二つの一人   作:森山 大太

10 / 15
decide 2

 気付くと、俺はベッドの上に横になっていた。かけ毛布から出ている顔だけ動かして辺りを確認する。目に入ってきたのは、決して整理されているとは言えない木製の机と、若干漫画よりも小説の割合が高い本棚。

 間違いない。「現実世界の」俺の部屋だ。眠るだけでなく、気絶しても俺の意識は異世界から戻ってくるということらしい。

 とりあえず上半身だけ起こし、気絶する前、俺は何を―と考え、一瞬にして思い出した。

 俺は異空門を向こう側からくぐり―現実世界に来た。そしてなぜか、突然目の前が真っ暗になった。 

 悪い夢だと思いたいが、事実だ。俺は確かに、ついこの間行ったばかりの杜氏川自然公園の景色を見た。

 しかし、おかしい。異空門が現実世界と夢の世界をつなぐものだとしたら、夢の世界における数千年前の一回目の戦争の時も、現実世界と夢の世界の戦いだったということになる。いくらなんでも、その当時に時空をつなぐ門なんてものを現実世界で作れたとは思えない。それに、今の技術で、異空門をつなぎなおせるとも思えない。あれは、科学でどうこうなるものではない。

 その上、なぜ杜氏川自然公園かも解せない。

あの公園は比較的歴史があるといっても、二百年前からあったなんてことはないだろう。ならば、それ以前は異空門は野ざらしになっていたということになってしまうし、公園を作った際、処理されなかったということにもなってしまう。いくらなんでも、ありえない。

 そう考えると、異空門は、仮に現実世界に異空門を作れるだけの技術があったとしてだが、今回の侵攻作戦のために場所を移された、あるいは新しく作られたと考えるのが妥当だろう。なぜそこで、森の中という不便な場所をチョイスしたのか。利便さを追求するなら軍事施設のそばでいいし、目立たせたくないのならサハラ砂漠のど真ん中でいい。その辺が、まったく理解できない。しかも門を日本に開いておいて、実際に攻めてきた戦車はアメリカ軍のものだ。

なぜ今、わざわざ異世界に侵攻するのかもわからない。

あまりに、謎が多すぎる。

 しかし――いくら考えたところで、異空門が開き、現実世界の軍が夢の世界に攻め込み、夢の世界が反撃に出ようとしている事実は変わらない。

 俺は、この後、どうすればいい?胸の奥から疑問が湧き上がってくる。

 このまま、何もせずに一日ここで過ごすか?それは論外だ。

 この体で、異空門をくぐり、あちらの世界の住人として生きる?それもだめだ。明は見捨てられない。

 ならば明も一緒に連れて行く?それは―明が納得するとは思えない。

 じゃあ、今から日本政府に連絡して、杜氏川自然公園の周りに自衛隊を配備してもらう?そんなこと、できるわけがない。一般市民の俺が要請したところで、怪しまれるのがおちだ。

 残った選択肢は?

 …ない。なにも、残っていない。

 この世界とむこうの世界の時間がどのように相関しているかわからないために、一体いつ向こうの侵攻が始まるかもわからない。まだ先のことかもしれないし、今すぐかもしれない。

確実なのは、その時は確実に訪れるということだ。そうなってからでは遅い。

 しかしそう分かっていても、俺には何もできない。武中真琴にも、アールス・ヒュレットにも。「その時は、その時だ」なんて、そんなこと言っておいて、どうしようもない。結局、結論から逃げていただけだ。

 俺は今、とてつもなく――これ以上ないくらい、無力だ。絶望感が、脱力感が、全身に遍く(あまねく)行き渡る。

 ふと壁にかかったカレンダーが目に入った。今日は月曜日。いつも通りに学校がある日。しかし、学校に行く気にはなれない。この期に及んで、学校に行ったところで何になる?

 何にもならな――くは、無いか。自分で出した結論を、自分で修正する。

 学校に行けば――少なくとも、明に会える。話せる。

 明に頼ろう。不意にそう思った。明なら、全てを話せば、きっと信じてくれる。きっと、俺には思いつかないような、いい案を考えてくれる。少なくとも、俺一人で悩むよりはましだ。それは間違いない。

 そう考えるだけで、全身に、動こうという意思に答えられるだけの力が湧く。つくづく、明の存在は大きいと、実感する。

 明は太陽―それは、あの、明が突然訪ねてきた日以来、いろいろなものが変わっていった中で、唯一変わらない、変わってほしくない、俺にとってだけの事実。

 急いで支度をし、学校へ向かう。

 しかしいざ学校についてみると、必ずいつも俺より早く教室にいて、必ず「おはよー」といって迎えてくれる明の姿はなかった。

 この間といい、最近遅刻がちだなぁアイツ、と自らを省みず考えながら、俺は教室の窓側一番後ろ、俺的にはベストポジションにある明の席のそばで、明を待った。

 だが結局、明は今日に限って、始業のチャイムが鳴っても、教室に姿を見せなかった。

 呆然とする俺をおいていつも通り―羨ましいくらいにいつも通りにホームルームは進行し、教師から「今日は哀川と向江は欠席だ。二人とも風邪をこじらせたらしい」という連絡がされた。

 そこから先は、ほとんど覚えていない。気づいたら、いつのまにか明の家に来ている俺がいた。

 明の家の庭を歩きつつ、明の風邪、そこまでひどくないといいが、と考え、そんなことを心配してる場合かと苦笑いをする。

 俺は、これから、どうにかして現実世界と夢の世界の、真の意味での邂逅を防がなくてはならない。二つの世界がお互いに傷つけあっても、悲しみや憎しみを生むだけだ。夢の世界の人々でさえ、自ら戦争に向かわせるほどに、強い。

 だが、俺一人ではできない。現に今朝も、くじけかけた。

 だから明、力を貸してくれ。

 俺は、明を信じてる。

 心でそう念じながら、ピンポンを押す。

 すぐに、「はーい」という声が聞こえ、誰かが玄関に向かってきているのが感じられた。そのまますぐ、鍵が中から開けられる音。

 しかし、扉の向こうのだれかはそこで動きを止めた。向こう側がはっきり見えないガラス越しにでもわかる。

「……どちらさま?」

 いや、それを聞くなら鍵開ける前だろ。変な奴だ。

 間違いない。明だ。確信する。風邪のせいか、声がいつもと違う。少しいがらっぽい。

「真琴。武中真琴。話があるんだ」

 すぐに扉は開けられた。「とりあえず、入って」

 明に言われるがままに中に入る。すると、明はなぜか扉の隙間から顔だけ出して辺りを確認した後、勢いよくそれを閉めた。

「今の、何?」思わず訪ねてしまう俺。

「いや、男の子家に入れてるところ近所の人に見られたら、けっこうやばいからさ……」

「なんで?」

「ほら、うちの親って意外と近所付き合い大切にしてる人たちだから…そっち経由で親に伝わっちゃう可能性が怖くて……」

「…まさかお前、俺とのこと……」

「うん。……言ってない。言う気もないし。」

 はあ…俺達、付き合って何年だよ。そこまで秘密にする理由ってあるのか?そう尋ねると、明は「じゃあ真琴は親に言ってあるの?」と逆に聞き返してきた。そう言われると、確かに俺も言ってなかったな。言う必要も感じない。

 俺が靴を脱ぎ、きちんと揃えるのまで待ってから、明は「話があるって言ったけど、私の部屋でいいよね」と言って、俺に背を向け、階段を登って行った。いつもと違う、明の背中。服は特に代わり映えのしない黒いジャージで、肩甲骨を覆い隠すかのように、いつもは結ばれている茶色がかった髪が下ろされている。

 ただそれでも、俺にとっては変わらず大きくて、まぶしい。

 俺が目を離せないでいると、明は突然止まって振り返った。風邪で体調が悪いとは思えないほど可愛らしく微笑む。「どうしたの?ほら早く」。

歩き出す俺。「ああ、ゴメン」。

 明は、俺が部屋に入ってくるまで、立って待っていてくれたようだった。俺には自分の机の椅子を差し出し、ベッドにすとんと腰かける。

 しばし、沈黙が流れる。

 それを破ったのは明の方だった。

「で?真琴、話ってなんなの?お見舞いに来てくれたってだけなら私もうれしいだけだけど、そうじゃないよね。なんか深刻そうだし」

やはり明は話が早い。

「ああ……ちょっと――いや、かなり深刻な話なんだ。長い話になると思う。―だから、先に聞いときたいんだけど、大丈夫、体調?」

 明は一瞬、らしくないぽかんとした表情をした後、急に吹き出した。

「え、どうした明?」戸惑う俺。結構真剣に聞いたつもりだったのだが。

「いや…だって、深刻な話なんだ、って言っといて、体調どう?ってくるとは思ってなかったから…ゴメンね、笑っちゃって。あと、ありがと。心配してくれて。もうだいぶ治ったから、大丈夫だよ」

 明は笑うのをこらえているようだったが、謝ってくれた。

「そう……よかった。でも、もしきつくなったらいつでも言ってくれ」

 俺が真面目にそういうと、明は首をかしげ、俺の目を覗き込むようにして言った。

「え……?そんなに、深刻な長話なの?」

 不思議でたまらない、早く聞きたいという明の意思がひしひしと伝わってくる。俺は深呼吸を一つして、口を開く。

「信じられないかもしれないけど、冗談抜きで俺にこの世界の未来がかかってるんだ。でも、俺一人じゃ、どうしていいかわからない。だから、明にも、俺の話を聞いて、考えてほしい。俺がこの先、何をどうすればいいのかを。巻き込むようで悪いけど、頼む。明が、俺の中の最初で最後の砦なんだ」

 明は俺の顔を、よそ見することなく、ただ一心に見ている。完全に、聞き入る体に入っている。

 もう一回、大きく息を、すって、大きく、吐く。

 明、信じてくれ。

「俺は―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――………」

 

 

俺がすべて―夢の世界に行くようになった時のこと、現実で空気扱いされ、明が訪れてくるまでふさぎ込んでいたわけ、その後の楽しい非日常な日常、そして今、現実と夢がつながり、戦争が起きようとしていること―を懇切丁寧に説明し終わるまでには、俺が思っている以上に時間がかかった。話し始める前は西日が差しこみ、明るかった部屋はどんどん暗くなり、今は完全に日は沈み、部屋の天井の中央にある電球が存在感を放っている。 

 明は話の最中、電気をつけるために二、三歩歩いた以外はまったくと言っていいほど動かず、しゃべらず、ひたすら俺の目を見続けていた。まるで、俺の感情から何から全てを見透かそうとするかのように。

 今俺は、しゃべりすぎたせいで口がだいぶ乾いているのを意識しながら、明のリアクションを待っている。明は、話が終わった後も全く動いていない。膝の上に頬杖をついたままだ。

 なんでこんなに緊張するんだろう。明なら信じてくれると思ったからこそ、俺は明にすべてを話したのに。明の最初の反応がどういうものか、気になってしょうがない。心臓の鼓動が、どんどん強く、速くなっていく。頭の中に、その音が早鐘のように鳴り響く。

「正直…」

 やっと、明が口を開いた。見えない何かから解放されたような感覚が全身を覆う。

「正直、信じられないような話だね。まあ、異世界があるってのはともかくとして、夢で異世界にわたるなんて、その世界とこの世界が現在形で戦争してるなんて、私の理解できる範疇を軽く超えちゃってる。真琴には悪いけど、小四の時、真琴が空気扱いされちゃったのもわかるよ。普通、信じないよ、そんなの。いくら説明したって」

 …え?

 頭の中が真っ白になった。明にも、信じてもらえないのか。そう思うと、もう何も考えられない。もう何もかもどうでもいい。

「でもね」

 明が何か言っている。もういい。どうでも。だから黙ってくれ。

「私は信じるよ。真琴が、そこまで真剣に言うんだったら」

 ワタシハシンジルヨ………わたしはしんじるよ………私は信じるよ………

 え…?

 俺ははっとして明を見た。明はそんな俺を見て微笑んだ。

「本当だよ。信じるよ。私は。真琴を。私が信じなくて、他のだれが信じるの?」

 今、この瞬間ほど、明が美しく見えたことは今までにない。

 やっぱり、信じてよかったよ。明。

 急に涙腺が緩むのを感じた。どうにかしてしめなおそうとするが、無理だった。涙を流すなんて、いったい何年振りだろう。そして明が俺の頬を伝うそれに気付くのに、そこまで時間はかからなかった。

「ちょっとぉ、泣かないでよ。なんか私、悪いことしたみたいじゃん」

そう言って楽しそうに笑う明。

「悪いことしたじゃん実際。あんなだますようなこと言ってさ」

 俺も涙をぬぐいながら、感情のままに笑う。

 しばらくそうやって二人で笑い合っていたが、俺の心が徐々に平常に戻っていき、それどころではないということを思い出した。緩んでいた口元を引き締め直し、明を見つめる。すると明の顔からも、笑みが消えた。

「で、ここからなんだ。本当の問題は。俺は今起きてる戦争を、どうにかして止めたいんだ。でも、方法がわからない。……明、いい案ないか?」

 明は一瞬だけ、なぜかはっとした表情を見せたが、すぐに考え込み始めた。

 少しして、明はゆっくりと口を開いた。

「うーん……私には、その……夢の世界?の様子とか、詳しくわかんないから何とも言えないけど……その作戦を発案した人、帝とかいったっけ?その人を説得すればいいんじゃないかな?というか、それしか方法がない気がする。真琴は夢の世界で、そこそこ地位高いんだよね?それを利用して、どうにかして頼み込んでみれば?」

「それなんだけど……俺も、それは考えたんだ。でも、帝を止めるだけの口実がない。帝は頭が異常なくらいいい上に、芯も多分強い。理由もなく「やめてください」って頼み込んだって、間違いなく聞き入れてくれない。最悪、その場で反逆者扱いされて、本当に何もできなくなる」

 俺の言葉を聞いて、明はまた少し考え込んでから口を開いた。

「いっそのこと、「自分は今あなたが攻め込もうとしている世界の人間なんです」って暴露しちゃうとかは?」

「そうしてどうする?情に訴えて頼み込むか?そんなことしたら、反逆者扱いどころか、その場で殺されかねないぞ?」

「違うよ。そうじゃなくて、「自分の世界には時空をつなぐだけの力はありません。今回のことは、そもそも何かの間違いなんです」って言うの。そうすれば頭がいい人なら、頭ごなしに否定するようなことはないと思うけど」

「でもな明。現に時空をつなぐ門は開いて、アメリカ軍は攻め込んできたんだぞ?俺も今でも信じられないけど」

「そこなの」明は確信をついたかのように言った。

「真琴の話の中の、一番の疑問点はそこ。まず、一から整理してみるけど……真琴は、なんでアメリカ軍が攻め込んできたって判断したの?」

「アメリカの国旗が、攻め込んできた戦車についてたから。この目でしっかり確認したよ」

「じゃあ、戦車の中に乗ってる人を見たわけじゃないんだね。…じゃあ二つ目。その時空をつなぐ門は、ずっと昔に一回開いてるんだよね。そしてその時も、開いた先はこの世界だったと思われる……その時は、どっちが門を開けたの?」

「それは、間違いなくこの世界だと思う。一回目の戦争のときは、夢の世界側は最初一方的にやられてたらしいから」

「そしてその戦争が終わった後、数千年間その門はなくなることはなかった?」

「誰も確認したことがないから確実じゃないけど、多分……」

「ふむふむ…ところで、その一回目の戦争があったことは、夢の世界側の人はみんな知ってるの?」

「うん。基本教養」

「ふーん……じゃあ三つ目。真琴がその門をわざわざ確認しに行ったのは、前日に帝に呼び出されて、極秘で任務を受けたからでいいんだよね。そしてその門は、森の中にあった。」

「うん。」

「そしていざ確認してみたらその門が開いてて、侵攻が始まってた……その時、奇跡的に誰もけがをしなかったんだよね?」

「うん。……それは本当に良かったと思う」

「その後、真琴はその戦車と戦った?」

「……気づいたら、全滅させてた」

 ためらいながら言ってみたが、明は俺の態度にも言葉の内容にも反応を見せなかった。

「その時、何か感じたことは?」

「そういえば、敵の攻撃が、一回も俺に命中する弾をたどってこなかったな。それくらいかな」

「じゃあ最後に……帝はとても立派な人で、常に皆のことを考え、頭もよく、侵攻作戦の発案者である?」

「その認識で間違いはないよ」

 さっきから明の問いに答えてはいるが、一体どういう意図なのか俺にはさっぱりわからない。聞かれている内容にも一貫性はないし、そもそも聞かれていること自体、何も疑いようのない事実だ。

 一人混乱する俺を差し置いて、明は一人考え込んでいる。

「一応、仮説はたったよ。」少しして、明は平然とそう言い放った。

「仮説って、なんの?」

「もちろん、今起きている戦争についての、だよ」

「……はい?」

 信じられない。今の会話を通して、一体何がわかったというのか。

 驚愕する俺に対して、明はまだ自分の世界から抜け出せていないのか、独り言のように淡々と言葉を並べていく。

「私の仮説が正しいとすると、多分さっき言った方法で説得すれば、うまくいくはず……」

「さっき言ったって…門の向こうは実は自分の本来いる世界で、その世界には異空門を開く力はありません、って理論的に訴えるやつのこと?」

「そう。それで、たぶん大丈夫。……あと問題は、真琴が本当に異世界の住人だと、信じてもらえるかどうかだけ」

 やはり、問題はここだ。一番の難所。どうやって自分が異世界の人間だと信じさせるか。正直、俺には自信がない。今日信じてもらえたのだって、相手が明だからだ。それ以外の人間になんて、信じてもらえないに決まっている。また、いつかみたいになるのがおちだ。

「大丈夫」

 突然の明の声。思わずうつむいていた顔を上げると、すぐ近くに明の顔があった。文字通り、目と鼻の先に。

「私が保証する。真琴なら、絶対できる。私は信じてる」

 明はさらに身を乗り出してきた。

「あとは、自分で自分を信じ切れるか。それだけ」

 明の体温を感じる。

「信じればどうにかなるとかいう夢物語を言うつもりはないし、報われない努力は努力でないとかいう、勝ち組の身勝手な理屈を言うつもりもないけど――」

 明の体が俺の体に触れた。

「信じようと、努力しようとしなければ、どうにかなるものも、どうにかならない。これだけは、心に留めておいて――」

 明の唇が、俺の唇に重なった。

 いわゆる、ファーストキス。

 何秒、そうしていただろう。俺は全く動けなかった。

 一瞬とも永遠ともいえる時間の後、明は静かに後ずさり、微笑んだ。平静を装っているように見えて、頬をかなり赤らめている。ただ、それ以上に俺の頬は赤いことだろう。それは疑いようがない。

「どうしたの?固まっちゃって。なんか言ってよ。なんならもう一回……」

 ……明ってこんな積極的だったか?

「いや、それは…」反射的に否定する。

 明は若干口をとがらせた。「いやだった?」

「そうじゃなくて…びっくりした。突然だったから。一回目だったし」

「そういえばそうだね、初めてだったね。何年目の、だろうね?」

「何年目……中一からだから、四年目の、か。考えてみると、比較的遅いよな。」

「比較的じゃなくて、普通に遅いよ。私、結構待ってたのに。真琴、そういう気配全くないんだもん。」

 明はそう言ってふふと笑い、少し間を開けて、「あのさ」と床に片腕で頬杖を突き言った。

「真琴って、門限とかある?」

「いや、ないよ。そもそも、親が帰ってこないから。何時に帰っても、まったく問題ない」

「じゃあさ、じゃあさ」明は上目づかいで俺を見た。

 そして、衝撃の一言。

「今夜、泊まってかない?」

 

 

 はあ……

 明の家の風呂場で出た溜息は、すぐに風呂場特有の靄(もや)の中に消えて行った。

 どうして、こうなったんだろう。初めてキスした日にそのままお泊りなんて、展開があまりに早すぎる。

 もちろん、いやなわけではない。むしろ、うれしい。若干、緊張もしている。それが自然で当たり前のことなんだろう。

 ただ一つわからないのは、明の真意だ。明曰く、「真琴のこと、一晩中見守っててあげるからね!」とのことで、それは気恥ずかしくもあり、頼りになるようでもあり、嬉しくもあるのだが、何か、それだけではない気がする。あくまで、俺の直感だが。

 考えるだけ、無駄か。

俺はしばらく湯船の中で考えた後そう結論付け、湯船から出る。寝間着は明が用意してくれたもので、サイズから察するに、おそらく明の父親のものだろう。俺にはだいぶ大きいが、きれないほどではない。さっさと着替えを済ませ、明の部屋へと向かう。明は俺より先に風呂を済ませた(当然だが)ので、今は風呂上りの一杯とか言って、牛乳でも一気飲み……はしてないだろう。明はそこまで、じじくさくはないはず。

俺の予想たがわず、明は俺が部屋に入った時、さっき俺が座っていた椅子に、何をするわけでもなく腰掛けていた。椅子がかなりベッドよりに動かされている。

「あ、真琴」明は俺に気付いたようで、右手を軽く上げて言った。そのまま手招きする。

「ほら、こっち来て」

 俺が無言のまま明に近づくと、明はベッドに座るようにとジェスチャーで促した。

 俺がそうするのを待って、明は逆に立ち上がり、言った。

「じゃあ、電気消すからね」言い終わる前に、視界がブラックアウト。

「明、あのー」

「なに?」気配とわずかな明かりから、明が座りなおすのが分かった。

 俺は少しためらいを感じながら、口を開く。

「俺は、このベッドで寝ちゃっていいの?」

「もちろん」明はあっさりと答えた。

「じゃあ明はどこで…?」聞くのが怖い。

「私今夜は寝ない」

「え?なんで?」

「言ったじゃん。一晩中真琴を見守っててあげるよって。」

 …マジか。

 呆然とする俺に対して、明は一人でどんどん進めていく。

「ほら、早くベッドに入って」

 言われるがままに――というより何も考えられずにベッドに入る俺。

 しばし、沈黙。

 ふう。落ち着いた俺は、一つ息を吐いて、おぼろげな輪郭しか見えない明に尋ねる。

「明、帝に、理論的に訴えれば、どうにかなるんだよな?」

「うん。私の仮説が正しければ、だけど。…まあ正しくても正しくなくても、真琴しだいっけことだけは確かだよ。私は、疑ってないけどね」

 明はいま微笑んでいるかもしれない。それが見えないのが、少し残念だ。

「そう言ってくれると、嬉しい。……ところで、明の仮説って、何?俺には、まったく想像つかないんだが。」

 明は少し間を開けて答えた。

「多分、真琴は知らない方がいいと思う。……そもそも、あってるかどうかわかんないし。うん、知らない方がいいよ」

 そう言われても、気になるものは気になる。俺はもう一回聞こうと思ったが、それより先に明が「あのさ」と言った。

「真琴、眠い?」

「いや……緊張しちゃって、当分寝れそうにない」

「じゃあ、真琴が眠くなるまで、私の話、聞いてくれない?」

 なんだろう。明の雰囲気が、少し変わった。こんな風に語りだすことなんて、初めてじゃないだろうか。

「いいよ。話してくれ。明の話なら、いくらでも聞くさ」

「ありがと」

 明はそう言った。

 不思議だ。辺りが暗闇のせいで、声が頭の中で独りでに響いているような錯覚を覚える。明も、きっと似たような感覚に襲われていることだろう。心の中から、独りでに声が出てくるような錯覚、とでもいえばいいのか。

「この間も、少し話したことなんだけど…なんで四年前のあの時、私が真琴の家を訪ねたかについてのこと。…真琴は、なんでだと思う?」

 それはこの間、明自身が「話したくない、封印したい」と言っていた話じゃないか!…とのど元まで出てきたが、どうにか呑み込んだ。俺からそこに突っ込むべきではない。そんな気がしたから。

「うーん、俺には、まったくわかんない。なんで?」

「もう、ホント昔の話なんだけど…真琴さ、竹下奏音(かのん)って覚えてる?小四の時、転校しちゃった子なんだけど。」

 話が急にとんだ。竹下奏音……確かに、覚えている。同じ小学校に小四の時までいた女の子。俺は一緒のクラスになったことはなかったため詳しくは知らないが、異常な―それこそあらゆる点で明をしのぐほどの能力を持っていたらしい。

「覚えてるよ。なんでか印象に残ってる」

「じゃあ、奏音がいじめられてたって知ってる?」

「それも…なんとなくは、聞いたことある。竹下奏音には近づくなって、俺のクラスでも少し話題になったこともあるし。」

「ふーん……そうなんだ……まあいいや。それでね」

 明はこつこつと話し続ける。

「実はね、二年生くらいまでは、奏音も、周りとうまくやれてたの。周りも、なんでもできる奏音を尊敬してた。私も、そのうちの一人だったんだ」

 明の話し方から、続きは何となく予想できる。

「でも、私も何があったか知らないんだけど、三年生になってから、急に奏音、変わっちゃったんだ。急に、周りに冷たくなった。それまでは、例えば友達に算数の問題の質問をされた時も親切に答えてたのに、無視するようになって。しつこく聞かれて、こんなのもわかんないのって、怒ったことも、一度や二度じゃなかったっけ」

 明の声は、どこか切ない。

「人間ってさ、信用を築くのには時間がかかるけど、その逆って、やっぱりあっという間なんだよね。奏音の態度が変わってから、一か月もしないうちに、奏音を尊敬する人は一人を除いて誰もいなくなった。二か月たったら、奏音はいじめの対象になった。あからさまなやつじゃなくて、陰湿なやつ。今思うと、小学校三年生がやるレベルをはるかに超えてたよ」

 明は、今何を思っているんだろう。

「それを見ていてもたってもいられなくなった奏音の最後の友人―まあ、私の事なんだけどね。私は、先生に相談したの。このままじゃ奏音がかわいそうだから、どうにかしてください、って。でも、先生は結局何もしてくれなかった。もしかしたら、先生自身、周りに冷たい奏音を嫌ってたのかもしれない。とにかく、先生は見て見ぬふりを決めこんだ」

 明は今、怒っているのか?そんな気がした。

「当時の私は、それにものすごく腹が立って。一人で決意したんだ。私だけは、絶対に奏音を裏切らないって。でも、その決意も逃げでしかなかった。結局、いじめに立ち向かおうとしなかったんだから。それだけの勇気が、私にはなかった」

 明は、確実に何かに腹を立てている。

「奏音へのいやがらせはそのまま続いて、四年生になった。奏音も嫌がらせに負けることなく、学校にき続けた。私も、誰に何と言われようと、奏音のそばを離れるつもりはなかった。そして、一学期もだいぶ終わりに近づいたあの日、放課後の教室で二人きりになった時、私は奏音に突然こう言われたんだ。「私が、悪いのかな」って。私は、何て答えたと思う?」

 明は尋ねてはいるが、答えを求めてはいない。

「何も、答えられなかった。私も心のどこかで、あんなに人に冷たくした奏音が悪いんだって、思ってたんだろうね。慌てて答えようとした時には、もう遅かった。奏音はもう、無理に作ったのがバレバレの笑顔で、「いいよ明。ありがとう。あなたがいてくれて、よかった」って言ったんだ。奏音のありがとうなんて初めて聞いたから、私呆然としちゃって。その間に、奏音は一人で帰っちゃった」

 わかった。明が今、何に腹を立てているか。

 小四の時の、自分自身だ。

「そして次の日、奏音は学校に来なかった。転校しちゃったんだ。遠い遠い、どこかに。場所は分かんない」

 明の表情は見えないが――いや、だからこそ、感情は手に取るようにわかる。

「すっごく、後悔した。すっごく、泣いた。なんで、あの時すぐに、嘘でもいいから、「そんなことないよ」って、答えられなかったんだろうって。それで、決めた。今度、男女問わず、誰かいじめられてる人がいたら、絶対に、私が助けてあげようって。おごがましいかもしれないけど、奏音にできなかったことを、その人にはやってあげようって」

 もうわかった。明が何を言おうとしているか。

「そしてすぐ、隣のクラスで、突然無視されて学校に来なくなった人がいるって聞いた。どうにかして調べて、学校さぼって家まで行った。そしてピンポン押して、出てきたのが真琴だった」

なるほど。全て、腑に落ちた。

「最初は、変な人だなと思った。「この世界の事なんて、もうどうでもいい」とか、じゃあ二つ目の世界でもあるのって話じゃん?まあ実際、真琴にはあったわけだけどさ。

 明は語り始めてから初めて笑っているように思えた。

「だけど話してるうちに、なんか面白い人だなーって思ってきて。だんだん、義務じゃなくて権利で接するようになっていって。さすがに告白された時はどうしようかと思ったけど、ふったらこれまで通りには接せないし、それじゃだめだと思ってオーケーしたの。でもすぐに、ああ、よかったって思った。それで初めて、人を好きになるってこういうことなんだって理解した。理由も動機も世間体も関係なしに、ただ心が欲するままに、何てね」

 明はここで初めて「はは」と声を出して笑った。俺もつられて笑う。

「以上。私があの時、真琴の家を訪ねたのは、義務感と自責の念からでした。でも今は、純粋に真琴のことが好きです」

 ……こういうセリフを平然と言ってのけるところも、明の長所と言えば長所なのかもしれない。

 俺は声が上ずらないように意識しながら、口を開く。

「明の話は、これで終わり?」

 明はすぐ「ううん」と答えた。

「真琴、ちょっと体起こして」

「なんで?」

「いいから。早く」

 なんでだろう。疑問を心の中に抱えながらも、言われた通りに上半身を起こす。

 ボフッ

 明が抱き着いてきたのだと認識できたのは、音がたってからだいぶ経ってからだった。

「明?どうした?」

「嬉しかった。」明の手は、俺の首に強く巻きついている。

「真琴、今日言ったよね。家に引きこもってたのは、夢の世界が好きすぎて、この世界がどうでもよくなったからだって」

「ああ……言ったな。確かに」

「その時、私少し怖くなった。もしかしたら、今もそうなんじゃないかって。天秤は少しはこの世界側に傾いたかもしれないけど、まだ夢の世界側に傾いているんじゃないかって。だったら、私のこの四年間は、一体何だったんだろうって。私ばっかり真琴を好きになっても、真琴の中では私は結局どうでもいい世界の中の一人にすぎないんじゃないかって。」

 明、お前はとんでもない誤解をしてる。そう言おうとしたが、あえて黙っていた。いや、明の雰囲気に黙らされた。

 明の腕の力は、さらに強くなった。体を押しつけられ、俺の全身に明のほのかなぬくもりを感じる。

「でもその後、真琴は、「今起きている戦争を止めたい」って言ったよね。それってつまり、この世界と夢の世界両方を守りたいってこと。そう思った時、私はっとした。さっき感じたことは、全部杞憂だったんだって。私の四年間は、私の想いは、無駄じゃなかった、真琴を変えられたんだって、確信できた。本当に、嬉しかった。これで、奏音に顔向けできるかなって……あれ……なんで……なんで、ほっぺを水が流れてるんだろ……?」

 俺の肩にも、そこに押し付けられている明の頬から、水滴が流れてくるのが分かった。とどまることなく、ずっと。

 ついに明は、声を上げて泣き出した。俺も、明の背中に手を回す。

 俺は、明には絶対に涙を流させないと思って生きてきた。それは、俺が絶対にやってはいけないことだと。

 ただ、今、明が流している涙だけは、全肯定しよう。全部、俺が受け止めよう。

 この涙は、明の四年間の想いそのものなのだから。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。