「どこにいくんですか?」
「もう少し、あそこだ。」
男性が指さした場所は、そこそこ大きな建物で、パッと見は集会場のような場所で。
「・・・・」
ポケモン大好きクラブ、という看板を掲げた、サトシの知っている建物だった。
「・・・帰っていいですか。」
「ええ!?いや、勧誘とかじゃないから!ほんとに!聴いてほしいことがあるだけだから!」
「えええ・・・・」
一気に気分が落ち込むサトシ。
無理も無い、ポケモン大好きクラブには、あの会長がいるのだから。
いや、会長だけではない。
サトシは、あの極端にポケモンを可愛がる行動そのものがあまり好きではない。
自然体で接することはできないのだろうか、と常々思う。
だが、この男性がこのタイミングで会長の差し金で来るとは思えず、行くだけ行ってみることにした。
不愉快な点があれば真っ先に部屋を出て、ついでにピカチュウをけしかけて行くと脅しつつ、男性について部屋に入る。
そこには、先日見たよりもかなり多くの人がおり、そしてその全員がサトシの方を見ている。
それは室内に入ってきたから、という一時の視線でなく、サトシ自身へと向けられたもので、尚且つ敵意を全く感じないものでもあった。
はいった傍から二十人近い人数から視線を向けられるサトシ。
何の準備もなくこのような状況に陥ったら、さすがに動揺する。
サトシも例外ではなく、え?え?と挙動不審になりながら、何が起きているのか理解しようとしている。
しかし、考えて理解できるものでもなく――――
「・・・これ、どういう状況?」
素直に訊くことにした。
男性はニコリと笑みを零し―――特に嫌味な笑い方ではなく―――サトシに笑いかけて、何が起きているかを説明する。
「ここにいるのは、全員マチスにつかまっていた人達だ。君のおかげで救われた。ありがとう。」
「え?あ・・・」
マチスに捕らわれていた者たち。
よく見ると老若男女、いろいろな人たちがここにいて、全員にこやかにサトシの方を見つめている。
そして口々に ありがとう、ありがとう、ありがとね、ありがとさん とお礼の言葉を告げる。
予想外の展開におどおどとするサトシ。
口をついて出てくる言葉も、驚きを言葉にするとこんな感じになるのかな、と思えるほど狼狽えているような言葉ばかりだ。
「あ、え?いやそんな、っていうかなんで」
暫くはそのやりとりが続けられたが、先ほどの男が手で制し、一旦静かになる。
一旦息を整え、サトシが話しはじめる。
「ちょちょ、ちょっとまってください。別に助けるつもりだったわけじゃな―――」
「またまた謙遜を!」「僕達のヒーローだ!」「君のおかげで救われた」「あの地獄から救ってくれてありがとう」「これで自由だ!」「感謝申し上げる。」「この恩は一生忘れない」「いくらでも褒美をあげよう。」「ずっとついていくぜ、兄貴」「本当にありがとう」「感謝する。」「死ぬほど嬉しい」「これで帰れる」「ありがとう」「本当にありがとう!」「正義の味方だ」「まさに救世主だった」「君のおかげだ。」「ああ神様。感謝を」「清々したよ」「マチスはもういないしな」「死んでよかった」「あんなやつ、二度とごめんだ」「生きる価値がないね」「少年には感謝をしなければ」「ありがとう」「ありがとう」「とってもありがとう!」「アリガトウ!」
―――――――――――――――――――
サトシは、四方八方から飛び出す感謝の言葉を受け、こう思った。
気持ち悪い、と。
そしてすぐに、自分の思考を顧みる。
いま、なんと思ったか。
気持ち悪い、と、自分は確かにそう感じた。
いやいや、有り得ないだろうと。何故感謝の言葉を受け取って、気持ちが悪いなどと感じるのか。
思考回路がおかしいじゃないか。普通は逆だろう。どうしたしまして、と。
感謝には受け取るものであって拒絶するものではない。
当然のことだし、今までそう生きてきたはずだ。
では何故、自分はこの状況下で「キモチワルイ」などと真っ先に考えてしまったのか。
ここにいる人達は、まぎれも無く苦境にあっただろう。
そして、その状況から救ったのだから、サトシは確かにヒーローだろう。
ヒーローであるし、救世主であるし、英雄だろう。
だが、サトシは間違いなく言葉の節々に違和感を感じ得なかった。
それは当然のように自然に割り込み、日常の一欠片として振る舞っていた事象。
サトシ自身にとっても、それはそうなるべきだと思っていたし、事実そうなったというだけの話。
互いに臨む結果になっただけ。
そう、『マチスが死んだ』という事実。
これはサトシも、元々奴隷だった人間たちも望む結果だった。
マチスがいなくなれば、マチスなんて死んでしまえば、こんなやつ生きている価値がない。
そんな黒々とした思考が平然とまかり通る空間。
それが『オモチャ箱』での空気だったし、最終的にサトシが抱いた感情でもある。
合っている。どうしようも無く合っている。正解であり、正しい。
奴隷という立場、仲間を殺された立場であれば抱いて当然の感情だ。
紛れも無く、その立場に追い込んだ原因に対して敵愾心を持つし、恨みの感情を隠さずに持つだろう。
もし例外がいるとしたら、それは神か菩薩か。
当然、汚い感情に塗れた地上にいるのは、醜い感情と思考をもった人間のみ。
こういったマイナスの感情をもつのは至極自然なことであるし、真理だ。
だが、それでも、サトシという人間はどうしようもなく純真で、どこまでも真面目で、果てしなく正しくあろうとする。
サトシは聖人ではない。常に正しくできる人間など存在しないだろう。
それは本人も十分に理解している。
サトシの手の届く範囲すら守り切ることはできない。それどころか、自分自身を守ることすら覚束ない。
だが、サトシは反旗を翻す。
自身の思考について。自然に抱いた感情に対して。
気持ち悪い、と感じたのは、その違和感のことに他ならない。
ありがとうという感謝の気持ちと、マチスを殺した、という悪意。
それが同時に同じ空間に滞在しており、尚且つそれがさも当然であるかのように人々は振る舞う。
口をそろえて言う。
ああ、マチスが死んでよかった。
マチスを殺せたのは君のおかげだ。
その文字の羅列に、どうしようもなく吐き気を覚える。
マチスを殺したのは自分ではない。
それなのに、殺したのはサトシだと断定するかのような文章。
事実だ。紛れもない事実。しかし、認められない。
この感謝を受け取ってしまえば、サトシは『マチスを殺した』という烙印が押されてしまうのだと。
いや、自分は殺してはいない。直接手を下してはいない。
しかし、殺す手はずを整えたのは自分ではないだろうか。
いや、マチスを殺せなんて一言も言っていない。
そういう意味合いにとれるような言い方をしただろう。
それでも、自分は殺してなんていない。
皆感謝をしている。マチスを殺してくれてありがとう、と。
違う。僕は殺してなんていない。違う。違う。違う。
思考が回る。
ぐるぐると、ぐるぐると、罪と自我の間で揺れ動く。
次第に周囲の声は聞こえなくなり、頭の中で自分の声が鳴り響く。
サトシ自身が、サトシ自身の明確な意図によって、殺人を犯したのだと。
そんな中、聞き覚えのある声がサトシを現実に引き戻した。
「いい顔をするようになったのう、サトシ君。」