ぐうっと伸びをする。
学生にとっての一大イベントも終わり、緊張も適度にほぐれ、精一杯腕を伸ばして身体をほぐし、首を動かして凝り固まった筋肉をほぐす。
「っは~~~……終わった……」
「ウォルターお疲れ様さ~」
「おお、ライア、お疲れ。どうだった」
「まあまあさね。でも赤点は余裕で回避さ~」
「そりゃよかったな」
ツェルニのテストはマークシート式で、回収後程なくして結果が出る。
結果次第で人は安堵したり嘆いたりするものだった。
テスト結果が出るまではなにもすることがない。せいぜいが昼食をとって結果に備える程度だ。
今日の弁当はザクもちパンでハムとチーズを挟んだシンプルサンドだ。同じものを作ったので、現在ウォルターのアパートに居候しているハイアとミュンファも同じものを持ってきている。
「ウォルター、おれっちミュンに声かけて来るさ」
「ああ。ルディアが今日は中庭がいいって騒いでたから、中庭のいつものところな」
「は~い」
テスト終わりにもかかわらず軽い足取りで教室を出ていくハイアの背を見送り、ウォルターは大きめのあくびをしてもう一度伸びをする。
移動しようと荷物をまとめていたところで、教室の入口から声をかけられた。
「っウォルター、すまない、いまいいか」
「アントーク? ああ、どうした」
「きょ、今日の訓練のことなのだが……」
なぜか緊張した様子で忙しなく視線を動かしながら話すニーナの様子を見て、教室にいる面々がざわつく。テストの結果が悪かったのか……と顔をよく動かすせいで揺れる前髪を見つめていたら、なおのこと教室の面々がざわつく。
なにをざわついているのか分からなかったが、そのざわめきが大きくなって面倒になったウォルターはニーナを廊下の窓際の方へ移動させた。
「……す、すまん。騒ぎになってしまったな……、……その、今日の練武館での訓練だが、備品を買ってから行こうと思っているから、少し遅れるかもと……伝えたかっただけなのだが……」
「ああ、分かった。……荷物多いだろ、オレ手伝うか? ついでにライアとルファも呼べるが」
「いや、そこまでは……。冷却スプレーと湿布程度だから問題ない。……大丈夫だ、ありがとう」
「ン」
そうしてニーナを見送ったところで、ざわつきも多少静まる。若干引きずっている同級生もいるが。
さて教室に戻るか、とウォルターが踵を返そうとすると、真横で強い剄の上昇を感じた。
「お、うっ!?」
ドウ、と真横からデカめの質量がぶつかってきて、ウォルターは慣性のまま押されて廊下に尻もちをついた。
ウォルターに突っ込んできた塊は、鳶色の髪を揺らす少年だった。ウォルターに飛びついたまま、普段なら絶対にしないだろうが、ギュウ……としがみつき、そうしてウォルターを涙目で見上げて来た。
「……アルセイフか。……ンだ、急に……」
ウォルターが廊下に倒れ込んだ際、二つ分の質量が廊下で転がる音がしたため教室の視線をあっという間に集めてしまう。
教室にいたティアリスが呆れ顔で廊下に出てきて、教室の他の生徒たちのデバガメに加わった。
「なにをしているんだお前は。それでも現役武芸者か」
「関係あるか? それ」
「大アリだろう」
「ッウォルター!!」
「うおびっくりした」
ティアリスとウォルターの会話が普通に弾みかけて、ウォルターにしがみついたままだったレイフォンは大きめの声を出して会話を遮る。そうして顔色の悪い表情でウォルターを一瞥し、悔しそうな表情で視線を外した。
「……ウォルター……恥を忍んでお願いがあります」
「お願い? ……ンだよ」
「大丈夫です。殴らせてくださいとかじゃないので」
「それお前にとって恥を忍んでのお願いじゃないだろ……」
「……ぼ、僕に……僕に、勉強を教えてください……!!」
「……勉強ぉ……?」
「はい……!」
強めの語気で言い放ったレイフォンに、思わずキョトンとウォルターは言葉を返す。
状況が理解しきれず、うんともすんとも言わないウォルターに業を煮やしたレイフォンは再び大きめの声を出した。
「お願いです!! 僕に勉強を教えてください!! ウォルターが!!」
「必死過ぎるだろ。……なンでまたオレに? ほら、お前ならマーフェスとか……」
「リーリンは!! 絶対に!! ダメです!!」
「……そ、そうか……」
「だから! 早く! いいって! 勉強教えるって!! 言ってください!! は や く!!」
「お、おお……? ……まあ、いいンだけどよそのくらい……」
「本当ですか!? 本当ですね!? 二言はないですよ!? もう取り消し出来ませんよ!?」
「わかったわかった、そう騒ぐな。うまく教えられるかは知らんが、それでも良ければ」
ウォルターが同意を示す、その途端、レイフォンはウォルターからバッと離れ、珍しく「っしゃあ!」と雄々しいガッツをとった。そうして天井を仰いだかと思うと、「生きた……」と呟く。
「ありがとうございますありがとうございます。……よし……これでとりあえずリーリンの無限勉強地獄からは脱出だ……ミィごめん……僕だけ先に生きる……」
「なンだどうした」
「気にしないでください独り言なので」
「でっけぇ独り言だな」
ウォルターが苦笑を零すと、レイフォンはすくっと立ち上がる。そうして嫌にすわった視線で「隊長に伝えてきます。みっちりやってください」と一言告げて去っていく。
あまりの勢いに、ニーナが教室にはいないことを伝えそびれてしまった。……が、まあいいか……とウォルターは体勢を直して立ち上がる。教室の入口でデバガメに加わっていたティアリスはようやくウォルターの横に並び、嵐のようにレイフォンが去っていった方を見つめ、ティアリスは手持ちの端末を開いた。
「早いな。結果、もう出てる。……オイ、アイツ……順位ヤバいぞ」
「え、そンなに? ……ゾッとするほど低いな……」
「お前、ちょっと気合い入れておいた方がいいぞ」
「ん~……ああ、そうだな……。端末でそのへんの情報見れたっけか?」
「問題までは開示されてないが、追試のヤツ用にテスト範囲の公開はされてるらしい。ページは……追試対象者じゃないと見れんな」
「まあだよなぁ、オレら見たことないし」
「見る必要もないからな。……お前は二位だ。おれの勝ち」
「あ!? ……マジかよ~~~ホントだ。クッソ~~~今回は勝てると思ってたのに」
「はん、甘いな」
ドヤ、と笑ったティアリスが持ってきていたウォルターの弁当を手渡す。それを受け取りながら、ほんの少し落胆し、ウォルターはティアリスと中庭に向かって移動していった。
それを見送りながら、教室の人間はニーナとウォルターにキャッキャしていたのに、テスト結果を聞いて色々な考えで鼻白んだ。
練武館で硬球を使った練習をしていた最中、扉がノックされた。
扉はリーリンが用意してきていたファイルがぶつかって鳴ったもののようで、リーリンは両手で分厚いファイルを抱えている。
そしてその姿を見て戦慄して萎縮したものがひとり。レイフォン・アルセイフ。その恐怖と畏怖の入り混じった表情に、かつてグレンダンで天剣授受者として剣を振るっていた武芸者たる面影はない。
リーリンはナルキに借りていたらしい問題用紙と教科書を返しつつ、一流の武芸者かと思えるほど鋭い目つきでレイフォンを見……というよりは、おそらく睨むというのが表現するに正しい。
「レイフォン」
「うっ、……リ、リーリン……」
「追試だってね。聞いたわよ」
「う、うん、だから自分で考えて、えと、反省して、んと、頼んだから……あの、その、教師役……」
「へえ……? 誰に?」
その言葉を信用していないとばかりに冷めきった視線がレイフォンを睨む。
リーリンの視線に竦み切ったレイフォンは、震える指先で少し遠くで硬球の上に乗っていたウォルターを指した。
「そ、そこの……そこの」
「そこのって言うな。……まあ、そういうことだ。よろしくな」
怯えきったレイフォンの様子に苦笑しつつリーリンに挨拶すると、レイフォンに向ける冷えた目線は変わらないが、ウォルターが教師役だと聞いてほんの少し和らいだ。
しかしそれも一瞬のことで、リーリンは鋭くレイフォンを見ると冷たい声音で言い放つ。
「……レイフォン……、ウォルターさんに手伝ってもらっても点数が悪かったら、分かってるよね……?」
「う、うぐ……っ! だ、だいじょうぶ、がんばる、がんばるから……!」
「……お前の言い方にずいぶん説得力がないな……。まあ、オレも頑張らせていただきますよ。ほどほどにな」
「レイフォンも大変さね。追試しなくちゃなんねぇなんて……アハハ!」
ウォルターの横の硬球の上で屈んでいたハイアが大きめの声で笑う。
それを憎々しげな視線でレイフォンは睨みつけたが、いつものように言い返すことはしなかった。
そうして翌日、レイフォンとウォルターは時間を擦り合わせ、図書館に併設された自習室で勉強をすることになった。
レイフォンのテスト結果を見ながら、ウォルターは渋く笑う。
「いや~これは、……笑うしかない結果というか」
「……返す言葉もございません……」
正解と不正解を確認し、問題を確認し、正答を確認し。その結果にウォルターは渋く笑い、頬杖を突き、そうして苦笑を零す。
ひとまず状況確認として簡単な抜き打ちテストを出してみたが、やはりというか、散々な状況だった。元々ティアリスとテスト結果は確認していたし、さほど得意ではないのだろうとは考えていたが、しかしこれは予想外だった。
(アハハ、これはちょっと擁護できないよねえ! する気ないけどね~……、ップ、アハハ!)
(楽しそうだなルウ……。お前が楽しそうでオレも嬉しいよ)
「……すみません……」
「まぁまぁ、しょうがないだろ。気にすンな。そのために勉強すンだろ?」
「……そ、……うですけど……」
「じゃあいいだろ。……とりあえずさっき抜き打ちでやった結果出してみろ」
気まずそうな表情でレイフォンは先程ウォルターと行ったテストの解答用紙を出す。パッと見てもバツの多い用紙に、レイフォンは気まずく視線を逸らしていく。
「ほら、目逸らしても変わらねぇぞ。テスト勉強も、お前がテストの問題を覚えていたらその方が早いが……、……まあ覚えてないわな……」
「すみません……」
「想定内だ。……さっき出した問題だがな、一応ここ来る前にザッとお前らの学年のテストの範囲を確認して作った、点数の高い範囲のヤマ問題だ。似た形で変えながら、繰り返しやって覚えるしかない。武芸と一緒だ」
「……が、んばり……ます……!」
「っつーわけで、同じように点数の高い範囲のヤマ問題集を2、3作ってきてある。先にさっき間違えた問題のチェックして……」
今後の流れを確認しつつ、レイフォンに指示を出す。
ひとまず一人でテスト範囲該当部分を確認しだしたレイフォンをしばらく観察し、ウォルターは席を立つ。
図書館の外の廊下に設置された自動販売機に硬貨を入れ、適当なボタンを押す。ガコンと音がしてスチール缶が自販機下部の受け皿に落ちる。もう一つ適当なボタンを押してスチール缶を取ると、学習室に戻る。
ノートの書き出しに苦しみながら唸るレイフォンを見ながら席に座り、端末でレイフォンのテスト範囲を確認する。
「……こ、これ、これ……もう一回見てもいいですか……」
「覚えてるところまでは頑張って書き出せ。見るのはその後だ」
「う、うう……」
やはり唸りながら机に突っ伏しつつノートと睨み合いを続けるレイフォン。それを見守りながら、ウォルターはプルタブを開けた。
「……ここ開けてもいいんですか?」
「この自習室は軽い飲食なら許されてる。ただし本を持ち込んでいない場合に限るが」
「初めて知りました……」
「まずお前使ったことあンの?」
「……、……ないです……」
「ハイ。ほら手が止まってンぞ」
「……もう、もうわかんないです、ギブアップです……!!」
「見事にスカスカだな。……ほら、ジュースでも飲みながらテスト範囲読み返ししろ」
差し出された缶を素直に受け取り口をつける。しゅわっとした炭酸水が喉を通り抜けて、レイフォンは一息吐く。そうして同じように端末でテスト範囲を見ながら缶に口をつけるウォルターに、レイフォンは端末と視線を行き来させた。
あまりに頻繁にチラチラと見られるため、さすがのウォルターも気になって端末から視線を上げる。
「なンだよ?」
「い、いえ……、その、意外で……。だって始まってまだ全然時間経ってないですし……リーリンだったら……うう……」
「自分で言って苦しむなよ。……お前が集中続くンだったらそれでもいいが……お前、無理だろ?」
「無理ですね」
「だろ? だったら適度に休憩をとって勉強をやる方がいい。身につかなければ意味がない。……まあ、オレは誰かと勉強はしないし、ちゃんとお前の身につくかは保証できんが……今回のテストくらいなら問題ないだろ。継続して勉強頑張れよ」
継続して頑張れという言葉にレイフォンは渋く表情を歪めながらも、素直に頷いた。
よほどリーリンの勉強指導は嫌らしい。
レイフォンの態度にくつりと笑い、ウォルターは端末の画面を一度消した。
「そんなにマーフェスの勉強方法、大変なのか?」
「……大変ってもんじゃないですよ……。ツェルニの入学試験の時もそうでしたけど、本当に……。リーリンが僕のために、ってしてくれてるのはよく分かってるんですけど、それはそれこれはこれ問題で……」
レイフォンの言葉には疲労がにじみ出ており、絞り出すような声はやや震えていた。握られたスチール缶はベコッと強い音を立ててへこみ、掴んでいたペンがパキリと不穏な音を立てる。
「全問一発正解できるようになるまで書き取り、読み込み、手と脳に染み込ませろって……、リーリン、自分ができるから他人もできるって絶対思ってるんだ……」
「まあ一理あるな。武芸と同じだろ」
「全然違いますよ! 覚えるばっかりで……この計算問題もわかんないし……ッ!! ……でもやらないわけにはいかないんですよ……本当に僕、ツェルニの入学試験のときにリーリンに死ぬほど勉強見られて地獄見たんですから……」
「天剣授受者が悲鳴上げるたぁ、よっぽどだな。マーフェスを天剣授受者にでも推薦するか?」
「元ですしやめてくださいよ洒落になんないですよ!?」
ちょうど手に取った問題紙を掴んだ手に力が入り、レイフォンはぐしゃりと問題紙を歪ませる。
そのまま深々とため息を吐き出して机に突っ伏したレイフォンは、少しだけ顔の向きを変えてウォルターを見た。
「……というか、あんな強引に頼んですみませんでした……」
「お前にも謝罪しようっていう精神あったンだな……」
「あなたは僕をなんだと? ……人が真面目に話してるのに……」
「はは、悪い悪い。別に嫌だとは思っちゃいない。うまく教えられるかが問題だが」
「僕は……マシです。本当に。マシです」
「そりゃあよかったよ。……ま、お前の場合の勉強は本当に質より量だな。ほら、手が止まってるぜ」
「うっっっぐ」
レイフォンが突っ伏しながら問題紙を睨むように見る。いかんせん覚えが悪いレイフォンは、唸りながら書き出しを行うので手は遅い。ウォルターは気長に待ちながら端末で別のテスト範囲を確認する。
そうしていると、控えめに自習室の扉が開き、「あ、」と声が聞こえた。
「ン? ……ああ、ルファか。どうした」
「……あ……、ぅ、……べ、勉強のお邪魔になりますね、出直します……!」
「あー待て待て、気にすンな。来い来い」
ちょいと手招きをすれば、来訪者であるミュンファは控えめにそろそろとウォルターに歩み寄る。唸り続けるレイフォンに若干緊張した様子で、ミュンファはギュッと両手を握っていた。一際大きく「ゔーん!!」と力強く唸り声を上げたレイフォンを軽快に笑いながら、ウォルターはやや戸惑った様子のままのミュンファに視線を向ける。
「ンで、どうしたよ?」
「え、えと、……ハイアちゃんが、ウォルターさん忙しいでしょうから、買い出しに行くって言ってたんですけど、今日の夕飯をどうしようかとお先にご相談に……。……すみません」
「ああ気にすンな。そうだな、なにが残ってたか……」
ミュンファの言葉に思考を巡らせる。冷蔵庫の中にはなにがあっただろうか。
昨日の夕飯は三人分の朝ご飯にまわれてほとんど残っていない。買い出しが必須なのは確実だが、行きつけの店はなにが安かったか……
(今日はトマトと、ナスと……あと鶏肉……)
(パスタ!)
(あ~パスタ。いいな、トマトパスタにしよう)
『箱』にいるルウと思考で会話をしながら、うんうんと一人で頷くさまは、おそらくミュンファから見たら不思議なものだろう。特に気にすることもなく、ウォルターは手を叩く。
「今日はパスタだ。オレも買い出し行くぜ」
「い、いいんですか? いえ、わたしたちとしてはとても助かりますが……」
「ああ。……アルセイフ、終わるか?」
「……う、うぐ……」
「……今日分終わらないならお前、アパート来るか?」
「……お願いします……」
絞り出された言葉とともに撃沈したレイフォンは、勢いよく端末の上に突っ伏した。
行きつけの店で狙っていたものは購入できた。
育ち盛り三人、うち二人は運動を多くする男。本日の献立は運動部用のガッツリメニューではないが、それなりの量はどうしても必要になる。できる限り安めに多く購入できるのはありがたかった。
ウォルターとハイアは本日の食料と数日分の作り置き用の食料をしっかりと抱え、ミュンファはほどほどの量を持ち、レイフォンは山盛りの宿題を抱えている。
「よしよし、上出来だな」
「なんかウォルター、主夫みたいさね」
「主夫じゃあないが。……まあグレンダンでも散々厨房に立たされてきたからな。グレンダンの人間はわりと料理するヤツ多いんじゃねぇかな」
「そ、そういえば、女子寮のリーリンさん……、すごく節約上手だって、あの、隊長さんが言ってました……」
「へ~。レイフォンの幼馴染? って話だったかさ?」
「ああそうそう。グレンダン、食糧危機もあったからそのへんのせいもあるかもなあ」
ウォルターの言葉に、レイフォンは一瞬考えたように視線を動かしたが、すぐさま持っていた端末に視線を戻した。
現在はウォルターが寝泊まりしているアパートで、アパートの共同スペースに置かれたテーブルに荷物を下ろす。
「いやしかし、追試組は大変さね」
「うるさいですよハイア……」
「しかしホント、ライアもルファも難なくクリアだったな」
「そんな感心されるほどのことじゃないけどさ……。……まあでも基礎は当然さ~、これでも傭兵だから、自律型移動都市のこととかあれこれは知っとかないと、都市を渡り歩くのに普通に不便なのさ~」
「そう言われると理由も納得だな。そりゃそうだ」
何気なく頷くウォルターに、ハイアは得意気な顔で笑ってレイフォンを横目で見た。レイフォンは不機嫌に唇を尖らせて視線を逸らし、ウォルターとハイアが荷物を下ろした位置から離れた位置に抱えていた宿題を下ろす。
山盛りの宿題に手をついて深いため息を吐いたレイフォンを横目にその斜め前に腰掛けると、はん、と無様な元天剣授受者を鼻で笑った。
「ホンット、お前頭悪いさ~」
「お前のその人を小馬鹿にする態度、いま最高に鼻につく」
「文 句 は、追試に受かってから言うといいさぁ~」
「……ハァ~~~……、」
したり顔で笑うハイアに、レイフォンがわざとらしいまでの大きなため息をひとつ吐く。
スー……と大きく息を吸い込んで、強めに鋭い舌打ちをし、トイレの方を指さした。
「……ほんっっっっっっとに腹立つんで。ちょっとそのあたりで消えてもらえますか」
「トイレが事故物件になって困るのはウォルターさ~」
「お前はそこで息絶えるでいいのか?」
「事故物件にはしねぇさ~。学力はおれっちの方が上だからさ~」
「学力と武力は関係ないでしょうが!!」
「お前に戦略っていう頭はないのさ?」
「あ~~~ウォルター、外でハイアぶん殴ってきてもいいですか!!」
「外でやンなら止めやしないぞ」
「許可しちゃうところ、本当ウォルターさ……」
レイフォンが荒く踵を返してどすどすと足音を立ててリビングを出ていく。その後ろを肩を竦めてついていくハイアの背を見送りながら、ウォルターは「飯ができる頃には戻れよ」と声をかけた。
その二人を同じように見送りながら、ミュンファはハラハラとした様子で二人が消えた玄関の方を見つめている。
「……だ、大丈夫でしょうか……」
「まー大丈夫だろ、アルセイフもああ見えて結構楽しンでる節があるからな」
「……そうでしょうか……」
「それに、元天剣授受者だとか同門云々の因縁を置いておいたら、あの二人、張り合いがあってケンカするの楽しいと思うぜ」
「ケ、ケンカはどうかと……、……でも、はい。わかります」
「だろ?」
楽しそうにウォルターが笑うと、ミュンファもつられたように表情を緩める。
沸かした湯に乾燥麺を入れてタイマーを付ける。
下準備の済んだトマトとナスを熱したフライパンへ放り込む。適量の水をいれ、調味料をいれてさらに火を加えれば、調味料とトマトの香りが漂う。味を整えて簡単に味見をし、よし、と頷いた。
ちょうどタイマーが鳴り、麺をフライパンに入れてソースと絡ませる。そうして皿に盛り付けつつ、ウォルターは玄関の方へと視線を向けた。
「さて、あの二人はまだ外でド突きあってンのか?」
「戻ってきて……ないですね……」
「だよなぁ。しょうがねぇ、オレ呼んでくるわ。他の配膳頼んでいいか」
「はい、大丈夫です。よ、よろしくお願い……します」
ミュンファの柔らかい笑みをほんの少し気まずく思いながら、ウォルターはエプロンを外した。
「ぐ、ぐう……」
夕飯が終わり、テーブルに広がっていた皿はきれいに片付けられ、現在は問題用紙と解答用紙が広がっている。
端末を睨むように見ながら、解答用紙にペン先をねじ込みながら問題を解くレイフォンに対し、至ってケロリとした顔で解答するのは、ウォルターではなくハイアだった。
「だ~から。ここの問題文にほぼ答え書いてあるのさ。ここと、ここと、ここ。この文言つなげてちょっといじれば、答えになるのさ~」
「その『いじれば』がわかんないんだって……!」
「そういうのはアレさ、頭ん中で関連付けしとくのさ~。計算問題でもないんだから、それくらいでしかこういうのは方法がねぇさね」
「それが出来たら苦労してないんだってば……!」
問題用紙をペンでつつくハイアが、頭を派手に掻きながら「こりゃあ」と零す。
「強敵さね。おたく老生何期さ?」
「ムッカつく!!!」
「ハハハ」
「笑ってる場合じゃねぇさ、ウォルター。これマジで気合入れねぇと終わんねぇさ~。つか、終わっても頭に入んねぇって」
「そりゃヤバいな。アルセイフがマーフェスに一捻りされちまう」
「ギュッと強めに一捻り」
「やっぱりマーフェスを天剣に推薦するしかねぇな」
「やめてください!! 僕が死にます!!」
「ハイハイ。……ン、ここ間違ってンぞ」
「うわ――ッ!!」
ウォルターの軽い指摘に、レイフォンが机に突っ伏した。手が空いていたミュンファが入れてくれたカフェオレに口をつけながら、ウォルターは苦笑する。
「お前、ここ前も間違えてたな」
「これ苦手だ……! 錬金鋼関連の計算式……!」
「サットンが泣くぞ」
「だって全然わかんないんですもん……! 自分のは多少理解してますけど、こういう問題になるともう全然……」
図面を睨みつけながら唸るレイフォン。汚染獣戦のときの方が緩い顔つきしてる気がするな……と思いながらウォルターは食料と一緒に買ってきた菓子をレイフォンに差し出しながら自分も口に運ぶ。
「ほらよ、糖分でも摂取しろ」
「ううう……いただきます……」
「それでさっきの問題だが。いいか、ここが負荷のかかるところで……」
「えと、……それでこの負荷の値だから、剄量がこの場合、ええと……」
「……こんな調子で大丈夫なのさ……?」
ハイアが心底面倒くさそうにため息を吐く。頬杖をついてコーヒーに口をつけるハイアに、レイフォンはこれまた心底嫌そうな顔をしたが、しかし言い返すことも出来ず黙って視線を問題用紙に戻した。
別の日、自習室。自習室にはレイフォンとウォルター以外に、ミィフィとナルキ、リーリンやフェリといった面々も揃い、各々勉強をしたり教えたりしていた。
レイフォンとウォルターは少し離れた位置に座っていたが、時折リーリンが鋭い視線でこちらを射抜くこと、フェリがギコギコと動きの悪い機械のように動きながらこちらに来る以外は、なんら変わったことはない。
「どうしたロス妹」
「……いいえ。ただ見に来ただけです」
「お前が見てもつまらんと思うけどな。……アルセイフ、」
「んぐぐ……」
「それはイオ先輩ではなくわたしが判断しますので心配ご無用です」
「左様で」
くつりと笑いながら返すと、唸っていたレイフォンがぶるぶると震えながら手をあげた。
「ウォルター……これ……これは……」
「それは今日の朝にも同じ問題出てきたから、お前の答え出るまでノータッチ」
「ぐうう……」
「……わりと厳しくないんですね」
「ああ、厳しくするのは簡単だが、その前に基礎がな……」
「なんと」
「ははっ、“なんと”ってなンだよ」
「……ウォルター……これ、あってますか……」
「ん? ……おお、正解。よくできました」
「っよし……!」
「本当に武芸ンときよりも嬉しそうだなお前。……ンじゃ、休憩な」
ウォルターがぐしゃぐしゃとレイフォンの頭を撫でる。いつものようにその手を弾くまでの元気もなく、レイフォンはテーブルに突っ伏した。そんなレイフォンの横で、フェリはレイフォンが使っていた問題用紙と解答用紙をジッと眺めている。
「もうやりたくない……」
「正解できるようになってきたんだから、続けて頑張れ。マルバツ問題はもう網羅したしな、あとは回数こなして覚えるだけだ。特に計算問題な」
「……そうですけど……、……やっぱり回数か……」
「当たり前だろ。お前の武芸もそういうモンだろ?」
「そこ挙げられるとなにも言えないんですけど……」
ため息を吐きながら顔を上げたレイフォンが「ひぇっ……」と情けない声をこぼした。一瞬なんだと思いはしたが、おおかたリーリンがものすごい形相でこちらを見ていたのだろうと見当をつけ、ウォルターは苦笑した。
自習室の外にある自動販売機で商品を購入していると、ガタン! と、自習室から物の倒れる音が聞こえた。続いてレイフォンの大きな声も。
自販機で買ったスチール缶を持ち上げて、ウォルターはルウに問いかける。
(……なにがあったか分かるか?)
(これと言って危険は。レイフォン・アルセイフとリーリン・マーフェスがケンカしてるくらい)
(アイツらも懲りないな……)
呆れながら息を吐き、缶を手に自習室に戻る。椅子が倒れ、床には問題用紙や解答用紙が散らばっていて、画面がついたままだった端末はスリープモードに入る。フェリやナルキ、ミィフィは困ったような表情で二人を見るばかりで、ウォルターは襟髪を触った。
「なンだ急に。派手だな」
「……っぼ、く、ちょっと外出てきます……」
「これ持ってけ」
「……どうも……」
ウォルターが投げ渡した缶をレイフォンは力なくキャッチして自習室から出る。そのタイミングで自習室に入ってこようとしたハイアと激突したが、顔をしかめたハイアには目もくれず、ふらふらと頼りない足取りで通り過ぎていった。そのさらに横をすり抜けて、フェリが後を追った。
その背を見送ったあと、ハイアが自習室の状況を見、ウォルターに視線を向ける。
「……なんさ? この状況」
「なンか爆発したらしい。ちょうどいい、用紙拾うの手伝え」
指示に従い素直に用紙を拾い出すハイアを横目に、ウォルターも床に落ちた用紙を拾い上げる。同じように用紙を拾い集めたリーリンに軽く視線を向けて、口を開く。
「またケンカか?」
「ケンカと言うほどでは」
「まあそうかもな」
拗ねたような、不服なような。リーリンはそっけない口調でウォルターに言葉を返してきた。
そんなリーリンの様子を見ながら、ウォルターは少し逡巡する。思いついた言葉をすぐさま言おうとして、少し思い直す。これでいつもトラブルになる、そう思って言葉を整え直す。
「……オレが言えた話じゃないかもしれんが。ちっとばかり構いすぎだぞ。思春期の息子に構い倒す母親みたいだ」
用紙を拾っていたリーリンの手がピタリと止まる。心外だとばかりに、整えられた前髪の向こうから鋭い視線がこちらを睨みつけて……そしてなにかを考えたように逸らされた。
呼吸を数回挟んで、リーリンが口を開く。
「本当にウォルターさんが言えた話ではないですね」
「確かにな。大ブーメランだ」
「……そもそも、きちんとレイフォンがやっていなかったことですから」
「そりゃそうだ。……けど、それをいつまでもマーフェスが監督しなくちゃいけない理由はないだろ?」
ウォルターの言葉に、再びリーリンの手が止まる。ピリリとした緊張感がウォルターとリーリンの間に流れ、周囲の人間の方が戸惑って言葉を詰まらせている。
その空気を割ったのは、ウォルターの指示に従って用紙を拾っていたハイアだった。
「ま、ここはグレンダンじゃないし、それもそうさね」
「縁が切れるとまでは言わんが、アイツ、放逐済みだし、ツェルニの学生だし。そういうところ考えたら、……あ~でも、家族ってそういうもん……か?」
「えっ、おれっちに聞くのさ? ……さあ……おれっちもそういう絵に描いたような家庭にはいたことないしわかんないさ~」
問いを投げられたハイアは、ミュンが相手だったら……うーん、するか? しないかも、どうだろう、するかも……? いやでもな……、と隣で悩んでいる。
ウォルターだったら……ルウのことを見守りはしても、ここまで関わらないと……おそらく、たぶん、きっと、ここまでは関わらない。自信はない。
「……わたしたち、は……ずっと家族です。だからこそ、手を貸したいと思う気持ちは、変わりません」
「だったらもう少しやり方を考えないとな。誰にでも得手不得手はある。……少しアルセイフに合わせてやったらどうだ?」
「それで結果が出なくちゃ意味がありませんから」
「言いたいことは分かるが……、……自分にできるから他人もできるなンてことはないぜ」
肩を竦めて見せたウォルターに、リーリンはそれ以上言わなかった。
しかし、どこか侮辱されたと言いたげな視線でウォルターを鋭い視線で睨みつけ、集めた用紙をテーブルに置くと、足早に退室していった。
その背を苦く笑って見送りながら、ウォルターも集めた用紙をテーブルに戻す。ハイアも同様に用紙をテーブルに置くと、ちらりと横目でウォルターに視線を送った。
「たぶん……言ってること正しいんだけど。かなりザックリ言ったさね」
「……これでもかなりマイルドにしたつもりだったンだが……」
「どストレートに言ってたらどうなってたのさ……。……ま、おれっちは別にいいけど」
ハイアが苦笑して見せると、ウォルターも苦笑を返す。
事実、ハイアとしてはどちらでもよかった。
レイフォンのことは……同じサイハーデン刀争術を扱う武門の人間としては無様な姿を晒してほしくなかった。そうでなければ、レイフォンのことなどは、ハイアにとって心底どうでもよかった。
ウォルターがレイフォンを気にかけているのは知っている。だから今回、レイフォンを手伝った。廃都市から帰ってきて夏季帯に入ってから、ウォルターの対応がずいぶんとやわらかくなったと思った。
元々、なんだかんだ面倒見が良くて優しい人だから、輪をかけて面倒見がよくなっていて……レイフォンのことが必要以上に負担にならないよう、ハイアも手伝えることは手伝った。それだけだった。
だからレイフォンのことはどちらだってよかった。
「ウォルター先輩、リーちゃん怒ってましたけど……」
「ン? ああ、そうだな。まあそういうこともあるだろ」
「そ、そうですか……?」
ミィフィとナルキが渋い顔をしてお互い顔を見合わせた。ハイアもほんの少し渋い顔をして笑う。
少ししてリーリンが戻り、フェリとレイフォンも戻ってくる。リーリンは少し落ち着いた様子だったが、フェリとレイフォンはどこか落ち着かないような、微妙に気まずそうな雰囲気でウォルターの方へやってきた。
「……どうした?」
「な、ななな、なんでも、なんでもないです」
「それにしては挙動が不自然過ぎるけどさ……」
「ほっといてください。テスト勉強やりましょう。そうしましょう」
「……そうだな。まあ意欲的でなによりだ」
やはり挙動のおかしいレイフォンは椅子に腰掛け、ウォルターから受け取ったままの缶を両手で転がして持て余す。そうしてため息を吐いてやや項垂れた。
遅れてウォルターたちの方に来たフェリは、問題用紙と解答用紙を広げ直すレイフォンを少しだけ見ながら、ウォルターに視線を戻す。ポケットに入れていたらしい紙をそっと取り出して広げ、ウォルターに差し出した。
「ン?」
「イオ先輩。……こちら、見ていただけますか」
渡されたものは問題用紙と解答用紙。フェリの名前が書いてあるところから、フェリの解答用紙だということは察するに容易かった。聞きたいことはあったが、とりあえず黙々と解答用紙に目を通し、問題と解答を照らし合わせて顔を上げた。
「いつも通りって感じだが、これがどうかしたのか」
「……いつも通りとは」
「んん? ……いつも通り満点って感じだが、なンか分からなかった問題でもあったのか?」
「……いいえ。なんでもありません」
首を傾げたままのウォルターから用紙を受け取り、フェリは至って満足そうに隣の椅子に腰掛けた。
一体なにが目的だったんだ……と思いながらも、ここでそれを問おうものなら、おそらくものすごい形相で睨みつけられ、挙句脛を蹴られるだろうと思って沈黙する。不必要なことは言うまい。
満足そうなフェリは、ウォルターが買ってきていた缶のプルタブを開けようとして……苦戦し、スッとウォルターに差し出して来る。
「……イオ先輩、開けてください」
「ほらよ」
「ありがとうございます」
「……はは……僕も飲もうかな」
そう言ってレイフォンが持っていた缶のプルタブに指をかけ、グッと力を入れて開けた、瞬間。
ぶしゅっ。
プルタブが開けられた途端、噴き出す内容物。レイフォンの顔面を直撃し、しゅわわわ……と音を立てて泡が立ち、飛び散ったそれが問題用紙と解答用紙を濡らし、濃い染みをじわじわと広げていく。
「……炭酸飲料だったの忘れてたわ」
「……ウォルターッ!!」
「わり」
「あなたって人は! あなたって人は!!」
「あ~あ、ちゃんと確認しねぇからそうなるのさ~」
ハハハ、と軽快に笑ったウォルターに怒りながらレイフォンが必死の片付けを初め、これ以上被害を広げまいと奮闘する。頬杖をついてそれを鼻で笑いながら息を吐き、ハイアも缶のプルタブに指をかけた。ウォルターはやはり軽快に笑いながらレイフォンを手伝うために立ち上がった。
後日行われたテスト結果は合格。
レイフォンの結果は点数的にはかなり良かったらしく、張り出された補習結果の紙を見上げたレイフォンは、結構複雑な気持ちだったらしい。
学習室でジュースをぶちまけ、飲食全面禁止のお叱りを受けるなど。