JH科学 魔法町シリーズ二次創作 「カガクノミチ」   作:きゃら める

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実験室を訪れた和服の女の子、ゾフィア・フランケンシュタイン。
ニーナの以前からの知り合いらしい彼女が持ってきたのは、湯川も驚く素晴らしい発明品だった?!
ゾフィアに対し微妙な態度を見せるニーナ。彼女の発明品の実験につき合わされる湯川。ミレーユも巻き込んで魔法町で起こることとは?!


第三話「色即Z喰」

 

   「色即Z喰」

 

 

          * 1 *

 

 

「マズいな……」

 老若男女の「人間」はもちろん、グレイ型や鬼型、岩石型などの様々な生徒や教師や関係者が行き交う廊下を歩きながら、僕は小さくつぶやいた。

 鼻がむずがゆい。

 肌がかゆいなら掻けばいいが、くしゃみが出るほどでないむずむずがあるのは、鼻腔の奥だ。指を突っ込んでも解消できるものじゃないし、こんな人が多い場所でそんなことはできない。

 そもそも鼻の穴に指を突っ込むなんて品のないことは、若干一六歳にして国立魔法科学大学の学長を務めるニーナ・アインシュタインの助手たる僕が、できるわけがない。

 それはニーナ教授の品位も落とすことになりかねない。

 ――できるだけ草のあるとこは避けてたんだけどなぁ。

 十月もまっただ中、秋本番のいま、僕は自分の身体が花粉症にさいなまれていることに気がついた。

 鼻炎の薬でも準備しておけば良かったんだけど、イネ科の植物で起こる秋の花粉症は、スギ花粉で起こる春のと違い、飛散距離が短いためアレルゲンに近づかない限り起こりにくい。

 油断していた僕は、薬の準備をしていなかった。

「あぁ、湯川君」

 これからニーナ教授のとこに行って気の重い報告をしないといけないのに、と思ってる僕の気をさらに重くさせる事実に顔を顰めていたとき、声をかけられた。

 正面からやってきたのは、僕と同じくらいの、女性としては背が高い人。

 濃い紫の足首丈のワンピースは、レースや襞で飾られ、ニーナ教授に通ずる、ロリータではないがゴシックな雰囲気を醸し出している。

 綺麗なウェーブを描く、荒々しい滝のような長い髪をしたその女性は、ミレーユ助教授。

 以前はニーナ教授の関係者ということで、見かけても睨まれたり無視されたりすることが多かったのに、つい先日のAIの事件以来、割と気さくに声をかけてくれるようになっていた。

 助教授という役を担ってるんだから考えれば当然だけど、噂ほど子供っぽかったり悪い人ではないらしい。

 ニーナ教授と仲が悪かったのは、やっぱり自分の研究室を持ちたいという向上心というか、功名心だかがあったからのようだ。見知ってみれば悪い人ではない。

 ――そんなこともないか。

 いまだニーナ教授に対してはちょっかいを出してることを考え、僕は思い直す。

「ちょっと湯川君? 声かけてるんだからボォッとしてないで返事くらいしたらどうなの?」

「え、あっ。はい。こんにちは、ミレーユ助教授」

 美しく整った顔の眉根にシワを寄せ、自分の考えに没頭してしまった僕を睨みつけてきている彼女に慌てて返事をする。

 人が行き交う廊下の隅に寄ったミレーユ助教授に視線で促され、僕も端に寄る。

 腕に下げたバッグに手を入れて何かを探り出した彼女は、それを僕に押しつけてきた。

「はい、これ。一昨日話してた奴」

 手渡されたのは、小さなタブレットケース。半透明なそれには何錠かのカプセルが入っている。

「あぁ、憶えててくれたんですね」

「たっ、たまたまよ! 余りがあったから、せっかくだから消費してもらおうと思っただけ!」

「ありがとうございます」

 素直に謝意を述べると、顔を少し赤くしたミレーユ教授は早口に言い訳していた。

 一昨日、たまたま彼女と校内の食堂で出会った僕は、そのとき花粉症の話をしていた。そしたら試験が終わった試供品の薬があるということで、機会があればだけど、分けてくれると言われていた。

 まさかこんなに早くもらえるとは思ってなかったから、ちょうど症状が出てきたタイミングでもあったし、素直に嬉しかった。

「一昨日も少し言ったけど、花粉症なんて鼻の粘膜取り替えちゃえばいいんじゃないの? 近くに細胞ガァデンの支店ができたし、そこなら安いのあると思うけれど」

「うぅーん。それは、どうかなぁ」

「手術なんて半日で済んで即退院できるし、確か細胞ガァデンには手術の代わりに、機能代替細胞に置き換えるDNA活性薬というのも売ってたと思うけれど?」

 脚派、というより絶対領域至上主義である僕ですら視線が釘付けにされそうな、大きく柔らかそうな胸の下で腕を組んで小首を傾げているミレーユ助教授。

 不都合のある身体の器官を機械や人工培養器官や、高機能器官に取り替えるというのは、魔法町ではごく一般的に行われていることだ。

 医療機関で行う手術が確実だけど、合法のものから非合法のものまで、DNAをいじるような薬も数多くある。

 ミレーユ助教授が言うように、花粉症なんて症状を抑える薬を使わなくても、根治方法がいくらでもあるのが、いまという時代だ。

 でも僕は、どうしてもそういうものには抵抗があった。

「そういうので手術するのは、なんか抵抗ありますね……。薬の方は、細胞ガァデンって店はあんまりいい噂聞かないんですけど、どうなんです?」

「私が行くのは反重力町の本店の方だけど、たまにいくと掘り出し物があったりして面白い店よ」

「……自分に使う薬を買ったりするんですか?」

「……主に実験用よ」

 真正面からミレーユ助教授の瞳を見つめて問うたら、目を逸らされた。

 店長だかオーナーがやり手で、品揃えはもちろん、銘品から珍品まで手に入るという細胞ガァデンは、扱ってる商品だけの問題でなく、強引な販売方法でトラブってる話をちょくちょく聞く。

 知り合いの知り合いにも、その店にはまり込んで大学から消えたという人がいた。……どういう理由で消えたのかまでは聞いていなかったが。

「でも湯川君、手術も薬もイヤなんて、ちょっと考え古いんじゃない? 貴方なら、脳NASは使ってるんでしょう?」

「それはまぁ、使ってますけれど」

 険しげに目を細めて問うてくる彼女に、僕は頷きを返した。

 遠隔地に設置した外部ストレージと脳を接続して記憶領域を増設する脳NASは、扱うのにちょっと知識が必要なのと、セキュリティに気をつけないとクラックされて飛んでもないことになる場合はあるが、世の中に普及している。

 通信方式はいくつかあるが、記憶と記録を接続するモントーク技術を応用した極超短波によるものが主流だ。

 極超短波の送受信を行うためには外部アンテナを装着したり、身体に埋め込んだりする。

 僕はできるだけ快適なアクセスを目指して、脳NAS用に超小型の増幅装置とアンテナを身体に埋め込んでいた。

「なんと言うか、微妙なんですけど、機能を増やすためなら許容範囲なんですけど、機能を代替するために身体をいじるのは抵抗ありますね」

「わからなくはないわね」

 僕の言葉に同意してくれたミレーユ助教授は、腰に手を当て、魅力的な胸を反らして言う。

「まぁ、私はそんなことをしなくても、完璧なのだけれどね!」

 どこからそんな自信が出てくるのだろう、と思うけれど、顎を逸らして僕を見下ろしてくる彼女の身体については、文句のつけようもなく完璧だと思えた。

 でも……。

 ――この人の性格のつけ替えは、手術や薬じゃできそうにないな。

 得意気に笑うミレーユ教授に、僕はそんなことを考えていた。

 

 

            *

 

 

 わずかに締め切っていない実験室の扉の隙間から見えたのは、和服の後ろ姿。

 小柄な女性のようだけど、ポニーテールに結われた髪から覗くうなじのラインが美しい。

「来客かな?」

 ミレーユ助教授と別れ、小走りにニーナ教授の待つここまで来た僕は、軽くノックをしてから扉を開けた。

「あら? こんにちは」

 真っ先に振り向いて僕に声を掛けてきたのは、後ろを向いていた和服の女性、というか女の子。

 年の頃はたぶんニーナ教授より若い。

 暖かみを感じる肌の色をしたその顔立ちに朗らかな笑みを浮かべる女の子は、控えめながら美麗な柄の和服と相まって、日本人形を思わせる出で立ちだ。

 ニーナ教授よりもさらに小柄な彼女に、僕は見覚えがない。

 不審者というわけではないだろう女の子にどう対応するか考えあぐねて、いつも通り椅子に座って、じっくり見つめてしまいたくなる、濃紺のミニスカートと黒のニーハイソックスで形作られた絶対領域を見せつけるニーナ教授に目を向けると、彼女は不機嫌そうに眉を顰めていた。

「初めまして、ですね。ニーナの助手の方でしょうか?」

「あっ、えぇ、はい。湯川偉夫(ゆかわひでお)です」

「ご丁寧にありがとうございます。わたしはゾフィア・フランケンシュタイン。ニーナとは以前からの知り合いです。よろしくお願いします、湯川さん」

「はいっ、よろしくお願いします」

 伸ばされた小さな手に、僕は自分の手を伸ばして握手をする。

 猫を被ってるときのニーナ教授よりもさらに丁寧な口調と、静々とした華麗さを感じるその女の子、ゾフィアさんの様子に、見た目よりも年上なのかも知れないと思う。

「えぇっと、もしかして、お邪魔でしたか?」

 名前にも憶えがないので、ニーナ教授とは僕が大学に入る前からの知り合いかも知れないゾフィアさん。

 助手とは言え邪魔してしまったかと思い、僕はにこにこと笑顔を浮かべているゾフィアさんと、なにやら相当分厚い紙束を手にして難しい顔をしているニーナ教授に恐縮してしまう。

「お茶でも淹れますね」

「必要ない」

 いつもの紅茶ではなく、ゾフィアさんに合わせて日本茶でも入れようと一歩踏み出た僕を、ニーナ教授の鋭い声が止めた。

「お構いなく」

 やっぱりにこにこ笑っているゾフィアさんにもそう言われ、動けなくなった僕はその場に立ち尽くす。

 ――どういうことだろう?

 今日はちょっと抑えめの、でも濃い紅のネクタイを締めた紺色のシャツの袖口や、ニーハイソックスには精緻なレースがあしらわれた服装のニーナ教授。彼女が目を落としている紙束は、そのまま本にできそうなほどに分厚い。

 しかめっ面で紙束を読むニーナ教授を、にこにことした笑顔で見つめているゾフィアさんが持ってきたもの、というのがいまの状況だろうと思う。

 知り合いであるというのを否定せず、時間がかかりそうな紙束を読む間もお茶すら出さないというニーナ教授の指示には、その曇りきった表情も合わせて、不穏なものを僕は感じていた。

「今日は実験があるからここまで。預かっておくから、読んだら連絡するわ。さ、湯川君。実験の準備に入ってちょうだい」

 興味引かれる事柄でも見つけたのか、片眉をピクンとつり上げたニーナ教授だったけど、直後にそう言ってめくっていた紙束を戻し、いつも通り美しいのに、いまは少し乱れた感じのある金糸のような髪をかき上げながら立ち上がった。

 ゾフィアさんがいたことでお預けを食らっていた僕は、頭を掻きながらそんなニーナ教授に報告する。

「あー、それなんですが、今日は実験できないんですよ。液体窒素が手に入らなくって」

「液体窒素が手に入らないって……。在庫の管理と保管は徹底させてるはずでしょう?」

 この国立魔法科学大学の学長も兼任しているニーナ教授は、実験資材や機材の管理にはうるさくはないが、徹底するよう指示を出している。

 大学という場所だから、意外なところから新たな知見が生まれることもあるわけで、余裕は持たせてあるし、ちょろまかしや遊びでの使用を徹底的に取り締まっていたりはしない。ただ、そうした用途での消費についても管理しているし、監視している。

 面白いことがあったら首を突っ込もうと思ってやってる気がしないでもなかったが。

 液体窒素は大学でも消費量の多いものなので、在庫は切らさないようにしているし、突発的な不足にも対応できるよう複数の業者と提携して管理されている。

 それなのに今日は、その液体窒素の在庫が壊滅していた。

 これから行うニーナ教授の実験でも使うというのに。

「それがですね、今日搬入される予定だった液体窒素が事故で全部流出してしまったそうなんです。いま魔法町の極々小さい地域では秋の雪祭りが開催中ですよ……」

「いったいなんでそんなことになったの?」

「そこまではちょっと、情報が来てないそうで。事故があったそうなんですけれど。影響が大きいんで急いで手配してるそうなんですが、どんなに急いでも到着は明日になる予定です」

「……ったく」

 いつになく不機嫌そうな顔になって、唇を噛んでいるニーナ教授。

 ゾフィアさんを邪険にしている雰囲気はあるのに、それをはっきりと態度や言葉で出していない、この曖昧な様子はいったい何なんだろうか。

 今日使う予定の液体窒素はそんなに大量じゃない。

 大学で契約してる業者以外にもつき合いのある店なんかはあるし、液体窒素の入手が無理ってわけじゃなかった。

 でもさすがに、僕の反重力ホウキでは大型のボンベをぶら下げて飛ぶのは無理だし、小型のボンベ数本を持って帰るのも骨の折れる仕事だ。

 実験を理由にゾフィアさんを遠ざけるのは無理そうに思えた。

「それはちょうど良かったかも知れません」

 ぽんと手を叩いて、ゾフィアさんはにっこりと笑む。

 さらに不機嫌そうに眉を顰めるニーナ教授のことを気にした様子もなく、彼女は僕に笑いかけてきながら言う。

「液体窒素を買ってくるついでに、わたしの実験につき合っていただけませんか? 湯川さん」

「実験?」

「えぇ。わたしもニーナと同じように、科学を目指す者なのですよ。今日はその成果である論文と、理論を実践した発明品を持ってきたのですよ」

 言ってゾフィアさんが大きな巾着袋から取りだし、広げたもの。

 白い半月のようなそれは、二枚の布を縫い合わせたような造作で、まっすぐな部分が開くようになっていた。服に縫いつけられていないポケットのようだ。

「なんなんです? それは」

「これはこうして使うのですよ」

 和服の帯のところにぺたりとポケットを貼りつけたゾフィアさんは、ずいぶん伸ばせるらしいポケットの口を引っ張って大きく開け、手首に下げていた巾着袋をその中に入れた。

 そして、閉じられたポケットの口。

 たぶん論文を入れてきたんだろう大きな巾着袋を入れたのに、閉じられたポケットには厚みはない。広げて見せられたときと同じぺらぺらだ。

「これは.……もしかして!」

「えぇ、その通りです」

 ニーナ教授とは違う、可愛らしい笑顔をゾフィアさんは浮かべる。

「四次元――」

「空間ポケットです」

「で、でもこれはやっぱり四次――」

「空間ポケットです」

「……」

「空間ポケットです」

 どう考えても創作伝承上の青ダヌキが持っていたポケットと、形も機能も同じものだとしか思えない。

 それなのに空間ポケットと主張するゾフィアさんの変わらない笑顔に、僕はそれを以上指摘することを諦めた。

「伸ばせると言っても入り口のサイズに限界がありますから、大型のボンベは無理です。ですがこの中に入れれば重さもなくなりますから、小型のボンベならば何本でも収納できますよ」

「これは……、すごいですねっ」

 素直にそう思う。

 宇宙人が行き交い、真空管を取りつけられたドールが人格を持って闊歩する魔法町と言っても、中に入れるだけで重さもサイズも関係なくなる空間ポケットのようなものはこれまで存在していなかった。

 ニーナ教授の助手になって、やっかい事はもちろん、不思議なことにも出会ってきた僕だけど、この空間ポケットというゾフィアさんの理論を実証したんだろう発明品に、興奮を覚えずにはいられなかった。

「それではニーナ。貴女の実験のためでもあるし、しばし湯川さんを借りますね」

「ちょっと行ってきます、ニーナ教授!」

 巾着を取り出したゾフィアさんの手によって、シャツの上から僕のお腹の辺りに貼りつけられた空間ポケット。

 思わず興奮して声を弾ませてしまいながら、僕はニーナ教授に買い出しに行くことと、ゾフィアさんの実験につき合う意志を告げた。

「……まぁいいけどね、湯川君がその気なら。でも行くのはいつものあの店でしょ? だったらポイントつけてきてちょうだい」

 そう言ったニーナ教授は、机の引き出しからちょくちょく利用している実験機材の店のポイントカードを出して差し出してきた。

「わかりました。では早めに行って帰ってきます」

「気をつけて行ってきてね」

 なんとなく気になる声音と視線で言われ、僕はそれについて訊こうと口を開く。

「さぁ、早く行きましょう、湯川さん」

 何かを言う前に、僕の腕に腕を絡め身体を密着させてきたゾフィアさんに、言葉を飲み込んでしまう。

 つややかな黒髪からだろうか、間近から香ってくる女の子らしい匂いに、僕は何も言えなくなってしまった。

 目を細めて、心配しているような視線を向けてくるニーナ教授に見送られて、ゾフィアさんに引っ張られる僕は実験室を出た。

 

 

          * 2 *

 

 

「ふふふふっ」

 唇の片端をつり上げているミレーユは、抑えきれず笑い声を漏らしていた。

 そんな彼女が右手に持っているのは、卵。

 ニワトリの卵にしてはふた回りほど大きいそれを、ミレーユは手の中で弄びながら、教室区域と実験室区域の間にあるエントランスに近い廊下を歩く。

 早くも講義が終わったらしい学生が、反重力ホウキなどを片手にいち早く食事処に向かおうとする中を歩くミレーユは、人並みの中に見知った顔を見つけた。

「あれは……、湯川君? この前はあんなこと言ってたのに、やるわね」

 彼が愛用しているダブルサイクロンホウキを持って歩いている湯川を遠目に発見し、よく見てみる。

 彼の隣に立つのは、ずいぶん小柄で、和服を纏う女の子。

 先日あった、ニーナの恋愛未遂事件のときには、恋人はおろか、好きな人もいないと語っていた湯川だったのに、いま彼の腕は着物の女の子の腕ががっちりと絡みついている。近づきながら見る限り、ふたりの様子はラブラブなカップルだ。

「てっ、あれは! あわわわっ」

 距離が近づき、行き交う学生の間から見えてきた女の子の顔。

 見覚えのあるその子の顔を思い出した瞬間、ミレーユは思わず手の中の卵を取り落としそうになっていた。

 慌てて両手に包んで落とすのを回避したミレーユが見ると、湯川と女の子はちょうどエントランスからそれぞれのホウキで飛び立つところだった。

「まさか……、あれが戻ってきてるなんて……」

 声をかけることもできず、飛び立ったふたりのことを青ざめた顔で見送ったミレーユ。

 眉根にシワを寄せ、小首を傾げた彼女は思い直す。

「どうせ目的はあれだろうし、問題はないかしら? こっちに被害がなければだけど」

 そして手にした卵を見、にやりと笑う。

「ちょうどいいかもしれないわね。あれが戻ってきて慌ててるニーナにこれをカマしてやれば、ぎゃふんと言わせてやれるわ」

 ミレーユが手にしている卵は、生命工学の成果。

 その名も、爆植卵。

 衝撃を与えることで発芽する種を栄養で包んだそれは、名前の通り爆発的な速度で成長する。

 砂漠であろうが酸素のない惑星であろうが空から撒くだけで森を生み出せるそれは、ミレーユにとって会心の出来とも言える研究成果だった。

 ただ、力を入れて研究しすぎたためか、少しばかり成長速度が速すぎ、成長を開始して一秒後にはその先端は音速を超えてしまう。栄養が切れた時点で枯れ始めてしまうため、森をつくり出すどころか枯れ野を生み出すことしかできない。

 それはそれで用途はなくはなかったが、衝撃波をまき散らして成長する爆植卵はいくらなんでも扱いづらく、成長速度を百分の一程度に落としたものを研究中だった。

「まぁでも、いたずらに使うには最高の一品よね」

 そうつぶやきながら、実験室の集まる区画までやってきたミレーユは、忍び足でニーナがいるはずの部屋へと近づいていく。

 室内に人の気配があることを耳を近づけて確認し、爆植卵を投げ込むために閉められた扉をゆっくりと開ける。

「何してるの? ミレーユ」

「ひっ」

 ぎりぎり突っ込める程度に開けた扉の隙間に腕を入れたとき、横合いから声とともに手が伸ばされてきた。

 取り落とした卵はニーナの左手がキャッチし、手首を右手でつかまれたミレーユは逃げることができない。

「な、なんでもないのよ。えぇっと……、研究頑張ってるみたいだから、差し入れでも、と思って……」

「ふぅん」

 足で扉を開け、ミレーユに冷たい視線を投げかけてくるニーナ。

 冷や汗をかきながらの説明は、通用している様子がない。

「まぁいいわ。ちょうどいいから手伝ってちょうだい」

「え? ワタシが? 貴女の手伝いを?!」

 実験室の中に引っ張り込まれたミレーユは文句を述べるが、次のニーナの言葉で黙るしかなくなった。

「まずはこの卵について説明してもらうわよ」

 

 

            *

 

 

 ゾフィアさんと一緒に反重力ホウキで乗りつけたのは、大学からほど近い化学系の資材や消耗品が充実している店。

 反重力ホウキなどの空を飛ぶ道具が普及しているために、地表から数百メートルの積層する建造物の中層にあるにもかかわらず、外に対して開かれている。

 箱の面ひとつを斬り落としたような構造もその店は、魔法町ではごく一般的な形で、左右には同じ形で同じサイズの店が並び、見下ろすと霞むほど下まで似たような店がずっと続いている。

 ホウキを使わない人が歩くのにも使われる広いキャットウォークに降り立ち、僕は早速ボンベや実験機材などが陳列された店の中に入った。

「よぉ、湯川君じゃないか。ニーナ教授は元気かい?」

「えぇ、元気ですよ。今日はちょっと液体窒素を少し分けてもらいたくて」

「いいぜ、売るほどあるからな。ちょっと待ってな」

「あぁ、小さい方のボンベで、えぇっと、四本お願いします」

 了解の返事を手を振って返してきた店主の親父さんを見送る。

 大学が契約している大口取引先というわけではないが、何かと小回りのきく品揃えで、僕はもちろんニーナ教授も贔屓にしているこの店の店主とは、すっかり顔見知りだ。ニーナ教授はポイントカードをつくってるくらい、けっこう頻繁に利用している。

「今日はなんだか魔法町で液体窒素が高騰しててな、ちょっと割高だが、これでいいか?」

 膝下くらいまでの高さがある金属製のボンベは、液体窒素が漏れないようしっかりしたものであるため、僕じゃ二本持つのがせいぜいなくらいだ。

 それを四本、両方の脇に抱えて持ってきた親父さんは、奥にあるレジでいつもよりちょっと高めの金額を提示してきた。

「えぇ、いいですよ。こっちも急ぎで必要になったものですし。請求はいつも通り大学に送っておいてください。それと、これを」

 提示された金額はいつもよりけっこう高かったけど、ここに来るまでに見た、今日貼り替えたらしい別の店の店頭価格に比べれば良心的だ。借用になる小型ボンベの保証金込みの金額が書かれた受領書にサインをして、納品書を受け取った。

 代わりにさっきニーナ教授から受け取ったポイントカードを差し出す。

「ありゃ? こいつは使えねぇぞ。なんかカードの情報が読み出せねぇ」

「えぇっ。……ニーナ教授のことだから、雑な扱いでもしたのかなぁ」

 カードリーダーを通した親父さんにそう言われて、僕はため息交じりにそう答えていた。

 いろんな機材が置かれている実験室だから、リーダーで読み出すタイプのカードなんかは使えなくなることもある。

 ニーナ教授がまた雑な扱いでもしてたんだろうと、僕は仕方なく差し出されたカードを受け取った。

「会員情報はこっちにあるから、ポイントはこっちで加算しておくよ。新しいカードは準備しておくからよ」

「はい。お願いします」

「それで、この時間からだと届けるのは明日になっちまうけど、いいか?」

「あぁいや、今日は持って帰ります」

「持って帰るって……、小さい方だからって、ホウキで持ち帰れる重さじゃないぜ?」

「そこはちょっと、これを使うのとは別の実験をしてるところでして」

 心配と不審を含んだ親父さんの視線に、僕はにやりと笑って見せる。

「あぁ、それはそのままつけて使ってください。着用者の体温からエネルギーを供給しているものなので」

「なるほど」

 僕のお腹のところに貼りつけられた空間ポケットをはずそうとしたとき、店の入り口に立ったまま中に入ってこようとしなかったゾフィアさんが言いながら近づいてきた。

「ここはかなり伸びますから、こうやって――」

「おぉ、すごい」

 ゾフィアさんが空間ポケットに手をかけて引っ張ると、伸びて小型のボンベなら楽に入るくらいになった。

 ポケットの中は、まるで宇宙か何かのように真っ黒だ。

 脇に並んだボンベに手を伸ばして、恐る恐る入れてみる。

 完全にポケットの中に入り、手を離すと、ボンベは黒い空間に吸い込まれるように消えた。

 ひと抱えもあるボンベが入ったはずなのに、空間ポケットが膨らんだりはしないし、重さも感じない。

 僕は思わず感嘆の声を上げてしまう。

「おぉ、凄い! ……でも、取り出すときはどうするんです?」

「入れたものを思い浮かべながら手を入れてみてください。それで思ったものを取り出すことができます」

 ゾフィアさんの説明に、ほんの微かに恐怖を感じながらもいま入れたボンベのことを考えながら、黒い空間に両手を差し入れる。

 何かをつかむ感触があって、引っ張り出してみると、ボンベの頭が黒い中から現れた。

「でもこれ、収納したものを憶えてないと取り出せなくなりそうですね」

「そうかも知れませんね。そこのところは改良の余地があるかも知れません」

 驚きとわくわくで顔が緩んでしまっている僕に、ゾフィアさんは優しげな笑みを見せてくれる。

 ――なんか、凄くいい人だな、ゾフィアさんって。

 教授として、研究者としては凄くて、大学の学長もやってるニーナ教授。

 でも掃除が苦手だったり、機嫌が悪いと八つ当たりもしてきたりといった面もあったりする。

 それに比べてゾフィアさんは、まだ今日知り合ったばかりだけど、優しげで当たりも柔らかく、見た目も口調も可愛らしい。ニーナ教授と仲良しとは思えないくらい良い人のようだった。

 ――あれ? でも、仲が良いの、かな?

 実験室でのニーナ教授の顰めっ面を思い出して、僕は小首を傾げてしまっていた。

「さぁ、どんどん入れてしまいましょう」

「はいっ」

 促されて、僕は残り三本のボンベを空間ポケットに収める。かなりの重量とサイズが入ったのに、ゾフィアさんの手が離れて口が閉まった空間ポケットは、中に何かが入っている様子は微塵もない。

 ――本当に凄い発明品だ。

 人間の体温で稼働するほど省電力で、思い浮かべるだけで取り出したいものを選択できるのは精神物理学の応用だろう、空間ポケット。

 僕はその出来の良さにすっかり感心してしまっていた。

「じゃあ、今日はこれで」

「あっ、あぁ……」

 顔を上げて親父さんに挨拶すると、何故か彼は顔を硬直させ、大量の汗をかいていた。

 それに気づいたゾフィアさんが、彼ににっこりと笑いかける。

 その瞬間、親父さんは埃を巻き上げながら店の隅まで後退っていった。

「どうかしま――」

「さぁ、早く行きましょう、湯川さん」

「え? あ、はいっ」

 また僕の腕に腕を絡めてきたゾフィアさんに、親父さんの様子は気になるけど店の外へと向かう。

「少し、寄り道をしていきませんか?」

 店の入り口に立てかけてあったホウキにまたがって飛び立つと、ゾフィアさんはそんな提案をしてきた。

「いや……、早く帰って実験に入らないといけませんし……」

 まだ昼前とは言え、液体窒素の入手のために朝から始めるはずだった実験はずいぶん遅れてしまっている。ニーナ教授も実験室で待っているだろうし。

「わたしはしばらく離れていたので、魔法町は久しぶりなのですよ。少し見て回りたいですし、ついでにニーナの好きな和菓子も買って帰ろうと思うのです。ここからそんなに遠くないお店ですよ」

「なるほど」

 アパートの部屋から大学までの往復ばかりにしても、僕がここに来てから魔法町がそんなに変わった印象はない。

 けれども久しぶりというゾフィアさんにとっては違うんだろう。

 それにケーキなんかの洋菓子を食べてることが多いニーナ教授は、実はけっこう和菓子にもうるさい。おやつ選びのバリエーションはあるに越したことはない。

「わかりました。行きましょう」

「ありがとうございます。こちらです」

 横に並んで飛んでいたゾフィアさんが、行き先を指さしながら先行する。

「え?」

 彼女が前に出ようとした一瞬、その口元に浮かべられた、唇が裂けそうなほどの笑みに、僕は驚きの声を上げてしまっていた。

「どうかされましたか?」

「あ、いえ。なんでもないです」

 振り返ったゾフィアさんが浮かべていたのは、今日知り合ってから一度も崩れたことのない穏やかな笑顔。

 ――気のせいかな。

 日差しの加減で幻でも見たのかも知れないと思い、僕は先行するゾフィアさんの後を追ってホウキを飛ばした。

 

 

          * 3 *

 

 

「これ読んで」

 言ってニーナがミレーユに押しつけたのは、紙束の半分。

 鈍器にでもなりそうなほどの量がある、ゾフィアが持ってきたその紙束は論文、のようなもの。

 理論に関する実験や証明だけでなく、それを利用した完成品にも触れているそれは、文章表現が決して得意ではないゾフィアが書いたもので、読めば理解できるが、読み進めるのは困難を極める出来だった。

 内容は、空間ポケットに関するもの。

「あの子が書いたものには興味はあるけれど……。精神物理学の論文でしょ? これ。ワタシじゃ畑が違いすぎて、理解できるとは思えないんだけれど」

「何でもいいから違和感があったら教えてくれればいいの! あれが何を考えてるのかわからないから、これを読んで理解するしかないのっ。あ、こっちは今回持ってきた完成品の設計図とかね」

 分厚い紙束とは別の、折り畳まれた紙を湯川がいつも綺麗にしていて、広々とした実験用テーブルにニーナは広げた。

「相変わらずなのね? あの狂才Zは」

「たぶんそうよ。ただ、今回は私が言いつけたことをやってきてるから、追い返すこともできなくてね……」

 手にした論文をめくり始めたミレーユと顔を見合わせ、ニーナはふたりでため息を吐き出していた。

 ゾフィア・フランケンシュタインは、国立魔法科学大学の中で、また大学周辺で彼女を知る者からは『狂才Z』と呼ばれ、恐れられている。

 彼女の性質は研究者と言うより、発明家と言う方が近い。

 つくりたいものをつくるために、理論の発見と証明から始めて、ひとりで実現してしまう彼女は一種の天才。

 しかしながらその性質と、起こした数々の事件から、彼女は恐怖の対象となっている。

「何を言いつけて遠ざけたの? あの子、聞き分けは良かったでしょ、貴女に対しては」

「まぁね」

 ゾフィアはニーナが学長になる前の頃に、少しの間だけ教授として担当していた生徒だった。多くの問題を起こし、しかし様々な事情があって退学処分にはできなかったため、困難な研究を押しつけることで遠ざけていた。

 自主退学までして研究に没頭した彼女に、ニーナは安心して過ごすことができるようになったはずだったが、今日になって突然舞い戻ってきた。

 彼女がもし望めば、いまは学長であるニーナの意思すら撥ねつけて、周囲が復学させてしまうだろう。起こす問題は大きく深刻ではあるが、ゾフィアにはそれだけの魅力がある発明家でもあった。

「あれに言いつけたのは物質転送機、ワープ装置の完成品、もしくは応用した物体の作成か、そのための理論の構築よ」

「ワープ装置って……。あれはずいぶん昔に販売禁止になったはずじゃないの?」

「販売は禁止されてないわ。製造が禁止されただけ」

「あぁ、だからたまに骨董品屋とかで本物かどうかわからないけど、売ってたりするのね」

 ワープ装置は、ニーナが生まれるより前に製造され、販売されていたことがある、夢のような道具だった。

 機能は文字通り物質を違う場所に転送するというもので、冷蔵庫のような見た目の転送機が二個セットで販売され、双方向に物質を転送し合うことができるものが主だった。

 とても便利な道具であったが、ほんのひととき世の中を騒がせた後、アッという間に姿を消した。

 納得したように頷いたミレーユは、重ねて問うてくる。

「なんでまた、製造禁止になったの? 信頼性に問題があったって話は聞いたことがあるけれど」

「信頼性、というのとは少し違うかな? でもまぁ、そんな感じね」

 立ったまま論文の前半をめくるミレーユは、目にかかってきた髪をかき上げながらニーナのことを見つめる。

 自分でも論文を読み進めるニーナは話を続けた。

「当時のワープ装置は転送達成率が九九.九九パーセント、コンマゼロ一パーセント程度不足していたの」

「それくらいあれば充分なものじゃないの?」

「成功率だとしたらもうあと何桁か高くないと商品にはならないわよ。でもね、ワープ装置に不足していたのは、転送割合。一回ごとにコンマゼロ一パーセント程度、転送した物体の構成物質が失われていくの」

「それくらいなら問題にならないんじゃない?」

「えぇ。一回二回の転送なら、ね。ワープ装置は形状保証が優先されていたから、見た目ではすぐには気づかない。毎日のように使っていると、問題になってくるのよ」

 精神物理学より純粋物理学の方が近い領域ではあったが、興味があったので、ニーナもワープ装置については少しの間研究したことがあった。

 しかし、その研究は断念することになった。

 自分が断念することになった研究を押しつけたはずのゾフィアが、完成品を持って戻ってきたことには嫉妬を覚えなくもなかったが、それよりも彼女のこれまでの所行を考えれば、戻ってきた理由の方が気になった。

 戻ってきた理由のヒントは、渡された論文にあるはずだと、ニーナは考えていた。

「毎日使っていると、どうなるの?」

「どんどん代替の物質に置き換わっていくの。貴金属なら純度が下がっていくし、宝石なんかだったら不純物が増えるから段々と色味が変わっていくわね。機械の類いはしばらくは問題ないけど、そのうち不調を来すようになる。代替される物質を選ぶ方法は見つからなかったし、傾向はあったけれどどんな物質に置き換わるのかは解明できなかった。新陳代謝をする生物だと問題が少ないんだけど、一度情報化、データライズして余剰空間を通して別の地点に持って行く感じなんだけど、倫理的なオリジナル問題が発生してたわね。そんなこんなで、もうずいぶん前の話だけど、製造が禁止されたの」

 ミレーユは論文のページをめくりながら、眉根にシワを寄せる。

「割合の問題なら、それを上げていけばいいことじゃないの?」

「その通りよ。製造が禁止されても、研究は続けられていたわ。転送割合が一〇〇パーセントにならないのは、データライズした物質が余剰空間を通るときに摩擦が発生していることが原因、というのは究明されて、スムーズに通す方法が研究された。そしてもうずいぶん昔に、小数点以下十三桁までの転送割合を実現したワープ装置は完成した」

「完成してるんじゃない。どうして販売されないの?」

「別の問題が発生したからよ」

 不思議そう表情で論文から顔を上げたミレーユに、ニーナは苦々しい顔を見せた。

「別の問題って?」

「コストの問題よ。当時試算されたのでは、一家に一台程度にワープ装置が普及した場合で、平均的な家庭一世代が生涯に得られる収入の――」

 ミレーユから視線を外し、ニーナは大きなため息を吐いてから言う。

「約十世代分」

「……計算間違いじゃなく?」

「えぇ。計算間違いじゃなく」

 ニーナの言葉に、ミレーユはあんぐりと口を開けていた。

 販売されていた当時、様々な事件を引き起こしたワープ装置は、再度製造するに当たって様々な制限が設けられた。

 それが性能保証のための認定と、認定を受けるための検査で、小数点以下十三桁の転送割合のワープ装置を製造するためには、職人芸どころではない超精密な調整を必要とした。

 それによって算出された一台単価が、十世代分。子々孫々、十代に渡って払い続けてやっと終わるような、膨大すぎる金額。

 それでも便利で日常的に使い続けられるものならば、世代を跨ぐローンなどで購入もあり得なくはなかったが、認定を維持し続けるためには十年から二十年に一度、再検査が必要であった。

 検査だけでも相当な金額がかかり、認定されなかった場合、再調整が必要となる。再調整には一世代分の収入程度の金額がかかることがわかり、コストを改善する技術的なブレイクスルーがあるまで事実上、ワープ装置の量産は見送られることになった。

「金持ちとかどうしても必要なところだったら、購入するんじゃないの?」

「それだと製造コストが何桁か上がることになってね。重要な物品を厳重に運ぶのに比べると見合うものではなかったのよ」

「……あの子を遠ざけるためとは言え、ずいぶん無茶なものを押しつけたものね」

「無茶だから遠ざけ続けられると思ったんだけどね。それなのに一応、そのままのものとは言えないけれど、応用した完成品をつくってきちゃってるのよね」

 空間ポケットは、物質をデータライズしてA地点からB地点に転送するワープ装置とは異なるが、それに使われている技術や理論を応用した発明品だった。

 純粋物理学の結晶であるワープ装置を応用し、精神物理学を組み入れた空間ポケットは機能の維持に魔法、人間が発する念力を使っており、それにより体温からの発電で稼働できるほど省電力となっている。

 まだ実物は触っていなかったが、論文から察するに、複数の物体を格納したときの取り出しには人間の精神力を応用したモントーク技術が使われ、取り出す物体の選択は考えるだけで可能だ。

 使い方を知っていれば誰にでも使えるワープ装置とは違い、魔法を応用し、反重力ホウキのように使用を個人に限定している空間ポケット。入口と出口が同じであり、余剰空間は利用しているものの、データライズした物質を格納しているだけなので、遠距離転送時にある存在摩擦もほぼ発生しない。

 ゾフィアが書いた論文と設計図は彼女らしく理解が難しい部分があり、量産にはいくつかのハードルがあるような気はしていた。

 しかしながら、価格はワープ装置のような異様な価格になることはないはずで、個人で買える程度に収まりそうな具合だった。

「完璧じゃない」

 そんなニーナの説明を聞き、ミレーユは感心したように言った。

 けれどもニーナは、眉を顰めたまま論文をめくる手を止めない。

「あれがつくったものよ? 一見完璧に思えても、落とし穴がありそうな気がしてならないのっ」

「そりゃあまぁ、狂才Zのつくるものだからねぇ……」

「それにイヤな予感がしてならないの。私が指示したことだとは言え、あれがその指示通りに完璧なものをつくるとは思えないのよね」

「……信用してないのね」

「信用できると思う?」

 顔を見合わせたふたりは、返事の代わりにため息を吐き出していた。

 ふたりで論文に視線を戻したとき、ミレーユが声を上げた。

「ねぇ、ここのところってちょっとおかしくない? 気のせいかも知れないけど」

 そう言って彼女が指さしたのは、論文に書かれた空間ポケットの構造概念図。

 それから実験机に広げられた、今回持ってきた実物の設計図を指さす。

 概念図と設計図では描き方が違うため、同一にはなっていない。けれども概念図を元に実際に作成の際の設計図がつくられたわけで、内容としてはほぼ同じになっているはずだった。

 専門外だからかいまひとつどこが違っているのかわからないらしいミレーユは、概念図と設計図を見比べて困ったような表情を浮かべているだけだった。

 ニーナもそのふたつを見比べ、ミレーユが感じただろう違和感の正体を見つけようとする。

「これって……。ちょっと待って」

「どうしたの?」

 ミレーユの指摘した違和感の正体に気づき、ニーナはその問題から派生する別の問題を確認するために、自分の手元の論文後半をめくる。

「あれの目的がわかったわ!」

「いったい何だったの?」

「説明は後! たぶん、湯川君が危ない!!」

「湯川君が? 彼はいま、狂才Zとお出かけ中でしょう? いまどこにいるのかわかってるの?」

 実験室の壁に立てかけておいた自分の反重力ホウキを手にしたニーナは、ミレーユの腕を引っ張って廊下へと出る。

「こんなこともあろうかと、湯川君にはポイントカードに偽装した発信器を持たせてあるのよ」

「いざというときのためなんでしょうけれど、貴女もよくそんなものつくるわね」

「ご託は後回し! 詳しいことは行きながら話すから、貴女も急いでっ」

「仕方ないわね」

 悪態を吐きつつも一緒に廊下を走るミレーユとともに、ニーナは湯川の元に向かうためエントランスへと急いだ。

 

 

            *

 

 

「この辺はずいぶん変わりましたね」

 店からホウキをゆるりと流して上野方面へ。

 大学周辺の雑多な街並みは少しずつ整備された街並みとなり、積層する建物は変わらないものの、神田や秋葉原周辺に比べると綺麗な景観になってきていた。

 行き交う人も学生とかの若い子よりも、ビジネスマンなどの大人の割合が多くなってきている。

「そうなんですか?」

「えぇ。わたしはしばらく魔法町を離れていましたから、いろいろ変わっているところがあって、少し驚きますね」

 上野近辺は近くにある合羽橋の道具屋街に、実験で使う刃物を研ぎに出すときに来るくらいで、あまり馴染みはない。

 それでも僕が大学に通うようになってからはあんまり変わった印象はなかった。

 ――ゾフィアさんって、いつからニーナ教授の知り合いなんだろう?

 僕がニーナ教授の助手になる前、大学に入ったときには見かけた憶えのないゾフィアさん。

 その頃にはもう魔法町を離れていたのだとしたら、けっこう時間が経っているはずだ。

 隣に並んでホウキで飛んでいるゾフィアさんの薄く笑みを浮かべた横顔は、彼女の年齢はニーナ教授よりひとつかふたつか下、十四、五歳に思えた。

 そこから考えると、魔法町を離れたのは十歳前後かも知れない。

 魔法町では身体を弄るような改造は一般的で、僕は花粉症を治すのすら抵抗があるくらいでやっていないけれど、見た目と年齢は連動していないことも多い。それどころか、人間のように見えるけれど人間じゃない人だっていくらでもいる。

 ゾフィアさんは実は僕やニーナ教授よりも年上かも知れないし、それどころか逆に、見た目よりも若いかも知れない。

 ただ、僕の知らないニーナ教授のことを知っていることは確かだった。

「あの、ちょっと聞いていいですか?」

「なんでしょう?」

「どうして、空間ポケットをおひとりでつくられたんですか?」

 僕の問いかけににっこりと笑んだ顔を向けてくれるゾフィアさん。

 見下ろしたお腹に貼りついている空間ポケットは、もの凄い発明品だ。もし普及したとしたら、魔法町の有り様は大きく変わりかねない。それほどに凄いものだ。

 ちょっと聞いた限りでは、機能を起動させて余剰空間を生み出すには魔法を使っているそうだし、取り出す物体の選択にはモントーク技術が使われている。

 精神物理学の成果とも言える空間ポケットは、ニーナ教授にとっても興味深い発明品のはずだ。

 それを何故、知り合いで、ニーナ教授はなんか不機嫌そうだったけど、ゾフィアさんの方は仲がいい様子があったんだ、一緒に研究しなかった理由がわからない。

 踏み込んでいいことかどうかわからないけれど、僕は興味が湧いてきて、それを訊いてみることにした。

「目的があったからです」

「目的?」

 そう答えて楽しそうに笑うゾフィアさんの言葉の意味を、僕は計りかねた。

 もう少し深く訊いてみようと口を開いたとき、それを制するようにゾフィアさんが先に言った。

「この辺りはあまり変わっていませんね。よかった」

 その言葉に辺りを見回してみると、いつの間にか積層上野公園の近くまで来ていた。

 反重力の妙技とも言われる空中不忍池は、空中に浮かぶ巨大な水の球で、それを囲むように板状の庭園が何層にも重なっている。

 地上から噴出する湧き水を循環させ、透明度の高い空中不忍池は、ただそこにあるだけで見惚れるほどに美しい景観だ。

 でも、この時期の積層上野公園は、僕にとっては鬼門と言えた。

 そろそろ昼が近いらしく、多くの人が集まりつつある庭園には、様々な植物が生えている。

 その中にはもちろん、白い穂を垂れる、イネ科の植物も多くある。

 まだ距離があって、見ているだけなのに、僕は鼻がむずむずし始めていた。

 ――そう思えば、まだミレーユ助教授にもらった薬、飲んでなかったな。

 研究室に着いたら飲もうと思っていた薬は、ゾフィアさんに連れ出されてしまったから、まだ飲んでいない。飲んでいれば多少の症状なら抑えられると思うけれど、これ以上庭園に近づくとクシャミが止まらなくなりそうだった。

「実験もありますし、お菓子はまたにしてそろそろ大学に帰りま――」

「わたしは、ニーナのことが好きなのです」

 帰ろうと促す言葉を遮るように、突然ゾフィアさんがそんなことを言った。

 彼女の浮かべる涼やかな笑みは、今日これまで見てきたものと変わらないように思える。

 でも、その細めた目の奥、瞳の底にあるものに、僕は底知れない寒気を感じていた。

「本当は離れたくなんてなかったのです。けれど、わたしはあのとき、彼女の命令を聞くしかありませんでした。できればわたしは、ニーナをわたしだけのものにしたいと望んでいます」

 もう見なくても、その言動だけで異常だとわかるゾフィアさんの様子。

 危険を感じて逃げ出そうとした瞬間、上野公園の庭園プレートの縁にホウキを寄せたゾフィアさんは、そこに生えた白い穂を垂らす背の高い草に手を伸ばし、引き抜いた。

 ――まずい!

 と思ったときには、僕の顔の目の前、鼻先で白い穂が振られていた。

 なんでこんなことを、と思ってゾフィアさんの方に目を向けると、僕から遠ざかっていくのが見えた。

 その彼女が呟くように言った言葉。

「美しい花にたかるものは、例えミツバチではなく無害な羽虫だったとしても、排除すべき邪魔な存在なのですよ」

 正常とは思えない笑みと言葉を残して、ゾフィアさんは遠くへと消えていった。

「ぐふっ」

 それを追っていくことができない僕は、こみ上げてくるクシャミを抑えるために、両手で鼻を押さえる。

 ホウキの操縦が乱れることなんて気にしていられない。

 ――ダメだっ。いまクシャミしちゃダメだ!

 理由はわからない。でもいまクシャミをしたら終わりだ。

 そんな思いが僕の頭を駆け巡って、顔を覆って必死でクシャミを抑え込もうとする。

 でも無情に、花粉で刺激された僕の粘膜は、クシャミを繰り出そうと横隔膜を震わせる。

 ――もうダメだ!!

 我慢が限界を超え、肺に溜まった空気を全部吐き出す勢いでクシャミをしようとした、そのとき。

 背中に柔らかい感触。

 それが衝突してきたのと同時に、ひねり潰す強さで僕の鼻を細い指がつまみ上げた。

「んぐっ」

「我慢しなさい! ミレーユ!!」

「わかってる!」

 後ろから聞こえたニーナ教授の声に応えたミレーユ助教授は、すれ違い様に僕のお腹から空間ポケットを剥がし取った。

 それを、ニワトリのものにしてはずいぶん大きい卵に被せ、すぐ側の積層上野公園の庭園の縁に叩きつけた。

 途端にそこから伸び上がったのは、蔓。

 まるで童話のジャックと豆の木のように、叩きつけられた地面から真っ直ぐに伸びていく太い蔓は、一瞬にして視界に収まらなくなり、見上げた空の一点に向けて微かな衝撃波を発しながら伸びていった。

 突然のことにクシャミの気配もなくなり、先端は青い空の霞んで消えてしまっている蔓を見ていた。

 背中に感じてる柔らかい感触は、ニーナ教授の胸。

 まだ僕の鼻を捻り上げてる彼女も、僕と一緒に空を見上げていた。

 鼻をつままれてからほんの一秒ほどのこと。

 どうしたのかと問おうと思った次の瞬間、見ていた空に変化があった。

 黒い球体。

 さっき感じていたのとは別の危険を感じた僕は、無意識のうちに振り返ってニーナ教授の身体を抱き締める。

 黒い球体から溢れるように発せられた光。

 爆発的なそれは、光が身体に届いたと思ったときには、衝撃波が襲ってきていた。

 片腕でニーナ教授の身体を、片腕で彼女の頭を守る僕は、衝撃波によって吹き飛ばされた。

 近くにいた人々も、公園の木々や不忍池も、激しい衝撃波によってもみくちゃにされる。

 地面に背中から叩きつけられるものの、痛みはあっても意識を失うまでには至らない。運良くすぐそこの上野公園の上に落ちたらしい。

「大丈夫、ですか? ニーナ教授」

「……えぇ。助かったわ、湯川君」

 一瞬だった衝撃波は過ぎ去り、僕の胸元から顔を上げたニーナ教授は、土を被ったりしていたものの、怪我をした様子はなく微笑んでいる。

 まだ事情はわかっていないけれど、ニーナ教授が無事であることに安心する。

「きゃあーーーーっ!!」

 安心したのもつかの間、そんな悲鳴とともに濃い紫色の物体が空から降ってきて、お腹に直撃した。

「ぐほっ」

 荒々しく流れ落ちる滝のような髪に、それがミレーユ助教授であることを認識したときには、お腹をお尻でプレスされた僕は、うめき声とともに意識を口から吐き出していた。

 

 

          * 4 *

 

 

「つまり、魔法安定装置を搭載してなかったってことですか?」

「そうよ」

 空間ポケットが上空で爆発した後、僕は大学の医務室に担ぎ込まれた。他にもたくさん怪我した人がいたために、最速で治療してもらえるようニーナ教授が気を回してくれたおかげだ。

 背中とお腹にけっこう酷い打撲と、肋骨の何本かにヒビが入り、頭にも包帯を巻いているという僕は、満身創痍の状態になっていた。

 入院するまでではなく、痛み止めと治癒を促す薬で数日程度で治りそうなくらい軽いものだったのが不幸中の幸いか。怪我の原因は爆発というより、ミレーユ助教授のヒッププレスだったような気がするけれど、わざとではないし、気にしないことにする。

 いま僕は実験室に戻ってきて、椅子に高く足を組んで不機嫌そうに眉を顰めているニーナ教授に説明を受けたところだった。

 他には何故か無傷のミレーユ助教授と、簡易的な拘束服に着させられたゾフィアさんがいた。

「むっ、無茶苦茶危険じゃないですか!」

「そういうこと。入荷するはずだった液体窒素が大量に漏れた事件もこいつの仕業だし、こいつは危険なのをわかってて、それをここに持ち込んだの。――貴方を、抹殺するためにね」

 ニーナ教授の言葉に、僕は思わず身体が震えていた。

 説明によると、空間ポケットには魔法安定装置が搭載されていなかったという。

 魔法安定装置は、反重力ホウキなど、魔法で動く道具には必ず搭載されている回路のことだ。

 人間が身体から発している魔力、念力は決して一定ではなく、平常時でもリズムを刻むように強くなったり弱くなったりする。感情が高ぶると強くなったり、逆に沈むと弱くなったりもして、常に一定の力が放出されているわけじゃない。

 体調が悪いとほとんどゼロになることもあり、身体の変調によって瞬間的にはゼロになることも少なくない。

 もし魔法安定装置が搭載されていなかったら、魔力の放出がゼロになった瞬間、例えば反重力ホウキなら落下することになる。

 ゼロになるのはたいてい一瞬のことだから地面まで落ちることはないけれど、事故の原因にもなり得るから、それへの対策は魔法安定装置を搭載するという方法で必ず行われている。

 魔力の放出がゼロになるのは、激しく驚いたときや、強い痛みを感じたときなど。

 それから、クシャミでも起こり得る。

 もしあのとき僕がクシャミをしていたら、その瞬間空間ポケットは機能を停止していたことになる。

「機能が停止するだけだったら問題はなかったはずだったんだけどね、あの空間ポケットは、機能停止と同時に中身をその場で再構築するように仕込まれてたの。あの、ポケットの中の狭い空間で」

「それで、あの爆発だったんですね」

「えぇ」

 詳しい理屈は推測するしかないが、本来よりも大幅に圧縮された形で再構築された四本の小型ボンベは、たぶん小規模な核融合爆発か、それに近い現象を起こしたんだと思う。

 あのときはクシャミの代わりに、ミレーユ助教授がいたずらのために持ち込んだ爆植卵で身体から離され、体温のエネルギーと魔力の供給を断たれたために上空で爆発した。

 もしあのとき僕がクシャミをしていたとしたら、一度機能を停止し、内容物を再構築した空間ポケットは、魔力が復活しても再格納するよりも前に爆発していたという。

 そんなことをゾフィアさんは、失敗したからではなく、爆発させることを目的として、空間ポケットから安定装置を取り除いていたという。

 僕を、抹殺するために。

 口こそ塞がれていないが、拘束服によって見ることも歩くこともままならないゾフィアさんから、僕は震えながら距離を取った。

「な、なんでこんな人が野放しになってるんですか!」

 今回の爆発で、積層上野公園はかなり荒れてしまった。しばらくは閉鎖して、再整備が必要なくらいに。

 怪我をした人も一〇人じゃ下らなかったはずだ。

 そんなことをし出かしてしまう、それどころかニーナ教授の話では今回が初めてではないというゾフィアさんが、捕まりもせず外を出歩いてることが信じられない。

「そこの辺は複雑な事情があってね。今回もこの後、しかるべき場所に連れて行かれると思うけど、たぶんいつも通りすぐ出てくると思うわ」

 机に頬杖を着きながら言うニーナ教授の言葉が飲み込めない。

 いくら不思議なことや驚くことが多い魔法町と言えど、騒動を起こし、人に怪我をさせたり公園を荒らしたりしたら、捕まるのが当然のことだ。

 そんな人がすぐに出てきてしまうなんて、あり得ることじゃない。

「なんでなんですか……」

「まぁ、湯川君も感じたと思うけれど、こいつは天才的な発明家なのよ」

「それは、わかりますが」

「だから、こいつに恩を売るためにお金を出す人はいくらでもいるわ」

 法が整備された魔法町であっても、お金の力によってある程度どうにかなってしまうのは、今も昔も同じだ。お金を積めば保釈されることもあるし、腕のいい弁護士を雇えばよほどのことをしてない限り、無罪や軽微な罰則で済んだりもする。

 実体は恐ろしいものだったわけだけど、空間ポケットは確かに凄い発明品だった。僕も感心してしまったくらいだし。

「ただいろいろと問題があってねぇ……。こいつが一番最初に世の中で注目されたときにつくったものって、なんだと思う?」

「いえ、わかりませんが」

「確か停蔵棺桶、だったわよね?」

「えぇ」

 わからない僕の代わりに答えたのは、ミレーユ助教授。

 ニーナ教授と同じように眉根にシワを寄せ、複雑な表情を浮かべている彼女の言った停蔵棺桶というものを、僕は知らなかった。

「どんなものなんです?」

「限定された空間の時間を、ほぼ停止させる技術が確立されているのは知ってるわね?」

「えぇ。でもあまり実用的じゃなかったですよね」

「その通りよ」

 限定された空間、例えば冷蔵庫程度のサイズの中身の時間をほぼ停止させることができる技術は、理論としては実現できていた。

 ただし時間を停止させるためには、限定された空間の中だけとは言え、恐ろしいほどの電力を必要とし、その上安定性がいまいちで、ちょくちょく部分的に通常時間に戻ってしまう現象の発生を抑えきれないことが知られていた。

 時間が停止した空間は光はもちろん、あらゆる観測手段が使えないため、ムラのある通常時間復帰を観測することも難しく、実用性の低い停蔵庫しかつくることができていない。

「こいつはね、以前大学にいたときに、電力供給も不要で、ムラなく完璧に時間を停止させられる上、外からの観測も可能なものをつくり上げたのよ」

「……凄いっ」

 空間ポケットでも驚いた僕だけど、その停蔵棺桶にはさらに大きな驚きを覚えていた。

「でも、なんで棺桶なんです?」

「……はぁ」

 僕の問いに、ニーナ教授は大きくため息を漏らす。

 そんな彼女の代わりに、ミレーユ助教授が答えてくれる。

「ガラス張りの棺桶でね、中に入れたものの時間は完璧に停止してるのに、外から光学観測が可能だったのよ。理論自体は以前からある時間停止と変わらないのに、どうして外から観測できて、ムラなく時間を停止できるのか、結局解明できなかったそうよ。この子の発明品は、他の人には再現できないものが多いのよ」

 見せつけるように胸の下で腕を組むミレーユ助教授も、そう言って大きなため息を漏らした。

「まぁそんなものだったわけ。棺桶である理由のひとつは、空間ポケットと同じで、魔力で稼働するものだから。中に入れられるのは人間に限定されてるの」

「なるほど。それで棺桶」

「それだけじゃないわ。こいつがそれをつくった理由はね――」

「永遠に、ニーナをいまのまま保存するためですよ」

 ニーナ教授の言葉を遮り、場違いな元気のいい声で言ったのは、ゾフィアさん。

「ニーナ教授を、永遠に保存?」

「えぇ。湯川さんはニーナのことが美しいと思いませんか?」

「それは……、まぁ」

 ちらりと見たニーナ教授は、少し金糸のような髪が乱れていたりはするが、確かに綺麗だと、美しい人だと思う。

「老いによって衰えることなく、改造などの手も加えず、永遠にその姿を保つためには、停蔵棺桶に入れるしかなかったのです。ニーナはそうして保存するに足る人です。でも、拒否されてしまったんですよー。不思議ですね」

 本当に理由がわからないように、ゾフィアさんは小首を傾げて見せる。

 目隠しもされてるからわからないが、たぶん本気で不思議そうな表情を浮かべていることだろう。

「そりゃあ私だって永遠に老いないというのには興味がないわけじゃないけど、そのために時間を停止されて保存されるなんてまっぴらよっ」

「本当に残念です。ニーナは人類にとっての宝だと思いますのに。保存が叶わないなら、いっそのこと食べてしまいたいですね。そうすれば、わたしとひとつになって、ニーナは永遠にわたしの中で生き続けることになりますし」

 そんなゾフィアさんの言葉に、クシャミが出そうになっていたときよりもさらに強い恐怖と寒気に、僕は襲われていた。

 ――狂ってる!

 ここに戻るまでに聞いた、ゾフィアさんの通称。

 狂才Z。

 見た目もちょっとした言動も普通なのに、まさにその通称がぴったりの思考を、彼女がしていることを僕は理解した。

「もういいわ。連れて行ってちょうだい」

 ニーナ教授の言葉に、実験室の外で待っていた警備員がふたり入ってきて、ゾフィアさんの腕を抱えて持ち上げた。

「また近いうちに会いましょう、ニーナ」

「イヤよ!」

「本当にいけずですね、ニーナは」

 拒絶の言葉も気にした様子もなく、クスクスと笑い声を漏らすゾフィアさんは、実験室から連れ出されていった。

 どっと疲れた僕は、近くの椅子を引き寄せて座り込んだ。

「なんか、凄まじい人ですね……」

「えぇ。本当に。あぁいう人もいるのよ。いえ、本当に人なのかしら? 地球人なのかどうかも、不明なのよね、あれは。何にせよ、今回の件はこれで終わりよ。いろいろ、不安はあるけれどね」

 そんなニーナ教授の宣言に、僕たち三人は同時に大きなため息を吐いていた。

「でもまさか、クシャミで死にかけるとは思いませんでしたよ。ミレーユ助教授の言うように、手術とか薬で治した方がいいものなんですかね」

「そういう方法があるってだけのことよ。別に強く勧める気まではないわ。手術や薬に頼りたくないという価値観も、別に否定されるものではないもの」

 朝もそんなに強く勧めてきていたわけじゃないミレーユ助教授は、僕の視線に肩を竦めて見せていた。

「別にいいんじゃない? 湯川君の好きにすれば」

 目を細めながらそんなことを言い出したのは、ニーナ教授。

「そうですか?」

「えぇ。この魔法町では、いろんな価値観の存在が許されてるんだからね」

「それは……、そうですね」

 魔法町に住む人の価値観は、本当に多様性がある。

 地球人の価値観なんてほんのひと欠片のものでしかなく、宇宙からやって来た人だって多いし、歴史の授業で習おうような昔の倫理観なんてもうすっかり形骸化してしまっている。

 多様にして雑多、そしてそんな様々な価値観の折り重なりから発生するエネルギーこそが、いまの魔法町を活気づけていることは、誰も否定することではないだろう。

「その許される価値観の中に、狂才Zのものもあると言うのかしら?」

 ぽつりと言ったミレーユ助教授の言葉に、僕とニーナ教授は顔を見合わせ、何度目なのかわからない大きなため息を漏らしていた。

 

 

                    「色即Z喰」 了

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