二つの一人   作:森山 大太

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truth 1

 起きてすぐ、俺は疑問を感じずにはいられなかった。

 なぜ、俺は室内にいる?俺が気を失ったのは、異空門をくぐった先、現実世界の森の中のはず。なのに今俺はベッドに横になっている。部屋の細かい構造や、天井の色合いから、ここが夢の世界であるということも明らかだ。いったいどういうことだろうか。ひょっとして、誰かが異空門をくぐって、魂の抜けたアールス・ヒュレットをここまで運んできたということか?

 さらに、なぜか右手が何かに圧迫され、ひどく蒸している。これは…手か?そうだとしたら、だいぶ長い時間、強く握っていたんだろう誰だ?思わず、視線を天井から自分の右手に移す。

 俺の右手を握っていたのは、白い、きれいな両手だった。その両手から腕、肩へと、俺はゆっくりと視線を移していく。その途中で、右手にかかる力がさらに強くなったのを感じた。

 視線の先が首から顔にいたった時、俺の疑問はだいたい解決した。なるほど、考えてみれば、こいつしかいないよな。

「なんだ、お前か、ルーセル」

 おそらく俺を現実世界からここまで連れてきて、今までずっと傍らにいてくれたであろう少女―ルーセル・ヒュレットは、ベッドの近くにある備え付けの椅子に座っていた。前かがみになって呆然と俺を見るルーセルの目の中には、いろいろなものが現れては消えているように俺には見えた。

「ア、アールス、で、いいんだよね……?」

 ルーセルは呆然としたまま尋ねた。変なことを聞くやつだ。俺がアールスじゃなくて、誰がアールスなんだ?俺は起き上がりながら答える。

「ああ、そうだけど。それより、ルーセルが俺をここまでつれ……」

「バカッ!」

 ドン!ボフッ

 音で表現すればこんな感じだろうか。あまりに突然のこと過ぎて、俺には最初何が起きたかわからなかった。

少しして、いつの間にか立ち上がっていたルーセルと、ベッドにあおむけになっていた俺、そして俺の胸に残るかすかな痛みから、ルーセルが俺を突き飛ばしたのだと気付いた時には、ルーセルはすでに椅子に座りなおしていた。俺は再度体を起こす。

「ルーセル、お前いきなり何を…」

「あなたが悪いのよ!」

 ルーセルは勢いよく叫んだ。思わず、俺は口をつむぐ。

「なんで一人で勝手に異世界に行っちゃうのよ!私が偶然気づいて追いかけてたからまだよかったけど、あのまま異世界に倒れてたら、間違いなく殺されてたわよ!それに慌てて連れ帰ってきても、何したって目覚まさないし!その上やっと目を覚ましたと思ったら平然と「ああ、そうだけど」って!何よそれ…ふざけんじゃないわよ…このばかぁ…」

 最後の方は、どうにか言葉を絞り出したというような感じだった。ルーセルはうつむき、手を当てて顔を隠そうとしている。ただ、指の隙間から途切れることなくこぼれる滴が、全てを物語ってしまっている。

 ああ。俺はこの瞬間、二つのことを理解した。

 一つ目は、俺がルーセルに、とてつもなく心配をかけてしまったこと。

異空門をくぐった先で意識が飛ぶという想定外はあったが、それ以前に行為自体がそもそも危険すぎた。ルーセルの言うように、せめてルーセルにはどうにかごまかしてでもついてきてもらうべきだった。

 そして二つ目。ルーセルの気持ち。

 少し前から、ルーセルの俺に対する態度が妙に積極的(と言えばいいのか?)になったことは感じていた。

 ただそれでも、俺は「つり橋効果のせい」と決めつけたり、わざと気にしないようにしたりしてしてきた。

 ただ今、確信が持てた。

 起きてすぐ感じた、あの手のぬくもり。そして、今の涙。奇しくもそれは、ついさっきまで現実世界で感じたり、見ていたりしていたはずの、明のそれにそっくりだった。

 根拠はない、ただの感覚の話だが、俺には分かる。

 ルーセル、お前はやっぱり…

 おっと、ルーセルには悪いが、そんなことを考えている場合ではない。

「ルーセル、心配かけて、悪かった。泣いてるのは分かってるから、顔をあげてくれ。」

 ルーセルはふるふると首を振った。「やだ。ほっといて」声はまだ震えている。

 このままでは話が進まない。俺は再度言う。

「頼むルーセル。大事な話がある。」

「何よ、その話って…」

「今起きようとしてる戦争に関する話。いままでルーセルに隠してたこと全部話すから。」

「ホント?私の疑問に、全部答えてくれる?」

「ああ。」

「…分かった。ちょっと待って」

 ルーセルはそう言って、顔を手で覆ったまま後ろを向いた。そこで右腕の袖で顔を強くぬぐい再度振り返った時には、もう顔には笑顔が浮かんでいた。目元は赤く、なかなかひどいことになっているが、そこは今突っ込むべきではないだろう。

「じゃあ、聞かせてもらいましょうか。……あ、言うの忘れてたけど、無事で何より」

「ありがと。……改めて、心配かけてごめん。」

「まったくよ…まあ、良しとするわ。……じゃあ、改めて。話って何?」

「いや……その前に、こっちから聞きたいことがいくつか」

 ルーセルは若干眉をひそめた。「なんだかんだ言って、逃げる気?」

「まさか。ちゃんと約束は守るさ。俺が聞きたいのは、侵攻作戦について。今決まってることを、全部教えてくれ。」

 ルーセルはしばらく無言でいたが、俺が「頼む」と言うと、「しょうがないわね」と切り出した。

「ええと…まだ決まってないことがほとんどね。帝も言ってたけど、異世界がどんなものなのかわかんないと、どうしようもないし。それを調べるための先遣隊は、確かもうすぐここ北都を出発するって話だったけど、私たちの部隊は関係ないわ。」

…聞き間違いだと信じたいが、そうではないだろう。今日のうちに、戦争が始まってしまうのか。急がないと。正直、ここまで早いとは思っていなかった。

 一人考えていると、胸に軽い衝撃を感じた。ルーセルの右手によるものだった。

「ほら、次はあなたの番よ。今まで私に隠してたこととか、全部言ってくれるんでしょうね?」

 …ふう。明の時にそうしたように、一回息を吐く。

 今日のうちに戦争が始まるとなると、ルーセルの協力は必須だ。それを得るためには、すべてを話し、俺を信じてもらうしかない。

 しかし不安はない。なんたって、明に信じてもらったのだから。

 俺は正直、まだ自分を信じ切れない。だったら俺は「真琴を信じる」と言った明を信じよう。それで十分だ。俺にとっては。

「ルーセル、落ち着いて聞いてほしいんだけど」

「うん」

「俺は―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 話している最中の、ルーセルの表情の変わりようはとても愉快なものだった。言葉で表すなら、最初は「はい?」途中から「冗談はやめて」、それから「本気…なの?」、最後は「うーん…」…と、いったところだろうか。

 話し終わってかなりたったが、ルーセルの表情はいまだ「うーん…」のままだ。

 信じてくれよ、ルーセル。今俺が言ったのは、全部本当の事なんだから。

「仮に…」

 ルーセルがやっと口を開いた。

「仮にアールスが言っていることが全部本当だとしたら、今までのアールスの行動は、全部納得いくわね」

「全部って?」

「最近ずっとなんかアールスらしくなかったこと。侵攻作戦に反対したこと。一人で勝手に異世界に行ったこと、全部」

「……じゃあ、信じてくれるのか、ルーセル?」

 ルーセルは何かにあきれたように大きく息を吐いた。

「信じるしかないわよ。そんな真面目に話されたら。一応、つじつまもあってるし。」

 ほっ。それが正直な感想だ。案外、あっさりと信じてもらえたな。とりあえず、第一関門は突破した。

 本当の問題は次だ。俺はベッドの上で、若干前かがみの体勢をとる。

「それで、俺は今から帝に、今ルーセルに行ったこと全てを話して、侵攻作戦を中止してもらうように頼んでくる。それで、ルーセルに頼みがあるんだ」

 ルーセルも椅子に座ったまま、前かがみになった。

「とりあえず、聞くわ」

「俺としては、先遣隊が門の向こうに行ってしまう前に帝との話をつけたい。もし先遣隊が気づかれたら取り返しのつかないことになるからな。…でも、このままじゃ間違いなく間に合わない。もう先遣隊は出発してる頃だろ?」

「ええ。もうここを出てるでしょうね。」ルーセルは即答した。

「だからルーセル。いまから全力で異空門まで向かって、先遣隊をどうにかして止めておいてくれないか」

 ………。

「……私に、軍に反逆しろってこと?」

 少しの沈黙の後、ルーセルは静かにそう答えた。

「そういうことになるのかもしれないな。でも、きっと後悔はさせない。」

 無茶なことを言っているという自覚はある。ルーセルにとって、それは死んで何回生まれ変わっても自発的には生まれない選択肢だろうから。

それでも今の俺には、ルーセルに頼る以外道はない。

「ダメか?」

 俺が尋ねても、ルーセルは一切反応しない。自分の心の奥深くで、考えにふけっているのかもしれない。

 仕方ない、か。こうなったら、手段は択ばない。

「分かったよ。もともと、無茶なお願いだもんな。俺の話を最後まで聞いてくれただけで、俺は感謝するべきなのかもしれない。俺は今から一人で帝のとこまで行ってくる。ルーセルは、ここで待っててくれ」

 俺は静かに、ベッドから出て立ち上がる。そしてルーセルに背中越しに言う。

「俺の荒唐無稽な話、信じてくれてありがとな。」

 じゃあ。そう言って、俺は扉に向かって歩き出す。一歩、二歩。

「ずるいわよ。」

 背後から聞こえる、ルーセルの声。

「ずるいわよ、そんな言い方。あなたにそんな言い方されたら、頼みを受けないわけには行かないじゃないの」

 ルーセルが立ち上がったのが気配で分かった。

「何?私は、あなたが帝を説得して、異空門に意気揚々と来るまで、先遣隊を足止めしとけばいいのね?」

「ああ……頼む。もし……もしだいぶ時間がたっても俺が現れなかったら…」

「やめて」ルーセルは俺の言葉を遮った。

「そこから先は、考えても意味ないでしょ?私はどうにかして先遣隊を止めておく。そこにあなたが笑顔でやってくる。それ以外の未来なんて、存在しないんだから。」

 急いだ方がよさそうだから、私もう行くわ。そう言い残し、ルーセルは足音とともに、部屋の奥の方の扉から出て行ったようだった。決して建てつけがよいとは言えない扉の開閉音が、部屋の中に響く。

 ずるい、か。

 俺は一人部屋の中で、ルーセルの言葉を反芻する。まったくもって、その通りだ。俺は、こういう言い方をすればルーセルは必ず頼みを受けてくれると確信したうえで言ったのだから。

 それについては、なんと罵られてもいい。最悪、ルーセルに嫌われても仕方ない。覚悟はできている。

 俺は、二つの世界を守らなきゃいけない。

 多分、それが、俺が武中真琴であり、アールス・ヒュレットであり続けてきたゆえの宿命だろうから。

 心の中で、唱える。

 俺の全ては、明のために、この世界のために。

 覚悟は、できている。 

 ふう。

 一つ息を吐き、目の前の扉を、ゆっくりと開ける。

 

 

ルーセルが飛神を抱えて建物の屋上についたとき、やはりまだ、日は消えたままだった。ここ何日かは、昼夜問わずの星空である。星を見るのが好きなルーセルでも、いい加減に飽きが来つつある。

はあ…早く戦争が終わって、日が戻ってこないかな‥‥

と考え、ルーセルは今、自分が戦争を終わらせようとしているということに気付いた。そして脳裏に浮かぶのは、自分をそうさせている張本人――失いかけたが故に好意がより一層強まった人の顔。

 その人アールスの話は、ルーセルにとって信じがたいものだった。曰く、「異空門の向こうこそ俺が本来いるべき世界なんだ」だの「異空門の向こうには異空門をつなぐ技術なんてあるわけがないから、今回の事件は何かの間違いだ」だの。さらには、「軍を裏切って、俺に協力してくれ」とまで言いやがった。

 最初は疑った。疑って疑って疑った。ただそれでも最終的に信じてしまう理由は、語り手がアールスだからだということに他ならない。好きな人を信じないで、他の何を信じるのよ、と言う話である。ゆえに今、一人飛神を担いで屋上まで登ってきたのだ。軍の先遣隊を、どうにかして異空門よりこちら側で足止めしておくために。

 しかしその一方で、ルーセルの胸の中には、新たな疑念も生まれた。

 もしアールスに、異空門の向こう側の世界に彼女でもいたらどうしよう、という。

 自分で考えて苦笑してしまうような問いではあるが、結構深刻な問いでもある。アールスはこの世界のことを、「俺にとって二番目の世界」と言った。一番目の世界に彼女がすでにいたとして、二番目の世界の住人を、一人の女性として見てくれるとは思えないのだ、ルーセルには。

「…って、今こんなこと考えてどうするのよ、まったく。少しやきが回ったかも。」

 ルーセルは自制の意味を込めて頬を軽くつねり、飛神を背負う。先遣隊はラーバで移動しているはず。十分追いつける。

 ルーセルは一回深呼吸して、心の中の不純物を全てここにおいていくつもりで勢いよく空に飛びだした。

 軍に一時的とはいえ反逆するのにも。

 全部終わったらアールスに告白するのにも。

 両方とも、覚悟はできたんだから。

 見飽きたはずの星の光が、自分を応援してくれているように見えたルーセルだった。

 

 

 …よし。

 飛神を使って、帝の自室であるアーラの神殿の最上階、礼拝堂のような場所を目の前に見ることのできる位置まで移動した俺は、心の中でワンテンポおいて、開いていた窓から部屋の中に入る。

 礼拝堂とはいっても、現実世界のそれとはだいぶ様子が違う。狭いし、暗いし、もちろん十字架があるわけでもない。その上、異常なまでの量の神素が密集している。それはおそらく、俺が炎素使いだから分かることなのだろう。その証拠に、軍校時代初めてここを訪れた際には、ルーセルは何も感じていないようだった。やはり神殿の最上階と言うだけあって、火の神アーラの、加護とでもいうべきなのか、そういうものが強いのだろう。

 その中で帝は、窓に背を向ける形で置かれている机に座り、左手でコーヒーカップのようなものを持ち、啜っていた。帝宮の部屋と同じように、ここにもそこかしこに分厚い本が積み上げられている。

 俺は静かに着地し、飛神を肩からおろす。帝はまだ、俺のことに気付いていないようだ。「帝。アールス・ヒュレットです。突然窓から入ってきたりして、申し訳ございません。至急の話が……」

「君なら……」

 帝は、振り返ることなく俺の言葉を遮った。そこで間を開け、左手に持っていたカップをゆっくりと机の上に置いた。

「君なら、きっと来ると思っていたよ。アールス君。いや……」

 帝はここで、やっと振り向き、俺を見た。

 その顔は、気味悪いほどに、喜びで満ちていた。

「真琴君」

 ……は……?

 帝は今、何て言った?真琴君?ありえない。それは、現実世界での、俺の名前だろ?

「え…?み、帝…?なぜ、その名を…?」

 呆然とする俺に対して、帝の表情は、相変わらず鳥肌が立つくらいに笑顔だ。

「考えてみれば、すぐわかるよ。僕が一体、誰なのか。」

 帝が一体、誰なのか?そんなの、ヒュルト・シュバイト以外の答えなんて…待てよ…あの「真琴君」という呼び方、聞き覚えがある。いや……そもそも、俺のことを「真琴君」なんて呼ぶのは…親と明は「真琴」だし、それ以外は基本「武中」だ…だったら…あっ。

 一人、いた。俺をフラットで、「真琴君」と呼ぶ人間が。

「まさか……向江、なのか……?」

 帝は、満足そうに何度もうなずきながら―あっさりと、肯定した。

「そう。その通りだよ。真琴君。ぼくは、ヒュルト・シュバイトであり、向江真生でもある。君が、武中真琴であり、アールス・ヒュレットであるのと、同じようにね」

 ごくん。向江の言葉を飲み込むのに、だいぶ時間がかかった。

「本当か……向江、帝がお前だったなんて……一応聞くけど、俺の彼女の名前は?」

 気がまだ動転しているのか、思わず変な質問をしてしまった。

 しかし、帝改め向江は顔こそ笑っていたが、真面目に答えてくれた。

「もちろん、哀川明さん。……だから、本当だって。僕は、向江真生だよ。」

「別に疑っているわけじゃないよ。信じるさ。…ところで、至急の話なんだけど」

 俺がそう言うと、向江は「なんだい?」と言った。

「向江、今この世界が侵攻しようとしている世界が……その、現実世界だって、知ってるか?」

 帝が向江と同一人物であるということは、案外俺にとっていいことなのかもしれない。向江だって、侵攻先が現実世界だと知れば、すぐに作戦を中止するだろう。ひょっとしたら、ルーセルが異空門につく前に先遣隊が引き返すという事態になるかもしれない。それはそれで怒らえそうな気もするが、いいことなのは変わらない。何かしら食べ物でもおごれば、解決するだろう。

 そんなことを考えながら、俺は向江の返事を待つ。向江の表情は、さっきから一切変わらない。俺としては、もっと驚いたり、慌てふためいたりするのを期待していたんだが。

「ふふ」

 突然、不思議な音がした。向江は―なぜか、笑っていた。

「ふふふはははははははっはっはっはっはっは!クゥーッッッ!」

 向江の中で何かが壊れたのか、笑い声はどんどん大きく、笑い方はどんどん奇妙になっていった。

 呆然と立つ俺に、向江は脇腹を抱えながら言った。

「ま、真琴君、冗談は、よしてよ。僕がそんなことも知らないと、本気で思ってたのかい?」

 向江の言っていることが、俺にはよく理解できない。そのまま理解すると、向江は異空門の向こうが現実世界だと理解したうえで、侵攻作戦を提案したことになってしまう。

「ど、どういうことだよ向江。知ってるんなら、早く計画を中止して……」

「向江じゃない」

 向江は俺の言葉を、初めて聞くような強い口調で遮った。

「僕は向江じゃない。この世界の指導者、ヒュルト・シュバイトだ」

「お前、何言って……」

 狂っている。ヒトが狂っていると、生まれて初めて感じた。

「分かってないなあ!」

 目の前の誰かは叫んだ。

「いいよ。僕と同じ君には、全てを教えてあげる。」

「いや、そんなことより早く作戦を中止してく……」

 ヒュン。何かが俺の頬をかすめて通り過ぎ、窓から外へ出て行った。ツーと、かすめたところから何かが流れる感触。手をあててみると、指先が赤くなった。この独特の感触と臭い。血だ。

「聞こうよ。僕が、全部教えてあげるって言ってるんだからさ」

 そう言う向江の手のひらは、俺に向けられていた。今のは、向江の攻撃だったのか。何も見えなかった。外れた―いや、外してくれたからいいものの、あれが当たっていたら…?

間違いなく、死んでいただろう。それに、攻撃が来ると分かっていたとしても、俺には防げなかったはずだ。俺と帝の神力には、差がありすぎる。それはこの間の手合せで実感した。

 認めよう。今この場をコントロールしているのは向江だ。俺には向江に抗う術がない。今は黙って、向江の話を聞くしかない。

 ルーセル。少し、時間がかかりそうだ。だから頼んだよ。

 俺は、お前を信じてる。

 

 

 ルーセルは、一人異空門へと飛びながら、考えていた。

 アールス。あなたを、信じてるからね。あなたが来るまで、絶対に、異空門はくぐらせないから。だから。

 あなたも、私を信じてね。

 そろそろ、ノル村の辺りまでは来たかしらね。高度を、少し下げよっと。

 

 

「さて……じゃあ、まずは君の一番聞きたそうなことから話すよ。立っているのもなんだから、座れば?」

 向江にそう促されたが、俺は首を横に振った。座って、のんびりと話を聞くような気分ではない。

 向江は俺の返事を大体予想していたのか、二、三回小さくうなずいて「そう」と言っただけだった。向江は机に置いていたカップを手に取り一口飲んでから、少し間を開けて言った。

「君ももう気づいてるかもしれないけど、言っておくよ。今回の、異空門が開いてからこれまでの事件は、全て、僕の自作自演だ」

 いきなりの衝撃発言。ただ、ここまで来ると俺ももう驚けない。ここ何週間かで強い衝撃を受けすぎて、ついに神経がマヒしてしまったのかもしれない。

「……なんで、そんなことをした?あと、全てってのは、どこからだ?まさか、異空門まで自分で開けたわけじゃないだろ?」

 向江の目に少しだけ優しさが戻った気がした。

「そんなせかさないでよ。物事には、順番ていうものがあるんだよ」

 そんなことはお前に言われないでも分かってる。そう言おうとしたが、やめておいた。無駄に向江を刺激する必要はない。

「ただまあ、二つ目の質問には答えてあげるよ。異空門も、僕が開けたんだ。」

「……どうやって?」

 一瞬の沈黙。それを破ったのは、向江の深い嘆息だった。

「それを話そうとしたら、それこそ僕がこの世界に生まれた時のことも交えて話さないといけないんだけど……いいのかい?急がなくて」

「どうせ俺が何と言ったって話すんだろ?」

「はは。まあ、そうなんだけどね」

 向江はそう言って笑い、語りだした。

「真琴君、君はもちろん、「始まりの神話」は知ってるよね」

 いきなり何を言いだすんだ?

「ああ。遥か昔、何もなかったところに神々がやってきてこの世界を創って、しばらく見守った後に人に神素を授け、どこかへ消えて行ったっていう話だろ」

「それであってるよ。ちなみに、神はどうやってこの世界を創ったんだっけ?」

「それは…それぞれが司る神素を使って、だろ」

「じゃあ、神話の中に神々は何体でてきた?」

 いよいよ質問の意味が分からない。異空門を開ける方法と、何がどう関係するというのか。

「火の神アーラ、水の女神アンカーナ、地の神ガテン、空気の神フイリナの四体だろ」

 向江は俺が言い終わった瞬間、「はあ」と大袈裟にため息をついた。

「やっぱりか。一体忘れてるよ真琴君」

 ん……?あと一体……?まさか。

「お前が言ってるのは、あの「謎の神」の事か……?」

 謎の神。この世界の創造には関わったとされているが、何の神素を司っていたのかも、ほかの四神と同じようにこの世界から去って行ったのかどうかも分からない、全てがあやふやな神のことだ。

 向江は満足そうにうなずいた。

「そう。他の四神と違って謎が多すぎる上に、司っていた神素を人に授けていないから、忘れられてしまうのも仕方のないことだけどね。……さて真琴君」

 向江はここで、かなり真剣な表情になった。

「この世界を構成している神素は、創世の五神が司っていた五種類だ。そして、人々が使える神素は、そこから謎の神の神素を引いた四種類だ。ここまではいいよね?」

「ああ」

 なんでだろう。いつの間にか向江の話に引き込まれている俺がいる。

「よし。…じゃあ聞くけど、五種類と四種類の、最大の差は何だと思う?」

 差…?そんなものがあるのか?俺にはまったくわからない。

 俺が素直にそう答えると、向江は「まあ、仕方ないね」と言ってから、再度語りだした。

「四種類だとできないことが、五種類だとできるようになるんだよ。ここまで言ってあげたんだから、君には分かってほしいな。」

 四種類だと―つまり普通の人だとできないことが、できるようになる?いったい、何が?

「いや……さっぱりだ」

「そうかい。……まあいいや。教えてあげるよ。五種類と四種類の、最大の差はね…世界創造ができるかどうか、なんだよ」

 は?世界創造?世界を、創造する?そんなもの、神の所業だろ?それが、人にできるようになる?

 向江はさらに続ける。

「考えてみてよ。さっきも言ったけど、この世界のすべては五種類の神素で構成されている。だったら、五種類すべての神素をすごく高いレベルで扱えれば、この世界の全てを生み出せるってことにならない?」

 ……うーん、聞く限り、一応、理屈は通っているように思える。しかし、それはどこまで行っても机上の空論であり、夢物語でしかない。なぜなら。

「だけど向江、実際俺たちが使える神素は四種類だ。それに、そんな高いレベルまで操れるようになるのは、一人につき一種類だけなんだぞ。そんなことを考えて、何になる?」

 そう。現実として、俺達には四種類の神素しか与えられていない。どこまで神素の道を極めたとしても、しょせん人は人。神にはなれないということだ。

 しかし、向江はここで、なぜか微笑んだ。

「何かになるんだよ、それが。……真琴君、あそこを見て」

 そう言って向江が指さしたのは、何があるわけでもない、ただの空間だった。

 俺が「なんだよ」と言おうとした、その時だった。

 何もなかったはずの場所に、コーヒーカップが突然出現した。それも一個ではない。二個、三個と次々に現れては、床に落ちて、そのほとんどが無残に割れていく。

「話の流れを考えれば、もうわかるでしょ?」

 あっけにとられる俺の背後から、向江の声が聞こえてくる。

「今君が見ているコーヒーカップは、幻想なんかじゃない。僕が作り出したものなんだよ」

 お前……まさか!

「君言ったよね。「俺たちが使える神素は四種類だ」って。それ、訂正してほしいな。僕がここに至るまで、どれほどの鍛錬を積んできたか知りもしないでそう決めつけられるのは、とても腹が立つからね。」

 向江が話している間にも、コーヒーカップは際限なく現れ、際限なく割れ続けている。

「僕は謎の神の神素を含め、五種類の神素全てを使える。そして、謎の神の正体にも、だいたい見当はついている。…さあ、改めてゆっくり話そうか、真琴君?」

 

 

 星明りの中、ルーセルが異空門の全容を確認できるところまで来たとき、ルーセルの予想に反して、先遣隊は異空門に到着していた。ざっと二百名くらいが、異空門の周りの開けた部分に集まっている。

 やばいやばいやばい!

 ルーセルは心の中で叫びながら、異空門へと急降下する。

 しかし先遣隊の面々はルーセルには気づかず、いよいよ門に向けて隊列をなし始めた。大勢いる割には、なかなかの速度である。

 このままじゃ間に合わない。なんでこんな早いのよ。ルーセルは心でぼやきながら、大きく息を吸い込む。

 そして叫ぶ。

「先遣隊のみなさん、まってくださーい!」

 

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