JH科学 魔法町シリーズ二次創作 「カガクノミチ」 作:きゃら める
参加を要請されたハロウィンパーティを、湯川は警戒するが、ニーナは前向きに検討するという。不安を抱える湯川の、そしてニーナたちの運命はいかに?!
百花霊乱
* 1 *
大型のブラウン管モニタに向かい、手元のキーボードで実験結果の数値を打ち込んでいたニーナは、ぽつりとつぶやいた。
「面倒臭い」
細く白い左手の指でかき上げた腰までの髪は、一本一本が黄金でできた糸であるかの光沢を持ち、さらさらと背中に流れた。
色は濃紺と控えめであるが、ふんわりと広がるスカートの裾や、チューリップの花のように開いた袖口にレースがあしらわれた服を身につける。
ダークグリーンのネクタイが緩やかに、けれどはっきりと曲線を描く胸元の上、小さな顔にくっきりとした意思の見せる輪郭をした顔は、いまはその眉根に深いシワが刻まれていた。
ゾフィアが持ち込んだ空間ポケットの暴発により、積層上野公園周辺が破壊されてから一週間。
死者こそひとりも出さなかったものの多数の怪我人と、完全修復に半年はかかるという公園の被害を出したが、事件としては一応落ち着きを見せている。犯人であるゾフィアはいまは警察に留置されているはずで、大学も、ニーナの周辺も日常が戻りつつある。
しかしながらあのとき骨折や打撲などの大怪我を負った湯川は、まだ大学に復帰していない。
完治まで三ヶ月と診断された怪我は、ゾフィアから分捕った医療費を注ぎ込み、手配できる最高の病院と最新の医療技術、回復促進剤などを投入し、おそらく今日辺りには復帰できる予定であった。
「早く帰ってきてくれないかしら? 湯川君」
ひとつため息を吐き、ニーナは入力を中断してため息を吐く。
湯川の復帰が待ち遠しくて仕方がなかった。
ニーナには彼の存在が必要であると、いままでも思っていたことであったが、いまこそ彼の存在がほしくて仕方ないと思ったことはなかった。
振り返って見てみた実験室内。
実験用の机の上はもちろんのこと、床にも実験機材やボンベ、紙類のゴミなどで溢れ、すっかり腐海を形成している。パソコンを置いてある机の方にも、いくつもの紅茶のカップであるとか、お菓子の袋の群であるとか、片付けが必要なもので溢れてしまっている。
助手の湯川が、いまこそ必要だった。
先週から事件のことで警察に何度も行っていて実験室の利用率は高くない。片付けようとも思っていた。
けれどやるべきこと、やりたいことがあると、どうしても片付けは後回しになってしまう。
教授であるニーナに対し文句も言えば、小言も言うし、親かと思うくらい口うるさいこともあるが、それでも湯川は助手として優秀だった。
「早く帰ってきてくれないと、貴方の今週の残りの仕事、片付けだけになるわよ」
自分のことは棚に上げ、キーボードをどかして机に突っ伏したニーナは、そう愚痴をこぼしていた。
そのときだった。
ところどころペンキの剥げた、実験室の扉を叩くノックの音がした。
「湯川君かしら?」
――よしっ、これで部屋も片付くし、美味しい紅茶も飲める!
希望の部分は口から漏らさないよう気をつけ、できるだけ平静を装いつつ、しかし唇の端が笑みにつり上がるのを押さえきれないニーナは、オフィスチェアから立ち上がって扉に近づいて行った。
*
愛用のダブルサイクロンホウキから降り立った、大学の本校舎中層にあるエントランスには、ホウキや反重力シューズなどで飛び立つ人、僕と同じように降り立つ人で賑わっている。
ちょうどお昼時。
大学内にいくつもあるそれぞれ個性のある学食や売店は人でごった返す時間で、食事処の多い大学の周辺で昼食を取る人も多い。
この辺りでもひときわ高い国立魔法科学大学の校舎の周囲には、上にも下にも様々な人が飛び交っていた。
――なんか懐かしいな。
今日の午前中に行った病院で、僕は医者から完治を言い渡された。
ゾフィアさんからの医療費とか言うので時間優先で治療してもらえたため、貧乏学生である僕が出せる金額じゃ診断通り三ヶ月はかかっただろう怪我は、たった一週間で治ってしまっていた。
ニーナ教授やミレーユ助教授には怪我がなかったし、僕もこうして大学に復帰できたし、ゾフィアさんもいない。事件の爪痕はまだ残っているだろうけど、今日からはこれまでと同じ日常が始まる。
早めに昼食を済ましてきた僕は、ホウキをエントランスのとこにある鍵付きロッカーに収め、早速ニーナ教授がいるだろう実験室に向かう。
――ゾフィアさんとは、もうしばらくは会うことはないだろうな。
空間ポケットなんてものを造れちゃう凄い人なのはわかるけど、積層上野公園はもちろん、僕を含めてたくさんの怪我人を出したんだ、実刑を免れることはないだろう。
ニーナ教授への執着の凄まじさもあるし、可愛らしい笑みの裏で僕に対する敵愾心むき出しのこともあるし、見習いたいくらい凄い人なのはわかってるけど、二度と会いたくなかった。
――ニーナ教授の助手を続けてたら、また会うこともあるのかなぁ。
そんなことを思ってため息を吐きつつ、比較的人の少ない実験室ばかりが集まってる区画までやってきた。
三日の入院の後は自宅療養で、一週間ぶりの実験室。
もうすっかり見慣れてしまっているその古い扉に、やっと戻ってこられたのだと実感した僕は、笑みを零しつつ軽くノックをした。
「失礼します」
部屋の照明が磨りガラス越しに点いているのを確認した僕は、中にいるだろうニーナ教授に声をかけながら扉を開けた。
実験室の中では定位置となってるパソコンを置いてあるデスクの前のオフィスチェアに座る、ニーナ教授。
一週間ぶりの彼女は相変わらず見惚れてしまいそうなほど綺麗で、可愛らしい。
が、部屋に一歩踏み込んだ僕のことを見るその眉根には、深いシワが刻まれていた。
たった一週間で腐海となりつつある実験室の中よりも気になったのは、ニーナ教授の側に立っているふたりの人物。
ひとりはたぶんどこかの営業らしい、満面の愛想笑いが板についている男性。
パリッとした彼が着ている黒のビジネススーツはでも、おしゃれなデザインのものだ。よく大学に出入りしている業者の人とは違い、ハイソな業界の営業であることを窺わせるものだった。
それからもうひとりいる、小柄な人物。
赤い柄物の和服と、しっとりとした長い黒髪。それから、どこか人形染みた整った顔立ち。
ゾフィア・フランケンシュタイン。
「え? あれ? あ?」
彼女のことを認識した瞬間、意味不明な声を漏らした僕は、その場にへたり込んでしまっていた。
* 2 *
「なんでゾフィアさんがいるんですか?!」
そんな僕のできるだけ抑えた声に、ニーナ教授は疲れた顔で乱れた金色の髪をかき上げた。
腐海に飲まれつつある実験室では椅子も場所も足りないので話をすることはできず、ゾフィアさんはともかく営業の男性は外来客なので、応接室に案内することになった。
一番近い食堂でお茶と茶菓子を用意してもらい、それをお盆に乗せた僕はニーナ教授と並んでゾフィアさんが待つ応接室に向かっている。
ゾフィアさんには正直会いたくないが、さすがにニーナ教授だけで会わせるわけにはいかない。
「まぁ、あの子がすぐに出てくるのは予想通りではあったんだけどね……」
「予想通りぃ?」
そう言って深いため息を吐くニーナ教授に、僕は驚きの声を上げてしまっていた。
あれだけの事件を起こし、警察に捕まって、しばらくは陽の下を歩けなくなっているはずのゾフィアさん。
それなのに彼女は、今日アポイントもなく相談があるとニーナ教授を訪ねてきたのだという。
彼女が外を出歩いていられる理由を、僕は思いつけなかった。
「湯川君も知ってる通り、あの子は研究者というより発明家なのよね。大学にいたときも、その前も、私も知らないけどたぶん大学を離れていたときも、いろんなものを造っていたのよ」
肩を並べて廊下を歩くニーナ教授の美しい髪は、いまはいつもに比べてツヤがないように思えた。
「私たちのような研究を旨とする者でもそれなりに企業とはつながりがあるんだけど、あの子の場合はそのパイプの太さと数が比較にならない。気が向くままにほしいものを造って、それを登録していろんなパテントを持ってる。造るものが造るものだから直接製品化できるものは多くないみたいだけど、空間ポケットもそうだったように、応用すればとんでもない製品に化ける」
ニーナ教授の言うように、僕だって自分の研究関係とか、助手をする中で企業や他の大学とのつながりはある。自分の研究を公表して、個人や法人からの支援を受けるのも普通のことだし。
逆に大学に許可を取って、外から依頼された実験や検証で小遣い稼ぎ程度の仕事を受けることもある。
でも僕たちがやっている基礎研究というのはたいていの場合、即座にお金になるものじゃない。
研究の大半は、人から評価されていたとしても、直接お金になることは少ない。ずいぶん時間が経ってから注目されることも珍しくないし、場合によっては論文を発表した本人が亡くなってから意味を持つなんてこともあったりする。
それに対して発明家寄りのゾフィアさんの造るものは、彼女が造ったものが直接製品にならないとしても、基礎研究に比べれば圧倒的に製品に近いと言える。
この前の空間ポケットだって、あの使い方はどうかと思う。でもそれに使われている理論や技術の組み合わせは、空間ポケット以外にも応用が利く、画期的なものであることは僕にもわかっていた。
そうしたものをたくさん造っているのだとしたら、彼女は多くの企業に注目され、引っ張りだこになっていても不思議ではない。
「そのことと、いまゾフィアさんが外を出歩いていることと、どう関係しているんですか?」
「わかると思うけど、あの子の持ってるパテントを利用したいって企業は多いのよ。だからあの子がひと声かければ、保釈金を出してくれたり有力な弁護士をつけてくれたり、裁判を有利に進めるための証拠を揃えてくれるってとこはいくつも出てくるわ。過去に何度も捕まってるんだけど、毎回そんな感じですぐに出てきちゃうのよ」
真っ暗な顔をしたニーナ教授は、細く綺麗な親指と人差し指で輪をつくり、僕に見せつけてくる。
「世の中はつまり、お金でどうにでもなっちゃうってこと。悲しいことだけどね」
「まぁ、そうかも知れませんが、ね……」
お金で望んだことが何でもできるというのは幻想に過ぎないけど、社会の中に限定すればそれは真実だ。
僕だってゾフィアさんのことは怖いけど、ニーナ教授がこれほど嫌がってる理由を、いまこそ理解した。
「でも……、今日は何しに来たんでしょうかね」
「さぁ? 付き添いと言ってけどね。何でも一緒にいた男の人が、私に紹介したい商品があるんだって」
ゾフィアさんのインパクトに隠れてしまっていた、営業の男性のことを思い出してみる。
スーツはけっこう高級そうで、髪や肌の手入れも怠っていなさそうだった。何より愛想笑いが板についていて、それなりの経験があり、それなりの業界にいる人物だと想像できる。
理系の、それも魔法科学系大学に出入りしているには、生徒はもちろん職員も、さらに業者なんかも野暮ったいか、怪しい感じの人が多い。
もちろん割合の問題で、ニーナ教授やミレーユ助教授のような美少女、美女だっているし、まともな人もおしゃれな人も少なくない。中身がまともかどうかは、言及しないが。
あの営業さんについては、どうにも僕やニーナ教授が触れることの多い業界の人物ではないように思えていた。
「悪い予感しかしないんだけどね……」
「それは確かに……」
応接間の前に着いた僕とニーナ教授は、扉に手をかけながら、一緒に大きくため息を吐いていた。
*
営業の男性の話を理解することを、僕は放棄した。
比較的簡素な応接室で、僕は眉を顰めながら壁を背にして立つ。僕の斜め前でソファに座るニーナ教授も、微妙な表情を浮かべてることから察するに、同じように聞き流しているらしい。
ファッションをレヴォリューションしてイノベーションをクリエイトするガジェット、の売り込みに来たという営業さん。
その見事にカタカナ言葉ばかりを並べた営業文句は、細かいことを考えていない人にはその勢いと笑顔で押し切れるかも知れないが、僕やニーナ教授には通用するののじゃない。
僕たちも学術用語を多用することは多いけれど、それとはまた違う翻訳が必要な言葉を並べられても、呆れるばかりで魅力を感じることはない。
ニコニコとした笑顔を浮かべながら話を続けてる営業さんのことは無視して、僕は手渡された資料を眺めていた。
――ゾフィアさんは、いったい何を考えているんだろう?
付き添いできただけだと言い、挨拶の後はいまのところ口を挟んでこないゾフィアさん。
こうして見ている分には、その整った顔立ちの可愛らしさに見惚れてしまいそうだ。
でも営業に来るだけだったら、正規にニーナ教授にアポイントを取ってくればいい。それが大学や研究に関係することだったり、個人的にであってもニーナ教授が興味を持つようなことであれば、邪険にすることはない。営業さん単独なら、だけど。
それでも今日、わざわざここに一緒に来たと言うことは、ゾフィアさんなりに理由があるんだと思う。
けれど僕は、彼女の思惑を推し量ることができないでいた。
「――えぇっと、つまり、新しいコスプレグッズってことで良いのかしら?」
「そうですね。そうしたワードでエクスプレスするのがわかりやすいかも知れませんね」
さすがに辟易してきたのか、ニーナ教授が営業さんのトークを遮るようにそう言った。
資料の他にローテーブルの真ん中に置かれているのは、幅も厚みもそこそこある銀色のブレスレット。
小型の真空管が埋め込まれるように取りつけられたそのブレスレットの商品名は「ゴスト」。
資料と営業さんの話を総合すると、魔法を応用した拡張現実(AR)の進化形、魔法現実(MR)技術を組み込んだ商品らしい。
単体で機能するものじゃなく、複数人が端末であるゴストブレスレットを填め、別途ホストとなるゴストシステムを設置する必要がある。
ブレスレットには装着者の精神波を送受信する機能があり、ゴストシステムを介することにより装着者全員に望む姿を見せることができる。
言うなればARコスプレだ。
ARと言えば遥か昔から利用されている、モニターや眼鏡型ディスプレイを利用し、カメラを併用することで現実には存在しない物体をあたかも存在するかのように見せるものが一般的。そこから発展して精神波を利用したダイブデバイスがあったり、看板なんかのネオン装飾の代わりに使われている、ホロンというホログラムもARの一種と言える。
遊びや装飾だけでなく、広告なんかにはよく利用されてるし、高空の空路では渋滞などの変動する情報を表示するのにホロンが使われている。
ブレスレットとホストが必要なゴストは、ブレスレット装着者同士しか衣装が見えないため、ホロンほど汎用性は高くない。現実に投影するものであるため、モニターに表示される旧来型ARほどの自由度があるわけでもない。
でもその両方にとって中間的な位置にあり、比較的閉鎖的な場所での使用、例えばコスプレパーティであるとか、結婚式であるとか、準備に時間と手間がかかるような場所で、それらの圧縮と手軽さを武器に売り込もうという商品だということはわかった。
コスプレと言えば、昔ながらの衣装のみのものがいまでも一般的だけど、他にもDNAコスプレといった価格的にはちょっと高く、同時に入手ルート次第では危険が伴うものなどがある。
ゴストは安全で、まずはパーティ会場での貸し出しが想定されているため、荷物なしでコスプレが楽しめるという、興味がある人にとっては魅力的な商品のように思えた。
「行く行くはゴストをごく一般的なファッションアイテムにしていきたいと考えています。服を着る代わりにゴストで着飾る。気分やシチュエーションが変わればその場で着替える。という社会イノベーションが我々の目標です」
「……これ、見た目だけなら環境変化に弱いんじゃないの? 暑かったり寒かったりすると、大変じゃない? 厚着はコスプレ衣装からはみ出そうだし」
「それについては問題ありません。精神波を使いますので、はみ出しは認識しないようにできます。ゴストブレスレットにはボディコンディショナーが内蔵されていますので、多少の暑さ寒さは気になりません。それでも厳しい環境では、専用のアンダーウェア、ゴストウェアを用意しております。ブレスレットとウェアを組み合わせれば、砂漠のど真ん中でも、真冬の南極大陸でもコスプレパーティを開催できます」
「なるほどねぇ」
営業さんのはきはきした声に、ニーナ教授は資料をめくりながら気のない返事をしていた。
――でも、ゴストにはゾフィアさんが関わっていそうなところ、ないよな。
資料を見てみた限り、確かに商品としては画期的なんだけど、空間ポケットのような常識から隔絶した発想や技術が組み込まれているようには思えない。
見えない部分で関わっているとしたら、そこをネックに恐ろしいことが起こりそうで、面白そうではあっても使う気にはなれなかった。
「これ、貴女の手が入ってそうな気配はあるんだけど、それはどこなの?」
僕が覚えた疑問をニーナ教授も持っていたのか、黙ってニコニコと笑っていたゾフィアさんに質問した。
「それはここの部分ですね」
自分の資料をめくってテーブルに置いたゾフィアさんは、ページの一カ所を指し示した。
「イマジュネーションコンバータ?」
「そうなのですよ! フランケンシュタイン様にはそのイマジュネーションコンバータの部分で協力してもらっていますっ。ゴストはブレスレット装着者が予め用意したファッションデータと、ホストに入力したデータの他に、装着者がイメージした姿に変身する機能があるのですっ。また、データがある場合でも細部のディティールなどの補完や調整にイマジュネーションコンバータを利用しています。自由に、そして不都合なく思いのままファッションを楽しむことができるのは、その技術を組み込んだためです!」
熱を籠めて語る営業さん。
彼の言う通り、データなしでも変身でき、あまり細かいところまでつくり込まれていないデータでも利用できるという、けっこうコアな部分の機能のようだった。
ただ、この機能には空間ポケットのような危険性は感じられない。
「元々は別のことに使おうと思って開発したものだったのですけれど、上手くいかなかったのでパテントだけ取って放っておいたのですよ。それをここの方が使いたいと連絡を頂いたので、提供することにしたのです」
笑みを浮かべながら言うゾフィアさんは、嬉しそうにパチンとひとつ手を叩いていた。
その姿だけ見ると、純粋に嬉しがっている可愛らしい女の子だけど、彼女にはその裏があることは充分以上にわかっている。警戒は解けない。
それにたぶん、このタイミングで一緒に現れたってことは、ゾフィアさんの保釈金を支払うなり、弁護士をつけて留置所から外に連れ出したのは、営業さん本人ということはないだろうけど、ゴストの会社なのだろうし。
「元はどんなものに使う予定だったの?」
「それはですね!」
ニーナ教授に質問されたのが嬉しかったのか、輝かんばかりの笑顔で応じるゾフィアさん。
「女の子の永遠の夢、違う自分になりたいという変身願望を叶える道具、変身ブレスレットをつくるための技術だったのですっ」
変身願望は女の子だけのものじゃないと思うけど、そこについては置いておく。
何となく背筋に冷たいものを感じ始めた僕は、口をへの字に曲げてそれ以上ゾフィアさんの言葉を聞きたくない気持ちになっていた。
「変身ブレスレット?」
「はいっ。DNAレベルで人間を変身させるブレスレットを造ろうと思って、望む姿になれるようイマジュネーションエンジンを組み込んでみたのですが、うまくいかなかったのですよぉ」
「DNAレベルで、って……。いったいどんなところが上手くいかなかったの?」
「アニメやゲームのように瞬時に変身が完了するようにしたかったのですが、全身のDNAをすべて書き換えるとなると最低でも数時間、平均で数日はかかってしまったのです。それに、当然なのですが脳などの中枢神経も造り替えられてしまうので、記憶や経験の保持が難しかったのです」
さらっと凄いことを言っているゾフィアさん。
思った通りのものはできなかったようだけど、機能するものは造れたわけだ。ただし、もし人間が使ったら、変身どころか別人になってしまうものだけれど。
驚きに口を小さく開けてしまった僕に対し、ニーナ教授は眉根のシワを深くして、さらにゾフィアさんに質問をする。
「それ、実験動物でテストしたわけ?」
「まさか。変身願望を口に出してしまうほど強く持ってしまうのは知的生命体だけですよ? 実験動物では充分な検証ができませんよ」
「――実験、したの?」
「えぇ、もちろん。あ! でも心配ありませんよ? 世の中のゴミがほんの数人ほど、無垢でまっさらな美少女という、新しい人生を歩むことになっただけですから、世の中に何も損失は出していません」
「……」
驚きのあまり声も出ない。
倫理観や常識を求めるても仕方ない人だろうとは思うけれど、にこやかな笑みで語るゾフィアさんのことが同じ人間と思えないほどだった。
彼女の隣に座っている営業さんも、同じように笑みを浮かべている。
意味はわかっているはずなのに、いまの発言に対する思うところがあるのかどうか不明だ。ある意味、そんな人だからこそゾフィアさんと一緒に営業に来たのだろうけど。
ゴストはDNAを操作するような商品ではないから、イマジュネーションコンバータが変身ブレスレットのように危険のある効果を持つことがなさそうなことだけが、救いかも知れなかった。
諦めいきったため息を吐いたニーナ教授は、今日の来訪の理由をふたりに問う。
「それで、画期的な商品だというのはわかったけど、どうしてそれを私に紹介しに来たわけ?」
「えぇ、それが今日の本題なのです。ゴストのプロモーションを兼ねて、来週ハロウィンパーティを開催することになったのです。良いパーティになりそうなので、ニーナを誘いに来たのですよ」
一気にきな臭くなった話に、ニーナ教授はもちろん、僕も眉根にシワを寄せていた。
「このハロウィンパーティは我が社が主催する一大イベントでして、魔法町だけでなく、地球中から有名コスプレイヤーを集め、さらに地球外の著名人を招待しております」
ゾフィアさんの言葉を受けて営業スマイルで話す男性は、書類鞄からパーティのポスターを取り出して広げた。
覗き込んでみると、コスプレパーティという割りにかなり大きな規模らしい。
大学で開催するパーティでも何百人という規模になるものは、それほど多くない。費用の問題もあるし、主賓のスケジュール調整や、使える会場が限られてくるとかの様々な理由がある。
このハロウィンパーティは、開催する会場から想像するに、三〇〇から五〇〇人規模のようだ。ゴストのプロモーションイベントだから招待客がかなり多いようだけど、大半は一般客らしい。
「一般参加の方のチケットは希望者多数だったため、抽選の上で完売しております。最終的には五〇〇人を少し超えるくらいの参加者数で調整中です」
ポスターは一般客向けらしく、参加方法や開催内容の記載もある。
豪華な食事つきのパーティが有料なのは珍しくないけれど、料金は僕が参加したことがあるパーティに比べ、ひと桁近く高い。
それで抽選が必要になった上、完売しているというのだから、ゴストの注目度は一般にもかなり高いとわかる。
笑みを浮かべるゾフィアさんと営業さんに見つめられているニーナ教授の横顔には、かなり渋い表情があった。
先日のことがあったのだ、いくらお祭り好きのニーナ教授とは言え、ゾフィアさんが関わるとわかっていて参加する気にはならないだろう。
「パーティの出店リストはこちらです。わたしも協力して、多少無理を通してお願いをしたところもありますが、良いお店に出て頂けたと思います」
そう言ってゾフィアさんが取り出した紙には、パーティにブースを出すお店のリストが並んでいた。
――あ、これはヤバいな。
見た瞬間、僕はそう思ってしまった。
視線を飛ばして見ると、先ほどまで厳しく細められていたニーナ教授の目は、大きく開かれ瞳が輝き始めている。
リストに並んでいるお店は、僕でも知っている名前がいくつもあった。知ってるだけじゃなく、利用したことがあるところも少なくない。
魔法町の有名店はもちろんのこと、全国どころか世界中の名店が名を連ねている。とくにスイーツには力を入れているらしく、たまにニーナ教授が奮発して取り寄せをしている、遠方のスイーツショップの名もあった。
「参加者は全員、こちらのお店の料理が食べ放題なのですよ」
「……参加費用が必要とか言うの?」
「いいえ。ニーナのことはわたしの枠を使って招待いたしますから、費用なんていりません。先日迷惑を掛けてしまったので、そのお詫びの代わりです」
「んー」
右手の人差す指でピンク色の唇をゆっくり撫でているニーナ教授。
考え込むような仕草をしているけれど、もう負けは決まっている。彼女の頬は、いまにも緩みそうなほどぴくぴく震えているのだから。
「参加の条件ですので、ニーナにもゴストを着けて頂きます。ハロウィンパーティで仮装しないというわけにはいきませんからね」
「――はぁ、わかったわ。でも条件があるの」
「何でしょうか?」
笑みを絶やすことのないゾフィアさんを細めた目で見つめ、ニーナ教授は言う。
「先週のことは私だけじゃなく、ここにいる湯川君や、ミレーユも迷惑を被ってるわ。お詫びというなら参加者は三人、そのゴストのブレスレットも三つ、いま用意してもらいたいんだけど?」
「ミレーユ? お友達、ですか?」
僕のことはともかく、ミレーユ助教授の名前を聞いた瞬間、ゾフィアさんの顔から笑みが消えた。
――どうしたんだろう? ニーナ教授。
ここのところ打ち解けてきている僕や本人の前でならともかく、国立魔法科学大学の教授で、学長でもある立場から、ニーナ教授は外の人に対してミレーユ助教授のことを呼ぶときには、「ミレーユ助教授」ないし「シュレディンガー助教授」と言うのが普通だ。
でもいまは、呼び捨てにしていた。
睨むような視線で見つめ合うニーナ教授とゾフィアさんに、営業さんもそれまでの愛想笑いを保てずにおろおろとしている。
「貴女も知っているでしょう? ミレーユ・シュレディンガー」
「あぁ、あの人ですか。ニーナはあの人からずいぶん迷惑をかけられていたと思いましたが」
「いまでもそれはあまり変わらないけどね。さすがに時間が経ってるから、少しは打ち解けてるのよ」
「――そうですか。なるほど」
相づちを打ってわずかに目を伏せたゾフィアさんは、しばらく考え込むように黙り込む。
それからニッコリとした笑みを戻し、営業さんに言いつける。
「ブレスレットあとふたつなら、いまお持ちですよね?」
「え? あ、はい。ありますが……」
「では無理を言ってしまって悪いのですが、全部で招待者は三人ということでお願いします」
「いや、あの、ですが……」
「お願いします」
「――はい」
ニーナ教授しか呼ぶ気がなかったらしい営業さんだけど、ゾフィアさんの笑顔の圧力には敵わなかったらしい。
鞄の中からあとふたつ、ゴストのブレスレットを取り出してテーブルに置いた。
「当日、わたしはスタッフとして裏にいると思うので挨拶もできないと思いますが、楽しんでください」
「こっちもスケジュールがあるから絶対参加するとはこの場で回答できないけど、時間が許す限り参加させてもらうわ」
立ち上がったゾフィアさんと営業さんに合わせて、ニーナ教授もソファから立ち上がった。
みんな笑顔なのに、いまにも最終戦争が始まりそうな気配に、僕は息を飲んでいた。
*
「罠、ですよね? これ」
ゾフィアさんと営業さんが帰り、僕はニーナ教授とともに実験室に戻ってきていた。
腐海への対応は、明日になりそうだ。
彼らの残していったゴストの資料と、パーティのポスターを横目で見ながら、僕はニーナ教授の返事を待つ。
「さぁ? どうでしょうね。さすがに先週のこともあったし、今回は何もしてこないんじゃないかしら? 壊れてるけど、表面的な部分は常識的よ、あれは」
新しく入れた紅茶のカップを口元に寄せながら、ニーナ教授はそんなのんきなことを言う。
本心で言ってるかどうかはわからない。
先ほどまでと違って、苛立ったり訝しんでる様子のないニーナ教授は、長い睫毛をわずかに伏せて、資料に目を落としている。
――でもなぁ。
そんな彼女の横顔を見ながら、僕は不安を拭えずにいた。
ゾフィアさんのニーナ教授へのこだわりは、常軌を逸している。
先週事件を起こしたばかりだから、なんて常識的な判断は、彼女が持っているようには思えなかった。
「湯川君の言いたいこともわかるんだけど、パーティはあの子が主催するものでも、コントロールしてるわけでもないからね。問題を起こしたらそれこそ、いまのタイミングじゃ留置所に戻ることになるでしょうし。それにね――」
僕に振り返り、満面の笑みを浮かべたニーナ教授は言う。
「これだけのお店の料理を好きなだけ食べられる機会は、そうそうないわよ?」
「それもそうなんですが……」
出店リストに載っているお店には、貧乏学生の僕じゃ奮発しても行けないお店がいくつも並んでる。
ゾフィアさんが関わっていなければ、前日から食事を抜いて万全の体制で参加したいくらいだった。
ニーナ教授は、出店リストを見てニコニコしている。
果たして僕が怖がりすぎなのか、ニーナ教授が脳天気すぎるのかは、わからなかった。
――でも、ゾフィアさんとのつき合いは、ニーナ教授の方が長いからなぁ。
僕が知っているわずかなことよりも、ニーナ教授はゾフィアさんのことを知ってるはずだ。それでも大丈夫だと言うなら、大丈夫なのかもしれない。
――それにどうせ、僕は行くしかないしな。
命の危険があるかも知れない場所に飛び込むのは莫迦だし、もし命令されても、それが教授権限だろうが、学長権限で発せられていようが、従う義務はない。
でもニーナ教授が参加するというなら、僕は一緒に行くしかない。
いろいろ複雑な想いはあるけれど、その中の一番大きなものは、「放っておけない」という気持ちだ。
僕が苦労性だというのは自覚してる。それについてはもう諦めてる。やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいというのは、まだ十八年程度の人生だけど、何度も経験してきてる。
頬に笑みを浮かべてるニーナ教授のことを眺めながら、僕は苦笑いを漏らしていた。
「まぁ何にせよ、大丈夫よ、湯川君」
「何が大丈夫だというんですか?」
頬には笑みか零れているのに、碧い瞳は笑っていないニーナ教授。
射貫くような攻撃的なものじゃない。でも揺らぐことのないその強い視線に、彼女の決意を僕は感じていた。
「何かあっても大丈夫なように、対策も考えていくから」
「……対策が必要にならないことを願いたいですけどね」
「ふふっ。まぁ、そうね!」
ため息を漏らした僕に天使のような笑みをかけてくるニーナ教授に、僕も不安な気持ちが落ち着いて、笑みを返すことができていた。
*
金糸のような髪を床にばらまくようにして倒れているのは、ニーナ。
大きく口を開け、だらしなく舌を垂らしている彼女の側には、大きな金盥が転がっている。
オフィスチェアに座り、ティーカップを口元に寄せながらその様子をじっと見つめているのは、ニーナ。
足首近くまでスカート丈のあるワンピースを着て倒れているニーナと、濃紺のシャツとスカートを身につけて椅子に座るニーナのふたりが、いまの実験室にはいた。
床に倒れているニーナを放っておいて、椅子に座るニーナは金色の髪を掻き上げながらパソコンのモニタに向かい合う。
キーボードの脇にケーブルが接続されて置かれているのは、ゴストブレスレット。
データ入力用に営業が置いていった専用ケーブルではなく、ワニ口のクリップが接続されたブレスレットの真空管は、青白い光を弱く放っていた。
「やっぱり、ゴストの中身を弄るのは難しいか……。上手いことつくってあるわね。ヘタに弄ると正常に使えないようになってる。別の対策が必要ね」
「うくっ、くくく……」
唇を人差し指で撫でつつつぶやいているとき、頭の天辺を手で押さえながら、床に倒れていたニーナが立ち上がる。
「おはよう。そろそろ来ると思ってたから、仕掛けておいてよかったわ」
「おはようじゃないわよっ! まったく、こんなものを仕掛けてるなんて、どういうつもり?!」
「それはこっちの台詞でしょ。そんな顔で何するつもりだったの? ミレーユ」
「うっ」
ニーナの言葉に、ニーナの顔をしたミレーユは半歩下がって怯む。
それから大きくため息を吐き、首の付け根に爪を立て、肌を剥ぎ取る。
マスクのような肌をめくり上げた下から現れたのは、くっきりとした目鼻立ちをしている女性、ミレーユ・シュレディンガー。
金色の髪とともに完全に剥ぎ取ると、クセの強い濃い茶色の髪が荒々しい滝のように流れ落ちた。
「ちょっと驚かせようとしただけだったのに、痛いじゃないの?! というか少しぐらい驚きなさいよ!」
「ノックもせずに入ってこようとするからでしょ。自業自得よ。いまさら貴女のやることで驚くとでも思ってるの?」
できてしまったコブに触れ痛みに片目を閉じながら、ミレーユはニーナが差し出した手にマスクを渡した。
「よくできてるのね、これ」
「少し前に企業から依頼があって共同開発した最新型のDNAマスクよ。母体浸食型ではなくて、予めインプットしたデータに基づいて、装着と同時に形状が変化するタイプ」
「それで私の顔のデータを使ったわけね」
「ふふんっ。不自然にならないほどの薄さで顔の輪郭から骨格まで変えているように見えるし、肌や髪の質感まで完璧でしょう? ちょうどいまの時期はハロウィン需要でいい小遣い稼ぎになってくれてるわ」
DNAマスクを撫でたり引っ張ったりしているニーナの前で、ミレーユは胸をこれでもかと反って得意げな笑みを浮かべる。
「まぁそんな話はともかく、よ。来週ハロウィンパーティが開催されるのよ。ミレーユ、貴女にはそれに参加してもらうから」
言いながらニーナは、マスクを丸めてゴミ箱に放り込み、代わりにパーティ告知のポスターを広げて見せる。
「……参加してもらうから、って。パーティなんかに参加してる暇はないのだけど? 研究が溜まってるから」
「これは学長命令よ、ミレーユ」
手近な椅子を引き寄せて座ったミレーユに、睨みつけるような強い視線を向けたニーナはそう言った。
大きく顔を歪め、ミレーユは不快さを露わにする。
「学外のパーティでしょう? 学長命令を言いつけられる謂われはないと思うのだけれど?」
「貴女分の参加資格は確保済みよ。これを見ても参加しないと言える?」
ニーナは見せていたポスターの代わりに、出店リストをミレーユに手渡した。
「こ、これは……」
「参加すれば会場では食べ放題よ」
リストの上から下までをゆっくりと、食い入るように見ているミレーユに、ニーナは唇の端をつり上げて笑いながら言った。
「――でも、学長命令というくらいだから、このお店もワタシを釣るためのエサなんでしょう? 何が目的?」
顔を上げ厳しく目を細めて問うてきたミレーユに、ニーナは小さくため息を吐く。
「このゴストってものの開発にね、あの子が関わってるの」
「あの子って……、ゾフィア・フランケンシュタイン?! 今回はまた、ずいぶん早く出てきたのものね」
「ゴスト自体はたぶん問題はないと思うのだけど、これだけのイベントに関わっていて、あの子が何も仕掛けてこないなんてことは考えられない」
「なるほど、ね……」
出店リストの紙をニーナに返したミレーユは、顎に手を当てて考え込む。
「私にちょっかいかけてくるなら、今回ばかりはキッチリ処分しておきたいから、協力してほしいのよ」
「あれにはあまり関わりたくないのだけれどね……」
ニーナの求めるような視線に、ミレーユは憂いを浮かべた瞳で見つめ返す。
「でもまぁ、これだけのお店を食べ放題というのは魅力的だし、この前のことはワタシも腹が立っているからね。できる限りの協力はするわ」
「ありがとう、ミレーユ」
安堵の息を吐き、笑みを浮かべたニーナに、ミレーユも柔らかい笑みを返していた。
「それで、貴女にはいくつか用意してもらいたいものがあるのだけど――」
椅子から立ち上がったニーナは、早速ミレーユにお願いを始めた。
* 3 *
ホテル・ニアムーン。
「これは……、すごいな」
僕は思わず、そんなつぶやきを漏らしていた。
夕暮れに沈みつつある、魔法町の上空に停泊しているホテルの全景を眺めるために、僕はダブルサイクロンホウキを操り空を高く上がっていた。
その偉容は、まさに天空に浮かぶ城。
隕石などの物理はもちろん、宇宙から降ってくる有害な精神波を防護する装置や、レーダーを収めた尖塔がいくつもあるホテルは、本当におとぎ話に出てくる白亜の城のようだった。
規模は小規模な街ほどあるホテル・ニアムーンは、空を回遊している反重力町のようないくつものブロックが集まった街とは違い、ホテルの建物が浮かんでいる単体浮遊建築物だ。
必要な時間、必要な場所に停泊するここは、そのとき以外は上空二〇〇〇〇メートルくらいまで上昇する半閉鎖型建造物となり、名前の通り地球で月に一番近いホテルとなる。
「さぁ、そろそろ行きましょう」
僕と並んでホテルの全景を眺めていたニーナ教授に声をかけられ、一緒に来たミレーユ助教授と三人でエントランスへと降下していく。
正面入り口の前で待ち構えていたボーイさんにニーナ教授が名乗り、ホウキを預ける。左右ひとりずつのボーイさんが開けてくれたガラスの扉の向こうは、白亜の城らしい豪華な空間だ。
三階まで吹き抜けのエントランスフロアの天井には、豪奢なシャンデリアが吊り下がり、国立の中でも日本最高位と言っても過言じゃないうちの大学の学長室よりも明らかに高級な絨毯を踏み、地球だけでなく宇宙中から集められた品の良い調度品の数々を眺めつつ、僕は先を歩くニーナ教授の後をミレーユ助教授と並んで着いていく。
キッチリとしたドレスコードがあるほどには高級ではないが、気安く泊まれるほどではないここに、僕は入学式以来仕舞い込んでいたスーツを着込んできていた。
これから参加するのはハロウィンパーティなんだから、服はどうでもいいんだけど、人気が高く、老舗としても有名なニアムーンに、大学に通ってるときのような服で来るわけにはいかない。
ミレーユ助教授もいつものワンピースよりも少しドレス調のものを着ているし、ニーナ教授は着崩していなければたいていそこそこの格好なんだけど、今日はいつもよりパリッとしたシャツを着、折目正しいプリーツのミニスカートを履いている。
ただ、ニーナ教授は早速ハロウィン気分なのか、頭から真空管が生えているし、なんでか実験のときに羽織ってる白衣姿だったりするんだけど。
「……ここも、すごいな」
ロボットのメイドさんに案内してもらってたどり着いた、パーティ会場前の廊下。
開け放たれた扉の向こうに見えるのは、様々なコスプレ姿の人々。
ホテルに到着する前に身につけるよう指定されていたゴストのブレスレットによって、僕はその様子を見ることができる。
妖精、妖怪、怪物といったハロウィンにふさわしい姿はもちろん、偉人と思しき格好の人や、古いものから最新のものまでのアニメやコミックスのキャラクターたち。
怖いものから可愛らしいもの、果ては凄まじいのまで、世の中の不思議を一同に会しているような、すごい空間があって、匂いだけでもヨダレが出て来そうな美味しいものを手に、楽しそうに過ごしている。
今回は宣伝イベントということもあり、仮装コンテストも行われるというから、みんなの気合いをひしひしと感じる。
決して安くない費用を払ってでも参加したい気持ちが、入り口から中をひと目見ただけでもわかるほどだった。
「浮かれてないで、さっさと準備するわよ」
「あ、はい。……準備?」
「ニーナから聞いてるでしょう? あれが仕掛けてくる可能性がゼロではないんだから、対策くらいするわよ」
「なるほど。そうですね」
すっかり他のことに気を取られていた僕は、ニーナ教授とミレーユ助教授の言葉にやっと警戒心を取り戻す。
会場のすぐ近くにある控え室に、メイドさんの案内で入った。
「貴方はこれ、せっかくだから着てね」
他に参加者のいない控え室で、ニーナ教授が差し出してきたのは、ゴスト用のアンダーウェア。
ダイビング用のウェットスーツか、簡易遊泳用の宇宙服に似たそれは、希望者が着られるように控え室に置いてあったらしい。
意外と広い控え室には、鏡の前に設置されたカウンターテーブルと椅子、休憩室を兼ねているらしく簡易な応接セットがあり、他に着替え用のカーテンで仕切ることができるブースがあった。
「えー。僕だけですか?」
「そうよ。不満?」
「――いえ」
少し前屈みになって僕を見つめてくるニーナ教授。
子供っぽい感じがするのに、頬を膨らませて上目遣いのニーナ教授の攻撃力は、僕には必殺だった。
そんな彼女の攻撃に僕が抗えるはずもなく、ひとつため息を漏らしてから着替えブースに入って服を脱ぎ、アンダーウェアに着替えた。
中にあったクロークに預ける用のボックスに服を入れ、そこには入らないコートを肩に引っかけてブースを出た。
「あ、湯川君。コート貸して。会場内、ちょっと室温低いみたいなのよね」
ミレーユ助教授と何か相談をしていたらしいニーナ教授は、出てきた僕を見つけて、ニコニコとした笑みで近づいてきた。
「寒そうなんだったら、ニーナ教授もアンダーウェア着ればいいじゃないですか」
「イヤよ。着替えるの面倒臭いから」
しようもない理由で僕の提案を拒否したニーナ教授は、さっさと僕の肩からコートを奪い取っていく。
「汚したりしないでくださいよ。それ以外に冬用のコート持ってないんですから」
「男のクセに細かいわね。代わりにこれ貸して上げるから、我慢しなさい。防刃防弾仕様だから、ちょっとは安心でしょ?」
僕のコートを着込んだニーナ教授は、代わりにいままで着ていた白衣を差し出してくる。
「うっ……」
「どうかした?」
「いえ……」
仕方なくアンダーウェアの上から白衣を羽織った僕は、いつも感じてるのよりも強いニーナ教授の匂いに、小さく声を上げてしまっていた。
決して広くない実験室の中で触れるほど近づくこともあるし、白衣の洗濯なんかは僕がやってるんだけど、手で触れる距離と着込むのとでは匂いの強さが大きく違う。
甘く、爽やかさもあり、汗なのかほんの少し鼻につくニーナ教授の匂いに、僕はこっそり白衣の襟元を鼻に寄せて、深呼吸をしてしまっていた。
「何してるの? 湯川君」
「え? あ、いや、何でもないですっ!」
「まぁいいんだけど、念のためこれも被っておきなさい」
言ってミレーユ助教授が無理矢理頭に被せてきたのは、マスク。
ゴム臭かったりはしないけど、窮屈で肌にぴったり貼りついてくるようなマスクを首のところまで被せられてしまった。
「……何ですか? これ。のっぺらぼう?」
「これでもし仮装が消えても、貴方を湯川君だとわかる人もいないでしょ」
「まぁ、そうかも知れませんが」
何かの技術を使ってるのか、鏡で見たのっぺらぼうにしか見えないマスク越しでも外は見えるようになってる。よく見ると小さい目があるのがわかった。
白衣ののっぺらぼうってのは、いまひとつどういうコンセプトなのかはわからないけれど、確かにミレーユ助教授の言う通り、こんな格好であれば、僕のことを認識できる人はいないだろう。
「さて、じゃあ準備も終わったし、そろそろ会場に行きましょ。思いっきり食べるわよっ」
「そうね。負けないわ、ニーナ」
「湯川君もせっかくだから、しっかり食べるのよ?」
「わかってます。準備は万端です!」
徐々に肌に馴染んで、開けやすくなった口でニーナ教授に僕は応える。
左腕に着けたゴストブレスレットのスイッチに指をかけながら、僕たちは控え室の扉を潜った。
*
――昨日から食事制限しててよかった……。
本当にそう思えるくらい、中央のテーブルに次々と追加される料理も、出店ブースでつくられる料理も美味しかった。
ピラフを盛っていたお皿を平らげ、僕は満足感に息を漏らしていた。
舞台に立ってゴストの説明をしている営業さんの表情がわからないくらい広い会場内には、それだけの広さがあるのに、趣向を凝らした格好の人たちで人口密度が高い。
コスプレ百鬼夜行。
会場内の様子をひと言で表すなら、それが一番ふさわしいかも知れない。
ハロウィンというより、ゴストのプロモーションをメインとしたコスプレパーティの意味合いが強い。そのためハロウィンらしい怖い系の仮装は半分くらいで、あとは可愛いのとか格好いいのとか、まさにコスプレって感じの人が多かった。
ゴストの特徴でもあり、ブレスレットを操作するだけで入力したデータの姿か、ホストに登録している姿に変身できるため、次々と姿を変更してる人も見られる。
商品説明が優先され、このあと仮装コンテストもあるのでまだ強いお酒は出されておらず、中身がどんな人なのかわからない人が大半なのに、みんな楽しげに談笑し、和やかな雰囲気が流れていた。
そんな中で、会場の隅に置かれた丸テーブルを占有する、僕たち国立魔法科学大学の三人。
「ゴスト、すごいですね」
「そうね。こういうパーティ会場で使うなら、いろいろと楽しい使い方ができそうね」
がっつり系の食事はそこそこに、僕の声に応えたニーナ教授は、餡子と生クリームが添えられた抹茶ババロアに舌鼓を打っている。
ミレーユ助教授もプリンアラモードの器を左手に、右手のティーカップを口元に寄せて満足そうな笑みを浮かべている。
テーブルの上にはお寿司やミニ鰻丼といった食事系は少なく、徐々にスイーツ系の器が増えてきている。
いつもだったら僕が取りに行かせられるんだろうけど、今日はニーナ教授もミレーユ助教授も積極的に動いて、好きなものを取ってきている。
わざわざ僕の分まで取ってきてくれる親切さは、滅多に食べられない料理のおいしさにはしゃいでいるからかも知れなかった。
「でも、なんでこんな仮装なんです?」
ミニ鰻丼を片手に、僕は右側に立ってるニーナ教授にそう訊いてみる。
僕の右隣に立っているニーナ教授の仮装は、日本妖怪だ。
お寺の童子風の服は、仮装なんだから仕方がないけど、いつもの可愛らしいニーナ教授のイメージは欠片もない。
「ひとつ目小僧、というより、Ωドールですよね、それ」
「別にいいじゃない。たまにはこんなのも」
顔に目がひとつではなく、頭部が目玉になってるニーナ教授の仮装は、真空管がないだけで、小僧衣装のΩドールにしか見えなかった。
ミレーユ助教授の方は、経帷子の純和風幽霊。
ただ、クセは強くてもきっちり手入れされてる長い髪で目元を隠してるいまの彼女は、ともすると呪いでもかけられそうな怖さがあった。
「それはまぁ、いいんですけど、僕の方はどうしてこんななんです?」
見下ろした自分の身体。
黒い服の腰とか胸元とかが、リボンが巻きつけられたようになってる露出度の高区なっているそれは、たぶんサキュバスの仮装。
男でそんな格好をしてたら非難囂々だろうけど、いまの僕は金髪をなびかせる美少女だ。
サキュバスに扮したニーナ教授が、僕のコスプレだった。
会場は低めの室温になってるけど、ブレスレットとアンダーウェアのボディコンディショナーで、見た目にはけっこうな露出度なのに寒いことはない。
さらに精神波を送受信して変身するゴストは、僕とニーナ教授の身長差をピンヒールで偽装するだけでなく、布地の感触や肌の質感、さらにはさらさらの金糸の髪の感触も、実際のものを再現している。
現実で羽織っている白衣から漂ううっとりしてしまう香りもあって、僕は本当にニーナ教授になったような、新しい扉を開いてしまいそうな感覚に浸りつつあった。
中身が僕のようなうだつの上がらない男子であっても、精神波によって好みの姿に変身できるのが、ゴストの最大の特徴だ。これが普及した世界は、果たしてどんな風になってしまうだろうか。
――服は脱げないそうだけど、後でトイレに行ったときに、胸の感触も確かめてみよう……。
ゾフィアさんへの偽装のためなのか、ニーナ教授が用意した仮装のデータを存分に味わうことを決意しつつ、僕はそろそろ溢れそうになっているテーブルの上の料理を食べ進めていた。
「裸の王様ね」
「え?」
緑茶の湯飲みを手にしながら、ニーナ教授がぽつりとつぶやいた。
会場内を見回してる教授は、――たぶん目を細めているんだろう、ひとつしかない巨大な瞳を歪ませながら、会場内の人々を見つめていた。
「教授?」
「なんでもないわ」
そうは言われたけど、ニーナ教授のつぶやきの意味を聞いてみようと口を開いたとき、司会者の声が響いた。
『ここでゴストのもうひとつの機能、ホストサイドチェンジャーをみなさんに体験していただきます!』
――ホストサイドチェンジャーって、あれか。
先週、営業さんが来たときに置いていった資料の内容を思い出しながら、僕は食べ終わった鰻丼の茶碗をテーブルに置いた。
いま会場に集まっているみんなは、自分で用意したデータをブレスレットに入力して変身する、クライアントサイドチェンジャーを使って仮装しているはずだ。
ホストサイドチェンジャーは、ホストシステムに予め入力しておいたデータで変身する機能だ。
前者は今回のようなコスプレパーティに向いた機能で、後者は結婚式の花嫁さんのためにとか、ひとつのユニフォームを着たりとか、閉鎖的な集まりに向いた機能だ。
今回はプロモーションを兼ねているから、そうした機能も紹介したいのだろう。
『皆様にはこの後、男性はタキシードに、女性はウェディングドレス姿になってもらいます。ダンスミュージックも用意しておりますので、好みの相手と踊っていただければと思います!』
――確かにゴストは便利そうだなぁ。
他のみんなと同じく、遠い演台でマイクを握っている司会者の方を見ながら、僕はそんなことを思う。
これだけの広さと人数をカバーできるなら、例えばスポーツの試合で、選手のユニフォームはもちろん、観客の服も応援するサイドで統一させることもできるだろう。
もし営業さんの言っていた通り世界に普及するようになったら、普段着をゴストにしてしまうのも良いかも知れない。
僕はあんまりファッションには詳しくないし、持ってる服の数も少ないから、大学に着ていく服に悩むこともよくある。ゴストが普及すれば、そんな悩みから解放されそうだと思えた。
――でも、ウェディングドレスか。
ちらりと僕は、ひとつ目小僧に視線を飛ばす。
ニーナ教授がウェディングドレスを着たら、その美しさはいかほどのものだろうか。
実際教授が結婚式を迎える日、ってのはあんまり想像できないけれど、ウェディングドレス姿は是非見てみたかった。
目が髪で隠れてしまってわかりづらいけど、ミレーユ助教授の口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
ひとつ目小僧のニーナ教授の表情は、その目玉からは読み取れないが、教授も女の子なのだ、ウェディングドレスは嬉しいんじゃないだろうか。
今回の企画を発案した誰かに心の中で賞賛を送りつつ、僕は司会者が指示した通り、ブレスレットのボタンに指を添えた。
『それでは一斉に、どうぞ!』
そのかけ声とともに、みんなは同時にブレスレットのボタンを押した。
「――あれ?」
ひとつ目小僧から姿を変えたニーナ教授。
いつもと変わらぬ、いや、いつも以上に美しく輝く金色の髪。
でも、その服はウェディングドレスじゃない。
濃紺のシャツとプリーツスカート、それから濃い緑のネクタイ。
大学でよくニーナ教授が着ている、いつもの服だった。
何かの不具合か、変身が解けてしまったようだった。
――いや、そんなはずはない。
いまのニーナ教授は、僕のコートを羽織ってるはず。
変身が解けたなら焦げ茶色のコート姿になるはずなのに、違っていた。
会場内に広がっていくざわめき。
顔を上げた僕て見たものに、僕は言葉を失った。
無数の、ニーナ・アインシュタイン。
美しい金色の髪を持ち、可愛らしい顔立ちの女の子が、僕の視界いっぱいに広がっていた。
それはさながら花畑。
ガラス張りの天井から降り注ぐ月明かりに照らされ、金色の花を咲かせる、ニーナ・アインシュタインという花のフラワーガーデン。
見える範囲だけでも一〇〇を遥かに超える金色の花が、僕の視界に咲き乱れていた。
何となく、僕はゾフィアさんの望むものを理解できるような気がしていた。
もしこの花の一輪でも、自分だけのものにできるならば、どれほど幸福感を得られるだろうか。
そんなことを思ってしまうほどに幻想的な風景が、僕の視界に広がっていた。
しかしそれはあくまで幻想。
僕自身も含めて、ゴストによって変身した人々による、幽霊のような、残像のような、偽物の花。
本物はニーナ・アインシュタインはたったひとり。
「これはいったい?」
いろんなところで歓声や悲鳴が上がり始める。ざわめきが広がるのと同時に、混乱した人たちが入り口の方に向かって移動し始める。
つまり、こちらの方向。
――ゾフィアさんの仕業か!
それに思い至った僕は、とっさに本物のニーナ教授、――だと思う人を背中にかばって立つ。混乱によって波のように押し寄せてくる人々に巻き込まれないよう、しっかりと足を踏ん張った。
「見つけましたよ、ニーナ」
そんなささやきを耳元で聞いて、僕は身体が動かなくなってしまう。
ニーナ教授を逃がさないといけないと思ってるのに、間近で聞こえたゾフィアさんの声に、身体が固まってしまっていた。
――いや、違う。
恐怖や緊張で身体が動かなくなったのではなく、何かが身体に巻きついていることを認識したとき、僕の視界は真っ暗となり、口元を強く押さえられて気が遠くなっていっていた。
* 4 *
扉を閉めると、大きくなっていた人々の声は隔てられ、遠退いた。
舞台の裏にある、機材室。
今回のハロウィンパーティのものだけでなく、舞台イベントでよく使われる大道具や機械類が納められたそこは、高い位置から弱い照明が照らしているだけで、薄暗い。
「ふふふっ。やっと手に入りましたね。――しかし、意外と重いですね。もう少し軽いと思っていましたのに」
そんなつぶやきを漏らし、扉の鍵をかけたのは、ニーナ。
彼女は小柄な身体で、意識がないらしいもうひとりのニーナを、肩に担いでいた。
パチンと指を鳴らすと、ゴストが停止し、変身が解けた。
自分と同じ体格の人物を担ぎながら機材室の奥に歩を進めているのは、ゾフィア・フランケンシュタインだった。
彼女がたどり着いた場所は、外に続く搬入口の近く、機材が取り除かれて小さな広場になっている場所。
そこの真ん中に置かれていたのは、横にして置かれた、ガラス張りの箱。
停蔵棺桶。
内部の時間を停止させる装置が組み込まれた、底面の基部以外の五面はガラスで囲われ、その中には布団のように色とりどりの花が敷かれていた。
上面を片手で開け、ゾフィアは肩で担いでいた人物を停蔵棺桶の中に横たえさせる。
腰近くまで伸びた金糸のような髪と、どんなものよりも可愛らしい顔。
閉じられた瞼のために海よりも深く、空よりも遠い碧い瞳が見られないのは残念だったが、いまはそんなことは気にしていられなかった。
湯川やミレーユがニーナの不在に気づく前に、停蔵棺桶を運び出さなければならない。
「けれど、やはり美しい」
乱れているニーナの髪を整えながら、ゾフィアはその顔をうっとりとした表情で見つめてしまう。
やはりニーナは美しいまま保存されるべき人物だった。
本人には拒絶されたが、湯川のような特定の男が、自分を差し置いて側にいることが、ゾフィアには許せなかった。
男女の関係になるようなことはおそらくないが、何事にも間違いや偶然は起こり得る。そんなことが起こる前に、ニーナが汚れる可能性を排除したかったが、前回は失敗した。
それならば直接本人を、と思い、今回は成功した。
「あぁ、ニーナ。貴女はもう、永遠に、このままの姿で、わたしのものですよ」
目覚めることのないニーナに、ゾフィアは嬉しそうに呼びかける。
「本当にこのタイミングでよかった。やはりあの男からは、早く引き離すべきでしたね」
ニーナの身体からは、微かに湯川の匂いが漂っている。彼が常に側にいれば、身体や関係性だけでなく、ニーナの放つ香りをも汚されてしまうだろう。
横たえさせたニーナの、白衣の襟元をたぐり寄せ、ゾフィアは花よりも香しいその匂いを存分に吸い込む。
「ひと段落したら、身体を綺麗にして、あの男の匂いを消してあげますからね、ニーナ」
「貴女に身体を弄られるのなんて、ゴメン被るけどね」
ゾフィアのつぶやきに答え、搬入口のスライドドアを開いて現れたのは、ニーナ・アインシュタイン。
「……どうして?」
驚きの表情を浮かべるゾフィアに、茶色のコートを羽織ったニーナは、蔑みの視線を向けていた。
*
「わたしは確かに、貴女を捕まえて……」
停蔵棺桶の中に横たわったニーナと、搬入口に立つニーナを交互に見るゾフィアは、驚きに目を見開いていた。
その様子を呆れを浮かべた瞳で見つめるニーナは、小さくため息を吐いた。
「どうせ貴女のことだから、何か仕掛けてくるとは思っていたからね。いろいろと対策を立てさせてもらったわ」
怒りなのか、顔を赤く染めるゾフィア。
「いったい、どんな対策を立てていたというのです!」
「ブレスレット自体を弄ると貴女にバレるみたいだったから、精神干渉自体をキャンセルしてたの。ゴストのシステムからは正常に精神波の送受信が行われているよう偽装してね」
言ってニーナは、頭に着けていた真空管つきのヘアバンドを外した。
「それからね――」
停蔵棺桶に近づきいたニーナは、横たわっているニーナの首のつけ根に手を伸ばす。
爪を立ててはがしたDNAコスプレマスクの下から現れたのは、意識なく目をつむる湯川の顔。
「姿の方も偽装してたの。身長も靴で調節してたし。ちゃんと驚いてくれたみたいで良かったわ」
「それだけでは、ありませんよね?」
「えぇ、もちろん」
ゾフィアの問いに答えながら、ニーナは湯川の身体に手を伸ばし、苦労しながら停蔵棺桶の中から引っ張り出す。
「貴女のことだから、ゴストは使ってるだろうと思ったのよね。外見以外で私と他の人を、あの人でごった返してる会場で判別する方法、それはたぶん――匂い」
支えきれずに湯川の身体を床に転がしたニーナは、顔を真っ赤にして身体を細かに震わせているゾフィアを睨みつける。
「他にもまぁ、ミレーユに頼んで私と湯川君に発信器仕込んでおいたり、もう少し大きな騒ぎになるような仕掛けもあったんだけどね。上手いこと湯川君と私を間違えてくれて良かったわ」
先日空間ポケットと湯川を引き離すのに使った、音速を超えて蔓が生長する爆植卵に、遠隔スイッチで割れるよう装置を取りつけたものをコートのポケットから取り出して見せながら、ニーナは言った。
「わたしは……、わたしは……」
下ろした両手を強く握りしめ、深くうつむいたゾフィアは声と身体を震わせる。
「わたしはただ、貴女を愛していただけ! ただ貴女を愛し、愛されたいがために――」
「嘘よ。貴女のそれは愛なんかじゃない」
ゾフィアの叫びを静かな声で止め、顎を反らして彼女を見下す。
「貴女が愛していたのは、私の顔や身体、外見だけ。ゴストに使ってるイマジュネーションコンバータも、おおかた貴女が私に成り代わるために造ったものでしょ。それに、その姿は何人目? 本当の貴女は、一体何者? ねぇ、フランケンシュタインの怪物」
歯を見せて奥歯を噛みしめ、ゾフィアは沈黙した。
「私に近づいて取り入るために努力もしていたし、貴女には才能があったのはわかってる。そこの部分は純粋に、私は貴方を評価してる。でもね――」
目を細め、ゾフィアを見下すニーナは、言った。
「私、貴女こと、嫌いなの」
瞬間、ゾフィアの表情は凍りついた。
大きく目を見開いて、色を失った瞳でニーナのことを見つめている。
徐々に色を取り戻したゾフィアの瞳に真っ先に浮かんだのは、怒り。
「ニィィィィナァァァァーーーッ!!」
全身を、近くにあるすべてを震わせるような低い声でニーナのことを呼び、彼女を捕まえようと両手を上げたゾフィア。
いままさに飛びかからんとしたとき――。
「そこまでね」
つんのめるようにして、後ろから引っ張られたゾフィアはニーナに近づくことができなかった。
声とともに彼女の背後に現れたのは、ミレーユ。
ゾフィアの両手首に手錠をかけたミレーユは、驚く彼女が我に返る前に腰をつかんで身体を持ち上げる。
「待って! 待って、ニーナ!!」
ミレーユによって停蔵棺桶の中に投げ込まれ、ガラスの蓋を閉じられたゾフィアは叫ぶ。
「わたしを、どうするつもりなのですか?!」
「このまま眠っていてもらうことにするわ。大丈夫よ、永遠に閉じ込めておくつもりはないから」
「そんなの! そんなのイヤです!! ニーナ! こんなことをして、タダで済むと思っているのですか?!」
「それは問題ないわ。貴女は自ら進んで、停蔵棺桶の長期間被検体になった、ということで処理しておくから。嘘を吐くことになるけれど、わたしが生きている間は、この中にいてもらう」
ゾフィアは上手く身動きのできない停蔵棺桶の中から脱出しようとするが、ニーナとミレーユが蓋を押さえて、出てくることができない。
「さようなら、ゾフィア・フランケンシュタイン。永遠に」
碧い静かな瞳で見つめるニーナ。
表情を絶望に染め、嘆きの色を瞳に浮かべるゾフィア。
そうして、ニーナは停蔵棺桶の下部の、運転開始ボタンに手を伸ばす。
「ニィ――」
ガラスの蓋に顔を押しつけていたゾフィアが、羽毛よりも遅い速度で、ゆっくりと敷き詰められた花に落ちて行く。
スローモーションのように、ゆっくりと、ゆっくりと花の上でバウンドし、そして完全に停止した。
「才能だけなら、私は貴方のことを認めていたのだけれどね」
花の布団にに身体を沈み込ませることなく、絶望の表情とともに停止したゾフィアを見つめながら、ニーナはそうつぶやいていた。
* 5 *
「えぇっとつまり、ニーナ教授は僕を身代わりにしたってことですか?」
ハロウィンパーティの翌日、実験室を訪れた僕は、先に来ていたニーナ教授に詳しい事情を聞いていた。
パーティに出かける前にも掃除していったというのに、早速荒れ果てる兆候が見え始めている実験室。
定位置であるオフィスチェアに座っているニーナ教授は、不機嫌そうな顔を僕に見せ、彼女の回りにはいつも以上に高級そうなチョコだとか、クッキーだとかの箱が散乱させていた。
――何があったんだろう。
何故かはわからないけど、ニーナ教授は朝からやけ食いをしていたらしいことはわかった。
「別にそうなるとわかってたわけじゃないのよ」
「でも、可能性のひとつだったんですよね」
「それは……、そうなんだけどね」
ばつが悪そうに目を逸らすニーナ教授に、僕はため息を吐いていた。
ニーナ教授がハロウィンパーティに参加したのは、ゾフィアさんが仕掛けてくると確信しているからだった。
どんな風に仕掛けてくるかはわからなかったから、いろんな準備をしていたという。そのひとつであった僕を身代わりにするという方法にゾフィアさんがはまり、彼女を捕らえることができたということだった。
でもそれは、結果に過ぎない。
前回に続き今回も、僕は危険な目に遭うことになったのだから。
――そりゃあ、ゾフィアさんとはいつか対決しないといけなかったんだろうけどさ。
どれくらい前からかはわからないけど、ゾフィアさんはずっとニーナ教授のことを狙っていた。
彼女をどうにかしなければ、平穏な時間は訪れない。
平穏にならなければ、僕もまた今回や前回のように、ゾフィアさんに狙われることになっていただろう。
――そういう意味では良かったのかも知れないけど。
昨日帰る前、目を覚ました僕が受けた説明では、ゾフィアさんは停蔵棺桶に入れ、大学内で保管することになったそうだ。期間はニーナ教授が大学を離れ完全に縁が切れるまでか、亡くなるまで。
事実上、ゾフィアさんはもう二度とニーナ教授に会うことができなくなった。
これでもう、ゾフィアさんによって平穏が乱されることはなくなった。
だから僕は、今回のことは水に流すことにする。
小さく息を吐いて、気分を入れ換えた。
「話は変わりますが、ニーナ教授に色々と手紙が届いています」
下で受け取って、実験室に来るまでにある程度仕分けておいた手紙を机の上に置いた。
一〇通を軽く超える封書は、どれも企業関係からのものだ。
ただし、これまでつき合いのあったところではなく、新規のところからのもの。
「そっちも多いわね……」
「やっぱり、電話も来ていますか……」
顔を見合わせて、僕はニーナ教授と一緒に深いため息を吐いた。
昨日の事件、というよりハロウィンパーティは、ニュース番組で中継が行われていた。
その中継の途中に起こったのが、あの一斉ニーナ教授化事故。
元からニーナ教授は天才として、若くして国立魔法科学大学の教授に、学長になったことで有名だったけれど、テレビで流れたことで、さらに名を馳せることになってしまった。
畑に咲くたくさんの花のように、画面に溢れるニーナ教授の姿は、その招待がハロウィンの幽霊であっても、かなりのインパクトを視聴者に与えたようだ。
届いた手紙のいくつは、テレビ局からのものだったり、芸能事務所からのCM出演依頼などだった。
加えて、昨日あんな事件があったというのに、いや逆にあれだけの事件があったために、ゴストは一躍有名となり、あの会社からはイメージキャラクターとしての出演依頼が届いていた。
「騒ぎがひと段落するまで、平穏な時間は訪れなさそうですね……」
「そうね……」
大学の学長というだけでも仕事はいくらでもあるというのに、研究が大好きで、他にも好きなこととかを精力的にこなしているニーナ教授。
それらに加えて芸能活動なんて、している時間はたぶんない。
でも一度有名になってしまったら、世間の熱がある程度冷めるまでは、騒がしい日々が続くことになるだろう。
「でもほら、ゾフィアさんのことは片づいたんですし、そっちの方は平穏になるじゃないですか」
慰めにもならないかも知れないけど、僕はできるだけ明るい声で言う。
――あれ?
僕の言葉に、ニーナ教授はむしろ暗い顔になり、箱に残っていたクッキーを一度に三つも頬張った。
嫌な予感がして、僕は問う。
「どうか、したんですか?」
「えぇ、どうかしたのよ」
もう冷めてるだろう紅茶を一気に飲み干し、口の中のクッキーを流し込んだニーナ教授。
やさぐれたように猫背になって腕を机に預ける彼女は、言った。
「あの子、やり込められることを想定していたのよ」
「え? どういうことですか?」
何を言ってるのかわからなくて、僕は首を傾げてしまう。
ゾフィアさんは停蔵棺桶の中だ。
ニーナ教授の言う「あの子」を示す人物のことが、思いつけない。
いや、考えたくない。
「自分が停蔵棺桶に押し込められることを想定していたのよ! 夜のうちにあれは大学内に運び込んだけど、タイマーが仕込んであって、一定時間で機能が一時的に停止するようになってたのっ」
「えっと、それはどういう?」
目に涙を溜めながら、僕のことを睨むように見つめてくるニーナ教授。
「だから、朝になったらあの子、停蔵棺桶から逃げ出して、行方不明!!」
「……冗談はよしてください」
「冗談じゃないのよ! あの子の方が私より一枚上手だったの!!」
目尻の涙を光らせ、悔しそうに歯を噛みしめているニーナ教授。
はっきりと言われたその言葉に、僕は目の前が暗くなってくるような錯覚を覚えていた。
「じゃあまた、ゾフィアさんが僕たちの前に現れる可能性がある、ってことですか?」
「そうよ!」
思わず僕は、その場にへたり込んでしまっていた。
顔を上げると、疲れ切ったニーナ教授の顔が見えた。
僕もまた、一気に疲れを感じて、その顔を見つめ返す。
ふたり同時に漏らしたため息からは、まるで魂が抜けていくような気がしていた。
「百花霊乱」 了