さよなら、しれえ   作:坂下郁

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 春雨と、もう一人の彼女の、在り得たかも知れない物語。


第七話 人魚姫

  いつからだろう、こんなとこにいるのは?

  どうしてだろう、こんなことをしてるのは?

  誰だろう――――ワタシは?

  誰だろう――――アナタは?

 

 

 目が覚めたら、独り。ぽつりと海の上。

 

 水面に映る自分の姿を初めて見たとき、何の感慨も湧かなかった。蒼白い髪、白い肌、黒い帽子と制服。恐怖も嫌悪も愛着も好意も何もない。だって自分だから、それが自分のあるがままだから。不意に、水面に映る自分の姿が醜く顔を歪めて笑い始めた。

 

 ぽろり、ぽろり、ぽろぽろ。

 

 零れる涙は海へと還る瞬間に波紋を作り、私の姿を海に溶かしてゆく。ああ、私、泣いてる、の? どうしてかな? 考えても考えても考えても分からない。でも少しだけ覚えているかも。低空で急速接近してきた爆撃機から放たれた尾羽の無い爆弾が、猛烈な勢いで水面を跳ねるようにしてこちらに向かってきた光景。それと、少し照れたような表情で微笑む、白い制服を着た大柄の男性。

 

 

 それからも独り。ぽつりと海の上。でも、ある日から変わった。

 

 海上を走る女の子達。色とりどりの髪の色、可愛い制服、眩しい肌の色。

 

 ぎり、ぎりぎり。

 

 それが自分の歯噛みする音だと気付くのに時間はかからなかった。私、どうしちゃったんだろう? 気づけば左右に波を蹴立てて走り出していた。それは女の子達も同じだった。

 

 何かで撃たれた。それは砲。何かが水面の下を走り迫ってくる。それは魚雷。こちらに迫ってくる。それは艦娘。

 

 「イタイ……ジャナイ、カッ!」

 

 砲を撃ち返し、魚雷を射ち返す。なんだ、私も持ってたんだ。あちらに迫ってゆく。ワタシは深海の姫。

 

 あの子達がどうして私に酷いことをするのか、分からない。でも自分の事は気付いちゃった。どす黒く、体のうちから身を焼くようなこの気持ち――――嫉妬に。

 

 それからの日々は、それでも案外楽しい、かな。戦っている(遊んでる)間は、独りじゃないから。

 

 でも、戦いが終わるとやっぱり独り。そんな時は、決まって思い出す。白い制服を着た男の人の笑顔。

 

 

 それからの日々は、それでもやっぱり悲しい、かな。色んなことを少しずつ思い出したから。

 

 気付けば駆逐棲姫と呼ばれているって分かった。そんな名前じゃないのに。でも、私、誰だっけ?

 

 なんだろう、もう少しで大切なことが思い出せそうなんだけど、な。そんな気がするだけかも知れないけど。

 

 

 

 暗い海面は静かに波打ち、白い波頭が星明りをきらきら輝かせる。白と黒の水面を切り裂くように進む蒼白い夜光虫の灯り。仄暗い蒼がたどり着いた先には、赤と黄色の炎と白い閃光、夜よりも黒い煙。軋むような泣くような、悲鳴にも似た音と声を残し、海に浮かんでいた存在はあっという間に水底に呑み込まれてゆく。

 

 「馬鹿、ダネ……コンナ所ヲ僅カナ護衛ダケデ航行スルナンテ……」

 

 星明りを煌めかせる白い波頭が静かに波打つ暗い海面。月と星だけが見下す暗い水平線だけが目に映る。サイドテールにまとめた、月明かりを集めたように青白く、緩くウェーブがかかった長い髪を、黒いグローブをつけた手で抑える。ノースリーブの黒いセーラー服様の制服から覗く細い腕は色素が抜けたように白く、瞳の色も蒼と紫の間の色。広い海原には私だけ、ついっと顎を上げ空を見上げる。

 

 「月ガ、キレイ……」

 

 今夜の月を唐突に見失う。糸の切れた人形のように海面に倒れ込む。痛い……頭に一発、足に一発、ですね。しまった、ぼんやりしすぎたのかな。まだ艦娘、残ってたんだね。今日はもう遊ばないよ。だって私、もう動けなくて、潮に流されちゃってる。

 

 

 

 「あ、れ……?」

 

 波打ち際に伸びてる自分。上半身は陸地、下半身は水の中。そっか、私、爆撃を受けて漂流したんだ。体を起こそうとすると、ずきん、と痛む。えへへ、嬉しいな。痛いのは生きてる証拠。頭と言わず顔と言わず体と言わず、ぺたぺた触ってみる。お気に入りだった帽子は…ありません。きっとあの帽子が盾代わりになったのかな。足は…痛いけど、多分大丈夫、です。でも……一番問題なのは、目です。輪郭がぼんやり見えて、色が分かる程度にしか見えません。これは困りました。入渠でちゃんと治るでしょうか。

 

 匍匐前進の要領で、体を引き上げます。足が十分に動くようになるには少し時間がかかりそうです。いつまでも水の中に体を浸けておくのはよくないです。女の子は下半身を冷やすのはダメですから。手に触れる感触から、どうやらここは砂浜のようです。風が土と草の匂いを運んでくるので、多分奥には森が広がっているのかな。目はまだぼんやりだけど、頭はだんだんクリアになってきたような気がします。

 

 あの強行輸送作戦……いいえ、あんなのは作戦と呼べるものではありませんでしたけど、とにかくあの作戦で私、被弾しちゃったんだ。空も海も敵に圧倒されている中を、航空援護もなく駆逐艦隊で突入するなんて……司令官は強硬に反対していたけど、解任を盾に脅されて止む無く引き受けていた。私は秘書艦だったから、司令官の苦悩が痛いほど理解できました。だから、絶対成功させなきゃ、そう思って作戦に参加したんだけど……。

 

 くうぅ~。

 

 わわっ、けっこう大きい音。恥ずかしいっ。思わずお腹を押さながら、辺りを見渡しちゃいました。誰も聞いてないですよねっ。見渡した範囲にぼんやり見えたのは、地面にある白い塊。人……でしょうか? 私は痛む足を引きずりながら近づいてゆきます。近づけば、やっとぼんやりですが形が分かりました。白い服、第二種軍装のようなので、きっと軍人さんのようです。

 

 「あの……生きてますか……?」

 

 返事はありません。むう……仕方ないので、仰向けにしてみようと思います。よいしょっ。ぐぅっと低いうめき声を漏らしました。まだ生きてるようです。取りあえずゆっくりとヤシの木の根元に凭れさせるようにします。

 

 「だ、大丈夫ですかっ!? 私は――――基地所属、白露型駆逐艦五番艦の春雨ですっ! あの……生きてますか……?」

 

 私の声に反応して、辛そうに体を動かして顔を上げたこの男性は――――私の司令官、でした。

 

 そして私と同じように、司令官は目が見えないようでした。

 

 

 

 「そう……だったんですね。と、とにかく司令官が無事で良かったです、はいっ!」

 

 言いながら自分の声が熱を帯びて、涙声になってゆくのが分かりました。司令官の話によれば――敵機の爆撃を受け消息不明の私を探すため、司令官は自らPG艇に座乗して何度も海に出たそうです。何度目かの捜索の帰り、折悪しく遭遇した深海棲艦の攻撃を受けて、乗艇も護衛の艦娘(仲間)も沈められた。そして、この砂浜に打ち上げられたんですね。

 

 「ご、ごめんなさいっ!! 私が爆撃なんか受けなければ……。司令官をそんな目に合わせることもなかったのに……」

 

 目の前をぼんやりと白い影が揺れています。司令官が手を……動かしているの、かな? 自分でも頬が熱いのを感じながら、同じようにおぼろげに見えている目でその手を掴みます。司令官は一生懸命、何かを探す様に手を動かしています。わわっ、そ、そんな所触っちゃだめですっ! 司令官は慌てて謝ってくれましたが、でもやっぱり手は何かを探しています。やがて、私のサイドテールの髪に指が触れ、そのまま手は私の頭に載せられ、私の頭を撫でてくれます。

 

 「あ、ありがとう……ござい……ます」

 

 とにかく無事でいてくれてよかった、それだけを繰り返す司令官。私は嬉しさと有り難さと申し訳なさで胸がいっぱいになり、わんわん泣き出してしまいました。そんな私を、司令官はただ優しく抱きしめてくれました。

 

 どれくらいの間そうしていたでしょう。目に入る光量が落ちてきました。夕暮れ時、ですね。日が落ち切る前にやらなきゃならない事があります。ぼんやりしか見えない目と痛む足に耐えながら、私は何とか薪になりそうな木材などを集めてきました。司令官を遠ざけ、一発だけ砲撃。轟音と煙の後には、必要以上に激しい炎の熱を頬に感じ、やりすぎちゃいましたね、と笑い合いました。でも、目の利かない私たちにはそれ以上のことはできず、二人で空腹に耐えながら夜を明かしました。

 

 

 

 「かなりはっきり見えるようになりましたっ! 一時的な視覚障害だったようです、はい。良かった……」

 

 翌朝、昨日よりはマシですけど足は依然として痛みが引かず、ひょこひょこしか歩けませんが、視力はかなり回復しました。視界の周縁部はまだぼんやりしますが、それ以外ははっきり見えます。司令官はきっと疲れ果てているのでしょう、まだ眠っています。その顔をじーっと眺めていると、胸に秘めていたはずの、諦めていたはずの想いが甦ってきます。

 

 「……司令官」

 

 私はそっと眠っている司令官の顔を覗き込み、その距離を少しずつ近づけてゆきます。お互いの吐息がかかるような距離まで唇が近づいた時、唐突に司令官が一言、寝言を呟き私は固まってしまいました。そしてすぐに顔がにへらにへらと溶けてしまうのが我慢できなくなりました。

 

 「春雨って……私の名前を呼んでくれました、はい……」

 

 今のうちに朝ご飯になりそうな食べ物を手に入れましょう。想像した通り、小さな砂浜のすぐ奥にはジャングルが広がっています。あ、バナナがありますね。これだけあれば当分大丈夫かな。何度か試したのですが、通信機も壊れちゃってるようで、基地に連絡を取ることもできません。取りあえず、足がもう少し回復するまで待ってから、私が助けを呼びに海に出ることにしましょう。

 

 「入り江だから、貝とか小さなお魚とか、頑張れば獲れたりすると思うのです、はい」

 

 バナナだけでもいいんですけど、せっかく昨夜焚火を熾して火が使えるようになったので、例え簡単な物でも司令官のために用意したいのです。ふんふんと軽く鼻歌をしながら、ひょこひょこ波打ち際に向かってゆきます。

 

 「お魚さんはいますでしょう、か……?」

 

 

 覗き込んだ水面。そこに映っていたのは、薄桃色で緩くウェーブのかかった長い髪をサイドテールにしたセーラー服姿の艦娘……だったらどれだけよかったでしょう。蒼白い髪、白い肌、黒いノースリーブの制服。恐怖と嫌悪に支配され、慌てて周囲を見渡しますが、ここにいるのは私だけです。

 

 

 恐る恐るもう一度水面を覗き込んでも何も変わりません。だって自分だから、それが自分のあるがままだから。不意に、水面に映る自分の姿が醜く顔を歪めて泣き始める。

 

 ぽろり、ぽろり、ぽろぽろ。

 

 零れる涙は海へと還る瞬間に波紋を作り、私の姿を海に溶かしてゆく。ああ、私、泣いてる? どうしてかな? 考えなくても分かってしまった。少しだけ覚えていた事が、ようやく全部繋がった。低空で急速接近してきた爆撃機から放たれた尾羽の無い爆弾は、私を沈めたんだ。そして……深海棲艦として私は再び甦ったんだ。あの夜、私が沈めたのはかつての仲間で、しかも司令官が乗っている船まで……。

 

 絶叫が小さな砂浜に響き渡りました。私の声、獣のような、血を流すような声。

 

 その声に驚いたのでしょう、司令官が覚束ない足取りで波打ち際に向かって歩いてきます。すぐさま転びそうになった司令官に、私は……手を伸ばせませんでした。

 

 何の資格があると言うの、かな……私に。波打ち際にしゃがみ込み、狂ったように激しく頭を振り泣き続ける私。声を頼りに私の所までたどり着いた司令官は、何度も春雨と私の名を呼び続け、こんな私でも抱きしめてくれました。

 

 

 私は……この温もりを振りほどけるほどに強くはなかった。そして温もりに甘えて嘘をつき続けるほどに弱くは無かった。

 

 

 

 「では、行ってきますね。大丈夫です、すぐにみんなを連れて帰ってきますから」

 

 再び夕闇が迫る砂浜。波打ち際での狂乱が嘘のように、穏やかで優しい声で、私は司令官に言葉をかける。不安を隠さず私の手を離さない司令官を宥めるように、今度は私から抱きしめる。どれくらいそうしていたでしょう、どちらからともなく、唇を求め合う。長く甘い、最初で……きっと最後の口づけ。

 

 ぽろり、ぽろり、ぽろぽろ。

 

 頬を流れる涙に気付かれてはいけない。例え司令官に見えていなくても、精いっぱい、花が咲いたようだ、とあなたが言ってくれた笑顔を見せる。少しは面影くらい、残っているといいな。振り向かず、私は波打ち際へと向かう。途中、風に乗った囁きが耳に届き、私の足を止める。そっか、どんな姿でも春雨は春雨だ、そう言ってくれるんだ。いやだなぁ、司令官、いつから……気づいてたんだろう。

 

 

 

 潮風が蒼白い髪を躍らせ、私は海を駆ける。艦娘を……司令官の部下であり、私がかつて仲間と呼んだ子達を探し求めて。

 

 -ー私、あなたにもう一度会えて本当に嬉しかったんですよ。でも、あなたが私の名前を呼ぶ度に、全てが嘘になってしまう……そんな日が来るなんて……。

 

 

 痛む足をそのままに、出せる全力で加速する。どこにいるの? 肝心な時に姿を見せないなんて……。

 

 -ーあなたに私の想い、伝わっていたかな? でも、私は私だけど私じゃない。

 

 

 遠くに光る砲炎が目に止まった。やっぱりね。基地の子達が司令官を捜索しない訳がないから。

 

 -ーそれでも、あなたの名前を呼んでも、好きでいてもいいですか?

 

 風を切り波を蹴立て、立ちあがる水柱の間を縫うようにして、ぐんぐん前に出る。痛っ! でも、もう少し……ここで大回頭。釣られた子達が私を追いかけてくる。あうっ、イタイ……じゃないカッ! ……いけない、引き離さず追いつかれず、入り江の入り口まで連れて行かなきゃ。そうすれば、焚火の灯りを彼女達は見つけてくれる。司令官には……帰る場所があるんです、はいっ!

 

 

 

  こんなとこにいるのは、あの時から。

  こんなことをしてるのは、どうしようもないから。

  誰であっても――――私はワタシ。

  どんなワタシでも――――アナタは?

 

 

 気が付けばやっぱり独り。ぽつりと海の上。

 

 蒼白い髪、白い肌、ぼろぼろの制服。撃たれ過ぎて足は原型を留めず、だけど絶対沈みたくないっ、そう思っていたら別な生き物みたいに変化しちゃった。それでも自分だから、それが自分のあるがままだから。何とか、艦娘達の追撃は振り切った。不意に、水面に映る自分の姿が醜く顔を歪めて微笑む。

 

 

 ぽろり、ぽろり、ぽろぽろ。

 

 

 零れる涙は海へと還る瞬間に波紋を作り、私の姿を海に溶かしてゆく。ああ、私、泣いてる。でも、決して忘れない。低空で急速接近してきた爆撃機から放たれた尾羽の無い爆弾が、猛烈な勢いで水面を跳ねるようにしてこちらに向かってきた光景。それと、少し照れたような表情で微笑む、白い制服を着た大柄の男。そして、その人が去りゆく私の背中に呟いた言葉。

 

 

 -ーいつかきっと迎えに行く。

 

 

 その言葉だけを胸に、蒼と紫の間の色をした瞳で滲む夜空を見上げる。

 

 「月ガ……キレイ…………」

 


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