八雲『藍』の儚愛譚 作:カルタネット
亭にて気を失った上皇の側近は、ある奇妙な夢を見ていた。
場所は森と山の間にある岩場。倒れこむ彼がおり、その彼を側で見やる一人の女性がいた。
周りには誰もいない。いや、正確には生命を持った者はいなかった。
彼がなにかを呟き、それに驚愕する女性。
それがどんな内容かは、夢を見ている本人である上皇の側近ですらわからない。
『……これは、どうなっておるのだ?』
自分を客観的に見ていることもあるが、なにより何故ここまでも明確な夢を見ているのかが、彼には不思議でならなかった。
これまで何度か夢を朧気な視界で見たことはある。しかし、こうもはっかりとした視界で見ることは彼にとって初めてであった。
そう彼が今起きている異常な現象に動揺している最中にも、映像のように二人の会話は続いていく。
『ーー、ー……』
『~~! ーー!!』
会話の内容は喋っているのは解るのに何を話しているのかは判らない。それどころか会話をしている女性の顔すらぼんやりとしていて誰なのかすら判らない。
ただわかるのは彼が途切れ途切れに話すのと相反して、女性が声を張り上げているように慌てているような様子であること。
何故自分は途切れ途切れに話しているのか。何故彼女は怒号にも似た声をあげているのか。
疑問は増えていくばかりで、何一つ解決はされていない。
『ーー、ー~ー……ーー』
『…………ーー』
やがて女性は大人しくなり、ぽつぽつと透明な液体を彼の顔へと垂らしていた。
それが涙なのか汗なのか、はたまた唾液なのか。顔に靄がかかっていて判別ができない。
そして_______
『_______ーー』
最後に彼女が一言呟いた瞬間、彼の視界は暗転した。
『な、なにが……うぐっ……』
疑問の声をあげるが、直ぐ様頭痛が起こり、頭を抱える。その頭の痛みは治まる所か、徐々に増していき、彼の意識を刈り取っていく。
ーーまずい。ここで気を失えば先程の光景を忘れてしまう。
確証はない。ただ感覚でそう感じることができた。
脳を鷲掴みされたような激痛を味わいながらも、彼は必死の抵抗で意識を手放そうとはしなかった。
『あ、っが!?』
しかし、そんな彼の抵抗も虚しく、彼の脳が粉々に吹き飛ぶとともに意識は手放された。
そんな脳が爆発する一瞬、彼の最後に残された脳裏にはあの光景には_____
__黄金色に輝く、短く切られた美しい髪が写っていた。
______________________
「_____…………!」
意識の覚醒した彼は、まず先に己の頭部の安否を確認するため、己の両の手で頭部に触れる。
「頭部は…………ある」
頭部の安否を確認すると、彼は一先ず安堵する。が、その後、彼の服が汗により雨にうたれた後のように濡れていた。
それもそのはず。夢の中でとはいえ、頭部を粉々に吹き飛ばされる経験をしたのだ。これで汗一つかかないのならば、その者はおそらく異常者であろう。
「……?」
そして彼は首を傾げた。何故、あのような惨い夢を見たのか。
____頭が吹き飛ぶ夢など、これまで見たことがない。
「(それよりも何故私は夢を……先程まで玉藻前様と亭にいた筈では……)」
彼がそう思うのも無理はないはず。彼は自分が気絶したと認識していないのだ。彼の記憶は、玉藻前に手を触れられたことまでで遮断されている。
それでいつの間にか、見慣れぬ部屋で寝ていたのだ。なにが起こったのか分からず、混乱するのも無理はないだろう。
取り敢えず、状況を確認するために周りを見回す。
しかし、上皇の屋敷は上皇自身の使う場所以外、何処も同じような造りとなっており、ここが何処かなどの判断は出来なかった。
ただ、男のようなむさ苦しい匂いはせず、女特有の甘い匂いがした。
「ここは……」
「大丈夫、で御座いますか?」
「誰だ! ___!?」
突如背後から声が発せられ、反射的に後ろに飛び退き、臨戦態勢に入る側近。
しかし飛び退いた後に見た、声の発生源である“彼女”の姿に、彼の顔は驚愕の色に染められた。
「な、何故玉藻前様が……」
そう、彼の背後には玉藻前が不安げな表情で此方を眺めていたのだ。
側近は彼女の姿を捉えると、刀が腰に差さっていない事にも気付かず、呆けた顔となり、頭の中は白で塗りつぶされてしまった。
「貴方様が突然気を失われましたので、もしかしたら私のせいかと思いまして」
「なっ……断じて玉藻前様のせいではありません! 私めが勝手に倒れたのです! お、おそらく血が足りなかったせいだと思います。いやぁ、最近よく立ち眩みをするのですよ」
「そ、そうですか……」
実際の原因は玉藻前であるのだが、それに関して自分が貧血気味だと言い張り、己に責任転嫁をする上皇の側近。
その慌てぶりを見て、玉藻前は未知なるものを見たかのように驚愕する。
仏頂面、鉄仮面、無愛想と、散々噂される彼が見るからに慌てていたからだ。
彼女自身、彼との直接的な接触はほぼない。あるとしても上皇の斜め後ろで、彼の様子を何度か窺った程度だ。その少ない数の中ですら、彼が噂通りの人間だと判断出来るほどであった。
彼を拾ったという上皇との会話の時ですら、彼は淡々と、事務的な様子で話していた。
___まるでそこに心がないかのように。
そんな経験から玉藻前は彼を、感情のない操り人形だと評していた。
「……なんでしょう? 私めの顔になにかついているのですか?」
「はっ! 私としたことが……」
そんな彼の意外な一面に出くわした玉藻前はいつの間にか側近の顔を凝然と眺めていた。
しかし、殿方の顔を凝視するという失礼にあたる行為だ。それを承知していた玉藻前は頭を下げ、謝罪する。
「申し訳ございません。殿方のお顔をじろじろと……」
「頭をお上げ下さい。何もないのならそれでいいのです」
そう言って頭を掻く側近。想い人に見られていたからか、ほのかに頬を紅く染める。
「そ、そういえば私めはどれ程気を失っていましたか?」
彼はこのとき、この状況を好機と見ていた。玉藻前と不自然なく話す機会は、そうは無いからだ。この状況をどれだけ有用するかによって、これからの彼女との付き合いも変わってくる。
その為にも会話を途絶えるようなことをしたくなかった彼は、ふとした疑問を口にする。
「いえ、そこまで長くはありませんでした。この部屋に寝かせてから程無くして起きましたよ」
「左様ですか」
「ただ汗が滝のようにかかれておりました。余程お辛い夢を見ていたのでしょう……お顔は全く辛そうではありませんでしたが」
「はは、おそらく表情筋が硬いのでしょう」
「そうですか。それならば常日頃から表情豊かにすることを心掛けなければですね」
「そうですね」
表情筋が硬い、というより意図的に彼は顔を硬くしていた。上皇の側近という役柄故、感情を表に出すのはいけないと考えているからだ。
元々有名な野盗であった彼を、その腕っぷしの強さで買った上皇に拾われている。最下層からの大出世である。ーー何故上皇が彼を側近にしたのか、しかも盗賊である彼を。その答えを知るものは上皇以外に知るものはいない。
思わぬ大出世を果たした彼であったが、周りの者の殆どは、それを良しとしなかった。
冷淡な視線、罵倒の耳打ち、陰湿な嫌がらせ。当時、弱冠十二の若さの彼には耐えられぬ苦痛を与えるには充分にあった。
そんな彼が編み出した処世術が、感情を表に出さないようにしたことだ。
親もおらず、何かを教えてくれた師もいない彼には、拾ってくれた上皇しか倣うべき者が居なかった。その上皇の姿を観察すると、相手との対談の時などの時、常に無表情を貫き通し、相手に付け入る隙を与えることもなく優位に事を運ばせていた。
それを見た彼は直ぐ様それを実行。物の試しだと、あまり期待せずにしてみたことだったのが、これが思いの外効果覿面、表上で陰口や嫌がらせを見ることが無くなった。
元々獣じみたオーラを発していた彼に、能面が加わり皆が気味悪がったためだ。
それ以来彼は無表情を維持するに努めてきた。
今では陰口を言われたり、嫌がらせを受けることは無くなったが、何時如何なる時でも嘗められないようにと、彼は現在に至っても、無表情を貫いているーー玉藻前の出現以来、崩れかけてはいるが。
「……」
「……」
突如訪れる無言の時間。彼は内心焦っていたーー詰まらせてしまった、と。
表情に関しての話に、関連した話が思い浮かばなかったからだ。
玉藻前も、いつも聞き手側であったため、あまり自ら話題を作るというのは慣れておらず、どうすればいいのかと脳内で四苦八苦している。
「あ、あの……」
「は、はい、なんでしょうか?」
側近の発言に反応する玉藻前。彼女は話題を作ってくれたと一安心し、胸を撫で下ろす。
「実はずっと玉藻前様に気になることがあったのですが……」
「……? ……それは、一体何用でしょう」
玉藻前は彼の気になることに眉根を寄せる。上皇の側近であり、鬼すら恐れる化物と云われる者からの質問だ。彼女が身を引き締めるのも無理はない。……それに彼女には、他にも身を引き締める理由もあった。
「玉藻前様、貴女様は_____」
そう彼が本題を口にしようとした瞬間、突如として部屋の障子が開けられた。
「あ、ーー様、起きたのですね」
「……ーーか」
そこへ現れたのは、先程まで共に亭にいた侍女であった。
侍女の手には水の入った桶と布があり、それで側近を看病しようとしていたのが分かる。
「ーー様、起きらしたのなら伝言がございます」
「誰からのだ?」
「上皇様からでございます」
「……」
侍女の言葉に目を細める側近。玉藻前との会話に水を差されたことにより若干不機嫌になった彼だが、上皇の伝言ともなると私情を挟むわけにはいかず、押し黙る。
「『ーー様が起き次第、一人で私の部屋に来るように』だそうです」
「そうか、鳥羽様から……」
一人で来い、ということは私情か余程の機密事項なのだろう。
それを理解した彼は静かに立ち上がる。
「玉藻前様、申し訳ありませぬが用事ができてしまいました。先程の話はまた後程で」
「はい、分かりました。それでは、これを」
「あ……有難う御座います」
そう言って横に置いていた側近の刀を手渡す玉藻前。
「ーーも、用意してくれたのに済まないな」
「いいえ、お元気であられるのならそれでいいんですよ」
侍女の肩を叩き労いの言葉をかけた後、彼は部屋を後にした。
ーーー
「ーー、只今参上致しました」
「うむ、早かったな」
一際目立つ黄金色に彩られた椅子に腰を掛け、己の目の前で跪く側近を見やる上皇。
「して、私めは何を討伐すれば宜しいのですか?」
側近の口から出た討伐は、そのままの意味である。これまでの彼の経験上、上皇が己を呼びだしたときの殆どが、妖の討伐か反発組織の弾圧であった。
上皇が彼をただ単に会話をしたいからと呼びだしたことはこれまで一度としてない。
「理解が早くて宜しい。お主の言う通り、今回もある妖の討伐をして貰いたくてな」
「……」
今度は何の妖なのだろうか、と、手布が巻かれた手を握り締める。
だが、彼は内心、不穏な感情に支配されていた。何故、こうも気分が晴れないのか。確かにこれまでも敵を殺すという行為に爽快感など感じたことはない。しかし、今回はそれとは違う。何故かわからないが上皇から発せられる言葉を拒否したい、と思ってしまっている。どんな強敵であろうが上皇の指示に背いたことなど一度としてないというのに。
「それでは告げよう。今回の標的は____」
聞きたくない、この場から一刻も早く立ち去りたい。聞いてしまえば、後戻りのできない大変な事態になってしまう。
彼の直感がそう言っていた。
しかしそんな彼の思いを無視し____
「我が寵姫、玉藻前だ」
___上皇の口から、残酷な一言が発せられた。