八雲『藍』の儚愛譚 作:カルタネット
____何故私に頼むのか。
____何故安倍泰成ではないのだ。
____何故鳥羽様は溺愛していたのに……
____何故鳥羽様は寵姫を殺せというのだ。
____何故、何故、何故!
____なんで、玉藻前様なんだ……
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上皇から命令を受けて二日後、側近は行方を眩ました。
それは上皇からの指示であり、知る者は玉藻前討伐に加担する連中のみ。
何も知らぬ者達は、逃げ出した彼の行動に、そしてそれをそのまま野放しにした上皇の考えに困惑した。
その困惑は少なからず玉藻前にもあった。
「あの方は、どうしてあのようなことをしたのでしょう……」
ある晩、部屋の隅で寝る前の習慣の書き物をしていた玉藻前は、ふと思い出したかのように彼の話題を上げた。
「あの方、とはーー様の事で御座いますか?」
「はい」
数日前、彼と途絶えた会話が未だに彼女には引っ掛かっていた。
それもその筈。彼女には秘密があり、それを見抜く可能性のある者に
「あの方が居なくなられると、上皇様の戦力も大分削がれるというのに、何故野放しにしたのでしょう……」
「? ……あの方一人で戦力が削がれる? 彼一人に如何程の力があるのですか?」
侍女の言葉に疑問を唱える玉藻前。それを聞いた侍女は「あ、そうだった」と小さく呟き、返答する。
「あの方は千の兵をも圧倒する力をお持ちであるということです」
「そ、それは流石に過言なのでは……」
侍女の話に思わず息を呑む。今の発言に戯言の色は見えない。彼女は本心から言っていたことが、玉藻前には判ったからだ。
「……あの人が……」
「……玉藻前様がまだこの御殿へ来られる前、ある催し物が行われたことがありました」
それでもまだ納得しきれていない玉藻前の心境を察してか、侍女が静かに語りだす。
ーー玉藻前がこの屋敷に来る半年程前、ひょんな事がきっかけで宴が催される事となった。その宴の参加者はどれも尊い御身分の上級貴族が殆どであったのだが、それでも人数は中々多く、侍女を含め多くの使用人が休む暇もなく働いていた。
そんな中、上皇の近くいた貴族間である催し物の話で盛り上がっていた。
“誰の用心棒が一番強いのか”
貴族ともなると用心棒の一人や二人、当然のごとく雇われている。
その話題はただの妄言であり、別に本当にすると決められたわけではないことであったのだが、それに聞き耳をたてた上皇が、その催し物を採用、即実施となった。
そして集められたのは、名のある猛者や妖怪退治屋など、都でも知らぬ者はいないと言えるほどの有名人であった。その中に元盗賊の側近は逆に目立っていた。
彼も皆の場違いを咎めるような視線を浴びながら肩身の狭い思いをしていた。
しかし、そんな視線も仕合が始まってからは一変する。
熊のような大男を軽々しく投げ飛ばし、武芸者を力で制し、不思議な術を使って攻撃する敵を短い刀身の懐刀だけではね除けていったのだ。
まさに無双、どの相手も彼に一分として持たなかった。先程まで陰口を叩いていた連中も開いた口が塞がらなかった。
そして決勝戦。彼と戦うこととなったのは、この時代最強の陰陽師と謳われる安倍泰成であった。
安倍泰成は誰の用心棒でもない。しかしそれを咎める者などいない。そもそも酒の席での催し物なのだ。ルールなどあってないようなものであった。そもそも側近自身も用心棒ではないのだから。
最強の陰陽師と、上皇の側近。実績的に考えれば当然安倍泰成の方が勝つと誰もが口を揃えるだろう。
しかし、これまでの勝負を息を切らさずに捩じ伏せてきた彼を見ると、そうも言ってられなくなった。
屋敷の庭に佇む二人の猛者。その姿に誰もが釘付けとなり、呼吸をすることすらも忘れてしまう。
そんな緊迫とした雰囲気の中、ただ一人、二人の間に経っていた審判が手を上げる。
始めの合図だ。てを振り降ろされた瞬間、勝負が始まる。
誰もが審判のあげられた手を見て息を呑む。
そして遂に審判の手が振り降ろされた_____
_____瞬間、安倍泰成は膝から崩れて倒れた。
倒れ伏した安倍泰成の目の前には、刀を振り下ろした体勢のまま、固まっている彼がいた。
「……まさか、泰成様はあの方に斬られたのですか?」
「はい。といっても峰打ちでしたが。ただあまりの速さに誰一人として彼の剣筋を見ることは出来ませんでした」
玉藻前は開いた口が塞がらなかった。彼が只者ではないことは直感で理解できていた。しかし、侍女から聞かされたことが異常だった。
安倍泰成は鬼すら使役する安倍晴明以来の秀才だ。実力は言わずもなが都の中でもトップクラス、そんな者を不意打ちまがいとはいえ、一瞬にして戦闘不能に追い込んだのだ。
もはや玉藻前の中で彼は
「……確かに、それほどの方ならば上皇様の戦力に痛手になりますね」
「まあ、上皇様に歯向かう輩なんてそうはいないと思いますがね」
そう言って侍女は微笑む。確かに上皇とはこの国の者共にとって神に等しき存在。そんな存在に歯向かうなど、神への反逆とそう変わらない。
「さて、そろそろ寝床につくとします。こんな時間まで付き合わせてすいませんでした」
「いえいえ、これが私の役目ですから」
玉藻前の側まで近付き、書き物用の道具類を片付けていく侍女。
「この紙は、また残しておきますか?」
「はい。宜しくお願いします」
この紙とは、先程まで玉藻前が書いていた紙である。その紙には今日一日、どんな出来事が起きたかを記されている。つまり日記である。その日記はいつも書いては侍女に預け、保存している。この作業は彼女がこの屋敷に来てから欠かさず行われている事であり、彼女の一日の少ない行事である。
書かれている内容はどれも他愛のないものしかないが。
「それでは、失礼します」
「はい、お休みなさい」
ーーー
私は何故このような生活をしているのだろう。
元はただこの地の方が彼方より安全だと踏んで来たというのに。ただ安穏な生活をしたかっただけなのに。
何故こうも怯える日々を過ごさなければならない。常日頃から超人に見張られ、上皇からは不審な眼差しを向けられ、監視のように定期的に陰陽師が来る。
最初は泰成様はただ単に会談に呼ばれていたのだと思っていたが、ある者の行動により、私の見る目が変わった。
そう、元上皇の側近だ。
彼が露骨に私の周りを嗅ぎ回ったお陰で私は不信感を抱くようになり、色々な事が見えてきたのだ。
上皇の笑っているようで笑っていない目、泰成様の束帯の袖から見える大量の御札、側近の冷徹な視線。
気付いてみれば闇ばかり。
これほど居心地の悪い環境はない。唯一安らぐのは日記を書いているときに侍女と話す時ぐらいだ。
気付くきっかけとなった彼は今、何を思ってこの御殿を去ったのだろうか。
上皇の命令でわざと抜けたのではないのか。
何故? 何のために? まさか私を……?
___怖い、上皇に会う事が怖い。泰成様の笑顔が怖い。側近の存在が怖い。
この御殿に居たくない。居たらいずれ私は___
……いや、考えすぎだ。いくらなんでも考えが飛躍しすぎている。そもそも私の術がそう見破られる筈がない。いくら陰陽頭の泰成様であれ、超人であるあの側近であれ、私の術は破れない。
___何故なら私は大妖怪、九つの尾をもつ妖狐なのだから。
決して、術を解かない限り私の正体は解らない。
そう信じたい。そうでなければこれからもやっていける自信がない。
上皇の目線もただそういう風に見える目なのだろう。泰成様の重装も敵襲があったときのためなのだろう。
側近が私の周りを彷徨いていたのは私を護るためなのだろう。
だから本当に、私の不安が杞憂であってほしい。
人の目に怯えて過ごすのは嫌だ。
_____特に、想い人からの視線には。
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玉藻前はここ数日、今のような葛藤を繰り返していた。
疑われているのかもしれない。いや、術を掛けているから大丈夫だ。
と、半ば己の力を誇示して無理矢理不安を打ち消そうとしている。
それが余計不安を煽ってしまい、大きくなる。それをまた打ち消そうとして、そしてまた大きくなる。
そんな不毛な事を彼女自身分かっていながらも繰り返す。
何故なら、信じたくないからだ。
信じてしまえば、それはもうここにはいられなくなると言うこと。
しかし人並みの生活を望んだ玉藻前は、今の生活を自ら手放すわけにはいかない。上皇から自ら逃げるということは国への反逆と同意。結果、追われる身と成れ果てることとなる。だから逃げられない。
つまり、彼女には逃げ場など無いのだ。
玉藻前の睨んだ通り、上皇と安倍泰成から命を狙われている。
しかし、彼女の心情が空回りしている限り、全てを捨てて逃げるという選択肢はでてこない。
それにもし逃げたとしても、予防線として都外に配置された側近が待ち構えている。
いってしまえば詰みに近い状態だ。
ここから自力で生き残るのは大妖怪の妖狐であれ、容易ではない。
果たして、彼女の運命はどうなるのか。
逃げるか、討たれるか、それとも戦うか。
どちらを選択したにしろ、
それを玉藻前自身が気付くのは、皐月の初め、安倍泰成の演舞の日であった。