二つの一人   作:森山 大太

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 杜氏川自然公園とは、俺が住んでいる県とその南の県との県境にある、県内では最古の自然公園のことだ。

 ただそうはいっても、一時間に一本しか電車が通っていないド田舎にあり、なおかつこれといった景勝地でもないため、訪れる人は少ない。そのため高度経済成長期以降、いくどとなく開発やゴルフ場化の話が持ち上がってきたらしい。事実、県内にはそれで消えてしまった公園が何個もある。

 それでもこの杜氏川自然公園は消えることはなかった。なぜなら、祖父父息子と、三代連続で県議会議員を輩出している、県きっての名家である哀川家―明の家のことだ―が、そのたびごとに強固に反対してきたからだ。

 これは明から聞いたことだが、哀川家はもともとこの公園の近くに居を構えていたそうで、この公園での思い出を消されたくない、という思いから初代の県議会議員が反対運動を起こし、それから県の中心部に引っ越してもなお、何代にもわたって反対運動の旗頭であり続けているんだそうだ。もちろん他の自然公園の開発にも反対してるんだけど、全部が全部撤回させられないんだって、とも明は言っていた。

 そういう家の出身ということもあって、明は県内の自然公園には一通りいったことがあるらしい。中でもやはり杜氏川自然公園はお気に入りで、家族で何回も来たことがあると言っていた。あの時、俺を最後に連れてきたのも、自分の一番好きな場所だったからだろう。今でも、今日のように突然行きたいと言い出す時がある。俺もこの公園は決して嫌いではないので、そういわれたら異論は言わずに、日々のストレスやら疲れやらをいやすために使っている。…もっとも、毎回明がなにかしらやらかすせいで、帰るときの方が疲れています、ということも少なくないのだが。今日は、そうならないことを祈りたい。

「じゃ、行こ」

 明は杜氏川自然公園駅の改札を出るなり、すぐに入園口に向かって歩き始めた。杜氏川自然公園駅というのは文字通り杜氏川自然公園の目と鼻の先にある駅なので、歩いて一分とかからない。駅自体が公園の敷地内にあると言ってもいいくらいの距離だ。

 俺は前を行く明に駆け足で追いつき、並んで歩く。建物の中でとても退屈そうにしていた管理人のおっちゃんに入園口で軽く会釈して、木々で空がおおわれた公園内に入る。木漏れ日の光の線が、おぼろげながら見える。静かだ。周りには、もちろん他の人は誰もいない。鳥のさえずりがわずかに聞こえるばかりだ。俺か明か、どちらからともなく手がつなげられる。そのままのゆっくりとしたペースで、一本道を歩く。

 お互い言葉を交わしてこそいないが、目的地は共有している。この道をひたすら行った先にある、池のほとりのベンチだ。ここに来た時はいつも、そこまでお互い無言で、一面の緑をかみしめながら歩き、ベンチでとりとめのない話をし、帰り道では、ほぼ毎回明のトラブルに巻き込まれる。例えば―あの時のように、終電に乗り遅れそうになったりとか。

 俺は心のどこかで、今日もそうなるだろうと確信していた。緑の中を無心で歩き、水色のそばで明といろいろ話し、帰りには何かが起こる。そんな、分かりきっていて、いつも通りすぎて、それでいて幸せな時間になるだろうと。だから、左から「ねえ」と明の声が聞こえてきたのには、少なからず驚いた。

「どうした?」

 思わず立ち止まって答えると、明は「歩きながらでいいよ」と、俺の左手を軽く引きながら言った。二、三歩歩いてから、明は再度口を開いた。

「真琴にとって、ここってどんな場所なの?」

 どういう場所…か。そんなこと、考えたこともなかったな……。憩いの場所、ともいえるし、個人的に気に入ってる場所、と言っても間違いではない。でも、何より俺にとっては、

「やっぱり、思い出の場所、かな。明との、さ。それが、一番大きいよ」

 そう答えると、明は「そう……」とだけ言って、黙ってしまった。沈黙を埋めるように、突然の風が木々で音を出す。十羽くらいの小鳥が枝から飛び立っていく。木漏れ日の光が踊る。

 会話が途切れたまま十分くらい歩いたころだろうか。明が、また唐突に、口を開いた。

「私にとってはね……」

 それがさっきの会話の続きだと気付く前に、明は言葉をつなぐ。

「私にとってここは、決意の場所なの。もちろんほかにもいろいろあるけど、私にとっての一番はそれ。あなたに会う前にした、一つの決意の場所。それだけ、覚えていてほしいの。理由なんて、意味なんて、特にないけど」

 妙に真剣な調子の明の言葉に少し戸惑いながらも、俺の脳裏に様々な疑問が浮かぶ。決意って?いつしたの?俺と会う前に何があったの?

 しかしそれを聞かれることを、明は望んでいないだろう。それぐらいのことは、俺にだってわかる。

「分かった。覚えとく」それだけ言うと、明は小さく微笑んだ。

 今日の明は、どこかおかしい。俺は池までの最後の上り坂を登りながら思う。朝の遅刻の件はともかく、電車の中といい今といい、いつもの振る舞いからかけ離れた、深刻さを感じさせる言動ばかりだ。もし明が悩むような何かあったのだとしたら、力になってやりたい。支えてやりたい。かつて明が、俺にそうしてくれたように。危なっかしくて、どうしようもないくらいの天然さんだけれど、俺の愛する女(ひと)だから。明の右手をにぎる左手に、思わず力が入る。すると明もまた、強く握り返してくる。心臓の鼓動まで伝わってくるようだ。

 視界が開けた。目の前に、決して大きいともきれいともいえない池と、茶色の、ぽつんとあるベンチという、見慣れた光景がある。明はいつもそうするように駆け足でベンチに行き、座る。俺もいつも通りの明の姿に若干安堵しながら、明の隣に腰を下ろす。ほどけていた手を再度つなぎ直し、二人の間に置く。

 いつもならこのタイミングで明が何かしら話し出すところだが、明はただ遠くを眺めるばかりで、しゃべりだす気配はない。

 仕方ない。たまには俺からしゃべってみるのもいいだろう。

「明って、進路とかどうすんの?やっぱ、東大行きたいとか思ってたりする?明なら、受ければ受かるだろ?」

背もたれによりかかりながら聞くと、明は一瞬俺の方を向いて、足をぱたぱたと揺らしながら答えた。

「行きたいって気持ちがないわけじゃないけど……多分、行かないと思う。私もう、行きたい大学あるから」

「どこ?できれば、教えてほしい。俺もそこ行けるように頑張るから」

 東大でなければ、学力の高くない俺でも、まだ希望はある。どうにかして、明が行きたい大学に一緒に入る、というのが俺の当面の目標だ。高校に続けて、大学まで俺にあわせるわけにはいかない。

 明は足を動かすのをぴたっと止めた。

「私の行きたい大学はね…」

「行きたい大学は?」

 下を向き、少し間をおく明。もったいぶってないで、教えるなら早く教えてくれ。

「真琴が行きたい大学。」明はそう言うと、さっと顔を上げ、俺の顔を覗き込んだ。

「もう、決めたことだから。議論の余地はないよ?」

思わず、絶句してしまう。正直、願ってもない言葉だ。俺が望む大学を明も受けてくれるというなら、ほぼ確実に俺の望みは達成されるだろう。

しかし、それでいいんだろうか。いつまでも、明にあわせてもらってばかりで。心の中で、明の申し出に甘えたい気持ちと、申し訳なさ、わずかばかりのプライドがぶつかり合う。

 黙り込んだ俺の思考を読んだのか、明は「私がそうしたいんだから、いいでしょ」と少し怒ったように言ってから、「それに」と、そこで言葉を切って、

「真琴は、もう十分すぎるくらいに頑張ってるよ。そばで見てる私からしたら、なんで成績が上がんないのかわかんないもん」

 と言った。

 確かに、俺はかなり勉強している方だと思う。明が俺の成績が上がらないのを不思議がるのもわかる。

 それでも俺の成績が上がらないのは―一言で言ってしまえば、「夢」のせいだ。

 たとえば、テスト前日に、夜中の二時まで勉強したとする。公式や暗記事項を必死に覚えて、寝て起きて、さあ本番だ!…と普通ならなるだろうが、俺の場合は起きたら夢だ。当然テスト勉強なんてできずに、詰め込んだ知識がかたっぱしから剥がれ落ちていく。少しでもそれを阻止しようと部屋にこもっていると、ルーセルあたりが訪ねてくる。結局、覚えたことの半分くらいは忘れた状態で、テストを受けることになるのだ。感覚としては、二日に一回日帰り旅行に行っているようなものだろう。もちろん、点数なんて上がるわけがない。

 ならばと徹夜をしたこともあるのだが、あやうく夢での俺が殺されそうになったので、やったのはその一回きりだ。どうやら現実で一日寝ないと夢では一日中起こしても起きない状態になるようで、そのせいで死んだと思われたのだ。あの時は、本当に危なかった。

 英語が極端にできないのも、夢での生活が関係している。夢の世界には夢の世界の言語があるため、俺にとって英語というのは第二外国語に等しい。これがまた、なかなかキツイのだ。

 そこまで考えて、自らの境遇と、なにより全てを「夢」のせいにしようとしている自分

に、思わずため息が出る。しかし明は何を勘違いしたか、笑顔で俺の肩をたたきながら、

「頑張ってできないなら仕方ないじゃない。私にできることだったらなんだってしてあげるから、遠慮なくいってよ。」と、励ましてくれた。

「ああ…でも、できるかぎり一人でやりたいから。本当に困ったときだけ、お願いするよ」

「分かった。じゃ、互いに頑張ろうね」

 明は再度俺の肩をたたくと、前を向きなおした。俺も、しばしすべてを忘れて、目の前

の景色を眺め―ようとして、腹から小さい音が鳴った。よくよく考えると、もうお昼時じ

ゃないか。

「明、お昼ってどうすんの?」

 ここで明がさりげなくバックからお弁当を出すのを期待した俺だったが……やはり明は明

だった。明は一瞬固まってから、俺の方を向いて両手を合わせて頭を下げた。つまりは、

考えていませんでした、すみません!ということだな。

「じゃあ、今日はもう帰るか」

「うん。…ごめんね」

 

 

「ふう…けっこう、食べたな」

「そうだね……なんか最近太ったような気がしてたから、おさえてたんだけど……結局、食べちゃうんだよね」

「……明も、体型って気にするんだ……」

「ひどい!その言い方はひどいよ、真琴!!」

 ここは、駅のファミレス。時刻は午後三時ちょうど。注文した品を食べ終わって、しばし休憩中。

 午後二時という遅い時間の昼食だったのと、なし崩しとはいえ久しぶりの外食だったせいで、俺も明も若干食べ過ぎた。ダイエット中だったらしい明は、俺の向かいの席でしきりに脇腹あたりの肉を気にしている。今更遅いだろ。というかそもそも、その体でダイエットする必要あるのか?

「明、そろそろ大丈夫?」

「あ、うん」

 胃のもたれが消えるまで待って、明を連れて会計へと向かう。その途中でも、明は体中あちこちを、肉がついていないか入念にチェックしている。はたからみたら、あてつけにしか見えないだろう。

 会計を割り勘で済ませて、店の外に出る。朝もそうだったが、今日はいつもの休日に比べて、なぜだかはわからないが駅にいる人数がだいぶ少ない。今俺の視界にいるのは、だいたい二十人前後といったところか。帽子をかぶった初老の男性、赤いハイヒールを履いた、三十過ぎくらいの女性、ひときわ目立つ大きな紙袋を持った、高校生くらいの少年……向江?

 俺が向江に呼びかける前に、向江も俺たちに気付いたようで、驚いたような様子を見せていたが、すぐに駆け寄ってきた。隣で明も、「あっ、向江君」と声を上げた。

「よう、向江。偶然だな。約束もしてないのに、二回もあうなんて」

「こんにちは、真琴君。哀川さんは、無事だったみたいだね」

 俺と向江で話していると、会話についていけない明が、「どういうこと?」と聞いてきた。

「朝明から電話がくる直前に、駅で向江に会ったんだよ」

俺が説明すると、向江も「そういうことだよ」と言った。

「ところで、君たち二人はどこへ行ってたの?」

向江の問いに、明が答える。

「ここから電車で四十分くらいのところに、杜氏川自然公園ってところがあるんだけど、そこに行ってたの」

「だけど明が昼飯のことを考えてなくて、帰ってきてファミレスで食べてたんだ。久しぶりに杜氏川自然公園に行ったっていうのに、まったく。」

 横目で明を見ながら言うと、明はしょぼんとして、「ごめん」と小さくつぶやいた。そんな明をみて向江と二人で笑う。明の「笑うことはないでしょ!」という声が聞こえてくるが、その声がさらに笑いを誘う。

 向江と二人で散々笑った後、俺は向江に「お前はどこに行ってたの?」と尋ねようとして、思い直す。そういえば朝、遠くまで買い物に行くとか言ってたっけか。大きい紙袋の中には何が入っているのか気になるが、朝、言いたくないと言っていたのを思い出して、、これも思い直す。

 その後少し、他愛もない話をした後、向江は帰宅のためバスターミナルに向かった。別れ際に向江が何かを言ったような気がしたのだが、聞き取ることはできなかった。

「向江君って…なんか、変わってるよね。」

 突然、二人に笑われてしょげ込んでいた明が口を開いた。「どこが?」と聞き返すと、

「どこって言われても……雰囲気とか、立ち振る舞いとか。なんか雰囲気は、真琴に似てるような気がする」

 と答えた。それって、俺も変わってるって暗に言ってるよな。まあ、否定はしないが。

 向江については俺も知らないことの方が圧倒的に多い。例えば、なぜ小三の時点で、すでに一人で、周りに壁のようなものを作って生きていたのか。あるいは、なぜあの時突然俺に話しかけてきたのか、といったようなことを、俺は一切知らない。

 俺が黙っていると、明は少し考え込むそぶりを見せながら言った。

「今持ってた紙袋だって、隣の件にある、日本最大のプラモデル販売店のだもん。私には、向江君がそんな趣味を持ってるなんて、考えられないよ」

 向江が、プラモデルか…確かに、想像できないな。俺も感じていることだが、アイツは俺以上に、どこか浮世離れしている。そういう意味では、確かに変わっているのかもしれない。

「確かに、アイツは変わってるかもな…」と思わずつぶやくと、「でしょ?」という明の声が聞こえてきた。

 と、ここで疑問が一つ。

「てかさ、明。なんでプラモデル販売店の袋なんて知ってんの?」

「明日役立つムダ知識。知っといて、損はないよ」

 …損はないけど、おそらく得もないんだろうな。

 そんなことを考えていると、明が、この後どうするかと聞いてきた。今日はもう帰ろう。俺がそう言うと、明は、うん、そうしよっか。バイバーイ。と言って、手を振りながら帰って行った。後姿が階段で隠れて見えなくなってから、俺は振り向き、自転車置き場へと歩き出す。なんだかんだで、今日も一日、他愛もない日常だったなあと、夕焼けで茜色に染まった空を眺めながら思う。明と、ルーセルと。二人の女の子とともに生きる、永遠に続く退屈しない日常が、一日過ぎて行ったのだと、実感する。

 ただ―この時にはもう、その日常の歯車は、狂い出していた。そしてその狂いがどうしようもないくらい大きくなり―この世には、永遠なんてものはない。あるとすれば、それはもうすでに終わってしまった、過去の思い出の中にあるだけなのだと、俺がそう気づくのは、死ぬ間際か、五十年後か、十年後か。それとも、

  もうすぐなのか。

 

 

 家までの帰り道。バスの中で、向江真生は、さっき、この世界で唯一の友人に向かって別れ際に発した言葉を、無意識のうちにつぶやいていた

 「真琴君。一緒に―

      世界を、変えよう」

 

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