如月ハルの人間考察   作:はるのいと

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第四章「木枯らしの季節に 6」

 夕日が美しく差し込む教室。早苗は部活に向かうことなく、一人ボンヤリと窓際の席に腰を下ろしていた。いつもは活発で明るい彼女であったが、いまはそれも見る影はない。暗く沈んだ気持ち――それは一昨日のとある出来事が原因であった。

 

 金曜日の放課後、石神からのデートの誘いは、思いのほか早く訪れた。前回はLINEでの連絡であったが、今回は直接電話での誘いだった。幾分緊張はしたが、早苗は迷うことなく了承した。

 

 デート当日、石神の提案で二人はミニシアターへと向かった。シネコンとは違い、店主の好みで放映される作品たちは、どれもマニアックなものばかりである。因みにこの場所は、小夜たちもよく訪れる単館系の映画館であった。

 

 映画も見終わり、二人はあてもなくブラブラと街中を歩き始めた。因みに肝心の映画だが、早苗にとっては小難しくかなり退屈なものであった。映画は分かりやすいアクションもの、と決めている彼女にとっては当然の結果である。

 

 正直つまんなかったなあ、あの映画……でもこないだの ”メンマの小説” よりかは多分マシだろうけど。早苗は心の中でほくそ笑みえながら、石神の話に耳を傾けている。そして暫く歩いたころだった、そんな彼女の瞳に最悪な光景が飛び込んできた。

 

「う、うそでしょ……」

 

 早苗は小声でポツリと呟いた。その視線の先には、いま一番出会いたくない二人の姿がある。一人は幼馴染の親友、そしてもう一人は黒縁メガネの活字中毒であった。

 当然ながら、二人とも早苗たちの存在に気付いている。それどころか、小夜に至ってはほくそ笑みを浮かべていた。この状況で逃げ切るのは不可能……。彼女は溜め息を漏らすと、大げさに肩を落とした。

 

 

 

「注文はなんにします?」

 

 小夜はメニューから、石神に視線を移した。

 

「ええと、じゃあアイスコーヒーを」

 

「あれ、ケーキは食べないんですか? ここのパウンドケーキは絶品なんですよ」

 

「甘い物は、ちょっと苦手でね」

 

「あら、そうなんですか……」

 

 残念そうに呟くと、小夜はメニューに視線を戻した。

 現在、早苗たちは一行は【純喫茶イケダ】の窓際の席に腰を下ろしていた。彼女の向かいではケーキ選びに余念のない親友と、相変わらずの仏頂面の姿がある。

 

 この奇妙な取り合わせ――原因はいうまでもなく、小夜が強引に二人を誘ったためであった。予想はしていたけど、最悪の展開だわ。よりにもよって、どうしてこの二人と私はお茶なんてしてんのよ……。

 

「よしっ、決まったっ!」

 

 早苗の心中などお構いなしとばかりに小夜はメニューから顔を上げると、店の看板娘である老婦人に皆の注文を通した。

 

「それで、映画のほうはどうだったの?」

 

「結構、面白かったわよ」

 

 小夜の問いかけに早苗が咄嗟に嘘をつくと、石神は「またまた、本当は退屈してたくせに」と、いって苦笑いを浮かべた。

 

「……バレてた?」

 

「そりゃ、バレるさ。だって、あくび連発してたし」

 

「ごめん……でも、私って映画は単純なアクション系しか受けつけなくって」

 

「なるほどね。じゃあ、今度はそっち(・・・)系にしよう」

 

 おっ……いまサラッと次のデートの予約を取りつけてきたわね。声やいい回しは、確かに目のまえの朴念仁に似てはいる。だけど社交的な性格と、女の扱いの上手さは正直いって真逆だ。

 早苗は先程から映画のパンフレットに夢中の、活字中毒をチラリと盗み見た。するとその視線に気づいたのか、如月はパンフレットに目を落としたまま独り言のようにこう呟いた。

 

「僕と清水に内緒ってのは、このことだったわけだ」

 

 この何気ない発言により、場の雰囲気は途端に微妙なものに変る。そんな中、石神は微笑みを浮かべながら如月の顔を覗き込んだ。

 

「その映画のパンフ、そんなに面白いかい?」

 

「まあ、それなりに」

 

 素っ気ない答えに、石神は苦笑いを浮かべた。

 

「どうやら、彼は機嫌が悪いようだ」

 

「そんなことないですよ。この人はいつもこうですから」

 

 すかさず小夜がフォローを入れた。

 

「ふうん、そうなんだ……」

 

 石神は頬杖をつきながら如月を見据えると、薄ら笑いを浮かべながらこう続けた。

 

「僕はてっきり、嫉妬してるのかと思ったよ」

 

「嫉妬って、どういう意味です?」

 

 小夜が不思議そうに小首をかしげてみせると、石神はからかいを含んだ笑み浮べながらゆっくりと彼女に視線を移した。

 

「そりゃ、僕と早苗ちゃんがデートしてたからさ」

 

「あらら、どうやらケンカ売られてるみたいよ、ダーリン」

 

 小夜はおどけるように、如月の二の腕をグイグイとひじで小突く。だがその態度とは裏腹に、彼女の大きな瞳は一切笑ってはいなかった。

 

「ちょ、ちょっと止めてよ、石神さん」

 

 早苗が慌てて石神をいさめた時だった、彼女らのもとに一人の男がゆっくりと近づいてきた。年齢は十代後半から20代前半――胸元がはだけた黒いシャツに、同系色のレザージャケット。その見た目からは、幾分のガラの悪さがうかがえた。

 

「よう、健一」

 

 男はそういって石神に微笑みかけると、空いてる席に当然のように腰を下ろした。

 

「そこの通り歩いてたら、外からお前の姿が見えたからさあ――」

 

 男がそういいながらポケットから煙草を取り出すと、石神は冷めた声色で「ここは禁煙だ」と、男をいさめた。

 

「ああ、悪い悪い……それよりさあ、こないだクラブで知り合った女――」

 

「見て分らないのか? 僕たちはいまデート中なんだよ」

 

 饒舌な男の言葉を静かにさえぎると、石神は鋭い眼差しを彼に向けた。

 

「少しは気を使ったらどうだ?」

 

 石神の冷めた眼差しが男に突き刺さる――すると見る見るうちに男の顔が怯えたように、歪みだした。

 

「ご、ごめん……ま、また連絡入れるわ」

 

 男はそそくさと、逃げるようにその場をあとにした。早苗は初めて見る、石神のその冷たい表情に幾分の驚きを覚えた。

 

「悪かったね。あいつちょっと空気の読めないところがあるから」

 

 男が立ち去ったのを確認すると、石神は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。

 

「いまの人はお友達ですか?」

 

 すかさず小夜が尋ねた。その表情は先ほどまでとはうって変り、彼女が時より見せる冷淡なものになっていた。

 

「うん、あんなやつだけどね」

 

「それなら、すぐに()めさせた(・・・・)ほうがいいと思いますけど」

 

「止めさせたほうがいいって、一体なにを?」

 

 石神が眉にしわをよせながら小首をかしげると、小夜は冷笑を浮かべながら当たり前のようにこう答えた。

 

「血走った目元に血色の悪い顔色。加えていま()って(・・)きました、といわんばかりの酸味の強い独特の甘い香り――警官に職質でもかけられたら、一発でアウトでしょうね」

 

 純喫茶イケダの窓際の一角に、しばしの沈黙が流れだした。そして程なくしたころ、石神が苦笑いを浮かべながら口を開いた。

 

「はははっ、随分と鋭いんだね。確かにキミのいう通りだ。でもね、困ったことにあいつは全く僕のいうことを聞いてくれないんだよ」

 

「そんなことはないでしょ。さっきのお友達の態度――石神さんのいうことには絶対服従、といった感じでしたけど?」

 

 小夜は作り物の微笑みを浮かべると、静かに石神を見据えた。すると先程と同様に、暫しの沈黙が流れだす。そしてその沈黙を破ったのは今回も石神であった。

 

「キミは一体なにがいいたいのかな?」

 

「さあ? 私は一体なにがいいたいんでしょう」

 

 色素の薄い大きな瞳が石神を鋭く見据える。氷姫――それは早苗が以前に何度となく見たことのある、酷く冷たいものであった。二人の睨み合いは暫くの間続いた。そんな中、如月は我関せずとばかりに、相変わらず映画のパンフレットに視線を落としている。

 一方、早苗は険悪な空気に耐えきれなくなり「小夜、もう止めてよ」と、小声で懇願した。

 

「止めるって一体なにを?」

 

 石神に視線を合せたまま、小夜は静かに問いかけた。

 

「どうして、そんなに石神さんにからむのよっ!」

 

「最初にからんできたのは、彼のほうでしょ。それに私は客観的な事実をいったまでよ。そうですよね? 石神さん」

 

「もういいっ! 行こう」

 

 一歩も引く気のない小夜に、早苗の我慢もとうとう臨界点を迎えた。そして彼女はお茶代をテーブルに叩きつけると、石神の手を引き店を出て行った。

 

 

 

「ごめんね……」

 

 通りを歩きながら、早苗は申し訳なさそうに上目づかいで呟いた。

 

「気にしてないよ」

 

「いきなりからんできて……一体なんなのよ、小夜のやつ」

 

「だから気にしてないって」

 

 石神は困り顔を浮かべながら、かぶりを振った。

 

「それに彼女のいう通り、最初にからんだのは僕のほうだし」

 

「そうかもしれないけど……でも――」

 

「僕はね、単純に嫉妬したんだよ……如月君に」

 

「嫉妬?」

 

「キミの好きな人って、彼だろ?」

 

 えっ? 一瞬耳を疑った。そんな素振はおくびにも出していないはずなのに……。

 

「大当たりかい?」

 

「そんなこと――」

 

「親友の彼氏を好きになってしまう……よくあることさ」

 

「だから、そんなんじゃ――」

 

「僕には嘘をつく必要なんてないんだよ……辛かったね」

 

 石神は優しく微笑みながら静かに早苗を見つめると、いつものよく通る声で「忘れさせてやるよ」と、囁いた。

 

 真剣な眼差し――驚きのあまり早苗は言葉を失った。するとそんな彼女に石神はゆっくりと顔を近づけてゆく。えっ? あまりの急展開に対応出来ず、早苗は無言のままま俯いてしまう。すると石神は「冗談だよ」といって彼女の頭を優しくなでた。

 

「ごめんなさい。私こういうの慣れてなくって……」

 

「うん、分かってる。でもね、これだけは覚えといて欲しい――」

 

 石神はそういってい一呼吸あけた。

 

「僕なら彼を忘れさせてあげられるよ」

 

 

 大切な親友の恋人に芽生えた恋心――石神の囁きは罪悪感を抱えた早苗の心を優しく癒してゆく。そんな彼に徐々にではあるが、引かれてゆく自分がいることを、彼女はこの時はじめて気付いた。

 

 石神さん……。

 

 早苗が心の中で呟いた時だった、教室のドアが音を響かせながら勢いよく開かれた。それと同時に彼女は一昨日の回想から、強制的に帰還させられる。入り口のほうに目を向けると、そこには如月の姿があった。

 

「部活はどうしたんだい?」

 

「生理で体調が悪いのよ」

 

 如月の席から腰を上げながら、早苗はぶっきら棒に答えた。そして自身の鞄に手を伸ばすと、逃げるように教室の出口へと足を向けてゆく。

 

「親友とはまだケンカ中のようだね」

 

 早苗の鼓膜に相変わらずのよく通る声が届く。すると彼女は背を向けたまま「だって……小夜が悪いんじゃない」と、ポツリと呟いた。

 

「確かにあれ(・・)はあの場でいうべきことじゃ、なかったね」

 

 如月は苦笑いを浮かべながら、呆れ顔でかぶりを振った。そしてすぐに真顔に戻ると「だけど彼女がいったことは事実でもある」と、早苗の背中に語りかけた。

 

「どうして、あんたまでそんなこというのよっ!」

 

 早苗は素早く振り返ると、声を荒げながら詰めよった。一方、そんな彼女を如月は片手を広げて静かに制した。

 

「勘違いするな。彼女はべつに石神さんが薬物をやっている、とはいってない。()()友人(・・)が薬物にどっぷりと浸かっている、といってるだけだ」

 

「分かってるわよ……でもだからって、あんないいかたしなくたって――」

 

「確かにあのときは随分とケンカ腰ではあった。だけど大切な親友の恋人候補(・・・・)が薬物常用者と友人関係にある。ここは失礼を覚悟で彼の人となりをハッキリさせておいたほうがいい、と思ったとしてもべつに不思議じゃないだろ? とくにあの情の厚い女なら尚更のことだ」

 

「随分と小夜のかたをもつじゃない……そりゃそうか、恋人同士だもんね」

 

「そんなことはないさ、僕は客観的な意見をいっただけだよ」

 

 如月は諭すように語りかけると、無言のまま口をつぐむ早苗を見つめながら更にこう続けた。

 

「例えば清水が違法薬物に手を出したとする――」

 

「えっ?」

 

「だから例えばの話だよ」

 

 驚く早苗に如月はかぶりを振りながら、苦笑いを浮かべた。そしてすぐに表情を真顔に戻すと、彼女を静かに見据えた。

 

「もし彼が薬物に手を出したら、僕は迷わず警察に通報するよ。その後、どんなに恨まれようともね。薬物依存症というのは自分の意志でどうにか出来るもんじゃい。だからこそ周りのサポートが必要なんだ。特に家族や友人()のね」

 

 石神さんはそれを怠っている。三島小夜が気にかけているのはそこだ。彼は本当にキミが思っているような人なのかい? メガネの奥の黒い瞳が、私にそう語りかけているようだった。

 

 小夜がどんなに私を心配してくれているかなんて、いわれなくたって分かってる。そしてあんたがそんなあの子のことを、どれだけ気にかけているかもね。だから、だからこそもう辛いのよ。そんな二人を隣で見ているのは……。

 

「石神さんは……あの人は私を助けてくれたの。あんたら二人が仲良く映画を見てる時にね」

 

 早苗は憂いだ表情で自嘲した笑みを浮べた。そんな彼女を如月は無言で見据えた。すると暫しの沈黙が二人きりの教室に流れだだす。程なくして、早苗は独り言のようにポツリと呟いた。

 

「お願いだから……私のことはもうほっといてよ」

 

「本気かい?」

 

 黒い瞳が静かに私を射抜き、低くよく通る声が冷静に問いかけてきた。

 無愛想な黒縁メガネ。線の細い薄い胸板。華奢で綺麗な指先。低くよく通る声――私はいつしか、どうしようもなくその全てが欲しくなる。だけど絶対にこの手には入らない。それなら……それなら、いっそのこといまここで切ったほうがいい。手に入らないのなら、近くにいても辛いだけだから……。

 

「うん、本気よ」

 

「そうか、分かった」

 

 如月がいつもの冷静な口調で頷くと、いたたまれなくなった早苗は鞄に手を伸ばし逃げるように教室をあとにした。美しい夕日が差し込む廊下――どうしようもない心の葛藤を胸に、彼女は涙をぬぐいながら歩みを進めた。

 

 

 

「私のことはもうほっとてよ」

 

 あの日から数日が経った。相変わらず小夜とは口をきいてない。勿論、如月とも……。 

 

「お前ら喧嘩でもしたのか?」

 

 不審に思った清水はすぐにそう尋ねてきた。でも本当のことをいう訳にはいかない。私は曖昧に「別に……」と答えた。

 小夜と喧嘩したことは、いままでも何度もあった。だけど今回のはいつもと少し違う。喧嘩の原因――あの子が石神さんに失礼な態度をとったから? いいや、違う。発端は確かにそうだけど、本質は違う。私は小夜に――。

 

「食べないのかい?」

 

 石神の声で早苗は我に返った。テーブルの上には彼女が注文したアマトリチャーナが、いつの間には運ばれている。早苗はかぶりを振りながら「ごめん、ちょっとぼーっとしてた」と、いって照れ笑いを浮かべた。

 

「何か悩み事でも?」

 

「ううん、全然」

 

「そう? ならいいけど」

 

 石神は小さく頷くと、ワイングラスを傾けた。現在、二人は行きつけのカフェで夕食を楽しんでいた。いわゆるデートというやつである。近頃、早苗は陸上部にもめっきり顔を出さなくなっていた。

 

 清水と同様に監督の方もそんな彼女を気にかけてはいた。だが ”体調が悪い” という本人を無理やり部に復帰させる訳にもいかない。それに本来であれば、3年生はもう引退して然るべき時期なのだ。

 

 以上の理由から、早苗の休部は当然のごとく黙認されてた。陸上から距離おくことで出来た時間は、石神と過ごす事で穴埋めしていた。休日はもとより、平日でも時間が合えば二人はよく顔を合わせていた。

 

「三島さんたちとは、未だにケンカ中なのかい?」

 

「うん、まあね……」

 

 厳密にはケンカというよりは、ただ私が二人を避けているだけだった。小夜も空気を読んで、話しかけてくることはない。勿論、如月もだ。

 

「ごめん、やっぱり僕のせいだよね」

 

「ううん、石神さんは悪くない。これは私の問題だから……」

 

 早苗は力なく呟いた。すると暫しの沈黙が二人の間に訪れる。そして程なくした頃、気まずい空気を変えるように石神が口を開いた。

 

「このあとだけど、カラオケでもどうかな?」

 

「カラオケ?」

 

「いま、近場の店で友達が集まってるらしいんだ。みんなでワイワイ騒げば、早苗ちゃんの気も晴れるんじゃないかな。それにキミのことも紹介したいし……ダメかな?」

 

 石神は優しい笑顔で早苗を見つめた。

 

「うん、そうだね。じゃあ、行こうか」

 

 

 

 カラオケボックスは、カフェから歩いて十数分の場所にあった。広々とした個室は照明が絞られ、ブラックライトが点灯している。室内には10人ほどの男女が、酒を飲みながらカラオケに興じていた。石神は個室に入るなり早速、友人たちに早苗を紹介する。大学生たちのノリのよい自己紹介と共に、早苗はソファーに腰を下ろした。

 

「はい、ジントニックだけど大丈夫?」

 

「うん、ありがとう」

 

 早苗は微笑みながら石神からのグラスを受け取った。そして乾杯と言って、一口含んだ。すると独特のジンの香りと、ほろ苦いトニックウォーターが口に中に広がった。

 その後は、石神の同級生たちと他愛もない話をしながら、早苗はカラオケを楽しんだ。そして暫くした頃、数名の大学生たちが個室から立ち去ってゆく。

 

 あれ、みんなどこに行くんだろう? 早苗はそう思いつつ、グラスに口を付けた。すると個室から出て行く男女と入れ違うように、数人の男たちが室内になだれ込んでくる。その中には早苗の見知った顔が二人あった。

 

 こ、この男って……。一人は純喫茶イケダで会った石神の友人という薬物中毒の男――そしてもう一人は、以前に早苗をしつこくナンパしてきた男であった。ど、どうして、この男が? 早苗が石神に顔を向けると、彼は微笑みながらこう答えた。

 

「実はね、こいつも()の友達なんだよ」

 

 あの男が友達って……なにいってるの? 石神さん――。

 

「絡まれてる女の子を助ける白馬に乗った王子様――ベタで古典的だけど、意外にこれが効くんだよ。バカな(ガキ)には特にね」

 

 いままで見たこともない、石神の卑下した笑み――周りにいた女子大生たちも、彼の豹変にぶりに顔を引きつらせている。

 

 私、騙されてたんだ……。

 

 この時、初めて早苗は事の真相を理解した。逃げなきゃ、ここからっ! 早苗は素早くソファーから腰を上げる――だがそれは叶わなかった。

 彼女は途端に膝からガクリと崩れ落ちる。すぐにもう一度、立とうとしたがそれも無理だった。何故なら陸上で鍛えた自慢の下半身に力が入らないのだ。加えて急激な眠気も襲ってきていた。

 

「私に……クスリを?」

 

「心配しなくても変なクスリじゃない。ちょっと強めの動眠剤だよ。それより逃げるなんて酷いじゃないか」

 

 石神は倒れ込んだ早苗を優しく抱き起すと、微笑みながらこう続けた。

 

「折角、俺たちで大好きな如月君のことを、忘れさせてやるっていってんのにさ」

 

 小夜のいった通りだった。やっぱり私は男を見る目がないらしい……。早苗は心の中で呟くと、目の前の男に唾を吐きかけた。それは最後の抵抗だった。すると石神は顔を拭いながら、嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「大丈夫だよ、目が覚めたらすべてが終わってるから。まあ、それと同時にすべてを失ってるだろうけどね」

 

 こんなやつにころっと騙されてヤラれちゃうなんて、ほんと情けなくてくやしい……。朦朧(もうろう)と薄れゆく意識の中で、早苗はぼろぼろと涙を流した。すると彼女の頭の中に、突然あの黒縁メガネの姿が浮かんできた。

 あいつは相変わらずの無表情で私を見据えてくる。いつもの冷静な眼差し――この状況よ? 少しは動揺しなさいよ……そんなことを考えてると、なぜか不意に笑いが込み上げてきた。

 

「こんな状況でよく笑えるな?」

 

 石神が小首を傾げながら不思議そうに問いかけると、早苗は焦点の合わない視線を彼に向けた。

 

「やっぱり、あいつはあんたみたいなクズ野郎とは全然似てないわ……」

 

「はあ? なにいってんだよ、この女。訳分んねえよ」

 

 いつも飄々(ひょうひょう)とした態度で、色々な厄介事を解決してきた朴念仁――ねえ、今度も映画のヒーローみたいにこの外道から私を救ってよ……早苗の言葉を聞いても、如月は相変わらず無表情のまま黙り込んでいる。

 やっぱりダメか……そりゃそうよね。だって今回は私自身があんたを切っちゃったんだから……嫉妬から親友の助言を信じられなかった。これはそんな私への報いなのだろう。

 

「ごめんね、小夜……」

 

 早苗がポツリと呟いた次の瞬間、彼女の意識はテレビの電源が落ちるようにプツンと切れた。

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