JH科学 魔法町シリーズ二次創作 「カガクノミチ」   作:きゃら める

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ある日届いた手紙によって、ニーナはまるで恋する乙女のようになってしまう。プライベートに踏み込むのをためらう湯川だったが、絡んできたミレーユに手紙の内容を報告するように言われてしまう。
果たしてニーナに届いた手紙の内容とは? ニーナに恋人ができてしまうのか? 今回もニーナ・アインシュタインを軸に、巻き込まれた湯川がドタバタするお話!


第二話「相思創AI」

 

 

   「相思創AI」

 

 

          * 1 *

 

 

「真空管ドールとロボットの違いはなんでしょう?」

 昨日掃除したばかりだというのに、もうスナック菓子の袋や飲みかけのペットボトルが散乱している実験室に入った途端、ニーナ教授からそんなことを訊かれた。

 たまたま通りがかった受付で持っていってと言われた郵便物を小脇に抱えた僕は、それを実験用の広いテーブルに置いて、ため息を吐く。

「真空管ドールは真空管とそれ用に造られたボディにより発現する、未解明なことの多いアナログ人工知能によって制御されていて、ロボットはプログラムを基本とするソフトウェアで構成されるデジタル人工知能で制御されている。その違いですか?」

「なんだ湯川君、知ってたの」

「そりゃあまぁ、精神物理学を専攻するなら、アナログ人工知能とデジタル人工知能の違いについては勉強しますしね」

 相変わらず静かな滝の如く流れる金糸のような髪を指でいじりながら、ニーナ教授は唇を尖らせてつまらなそうにしている。

 深緑のシャツにミニスカートを合わせ、ネクタイを締めてるニーナ教授はいつになくゴスロリ成分は少ないが、絶対領域が眩しいニーハイソックスにはしっかりレースがあしらわれている。

 椅子に座って脚を組んでるから、微妙なところで見えてしまっていて、目のやり場に困るが、誘ってるわけじゃない。

 ニーナ教授の場合、他の人からどう見られているかとか、世辞の言葉よりも、自分が綺麗か、可愛らしいかの方が重要らしい。みんなから見ても高評価な容姿と服装は、自分のためのものであって、どんな風に見られているかはよく理解してないようだった。

 そうしたちょっと天然な部分がトラブルの原因になったりもするけど、生来の性質なんだろうから、僕はわざわざ指摘したりはしない。

 それがニーナ・アイシュタインという、たった一六歳にして国立魔法大学の教授にして学長を担い、世界に天才として名を轟かせ、その評価に値する功績を残してきた女の子なのだから。

 一八歳で大学老院生となり、ニーナ教授の助手に抜擢されてからそろそろ八ヶ月。僕はそんな彼女とのつき合い方がわかってきていた。

「真空管ドールは精神物理学的にはかなり興味深いテーマだから、いろいろ実験してみたいとは思うんだけど、難しいのよねぇ」

「まぁ、仕方ないですね」

 真空管をロボットに取りつけるとなぜ人間とほぼ同等の精神が生まれるのかについてはわからないことだらけ。だけど発現することだけは確かだから、真空管ドールには人間ほどではないにしろ権利と義務がある。

 法律で守られてるそれらにより、真空管ドールは本人の意志を無視してロボットのように分解したりすることはできない。

 ニーナ教授と話しながら、僕は手早く手紙の仕分けをする。

 連絡手段としては電子メールも存在するが、地球以外の星との交流も行われてる現在、そうした電子的な手段はどんなに高性能なフィルタをかけてもスパムや勧誘なんかで埋まって、既知の相手以外のメールを拾い上げるのは簡単ではない。

 だから電子メールが一般的になって数百年も経ついまは、逆にアナログな手紙の方が有用だったりする。

 と言ってもやっぱり世界的にも名の通ったニーナ教授宛に送られてくる手紙の大半は、ほとんどが不要なものだ。たくさん届くダイレクトメールや怪しい団体からの勧誘を弾いたり、手紙を彼女に渡すべきものかどうかを判断するのは助手の役を任じられてる僕の仕事だ。

「アナログ人工知能のことを研究できれば、もっといろいろわかると思うんだけどね」

「逆にデジタル人工知能では、アナログ人工知能と同じ精神は獲得できないんですか?」

 ほぼゴミ箱行きだろう手紙の束を、念のためニーナ教授が見るかも知れないから廃棄予定のボックスに入れ終え、意味のある手紙を一通ずつ確認しながら、僕はそう問うてみる。

 話に食いついてきたのが嬉しいのか、妙ににこやかな笑顔を浮かべるニーナ教授。

「いろんな人の論文とか研究成果を見たことはあるし、自分でも実験したことはあるけど、いまのところは無理ね」

「そうなんですか? 町で見かけるロボットなんて、人間とほとんど見分けがつかないものが多いですけど」

 人間に似せてつくられたタイプのロボットは、本当に見分けがつかないものがけっこうある。

 肌の質感や髪、表情なんかは人間のそれと遜色はない。目はカメラアイだから判別つくようでいて、機械義眼を埋め込んだり多機能コンタクトレンズをつけてる人間もいて、ひと目でロボットと人間を判断するのは困難だ。

「確かに外見はほとんど変わりないわね。それを言ったらグレイ系宇宙人とか岩石系宇宙人なんて、地球人じゃ見分けつかないわよ、本人たちにとってはもの凄い違いがあるらしくて、ひと目でわかるらしいけど。それに行動とかも、成長型だったり、巨大データベースに接続して稼動するタイプのロボットは、反応も人間と違いを感じるのは難しいしね。でも、少なくともひとつ、人間やアナログ人工知能と、デジタル人工知能では決定的な違いがあるんだけど、何かわかる?」

「……なんでしょう?」

 外見的な違いは薄く、行動も人間や真空管ドールと違いを感じられないロボットとの決定的な違いは、僕には思いつけなかった。

 生まれ方だって、真空管ドールは工場で生産されてるわけで、部品は一部ロボットと共通してたりするから、人間と真空管ドールに対して、ロボットの決定的な違いにはなり得ない。

 さすがにわからない僕は、手紙の仕分けをする作業の手を止め、首を傾げてしまう。

 にんまりと笑うニーナ教授は、得意げに人差し指を立てて見せながら言う。

「それは、魔法が使えるかどうか」

「魔法、ですか」

「えぇ、そうよ。人間も真空管ドールも、魔法を使って、反重力ホウキで空を飛んだりできるけど、ロボットにはそれができない。ロボットには魔法は使えない。人間だって種族差や個人差で魔法力の強さはまちまちだけど、ゼロという人間はいない。空を飛んだりする方法は、別に魔法以外にもあるからそれほど困ることはないけどね。精神物理学において、魔法が使えるか否か、使える場合、使えない場合の原因やその理論はとても重要なのよ」

 そう言ってウィンクするニーナ教授に、思わず胸がキュンとしてしまうが、本人は無意識にやっているだけだろう。

「まぁそんなこんなで、真空管ドールについては調べてみたいんだけど、難しいわねぇ。真空管にアナログ人工知能を発現させる効果が発見された当時、いまでは考えられないほど凄い実験とかやってたみたいなんだけど、その頃の論文なんかはいま手に入らないのよねぇ」

「なんでまた、突然今日はそんな話を?」

「うん? ちょっとね。昔やってた研究の節目にあたる時期でね。ちょっとそんなことを思い出したの」

 一六歳とは思えないくらい大きく柔らかそうな胸の下で腕を組み、ニーナ教授はうなり声を上げる。

 機材の購入に使ってる業者からの重要と書かれた手紙を手元に置きつつ、どうやらニーナ教授個人宛らしい、横開きの薄い緑色をした封筒を差し出す。

「あ! 今日か明日届く予定だった機材、入荷の遅れで来週になるそうですよ。こういうのは電話か直接営業の人が来てくれないと……。実験遅れちゃうのに」

 納期遅延の連絡を手紙で送ってくる業者に後で文句をつけようと思いつつ、僕はゆっくりと顔を上げる。

 けっこう適当だったり遊んでたり、実験室だろうと構わず散らかしたりするニーナ教授だけど、研究に対してはいつも真摯だ。機材の納期遅延で実験が遅れるなんてことになったら、すねたり文句を零したりかも知れない。

 そう思って恐る恐るニーナ教授の顔色を窺ってみると、なんだか惚けた顔をしていた。

 僕が渡した手紙の、おそらく裏書きを見て、口を半開きにしながら、驚いてるのか目を見開いてる。

「教授?」

「あ、うん。納期遅延ね。わかったわ。じゃあ実験は来週以降ね」

 手紙に目を向けたまま、ニーナ教授は顔を上げすらしない。

 僕の話は聞いていたようだけど、その声は僕に向けられているような感じはしない。

 宛名しか見てなかったから誰からの手紙かはわからないし、いまの僕の位置から差出人は見えない。

「じゃあ今日はもうやることないわね。今日はいいわよ。機材が届いたら知らせて頂戴」

「あ、いえ。明日また掃除するんで、来ますけど」

「あぁ、うん。そう。それはお願いね」

 上滑りだったニーナ教授の声音に、徐々に色がついてくる。

 呆然としていた顔にも、抑えてるようだけど笑みが零れてきていた。

 ――そんなに嬉しい人からの手紙だったんだろうか。

 そんなことを思っても、教授のプライベートにまでは踏み込むわけにはいかない。

 気になるけど、時間ができたことはいいことだ。

 手伝いをしてるニーナ教授の実験の他に、僕にも僕が決めてやっている研究がある。それを続けるために大学老院にまで入ったんだし。

「じゃあまた明日」

「はい。ニーナ教授。お疲れ様です」

 まだ手紙に釘付けになったままのニーナ教授を残し、僕は後ろ髪引かれながらも実験室を後にした。

 

 

          * 2 *

 

 

 ――これは明らかにおかしいよな。

 僕の前に座っているのは、ニコニコと笑うニーナ教授。

 機嫌のいいときはこんな感じではあるんだけど、今日の笑顔は格別だ。まるで顔が光を放っているような満面の笑みを浮かべている。

 注文した食事が来るのを待ちながら、僕はこっちを見ているようで見ていないニーナ教授の顔を見つめて、考え込んでしまっていた。

 僕たちがいるのは国立魔法科学大学の中にある食事処のひとつ。

 テラス席や中二階席があって、オープンスペースなのに観葉植物なんかによってすぐ隣の席との間が区切られていたりと、内装はかなりオシャレだ。

 軽食や喫茶がメインだけど、学内食堂だけあって丼物からラーメンまでメニューも豊富で美味しい。ただし内装と味の分だけちょっとお高い値段設定なので、昼時のいまも満席と言うほどには埋まっていない。

 他にも学内にはもっとリーズナブルだったり量が多い店があるから、この店は教授や外から来た人なんかによく利用されていた。

 けっこう苦学生である僕が今日、この店に来たのは、ニーナ教授に誘われたから。

 それも奢ってくれると言う。

 意外と出不精で、お昼はお菓子や出前で済ませてしまうことも少なくないニーナ教授は、お金関係にはきっちりしてる方で、基本は割り勘だ。

 教授とは言え年下の女の子に奢ってもらう気はあんまり起きないので、それ自体は気にしたことなかったけど、今日は珍しく奢るから着いてこいと言われて、思わず頷いてしまっていた。

 機嫌の良さが半端ない証拠だろうけど、何かがおかしい。

 ――昨日は逆だったしな。

 昨日のニーナ教授は、今日のテンションの高さとは逆で、憂鬱そうにため息を漏らしてばかりいた。

 今日と昨日で違い過ぎるテンションは、おかしいと気づくに充分なものだった。

 ――あの手紙が届いてからだよな。

 一昨日、手紙が届くまではそれ以前のニーナ教授のままだったから、いまの様子はあの手紙が原因であることは明らかだ。

 でも内容はもちろん、差出人も見ていない手紙がどんなものであったのかは、僕にはわからない。

「お待たせいたしました」

「ありがとう。さぁ、湯川君も食べて食べて」

 運ばれてきたのは思ったよりボリュームのあるカルボナーラとたらこスポゲティ。ニコニコと笑いながらニーナ教授は自分用の小皿にカルボナーラを盛りつけて、食べ始める。僕も「いただきます」と声をかけてから、たらこスパゲティを小皿に移して食べ始めた。

 味はかなりいいんだけど、あんまり食べた気にならずに流し込んで、僕は食後のコーヒーを飲み干す。

「えっと、じゃあ、ありがとうございました」

「うん。また後で」

 気色が悪いくらい機嫌のいいニーナ教授を残して、僕は席を立つ。

 笑いながらもこっそり教授の手が上着のサイドポケットに伸ばされているのは、そこに例の手紙が入っているから。

 嬉しいのか憂鬱なのかもわからない手紙を、ニーナ教授は肌身離さず持ち歩いていた。

「うわっ、と! すみません」

 ニーナ教授のことが気になりながらも、食堂から実験室に向かおうと建物内に続く出口を潜ろうとしたとき、人にぶつかってしまった。

「あぁ、うん、いいのよ……。って、あれ? 湯島君、だっけ?」

「湯川です」

 軽く肩が当たっただけなのによろめいて、僕にしがみついて身体を支えてるの女性は、ミレーユ・シュレディンガー。

 若くして生物工学の助教授をしている彼女は、国立魔法科学大学の中でも次に教授になるだろう、と目されている人物だ。

 教授になれていない理由のひとつに施設の不足が上げられていて、ニーナ教授が実験の内容に応じて複数の実験室を校内で占有しているため、何かと食ってかかってくることのある女性だった。

 ――教授になれない理由は施設の不足だけじゃない気もするけど。

 ついこの前起こった事件のことを考えると、施設の不足以外に教授になれない理由が彼女自身にありそうな気がするけど、それは口にしないのが利口というものだろう。

 ニーナ教授とは違うけど、ミレーユ助教授も今日はなんかおかしい。

 ただこちらは見た目でわかりやすいおかしさだ。

 飾り気の多い濃紺の、スカートの裾がふくらはぎまで覆うワンピースを着、荒々しく膝裏まで流れ落ちる滝のような、ウェーブがきつめのブラウンの髪は、今日はいろんなところで跳ねて凄いことになっている。

 いつもなら人を小馬鹿にしたような高飛車な態度のことが多いのに、テンションは昨日のニーナ教授並みに低く、それを表すかのように目の下には歌舞伎役者かと思うほどくっきりとした隈ができていた。

 たぶん極度の寝不足だ。

 ニーナ教授はニーナ教授で胸はもちろん身体のすべてが女の子らしく柔らかいけど、美しさと同時に可愛らしさが強い。

 一九歳でニーナ教授とは三歳しか違わないのに大人びた魅力を漂わせ、ニーナ教授以上の胸を押しつけるようにしがみついてきてるミレーユ教授に、僕はどうしていいのかわからず動くことができない。

「どうしたの? 湯島、じゃなくて湯川君。浮かない顔して。何かあった?」

「え? 僕がですか?」

 確かにいまはニーナ教授のことが気になっていたけど、ひと目で見破られるほどとは思っていなかった。

 というか顔だけなら僕よりミレーユ助教授の方が酷そうだ。

「悩み事なら聞いてあげるから、ちょっとつき合いなさい!」

「いや、僕は、ちょっとっ」

 いきなりテンションが上がったミレーユ助教授は、僕の腕を引っ張っていく。

 食堂から出ようとしていたのに、僕は抵抗しきれずに逆戻りすることになってしまった。

 

 

          *

 

 

 食前のオレンジジュースをストローですするミレーユ助教授は、顔を顰めながら呟く。

「ニーナ教授がおかしい、ねぇ……」

 彼女がちらりと走らせた視線の先には、紅茶を飲みながらいままで開いていた手紙をポケットに仕舞うニーナ教授。

 わざと狙ったわけではないだろうけど、入り口から少し入った奥まった場所にあるこの席は、ニーナ教授からは少し離れていて、気づかれた様子はない。観葉植物も置いてあるから、いまの様子ではこちらに気づくことはないだろう。

 席に着いたミレーユ助教授はウェイトレスを呼びつけて、ニーナ教授ほどでないにしろほっそりとした身体のどこに入るのか疑問を覚える量の注文をした後、僕に何があったのか問うてきた。

「いつも割とおかしいと思うけど」

「いや、そうかも知れませんけど、いまはそうじゃなくって……」

「少しはまともになったとか?」

「それも違って……。それよりも、ミレーユ助教授こそその隈、どうしたんですか?」

 ずいぶん失礼な言葉を口にする口調や表情こそいつもとそんなに変わりないが、目の下の隈はそのままだ。

 ニーナ教授と同じように、ミレーユ助教授もけっこうな研究狂いで知られてる。たぶんその手の理由だろうとは推測ついていたけど、気になるので訊いてみた。

「急ぎの依頼があって、十日ほど実験室に籠もってたのよ。まったく、まともに寝られやしなかったし、外に出ることもできなかったわ。これが十日振りのまともな食事なのよ。そんなことより、ニーナ教授よ」

 詳細はわからなくても手紙が原因なのはわかってる。

 おそらくプライベートなことだろうから、あんまり他の人に話すべきじゃないと思ったけど、話を逸らすのには失敗していた。

「一昨日から様子がおかしいんですよ。憂鬱にしてたり、機嫌が良かったり。手紙を見てばっかりで何も手に着かないみたいだし」

「へぇ。なるほどねぇ」

 面白い物を見つけたように嫌な笑みを見せたミレーユ助教授は席を立つ。

「あ、料理は食べちゃダメだからね! ワタシが全部食べるんだからっ」

「僕はもう食べましたから」

「絶対よ!」

 頬を膨らませてそう言い残した彼女は、するするとテーブルの間を縫ってニーナ教授の前に立つ。

 止めるべきだったのかも知れないけど、いまさら間に合わない。

 僕が話したことがバレないよう、観葉植物の影に身体を隠して、葉っぱの間から助けが必要な状況にならないかどうか見ていることしかできない。

 いつもだったら険悪なやりとりをするのが常なのに、注文した料理が僕の前に次々と運ばれてくる間に、ふたりはなんだか仲良さそうに話をしている。

「ねぇ! 聞いて聞いて!! 研究室ひとつ空けてワタシに譲ってくれるって!」

 満面の笑みを浮かべて戻ってきたミレーユ助教授がそんなことを言う。

 ニーナ教授の方を見てみると、すでにミレーユ助教授のことなんて気にしてる様子もなく、頬杖をついてうっとりとした表情を浮かべてる。

「……たぶん憶えてないと思いますよ、何を話したかなんて。一昨日からそんな感じでしたから」

「そうでしょうね。湯川君の言う通り、おかしくなってるわね」

 寝不足でハイテンションになってても、さすがにニーナ教授のおかしさには気づいてくれたらしい。

 キノコとベーコン入りのペペロンチーノにスペアリブ、担々麺に加え大盛り五目チャーハンが並んだテーブルに着き、ミレーユ助教授は食事を開始した。

 フォークとナイフとスプーンを駆使して上品に料理を口に運ぶミレーユ助教授は、でも恐ろしいペースで皿から食事を消していく。

「ニーナ教授は、恋をしてるわね」

 大食いの人が見せる豪快な食べっぷりとはまた違う、魔法を見てるような速度ながら優雅な動きで食事を摂り終え、ナプキンで柔らかそうな唇を拭ったミレーユ助教授は、そう言った。

「……そうでしょうか?」

「えぇ、そうよ。気分が浮ついたり沈んだり、人の話を右から左に素通りしたりって、典型的な恋の症状でしょう?」

「それはまぁ、そうなんですが」

 得意げに話すミレーユ助教授に、僕は首を傾げることしかできない。

 ニーナ教授の人気は大学の中と言わず外と言わず高いが、こと恋愛になると微妙になる。

 尊敬や羨望、その裏返しである嫉妬の感情を向けられることは多い。けれど思慕となると、少なくとも僕が助手になってからは数回、微妙なのがあった程度だ。

 元々人づき合いがそんなに得意でないこともあってか、恋愛よりも研究や趣味の方に気を取られてるからか、ニーナ教授自身から誰かを好きになったりつき合ったりという話もとくに聞いたことがない。

 教授として、仕事として、友達として男の人とのつき合いはあるけど、恋愛関係で男の影を感じたことは、一度もなかった。

 むしろけっこうあからさまな言葉を向けられても、ニーナ教授が気づかなくてスルーしてしまって、勝手に相手が玉砕するという場面が過去にあったくらいだ。

 ――過去の武勇伝も関係してるんだろうけど。

 ニーナ教授は過去に実力行使で自分の女にしようとした男の人に、実力行使の返事をしたことがある。

 それ以来、彼女にストレートな告白をする人はいなくなったらしい。

「ニーナ教授はけっこう恋愛音痴っぽいんですよね」

「わかったようなこと言ってるけど、湯川君はどうなのよ。恋愛経験あるって言うの?」

「僕は一応、地元にいたときは彼女いましたよ。こっちに来るときに別れましたけど」

「……そうなの?」

 僕の返事に意外そうな顔をするミレーユ助教授。

 ずいぶん失礼なことを考えてそうな気がするけど、確かにいまの僕は研究の方が楽しくて、女の子と遊ぼうという気にならないのは確かだ。

 相対的に格好も助手として失礼にならない程度にはしてるけど、オシャレに気を遣ってるほどというほどではない。女の子に声をかけられるようなことも大学に入ってからはないくらいに。

 ニーナ教授という比較対象が側にいるから、こちらから声をかけようと思える女の子がいないというのもあるかも知れない。

「地元では頭がいいってことでそこそこ有名だったんで、それなりにモテてましたからね。まぁ、こっちに来るのが決まった時点で振られましたけど」

 割と早い段階で気づいてたことだったけど、その頃つき合ってた子はあんまりいい彼女ではなかったらしい。

 気になって大学に入ってから地元の友達に聞いてみたら、僕が彼氏であることを自慢して回ってたそうで、連絡した頃にはもう新しい彼氏とつき合ってるということだった。

 僕も決して恋愛経験が豊富というわけではない。

 でもなんか、いまのニーナ教授の様子は、確かに恋愛感情のような気がするんだけど、どこか少しズレがあるような気もしていた。

 口元に手を寄せて驚いた顔をしてるミレーユ助教授に、せっかく訊かれたのだからと僕も訊いてみることにする。

「そういうミレーユ助教授はどうなんですか? 恋愛経験豊富なんですか?」

「え? それは……、その、ね――」

 ニーナ教授ほどではないにしろ、ミレーユ助教授だって校内で人気があって、一九歳で助教授になるほどの天才。

 ニーナ教授に比べると大人びた雰囲気と顔立ち、胸の大きさに勝るプロポーションは、女性としての魅力は充分過ぎるほどだ。

「ワタシにはほら、つき合うに足る男がいないというか、ワタシが好きになるほど魅力的な男がいないというか――」

「……はははっ。そうですか」

 思わず僕は乾いた笑いを返していた。

 突っ込まれて長いウェーブの髪を振り乱しながら慌ててるミレーユ助教授は、高慢だったり大人びていたりするいつもと違って、ちょっと可愛らしい。

 恥ずかしそうに顔を赤くして軽く握った拳を唇に当て、そっぽを向いてるミレーユ助教授にも、彼氏がいたことがあるって話は聞いたことがない。

 ニーナ教授と同じく研究莫迦で、ニーナ教授以上に変人入ってるミレーユ助教授のことを、恋愛対象としては避けてるという人が多いなんて話を聞いたことがあった。

「そ、そんなことよりよ! そのニーナ教授に届いた手紙の内容見て報告してちょうだい」

「……なんで僕がそんなことしなくちゃならないんですか」

 咳払いをして食後のコーヒーを一気飲みした後にミレーユ助教授が放った言葉に、僕は呆れながら返事をしてしまう。

 もしあの手紙がニーナ教授の想い人から届いたものだったとしても、それを覗き見る権利は僕にはない。

 ましてやそれをミレーユ助教授に報告する義務なんてない。

 口元に笑みを浮かべ、いつもの人を見下すような視線を向けてきたミレーユ助教授は言う。

「それだったら貴方、生物工学部に来なさい。ニーナ教授のところより優遇するわよ?」

「さすがに分野が違い過ぎて、いまさら無理ですよ。それにいまの待遇には満足していますし」

「ちっ」

 いつも上品に振る舞ってる彼女にしては下品に舌打ちし、顔を歪める。

 僕が専攻してる精神物理学とミレーユ助教授が専攻する生物工学は同じ理学部だけど、方向性はかなり違う。

 魔法や超能力を扱う精神物理学は、広い視野で見れば生物工学とかなり被っている部分もあるけど、僕は魔法の使い方について主に研究してるから、ミレーユ助教授のやってることと重なってる部分がほとんどない。

「でも、その手紙に興味はあるでしょう?」

「うっ」

 復活して口元に笑みを浮かべて言うミレーユ助教授に、僕は反論できない。

 恋愛なのかどうかはともかくとしても、いまのおかしなニーナ教授の様子は心配でもあるし、その原因が気になってもいた。

「これ、ワタシの連絡先と自宅の住所よ。三日ほど休みの予定だから、覗き見ることできたら知らせに来て頂戴」

 名刺を僕の胸ポケットに突っ込み、ミレーユ助教授は注文伝票を手に取って席を立つ。

「あっ……」

 その気はない、と言う暇も与えず、さっさと会計を済ませて出て行ってしまった。

「……どうしよう」

 残された僕は、顎に手を当てて考え込んでしまう。

 手紙を見る権利も、ミレーユ助教授に報告する義務もない。

 でも気になってるのは確かだし、心配でもある。

 観葉植物の影からちらっとニーナ教授の方を見てみると、うっとりとした顔で、またポケットから取り出した手紙を眺めていた。

 ――このままじゃいけないのも、確かだしな。

 積極的に覗こうとは思わないけど、見る機会があったら、と考えてる僕は、大きくため息を吐いていた。

 

 

          * 3 *

 

 

「うぅーん」

 腕を組みながら歩く僕は悩んでいた。

 昨日ミレーユ助教授から手紙を盗み見るように言われてしまったわけだが、ニーナ教授のプライベートに触れていいかどうかは判断がつかなかった。

 心配でもあり、気にもなっていて、でもやはり個人的なことに踏み込んでいい立場にあるわけじゃない。助手という比較的彼女に近い立場にあると言っても、引くべき線はあるように思えていた。

 まだ朝早い時間、週明けには注文していた実験機材が来て実験が再開できることを考えて、僕はまだ学生の姿もない廊下を、ニーナ教授が使っている実験室に向かっていた。

「おはようございます」

 いつもよりも早い時間なのにすでに鍵がかかっていないことを確認して、僕はそう声をかけながら扉を開けた。

「……教授?」

 声をかけても反応のないニーナ教授は、部屋の真ん中の広い実験用のテーブルとは別に、壁沿いに置いてある机に突っ伏してる。

 近づいてみると、寝息を立てているのが聞こえてきた。

 何時からいたのかわからないけれど、机の上にも側の床にも、スナック菓子の袋なんかが散らばっていて、空いたペットボトルなんかが散乱してる。

 お菓子が好きでよく食べてるニーナ教授だけど、ここのところ本当に量が増えてる気がする。口寂しいのかも知れない。

 長い睫毛をしたまぶたは安らかに閉じられていて、一六歳の女の子らしいあどけない寝顔を見せていた。

 いつにも増して綺麗に梳かれた金色の髪が顔にかかっていて、ただ眠っているだけなのに、まるで一服の絵のように美しい。

 形のいい胸は机に押しつけられて、その柔らかさを目に見える形で表している。

 実験室に関係のない人が入ってくることはほとんどないとは言え、女の子がこんな無防備に眠っているなんていくらなんでも不用心すぎる。

「いたずらでもされたらどうするつもりなんだ」

 ふつふつといつもニーナ教授に向けているのとは違う感情が湧き上がってきて、押さえることができそうにない。

 僕は半分無意識に、ニーナ教授の顔に手を伸ばしていた。

「ん?」

 顔に触れそうなところまで近づいて、僕は気がついた。

 例の手紙が、机の上に置いてある。

 見てはいけないと思いつつも、僕は手紙に目を向けずにはいられない。手に持っていた極太マジックにキャップをしてポケットに収めながら、横開きのシンプルな封筒に注目してしまう。

 便せんも開かれたまま封筒から出され、ニーナ教授の手が置かれているていても、二枚あるそれの内容は見ることができた。

「……なんだ? これ」

 ダメだと思っていても見てしまった手紙の内容に、僕は眉を顰めていた。

 書かれていたのは数字やアルファベット、記号といったものの組み合わせ。

 薄い罫線に沿って書かれたそれは手紙の文面のように思えるけど、僕には全く内容がわからなかった。

「何かの暗号? いや、でも……」

 無意味な文字列ではなく、なんとなく法則性があるのはわかるから、たぶん何かの文章だ。

 でも暗号とは違うような気がする。あくまで勘だけど、この数字とアルファベットと記号の組み合わせで、文章が出来上がってるように思える。

 強いて近いものが上げるなら、プログラムのコードに似ているかも知れない。かといってプログラムコードほどの明確な記述法があるものとも違う。

 プログラムコードに近い言語で書かれた散文、まさに文章といった風体のものだった。

 ただ一ヶ所だけ、僕にもわかることが書かれていた。

 ――これは、時間と場所、だよな。

 場所については座標で書かれているから調べてみないとわからないけど、時間についてはひと目でわかる。明日の午後だ。

「本当にこれは、いったい何なんだ?」

 恋する乙女のようになったニーナ教授。

 その原因となった内容不明の手紙。

 そして送り主から指定された日時と場所。

 心配や気がかりとは別に、僕はいま起こっていることに、不安を覚え始めていた。

 

 

          *

 

 

 スカイプラチナタウンの町並みを、最高速度は音速を超えられるダブルサイクロンホウキに乗って、僕はできるだけ気を遣って慎重に飛ぶ。

 超高級住宅街であるここは、国立魔法科学大学周辺の積層構造物がそそり立つ町並みと違って、閑静な住宅街だ。

 空路は一直線に伸び、空に浮かぶ建物はすべて一軒家。庭園プレートに綺麗な庭をつくってる家も多く、一軒一軒が上下左右充分な距離があり、建て売りの高級住宅街とも違い、左右の家の区画は接続されず小道になっていて、家の形はそれぞれに違う。

 こんなに空間を贅沢に使っているのは本当に上流階級の人たちが住んでる家だけで、とてつもなく贅沢なことだ。

 ホウキに乗ってすれ違う人たちも明らかに貧乏学生の僕とは違う人種で、場違いさに緊張してしまう。

 でもこの町の中に、僕の目的の場所がある。

「えぇっと、ここだな」

 過去最低だったんじゃないかと思うほどの低速安全運転でホウキを操ってたどり着いたのは、この町の中では比較的小さな家の前。

 それでも前庭は綺麗に調えられていて、建物は僕が住んでるぼろアパート一棟分のモジュールよりも大きいかも知れないほどだ。

 魔法町じゃ見るのも珍しい門の前に降り立ち、僕は呼び鈴を鳴らした。

「――ようこそいらっしゃいました。湯川様、でいらっしゃいますね?」

 比較的狭いと言っても軽くボール遊びくらいできそうな前庭の向こうの建物から顔を見せたのは、にこやかな笑顔を浮かべた女性。

 いや、門の前までやってきた彼女の目は、カメラアイ。

 清楚な黒いワンピースに胸までを覆う白いエプロンを身につけた彼女は、おそらくロボットメイドだ。

「あ、はい。ミレーユ――、シュレディンガー助教授はいらっしゃいますか?」

「――在宅しております。湯川様がいらっしゃいましたら通すよう言いつかっておりますので、どうぞ」

 プログラムされているんだろうけど、ずいぶん丁寧な対応で門を開けてくれたロボットメイドの後を着いていく。

 ――このロボットメイドは、デジタル人工知能で動いてるんだよな。

 目の前で揺れているポニーテールの髪を見ながら、僕は少し前にニーナ教授とした話を思い出す。

 表情も口調にも違和感はないけれど、どこかつくりもの染みた感じのするロボットメイドは、人間や真空管ドールと違い、デジタル人工知能で稼働している。

 人間の精神や真空管ドールのアナログ人工知能と、ロボットのデジタル人工知能の違いは魂があるかどうか、なんて議論もあるようだが、あまりはっきりしたことはわかっていない。

 真空管ドールもまた工場で生産されるロボットであることには変わりないから、その違いは魔法が使えるか否かの差以外には詳しいことはわかっていなかった。

 案内されて玄関から家の中に入った僕は、思わずぽっかりと口を開けてしまっていた。

 ――お金持ちだって噂は、本当だったんだな。

 ミレーユ助教授の家はもの凄いお金持ちだって話は聞いたことあった。それは嘘でも冗談でもなかったらしい。

 こんな高級住宅街に住んでいるのもそうだけど、綺麗な家の内装も、かなり高級そうだった。それも彼女はここにひとりで暮らしてるという話だったはずだ。

「――こちらです」

 案内してもらった二階の一室。

 ロボットメイドの微笑みに促されて、僕は樫か何かの分厚い扉のノブに手をかけて中に入る。

「――お嬢様。湯川様をお連れしました」

 この部屋だけで僕のぼろアパート一室の三倍の床面積はありそうなそこは、どうやら寝室だったらしい。

 足が沈み込む感触のある絨毯の上、部屋の真ん中に置かれた天蓋つきのベッドでもぞもぞと動いて起き上がったのは、ミレーユ助教授。

「ん……。湯川君?」

「うぉ!」

 乱れ放題の髪で、まだ目を閉じて眠そうな顔をしてるミレーユ助教授が来ているドレスのようなネグリジェは、肌が見えるほど透けていた。

「え? やっ。あの、僕は――」

「よく来たわね。ふわぁーっ」

 大きな欠伸をしてベッドから下りた彼女は、一昨日あった目の下の隈もすっかりなくなり、目のやり場に困ってそっぽを向くことしかできない僕に微笑む。

「少し待っていて頂戴。すぐに着替えるから」

「あ、はい。わかりました……」

 見ているこっちが恥ずかしいのに、当の本人は少しも恥ずかしがってる様子がない。

 上流階級の人はプライベートの場所では肌を晒すことをあまり恥ずかしがらないらしいという話を聞いたことがあるけど、ミレーユ助教授もそうなのかも知れない。

 もちろんそれなりの相手に対しては羞恥心を感じるものみたいだけど、僕のようなただの学生程度にあられもない姿を見られるのは気にならないなんだろう。

 ロボットメイドに促されるよりも先に部屋を出て、僕はひと息吐いた。

 客間に通してもらい、淹れてもらった美味しいコーヒーをすすっていると、ずいぶん時間が経ってからロボットメイドとともに、シャワーでも浴びてきたらしいさっぱりしたミレーユ助教授が入ってきた。

「お待たせしたわね、湯川君。ふわぁ、ふわぁーーっ」

 まだ眠たいらしく、手を添えてはいるけれど大欠伸をする彼女。

 大学内で見る姿と違って、助教授らしさも品のある雰囲気もあまり感じないいまの様子が、もしかしたら本来の、一九歳の女の子であるミレーユ助教授の姿なのかも知れない。

「いったいいつから寝ていたんですか」

「帰ってからずっとよ。一昨日貴方と別れて家に帰ってから、ずっと」

「……よく寝ますね」

「そりゃあ十日も籠もっててまともに眠れないで過ごしていればね。聞いてよ、湯川君!」

 思わずしてしまった質問に食いついてきたミレーユ助教授。

 僕と同じくロボットメイドからコーヒーをカップに注いでもらった彼女は、身を乗り出すようにして話を始める。

「十日前、もう十二日前ね。超特急って依頼が入ったのよ」

「依頼、ですか?」

「そうよ。大学だから主にやってるのは研究だけど、企業から調査の依頼や、場合によっては個人からの依頼も入ることがあるのよ。うちはけっこう外部にも知られてるところだし、手広くいろんなことやってるものだから、そういう依頼もあったりするの。その依頼、いったいどんなものだったと思う?」

「いや、さすがにわからないですけど」

 精神物理学専攻の僕は生物工学の方面については詳しくない。表に出てくる成果くらいはチェックしてるけど、日夜どんなことやってるかまでは確認したことはなかった。

 それにミレーユ助教授は大学内でも有名だけど、彼女自身がどんなことをやってるかまでは、同じ校内のことであっても、秘密にすべきこともあるだろうから、耳にしたことはない。

「成人男性の身体の生成よ」

「……それって、大丈夫なんですか? 法律とか、そういうのは」

「問題ないわよ。人工クローンはとくに違法ではないし、内臓や欠損四肢の補填のために医療の現場では広く使われているもの。全身のクローンをつくることも、実験目的などでつくられるものもけっこうあるのよ」

「そんなもんなんですか」

 言われてみれば、確かに治療方法として疾患のある内臓をクローン生成したものに取り替えたり、失った四肢をクローン生成で再生させるようなものは、けっこう使われていることを思い出す。

 歴史の授業で習ったのでは、昔は人工クローンについては倫理問題でずいぶん紛糾したようだけど、いまの技術ではごく一般的なものだし、宇宙に出てしまえば地球の中の倫理なんて大きな問題になるようなことでもない。

 新しいコーヒーを注いだカップを片手に、得意げな笑みを見せるミレーユ助教授は話を続ける。

「でも宇宙には自然生殖の原則があるのは知ってるでしょう?」

「えぇ。でもあれは法律ではないのですか?」

「違うわよ。法律に近い形で扱われてはいるけれど、罰則があるようなものではないし、明確にクローンの生成について禁止した法律は存在しないわ。ただ、あの原則がある限り、人工クローンによる生殖活動は行われることはないでしょうね」

 自然生殖の原則は、割と宇宙では守られているものだ。

 この宇宙には自家クローンによって増殖する人間もいるし、そもそも生殖活動を行わない生物すらいて、古くから生成槽を使って子供をつくるのが普通の星もある。

 凄いのになると超長寿命で、自己進化して一個体一種族なんてのまでいる。そうした生物でも他の個体と交わって、恐ろしく低い頻度で進化の素体となる子供を生成していたりする。

 宇宙の広さは飛んでもない。

「禁止はされていないけれど、全身の人工クローンは犯罪に使われる可能性も高いものだから、監視は厳しいのよね。ちゃんとした理由とはっきりした身元があれば問題になることはないわ」

「そんな面倒な依頼をどうして受けたんですか?」

「仕方なかったのよ。ワタシがお世話になった恩師の教授の姪に当たる人からの依頼でね。断るわけにはいかなかったの。うちの教授は面倒臭がってどこかに逃げちゃうし。センサーの邪魔にしかならないから、実験用の全身クローンなら絶対つけないけど、髪の長さもこれ以上とか、筋肉量は充分にとかっていろいろ細かく指定されてて、繊細な作業と頻繁に監視が必要だったから、学生に任せられるような仕事でもなかったのよ。結局ワタシがほとんどひとりでやることになったの」

「それで十日間も泊まり込みですか」

「そっ。本当大変だったわよ……」

 そう言って大きなため息を漏らすミレーユ教授。

 あんなにくっきり隈が出るほどだったのだから、その苦労はだいたいわかるというものだった。

 今日の用事とは関係のない話だったけど、だんだんと興味が出てきて、僕は思わず訊いてしまう。

「それで、そんな全身クローンなんてつくって、何に使うって言うんです? まさか、身体を入れ換えて延命、とか?」

「さぁ? そこまでは聞いてないけど、実験目的らしいわよ? それにやっぱり禁止はされていないけれど、全身クローンへの身体交換は受ける医療関係者はまずいないわよ」

「そうなんですか?」

 髪や筋肉にまで気を使って生成される成人男性の全身クローンの使用目的なんて、僕には身体の交換しての延命くらいしか思いつかなかった。

 あっさりそれを否定するミレーユ助教授は、三杯目のコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れて、ひと口すするようにして飲む。

「身体交換はある意味究極の延命手段だけど、難易度が高すぎるのよ。いまの技術を以てしてもね」

「へぇ」

「実験だけなら以前から行われてて、手段は主にふたつ。ひとつは古い身体から新しい身体に脳を物理的に移植する方法。移植手術自体は可能なのだけれどね、どうしても上手くいかないのよ」

「どういうところがです?」

「老いた古い身体と、若い新しい身体では、他人の身体ではないから違和感はそれほど大きくないはずだけど、その小さな違和感が精神に影響して、ほぼ全員が病んでしまったの」

「なんでまた。四肢とかだと大丈夫ですよね? 身体の一部を機械化してる人もいるのに。それに比べればまだ違和感少ないから、大丈夫なものなんじゃないですか?」

「そこは難しいところでね。大きな違和感はそのうちその違和感を含めて自分の身体の一部と認められるようになるものなんだけど、小さな違和感がずっと長く続くというのは堪えられないものみたいでね」

「なんででしょう?」

「詳しいところはまだわかっていないけれど、強い痛みは何度も受けていると覚悟ができると言うか、そのうち我慢できるようになるものなの。でも小さな痒みは我慢できない、というのに近いらしいわね」

「なるほど。確かに痒みって我慢できませんよね……」

 本当にその通りなのかどうかはわからないけど、痛みより痒みが堪えられないというのは何となく納得できた。痒みは長く続くと気が狂う人がいるくらい堪えがたいものだと聞いたことがある。

「もうひとつの方法とは?」

「もうひとつは、脳情報の転写よ」

 さっきまでの眠かった様子もなく、話してる間に瞳に楽しそうな光りを宿したミレーユ教授。

「記憶の、ですか?」

「いいえ、違うわ。脳は記憶だけでは機能しない。脳神経同士の接続構造によって思考も変化するの。脳情報を転写する場合は、脳のそうした神経接続網をすべて記録して、新しい身体の脳に時間をかけて転写、というか再構成するものなんだけど、再現率が九〇から九五パーセントくらいなのよ」

「それじゃあ足りないんですか?」

「全然。脳神経の接続が二パーセントも変われば、人は別人ってくらい性格や能力が変わってしまうのよ。最低でも九九パーセントを超えないと実用とは言えないわ。それに延命に使うとなると、何世代か脳情報の転写で延命し続けることも視野に入れないといけないけれど、第一世代の段階で別人を生み出すことになってしまうからね。最小でも五パーセントも不足するのでは、まともな病院ではよほどそれ以外に方法がない場合を除けば受けないわね。闇医者とかなら別でしょうけれど。だからいま延命のトレンドは、身体の機械化や薬を使った外部手段、人間由来の強化細胞の移植とかDNA改造辺りね」

 生物工学の助教授だけあって、生物に関する話となるとミレーユ助教授は饒舌になるらしい。

「それじゃあ本当に、何のためにそんな細かい指定の全身クローンの生成なんて依頼してきたんでしょう?」

「さぁね。こちらとしては犯罪利用の可能性が出てくるようなものでなければ問題はないわ。フルカスタムDNAの成体クローンだから、その手の可能性は低いでしょうし。直接でないにしろ、恩師に恩返しもできたしね」

「そんなもんですか」

「そういうものよ」

 意外とそういうところはドライなんだな、と思いながら、僕は温くなってきたコーヒーを飲み干した。

「それで、今日の用事は、例の件じゃないの?」

「あっ。そうです。例の手紙の件なんですが……。って、もうこんな時間? えぇっと、ニーナ教授が待ち合わせの時間がもうすぐなんです。細かい話は行く間に話しますから、ちょっと来てもらってもいいですか?」

「えぇ、もちろん行くわ。ニーナ教授の男関係が見られるんだもの、行くしかないわよ」

 尻尾と羽根でも生えてきそうな暗く意地悪な笑みを見せるミレーユ助教授に、僕はちょっと後悔する。

 でも今日のことは僕ひとりではわからなすぎて、「スキャンダルよ、スキャンダル!」と声を弾ませてるミレーユ助教授とともに、反重力ホウキを持って外に出た。

 

 

          * 4 *

 

 

 調べてわかった手紙で指定された座標は、大学内の食堂だった。一昨日昼食を摂った場所。

 秘密の話でもするだろうに大丈夫なんだろうかと思うけど、一年中二十四時間出入りが可能な国立魔法科学大学と言えど、週末と深夜は人が減る。

 週末の今日、昼食時からも外れたこの時間に食堂にいたのは、早々に食事を摂ってさっき出ていってしまった学生と、ニーナ教授、そして僕たちだけだった。

 先に来ていて外に面した、直接ホウキで乗りつけられるテラス近くの席に、緊張した面持ちのニーナ教授が座っている。

 指定の時間にはまだ少し余裕があり、どうやら待ち合わせの人はまだ来ていないらしい。

 そこから少し離れた、教授からは見えない斜め後ろの席に、僕は興奮を抑えきれないらしいミレーユ助教授とともに座ってコーヒーを注文した。

 最初に注文したジュースは早々に飲み終え、ボトルごと置かれた水をコップに注いで、何度も飲んでいるニーナ教授。

 指定時間きっかりに、外のテラスにふわりと反重力ホウキで乗りつけたのは、僕より年上の、二十代半ばくらいに見える爽やかな青年だった。

 ――あれは……、マヅダのスカイスター? またずいぶん渋いホウキに乗ってるな。

 魔法町で一般的な移動手段として普及しているホウキには様々な方式がある。

 僕が使っている魔法力から直接推進力を得るサイクロン系ホウキの他に、多くのホウキでは魔法によって反重力を得てイオン式やジェット式で推進を行う。人間の弱い念力を増幅するホウキの増幅方式も様々だ。

 マヅダのスカイスターの一般走行用モデルは、ロータリー式の念力増幅器を搭載した形状が特徴的で、レース用の高出力ジェットをデチューンして推進に使っている。

 ただしロータリー式増幅器は、起動念力の閾値が高く、使用者を選ぶことで有名な上、操作も一筋縄ではいかない暴れ馬で、レース仕様の出力と整備のしにくさも相まって、マニア向けのホウキとして知られていた。

 そんなピーキーなホウキを優雅に乗りこなしてテラスに降り立った男性を、僕は観葉植物の影からじっくり観察する。

 ――あの人が、ニーナ教授が好きな人?

 少し離れてるこの場所からでもわかる柔らかな笑みと雰囲気の彼は、軽く手を上げながらニーナ教授の席に近づいていく。

 教授は慌てて椅子から立って、たぶん久しぶりだからだと思うけど、顔だけじゃなく、全身を上から下まで何度も眺めていた。

「けっこう、いい感じの人ですね」

 そんなに気を遣ってないのもあるけど、自分の容姿にさほど不満を感じたことがなかった僕でも、ニーナ教授のお相手には劣等感を抱いてしまうほどだった。

 何より彼が纏う雰囲気が、貧乏学生とは違って余裕があり、大人びた貫禄を漂わせている。

 別にニーナ教授のことが好きとかそういうことではないが、自分より明らかに格上と感じる彼に、抱いてしまった敗北感を拭えずに小さく息を吐いていた。

「そうね。いい感じね。……ふんっ」

「ミレーユ助教授?」

 僕の声に答えた彼女は、先ほどまでの鼻息の荒かった様子はなく、伺い見てみると眉根にシワを寄せ、不機嫌そうに顔を顰めていた。

 話し込んでニーナ教授に気づかれてしまうのもまずいと思って、ミレーユ助教授の様子が気になったけど、僕はニーナ教授の方に注意を戻した。

 最初の緊張はほぐれたのか、和やかに話をしてるふたり。

 そのうち鞄から取り出したノートにお互いに何かを書きつけたりして、話というか議論を交わすようになった。

 ――研究仲間? いや、でもな……。

 学者だけあって、ニーナ教授は同じ分野の学者や生徒と議論を交わすこともある。

 でも彼女の場合、他の人より一歩も二歩も進んだことをやっているか、特殊な方面に手を伸ばしてることが多いから、まともな議論がやりとりできる相手というのはけっこう限定される。

 学内では研究に関する議論を交わせる人は何人かいるけど、それは僕が全部把握してる。外部の人でも連絡取り合ってる人については、会合の際などにスケジュール調整しなくちゃならないこともあるから、顔と名前と連絡先はだいたい憶えてる。

 あんなに若くてニーナ教授と熱く激しい議論を交わせる人物を、僕は知らなかった。

 小一時間ほど喧嘩じゃないかと思えるほど激しいやりとりに発展した議論の後、ノートを仕舞ったニーナ教授と彼はそれ以前の雰囲気に戻り、新しく頼んだ紅茶を飲みながら笑顔を交わし合う。

 ――でも、違うな。

 にこやかな笑顔を浮かべてるニーナ教授に対して、男性の方は笑顔ではあるけど、どこか影が差しているように僕には思えていた。

 まだ続いてるふたりの話は、そこから段々と雲行きが怪しくなっていった。

 何かを諭すように話して見える男性に対し、声こそ聞こえないけどニーナ教授は怒ったような表情をし、それは段々と落胆へと変わっていく。

 そして、新たな人物が反重力ホウキに乗って現れた。

「やっぱり……」

「え?」

 ワインレッドのロングスカートを穿き、地味めのジャケットを羽織る清楚な感じな女性を見て、ミレーユ助教授が呟くように言う。

 それを問うより先に、迷うことなくニーナ教授のテーブルに歩み寄った女性は、男性の隣に立つ。

 椅子から立ち上がった彼は、女性に寄り添うようにして、彼女と手を繋いだ。

 見た目には同じ年頃のふたりは、僕の目からでもお似合いの恋人同士に見えた。

「これは……」

 もう結論を言葉にしなくてもわかる。

 ニーナ教授は何かを飲み込むように目を強くつむった後、微笑みを浮かべてふたりのことを見た。

 そんな教授に深く頭を下げ、ふたりは手を繋いだままテラスに出て、互いのホウキに乗って飛び去っていった。

 どさりといった感じに椅子に身体を預けたニーナ教授に、僕は立ち上がって側に寄っていくことも、声をかけることもできなかった。

 でもミレーユ助教授は立ち上がる。

「行くわよ」

「え? でも……」

 誰に対してなのかわからない怒りの色を瞳に浮かべ、僕のことをちらりと見た彼女は、それ以上何も言わずにニーナ教授の方に行ってしまう。

 ふたりだけにできなくて、僕も席を立ってふたりの元に急ぐ。

「聞かせてもらうわよ、ニーナ教授」

「ミレーユ助教授? ……湯川君も? どうして?」

「そんなことはいまはどうでもいいでしょう。あの男は誰なの? いえ、何なの?」

「――じゃあ、あの身体をつくったのは、貴女なのね」

「そういうこと。事と次第によっては警察沙汰にもなりかねないんだから、ワタシには聞く権利があるでしょう?」

 一度うつむき、唇を噛んで何かに堪えるようにするニーナ教授は、顔を上げていまにも泣きそうな微笑みを浮かべた。

「うん……。そうね。わかったわ」

 

 

 

 

 丸テーブルのニーナ教授の正面にはミレーユ助教授が座り、僕はふたりと同じ距離の位置に座る。

 当事者でも関係者でもない僕がこの場にいるのは居心地が悪いけど、いまさら席を立つわけにも行かないし、何があったのかは知るべきであるように思えた。

「何から話したらいいのかな……」

「最初から話なさい。全部聞いてあげるから」

「うん……」

 怒ってるように眉根にシワを寄せているミレーユ助教授だけど、その口調は荒々しくはない。

 諭すように言ったその言葉に、表情を曇らせたままのニーナ教授は話を始める。

「あれは、もう十二年前の話。まだその頃は本格的なことはやってなかったけど、興味のあることを調べたり、自分なりに実験やってたりしたのよ」

 十二年前と言えばまだニーナ教授が四歳の頃。

 確かその頃合いから精神物理学やその周辺に関することで名前が知られるようになったと、僕の記憶にある。天才としてはもう少し前から名が知られていたけど、具体的な成果があったわけじゃない。

 脳NASにアクセスしてその頃のことをいま調べてみたけど、ニーナ教授の成果が表で発表されたのは五歳のときがたぶん最初だ。四歳のとき、彼女が何をやっていたかまではわからない。

「そのとき興味があったのは、人間の精神とデジタル人工知能の違いについて。人間は魔法が使えるけど、デジタル人工知能は使えない。その違いがどこから生まれてくるのか調べるために、あるものをつくったの」

「あるもの、と言うと?」

 思わず突っ込んでしまった僕に、優しげな笑みを浮かべるニーナ教授。

 でもその笑顔は悲しげだ。

 この前、手紙が届いた日に僕に話しかけてきたことは、もしかしたらこの話と、あの男性に関係があったのかも知れない、と思い至る。

「そのときつくったものに、私は電子網遊弋型自己進化人工知能、と名前をつけた」

「それって、もしかして?」

「……何よ、それ」

 僕はその名前からだいたいどんなものか予測がついたけど、生物工学専門のミレーユ教授にはわからなかったらしい。きょとんとした顔で僕とニーナ教授の顔を交互に見ている。

 口が重いらしいニーナ教授に代わって、僕が説明する。

「たぶんですが、一種のコンピュータウィルスです。名前からしてネットの中を自由に動き回って、状況に応じて進化していくタイプの」

「あくまでつくったのは人工知能で、何かを壊したり盗んだりするウィルスじゃなかったんだけどね」

「それでも端から見たらウィルスって判断されますよね」

「そうね。最初に与えた命令や、進化の方向によっては充分ウィルス化する可能性はあったしね。あれのはそういう進化をするような命令を与えなかったけど」

 紅茶をひと口飲んで唇を濡らしてから、ニーナ教授は話を続ける。

「あの頃はまだ、やっていいこととか悪いこととかの前に、知らないこと、知りたいことに全力だったからね。四歳だったけど女の子だったし、男の子にも興味はあったんだけど、同じくらいの歳の子とは話が合わなくってね。話が合うくらいの歳の人はずいぶん年上ばかりで、ちょっと悩んだりしてたの。だから電子網遊弋型自己進化人工知能に与えた命令は、十二年後、話の合う素敵な男になって、戻ってくること」

 いまにもこぼれそうなほどの涙で瞳を揺らすニーナ教授は、それでも嬉しそうな笑みを浮かべる。

「その命令は、正しく果たされた。素敵な男になりすぎて、恋人までつくって戻って来ちゃったんだけど」

 こんなにつらそうな笑顔を、僕はこれまで見たことがなかった。

 泣きそうなのに、必死で笑顔を浮かべているニーナ教授は、まるで大声で泣き叫んでいるように僕には見えていた。

 ニーナ教授が恋をしていたのかと問われれば、僕にはそれに対して答えられる言葉がない。

 そうであったのかも知れないし、そうでなかったのかも知れない。

 ただ彼女は、この十二年の間、彼が自分の元に戻ってって来ることを、期待していたのは確かだ。

「彼がこっちのことを探ってる感じがあったのは、何となく気づいてた。たぶん彼だろう、って。それで戻ってきた彼は、同じ精神物理学を勉強してて、さっき話してて、凄い知識を持ってるのも確認した」

 本当に嬉しそうな、満面の笑みを浮かべてるニーナ教授は、もう抑えることができず、涙を頬に零れさせる。

「たぶん、理想の男って言えるくらいの人になってた」

「でもあいつは貴女とじゃなく、あの女性と一緒になることを望んだんでしょ?」

 それまで黙って聞いていたミレーユ助教授が口を開く。

「うん、そう。精神物理学をいま以上に研究するためには、身体が必要だったんだって。それでネットでたまたま知り合ったあの人に助けを求めて、デジタル人工知能の自分を認めてくれて、……お互い想い合える存在になっていったそうよ」

「さっきの女性はワタシの恩師の姪に当たる人よ。確か外神田魔工学大學で精神物理学の教授をしてたはずで、聞いた限りではずいぶんヘンな発想をする変人だと聞いてるわ」

 慰めてるわけではない様子の、澄まし顔で女性の素性を明かすミレーユ助教授。

 変人って意味ではそんなデジタル人工知能をつくったニーナ教授も、全身クローンをひとりでつくってしまうミレーユ助教授も負けていなさそうな気がしたけど、あえて僕はそれを口にしないことにした。

「彼は言ったわ。この人と一緒に生きたい。この人と一緒に歩んでいきたい。そのために人間の身体と、有限の寿命を手に入れたんだ、って。それから最後に、つくってくれてありがとう、って……」

 笑っていることもできなくて、両手で顔を覆ったニーナ教授は嗚咽を漏らし始める。

「……でも、あの人は反重力ホウキに乗ってましたよね? デジタル人工知能じゃ魔法は使えないんじゃなかったでしたっけ」

「そう思えばそんな話も聞いたことあるわね。ほぼ人間の身体に電脳を乗っけても魔法は使えなかったはずよ」

 僕が口にした疑問に、ミレーユ助教授も首を傾げる。

「どうして魔法が使えるようになったのかはわからない。元がデジタル人工知能でも、進化して得たのかも知れないし、ネット上では無限だったはずの彼が、人間の身体を手に入れて有限の存在になったからかも知れない。でも、それはもうあのふたりが追求すべき研究テーマね。こっちは別のアプローチで調べていくしかないわ」

 目を真っ赤にしながらも、顔を上げたニーナ教授が言う。

 笑おうとしてるみたいだけど、頬がひきつって上手く笑えていない。

 無理して笑おうとしても、零れてくるのは笑みじゃなく涙ばかりだ。

「はぁ、まったく……」

 鬱陶しそうに頭を掻いたミレーユ助教授が、盛大にため息を吐く。

「つまり貴女は、失恋したってことね?」

「失恋とは、ちょっと、違うと思うけど……」

「好きだったかどうかは知らないけど、気になる男に恋人がいたんでしょ。それで泣いてるなら、それは失恋って言うの。少し違うと言っても、少しだけでしょ。だったらそういうこと」

 反論の言葉が思いつかなかったらしく、ニーナ教授はうつむきながら唇を引き結んで押し黙る。

 そんな様子をちらりと見たミレーユ助教授は、手を上げて店員を呼んだ。

「いま、ケーキバイキングは大丈夫?」

「はい。承っております」

「じゃあそれを三人。大至急よろしく」

「かしこまりました」

 丁寧な口調で答えた女性の店員は、早速奥に下がって準備を始めたらしい。

「ここのケーキは美味しいのよ。普段も出してるけど、パティシエが鬱憤溜まるとケーキを大量につくって、そのときだけゲリラ的にケーキバイキングが開催されるの。今日やってるなんて運がいいわね」

「いまはそんな気分じゃないんだけど……」

「鬱憤が溜まってたり、気持ちが沈んでるときは美味しいものをやけ食いするのが一番よ。奢ってあげるから吐くまで食べなさい」

 そんな話をしてる間に運ばれてきたのは、カットはしてあるけどホールケーキが三つ。

 この時点で食べきれる気がしない。

「やけ食いはいいんですけど、どうして僕まで……」

「ここまで関わったんだからつき合いなさい。男の子なんだからたくさん食べられるでしょう?」

「うぅ……」

 甘い物は好きだけど、そんなにたくさん食べる方じゃない。

 鼻歌を歌いながらチーズケーキに手を伸ばしているミレーユ助教授に、僕も覚悟を決めてショートケーキを小皿に移し、フォークでひと切れ口に運ぶ。

「――美味しい」

 生クリームは甘いのにしつこくはなく、舌の上でとろけるよう。スポンジの控えめな甘さと、酸味が強めのイチゴともマッチしていた。

 ニーナ教授の方を見てみると、チョコレートケーキを口に含んで、赤いままの目を見開いていた。

「もっとじゃんじゃん持ってきて!」

 ミレーユ助教授の声に新たに運ばれてきたフルーツタルトと巨大なプリンアラモード。

 夕食も入らなそうなその量に何も言えなくなる。

 ニーナ教授の方を見ると、僕と視線を合わせた彼女は、少し寂しそうではあったけど、自然な笑みを見せていた。

「はぁ……」

 大きくため息を吐いた僕は、小皿のショートケーキを一気に食べて、フルーツタルトに手を伸ばした。

 そこからはケーキが運ばれてこなくなるまで、僕とニーナ教授とミレーユ助教授は、食べて食べて、ひたすら食べまくった。

 

 

          * 5 *

 

 

「苦しい……」

 昨日食べたケーキはどれくらいの量だったろうか。

 二ホール食べた段階で数えるのは止めた。

 胃薬を飲んで寝たのにまだ重くてたまらない胃を抱え、濃いめのコーヒーを何杯飲んでも甘ったるさが残る口を引き結びながら、僕はまだ朝早い大学内を歩く。

「おはようございます」

 すでに解除済みの鍵を確認し、扉を開けると、どこか懐かしむような目で手紙を開いているニーナ教授がいた。

「おはよう、湯川君」

 手紙を封筒に収めて机の引き出しの中に仕舞った彼女は、椅子から立ち上がって僕に微笑みをくれる。

 その目は、まだ微かに赤い。

 でもいま浮かべている笑みは、それ以前の彼女の浮かべるものに相違なかった。

「そう思えば実験器具の到着が遅れてるって話だったと思うけど、いつ届くの?」

「予定では明日です。今日はまだ、何もできませんね……」

「じゃあ今日は明日の準備しかできることないかな。湯川君、お願いね」

「……僕に丸投げですか」

「ふふっ」

 仕事を僕に丸投げしてくるニーナ教授にげっそりしながらも、本調子を取り戻したらしいことに安堵を覚える。

 ――やっぱり、ニーナ教授はこうでなくちゃね。

 ため息を吐いた後、僕も笑みを返していた。

「でも今日はどうしようかしらね。他の仕事も朝のうちにあらかた片づけちゃったし、やることないのよね」

「少しは実験の準備しましょうよ」

「うぅーん。それに、ちょっと困ってるのよね」

 僕の提案なんて右から左に聞き流したらしいニーナ教授は、顎に手を当ててなにやら考え込む。

「どうかしたんですか?」

「昨日ケーキ食べすぎて、体重計が怖い……」

 やけ食いの成果が身体に表れるのは仕方ないことで、それを女の子が気にするのも当然のことだ。

 それでもやっただけの意味はあったようだし、肉さえ増えなければ問題ないことだろう。

 ――ニーナ教授はもう少しふっくらしてても良さそうだけど。

 胸はともかく腕も脚も細い彼女は、もう少し柔らかい身体をしてても良さそうだとは思う。でも女の子なのだから、体重はどうしても気になるのは仕方ない。

「だったら後でお空場でも行きませんか? 夏にプールだったブロックを改装したフィールドアスレチックが先日オープンしたばかりなんですよ。障害ホウキレースなんかもできるみたいですし、魔法使ったり身体使ったりすれば、カロリー消費しますよね」

「いいわね、レース。負けないわよ」

 意外と負けず嫌いのニーナ教授は目を不適に輝かせて乗ってくる。

 僕だってダブルサイクロンホウキのマスターだ。負けるつもりは欠片もない。

 対抗意識を燃やす僕とニーナ教授は、攻撃的な笑みを交わし合った。

「そこに行くなら、ミレーユのことも誘って上げようかしらね」

「いいですね」

「き、昨日奢ってもらったからだからね! ミレーユに貸しをつくりたくないだけだからね!!」

 聞いてもいないのに理由を述べるニーナ教授に、僕はちょっと笑いそうになっていた。

 ――うん、いつも通りのニーナ教授だ。いや、これまでとはちょっと違うか。

 いままで通りの様子だけど、これまでとは少しだけ変わった彼女。

 まだ一六歳の彼女は、これからもいろんな経験をして、変わっていくんだろう。これからもっと素敵な女性になっていくんだろう。

 僕もまだこれから、いろんな経験をして、いろんなことを知って、より僕らしい僕になっていく。そのつもりだ。

 デジタル人工知能になんて負けていられない。

「だったらさっさと出かけられるよう、準備手伝ってくださいよ」

「えーーっ。うぅ……。あ! そうだ。ミレーユのこと誘ってくるから、その間に準備お願いね!」

 そう言い残して、僕とすれ違って小走りに実験室から出て行ってしまう。

 すれ違い様、彼女が残していった「ありがとう」の言葉を胸に抱きながら、僕はもうひとつため息を漏らして明日の準備を開始したのだった。

 

 

                 「相思創AI」 了

 

 

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