二つの一人   作:森山 大太

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俺が北都に到着してから、速い物でもう丸一日たった。帝都でのあの会議から今までは、思い出してもまるで一瞬のことのように感じられる。

 帝が侵略計画をぶちまけた時、場は一瞬静まり返った。そしてすぐに、あらゆる声が決して広いとは言えない会議場に響き渡った。「そこまでしなくても」「異空門そのものを壊してしまえばいいんじゃないか」という消極的なものから、「そうだ、今すぐ攻め込んでしまえ」という積極的なものまで。

 しかしその騒ぎも、帝の「静かに」という大して大きくもない声で収まった。帝はそのまま、この作戦に関しては北都で軍全体の話し合いの場を設けるから、心に留めておいてくれ、という趣旨のことを言うと、あとはそれぞれ、今日中に北都に向かうようにとだけ言い残し、足早に会議室から出て行った。執行部のお歴々もここで話しても仕方ないと感じたのか、それぞれ退出していった。

 俺はそんな中、一人会議室に残り、考えにふけっていた。これから、俺はどうするべきか。もし異空門の向こうが現実世界であったら、いったい――

 しばらく考えて、俺は一つの結論に至った。ここで悩んでいても仕方ない。とにかく、異空門の向こうを確認しないとどうにもならない。どうにかしてこちらからの侵略が始まる前に、異空門をくぐらなければ、と。そして飛神を背負い、一人北都へと向かった。

 北都についてからは、衝撃の連続だった。

 まずルーセルと再会し、「遅い!」と喝を食らった。それはあんまりだろうと俺も反論しようとしたが、ルーセルに涙目で抱き着かれては、何も言えなかった。

 ルーセルはそのまま、ノル村の人々は無事に避難していて、死者どころかけが人すらいなかったこと、クウィナが言っていた村人も無事助かったこと、今北都には全世界の軍の人員がすべて集まっていて、もう心配することはないということを、こつこつと俺に教えてくれた。その最中周りの一般市民の視線がかなり恥ずかしかったが、ルーセルを引き離そうという気にはならなかった。俺もそのまま、俺の知っていることで話せることは全て伝えた。

 飛神で飛んできた俺に遅れて、帝や軍執行部が北都に到着すると、北都はあっという間に騒ぎになった。誰も、帝自らが北都で指揮を執るとは考えていなかったようだ。

 しかし帝は市民の騒ぎは気にせず、相変わらずの手際の良さで指示を出していった。

 帝が軍全員のねぐらと食糧を確保し、軍全員がそれぞれあてがわれた部屋に入った時には、すでに日は暮れていた。

 ひとまず落ち着いて、ここ最近の疲れが一気に出たのか、俺は部屋に入るなり夕食も取らずベッドに倒れ、そのまま眠りに落ちた。現実世界は日曜日だったため、これ幸いと俺は一日中布団から出なかった。明にすべてを聞いてもらおうか、そうすれば何か楽になるかもしれないと考えたが、何年か前のことが頭をよぎり、怖くなってできなかった。

 そしていつのまにか寝て、起きて、今俺は軍の会議に参加するために、ルーセルとともに会議が行われる予定のアーラの神殿に向かっている。帝都での会議と違って、今度は軍百七十部隊の隊長副隊長全員が参加する大掛かりなものだ。ノル村の辺りを交代交代で見張っている出身が北地域の軍の人員も、これのために北都にやってくるらしい。

 おそらくこの会議で、帝は自らの侵略計画を説明し、是非を問うだろう。俺は反対するつもりだが、大勢が賛成に向かった場合、俺にそれを覆すだけの力はない。仮にそうなってそのまま侵略が決まったら、ルーセルの目を盗んで、どうにか異空門を確認しに向かおうと思っている。かなりリスクがあるのは承知の上だが、やらないとどうにもならない。確認して、異世界が現実とは別の世界だったらそれでよし。俺は軍の一員として、帝の指令に従う。ただ、異世界が、もし現実世界だったら……?俺は……

 いや、きっとそんなことはないはずだ。俺をこの世界に招き入れた神なりなんなりが、そこまで残酷なわけがない。そう結論付け、伏せていた顔を上げる。

「は?」

すると目の前に、ルーセルの顔があった。俺の顔を、じーっと覗き込んでいる。

 最近、ルーセルとの距離感がつかめない。以前なら、見つめただけで顔を真っ赤にしていたのに。目の前の顔はけろっとしてるし、この間も抱き着かれたし。いつからか、と言ったら、やはりノル村への往路、ルーセルが墜落死しかけた時だろう。それからは事件続きだということを考えると、一種のつり橋効果のようなものだと思える。

 ただあの時ルーセルはこうも言った。「あなたに見捨てられたなら仕方ない」と。…それが一種の告白のように聞こえてしまうのは俺の考え過ぎだろうか。俺の考えが正しいとすると、ルーセルは直截的ではない言い方ではあるが、告白をしたことによってどこか吹っ切れたような状態になっているとも考えられる。

 まあどちらにせよ、俺としては早く元通りの関係に戻りたいと思うばかりだ。何かあるたびに何かあると、明への罪悪感で心苦しいことこの上ない。

「大丈夫?疲れてるとか?」

「大丈夫。心配されなくても」ルーセルの問いに、俺は距離を置きつつ頭を振る。

 ルーセルは「そう」とだけ言うと、屈み気味だった体勢を直して、普通に歩き出した。

 だんだんと、視界の中のアーラの神殿が大きくなってくる。今からの会議で、俺のこれからが決まる。そう考えると、どうしても緊張してしまう。

 すー、はー。深呼吸一つ。

 ほどなくして、神殿に到着した。会議の行われるのは、部屋というには大きすぎる部屋だった。その中に、おそらく百人程度の人が、すでに円卓の机に座っていた。自分たちの席を見つけ、腰掛ける。

 少しして始まった会議は、最初は特に問題もなく進行していった。まず帝の近くに座っている執行部の一団から一人立ち上がり、これまでの経過と現状の説明が行われた。俺もここで初めて知ったのだが、異世界軍は最初の侵攻以来、まったくこの世界には入ってきていないらしい。それについては憶測、例えば敵はもう侵攻の意思を失ったのかもしれないし、逆に次の侵攻のための準備に集中しているのかもしれないなどがいろいろと考えられるが、引き続きいつ戦いになってもいいような心構えをしておくように、ということだった。

 執行部の長広舌が終わり、場に一瞬弛緩した空気が流れたタイミングで、帝が立ち上がった。みなの視線が一気に帝に集中する。

 皆はおそらく、帝から激が飛ばされるとでも思っているのだろう。その証拠に、皆の顔にはそこまで深刻さが浮かんでいない。気の早い何人かはすでにこぶしを握り締め、いつでも振り上げられるようにしている。俺の隣のルーセルもその一人だ。これから帝が言うことの内容にだいたい予測がつく執行部の面々は、あるものは目をつむり、あるものは頭を抱え、深刻な表情で、何かを考え込んでいるようだった。間違いなく、帝の意見に賛成するか反対するかの最終決定をしているのだろう。そしてこの場の唯一の異端児である俺は、静かに会議の動向を見守ろうと、腕を組んで帝を見つめる。

 帝は一つ咳払いをし、ゆっくりと、語りだした。

「君たちは今回のことを、どう感じる?死者こそ出なかったものの、異世界の軍に我々の土地を荒らされて、このままでいいと思うか?」

 場の空気が変わった。若干の高揚から、不審、そして若干の憎悪へと。この場にいる誰だって、自分たちの世界が理不尽に荒らされて、少しの憎しみは感じているのだ。単にそれが、形として出てこないだけで。そしてそこが、この世界と現実の一番の差でもある。

「みんな知っていると思うが、われわれは遥か昔にも、異世界の侵攻をうけた。その時は、当時の帝が神素を武器として使うという画期的な発想を思いついたために撃退することはできた。その経験から軍は整備され、何千年という時を経て、われわれはこうして会議をしている」

 帝には今、六百を超える鋭い視線が集まっているはずだ。それでも帝は、堂々と話し続ける。

「軍は、この世界を異世界軍から守り抜くためにある。それはこの数千年間、変わらずに来た。……ここで、私は君たちに問う」

 帝は机に両手をつき、前かがみになった。

「本当にこの世界を守るためには、それだけでは物足りなくはないか?」

 ……は?

 机を囲む、ほぼ全員がそういいたげな表情になった。帝が何を言おうとしているのか、まったくわかっていないようだ。だがそれはこの世界の人々の普通の感覚からして、当たり前のこと。あの帝が、ただ異質なだけ。

 さあ、ここからだ。その異質に、普通がどういう反応を示すか。

「守るためには、守っているだけではいけない。なぜなら攻め込まれるたびに防いでいるのでは、敵の初撃は絶対に防げないからだ」

 皆の理解が追いつく前に、帝はどんどん話を進めていく。もしかしたら、狙ってやっているのかもしれない。

「敵に、もう二度と攻撃をさせないためにも、ここで、敵を完璧にたたいておきたい。だから私ヒュルト・シュバイトは、こちらからの、異世界への侵攻を提案したい」

 場が一瞬にして凍りついた。みな唖然としてしまい、だれも言葉を発しない。いや、発せないが正しいか。

 帝はそんな反応も予期していたのだろう、かまわず話し続ける。

「攻め込むなら、敵が動きを見せていない今が狙い時だ。急だとは思うが、この場で全員一票の多数決で、決定を出してしまいたい。ただ今すぐとは言わない。考える時間を今からとる。相談しても構わない。自分なりの決定を出してくれ」

 帝は皆を見渡し、座った。皆もやっと理解が追いついたのか、近場同士で相談し始めた。喧騒が辺りを満たす。

「なんか大変なことになってきたけど…どうする、アールス?」

 隣に座るルーセルからの問い。比較的、落ち着いているように見える。

「そっちは?」

「もちろん、賛成するに決まってるわよ。ノル村をあんなにされたんだから。あなただって、賛成するでしょ?」

 予想できた答えではあった。ただそれでも、実際に聞くとつらいものがある。俺は今から、この世界のためでも、ノル村のためでもなく、この世界にはいない武中真琴のためだけに、この世界の人々を説得しなければならないという事実が、改めて自分の心にしみこんでくる。

「でもルーセル、実際相手の戦力がどれくらいのものか、まったくわからないんだぞ?それはわかってるのか?」百パーセントの建前。

 ルーセルは驚くようなそぶりを見せ、俺を見た。

「ずいぶん弱気ね。意外。……私はそれに関しては、一切心配してないわ。どのみちそんなに戦力差があったら、すぐにやられちゃうわよ」

 ……うむ。たしかにそれもそうだ。やはり建前で説得するのは無理なのか。

「……もしかして、あなた反対なの?」

 少しの沈黙の後発せられたルーセルの声からは、否定してほしいという意思が強く感じられた。 

 ただそう分かっていても、俺は肯定するしかない。嘘の上に嘘を重ねるような真似だけは、ルーセルにはできない。

「ああ。俺は、反対だ。…賛成できないんだ、俺の立場じゃ。」

「なんで?」間髪入れずに、ルーセルが無表情で言った。

「言えない」

「私にも?」

「……ああ。本当に悪いと思ってる。けどこればっかりは……」

「なんでよ!」

 ルーセルが突然、声を荒げた。周囲の視線が集中する。

「私のこと、信用できないの?」

「いや、そんなことは……」

「だったら教えてよ!ノル村を、故郷をめちゃくちゃにされて、あなただって悔しいでしょ?憎いでしょ?やり返したいって思うでしょ?その感情を抑えてまで、何のために帝の意見に反対するのか、言ってみなさいよ!!」

 ルーセルは今まで俺が見たこともないほど激高し、一息に言い切った。

ルーセルの言っていることに、間違いは一つもない。ルーセルからしたら、俺の言葉は信じがたい物だろう。当たり前だ。俺だって、悔しい、憎い、やり返したいと、心のどこかでは思っているに違いないのだから。実際に俺はノル村で、我を忘れて敵を全滅させている。その点に関しては、俺とルーセルは何も変わらない。

 違いは一点、素直にその感情に従っているかどうかだけだ。そしてその差異だけは、どうしようもない。万が一のことを考えると、俺は侵攻作戦には絶対に賛成できない。そうしてしまったら、結果はどうあれ、武中真琴は死んでしまう気がする。

 明の涙だけは、絶対に見たくない。

「何とか言ったらどうなのアールス!」

 ルーセルは立ち上がり、俺の両肩をつかんだ。思考から引き上げられる。

 何て答えればいいんだろう。分からない。何を言っても、嘘になる。

「時間だ。静かにしてくれ」

 ……何てタイミングだろう。帝の指示に、俺は文字通り救われた。ルーセルも帝の命に逆らうことはできず、しぶしぶとだが席につき、視線を俺から帝に移した。

 場が静まるのを待って、帝は口を開いた。

「では多数決をとる。言っておくが、ここで反対したからといって何も咎めることはない。自分の気持ちのままにきめてほしい」

 皆がうなずく。俺は目を閉じる。

「では、私の提案を是とし、危険を承知で異世界に侵攻する意思のあるものは、手を挙げてくれ。」

 緊張する。ゆっくりと目を開ける。祈りながら。

 目に入ってきたのは―手を挙げているみなと、うなずく帝。場を見渡すと、執行部を含めて俺以外全員が挙手していた。

 そんな、まさか、ここまでとは……俺は愕然とした。俺は、この世界の、争いごとを好まない、自分たちから攻勢に出ようなんて考えもしない人々のことだから、僅差にはなるだろうが、最終的には反対多数になると思っていた。一人二人の差ならともかく、何百対一ではもう覆すことなどできない。

 そこまでに、憎しみが深いのか。みんな。その事実は嬉しいが、結果はけっして喜べたものじゃない。

 こうなったら、異空門の向こうが、現実で無いことを祈る以外ない。あの星条旗は、単なる偶然であったと、確認しにいかなければ。できるだけ早く。すべては、それからだ。

 一人考える俺をよそに、場は進行していく。

「この時点で決まった。賛成多数により、私の提案は認められ、近いうちに、こちらから異空門の向こうへと侵攻する。異存のない者は拍手を」

 帝の要求に答え、皆が拍手をし始めた。

 その時だ。

 視界が黒に染まった。

「は……?」

 まだ日が暮れる時間ではないはずだ。仮にそうであっても、ここまで突然暗くなるわけがない。いったい何が起きたんだ?皆も混乱しているのか、喧騒が場を支配する。

若干、視界が明るくなった。光源を見ると、この場にいる炎素使いのだれかが、気を利かして松明代わりの役割をしてくれているようだった。それにつられるように、新しい光源が二、三個生まれた。

「慌てることはない」

 まだざわついていた場が静まった。普段と変わらない帝の声。ここから帝のいる席までは遠く、表情までは見えない。

「数千年前のいわくつきの言い伝えが事実であり、それが再現されたというだけのことだ。時が来れば、また日は戻る」

 数千年前のいわくつきの言い伝えと言えば――一回目の異世界軍の侵攻の時、異空門が閉じられるまで、日が昇らなかったというやつの事か。なるほど確かに、状況は酷似している。異空門が開かれ、それによって戦争が始まろうとしている点で。

 ただそれでは、肝心のことが説明されていない。

 なぜ、争いが起きるたびに、日は昇らなかったり、消えたりするのか。

 うーん、分からない。謎だ。

 しかし皆はとりあえずそれで納得したのか、場の雰囲気が落ち着いたものへと変わっていく。この状況で、発言一つで混乱を鎮められる帝。どれほどの信頼を受け、尊敬を集めているのかがよくわかる。

「このまま会議を続けたいと思う。……松明代わりになってくれている者には悪いが、頑張ってくれ」

 帝の発言を受け、「大丈夫です」と言わんばかりに、炎が少し大きくなった。おかげで、俺の位置からも、帝の表情が読み取れる。

「ここからは、攻撃作戦について、具体的に決めていきたいと思う。隊長副隊長は問わない。これという案があったら、どんどん出してくれ」

 そこから先は、本当に階級、年齢関係なく意見が発せられる、活発な議論が展開された。いつ行うのか、どの部隊が参加するのか、異世界にわたってからどうするのか、長距離移動手段はどうするのかといったことが、どんどん決まっていった。特に移動手段を決める際には、ついに飛神が公の場に出され、帝自ら使い方を実演するにおよび、場の高揚は最高潮に達した。帝曰く、すでに飛神――正式名称は人翼(じんよく)――は数千個完成しているらしい。帝都の工房が、帝の想像以上の速度で大量生産しているそうだ。

 そんな中俺は、一人会議には参加せず、今後の、俺なりの計画を考えていた。

 まず、今日の夜、みんなが寝静まったのを見計らって、異空門へ、異世界が現実かどうか確認しに行く。これは確定。

問題はその次だ。異世界が現実で無かったのなら、帰ってきて眠りにつく。さぞかし、ぐっすり眠れるだろう。

万が一、考えたくはないが、異世界が現実であるという確信が持ててしまったら―?

その時は、その時だ。

 ……って、これじゃ計画も何もないな、と思った時には、いつの間にか会議が終わっていた。会議の内容を一応確認しておこうと思い隣の席を見ると、そこにはルーセルの姿がない。やっぱり、怒らせてしまったのだろうか。いつもなら、俺をおいて一人で帰るなんてことはないのに。さみしさのようなものが、なぜかこみあげてくる。

 ルーセルには、言うべきなのかもしれない。俺の全てを。アーラの神殿を後にしながら、俺は考える。

 言うべきだ。きっと。

 しかし怖い。言ってどうなるかのことを考えると。また、いつかみたいにゲテモノ扱いされてしまうのではないかと、どうしても考えてしまう。

 やめておこう。やっぱり怖い。

 そこまで考えて、怖さを感じるということは、俺がルーセルのことを信じ切れていないのだと気付かされる。

 言うべきだ。ルーセルなら、きっと信じてくれる。

 いや、でも―

 やめておこう。

 言うべきだ。

 やめておこう。

 言うべきだ。

 やめておこう。

 ……

 ……

 そして結局、答えが出ぬまま、宿についてしまった。

 日が消えてしまったせいで、時間感覚が狂う。真夜中に異空門に行けば誰にも気づかれずに済むと思ったのに、これじゃいつが真夜中かわかったもんじゃない。俺は部屋に入り、飛神があるのを確認して、ベッドにダイブする。

 目の前の壁のすぐ向こうに、ルーセルがいる。そう認識すると、またさっきの無限ループが再開される。

 言うべきだ。

 やめておこう。

 言うべきだ。

 ……

 ああ、ムカつく。何がって、自分がだ。俺はベッドから起き上がり、飛神を背負う。真夜中も今も変わらないのなら、さっさと確認してしまおう。

 ベランダから、勢いよく飛び出す。

 

 

 はあ……

 ベッドに横になってから何度目かわからない溜息を、ルーセルはついた。

 両手で投げ上げた枕が、重力に従って落ちてくる。両手でしっかりキャッチして、また投げ上げる。

 自室にこもって一人悩んでも、どうにもならないことぐらいルーセルにも分かっている。ただ、どうしても最初の一歩が踏み出せない。だからこうして、ベッドの上でぐずっている。

 さっきから何度も自分に言い聞かせて、一旦は決意するのだ。ただ隣の部屋を訪ねて、アールスとさっきの会議での話の続きをする、それだけの事じゃないの。さあ行きましょう、と。 

 ただそのたびに、会議でのアールスの、何か迷ったような様子が脳裏をよぎる。

 よく考えると、ここ最近のアールスはどこか変だった。いつも何か考え込んでいるようだった。うまく言えないが、アールスらしくないとルーセルには感じられた。

極めつけが、今日の会議だ。

 ルーセルは、アールスも賛成するものとばかり思っていた。ともに先陣切って、異世界に攻め込んでやると意気込んでいたのだ。

 しかしアールスは反対したいと言った。しかも、理由は「言えない」ときた。

 直後は腹も立った。怒っていると知らせるために、初めてアールスを会議室においてきもした。ただいま落ち着いて考えると、私にも言えないくらいなんだから、無理に聞かずに、そっとしておいてあげる方がいいかもしれない、と思うのだ。

 ルーセルとしては、アールスには一人で悩まず、私くらいには話してほしいと思うし、そうしてくれないことが悔しくもある。

 しかし、それも仕方がないかもしれないとも、思ってしまう。

 なんたって―私だって、もう十年近くも、想いを告げられずにいるんだから。

 「あっ……」

 投げようとした枕が指に引っかかり、あさっての方向へ飛んで行った。ため息をつきつつ、目で追う。

 「は?」

 するとその先には、今まさにベランダから飛び立とうとしているアールスの姿が。

 「どこいくのよ!」

 しかしその声は、アールスには届かず、アールスはそのまま、ものすごい勢いで北へ飛んで行った。

 追いかけよう。ほっとけないわ。

 ルーセルはベッドから起き上がり、飛神を背負う。

 

 

 星明りを頼りに、思いのほか、異空門は簡単に見つけられた。

 異空門の周りは、ノル村が焼け野原になってしまっていることを除いては、前に見た時と何も変わっていなかった。あえて言うなら、少し遠くに、異空門を見張る軍の野営地があったことぐらいか。

 万が一、敵がタイミング悪く攻め込んできていた時のことを考えて、慎重に異空門へと降下する。幸い、敵の気配は一切ない。この一週間くらいでさらに積もった雪を踏みしめつつ、異空門の中を覗き込む。

 最初に見た時と同じように、異空門の向こうは森が広がっているようだった。それだけでは、現実世界であるかどうかの判断はつけられない。

 決心し、一回深呼吸。門をくぐる。

 異世界もまた、夜のように暗い。おそらく、本当に夜なのだろう。俺は辺りに気を回しながら、木の根ででこぼこの道を、慎重に歩いて行く。

 なかなか、視界が開けず、じれったいなあと思った矢先、視界が開けた。

 目の前に広がるのは、決して大きくない池と、そのほとりに小さなベンチがある光景。

「う、そ、だ、ろ……」

 考えるまでもない。

間違いない。

 ここは。

 俺と明のお気に入りの場所。

 杜氏川自然公園。

 ならばここは。

 現実世界だ。

そう認識した瞬間。

 意識が飛んだ。

 

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