二つの一人   作:森山 大太

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 ルーセルに背負われて自宅にかえり、基本ガン無視なのになぜかおいしい料理に驚き、ドヤ顔で謝罪を要求するルーセルにひたすら謝り、明日は起きてくるようにと散々いわれてげんなりし、そのテンションのままベッドにもぐりこみ、寒さに震えながら眠りにおち、現実の朝の心地よい温かさに感動しつつ起き、時計を見て七時だということに再度感動し、ひさしぶりにデートの朝ゆっくり支度をし、待ち合わせ場所である駅に約束の十五分前につき、自然と落ち合う場所になったベンチに座って明を待ち始めた。そこまではよかった。だが、明が、

 「来ない……」

 こんなこと、付き合い始めて五年、今まで一度もなかった。遅れるのはいつも俺のほうで、明はいくら天然だといっても、こと約束について言えば一度たりとも破ったことはなかった。いったい明は、どこで何をしているのか。あたりを見回して明を探すが、いつもの休日に比べてだいぶ少ない駅の人影の中に、明の姿は見当たらない。

 考えられる可能性として、実は明はもう駅にいて、俺の居場所がわからない、というのがあるが、そうだったらまずこのベンチに来るだろうし、携帯になにかしら連絡が入るだろう。それなのに連絡が来ないどころか、こちらから連絡しても何の音沙汰もないのだ。電話は何回かけてもつながらないし、メールの返信も来ない。これはどう考えてもおかしい。

 その次に考えられるのは、明はもう今日のデート目的地に向かっている、というものだが、これもおかしい。そもそも俺は今回の行先を教えてもらっていないからだ。いくら明でも、俺をおいて一人だけでいくなんていうミスはしないだろう。

 そして最後に、明が駅までの道中で事故、あるいは何らかの事件にまきこまれたという可能性。これは正直考えたくないが、これが一番可能性が高い。駅に来ないのも、連絡が一切つかないのにも合点がいく。いってしまう。

 そわそわしながら携帯で時刻を確認すると、すでに九時半。約束の時間を三十分もオーバーしている。メールボックスと着信履歴を確認するが、明からの連絡はやはりない。…やはり、明の身に何かあったんじゃないだろうか。脳裏に浮かぶのは―駅までの道、スキップしているところを車にはねられ、吹っ飛ぶ明の姿。そしてそのまま電柱にぶつかり、頭からは血がだらだらと……

 「…ッ!」

 自分の頭で作り出した勝手な想像―そうであってほしい―に身震いしつつ、俺は立ち上がり、自転車置き場に向かう。この際、明が使いそうな道を逆走してみよう。明が単に寝坊しただけなら途中で確実に出会えるし、もし―もし事故に巻き込まれていたなら、事故処理車なんかがいるだろうから分かるはずだ。そうでないことを切に祈るが。

 無意識に駆け足になっていたのを意識的に速め、自転車置き場につき、ポケットから鍵を取り出した、その時。背後から、肩に手がかけられた。……まさか、明か?

 さっと振り返り……その淡い希望は打ち消された。

 「なんだ、向江か……」

 俺の現実での唯一の友人である、向江 真生(むこう しんや)は、俺の嘆息交じりの言葉を聞いて、少し苦笑した。

 「いきなりそれはないよ、真琴君……」

 「ああ、悪い。明かと思ってさ。今日会う約束なんだけど、アイツ珍しく約束の時間になっても来ないから……」

 「それで、心配で探しに行こうとしたところに、僕が来た、ってところかな?」

 向江が俺の心をくみとって言う。

 「まあ、そんなとこ。…ところで向江はなんで駅に?」

 自転車のかぎを外しながら、なんとなく思った疑問をぶつける。確か向江は以前、休日はほとんど家にいて寝ていると言っていた。それなのに、比較的朝早くに、街の中心である駅に顔を出すなんて。ライフスタイルの改善でも始めたのだろか。そうだとしたら、友人として素直に嬉しいのだが。

 向江は少し考え込む素振りをみせてから、言葉の端々に迷いの感じられる口調で言った。

 「ちょっと、遠くまで買い物にね。」

 「へえ…何を?」

 興味本位で聞くと、向江は「うーん…」と小さくうなった後、微笑みながら答えた。

 「ゴメン、今はちょっと…機会が来たら、いろいろと教えてあげるよ。」

 「そう……じゃ、いつか教えてくれよ。」

 向江が言いたくないなら深追いはしない。俺も向江と同じように少し笑みを浮かべて答える。そもそもほぼ反射的に出たような問いなのでそこまでこだわることもない。

 「まあ、すぐに教えてあげられると思うけど」向江はそこまで言ったところで右腕のシルバーの腕時計を確認し、「あっ」と小さく声を上げた。

 「ごめん真琴君。電車の時間だ。それじゃ、またね」

 「ああ、またな。」

 俺はうつむいていた顔を上げて別れを言う。走って改札への階段に向かう向江の背中を眺めながら、ポケットから携帯を取り出す。……やはり、明からの連絡はない。

 いったいどこにいるんだ、明?マジで事故とかやめてくれよ……

 胸のなかで再度湧き上がってきた不安をおしつぶしながら、最後にもう一度だけ明に電話を掛ける。ワンコール、ツーコール、スリーコール。…出ない。そういえば、昨日の明も俺を待っている間こんな気持ちだったのだろうか。結構悪いことをしたなあと、今更ながらに思う。やはり人間、やられる側にならないと分からないものだ。

 そのまま辛抱強くかけ続けても、やはり明が電話に出ることはない。もう何回目のコールか数えるのも面倒になってきて、諦めて電話を切ろうとして―

 「ゴメーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!」

 と、かなり甲高い大声が耳元で響いた。音が漏れたのか、周囲の人の視線が俺に集中する。俺の耳もまだキンキンいっている。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 「明?明でいいんだよな?」

 「そうそう。何回も電話くれてたのに出れなくて、ホントにごめん!」

 ふぅー。思わず大きなため息が出る。どうやら明は元気なようで、俺の心配は杞憂に終わったようだ。…しかし、だったら明は今どこで何をしているんだ?

 それを聞くと、明は声のトーンを若干落として答えた。

 「実は駅には八時についてて、コンビニとかでぶらついてたんだけど…」

 「だけど?」

 「そこで八時半くらいに財布忘れたことに気付いて、急いで家にもどったの。」

 なんだ…単に忘れ物か…明らしいといえば明らしい。しかし、明の家と駅は往復でだいたい三十分くらいだからそれだったら九時くらいには駅に着けたはずだし、携帯に連絡がつかなかった理由にもならない。どういうことだろうか。

 さらにそれを聞くと、明はさらに声のトーンを落として答えた。

 「その後また駅の近くまで来たんだけど、九時を少し過ぎてたから真琴に一回連絡しようとして…」

 …なるほど。だいたいわかったぞ。

 「それで家に携帯も忘れてたのに気づいて、また家に戻ったんだな?」

 「うん…」 

 しゅんとした調子で言う明。確かにそれだったらいくら電話したって出ないわけだ。

 明は続けて言う。

 「それで家について、急ぎ過ぎてて携帯チェックするの忘れてて、信号待ちで慌てて見たら着信すごい入ってて、どうしよう!て思ってたらこの電話が来たの」

 「なんだ…俺明が事故にでもあったんじゃないかって思って…」

 「心配かけて、本当に、ごめんなさい!」

 そんなに謝られてもなぁ…俺自身毎回のように遅刻しているため、明を責めることなんてできないし、明が無事であることに越したことはない。

 「いいよいいよ。無事で何より。それより、今どこにいる?」

 明は九時ごろ家に引き返したと言った。それならそろそろ駅に着くころのはずだが…

 「今私から真琴が見えるよ~」

 明が突然いつもの少しふわふわした調子に戻って言う。俺は辺りを見回してみるが、明の姿は見えない。

 そんな俺の様子をどこかから見ているのか、明は少し笑いながら、俺を試しているかのような口調で言った。

 「ほら、早く見つけてよ。どんどん近づいてあげてるんだから」

 そういわれても…前にも左にも右にも明は発見できない。すると後は…背後、か。

ゆっくりとふりむくと、五メートルくらい先に明がいた。電話を耳から離し、逆の手で小さく手を振っている。

 「おはよ、真琴。遅れちゃって、ゴメンね」

 「おはよ、明。…気にすんなって。俺なんて毎回のように遅れてんだし」

 すると明は、少し微笑んだ後、俺に向かって歩き出しながら言った。

 「でも、これはこれでよかったかもね。真琴にも、いつも私がどういう気持ちでいるかわかったでしょ。……これでもまだ、遅刻しようと思う?」

 まさか。たかが三十分待つだけで、あんなに不安になるとは思ってもいなかった。俺は

毎回明にあんな思いをさせていたのだと思うと―純粋な反省と後悔と謝辞しか出てこない。

 「今まではすいませんでした。次から無遅刻無欠勤を目指します……」

 本心のまま素直に謝ると、明はまだどこか不満そうな表情を浮かべた。

 「目指すんじゃなくて、実行するんだよ?そこ、重要だからね?」

 言いながら少し背伸びをして、俺の眼を正面から覗き込んでくる。うつむこうにも目が

離せず、そのまま「ハイ…」と答えても、まだしばらく明はそうしていたが、やがてすっ

と身をひいた。

 「まあいいや。次回、楽しみにしてるからね。…それより、早くいかないと。もう時間もだいぶ遅れてるし」

腕時計を確認しながら改札口へ早歩きで向かう明。いやいや、ちょっと待てよ。俺は走

って明の前に回り込む。

 「おい明。いったい今日はどこへ行くんだ?そろそろ教えてくれよ」

 この期に及んでもまだ、明は今日のデートの場所を告げていない。明を全面的に信頼して言われるがまま電車に乗るという手もあるが、それでも行先は気になるというものだ。

 俺の問いを聞いて、明は歩を止め、笑いながら一言、「佐志の湖ショッピングモール」と言った。

 佐志の湖ショッピングモールというのは最近できた県下最大のショッピングモールで、

ここからは最寄駅まで電車で二十分といったところだ。そういえば近いうちに行ってみたいと以前明がいっていたのを今更ながらに思い出す。おそらく、いま俺たちの横を通り改札に向かっている二、三人の主婦たちも、目的地はそこだろう。

 「うん、悪くないな…じゃあ、確か四番線だったか?」という俺の言葉は、明の「…にするつもりだったんだけど」という言葉に遮られた。

 「するつもりだったって……じゃあどこに行くんだ?」

 俺がよくわからないといったような口調で言った疑問に対して、明は少し申し訳なさそうな顔をして、言った。

 「ゴメン。予定変更。久しぶりに杜氏川自然公園に行きたいなー、なんて」

 

 

 

 今耳に入ってくるのは、ガタンゴトンとひたすらに繰り返される、電車の走行音だけだ。俺も、隣に並んで座っている明も、電車に乗ってからは一切口を開いていない。他のわずかばかりの乗客もほぼ老人で、みな窓の外の緑一色の景色を眺め、物思いにふけっている。時間を確認すると、十時四十五分。電車に乗ってから、いつのまにか約三十分が過ぎていたようだ。杜氏川自然公園には、あと十分くらいでつけるだろう。

 それにしても―こうしてこのローカル線のおんぼろ車両に明と乗っていると、否が応で

も八年前の明との出会いが思い出される。それは何回乗っても変わらない。さっきから俺

の頭の中ではその思い出がひたすらぐるぐると再生され続けている。もしかしたら、明もそうなのかもしれない。明はさっきから一切体勢を変えることなく、前方の虚空をひたすらに見続けている。もし仮に明があの時のことを俺と同じように思い出しているとして―いったい、どんな感情とともにそうしているのだろうか。懐かしさ?愛しさ?恥ずかしさ?

それとも、後悔の念?俺にはとうていわかりかねる。ただはっきり言えるのは―少なくと

も今の俺にとっては、何物にもかえがたい思い出だ、ということだ。

 八年前―俺は突然、クラスのほぼ全員に、ハブられた。いじめ、とは少し違う。俺の存在が、文字通り、空気のようなものになったのだ。

 原因は俺にあった。

 俺は、その当時も数少なかった友人たちと話していて、ふと夢の話になった時に、俺の身に起こっていること―俺の「夢」について、熱心に、それこそ全身全霊を込めて話し「てしまった」のだ。

 今考えると、我ながら滑稽な話だと思う。この現象は俺だけのもの。何があっても、秘密にして生きていくべきだ、なんてことくらい、少し考えれば分かったはずなのに。あるいは、一通り説明した後の友人たちの、あのぽかんとした表情を見て、自分で自分にストップをかけるべきだったのに。

 そしてその翌日から、俺は四年二組の教室において空気になった。俺がものにぶつかって机から落ちたら、それは風に吹かれたのと同じ。黙って自分で拾いに行く。俺の呼びかけは、背後で鳴っている風の吹く音と同じ。誰も反応しない。……決して、言いすぎなんかではない。れっきとした、俺の体験談だ。

 当時の俺はもちろん戸惑った。まったく心当たりがなかったからだ。その日、何度自分の頭の中で「なぜ、俺が?」と繰り返されたかわからない。

 しかしそのころから内気だった俺は、怒ることも、問い詰めることもできずに、悶々としたまま学校に通った。結局、俺がその理由―「自分は夢で生きているんだ」なんて訳が分からないことを言ってるやつのことなんて明日から無視しようぜ、とみんなの意見が一致したという、至極ありがちなもの―を知ったのは、だいぶあとになってのことだった。

 俺はその後一、二週間くらいは、無視されるのを承知で学校に通い続けたが、ある日からぱったり行かなくなり―いままでどおり、優しく俺に接してくれる、「夢」の世界のとりこになった。両親が共働きで、一人っ子である俺にあまり興味がなかったために、朝一言「今日は休みたい」といえば休ませてくれた。そしてその時間以外はひたすら寝て、「夢」の世界を生き続けた。食事は買い込んだゼリー飲料でどうにかした。

 そのまま十日くらいが過ぎたころだろうか。十時ごろたまたま起きていたら、突然「ピンポーン」と玄関から音がした。普段なら無視するところだが、きまぐれで玄関を開けてみた。

 玄関口に立っていたのは、四年一組の、あまりかかわりのなかった女の子―つまり、明だった。

 俺がそう認識したのと同じタイミングで、明は俺の手をつかみ、「いこっか」とだけ言ってずんずん道に沿って歩き始めた。

 行くって、どこに?お前、学校は?なんでこんなことを?俺のことはほっといてくれ。言いたいことが多すぎて頭の中がごちゃごちゃしている間にも、明は俺を引っ張ってとにかく歩き続けた。そして俺は、腕をつかんでいる明の手の力の強さに、このまま、なるようになってみようという気持ちに、なぜかさせられた。

 その後俺は、自分が数日間着替えていないパジャマを着ていることも、冬の日がどんどん西に落ちていくことも気にせず、明につれられるままに、いろいろなところに行った。足を使い、バスを使い、電車を使い、ときにはタクシーを使い。よく小四でそこまでしたと思う。あのころから、明はやはり明だった。

 そして最後に、杜氏川自然公園についた。

 閑散としている公園内を駆け足で進む明につられるように、何週間ぶりかの駆け足でついていくと、小さな湖と、ベンチがあった。明に促させるまま隣り合って座った。そこで明はいろいろな話を、取り留めもなくひたすら話し続けた。俺は適当にうなずいたりしながら、目の前の水面に落ちていく夕日、映る月をひたすらに見続けた。

 そうして何時間がたっただろうか。辺りも真っ暗になったころ、突然、明が「あ…」と言った。俺が訝しむような目で見ると、明は、

 「……終電、乗り遅れちゃうかも……って、言ったんだっけ」

 は?

 俺は隣に座っている明を見る。今のは俺の思考ではなく、明の口から出た言葉だ。ここまでタイミングが一致するなんて…明が俺の思考を読んだのか、単に偶然か。恐らく後者だろう。

 明は俺の視線を感じ取ったのか、こちらを向いて、首をかしげながら「どうしたの?」と聞いてきた。

 「いや…俺も今まったく同じ場面を思い出してたから。俺の頭の中の明と、隣の明のセ

 リフが見事にかぶってさ。結構、驚いた。」

 「はは、そうだったんだ…でもあの後真琴ひどかったよね。「実は哀川って天然?」って

 突然言われた時は本気で怒ろうと思ったもん。」

 「それは……あのころから明のイメージって「完璧な人」だったから。あんな凡ミスするなんて思ってなかったんだよ。まあすぐに、重度の天然さんだってわかったけど」

 「ひどい!私は重度の天然なんかじゃないよ!」

 明はそういうと、ふくれっ面をしてそっぽを向いた。しかし、「重度の」天然ではないと

いうあたり、自分が天然だということは理解しているらしい。まああれで自覚していなか

ったら救いようがないか。そして、今の明の言動を「かわいい」と感じてしまう以上、俺

もかなり明に汚染されてきていると認めなければならなさそうだ。

 明はそのまま黙り込んでしまった。必然、俺も黙り込む。再度の沈黙。そしてそれが呼

び起こすのは、思い出の続きの情景以外にない。

 あの後俺と明は、何で気づかないのよ、いやそっちこそ、とお互いをなじりあいながら

猛ダッシュで駅に向かい、どうにか終電には間に合った。結局家に帰ったのは八時を回る

かどうかくらいだったと思う。幸い、両親はまだ家に帰っておらず、何も怒られることは

なかった。ごはんを食べている最中に明から電話がかかってきて、「あなたのせいで…親か

ら締め出されてるのよ…」と言われたのには、思わず笑ってしまった。

そして布団にもぐってふと、俺はこの世界でいったい何日ぶりに外に出て、走って、言い合いをして、ご飯を食べて、笑ったのだろうか、と思った。

 その翌日から、俺は時々学校に行くようになった。なぜだかはいまでもわからない。も

しかしたら、明に会いたかったからなのかもしれない。

 学校でも明は、ふと見つけて話しかければ、周囲の視線なんて気にすることなく答えて

くれた。何日か経つと、俺よりずっと前から無視されていた少年が俺に話しかけてくるよ

うになった。それが向江だ。向江とは気が合い、休み時間は常に話すようになった。学校

に行く頻度も上がり、ついには毎日になった。

明と向江のおかげで、小四の俺は救われた。断言してもいい。特に明には、いくら感謝

してもしきれない。

 しかし、この思い出を思い出せば思い出すほどに、一つの疑問が俺の頭をもたげる。

どうして、明はあの時俺の家を訪ねてきたのか?

この問いは今まで聞いたことがない。何度かのど元まで上がってきたことはあるが、そのたびに飲み込んできた。怖いからだ。それを聞くことで、何かが変わってしまいそうな気がして。

 別にそれで、実際に何かが変わる確率なんてほとんどないだろう。しかし、俺は現状に文句はないし、できることなら永遠にこの日常が続いてほしいと思っている。だったら、わざわざ聞くことはない。毛の太さほどの危険性は、確かに存在するのだろうから。逃げているといわれてもいい。逃げることで守ることができるのなら、俺は死ぬまで逃げ続けてやる。

 そう思いながら明を見ると、まだ少し不機嫌なようで、腕を組んで、眉を少しよせている。少しの間なんとなく見続けていると、明は突然俺の方に体を向けて、「何?」と少しとがった口調で聞いてきた。いくらなんでも、ひきずり過ぎだろう。ひょっとして、明にとって天然って結構なコンプレックスだったりするのか?そうだとしたら、俺にとってそれ以上の笑い話はない。

 俺が小さく、「なんでもない」というと、明も小さく、「そう」と言って、体も元の向きに戻した。俺も前を向きなおす。できれば電車から降りるまでには、機嫌を戻してもらいたいものだ。

 電車が揺れ、俺達も揺れる。その音が、俺と明の沈黙を強調しているかのように感じる。

「ところで真琴さ」

 少しして、明が俺の方を向くことなく呼びかけてきた。電車が大きくガッタンと揺れた。

 明はそのまま続ける。

「真琴って、七年前のあの時、なんで私が真琴の家に行ったか気になったことないの?」

 ドックンと、心臓がさっきの電車のごとく大きくはねた。

「な、ないよ。あんま気になんない。今があれば、俺はそれで満足だから」

 大して考えもしないうちに口が開いてしまった。

 明は唇を尖がらせて「ふーん」と音を出した後、小さく笑った。もしかしたら、全て見透かされているかもしれないと俺は感じた。

「じゃあ、いいや。真琴が気になるなら教えてあげてもいいかなーと思ったけど。私も、あんまり言いたくないし」

 明は一切俺と目を合わせることなくそう言い切ると、電車の備え付けのテーブルの上に置いてあったペットボトル他色々を片付け始めた。俺がなんでだろうと思ったその時、「次は杜氏川自然公園前です」というアナウンスが入った。

 明は電車に乗ってから初めて、俺の目を見て一言言った。

「もう着くから、準備しないとね?」

 

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