「はぁ、はぁ……、俺の、勝ちだ、ルーセル……。」
「そんな……」
がっくりとうなだれるルーセル。地面に大の字になって寝ころぶ俺。二人とも息が上がっている。
俺は結局ラスト三十メートルほどでルーセルを追い抜き、懸命に追いすがるルーセルをおきざりにしてそのまま帝宮の門をくぐったのだ。フライングをしたのに勝てなかったルーセルは今にも泣きそうな顔をしている。…気合入れすぎだろ。ただの突発的なお遊びじゃないか。そういいながら俺も結構本気だったけど……
「「「…………」」」
自分たちにあてられた視線を感じてその方向を見ると、三人の帝宮役員が怪しむような目で見ている。当然だろう。日もくれてずいぶん経ってから若い男女が、なんといっても帝宮に駆け込んできたのだから。怪しまない方が変というものだ。
俺は立ち上がり、まだショックから立ち直れていないルーセルに手を差し伸べて立ち上がらせ、二人で帝宮役員のもとへと歩いていく。
「こんな時間に、どうされました?」
帝宮役員があきれたように尋ねる。暗に「用もないのに帝宮にくるな」と言われたような気がして少しむかっとするが、悪いのはこんな時間に帝宮にやってきた俺たちの方なので、特におもてには出さない。ルーセルも俺と同じことを感じたようで、少しむっとしたようだったが、すぐに普通の表情に戻る。
俺が帝からの手紙をポケットから出して渡すと、帝宮役員は怪しみながら手紙を読んでいたが、裏の差出人を見た瞬間、表情を一変させた。慌てて俺に向かって頭を下げる。俺が軍の部隊長だということも手紙の文面から察したのだろう。
「気になさらないでください。悪いのはこんな時間に訪ねたこちらですから」
俺が言うと、帝宮役員の一人が「いえいえ…それでは、案内いたします」と言った。どうやら帝のところまで連れていってくれるらしい。非常にありがたい。実は帝宮に入ったことないから、内部構造知らないんだよな、俺。正直、帝宮内で迷子という最悪のシナリオも覚悟していた。
「ほら、行くよ。アールス」
ほっと一安心していたところを、いつの間にか俺の後ろについていたルーセルにせかされ、俺は歩き出す。いよいよ人生初の帝宮入りだ。する必要はないと感じていても、ついつい緊張してしまう。さすがにルーセルも緊張しているだろう。そう思いふりむくと、残り二人がルーセルを後ろから見て、何か考え込んでいるようだった。互いに小声で言葉を交わしている。
「どうされました?」
俺が尋ねると、二人は少し悩むようなしぐさを見せた後、決心したように口を開いた。
「いえ…ただ、そのお嬢さんはいったいどのようなお方なのかと……」
むっとした顔でルーセルがふりむく。おそらく、当然自分も軍の関係者だと理解されているとでも思っていたのだろう。帝宮に呼ばれた軍の部隊長にここまでついてきてるんだから、それぐらいわかるでしょ、とでもいうつもりなのだろうか。今にも怒鳴りそうなルーセルに先んじて俺が答えようとした、その時。
「その人はアールス君の副官だよ」
と、突然背後から初めて聞く声が聞こえてきた。振り向くと、真っ白な髪に長身の男が一人、口元に笑みを浮かべながら立っていた。いったい誰だろうか。俺の名前と、ルーセルが俺の副官であると知っているんだから、少なくとも軍の関係者であることだけは確かだが…しかし、俺の軍での知り合いに、こんなやつはいない。ルーセルも見当がつかないようで、首をかしげている。
すると、それまで男をぽかんとした表情で見ていた帝宮役員三人が、突然男にむかって最上級の敬礼をした。あれはたしか、自分の所属する組織のトップに対してするものだったはず。俺の場合なら軍の執行部だし、帝宮役員の場合は帝だ。……ん?帝?
「あっ、あなたはもしや…」
思わずもれた声に、この場にいる全員の視線が集中する。ルーセルからの視線は「えっ、誰?」と尋ねてきているようだし、帝宮役員三人の視線は「気づいていなかったのか!」という、驚きと非難に満ちている。
そんな中男は帝宮役員三人に「いいんだ。彼と私は初対面のようなものだから」といってから、俺に向かって笑いながら言った。
「気づいたようだね。私が君を呼んだ張本人であり、帝のヒュルト・シュバイトだ。以後、お見知りおきを」
「いえいえこちらこそお初にお目にかかります気づかなくてまことに申し訳ございませんでした!」
いろいろなことを一息に言うルーセル。今帝は俺にむかっていったはずだ。いくら突然の登場だからと言ってもテンパりすぎだろう。帝宮役員三人の視線はルーセルにつきささるくらいにするどい。
帝はそんなルーセルをみてはははと笑った後、「君は確かルーセル君と言ったね?」とルーセルに確認した。
「はいその通りです覚えていていただきまことに光栄です!」
……。いい加減落ち着けよ。これ以上ルーセルをしゃべらせたらあることないこと全部暴露しそうなので、俺はルーセルのつま先をふんづけ黙らせる。ルーセルが涙目でにらんでくるが無視して、帝の方を向き、遅まきながらの敬礼をする。
「こちらもお初にお目にかかります。軍第百七十部隊隊長のアールス・ヒュレットです。」
「うむ。優秀な人物だと聞いているよ。こんな遅くに呼び出して、すまなかった。」
「いえいえ……こちらが遅れただけですから。詫びるべきはこちらです。申し訳ございませんでした」
俺がそういって頭を下げると、ルーセルもやっと落ち着いたようで、慌てて「すいませんでした!」と頭を下げた。
帝は二、三回うなずいて、言った。
「まあ、もう遅いことだしこんな謝りあいはここまでにして、私の部屋にいこうか。立ち話もなんだし、そこでゆっくり話そうじゃないか」
その言葉をきいて、黙って状況をみていた帝宮役員の一人が口を開いた。
「帝、それでは…」
「ああ。君たちは自室に戻ってくれ。お勤めご苦労だった」
「有難うございます、帝。それでは」
帝宮役員三人がそういって帰って行った後、帝は再度俺たちの方を向いた。
「さて、じゃあ、行こうか」
「はい」
俺は短く返事をして、すぐに隣にきたルーセルと肩を並べながら、歩き出した帝の後を追う。少し歩くと、らせん状の階段があった。
「この螺旋階段も含めて、ここと隣の神殿は何千年も昔に作られて以来、一度も改修どころか、修理すらされてないんだ。すごいとは思わないか?」
突然の帝の発言。確かにそれが事実ならかなりすごいことだ。現実に存在したら重要文化財になるのは間違いない。俺は素直に「そうですね」と答えた。
「ねえねえ、アールス…」
ルーセルが脇腹をつつきながら、小声で話しかけてきた。
「どうした?……トイレか?」
俺も小声で返す。
「そんなんじゃないわよッ……!」
さっきのお返しとばかりにつま先をおもいっきり踏まれた。地味ながら非常に痛い……
「冗談だよ冗談。……で?」
「いや…帝が思ったよりこう、友好的っていうか、話しやすいっていうか…予想とちがうから、アールスはどう感じてるのかなって。」
確かに……出会いがしらにしろさっきの問いかけにしろ、妙に友好的だ。俺の中の帝のイメージと真逆と言っていい。俺たちと仲良くなろうとでも思っているのだろうか。…まあそんなこと、まずないだろう。仲良くなる必要も、理由もない。
「確かに、俺もそうは感じたよ。思っていたより庶民的な感じもするしな」
「ええ……ま、いろいろ考えるだけ無駄かしらね」
自分で話を振っておいてそれはないだろ!と一瞬思ったが、ルーセルの言っていることも正しいには正しい。俺たちに帝の考えなんて読み取れるわけないのだから。なので適当にうなずいておくことにする。
「そうだな…ところで、この螺旋階段、無駄に長くないか?もう結構登っただろ?」
思わず愚痴がこぼれる。なんせ今日は今朝から騒ぎ続きなので、俺は結構疲れている。このタイミングでの螺旋階段はつらい。正直、帝なんて無視して早く帰って早く寝たい。明とのデートもまってることだし。
ルーセルもそれは感じたのか、溜息をつきながらめずらしく俺の愚痴に乗ってきた。
「まったくもってその通り。ここに螺旋階段をつけた古代人の感覚が信じられないわ」
「アールス君、ルーセル君」
突然帝に声をかけられる。ひょっとして今の会話の内容が聞こえていたのだろうか。そうだとしたら、ただ愚痴を言っただけの俺はともかく、ルーセルはかなりまずい。先ほどの発言から判断するに、おそらく帝はこの帝宮を造った人々を尊敬している。そんな人に「古代人の感覚は信じられない」などと言ったら…さて、どうなるだろうか。隣のルーセルを見ると、青ざめた顔で固まっている。……ドンマイ。
しかし幸運にもそうではなかったようで、帝は特に口調を変えることもなく、「君たちは、双子ではないんだよね?」と背をむけたまま聞いてきた。
「はい。双子ではありません」
俺は胸をなでおろしながら答える。ルーセルの顔をみると、まるで地獄から生還した人のような顔をしている。それはいくらなんでも大袈裟じゃないか?
帝は俺の答えを聞いて一度納得するようなそぶりを見せた後、再度、「だったらなんで苗字が同じなんだい?」と尋ねてきた。
俺が正直に答えるべきかどうか迷っていると、先にルーセルが答えた。
「アールスは、正しくはヒュレット家の人でないんです。私が三歳の時に、突然家にやってきて、行く当てがなさそうだったんで、私の両親がひきとって育てたんです。」
「へえ……そんなこともあるんだ。すまないね。変なこと聞いちゃって」
「いえ。俺もルーセルも一切気にしていませんから、そのことは」
俺がそう答えると、帝は「はは、そうかい」と言って笑った。
もうしばらく階段を登ると、階段の終わりが見えてきた。だいたい四十メートルくらいはのぼっただろうか。さっきルーセルも言っていたが、ここでの螺旋階段は明らかにミスチョイスだ。帝宮役員が帝を見た時、なぜあんなに驚いていたのかずっと気になっていたがこれで解決した。誰が好き好んでこの螺旋階段を上り下りしようと思うだろうか。
やっとのことで階段を登りきると、帝の部屋は目の前にあった。帝曰く、この部屋だけが際立って高い位置にあるという。「大変ですね」といったら、「仕方ないさ。もう慣れたよ」と笑いながら返された。…慣れとはおそろしいものだと実感する。人間、慣れればなんでもできるということだろうか。
帝は懐から金属製のかぎをとりだし、扉を開けた。帝に招かれるままにおずおずと部屋に入ると、俺の想像とはかけ離れた、きわめて普通の部屋の光景がそこには広がっていた。家具一つ一つのレベルや部屋の広さなどをみても、だいたい俺やルーセルの部屋より少し上ぐらいだ。目立った違いといえば、そこかしこに本が重なっておいてあることぐらいか。ルーセルも戸惑いを隠せないようで、「…どうなってるの?」とつぶやく声が聞こえる。
部屋の入口で固まっている俺たちを見て、帝は炎素を利用したランプもどきに明かりをつけながら面白そうに笑って、言った。
「やっぱ驚くよね。想像とはずいぶんちがうでしょ?」
「ええまあ…正直、もっと広くて豪華な部屋を想像していましたから」
「父上の代まではそうだったんだけどね。私が後を継いだとき、必要最低限のもの以外、
全部地下の倉庫にしまったんだ。今頃はほこりまみれになっているだろうね」
帝はそういって再度面白そうに笑った後、「そこのソファーに座って待ってて」と言い残し、部屋の奥に行ってしまった。
俺はとりあえずいまだ部屋をながめて呆然としているルーセルをソファーに座らせ、その隣に座る。それにしても……帝、あまりに砕けすぎじゃないか?確かに現実での「皇帝」やら「国王」とこの世界の「帝」は必ずしも同種のものではないだろう。ただ、どちらも「支配者」だということに変わりはない。俺がその立場の人だったら当然初対面の若い男女―俺たちのことだ―は警戒する。いくら自分から呼んだとしても、いくらこの世界には「暗殺」なんていう概念が存在しないとしても、だ。それなのに帝はわざわざあの七面倒くさい螺旋階段を下りて俺たちを出迎え、いきなり自分の部屋に招待し、砕けた言葉づかいをしている。まるで気心知れた友人を自宅に招くような態度だ。どうも何か裏がある気がするのだが……俺の気のせいだろうか。帝に信頼されていることを純粋に喜ぶべきなのか、俺は?
ルーセルはどう思っているのか尋ねようとした時、帝の「お待たせ」という声が聞こえてきた。慌てて前を向きなおす。
「とりあえず一杯飲もうじゃないか。ほら」
そういって帝はグラスに年代物の雰囲気のする酒をついで、俺とルーセルに差し出した。ちなみにこの世界にも酒の類のものは存在するが、現実のような年齢制限はないため十八歳の俺やルーセルでも飲むことはできる。実際調子に乗って以前二人で飲み比べをしたこともある。その時はルーセルがあまりに酔いすぎてどうしょうもなくなったので、それ以来ルーセルには飲ませていないし、俺も飲んでいない。三年ぶりの酒だ。
「では。いただきます」
帝は向かいのソファーに座り、もうすでに自分のグラスの酒を飲み終えている。帝に注いでもらった酒なので断るわけにもいかず、ルーセルもしぶしぶといった様子で受け取る。止めたい気持ちはやまやまだが、今回ばかりは仕方がない。「すこしずつ飲めよ、すこしずつ!」とルーセルにささやいたあと、自分は一気に飲む。うん、いい酒だ…なんて、十八が言うセリフじゃないよな。自重しよう。
「帝。それで、ご用件は何でしょうか」
酒の後味を存分にあじわった後、帝に尋ねる。窓から見える真っ暗な夜空が、もう遅い時間だと告げている。
「うむ。君たちは確か世界最北端のノル村の出身だったよね?」
「はい。…よく御存じですね」
俺もルーセルも驚きを隠せない。軍は一部隊五十人かける百七十部隊、計八千五百人のこの世界最大の組織だ。ノル村の名がすらっと出てくるということは、この帝は軍全員の出身地と名前を憶えているということだろうか。俺はこの間、ようやく自分の部下の名前を覚えたばかりだというのに。ルーセルの表情には、帝に対する尊敬の色が浮かんでいる。
「それで、もうそろそろ帰省するの?」
「そのつもりです。本当は今日そうするつもりでしたが、帝からの手紙を見て、こちらに参ったのです」
「そうだったんだ…でもそれにしては、ずいぶんと遅れたね?昼ごろまでには、手紙を届けさせたつもりだったけど」
「い、いえ…手紙に気付いたのが、遅かったもので…まことに申し訳ございません」
まさか「朝食抜かして倒れたやつの世話してました」とか「くる途中で肉刺し棒くってました」とか言うわけにもいかないので、俺はどうにか誤魔化す。あながち嘘でもないし、これくらい許されるだろう。
帝はそれで納得したようで、グラスに二杯目の酒を注ぎながら、言った。
「まあそんなことはいい。こうして夜にグラス片手に語るのもまた一興というものだ。……ほら、もう一杯」
「いただきます」
俺はなぜか酒をほしがっているルーセルを目で制してから、帝にグラスを差し出す。……もしかしてルーセル、もう酔ってるのか?顔が結構赤い。
俺が二杯目も一気に飲んだのを見てから、帝はまた話し始めた。
「さて、そろそろ本題といこうか。アールス君、ルーセル君。いや、この場合は軍第百七十部隊隊長と同副官と呼ぶべきかな。君たちに、この私、ヒュルト・シュバイトから直接の指令がある。」
急に帝が真面目な口調になった。俺とルーセルもつられて無意識に体が前かがみになる。普通、指令というものは軍執行部は軍のトップである帝から、部隊長の俺は軍執行部から、俺の副官であるルーセルは当然俺からというふうに、軍内部の上司から出されるものだ。その規則を無視して帝自ら執行部を飛ばして部隊長に指令を出すなど聞いたことがない。いったいどんな指令なのだろうか。まさか、「これが最後の指令だ。消えろ」なんてことにはならないよな…でもそうだとすると今までの妙に友好的な態度も納得がいく。あれはつまり、「最後くらい優しくしてやらないと」という感情からくるもので、この酒は一種のせんべつ……?俺の頬を冷や汗が流れる。
突然顔色を悪くした俺を見て、帝はおかしそうに笑い、口調をもとの砕けたものに戻して言った。
「そんな心配しなくても、大した指令じゃないよ。ただ、あまりおおっぴらにするのは避けたいことなんでね。もちろん、君たち二人を軍から除名しようってわけでもない」
「それで、一体何なんですか、その指令は?」
安堵のあまり少し放心してしまっていた俺を横目で見ながら、ルーセルがせかすように尋ねた。酔いは「直接の指令」という言葉によって完全に吹き飛んだようだ。いつもの鋭い目つきに戻っている。
「君たち二人に、帰省のついでにあの「異空門」の様子を確認してきてもらいたいんだ。もちろん極秘でね」
なっ……今帝はなんていった…?「異空門」だって……?なぜ今更……?ルーセルも「信じられない」といった表情をしている。
「異空門」。この世界における唯一の戦乱の原因であり、この世界の人々にとって唯一の嫌悪の対象である、ノル村よりさらに北に存在する―異世界との門だ。
数千年前、今と違いまだ軍が存在せず、帝宮役員ではなく、帝宮議会と呼ばれるものがあったころも、人々は神素を有効に使って普通の生活を送っていた。
しかしある日、突然世界の北の果てにあった村が、忽然となくなった。後に残っていたのは、燃えて炭になった家々だけだったという。
当然帝宮議会はすぐにその事件の調査を始めた。しかし当時この世界には「争い」という概念すらなかったのと、すぐそばに当時はまだ活動していた北の大火山があったため、すぐに「何らかの自然災害だろう」と結論付けられた。
そして―その結論が間違いだったと、人々は最悪の形で知ることになった。その村の跡地に突然大きな門が現れ、その中から現れた謎の軍勢が、この世界に侵攻をはじめたのだ。
当然その当時の世界に抵抗するための兵力なんてあるはずもなく、あっという間に占領されていった。人々は訳もわからぬまま土地を奪われ、挙句の果てには殺されていった。
このまま何もしなければみな殺されてしまう。そう感じた人々はまず神に祈った。しかし神はすでにこの世界を旅立った後。祈りはとどかず、それを諦めた人々は謎の軍勢に交渉することにした。土地も、わずかながらの蓄えもみんなあげますので、どうか殺さないでください、と。
しかし謎の軍勢は、話を聞こうともせず、交渉にきた人々を皆殺しにした。それも、大勢の人々の前で、見せしめとして。
ここで―ここまできてようやく、人々の心の中に「敵意」が生まれた。残酷な処刑を見せられた人々は、一人、また一人となぞの軍勢に立ち向かっていった。しかし武器が木の棒や石ころではかなうはずもなく、結局、その人々もまた、皆殺しにされた。
この世界の全住民が殺されるのも、時間の問題だった。
だがここで時の帝が思いついた。神素を、武器として使うことはできないだろうか、と。初代帝以来の神素使いと呼ばれていたその帝は、議会の反対を無視して、単身なぞの軍勢に自らが一番得意とした神素である水素を使って戦いを挑み―そして、見事に勝利した。そのまま帝は門をくぐり、なぞの軍勢の本拠地をつぶした。
その後その帝は門の半径一キロ圏内を立ち入り禁止とし、二度とこういうことのないようにと、神素を使った戦闘集団である「軍」を設立した。そしてやがて門のまわりには木が生え、門を隠すような形で森が出来上がった。これがいまのノル村の北にある「入らずの森」である。それと同時に、門にも「異空門」という名前がついた。
さらにこの話にはまゆつばものの言い伝えがある。異空門が開いてから帝が謎の軍勢を倒すまで、日が昇らなかった、というのだ。
俺は異空門の歴史についてそこまで思い出した後、帝に純粋な疑問をぶつける。
「い、いやしかし帝、なぜ今更そんなことを?もうあの門は閉ざされて数千年たつじゃないですか。今更開くとは考えられません」
ルーセルもやっと正気に戻ったようで、俺に続いて言う。
「そうですよ帝。なぜ今…まさか、またあの軍勢が攻め込んでくる兆候でも見られたのですか!?」
帝は焦る俺たちを一瞬ぽかんとした顔で見つめた後、突然笑い出した。
「や、やだなぁ。そんなんだったら、もうとっくに軍を全召集してるよ。念のための確認だよ、確認。もう最後に確認されて数千年経つんだ。一回様子をみておくべきだとは思わないかい?」
そういわれればその通りだが、あの門が開いて一番危険なのは俺とルーセルの故郷であるノル村なのだ。過剰なくらい心配するのが普通だろう。帝の笑いに少しむかっときたのは否定できない。
しかしそんなことをいっても仕方がないので、俺は気を取り直して帝に指令の詳細について尋ねることにする。
「確かにそうですが……ところで、確認といっても、何を見てくればいいのでしょうか」
「簡単なことだよ。空から門が開いているかどうかだけみてくれればいい。報告は休暇明けでいいから、それだけすませたら故郷を思う存分たのしんでおいで。でも門があいてたら休暇どころじゃないよね」
まあそんなことないと思うけど、と言って帝は笑った。
ただ正直俺には、帝の笑いなんてどうでもよかった。今帝が、よくわからないことをいったような気がしたからだ。おそらくルーセルも同じ疑問を抱いていることだろう。二人で顔を見合わせてから、代表して俺が口を開く。
「すいません帝、何か勘違いをしておられませんか?俺たち人間には空が飛べません。どうやって空から門を見ろと……?」
帝は今確かに「空から」と言った。しかしこの世界の人々も現実と同じように空を飛ぶことなんてできない。神素を全力で地面にぶつければ二十メートルくらいは浮かべるかもしれないが、上に上がるだけで前後の移動はできないし、なにより落下するときに非常に困ったことになる。ルーセルも「そうそう」という風に何度もうなずいている。
帝は俺の疑問を聞いて、今日何度目かわからない楽しそうな笑みをうかべて額を手で二、三回たたいた後、立ち上がって「ちょっと待ってて」と言って奥の部屋に歩いて行った。
しばらく無言で待っていると、奥の部屋からがさがさという音が聞こえ、すぐに帝が何かを担いで戻ってきた。
「そうだよね。説明せずに「空を飛べ」なんていってもわかるわけないよね」
帝はソファーに座りなおしてから、担いでいた物を俺たちに差し出した。受け取ってよく見てみても、何のためのものか全くわからない。金属製の水色のリュックのようだが、側面から伸びている可動式の筒のようなものがそうではないと告げている。
「これは一体……?」
ルーセルが尋ねた。
「これはね、空を飛べない我々が、神素を使って空を飛ぶためのものだよ。つい最近、完成したばかりの、ね。ただまだ軍くらいの神力でないと使えないくらいの効率だけど」
なんだって……?これだけで、自由に空を飛べるってのか……?俺とルーセルはまじまじと手元の物体を見つめる。そういわれれば確かに、側面の筒は何かの発射口、もっと言えば飛行機のゲットエンジンのようにも見える。いったいいつの間にこんな物を開発したのか。
「今日二つ目の指令だ、軍第百七十部隊隊長と同副官さん。君たちに、これの試運転を頼みたい。ここ帝都からノル村までと、ノル村から異空門上空まで、これを使って移動して、どのくらいの速度が出て、どれくらい安定するのかを調べてくれ。もちろん、あと一つも明日の朝には間に合わせる」
これは―面倒どころか、ありがたい指令だ。ここからノル村までは、ルーバ―この世界の馬のようなものだ―を使って全力で飛ばしても、六時間はかかる。空を飛んで移動するということは、大幅な時間短縮が見込めるだろう。そうでなかったら、これの存在意義がなくなってしまう。
ただ、帝はまた重要なことを忘れている。俺とルーセルは先ほどと同じように顔を見合わせた後、今度はルーセルが口を開いた。
「帝、使い方のほどは…?」
「あっ、そういえば教えてなかったね。」
私もだめだなあ。そういって帝が苦笑いを浮かべた、その時。コンコンとノックの音がして、作業着をきた男が入ってきた。俺の記憶が正しければ、あれは帝都最大の工房の作業着のはずだ。今話題になっていたものと同じものを抱えている。おそらく、あれが二台目ということだろう。
「帝。最終調整、終わりました」
「うむ。ご苦労だった」
男は帝に持っていたものを渡すと、そそくさと出て行った。…まさか、あれをもってあの螺旋階段を登ってきたのか?大変だっただろうなぁ…
俺が他人事のように考えていると(事実他人事だ)、帝は二台目を自分の目でチェックしているようで、細部をみながらしきりにうなずいたりしている。
そのチェックでは問題は見つからなかったのか、帝は満足そうに大きくうなずいた後、俺たちに向かって言った。
「さて、使い方だったが…二台そろったことだし、習うより慣れろでいこう。とりあえず、背負ってみて」
言われるままに俺が一台目を、ルーセルが二台目を背負ったところで、帝は窓を指さし、驚きの一言を口にした。
「さあ、あの窓から、飛んでみようか。まずは、どっちが行く?」
いえいえいきなりは無理です、墜落死します!と思わず叫びそうになったが、どうにかこらえて、再度冷静に尋ねる。
「帝、使い方は…?」
「だから、習うより慣れろといったじゃないか。自分の飛びたい速度、方向を想像すれば君の場合は炎素が、ルーセル君の場合は水素が左右の筒から推進力として噴出して飛べるようになるから。さっきの職人を信頼して。ほら!」
全く説明になっていない帝の説明。…想像するだけで飛べるなんて…決して帝やさっきの職人を信じていないわけではないが、ここは地上四十メートルくらいの高さはある。 試みるにはリスクが大きすぎる。
ここからでなくてはだめですか、と帝に尋ねようとした時、背後からルーセルが深呼吸する音が聞こえた。振り返って見ると、ルーセルの目には決意がこもっている。…まさか、行く気なのか?
「想像するだけで、いいんですよね?」
俺の心配をよそに、ルーセルは真剣な表情で帝に尋ねた。帝は、短く「ああ」と答える。
「帝がそうおっしゃられるなら、行きます。……もし失敗したときは……」
「任せといて」と帝が言い終わる前にもう、ルーセルは窓を開け、飛び出していた。部屋に冷たい風が入ってくる。しかし、気にならない。俺は窓まで走り、落ちていくルーセルに意識を集中させる。落下速度は緩まない。地面まであと十メートルを切った。「任せといて」といった帝はまだルーセルを見ようともしない。地面まで残り五メートル。…ルーセルッ…!
俺の必死の思いが通じたのか、ルーセルは地面すれすれで急停止した。そしてゆっくりとルーセルの姿が大きくなる。コツをつかんだようで、だんだんと上昇速度は上がっていく。
「もう大丈夫そうだね。さすがと言ったところかな。」
帝が俺の背後に来ていった。「さすが」って、もし失敗したらどうするつもりだったんだ?振り向いてそれを聞くと、笑顔で「私には確信があった。現にそれは当たったじゃないか」と返された。なんと無責任な…
ルーセルを確認しようと再度振り向くと、目の前の空にルーセルの姿があった。まだ完全にはコントロールできていないようで少しふらついてはいるが、落ちることはないだろう。
「ルーセル…よかった…」
ルーセルの顔を見てこみあげてきた安堵のあまり無意識にもれた俺の言葉を聞いて、ルーセルは何とも複雑な表情を浮かべた後、疲労が感じられる声で帝に尋ねた。
「帝…これで、よろしいで、しょうか?」
「ああ…文句なしだ。…さて」
帝とルーセルの視線が俺をとらえる。
「次は、君の番だよ。もちろん、行くよね?」
「大丈夫よ。…おっと…もし失敗しても…よいしょ…私が…あっと…助けてあげるから!」
帝はともかく、ふらふらふらふらしながら「助けてあげるから!」なんていわれてもなぁ…説得力に欠ける。むしろ不安が増幅するだけだ。
ただ冷静に考えれば、ルーセルにできて神力にまさる俺ができないはずがない。それに―俺はルーセルの目を見る。その目はただ一心に俺を見ている。瞳の奥に何を思っているかははっきりとは分からないが―ここは、行くしかないか。
帝とルーセルが見守る中、俺は窓の縁に登り、イメージ、と自分に言い聞かせてから、勢いよく身を投げる。視界の端で、ルーセルが俺の後を飛んでくるのが見える。
なかなかスピードが落ちない。地面が異常な速さで近づいてくる。俺は自分が飛んでいる姿―一度は見てみたいこの世界の宇宙に飛んでいく姿―を懸命に想像する。
すると―下から上へと視界が流れていく速さがどんどん緩やかになってきた。それと同時に、初めて感じる感覚に包まれる。これが、浮遊感というやつか。
そしてすぐ、落下が完全に止まった。ルーセルにはあった体のブレもない。地面までの距離は十メートルあるかないかといったところだろう。なんだ、いざやってみれば簡単じゃないか。さっきまでの俺の杞憂は何だったんだ。
「やっぱ、あなたには敵わないわ。悔しいけど。」
ルーセルはそういっているが、顔も笑っているし、どこか嬉しそうだ。アイツもアイツなりに心配してくれていたようで、それは――純粋に嬉しい。
とりあえずルーセルの位置まで浮上する。すると、ルーセルがどこか遠くを見ているのに気づく。俺もその方向を向くと、すぐにルーセルの真意が理解できた。
「…この先、ずっと向こうに、ノル村があるのよね」
「ああ。ずっと向こうに、な」
こうしてみると、ずいぶん遠いと改めて思う。俺たちの故郷ノル村は、帝都の一番外側の軍施設群を抜け、何個あるかわからない街や村をぬけた、さらにその先にあるのだ。
「なあルーセル、明日ノル村まで競争しないか?」
「別にいいけど……さっきまでのあなたからは考えられないセリフよね、それ」
「それを言われると……つうか、お前が躊躇なさすぎなの。怖がるべきものは怖がらないと、冗談抜きでいつかけがするぞ」
「怖がりすぎて何もできなくなるよりはましよ。……でもまあ、その忠告はありがたく受け取っておくわ。正直、結構焦ったもの」
言い合っている間も、俺たちはひたすら夜の地平線の向こうを見続けている。明日には、あそこにいるんだよな、俺たち。
「おーい!どうだい、アールス君?」
……感傷にひたりすぎて帝の存在を忘れていた。慌てて「大丈夫です!」と返事をしてルーセルとともに窓に戻ろうとすると、再度帝の声が聞こえてきた。
「君たちは、そのまま地面に下りて待っていてくれ。私が向かう。最後に一つ、お願いがあるんだ。」
お願い…?帝から俺たちに何かお願いなんてあるのか?まあ、そう言うのだから何かあるんだろう。考えたところでもう帝の姿は窓辺にないのだからどうしようもない。俺とルーセルは慎重に地面に向かう。
無事に着陸し、飛行用器具を下ろして門の前で待っていると、すぐに帝はやってきた。そうとう急いであの螺旋階段を降りてきたはずだが、一切息切れしていない。この辺はさすがといったところか。
「お待たせ。それで、お願いなんだけど……」
帝は立ち止まるなり、すぐに口を開いた。
「はい。私たちにできることなら、なんでもいたします」
ルーセルが言うと、帝は頭(かぶり)を振った後、俺を見た。
「そんな大層なことじゃない。ただ…君と手合せ願いたいんだ。アールス君」
「俺…ですか?」
思わず聞き返してしまう。なぜ、俺と?理由がわからない。この場合の「手合せ」というのは今朝俺とルーセルがやったような神素のぶつけ合いだろうが、本来あれは神力にそれほど差のない者同士でやるものだ。帝と俺では神力が違いすぎる。やる前から俺の負けが決まっているといってもいい。なにより、帝には現時点で歴代最高と言われる神力を、これ以上上げるメリットがない。
「ああそうだ。君じゃなきゃ、ダメなんだ。アールス君」
しかし―いくら謎だとしても、帝にここまで言われたら、断るわけにはいかない。俺は派手に吹っ飛ばされる覚悟を決め、帝に向かってうなずいた。
「わかりました…場所は?」
「ここでいい。」
帝の、今日一番真剣な声に少し腰が引けそうになるが、そんなことを言っている場合ではない。帝は完全に本気だ。俺の本気で、何秒もつか。五秒もてばよくやった方だろう。
一旦帝に背を向け、二十メートルの距離をとる。ルーセルとの擦れ違いざま、「…頑張って。応援してる」という声が小さく聞こえた。
言われなくてもそのつもりだ。まあ、勝てるわけないが。
「…よし。では帝、いきます。合図はルーセル、頼んだ」
ルーセルにコインをはじいて渡すと同時に、ついつい弱気になってしまう心も弾き飛ばす。帝と手合せできるなんてめったにない機会だ。どうせ負けるなら、全力で、悔いなく負けようじゃないか。
ルーセルは俺と帝を交互に確認して、コインを思いっきり高くはじいた。コインが夜空に光る。俺は帝に向かって、全力を出すために両手をつきだす。帝はただ俺の手のひらを見るだけで、一切動かない。コインが最高点に到達し、速度を上げながら落下する。コインがルーセルの頭の高さを通過したところで、帝はようやく、軽く右手を突き出した。俺は帝の手のひらに狙いを定める。チャリン。コインが静寂を破り――
バァン!!
ものすごい音とともに、俺と帝の神素がぶつかり合う。激突の中心から、猛烈な風が発生し、砂埃を巻き上げる。しかし俺は、帝の手のひらをにらみ続ける。色から察するに、帝が操る神素は水色、風素か。……と、認識した瞬間。
俺は、宙を舞っていた。空の星が勢いよく視界の下に流れていく。そして気づいた時には、地面にたたきつけられていた。ルーセルが駆け寄ってくる。
「ちょっと、大丈夫!?怪我は?」
「いてて……とりあえず、怪我はないよ」
ルーセルにはこう答えておくが、実は体の節々、特に強く打ち付けた腰が悲鳴を上げている。さすがに折ってはいないだろうが、何日かは痛みが残るかもしれない。ルーセルはそうとは知らず、俺の返事を聞いて「よかった…」とつぶやいている。……それより、
俺は今、何秒もった?五秒どころか、一秒もったかも怪しい。
俺には体の痛みよりも、その驚きの方が強かった。今確かに、俺は全力だった。帝はまだ余裕があるようだった。それで、この一方的な敗北。強すぎるだろ、ヒュルト・シュバイト……いったいどれほどの修練を積んだのか、俺にはまったく想像できない。これが、歴代の帝最高…!
とそこまで考えたところで、頬が軽く叩かれる感触。
「アールス?意識ある?」
「だから大丈夫だって。……手、貸してくれ」
ルーセルが無言で差し出した手をつかみ、起き上がる。腰の痛みはどうにか我慢して、帝のところへと歩いていく。
「すいません、帝。俺じゃ、まるで相手になりませんね」
すると帝は一瞬きょとんとした後、それこそ帝都じゅうに響くような声で笑いながら、言った。
「何で謝るんだい?君は何も悪いことはしてないじゃないか。私は単に、君の力が知りたかっただけだよ。…十代でそれだけできれば、十分すぎるくらいだよ。もっと自分に自信を持って」
「はあ…そういっていただけるのは、光栄です」
俺がそういうと、帝は満足そうにうなずき、俺の背後のルーセルを見た。
「ルーセル君も、やってみるかい?」
するとルーセルは顔を青染めさせながら、左右に激しくふった。まあそりゃ、いやだよなあ。目の前で俺が手も足も出なかったんだから。自分がやったってどうにもならないことぐらい分かっているだろうし。
帝はそんなルーセルの反応を楽しそうに見た後、くるっと振り向き、帝宮門に戻りながら、背中越しに言った。
「それじゃ、明日は、指令の完遂のほう、よろしく頼むよ」
じゃあね。最後にそう言って帝は帝宮に入って行った。
「さて、私たちも帰りましょうか。ずいぶん、遅くなっちゃったけど」
「ああ…そうだな」
俺がそう返事をしたら、ルーセルは飛行用器具をとりに行った。
ルーセルは戻ってくるなり、俺に二つともを手渡した。
「いや、ここは分担だろ、ルーセル?」
「乗って」
は……?意味が分からない。どういうことだ……?ルーセルは、俺に背を向けて少し屈んだ体勢をとっている。……あ、なるほど、そういうことか。いや、でもなぜ?
「ルーセル、気持ちはありがたいけどさ、別に俺は一人で歩けるから、おぶってくれなくても大丈夫だよ?」
「腰」
「え?」
「腰、痛いんでしょ。歩き方が変だから、すぐわかったわ」
ルーセルは少しとがった口調で言った。隠されたのが不満なのだろうか。それとも―単なる、照れ隠しか。
まあどっちでもいい。ばれているんなら、甘えるのもたまにはいいだろう。
「ばれたか……それじゃ、お言葉に甘えて。」
俺は飛行用器具の一台を背負い、一台をかかえてルーセルの背中に飛び乗った。「う……」というルーセルのうめき声は聞こえなかったことにして、俺は軽い口調で言う。
「さあいこーか、ルーセル」
「……落とされたいの?」
「……ごめんなさい」
即座に謝ると、ルーセルもそこまで鬼ではないのか、ゆっくりとだが歩き出した。ザッ、ザッ。ルーセルが一歩踏み出すたび体が揺れ、背中ごしにルーセルの心地よい体温が伝わってくる。
そのまま何メートル歩いただろうか。ふいにルーセルが口を開いた。
「どうだった、帝?」
その問いがさっきの手合せについて聞いているものだということぐらいは分かる。
「純粋に、強かったよ。……多分、「神卸(かみおろし)」くらいしないと絶対に勝てないと思う。」
するとルーセルは歩を止め、真面目な声でいった。
「…お願いだから、早まらないでね?」
「もちろんそんなことするつもりはないさ。……俺がやったって失敗して死ぬだけだしな。」
「神卸」。自分の最も得意とする神素を司る神を、一時的にその体に卸し、神のごときヒトになるという儀式のことだ。儀式といってもやることは簡単。意識して、神の名を呼べばいい。しかし、今まで失敗した人はいくらでもいるが、成功した人はいない。神が体に宿った瞬間、体が負担に耐えられなくなり、跡形もなく消え去ってしまうらしい。そんな物騒なことは絶対にやりたくない。
「でも……」ルーセルが歩きを再開させながら言った。
「どうした?」
「あなたなら……もしかしたらできるかもね。なんか、そんな気がする」
「いや、無理だっ……」
ぎゅるる。
突然どちらかのおなかが鳴った。
「……ルーセル?」
「仕方ないじゃん、夕ご飯食べてないんだもん!」
「それは俺も同じ」
「うう…」
思い切って開き直ったルーセルだったが、あっさり返されて撃沈。ただ、確かに俺も空腹を感じる。ただこんな時間に店は開いているわけはないし、俺の家にももう食材はない。さあ、どうしようか……あ。
「なあルーセル」
「何よお」
「帰ったら、夕飯、作ってくんね?」
「え?私が?」
「ああ。頼むわ」
ルーセルは俺と違って料理があまりできないため、いつもは俺が作るのだが…今日ばかりはルーセルに頼もう。正直、今日はもう何もする気になれない。たとえそれで料理で無い「料理」がでてきても、仕方ない。
「いいわ。この機会に、私なりに研究した新作料理を食べさせてあげる」
おいおい……まずは基礎からだろ?何段とばしてんだ、コイツ?
「いいかルーセル、料理というものは、まず基本があって…」
「そんなの、もう聞き飽きたわよ。私には、必要ないわ」
「言ったな!これでまずかったら責任とれよ!」
「ええいいわよ。帝都最高級パフェ食べ放題くらいつれてってあげるわ。おごりで」
「マジで!?もう絶対まずいしか言わない!」
「それはなしよ、なし!」
言い合いながら、俺は思う。結局俺は、この世界を愛しているのだ、と。明には悪いが、やはり自分の気持ちに嘘はつけない。しかし―そんなことはないだろうが、もし明とこの世界の二択を迫られたら、俺はどっちをとるのだろうか。明となら、どこでも生きていけるし、この世界のヒトなら、だれとでも仲良くしていける。それなら俺は、一体どちらをとるべきなんだろうか?
多分、その問いの答えは出ない。なぜなら俺は、どちらを選んでも、後悔するだろうから。どちらを選んでも、涙を流すだろうから。
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