「会長・・・?」
「一日足らずで随分と表情豊かになったじゃないか。サトシ君。ふふ。」
無邪気な笑みを隠そうともせず、老人は苦悩する少年に話しかける。
少年の方も、嫌そうな表情をあからさまにつくり、老人を睨みつける。
「どういう、ことですか。」
「ふふ、そう嫌そうな顔をするもんじゃないぞ、少年よ。別に取って食おうというわけではないでな。」
食う、という単語にビクッと機敏に反応する。
サトシにとってこの老人は半ばトラウマに近い。
胃をキリキリさせるような話を突然にされて、何が正しいかを懇々と考え続けたのは記憶に新しい。というか今でも考えている。
思えばクチバシティでは嫌な思い出ばかりだ。
・・・一部大事な思い出もあるにはあるが、ポケモンが大好きなこの老人にしろ、戦場の亡霊染みた軍人も、精神衛生上、非常によろしく無い記憶を少年に刻み込んでいる。
クチバシティでの用事も済んで、次の町へと行こうとする最中、なにを好き好んでこの老人に会わなければならないのか。
おかげで余計なことを考えてしまったではないか。
―――余計なこと、と断じるにはあまりに重いことではあるのだが。
そんなことを考えていると、ニコニコと笑みを零す老人が言葉を発する。
「自分が何ものであるのか、悩んでいるように見えるぞ、サトシ君。」
「何ものか・・・?」
「そうじゃ。ふふふ、マチスは死んだか。あやつとは相容れなかったのでな。わしも実はなかなかに嬉しかったりするぞ、サトシ君。ふふ、君のおかげだよ。」
―――君のおかげ、であると。
「いい顔だ。ふふ、マチスを殺してくれたお礼じゃ。いくつか世話をしてやろうじゃないか。―――ああ、君たち、サトシ君へのお礼は済んだじゃろう?今後についてはまた話をしてやるでな。また明日、ここへ来るといい。」
変わらぬ笑顔で、十数人の老若男女にそう告げる。
「し、しかしまだ一人ひとりお礼をしていないですし――――」
「もう済んだ、そうじゃろう?」
少しだけ目を細めて、あらためてゆっくりと、確実に聞き逃しが無いようにもう一度老人が忠告する。
ゴクリ、と喉を鳴らしたのは誰だったか。
集団に向けて放たれた老人の眼光は平和ボケしたそれではなく、明らかに敵意を持ったものであった。
相手にしているのは裏のトレーナー。少なからず命の遣り取りをしている者ばかりだが、老人はそれ以上の、有無を言わさぬ圧力を放っているように感じる。
はたから見ていたサトシからしてもその威圧は感じ取ることができ、この老人は一体何者なのか、と考えてしまう。
「―――わ、わかりました。また明日伺います。」
直後、険悪な雰囲気は緩和され、明るい笑顔に戻る。
「ふふ、それでよいのじゃ。」
ぞろぞろと部屋から出ていく人達。
出る直前までサトシに一声掛けていく者もいれば、先ほどの会長に気圧されたのか無言のまま出ていく者もいる。
どちらにしてもサトシにとってあまり興味が無いことであった。
興味の渦中にあるのは、やはり目の前にいる老人。
先ほど、いくつか世話をしてやる、と言っていた。
世話、とはいったい何のことか。
次から次へと疑問が湧いて出る。
―――それも、これからわかることではある。
サトシが行動を起こすこともなく、団体はすんなり部屋から外へ出ていき、パタンという軽い音と共に扉が閉められた。
部屋に残っているのはサトシと、ポケモン大好きクラブ会長のみ。
「ふふ、騒がしかったかの?」
「いえ・・・それより、僕を呼んだのは彼らでなく、会長、ですね?」
サトシの発言で目を丸くする会長。
パチクリと瞬きをした後、吹き出すように笑い出した。
「ふぁっふぁっふぁ!ああ、そうじゃとも。ふふ、随分と聡明になったじゃあないかサトシ君。一体マチスの元で何があったのかね?もちろん、自分らを解放してくれた英雄にお礼がしたいという彼らの主張もある。わしはついでに、サトシ君とまた会話がしたかっただけじゃよ。」
「その割には、随分と冷たい反応でしたけど――――」
「そうじゃな。うむ、まさにその通りじゃ。では、わしの言うことを聴かずに帰るかの?それも良いかもしれんのう。」
―――サトシは考えた。
帰りたい。そう考えている。
もはやこの老人の顔も見たくない。そう思えるほどには、サトシは会長を嫌っていた。
しかし、こうも考える。
会長はサトシを見るなり、「いい顔をするようになった」と言い放った。
これはどういうことなのか。
サトシが裏の世界に入り込んでからずっと思っていた事。
考えても考えても結論など出なかったこと。
かつて虫取り少年にも問うたことがあった。
何故、この世界に入るのか、と。
得るものはなにか。失うリスクを受け入れても尚、手に入れたいものがこの場所にはあるのかと。
失うとはどういうことか。失った後に、自分はどうなるのか。
経験したことも、これから経験することもあるだろう。
だが、サトシの中で結論など出るハズも無かった。
こんな異常な世界に入る人間など、みな狂っていると、そう感じてすらいるのだから。
だからこそ、聴くべきではなかろうか。
こと『狂気』という訳の分からないものについて、目の前の老人は誰よりも見続けているだろう。
そしてその都度、考えてきただろう。
そんなに狂っているのか、素晴らしい。と。
異常であればあるほど、世界は闇に満ちている。
だが、道が開けた時に、世界は一層輝いて見えるのだ、と。
――――――――――たっぷりと時間をかけて考えた後、サトシは会長の話を聞くことにした。
幸か不幸か、会長はサトシが判断を下すまで急かす事無く、時間そのものを楽しむようにゆっくりと豪華な椅子の上でサトシを見つめていた。
その手には、いつかいたオニスズメの姿は無かった。
「――――聴きます。」
「そうかそうか。それは僥倖。ふっふ。」
少しだけ嬉しそうに身体を動かし、小さくギシギシと椅子が鳴る。
「サトシ君も座りたまえ。昨日の今日で、さすがに疲れておるじゃろう。」
「・・・」
サトシは無言で近くにあったイスを引き、腰かける。
ピカチュウは横に立ち、珍しく静かに会長を見つめている。
心なしか威圧感を感じる気がするが、会長の得体の知れなさに対する警戒心だろうか。ピカチュウもそういうことを感じるのか。
と思った傍から、サトシの帽子のツバをくいくいと上下に揺らす。
うん、気のせいだったかもしれない。
サトシが腰かけ、そのイスも少しだけ軋む。
他に音が無い部屋だと、その静かな音ですら耳につく。
ではさっそく、と話しはじめたのは当然会長だ。
「サトシ君、君は先ほど、あの連中の『お礼』を聴いて、こう思ったじゃろ。おかしい、と。何か違和感がある、と。」
「・・・ええ」
「その違和感を、感じることができる。そして、それが決して正しくないと思える。それが重要なのじゃよ。」
「・・・」
「まだ実感がわかないかの?ふふ。それとも、はやくこのモヤモヤを解消してほしいと、そのようにも見えるな、サトシ君。」
「・・・そう、ですね。悔しいですが、そうかもしれません。」
サトシは何度も自分と問答を繰り返した。
何が正しく、何が間違いか。
死とはなにか。生きるとはどういうことか。
欲望、信仰とは。悪とは、正義とは。
仲間とは。
この旅にでてから、もはや数えるのも億劫になる程度には考えてきた。
そして、その道の大先輩がサトシを世話してくれるという。導いてくれるという。
甘い果物だろうか。優しい手だろうか。
手に取れば救われる、救いの人であろうか。
今のサトシからしたら、この老人はそのように見えたかもしれない。
しかし、もしかしたらその手は魔性かもしれないのだ。
もしもサトシの求める解答が得られたとしても、その解答自体が救いの無いものだったとしたら、耐えられるのだろうか。
そしてそうだったとしても、サトシには会話を止める勇気が無かった。
この先を聴かなければ、また同じ事を考えて立ち止まってしまうと思った。
故に、聴く。これは勇気であるかもしれないし、臆病であるかもしれない。
だが感情は関係なく。
サトシはこれ以外の選択肢は無い、と断定するかのように、話を先にと促した。
「では、最初に簡潔に答えよう。今サトシ君が陥っている考え。それこそが―――――」
たっぷりともったいぶって、老人は吐き捨てるように、サトシに言い放つ。
「狂人への入口、というものだ。ようこそ、サトシ君。狂気の世界へ。」
老人の言葉は魔性の手であり、サトシはそれを握りしめてしまった。