ウォルターの様子がおかしい。
いや、おかしいというのはおそらく違う。いままでより……そう、柔らかくなった、というのが、とても正しいとレイフォンは思った。
今日は十七小隊での訓練だ。ニーナは別件で少し遅れると連絡を受けているため、それぞれ準備運動をしたりと練武館の中で好きに活動している。ウォルターも一通りの準備運動を済ませ、自身の錬金鋼を復元して調整をしているようだった。
「ウォルターッ!」
「ぐっ。……ライア、なんでそんなにテンションが高いンだよ……」
「久々に訓練に参加できて嬉しいからさ~! ウォルター、この後の自由時間手合わせしてほしいさ~!」
ウォルターの背後からタックルのように飛びついたハイアが、ご機嫌そうに笑っていた。
「手合わせぇ? 先日もしたろ」
「でも錬金鋼は使っちゃダメって話だったし、素手はおれっちの得意分野じゃない。刀術を錆びさせたくねぇし、錬金鋼使って手合わせしたいのさ~」
「体術も鍛えておけよ」
「それは分かってるけどさ~」
わちゃわちゃと会話をしながら、ウォルターが腰に手を当てて開いた脇の横の隙間に、ハイアが頭を入れてウォルターを見上げるように顔を覗かせる。それにほんの少し困った様子を見せながらウォルターは視線を動かしてミュンファを見たが、ご機嫌なハイアをミュンファはフェリやナルキたちと会話しながら見守っており、いつものこともあってか、咎める様子はない。
軽く息を吐く。
「ウォルター……」
じぃっと視線がウォルターを見上げている。
息を吐き出しながら少しだけ笑って、ウォルターはハイアの頭をぐしゃりと撫でた。
「ああ、いいぜ。アントークもまだ来なさそうだし……、いまから手合わせするか?」
そう言って視線を向けると、ハイアは瞠目する。しばし硬直したかと思うと、ススス……とウォルターの脇から頭を引っ込め、背中から離れ、ススス……とさらに遠ざかる。
「ヴッッッ」
胸を押さえ、バダァンと大きな音を立てて練武館の床に倒れ込んだハイア。
さすがに動揺するウォルター、状況を見守っていて「あーあ」な表情のレイフォンたち。
「お、おい……、どうした? 大丈夫か?」
「……っか、……こ、……」
「あン? なンだって?」
「ウォルター、そこに転がった人間は気にしなくていいです。いまはなにやっても死ぬので」
「死ぬのか……」
「死にます」
コクリと頷いたレイフォンに、ウォルターはかわいそうなものを見るような目でハイアを見て軽く手を合わせる。
練武館の床に崩れ落ちたままのハイアに、手を合わせたままのウォルターの真似をしてレイフォンも手をあわせる。床の方から「あとで覚えておくさ……」と絞り出すような声が聞こえたが、レイフォンはしれっと聞き流した。
「あっ、ウォルター!」
「……アントーク? どうした」
「す、すまない! この道具を運びいれたかったのだが、どうも量が多くて……手を貸してくれないか」
「ああ、いいぜ」
すっと立ち上がったウォルターがニーナの方へと移動する。
練武館の入口の向こうで突っかかっていたニーナの状況を確認したウォルターは、息を吐いてレイフォンに視線を向けた。
「アルセイフ、お前も手を貸してくれ」
「あっ、は、はい!」
出た。
レイフォンは素直に返事をしながら思った。
あの廃都市から帰ってきてからたびたび、こうしてウォルターはレイフォンを呼んだりする。
呼ぶ相手はレイフォンだったり、ハイアだったり、時にはニーナ、フェリ、シャーニッドであることもある。ダルシェナやナルキは呼ばれたことはなさそうだが、おそらくウォルターと関わり始めて日が浅いからだろうとレイフォンたちは考えている。その真意はわからない。呼ぶようになった真意も、その相手を定めている真意も。
レイフォンも練武館の入口へ移動し、入口の向こうに置かれていた箱を視認する。五つあったうちの二つを指示され、持ち上げる。ウォルターは残りの三つを持ち上げる。
「わ、わたしも持つぞ。そもそも持ってきたのはわたしだ」
「いやいいよ、すぐそこまでだろ」
「隊長、この荷物ベンチの方へ移動させればいいですか?」
「ああ……頼む」
レイフォンとウォルターはニーナが持ってきた箱をベンチのそばに下ろす。
ようやく床から起き上がったハイアが箱の中を確認し、レイフォンとウォルターと一緒に話をする。
三人が固まったところを見ながら、ニーナは自分のもとに寄ってきたシャーニッドに目を向けた。
「どう思うよ、ニーナ? ウォルターのこと」
「どうした、急に。珍しいな」
「そりゃ、一応この小隊の最年長だからな。隊長の率直な意見を聞いてみようかと」
「……わたしは、……いい傾向だと思うが……お前はそうではないのか?」
「いいや? ……超いい傾向だと思ってる」
「なんでそんな含みのある聞き方をするんだ……」
「おい、アントーク。これどこに配置するンだ」
ウォルターに声をかけられ、ニーナはシャーニッドとの話を切り上げてウォルターたちの元へ向かう。
その嬉しそうな背中を見ながら、シャーニッドは腕を組んで満足に笑った。
「な、なあウォルター……、……一緒に食事に行かないか!?」
十七小隊の面々がギョッと目を剥いてニーナとウォルターを交互に見る。
しかし、唐突なニーナの言葉に一番動揺したのはウォルターの中にある『箱』にいたルウだった。
(……コイツなに言ってるの? 消す? 消す?)
(こらこら。なンか話一個ぶっ飛ばしてンだよ、どうせ)
「唐突だな。またなンで」
「い、いや、すまない。っ今日の訓練も終了したし、食事に行かないか!?」
「また中間がすっ飛んでンぞ」
「しょ、小隊として……し、親睦会だ。どうだ!?」
「……唐突だな……」
ウォルターは苦笑する。
この提案をすることに緊張しすぎていたらしいニーナは、苦笑したウォルターが提案を嫌に思ったのだと思い、慌てて弁明しようとした。
「す、すまない。その、一対一ではない! 決して! なっ! レイフォン!」
「あ、は、はあ」
「なッ! フェリ!」
「帰ります」
「フェ――リィィ――!!! 待て待て待て、どうだ!? ここらで親睦を深めては!?」
「……、……そこまで言うならいいでしょう。……ただし、明日から三日間、訓練は体調が悪く出られません」
「たッ、……体調が悪いなら……ッ、仕方ないな……!!」
「いいのかぁ隊長、フェリちゃんしたり顔だぜ」
「フェリ――!!」
「……もうわたしの体調が……」
「わかった! それでも構わん!! シャーニッドお前も来い!!」
「おれもかよ!? 見境ねぇな隊長!」
「口の聞き方に気をつけろ!? 誤解を招くだろう!!」
「隊長も必死過ぎてます!! 落ち着いてください!!」
大騒ぎをする面々にウォルターはため息交じりに苦笑する。
ニーナの指名がダルシェナに及んだところを見ながら、ハイアは隣りにいるミュンファに視線を向けた。
「この流れ、たぶんおれっちたちも呼ばれそうだけど、ミュンどうする?」
「……わ、わたしは……お誘いがあるなら参加しようかなあって……」
「ふーん。ミュンが行くならおれっちも参加しておくか……、……ウォルターは? 参加するさ?」
「……ああまあ、真っ先のご指名だしな。参加しといてやンよ」
そうしてひとしきり話の区切りがついたところで、ナルキが気づく。
「……親睦会はいいのですが、開催場所の予約などは?」
その言葉に全員が確かに、という顔でニーナを見る。
視線が集まったニーナはというと、少し考えた様子を見せたものの、スルリと視線を逸らし、小さく「すまない」とだけ言った。
結局開催場所はウォルターの居住区であり、ハイアとミュンファが居候しているアパートになった。
そもそも外縁部に近くあたりが倉庫街のため人気がなく、ハイアとミュンファが居候になるまではウォルターひとりしか住んでいないアパートで、最低限の手入れはされているものの寂れている。
ちょうど錬金鋼のメンテナンスに訪れたハーレイも加え、都市の中心にある店で食材を買い込み、分担して荷物を持つ。電車にほどほどに揺られ、そうしてたどり着いた駅からほどほどに歩き、ようやくたどり着いたアパートの共同スペースに荷物を下ろし、ウォルターは袖を捲った。
「さて、オレが作るでいいか」
「ま、待て待て。それはダメだ。全員で作ろう。最近はわたしも寮でリーリンの手伝いもしているしな」
「そうです。わたしも最低限ですが料理はしていますから」
レイフォン、シャーニッド、ウォルターといった、二人の料理の腕前を知っている面々は露骨に「どの口が……」という顔をしてしまったが、意気揚々とキッチンに乗り込もうとするニーナとフェリはそれに気づいていなかった。三人は顔を見合わせ、沈黙する。いずれにせよ、このまま二人に料理をさせればなにが出てくるかわからない。最悪死人が出る。
ふむ、と顎を摘んで考えたウォルターは、ニーナとフェリの行く手を軽く阻み、ササッとテーブル側へ誘導すると、購入した荷物の中からサラダ用の山盛りレタスと山盛りトマトを取り出し、二人に渡した。
「アントークはトマトの水洗いとヘタ取り。ロスはレタス洗って、千切り作業な。二人とも終わったら皿に盛り付け。トッピングはやる前にオレを呼べ。いいな」
「ああ、任せろ!」
「仕方ありませんね」
「なンでそンな自信満々なンだこの二人は……。よし、アルセイフ、ライア、あとルファもキッチン手伝え。エリプトン……先輩と、マテルナ先輩は皿の配膳をお願いします」
「わ、わたしたちはなにをすればいいですか?」
指示を受けなかったナルキとハーレイがウォルターに視線を向ける。
ああ、と軽く頷き、ウォルターは「重要な任務だ」と言ってニーナとフェリを指す。
「二人の監督官だ」
「む、無理だよ!! 僕がニーナを制御できるとでも!?」
「してくれサットン。オレはこのアパートをアントークの寮と同じ目に遭わせるわけにはいかねぇンだ……」
「なんでちょっと突き放すの!? てかニーナ女子寮でなにしたの!!」
「……そういえば、なんか破壊事故みたいな噂は流れてましたね……」
真剣にレタスをちぎるフェリ、トマトのヘタを取りながらハーレイとやり取りをするニーナを横目に、ウォルターはキッチン部隊に呼んだ三人に視線を向けた。
「いいか、アイツらが野菜に時間をかけてる間が勝負だ。アイツらをキッチンに踏み込ませるな」
「りょ、了解さ……」
「フェリと隊長が包丁を持つと血を見ますからね……」
「なんでそんな事態になるのさあの人ら……」
「あんまり得意じゃない……のかな……?」
「得意じゃないってレベルじゃないから、マイルドに言おうと努力しなくていいぜ。……ともかく、キッチン側の任務はあのじゃじゃ馬二人がオレたち側の作業をやるとか言ってこっちに乗り込んでくる前に料理を完成させること。人数も食う量も多いから、作る量が段違いだ。手早く決めるぞ」
「ハイ。これに関してはもちろん了承します」
「……ホントなんなのさ……」
呆れ返ったハイアが渡されたエプロンを着ながら、真剣な表情で野菜を相手するニーナとフェリの、まだ見ぬ料理スキルに遠い目をした。
ということで、ひとまずすべての料理が完成し、テーブルにはところ狭しと出来立ての料理が並んでいる。
当然といえば当然だったが、ニーナとフェリの仕事量はキッチン側の半分もなかったため、時折侵攻を受けそうになりながらも、文明の利器を使った野菜への対処を頼んだり、ひたすら混ぜるだけの作業を頼んだり、火加減を見る仕事を頼んだりしてある程度事なきを得た。
「しかしあの道具は便利だな! 玉ねぎがあんなに一気にみじん切りになるとは! いいものがあるな」
「ああ、便利だよ。まさか勢いのつけすぎで紐を引きちぎるとは思わなかったが。オレが『おやさいきざんじゃう君』の予備を購入していてよかったな」
「す、すまなかった……」
「途中、ウォルターが物置の方に潜り込んでいくからなにかと思ってビビったさ~。まさか奥から据え置き型の電動ブレンダーが出てくるとも思わなかったけどさ……」
「昔なンかの特典でもらったンだよなぁ、あれ。オレひとりじゃ量作らないからってしまい込ンでたンだが、いや~思い出してよかった~~~」
「いやマジよく思い出したな、お前。アレなかったら色々ヤバかったと思うぜ、おれも」
「あとミンチ肉を練るのは楽しいな!」
「ある程度肉の形状がわかるくらいでいいって言ったのに、練りすぎて粘土みたいになってたけどな」
「た、楽しすぎてな……すまん……」
「で、でもほら、おかげでふわふわなハンバーグになりましたよ。隊長のミンチ練りも様になってましたし……」
「レイフォン、そうやって甘やかすから隊長がつけあがるのです。言うべきことはきちんと言うべきです。やりすぎだと」
「そういうロスはサラダのトッピングのチーズ、山盛りにしたけどな」
「……チーズは多くても困りません」
「いや困るだろ。トッピングする前に呼べって言ったのに……もさもさだぞオレ用のサラダ。絶対一番もさもさにしたヤツ回して来ただろ」
「避けなさい」
「そンな……」
「いやウォルターの器のチーズ本当に多いね。チーズで出来た養殖湖みたいじゃん」
「もさもさする」
「避けなさい」
「まだ言う……」
フェリにあしらわれ、ウォルターは苦笑いを浮かべながらサラダにフォークを刺した。
――――本当に、なんだか……やわらかくなったな……
レイフォンはなんだか、嬉しさとむず痒さもありながらしみじみとそう思った。
戻ってきてすぐはそうでもなかった。いつもの適当な感じに戻ったな、と思っていたくらいだった。しかし、このところ……そう、特に夏季帯に入ったこの頃、レイフォンたちへの対応が全体的にやわらかくなってきているのだった。
少し前、ツェルニであった学力テストのときも、なんだかんだとレイフォンの勉強を見て、食事を提供してくれた。
あの廃都市以前のウォルターでも、おそらく勉強を教えてくれはしただろうが、あれほどていねいに面倒を見てもらえたか、と考えると……そうでもないだろうな、とレイフォンは思う。
嬉しいことだ。レイフォンにとっても。
ウォルターがやわらかくてやさしいのはどこか調子が狂うけれど、それを素直に言う気にはあまりなれないけれど……それでも、嬉しいのは事実だ。
そう思いながら穏やかに笑い、レイフォンは自分の皿の上に乗ったにんじんをソッとウォルターの皿に移した。
「オイ食えよにんじんを。しっかりバターで焼いてあるし、そんなに嫌な感じはねぇと思うが」
「嫌なものは嫌なもので」
「お前、マーフェスが今日いなくてよかったな」
「いないのでやってます」
「確信犯かよ。……ほーらにんじんだぞ口開けろ」
「やめてくださいシレッと犬猫にするみたいに僕に食べさせようとするのは」
「うまいのに……」
「味覚は人それぞれでしょうが」
「一生懸命作ったのに……」
「それ焼いたのハイアですよ」
「ライアが一生懸命作ったのに」
「取ってつけたように言葉を足さないでください。ハイアのその努力は心底どうでもいいです」
「ひっでぇ話さ~。ウォルター、おれっちがもらうさ」
「はいよ」
「うんうん、さ~すがおれっち! 焼くのうまいさ~」
「そこの席の人うるさいですね」
わざとらしくニコニコして見せるハイアを尻目に大きめのため息を吐きながら、レイフォンは切り分けたハンバーグを噛みしめる。じゅわっとあふれる肉汁が口いっぱいに広がるが、脂のくどさはない。加えてウォルターが作った、あっさりとしたソースが口の中をさっぱりとさせてくれる。
ハンバーグの出来に舌鼓を打ちながら、ウォルターを横目で見た。
隣でレイフォンと同じように食事をしているウォルターは、ニーナやハーレイの話を聞いたり、シャーニッドにからかわれたり、言い返したりして穏やかに話を進めている。
それを横目で見ながら、なんだかじんわり嬉しくなってしまって……レイフォンは付け合せのハンバークと一緒に炒められた玉ねぎを噛んだ。
「なあやっぱり養殖湖に行こうぜ!? 夏季帯が終わるまでには絶対行っておくべきだろ」
「絶対に嫌です。死ぬので」
「……オレも同意」
「シャーニッド、行くとしても水泳訓練だぞ。養殖湖では普段できない訓練ができる。その時間を有効活用するために……」
「固ぇ、固ぇよニーナ! いいかあんなむさ苦しい練武館なんぞにおれたちの貴重な青春を押し込めていいと思うのか!? 答えは否!!」
「格好つけている場合か!?」
「ろくでもなさ過ぎるな……」
「こんな訓練ばかりの夏なんか送っていいわけねーだろ! 普通に考えて! 青春を謳歌してこそ学生の夏だろうが!」
「シャーニッド先輩、なんでそうそのあたりに命かけちゃうんでしょうね……」
「まあたぶん、一番……学生っぽい? って言っていいかもしんないさ~……」
「青い空! 青い海! 輝く太陽! そして始まるひと夏の思い出!! それこそ青春の夏だろうが!」
「……最低だな、シャーニッド」
「待て待てシェーナ!? そんな冷めた目するか普通!?」
「するだろ普通に考えて」
「返ってきちまった~~~!!」
しまった~と言わんばかりに額に手を当てたシャーニッドを、ダルシェナとニーナ、フェリ、ナルキと言った面々が白けた表情で睨むように見ている。
ウォルターもハイアもどこか白けた視線で見ていて、四方が敵で埋められたシャーニッドは味方がいないと嘆く。
この人は本当に変わらないな、と思いながら、レイフォンは自分の皿を見下ろして――なぜか先程排除したはずのにんじんが舞い戻っていることに気づき、大きなため息をこぼした。
この後レイフォンは少し嫌そうな顔をしてにんじんを食べ、その皿へにんじんを入れたウォルターはコーンスープに手をつけてほくそ笑む