
「そろそろいいな、キャタピー!仕留めろ!!」
糸の攻撃で満身創痍な黄色い巨躯。
もはや一撃を回避できないと思われる状態に、サトシは息をのむ。
その瞬間がいつ訪れるのかと焦燥する。
サトシにできることは―――
緑色の塊が地面に音もなく着地する。
その巨体から想像できないほど繊細に、流麗に地に体を押さえつけ、反動で跳躍するための力を溜める。
「ピカチュウいけーーーーーーー!!!!」
サトシの掛け声とキャタピーの破壊の球体がピカチュウを襲うのは同時。
虫取り少年の目にはピカチュウの胴体が粉砕され、血と肉が飛び散るビジョンが見える。
サトシの目にははたして何が見えているだろうか。
轟音。
それは肉の爆ぜる音だっただろうか。
二人の少年が事実を目の当たりにするのに、数秒とかからない。
「ピカ・・・・チュウ・・・・」
キャタピーの攻撃を紙一重に避け、キャタピーの胴体を捉え地面に押し込むピカチュウの姿が、少年二人の目に映っていた。
静寂が包んでいた。
そこには驚愕する少年二人と
相変わらずニッコリと無表情なピカチュウと
地面に埋まるほどの衝撃で泡を吹いている異形のキャタピーの姿。
キャタピーの超高速の一撃を回避し、その頑強な拳で穴を開けんばかりの一撃を叩き込んだ。
ピカチュウは待っていたのだ。自分の射程距離にキャタピーが近づくのを。
自分のもっとも強い攻撃を叩き込めるその瞬間を。
「そんな・・・・そんなバカな・・・・俺のキャタピーが・・・」
「ピカチュウ・・・・勝ったのか・・『ドーーーーン!』・・・!!?」
ピカチュウの二撃目。
初撃と同じ場所に、さらに上から振りかぶり渾身の右を打ち下ろす。
キャタピーの強靭な肉体により貫通はしていないが、すでに文字通り虫の息。
双眸のもう片方も白くなりつつある。
「ピカチュウ!キャタピーは瀕死だ!もう終わりだ!」
「ピッカー」
ピカチュウの動きが止まる。
これで終わったかとサトシは一息ついた瞬間
パリッ
空気の爆ぜる音がした。
「えっ」
バリバリバリバリバリバリバリ!!!!!!!!
大音量と共にまばゆい光がトキワの森を照らした。
その光は破壊の権化のようでもあったし、暗闇を照らす救いの光のようでもあった。
あふれんばかりの光が、ピカチュウの拳から発せられた電流だと理解できたのは数秒後。
息を飲んだ。
その音に反して、効果範囲はごく小さく、キャタピーとピカチュウを包む程度の放電。
しかし、満身創痍のキャタピーにとどめをさすには十分な威力であり、
事実キャタピーは双眸を真っ白にし、異常な巨体も黒く焦がし、一寸も動かなくなっていた。
「ピカチュウ・・・」
「ピッカー」
ピカチュウは満足したかのようにその場を離れ、サトシの元へ戻ってきた。
何をするのかと思えば、サトシのカバンを勝手にあけて傷薬を取り出し、自分にシュシュっと振りかけている。
それ自分でやるものだっけ?とか思ってしまったが、今はそれどころではない。
「キャタピー!!!!!」
もはや全く動かない虫ポケモンに駆け寄る虫取り少年。
(やっぱり、もともとは優しい少年だったんだよね・・・)
サトシはその様子を、何も言わず見守る。
「こんのクソザコイモムシがあああああぁああぁぁぁあああ!!!!!」
そう叫びながら黒く焦げたポケモンを思いっきり蹴とばした。
「えっ!?」
「てめぇ、なに負けてやがんだクソムシがああああ!どんだけ金かけて育ててやったと思ってるんだこのクソ!なんであんなゴミ電気ネズミに負けなきゃあいけねええんだよ!!ふざけんな緑イモムシ!負けたら何の意味もねえだろうが!恩を仇で返しやがって、捕まえて育ててやったのにこの仕打ちか!!なんとか言ってみろやこのゴミ!クソ!!ああん!?」
何度も何度も蹴とばしながら、虫取り少年は罵詈雑言を繰り広げる。
その姿を見ていたサトシは、口惜しさと共に居たたまれなさも感じていた。
しかし、何を言うべきかわからない。何かを言っていいのかすらわからない。
結局、サトシはそこに立ち尽くすしかない。
「俺の人生を棒にふりやがって!てっめえ気持ちわりいんだよ!大っ嫌いだクソ!クソムシポケモン!!死んで清々したわ!二度と俺の目の前に出ないって考えるだけで幸せだね!!いつまでもその無様な死体さらしてんじゃねえよ!虫は虫らしく踏みつぶされて死んじまえ!!」
足で何度も虫ポケモンを踏みつける。
その時、何も映すことのなかったその瞳に少しだけ光が戻る。
そのことに虫取り少年は気づかない。
「なんとかいいやがれよ!無様に死にましたごめんなさいとかなァ!ほら動いてみろよこのクソがほらほらほ『ゴッシャアびしゃびしゃっ』・・・ガブ・・え?」
目を見開いた。
サトシは虫取り少年を見るために。
虫取り少年は、軽くなった胴体を見るために。