二つの一人   作:森山 大太

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 窓ガラス越しに差し込む日の光が、起きたばかりで朦朧としていた俺の意識を強引に呼び覚ます。それと同時に、昨夜「換気のために」と開けてからそのままになっていた窓から冬の朝の風が入ってきて、体が少し震える。この世界―夢の世界の朝は寒い。現実の世界ではよくテレビで「最近の冬は温暖化であったかくなりましたね」などと言っているが、この世界にはそんなものは存在しないし、いくら俺が育った場所がこの世界の北の端だからと言って、感覚的に人生の半分しかこちらで生きてない俺にとっては、なかなかこの寒さになれるのは難しい。どうしても布団から出るのが億劫になってしまう。よし、せめて隣の住人が起こしに来るまでは寝ていよう。そう心に決め、三枚重ねの布団をかけなおした、その時。

 「ア―ルス?起きてるなら返事して?十数えて返事がなかったら強引に入るからね?いくよ?いーち、にーい……」

 まるでタイミングを計ったかのように聞こえてくる隣の住人の声。どうやら俺の主神である火の神アーラは俺にさっさと起きろと言っているようだ。ベッドのぬくもりが名残惜しいが、扉の前で待っているだろう隣人に「今行くから少し待ってて」と返事をして、急いでベッドからでて着替える。途中風が不意にはいってきて体にこたえるが、そこは我慢。朝食は隣人と一緒に外で食べることになっているので、食べる必要はなく、そのまま玄関に向かう。それにしても俺が本当に寝ていたらどうするつもりだったのだろうか。まさかマジでドアに向かって全力で攻撃するなんてことはない……とは、残念ながら言い切れない。この世界で十八年間、体感的には九年間(夢での二年は、現実での一年に等しい)、なんだかんだいっていつも一緒にいた俺には安易に想像できてしまうのだ。隣人が玄関をけ破り、意気揚々と部屋に入ってくる姿が。

その辺の危なっかしさは、どこか明を思い出させるものがある隣人―ルーセル・ヒュレットは、俺が玄関を開けた時、やはり扉の前で、不機嫌そうに腕を組んで立っていた。なぜ朝から不機嫌なのかは俺にもわからないが……それより、驚くべきはルーセルの服装である。おそらく零度を下回っているだろう状況で、シャツにスカート、それにパーカーのようなものを羽織っているだけなのだ。おまけにそれで寒がる素振りひとつ見せない。俺なんて下二枚、上に至っては四枚きているのに。同じ場所で生まれ育ったなんてまるで考えられない。

 「おはよう、ルーセル。今朝は一段と寒いね」

 とりあえずあたりさわりのない挨拶をすると、ルーセルはその可愛らしい顔をしかめた。

 「おはよう、じゃないわよ。早起きして街で年明けのお祝いを買って、できるだけ早くノル村にいこうって昨日いったでしょ?それなのに起きてこないなんて……どういうつもり?まさか、行きたくないなんて言わないでしょうね?」

 「うん。正直、帰りたくない。寒いもん、あそこ」

 「はぁ?あんたそれ本気で言ってる?せっかく故郷に帰れるんだから、寒さくらい我慢しなさい!それとも何?今ここでぶっ飛ばされたいの?ああ、もし気絶してもかついでつれていってあげるから、その辺は大丈夫よ?」

 カケラも大丈夫じゃねぇよ!と心の中で突っ込んでから、俺は答える。

 「わかったわかった、それだけは勘弁……にしても、よくお前はその恰好で平気でいられるよな。マジで寒くないの?」

 「何言ってるのよ。ノル村なんて一年中こうだったじゃない。むしろあなたがさむがりすぎなのよ。…ああ、そういえばあなた、家に来たころからずっとこうだったわね。覚えてる?あなたが真冬に寒い寒い言って、家じゅうの布団をかぶって寝て、そのまま起きてこなかったから、寝ながら窒息死したんじゃないかって騒ぎになった時のこと。あの時は本気で心配したんだからね?」

 ああ…確かにそんなこともあったなあ……今となってはいい思い出だ。しかし、俺の正体は科学文明のぬるま湯にひたった、一介の男子高校生なのだ。氷点下十度で、掛布団一枚で寝るなんて修行僧じみたまねはできない。それは分かってほしい……が、いまルーセルに「仕方ないだろ。俺は本来もっとあたたかくて便利な“ニホン”って場所に住んでんだよ」なんて言ってもまずまちがいなく頭にクエスチョンマークを浮かべられるだけだろうから、説明するだけ無駄というものだ。 

「ああ、覚えてる覚えてる。おもにお前の泣き顔を、な。あの時の顔の崩れっぷりと言ったらもう……」

 「なっ……あれは忘れてってなんどもいったでしょ!!!」

 顔を真っ赤に染めて言うなり、殴りかかってくる。ルーセルは俺に泣き顔を見せたのが大変恥ずかしいらしく、それがトラウマになっている。俺はことあるごとにそれをネタにいじって楽しんでいるのだが…いまのは完全にルーセルの自爆である。まったく、自分で思い出させておいて何を言っているんだか。

 徐々にエスカレートしてきたルーセルの攻撃をいなしつつ、俺は家族にむけてのお祝いについて考える。どんなにぐだぐだいったところで、俺に「ノル村に帰らない」という選択肢はない。俺自身たまには故郷で両親の顔を見ながらゆっくりしたいという気持ちもあるし、息子はどこにいても、一年に一度は親に顔を見せるべきだと俺は思うからだ。……そういえば昨日南の海で取れたっていう高級魚の特売をやるって言ってたな…よし、それにしよう。海産物なんて食べたことないだろうから、きっと喜んでくれるだろう。

 ルーセルは俺への攻撃をあきらめたらしく、少し乱れた息を整えながら、言った。 

 「と、とにかく、さっさと朝ごはん済ませるわよ!誰かさんのせいで時間食っちゃったから、いそがないと!」 

 しれっと言われた嫌味はこの際無視することにする。 

「ちょっと待ってくれ、ルーセル。二つ話がある」

「何よ」

走り出そうとしていたのをやめて、さっと振り向くルーセル。声音が「早くしなさい!」と言っているようだ。

「一つは年明けのお祝いのこと。いまふとおもいついたんだが……南海産の魚なんてどうだ?ちょうど、今日特売だって言ってたし」

「ああ、魚ね…いいわね、それにしましょ。……で?あと一つの話って?」

せかすルーセル。

「提案があるんだが…ちょっと俺が思っていたより遥かに寒いからさ…」

 「もうこれ以上いろいろ言わない!本気で怒るよ!」

 「話を最後まで聞けよ。最近忙しくてやってなかったし、何より体を一回あたためたいし……」 

 笑いながら一回そこで言葉を切ると、ルーセルは首をかしげてから、すぐに俺の真意を悟ったようで、笑ってうなずいた。

 「いいわよ。そのかわり、一回だけだからね」

 「オーケー。一回で十分だ。」

 走って階段を下り、軍で俺が率いている部隊にあてがわれている寮の庭に下りる。思った通り、朝早いせいで周りに人の姿は見当たらない。日の光を反射して光る寮の壁が、直視できないほどにまぶしい。

 「時間もないし、さっさと終わらせようか」 

 そう言うと、ルーセルは憮然とした表情で答える。

 「それはこっちのセリフよ……今回こそは勝つからね」

 「おう…やれるもんならやってみろ!!」

そういって俺は、開始の合図になる一枚のコインを、ポケットから出して上にはじく。

たがいに右手を水平につきだし、二十メートルの距離で向き合う。手のひらに意識を集中させながら、宙を舞うコインを凝視する。

 コインが、落ちた。

 瞬間。

 「「はっ!!」」

 短い気合いとともに、俺の手からは炎が、ルーセルの手からは水が吹き出し、二人の真ん中―いや、若干俺よりか―で、激しい音を立ててぶつかり合う。庭の木に止まっていた鳥たちが驚いて飛び立つ。正直、ここまで音が出るとは思っていなかった。確かにこれをやるのは一か月ぶりだが…俺とルーセルの成長速度が想像以上に早かったということだろうか。寮をみると、おそらく今の音で起きたのであろう何人かが「なんだよ……」と文句を言いたそうな目で俺たちを見ている。わるいことをしたな……後で謝らないと。

 手が押し込まれる感覚が、俺の意識をルーセルとの勝負に引き戻す。初めは十メートル先にあった炎と水の境界線が五メートルの距離にまで近づいている。ルーセルの表情は「集中しなさい!」といわんばかりだ。勝ちたいなら俺が呆けている間に押し切ることもできただろうに……まったく、律儀な奴だ。思わず、笑みがこぼれる。

 心の中でルーセルに一言わびてから、「よしっ」と気合を入れなおす。ルーセルの思いに答えるためにも、ここは全力を出そうじゃないか。後悔しても、しらないぞ。

 そう思い俺は、再び手に意識を集中させる。 

 俺たちが操り、ぶつけあっているのは「神素(じんそ)」。

 古代―神がまだ地上にいた時代の「名残」であり、科学のないこの世界の「全て」だ。

 

 

神素について説明しようと思ったら、遥か昔―それこそ、この世界の誕生における神話にまでさかのぼらなくてはならない。ここから先は俺もしっかりと覚えているわけではないので少しあいまいになるかもしれないが、そこは勘弁してほしい。

遥かな昔、何もなかったところに、五体の神がやってきた。炎、水、大地、空気をつかさどる神がいたとされる。残りの一体は何をつかさどっているのか、そもそも何のためにいたのかさえ分かっていないらしい。ただ、存在していたことだけは確かだそうだ。 

その五体の神は協力してこの世界を創った。そしてそれぞれが気に入った場所に居を構え、長らく世界を見守っていた。やがてヒトを初めとする生物が生まれ、発展するのをみて満足した神々はどこかへ旅立った。―というのが、この世界の「始まりの神話」の大まかな流れである。ちなみに、世界の東西南北の端にある、鉱山資源が豊富な東の大山脈、西の果ての雲海、南の果てのない海、数千年前から休火山になったと言われる北の大火山は神が住んでいた場所とされ、何千年前に建てられた神殿が、今なお立っているらしい(アーラの神殿だけはいろいろあって場所を移されているが)。残りの一体の住処は、これまた分かっていない。その神の神殿は、ここ帝都セルリートにある。俺は二、三回しか行ったことはないが、なかなか壮大で優美な建物だ。いくらこの世界には地震などといった災害がないとは言っても、どうしても老朽化は起きてしまうのに……よく何千年も前にあんなものを建てて、今に残しているなと思う。古代人の努力とその成果に精一杯の拍手を……

おっと、話がそれた。神素についてだが、もともとは神々がこの世界を創るのに使ったものとされる。それが事実だとすると、この世界は五体の神がそれぞれ操っていた神素―炎素、水素(H2のことではない)、地素、風素、そしてこれまた分かっていないあと一つ―だけで出来ていることになり、俺にはそれが到底信じられないのだが……まあ、そういうことらしい。

そして世界を創り終わった後、神々は空気中に漂っていた余りの神素を、地上で唯一使いこなせそうだったヒトに使わせることにした。初めはそれぞれの住処の近くに住んでいた者に神自ら使い方を教え、その人からより世界の内側の人に、さらにより内側の人に……という風にして瞬く間にそれは広がっていった。しかしこの時も残り一つの神素は教えられなかったらしい。今でも一体の神だけが謎に包まれているのは、このためだ。

さらに地域ごとの交流によって人々は二つ目、三つ目の神素も使えるようになり、それらを使っていろいろな場所を開拓し、いろいろなものを発明していった。やがて莫大な量の神素を、同時に正確に使えるとびぬけた神素使いが現れ、その人をトップとした組織が出来上がった。その組織は徐々に拡大し、やがて世界全土を治めるようになった。そのトップは自ら「帝(みかど)」を名乗り、神々に感謝しながら政治を行った。その男の死後、帝は世襲制となった。代々の帝が立派だったのと民衆にはまったく「争い」やら「権力」というものに興味がなかったこともあり、世襲制は長く続いた。そしてこの世界における唯一の戦乱の時代を経て、政府は神素の扱いにたけた者を集め、適性を示す一神素のスペシャリストにすることで、神素を兵器として使える人材を育成するために「軍」を組織した。しかしその甲斐空しく、結局その後は何も事件は起こらず時は流れ、今に至る。―というのが、歴代の帝の記した「歴史書」から読み取れる、ヒトと神素の歴史だ。

つまり神素は、ヒトの発展の歴史そのものであり、本当に―本当の意味で世界の「全て」なのだ。 

今では神素は五歳から十二歳まで通う村校の必須科目となり、政府はその役割をわずかなものにしているが、特に役目もない軍の規模は発足当初のままという、日本国民の俺からしたら不思議な現象が起きている。

 俺はその軍の中で、炎素の達人として、また異例の速さで昇進していく期待の若手として、一部隊を任されている。ただ俺としては、年功序列が基本のこの世界で、たかが十八歳がなぜこんなに早く昇進していくのかがよくわからない。確かに俺は強い。それは認める。炎素を扱う人の中では五本の指に入っているという自信もある。しかし、俺より年上の人、統率力のある人だっていっぱいいる。それなのに、なぜ俺なのか?疑問は尽きない。……まあ何を言ったところで、与えられた場所で精一杯やることぐらいしか、俺にできることはないのだけれど。

 俺と一緒に軍に入ったルーセルはというと、平均より少し上くらいのレベルの水素使いで、俺の部隊で副官を務めている。。これは実力に関係なく(決してルーセルが弱いと言っているわけではない。十八歳で平均以上というのは相当なものだ)、副官は部隊長が選べるという形骸化していた権限を俺が使ったためだ。経験をつんだ先輩を選ぶという手もあったが俺はルーセルを選んだ。やりやすいというのもあるし、何よりルーセルのことを信頼しているからだ。正直かなりの苦情を覚悟していたのだが、その類のものは一切なかった。やはり今もこの世界のヒトは「権力」というものに興味はないらしい。ルーセルはこのことにいたく感激したらしく―涙目で礼を言われた後帝都で一番のスイーツをおごってくれた。現実なら賄賂と解釈されてもおかしくない―、精力的に務めてくれている。働きぶりを見るに、おそらく俺よりリーダー向きだろう。ただそうはいっても実力は俺の方が今も昔も変わらず上で、今日のような神素のぶつけ合いでは俺の通算百四十九勝負けなし。今日は結構危ない試合だったが、結局勝って百五十連勝。しかし俺の目標はあくまで生涯負けなし。ここで慢心してはいけない。

 そう自分に言い聞かせ、俺は地面に膝をついてうなだれているルーセルに手を差し伸べる。こういう訓練における神素の打ち合いでは、お互いの神素のぶつかり合っている位置がどちらかに近くなり過ぎないうちに押している方がやめるというルールがあるので、怪我の心配は一切ない。力量差がありすぎる人物が相手の場合、一方的にやられて直撃ということも考えられなくもないが、そもそもそういう相手には普通訓練の相手は頼まない。ゆえに、俺とルーセルはもう何百試合とやっているのだ。

 「お疲れ。なかなかいい勝負だったな。おかげで体もあったまったよ。……ちなみにこれ

 で俺の百五十連勝だぜ?ああ、一度くらいは負けてみたいもんだなぁ」

 「くぅ~っ、悔しい!ああ、あの時全力で押し切っとけばよかったかな…まあ、いいわ。やっぱり本気のアールスに勝たないと意味ないし。今度こそ、私が勝つからね。今ここで宣言しとくわ」

 「お前のその宣言は聞き飽きたよ…まあ、せいぜい頑張ることだな。いつでも相手はしてやるから」

 「なによ、その言い方!なんかむかつく!」

 そういうとルーセルは俺の手を握ろうとしていたのをやめ、ぴょんと飛び上がって立ち上がった。…こういう時、どうしてもスカートのすそに目が行ってしまうのは、男の性だろうか。この世界にはいない明に対して、若干の罪悪感が湧く。

 自分で自分に溜息をつくと、ふと足元の芝が黒いことに気付く。どうやら木の陰に入ったようだ。日が当たらず、少し体が冷える。……あれ?ちょっと待てよ。この場所が木の陰に入ったということは……もうずいぶん日が動いた……つまり……結構時間がたった……ということにならないか……?

 さっと空を見上げると、やはり日はかなり高い位置にまで上がっていた。これはまずい。ひさしぶりのルーセルとの試合でうっかりしていた。ノル村到着が遅れてしまうのもそうだが、なにより南海産の魚は美味で有名で、特売となるとすぐに売り切れてしまう代物なのだ。日の高さとあの店の開店時間から判断するに、全力ダッシュで間に合うかどうかといったところだろう。こうしちゃいられない。

 ルーセルは突然焦りだした俺をよくわからないという目で見ていたが、俺の意識が日に向かっているのだと気付いた瞬間、すべてを悟ったようだ。みるみる内に顔が青くなっていく。…二人ともあほ過ぎる。もはや笑いしか出てこない。

 「ルーセル。急ごうか」

 笑いながら言うと、ルーセルも笑いながら返す

 「うん。急ごうね」

 

 

 結論からいって、魚の特売には間に合った。残っていたのは二、三匹ほどで、なかなかの冷や汗ものだったが。

 あの後俺たちは急いで試合の音で叩き起こした部下たち―といってもほぼ全員年上―に謝り、ダッシュで市場へ向かった。謝っている最中に若干にやけているやつがいて、ルーセルがそれに過剰に反応していたのだが…何かあったのだろうか。

 そして市場につき、人込みをかき分け進み、魚屋の前の行列にうんざりし、朝食を食べていないが故の空腹と戦い、どうにか魚を手に入れた。我ながら、よく頑張ったと思う。

 しかし代償はあった。大きなマグロのような魚――確かタッキとかいったか――を俺が手に持った瞬間、ルーセルが突然ばたっと倒れてしまったのだ。市場中のひとが集まってきて大騒ぎになりかけたが、俺は冷静だった。というのも、前にもこういうことがあり、俺にはなぜルーセルが倒れたのかがだいたい分かっていたからだ。こいつは今朝朝食を食べていません。おそらく、そのせいでしょう。大事には至りません。集まってきた人たちにそう説明すると、みな笑いながら散って行った。なかには食べ物を差し出してくれた人もいたが、俺は丁重に断った。こんなくだらないことで、御厄介になるつもりはない。

 そして今、俺は一人で重い魚を持ち、それより重い(当然だが)女の子をおぶって自宅に向かている。全く、倒れるくらいまで我慢しなくても、俺がいたんだから、俺にまかせて何か食べに行けばよかったのに。どうせ「迷惑をかけたくない」とでも思っていたんだろうが……こっちの方がよっぽど迷惑だよ、ちくしょう。

 そんなことを考えていると、ふいにノル村での、ルーセルとのことが思い出される。初めてのあの恥ずかしい出会い、それからの家族四人での生活、村校への入学とそこでの楽しかった日々、卒業の日、軍に二人同時に入れると知った時のあの満面の笑み…すべてがいい思い出だ。もちろん軍に入ってからもいろいろと思い出はあるが、思い出した時に俺のなかで一番光り輝くのは、おそらくノル村での日常だろう。そしてそれはルーセルも一緒のはずだ。いくらノル村が、常識の範囲外で寒いといっても。

 俺がルーセルのことをなんだかんだで嫌いにならないのは、いや、むしろ好ましく思っているのはそのためだろう。俺がこの世界に生まれ落ちてからほぼすべての時間と思い出を共有し、お互いには絶対に負けたくないという気持ちを持っている。それをお互い知っているからこそ、一瞬きらいになったとしても、またすぐによりを戻すことになるのだ。お互いのことが忘れられずに。

 ルーセル。好きだよ。でも、万年二番手だけどな。

 ……なんて、本人の目の前で言える俺ではない。言えたら、苦労はしない。せいぜいできて、想うことぐらいだ。

 「うぅん……」 

 耳元で突然、ルーセルの声(?)が聞こえた。一瞬思考を読まれたのかと思って冷や汗をかくが、そんなはずもなく。ルーセルはいまだに意識を失ったままだ。おそらく、何か食べさせるまでは起きないだろう。意識を前方に戻すと、もうあと五十メートルほどで寮につくというところまできていた。いろいろと考えていたせいで、距離感覚が少しくるったようだ。 

 残りを思考をやめたせいでかなり重く感じるようになった荷物と戦いながら歩き切り、どうにかして三階の俺の部屋の前につくと、意識が飛びそうになる。そういえば俺も何も食っていないんだったと、今更ながら実感する。日は空の一番高いところまで登っている。いつもなら昼を食べててもおかしくない時間だ。そりゃ腹も減るわけさ……しかし、ここまできて俺が倒れるわけにはいかない!あとは玄関を開けて、二、三歩歩くだけだ……頑張れ、アールス・ヒュレット……! 

 自分の心を激励叱咤し、どうにか台所に立つ。神素の一つ、水素にかなり精通した者しか作れないとされる、永久に溶けない氷―ルーセルはこの間作れるようになったばかりだ―を使った、一種の冷蔵庫のようなものから食材を取り出し、自分のご飯を簡単に作り食べてから、ベッドに寝かせておいたルーセルに何を食べさせようか考える。ルーセルはがっつり食べたい気分だろうが、そこまでの食材はないし、体に悪いだろう。ここは一つ、おかゆでも作ってみるか。

 冷蔵庫もどきから米などの必要な食材を出し、鍋にかける。こういう時この冷蔵庫もどきは非常に便利だ。一般市民ではなかなか手に入れられない貴重な素材を自分たちで作り、好き勝手に使えるというのは軍のメリットの一つである。

 ちなみにこの世界の生態系であったり、動植物の姿かたちは非常に地球のそれに似ている。ゆえに現実で培った料理スキルも使えるし、おかゆといったまったく同じ料理もいくつかは作れたりするのだ。これもまた、非常に便利である。

 おかゆを炎素を利用したガスコンロもどきで煮ている間、ルーセルの様子を見ようと俺はベッドに腰掛ける。とりあえずゆっくりと息はしているようだ。おかゆを食べさせれば、すべて解決するだろう。

こうして寝ている分には、相当かわいいのに。一安心した俺は、ルーセルの顔をまじまじと見ながらそう思う。肩までかかる、北部特有の真っ黒な髪に、若干幼さの残る、細く整った顔立ち。普段明で美人の顔は飽きている俺の目すら、とらえて離さない魅力がある。

ついつい、見入ってしまう。

 突然、ルーセルが目を開けた。無論、ルーセルの顔を覗き込んでみていた俺と目が合う。しばしの気まずい沈黙。お互い目を離したいのに、なぜか離せない。体すら動かせない。ルーセルの顔がどんどん赤くなっていく。俺の顔も赤くなっているだろうことは、鏡を見ずとも分かる。それと同時に、明への背徳感が募っていく。

 ここで「ぴゅーっ」という鍋の音がならなかったらどうなっていただろうか。俺はタイミングよくなった鍋のもとへ向かう。背後でルーセルが深呼吸する音が聞こえる。

鍋の中身を確認すると、ほどよくにえていた。手袋をはめ、鍋をスプーンとともにベッドへと持っていく。 

「……ほら、食べな。熱いから、気をつけろよ」

つい先ほどのことを思い出し、目を少しそむけながら言うと、ルーセルも目をそむけながら小声で「ありがと」と言った。

二度目の沈黙。こんどそれを破ったのは、ルーセルだった。鍋のふたを開けながら、「ねえ、アールス……」と、かろうじて聞き取れるかどうかの大きさの声で、俺を呼んだのだ。

「どうした?…まさか、どこか具合が悪いのか……?」

「そうじゃなくて……あ、あの、さっきのは、な、無かったことにしようって話よ……」

そうだな…それには俺も大賛成だ。自分のなかで無かったことにしないと、いつ現実の明の前でぼろが出るかわからない。それだけは絶対に避けなければいけないし、いつまでもルーセルとぎぐしゃくしたままだと、やりづらいことこの上ない。

「ああ、そうだな。うん。俺たちは、今ここでなにもしなかったし、何も感じなかった。そうだろ、ルーセル?」 

「ええそうね。私たちは今ここで何もしてないし、なにもかんじてないわ。そうよ、そうそう!」

「そうだな、はははは!」

言いながら笑い出したルーセルにつられて、俺も思わず笑う。はたから見たら急におかしくなった二人組にみえるだろうが、それがどうしたというのだ。物事を忘れるのには、笑うのが一番というじゃないか。

「ところでアールス、おかわり、ほしいんだけど」

いつもの調子にもどって、突拍子もなくルーセルが言った。

「は?え、いつの間に食べたの?けっこうたくさん入れたつもりだったんだけど」

「話しながらでも、このくらいの速度でならおかゆくらい食べられるわよ。私の特技、忘れたわけじゃないでしょ?」

そうだった。こいつの特技は早食いだった。でもなルーセル。一つ言わせてもらうと、それを誇らしげに言うのは、女の子としてどうかと思うぞ。

そう心の中でつぶやき(口に出すのはやめておく)、無言で鍋を受け取り、台所へ向かう。 

冷蔵庫もどきからさっきと同じ食材をとりだし、ガスコンロもどきに鍋をかける。ついでにこのまま俺も昼食にしてしまおうと思い、同じものをもうワンセット作る。

しばらくして鍋が煮上がり、ルーセルのもとに持っていくと、ルーセルはいつもの調子を完璧に取り戻したようで、ベッドの奥の方に腰掛け、雑誌を読みながら俺を待っていた。俺が隣にすわると、ルーセルは申し訳なさそうに一言言った。

「遅くなっちゃったけど、ありがとね。私がここにいるってことは、どうにかして連れてきてくれたってことでしょ?急に倒れちゃったりして、ほんっとにごめんなさい」

「気にしない気にしない。そのかわり、俺が倒れたときはよろしく頼むよ」

「ええ、もちろん。…と言いたいところだけど、あなたを持ち上げる自信が、私にはないの。そういうわけで、それは無理ね」

「何を言う!俺はそこまでおもくはないぞ!」

「そう?最近太ったように私には見えるんだけど。食べすぎなんじゃないの?」

それはお前だけには言われたくない!

「朝抜いただけで倒れるほど俺は食べ物に固執してないんだよ!たべすぎはそっちだろ!」

「なっ……そもそもあなたが寝坊したあげく、あんな提案をしたからこんなことになったんじゃない!」

「謝っといて結局俺のせいかよ!」

「そうよ!あんな謝罪撤回よ撤回!!」

身を乗り出して言うルーセル。気づくとルーセルの顔がまさしく目と鼻の先にある。ルーセルはお互いの顔がかなり近づいていることに気付いていないようだ。俺の脳裏に、さっきみた真っ赤なルーセルの顔がフラッシュバック。言い争いのことなんて頭からふっとび、思わず顔をそむけてしまう。

するとルーセルは、さらに身を乗り出して俺をにらんでくる。息が耳にあたり、かなりくすぐったい。このままでは気まずさとくすぐったさで死んでしまいそうなので、俺は覚悟を決めて口を開く。

「ルーセル。近いよ……」

ルーセルをどけるには、その一言で十分だった。ルーセルはさっと身を引き、ふらっと倒れるようにベッドに腰を下ろした。おそらく、俺と同じようにさっきのことを思い出したんだろう。俺もつられて、深いため息とともにベッドにルーセルとの距離をおいて座る。せっかく忘れかけていたというのに…もったいないことをした。

今日三度目の沈黙が、俺の家を支配する。声をかけようにも、なんと言えばいいのか。黙って考える。

しばらくして―この沈黙を破ったのは俺の言葉でも、ルーセルの言葉でも、もちろん鍋の沸騰する音でもなく、「失礼します、隊長。」と言って部屋の中に入ってきた、この部隊最年少の部下だった。

「おう。何かあったか?」

これ幸いと玄関で待っている部下のもとに向かう。基本的に軍の寮は部隊ごとに分けられているが、隊長室というものがないので有事の際は部屋を直接訪ねることになる。そしてその役割はその隊で一番若いものが務めるのが常だ。その目的はあくまで「新入隊員に早くなじんでもらうには隊長と会わせるのが一番!」というものであって決して「雑務の擦り付け」ではない。この世界の人々はみな真面目なのだ。

「いえ。封筒が届いているので届けに参りました」

そういって部下は封筒を手渡す。だが、正直俺にはまったく心あたりがない。郵便制度が発達しているのは帝都近辺だけなので両親からということはありえないし、帝都に住んでいて,手紙を送ってくるような知り合いはひとりいるにはいるが、今は忙しくそれどころではないはずだ。……いったい送り主はだれだろうか。

「ありがとう。確かに受け取ったよ」

とりあえずそう言うと、部下は「それでは」と言って帰って行った。どうやら奥の寝室にいるルーセルには気づかれずに済んだようだ。俺のベッドに腰掛けているところを見られたらなんていわれるかわかったものではない。

ルーセルを放っておくわけにもいかないので寝室に戻る。まだルーセルの頬は少しあかみを帯びている。正直、なんて言ったらいいのか全くわからない。このまま放置して、ルーセルから何か切り出すのを待てたらどれだけ楽だろうか。しかし、ここで自分から切り出してこそのアールス・ヒュレットではないだろうか。俺の心の中でそういう二つの感情が激しくぶつかり合う。

ルーセルはそんな俺の心の葛藤を知ってか知らずか、無言を保ち続けている。いつものルーセルからは考えられない姿だ。……ええい、こうなったら玉砕覚悟、こっちから話をふてみよう。

「ルーセル、あのさ……」

あえなく失敗した。言葉が続かない。頭が混乱して、何と言うべきかまともに考えることもできない。これはやってしまった。

完全にフリーズした俺を見て、ルーセルは、小さくくすっと笑ったあと、いたたまれなくなったのか、それとも俺の不甲斐なさに嫌気がさしたのかはわからないが、自分から口を開いた。

「いい?アールス。朝あなたが寝坊したことも、私が市場で倒れちゃったことも、それからさっきのことも、全部相殺し合って、みんなチャラ。それでいいでしょ?」

非常に―非常にありがたい申し出だ。

「ああ……ああ。そうしよう。これでもう、後腐れなしだな」

「ええ、もちろん。ところで、今からノル村に向かっても、今日中には着けるわよね?」

窓から確認すると、もう日は真上からかなり西に傾いていた。ただ、急いでも間に合わないというほどでもない。

「まあ、急げばな」

さっきもらった封筒を開きながら俺は答える。中に入っていたのは一枚の厚紙だ。内容は…ふむふむ…

「それなら早く出発しましょ。さっさと準備して。」

「いや、ちょっと待て」

言いながら自分の部屋に戻ろうとするルーセルを押しとどめる。俺は手紙の内容をもう一度しっかり確認してから、待たされていらついているであろうルーセルに渡し読むように促す。

「もう、手紙がどうしたっていうのよ…って、え?うそでしょ?」

目をこしって再度内容を確認するルーセル。おいおい、日にすかしたからってなにもうかんでくるわけないだろ

「読んだな。じゃあ、俺はいってくるよ。……結局、明日になっちゃったな。ノル村」

「まあ、こればっかりは仕方ないわよ。それにしても……私の見てないところで、あなた一体何したの?あの方から直接手紙が来るなんて、ただごとじゃないわよ」

「別に俺は何もしてない!」

そこは全力で訂正する。しかし…確かに、一抹の不安を持たずにはいられない。なにせ、帝宮(ていきゅう)への呼び出しを食らったのだ。しかも、送り主はヒュルト・シュバイト。……現帝だ。何の理由もなく呼び出される場所ではないし、呼び出すような人ではない。そしてその理由は、俺がやらかした何かに対するお咎めとしか考えられない。

「まあ確かに追申に「年明け休暇を一日延長する」って書かれてるから、軍を脱退させられるってことはないだろうけど……それでも、少し怖いわ」

「こうなったらなるようにしかならないさ……それじゃ、行ってくるな。できる限り早く帰ってくるから、夕ご飯でも作って、待っててくれよ」

まだ不安そうなルーセルを元気づけるために、わざと明るくふるまう。事実、もう天に身を任せるしかないのだ。それなら、より明るくふるまう方がツキもついて来ようというもの……

「…うん。わかった。待ってる。…なんて私が言うと思った?何一人で行こうとしてるのよ。当然、私もついていくわ。どーせひまだし。」

…。「どーせ」ってなんだよ「どーせ」って。しかも「ひまだし」ときた。他人事だと思ってやがるな、こいつ…さっきまでの様子は一体何だったんだ……気遣って損したな…俺のわずかな不安も吹き飛んでしまった。その一方で、そんな「他人事」のような軽い感じで「ついていく」と言ってくれるルーセルは、やっぱり頼りになるなと実感する。正直、一人であの場所に向かうのは結構心細かった。

「じゃあ、行こうか、ルーセル」

「ええ…早く帰って早く寝ないと、誰かさんが寝坊しちゃうからね」

「おい!さっき「今日のことはみんなチャラ」っていったのはお前だろ!」

「別に今日だけのことじゃないし。むしろそれが日常じゃない?」

「そこまで俺はねぼすけじゃない!」

言い合いながら玄関をでて、階段を下りる。ちょうど正面にある夕日がまぶしい。街を見ると、もう買い物客のピークは過ぎたのか、だいぶ人が少ない。そして街のずっとむこうに、帝宮と「謎の神」の神殿が並んで立っているのが見える。おそらく帝は今、あの中で俺の到着を待っていることだろう。もしかしたら、「遅い」と怒っているかもしれない。本当にそうだったら、どうやって許してもらおうか。

 そこまで考えたところで、俺の脳裏に帝―ヒュルト・シュバイトの、以前軍の入隊式の時に一度だけみたあの自信に満ち溢れた笑顔が浮かぶ。

 彼は三十代前半ながら、知力、神力―神素を扱う能力のことだ―、容姿、全てにおいて歴代の帝最高と言われている。しかしだからと言って生まれつき天才だったわけではないらしい。いったいどれほどの努力を積んだのだろうか。噂によると、一度三日間不眠不休で教えを乞い、教育係を寝不足で倒れさせたことがあり、そのせいで教育係が三交代制になったとか。

 しかしいくら努力しても、今の帝の役割といえば、月の初めに世襲制の帝宮役員に命じてわずかばかりの税を集めるのと、軍の指揮を執るぐらいなので、あまり意味はない。だがこの世界のヒトは純粋に彼のことを尊敬し、信頼している。この間数千年ぶりに税を上げるといったときも、俺は「何に使うんだ?」と思い、当然みな反対するものと思っていたが、あろうことか民衆は「帝のいうことなら」と一切反対することはなかった。こんなことでいいのだろうか、と俺は思ったが、増税分がなぜか軍に流れてくると知ったので、黙っていることにした。…ずるいとは言うな。

 ただ、だからといって疑問が消えたわけではない。そもそも今の軍がしていることと言えば、指令に従って地方の要望―例えば「この大きな石をどかしてほしい」とか、「この大木を切ってほしい」とか―に答えるためにあちこち飛び回るか、帝都の演習場で訓練するかのどちらかなのだ。予算を増やす意味はまったくない。ならば給与が上がるのか!と期待していた俺だったが、一向に上がる気配がない。……一体増税分はどこに流れているのだろうか。まさかあの帝に限ってねこばばしているということはないだろうが。いや、そもそも「ねこばば」という概念自体がこの世界のものではないのか。

 ちなみにこの世界の一年は現実での半年に当たり、それで現実の年齢八歳でこの世界に生まれた俺が十八歳になっているわけだが、その分この世界の住人の寿命は長く、百五十歳を超えた人が平気で孫と遊んでいるのをよく見る。ちなみに結婚適齢期は三十~六十歳らしい。ゆえに帝の年齢を現実で換算すると、だいたい俺と同じ高校生くらいということになる。帝としては随分若いが、これには理由がある。先帝夫妻になかなか子供ができなかったためだ。帝は百歳で息子に位を譲り、自分が位についていた時のことを「歴史書」としてまとめなければいけないという決まりがあるのだが、その百歳になる直前まで子供ができず、毎日神殿に通い祈願した結果、どうにか間に合った、ということらしい。

さらにこれも余談になるが、この世界のヒトの成長の流れは少し不思議で、二十代前半までは心身ともに急激に成長し、そこからは極端に成長も老化もしなくなる。そして百歳くらいから老化が始まり、長生きのヒトでも二百歳までには死ぬ。だから帝も三十代とはいっても、見かけは二十代前半だ。

 「アールス?ちょっと、聞いてるの?」

 ルーセルの声がして横を向くと、ルーセルが俺をにらんでいる。どうやらだいぶ前から話しかけようとしていたらしく、かなりいらついている。

 「ああ、悪い。ぼうっとしてた」

 素直に謝ると、ルーセルは「はぁ」とため息をつき、あきれたように言った。

 「まったく、これから帝に会おうって人が、そんなにぼうっとしていてどうするのよ。 

 ……帝の前で何かしたら、その場で軍除名って可能性もないわけじゃないのよ。もっとしゃきっとしなさい!」

 「すいません…」

 これは悔しいが、ルーセルが全面的に正しい。帝には軍の全指揮権があるので、目の前で失態をおかし、それが帝の隠していた日々のストレスを爆発させ、その場で二人とも解雇……ということもあり得るのだ。

 「まあいいわ……ところでアールス、一つお願いがあるんだけど」

 「何?」

 「なんかさっきおいしそうな食べ物売ってた店があったの。おごってあげるから、ここでまってて」

 「ダメ。ほら行くぞ。」 

 「え~。なんでよ~お願い~」

 珍しくおねだり口調のルーセル。それにくわえて、頬をぷくっと膨らませている。はっきり言って、気持ち悪い。間違いなく逆効果だ。

 いやいや、ダメに決まっているだろ。お前こそ緊張感をもて、緊張感を!

 そう言いたいのはやまやまだったが、悲しいかな俺にそれを言う資格はないし、隠れ美食家のルーセルの目にとまったものを食べたいという気持ちもほんの少しあるので、ここは許してやることにする。

 「分かった。待っててやるからさっさと行ってこい」

 「え、ホント?ありがと!」

ルーセルは顔をぱっと輝かせると、ダッシュで行ってしまった。どんだけ食い意地はってんだよ……俺は適当な場所を見つけ、寄りかかる。あたりを見回すと、もうずいぶん暗い。気温も下がってきた。じきに炎素を利用した街灯もどきが光りだすだろう。南の空では一番星が光っている。

 「おう、こんな時間に一人でどうしたんだい?」

 声のした方を見ると、おっちゃんが一人、魚を持って立っていた。おそらくここの近くで店を開いている人で、手に持っているのは売れ残った魚だろう。家に持って帰って食べるのだろうか。

 「別に…ただ食い意地のはった迷惑な女を待ってるだけですよ」

 「はは、そうかいそうかい。でもこうして待ってるってことは、嫌いじゃねぇんだろ、その女のこと」

 「ええまあ。むしろ好きな部類に入りますね」

 「ほお…じゃぁ、あれなのか?カップルなのか?」

 「ちがいますよ。俺にはもう、ほかにいますから」

 「てことは、お前さんは二股かけているのかい?なかなかやるじゃねぇか!」

 がはは、と笑いながら言うおっちゃん。…うーむ、否定できない。明には悪いが、俺は確かにルーセルのことも好きだ。だからといって、明を捨てるなんてできない、いや、そんなこと、俺の立場で許されることではない。うーん、悩ましい。

 黙り込んでしまった俺を見て、おっちゃんはもう一度がははと笑った後、「じゃあな」といって去って行った。人騒がせな人だ。背中越しに、「若いってのはいいねぇ」という独り言になっていない独り言が聞こえてくる。

 ただ、一人になって考えれば考えるほどに、誤解されても仕方ないのかもしれないと思えてくる。 どちらかをとれと言われたらもちろん明をとるし、ゆえにルーセルに告白しようとは思わない。しかしこの世界では、俺とルーセルはいつも一緒にいる。それこそ、カップルだと思われても仕方ないくらいに。それはもう、付き合っているのと同義のことのような気もする。

 はぁ…思わず寒さで白くなったため息がでる。いくら考えたところで、俺には明との関係は結局きれないし、ルーセルとの仲を疎遠にすることもできない。だったらもうひたすらこの状態―明を第一にし、ルーセルとは一線を超えない関係―を維持することが一番じゃないだろうか。

 自分で出した決意とも逃げともとれるような結論に再度白いため息をつきつつ、だいぶ暗くなった空を見上げる。この世界の宇宙は一体どうなっているのだろうか。これは俺がこの世界に生まれ落ちて、初めて空を見たときからの疑問だ。できることなら、生きているうちにどうにか確認したいものだ。もちろん、自分の目で。

 「アールスー!」

 遠くからルーセルの声が聞こえてくる。手に二つの袋をぶら下げ、こっちに全力で走ってくるのが見える。なんだかんだで、ずいぶん待たされたな。帝も俺がこんなところで油を売ってるなんて思わないだろう。今頃待ちくたびれて寝てたり……しないよな。あの完璧な帝のことだから。

 「ごめん!思ったよりこんでて……はい、これ」

 そういってルーセルが差し出したのは、一本の肉刺し棒だった。たれたら出る香ばしい匂いが鼻をくすぐる。ルーセルが女を捨てる勢いでかぶりついているのを見て、俺も思わずかぶりつく。うん、うまい。この歯ごたえが何とも…俺がそうやって味わっている間、ルーセルはもう食べ終わったようで、口のまわりをポケットから出したハンカチで丁寧に吹いている。

 俺が食べ終わるのを待って、ルーセルは口を開く。

 「さて、急ぎましょ。…早くしないと、ほんとに軍から除名されるかもよ」

 「それだけは勘弁ねがいたいな……」

 本当に、そうならないことを願うばかりだ。今軍を解雇されたらはっきり言っていく当てはない。ノル村には、恥ずかしくてとても帰れないしなぁ……

 俺はそんなことを考えながら、ルーセルと肩を並べて歩き出す。帝宮まではあと一キロといったところだろうか。昼間の喧騒がなくなった市場をぬけ、逆に帰宅する父親たちで騒がしい住宅街へと入る。ここ帝都は簡単にいうと中心から帝宮と神殿、住宅街、市場と工房、そして軍の施設という同心円状の構造をしている。これは遥か昔に起こった戦乱のあと、万が一のためにと時の帝が整備したのをそのまま維持し続けているためだ。

 ちなみに工房というのは、つねに神素を利用した発明品の開発と、すでに市場に流通したものの製造がおこなわれている場所らしい。らしいというのは、だれも工房で何が行われているのかは正確には知らないためだ。唯一はっきりしているのは、工房で働くには一度軍に入る必要があるということと、働き出したら死ぬまで働きっぱなしということだけだ。当然、俺はそんなことをやろうとは思わない。

 辺りを見回しながら歩いていると、視界のはしに見知った顔をとらえる。よくみると、さっき突然話しかけてきて、突然去って行ったあのおっちゃんだ。なぜかあの時の魚を後ろ手に隠すようにして持っている。顔はなぜかむっつりしているが……必死でにやけるのをこらえているようにも見える。

 そのまま見続けていると、おっちゃんは勢いよく家の玄関を開けた。なかから十歳くらいの男の子と、赤ん坊を抱っこした女の人が出てくる。子供二人に奥さんと言ったところだろうか。おっちゃんは気分よさそうに魚を二人に見せつけた。すると子供は目を輝かせ、おっちゃんの腰に抱き着いた。顔には、満面の笑みが浮かんでいる。おっちゃんもいつのまにか笑顔になっている。そして奥さんはそんな二人を温かい目で見ている。赤ん坊が奥さんの腕の中で、嬉しそうにないた。…おそらく、今日があの子の誕生日かなんかで、あの魚は店の売れ残りなんかじゃなく、奮発して買った誕生日のお祝いだろう。この世界では普通にみられる家庭の一場面だが……普通ではない俺にとっては、正直言って、羨ましい。 

俺は現実で両親が共働きなため、幼少期から一人でご飯を食べるのは当たり前だった。当時は何とも思っていなかったが、夢でこの世界に来て、ヒュレット一家にお世話になってからは、それを少しさみしく感じるようになった。知ってしまったからだ。「家庭」というものを。

もちろん高校生になった今でもあんなことをしたいとはさすがに思っていない。けれど、時々思うのだ。もっと小さかったとき、ああいうことをしてもらってたら、もっと両親と触れ合う機会があったら、俺の人生もまた、違うものになっていたんじゃないのか、と。俺の十七年間がよかったか悪かったかは別として。

そういうことを踏まえても、俺はこの世界は、何度も言うようだが、本当に、素晴らしいところだと思う。現実と比べて、あるべきものが普通にあり、無い方がいいものは普通にない。戦乱なんて数千年にあったきり起っていないし、みんな笑顔で暮らし、努力した者は今の帝のように素直に尊敬される。俺が今でも現実とこの世界を等しく大事にして生きようと思っている理由は、単純に先に生まれたのが現実なのと、現実には明がいるからという、二つだけしかない。

ルーセルと現実にいるわずかな―というより一人しかいない―俺の友人には悪いが、俺が「愛して」いるのは、結局のところこの世界と現実にいる明だ。

「ちょっと、アールス、どうしたの?そんな深刻な顔して」

ルーセルが俺の前に回り込みながら尋ねてきた。声に少し心配の色が浮かんでいる。

「あっ、もしかして今さら帝宮にいくのが怖くなったとか?そんなの、笑い話にもならないわよ。ああ情けない」

「そんなんじゃねえよ。…俺はな、いろいろと考るんだよ。お前と違って」

「何それ!私だっていろいろ考えるわよ!」

一瞬でいつもの調子に戻ったルーセルに少しからかうように言うと、ルーセルは俺が本気で言っていると勘違いしたのか、今にも殴りかかろうかという勢いで怒り始めた。まったく、本気にすんなよ。知ってるよ。お前がいろいろ考えていることくらい。何年一緒にいると思ってんだ。

ただもちろんルーセルに俺の心の声が届くはずもなく、ルーセルはそのままの調子で言った。

「ああ、むかつく!こうなったら帝宮まで競走よ!よーい、ドン!!」

一人で勝手に言いだし、勝手に走っていくルーセル。帝宮までの距離は五百メートルといったところだろうか。

「おい!せこくないか、それは!」

そういいながら俺はルーセルの背中、ひいてはだいぶ大きく見えるようになった帝宮に向かって走り出す。空気がだいぶ冷え込んでいるせいで、走り出すと耳が痛い。

「悔しかったら、追いついてみなさーい」

ルーセルは振り向きながら言った。……アイツ、俺をなめてやがるな。

「すぐに追いついてやるよ!」

俺はさらにスピードを上げる。現実の俺の体では到底なしえないだろう速さに一瞬ふらつくが、どうにかこらえる。ルーセルもやばいと思ったのか前を向き全力で走り出す。

たまにはこういうのも、いいもんだな。現実だと、こんなことは絶対できないし。

俺はそんなこと考えながら、残り半分まできた帝宮への道を全力で走る。いまだルーセルには追いつかない。

星明りと街灯もどきに照らされた静かな夜の住宅街に、二人の足音だけがひびく。

 

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