二つの一人   作:森山 大太

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introduction

 腕時計を確認すると、短針は五を、長針は六を指していた。この時期になると日没の時間は比較的遅くなるが、それでももう日はだいぶ傾き、立ち並ぶ家の影を東側に伸ばし、赤い光を発している。あと少ししたら、街灯がつき始めるだろう。それまでには、家につきたいものだ。俺はそう考え、自転車をこぐ速度を上げる。明日から二連休とあって、肩にかかる学校指定のバッグの重さが気にならないほどには気分は悪くない。

 家までの最後の信号につかまっていると、不意にブレザーの内ポケットに衝撃を感じた。俺はそこから携帯を取り出して確認する。液晶画面には「新着メール一件」の文字。差出人はついさっき別れたばかりの明だった。文面は短く、「明日は遅れないこと!」。俺はため息とともに携帯を内ポケットにしまい直す。返信は特にしなくてもいだろう。求めてもいないだろうし。俺が明日のデート(そう、デート)に遅れなければいいだけの話だ(そう言っておきながらいつも遅刻するのは俺の方だが)。

 メールの差出人、哀川明(あいかわめい)と言う名を持つ俺の彼女は、極度の美人で、天才で、天然――一言で言えば、変人である。これはおそらく、彼女と少し深くかかわったことのある人ならだれもが同様に抱く感想なのではないかと俺は思っている。いろいろあって俺には友達が少ないため実際に聞いてみたことはないが、表情を見ればなんとなくは分かる。告げてしまっているのだ。「? ゴメン、よくわかんない……」と。

 ただそれでも周りから疎まれたり避けられたりしないところも合わせて――くどいようだが、彼女は変わり者である。

そしてそれは、彼女と中一から四年間付き合い続けている俺もまた、同様である。むしろ俺と明の出逢いは、俺が変わり者になったが故の出逢いともいえるかもしれない。俺は俺が普通でなくなった時のことを思いだす。ここの信号は長い。退屈しのぎにはなるだろう。

あれは――そう、今日と同じような、夕焼けがきれいな日だったと記憶している。

小学二年の秋のことだ。運動会の練習で疲れていた俺は、四時に家に帰るなり、ベットに飛び込み、そのままねてしまった。ああ、明日もまた練習だぁ……とか思いながら。

 そして起きたら、目の前一面、緑だった。森の中にいたのだ。

 いくら小二とはいっても、ああ俺は今夢を見ているんだなということはすぐわかった。そして俺は思った。どうせ夢だ。すぐにさめる。ならいっそ、やりたいことを、現実でできない分、思いっきりやってやろうと。

 子供心に「冒険」というものに憧れていたため、とりあえず適当に、自分の向いていた進んでみることにした。「冒険」というものの醍醐味である、何かとの出会いと感動を求めて。

 どんどん進んで、気づくと日が暮れかけていた。それに気づいた俺が、とりあえず一晩過ごすためによさそうな場所を探そうと、あたりを見回した、その時。

 俺の目の前には、家があった。

 人がいたら、一晩泊めてもらおう。もし空家だったら、そのまま使ってしまおう。

 俺はそう考えて家に向かって走り出し、ドアをノックした。今思うと、ずいぶん大胆なことをしたと思う。

 こじんまりした、木造の家から出てきたのは、三歳くらいのかわいらしい女の子だった。その女の子は、俺

を見るなり、悲鳴をあげて、家の奥へ走っていってしまった。みると、家の中で、両親がぽかんと俺を見ていた。

 そこで俺は、そこで初めて気づいた。俺は、裸だったのだ。みるみる顔を赤くした俺をみて、母親と思しき人が服を着せてくれた。

 そして、俺に向けて何か話し始めた。しかし少俺には理解できなかった。日本語とは違う、不思議な言語だった。ならばと、俺は日本語で話しかけるも、首を捻られてばかり。するとむこうは身振り手振りで何かを伝え始めた。俺の思い違いでなければ、母親は、「家で暮らさないかい?」と伝えていた。

 優しいなぁ、有難いけど……迷惑じゃないかなぁ……と、俺は一瞬考えてから、思い直した。そうだ、これは「夢」なんだ。やりたいようにやってみよう、と。結局この家のお世話になると決めた時、日は暮れていた。

 その後、まずは俺の名前を決めよう、という流れになったようで、父、母、そして娘が三人で話し合った結果(俺には何を言っているのかさっぱりだった)、俺の、特徴的な真っ赤な目と髪(俺はここで初めて気づいた)にちなんで、「火の神」を意味する名前が付けられた。「アールス」。それが俺が夢の世界で覚えた、最初の言葉だった。

 そうこうしているうちに寝る時間になったようで、俺は、リビングに急きょ用意された布団に寝ることになった。蝋燭のようなものの明かりが消される直前、女の子に「さっきは突然ごめん」の意味で頭をさげたら、向こうも下げ返してくれた。

 布団の中で俺は思った。寝たくないなぁ、と。少しでも長く、この夢のなかにいたいなぁ、と。その時俺には、寝たら夢から覚めてしまうということがなんとなくわかっていた

 そして案の定、起きたら現実だった。

 少しがっかりしながらも、よい夢みたなぁ、という満足感のほうが強かった。

 そして、その日の夜。

 寝て、起きたら、「夢の世界」の布団の中にいた。

 わけもわからぬまま、一日を過ごした。

 そしてまた、起きたら現実だった。

 歩行者信号が点滅を始めた。俺はペダルに足をかける。頬を生暖かい風が撫でる。

 そしてそのサイクルは今も続いている。信じられないかもしれないが、本当の話だ。俺は九年間、アールス・ヒュレットとして「夢」を生きてきた。そして、その「夢」を愛している。

 今流行りの「転生」とは少し違う。現実の俺は、こうして生き続けているわけだから。だが、俺の九年間の夢がただの夢で片付けられるものでないことは確かだ――少なくとも俺は、そう確信している。あの世界は一高校生の夢ではなく、本物の「異世界」だと。俺は神なりなんなりの力で、異世界における生を授かったのだと。とはいっても根拠はなく――もしかしたら、俺が心のどこかでそうであることを願っているだけなのかもしれないが。

そして――それに関するいろいろがあって、出逢ったのが明なわけだが、それは、また別の話だ。俺自身、それについてはあまり思い出したくないので詳しくは言わないが、俺はあの時、明に救われた。言い過ぎでなくて、この世界の俺の全てを。そしてそれ以来、俺は明を悲しませるようなことだけはしないと心に決めて生きてきた。それだけのことをしてもらったし、してもらっている。

やっと、自動車用の信号機も赤くなった。そしてすぐに、目の前の歩行者用信号機が青になる。俺は強くペダルを踏み、自転車をこぎ出す。背中に、夕焼けの日差しを浴びながら。

自転車に張られている、「武中真琴」と書かれた銀のシールが、日差しを反射してまぶしく光った。 

 

 




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