「オ、テイコウシテマスネ?」
「おかげ様でね・・・」
サトシは両腕に力を入れ、地面からなんとか起き上がろうと抵抗する。
当然それに応じてマチスも足にかける体重を増やすだけなので、サトシが起き上れることは無い。
それでも、サトシにとってはその行動にこそ意味があるのだ。
反抗する意思。自分はまだ死んではない、という自己主張。意思表示そのものがサトシの息を吹き戻させる。
と同時に、マチスにとっても願ったり叶ったりの状況でもあったのは、サトシは予想できただろうか。
抵抗の無い相手を攻めるなど、つまらないにも程がある。
反骨精神があればあるほど、マチスにとっては甚振り甲斐のある相手であるといえよう。
そういう意味では、非常に有り難いサトシの抵抗に、マチスはその顔を歪める。
「イイデスネサトシサン。トッテモイイデスヨ。ダケド、ナニモカワッテイマセン。」
そう、状況に変化は無い。
サトシが如何に気持ちを入れ替えようとも、ここは安全地帯の外で、サトシを守るものは何もない。
マチスの足の下で地べたを這いつくばるのみ。
それ以外の行動は許されてはいない。
だが、身体を動かせなくとも出来ることがある。
サトシにとってはそれが唯一と言っていいほどの武器である。
サトシは思いっきり身体をうねらせ、手で身体を起こそうともがき、足をバタつかせてバランスを崩そうとする。
だがその程度でマチスという鉄壁の軍人が体幹を崩すハズも無く。
我儘を言う子供を押さえつける親のように、マチスは難なくサトシを押さえつけ続ける。
「ムダナテイコウデスネ。モウスコシ、アタマノヨイヒトダトオモッテイマシタガ。」
「うるさい!どうせお前のライチュウは今頃ピカチュウに倒されているに決まってる!お前と同じで油断してる間にやられるんだ!さっきの施設みたいに!!」
マチスの蟀谷がピクリと反応する。
「ナンデスッテ?ミーガ、ユダン?」
「そうだ!あの施設を壊されたのだって、僕を子供と侮ったからだろう!」
「・・・ソンナヤスイチョウハツニハ、ノリマセン」
地に伏せている状態のため、サトシにはマチスの顔は見えない。
だが、その口調に先ほどの余裕は感じられないように思える。
「そんな事はない・・・みえみえだ、態度を見れば!お前なんか軍人じゃない!軍人失格だ!!!!」
子供の戯言だ。
論理も理屈も通っていない。
何の証拠も推論もなく、喚いているだけの子供。
そんなことは分かっているし、マチスも相手にしようとはしなかった。
だが、人には誰でも、触れてはいけない一線というものがある。
サトシの意図がどこにあったにしろ、マチスは相手にする必要はなかった。
それが最善であり、そうすべきであった。
だが、幸か不幸か、サトシはマチスの一線に触れてしまった。
「――――――」
マチスは無言で、右足をサトシの背中から離した。
いち早くそれに気づいたサトシは立ち上がって安全地帯に戻ろうと身を起こそうとするが――――
「がっ!?あぐ・・・っ」
マチスの頑丈なブーツで思いっきり横っ腹を蹴られ、サトシの軽い身体は一メートルほど宙に浮かび、地面に叩き付けられ、ゴロゴロと数回転がった。
手心の加えられていない蹴りの衝撃に、サトシは呼吸も忘れ、その痛みに悶える。
サトシの状態に何を思うことなく、マチスは小さく、だがはっきりと口にする。
「ボーイ、イッテハイケナイコトヲ、イイマシタネ。」
突然空気が冷えたのか、と感じるほどに背筋を凍らせるサトシ。
だがまだ呼吸がうまく出来ず、そのまま咳き込むことしかできない。
マチスにとって軍人とは「人生」であり「誇り」であり「正義」である。
マチスというものを作り上げている要素の大半は軍人という在り方に元を成す。
それは否定できるものではない。否定してはならない。
否定は、マチスそのものの存在を拒絶することと同義だ。
それほどの大事なものを貶された。
否定され、貶められた。
マチスにとって唯一、そして最も大事なものだった。
それを失格、と。
値しない、と。
もはや怒りを通り越し、サトシを虫ケラ程度にしか思っていない。
故に、殺す。
元々生かすも殺すもマチスの一存のみであった。
ゲホゲホとようやく息を整えてきたサトシに向かって、一歩踏み出す。
「マチス、僕はお前を―――ゲホッ――許さない。絶対に。絶対にだ。」
「――――」
マチスはもう一歩、足を進める。
「だから、この勝負に決着をつけて―――」
さらにもう一歩。サトシへの距離はあとわずかだ。
「償わせてやる!すべてを!!!!いっけええええええーーーー!!!!!」
マチスがその言動に、若干の怪訝な顔をする。
だが、時すでに遅し。
マチスの背後には―――――――
穴を掘って地面に潜んでいた、サンドが飛びかかっていた。
マチスは油断しているだろうか。
厳密にはそうではない。だが、集中はしていた。サトシの姿に、表情に、声に。
故に、周りの気配には愚鈍になっていると言えるだろう。
この状況で背後からの攻撃を察知することなど到底できるハズもない。
だが集中していた為に、サトシの表情の微妙な変化を見逃さなかった。
つまり、失敗。
マチスは片足を軸にくるりと急速に身体を反転させ、もう背中に張り付こうと迫っていたサンドを視界に納め、あっという間に左腕の中に捕獲してしまった。
「あ・・・・」
絶句。サトシの目論見は概ね想定通りだった。
挑発も、隙をつくることも、及第点と言えよう。
マチスの超人的な反射神経を除いては。
簡単なことだ。
マチスは悉くサトシの想像を超えていたのだ。
その身体能力は、人間という種族においてはトップクラスだろう。
「コレガ、サクセンデスカ?バカバカシイ。」
一笑に付す。
こんなものが、歴戦を戦い抜いてきた自分に通用するものかと。
馬鹿馬鹿しい、ふざけているのかと。
マチスは左腕にもがくサンドを抱えながら、サトシの方を再度向いて、睨みつける。
サトシも苦い顔をし、同様に睨みつけるが、その視線に力は無い。
最後の勇気を振り絞って、なんとか自分を保っている。
この作戦はサトシの安全地帯でやるべきものだった。
その方が安全だろうと。だがそれももう手遅れだ。
状況は悪化の一途を辿るのみ。
サンドが捕獲され、サトシのポケモンは再度命の危機に晒される。
「コンナポケモンデ、ミーにイドモウト。ヨワイ、デスネ。」
「―――――」
サトシは黙って動かない。
もはや絶対絶命だと思われた。
二人は気づいていない。
先ほどまで延々と続いていた、もう一つの戦場の音が、すでに止まっていることに。
じりじりと近づくマチス。サトシはマチスをキッと睨んだまま動けない。
あと一メートル程度となった二人の間はさらに縮まろうとしていた。
だが、それは急に止まることになる。
ガサガサガサ―――ズーーーーーーン!!!!!
「ナンデスカ!?」
上から木々を切り開き、何か大きな塊が二人の目の前に落下し、大きな音を立てて地面をへこませた。
土煙がその物体を覆い隠すが、風に煽られてすぐにその姿を表した。
そこには、オレンジ色の、耳と尻尾が長いポケモンが白目を剥いて横たわっていた。
「Ohhhhh!!ライチュウ!!!!!!」
動揺―――
ほんの一秒程度。
視線はサトシから外れ、自身の相棒へ。
油断―――
踏みしめていた地面から重心がずれる。
サトシは、その瞬間を逃さなかった。
「クラアアアアアアアアアアーーーーーーーーブ!!!!!!」
高らかに叫ぶ。
口の中に残った土がジャリジャリと音を鳴らす。
だが、そんな些末なことなど気にならない。
マチスの後方――――安全地帯の一番端。
そこから、すさまじいスピードでコイキングが横に回転しながらマチスに向かって一直線で飛んできた。
動揺していたマチスに避ける余地もなく、コイキングはマチスの両足に直撃し、バランスを崩す。
その結果、マチスは後ろに倒れ、尻餅をつく。
その衝撃で左手の力が緩み、サンドが自由になる。
ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大きな電子音が鳴り響く。
機械の声が言葉を発する。
『ケッチャクガ ツキマシタ。チョウセンシャ ノ ショウリ デス』
「・・・What?」
サトシは呼吸を早くし、その顔に少しだけ笑みを浮かべる。
マチスは尻餅をついたまま、茫然と、反復されている電子の声を聴く。
何が起きたかわからない、という顔で、呆気にとられて天井を仰ぎ、自身の敗北を告げる声に耳を傾ける。