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夕暮れは少し前に終わって、今は紫色の空が徐々に夜の闇へと変わっていく時間帯。
台風一過の今日は正面海域に雲一つなく、透き通った夜空に星が散らばっている。
そんな空模様の下の落ち着いた海原に、6人の艦娘がウェーキを刻んでいた。
第1航空戦隊の赤城、加賀。
第2航空戦隊の飛龍、蒼龍。
そして護衛とトンボ釣りを兼ねた第11駆逐隊の第2小隊。吹雪、初雪。
小規模の空母機動部隊と言ってよい編成だ。
「任務完了。艦載機の帰還を待って、鎮守府に帰投します」
深海の機動部隊を撃滅して赤城がそう告げたのは、今しがたのこと。
薄暮攻撃を仕掛けたせいで艦載機の収容がこんな時間になってしまった。
薄暮攻撃というのは、文字通り夕暮に合わせて仕掛ける攻撃のこと。
夜戦になる直前ギリギリまで航空攻撃を我慢して、敵の意識が夜戦に向いたところへ乾坤一擲の戦爆連合を叩き付けたのである。
結果はS勝利。
1、2航戦から発艦した直掩を除く248機は、首尾良く深海棲艦を水底に送り返した。
「んー! つっかれたぁー!」
飛龍がぐっと伸びをすると、山吹色の着物に包まれた双丘がぷるりと揺れた。
奇襲のために大急ぎで発艦させたものだから、胸筋と背筋の酷使が尋常でない。
毎日の猛訓練を欠かさない赤城も、明日は筋肉痛かな、という予感を覚えるほどだ。
「あはは。私はお腹すいちゃって」
2航戦の常盤色の方こと蒼龍が、お腹をくぅと鳴らしてちょっと恥ずかしげに身体を縮こまらせる。
飛龍の双丘よりも大きい双子山が、むにむにと自己主張した。
陰で九九式艦上爆乳とも言われる立派なものだ。
たしか赤城の記憶では、名づけたのは飛龍だったような。
「むむむむむ。他のどんなことでも蒼龍に負けるつもりは無いけれど、ここだけは敵う気がしないなぁ。やっぱり食べるのが秘訣なの?」
「知らないわよ、そんなの……って、ちょっと! あんまり揺らすと着艦に支障が出るからやめてよね!」
じゃれ付く飛龍、逃げ回る蒼龍。
左右の推進を逆にして前進しながら超信地旋回をしてみたり、逆進しながら軸だけずらすように側転してみたり、波を使ってバク宙してみたりと、無駄に高等テクニックを使った鬼ごっこが展開されている。
赤城でもなかなかやろうとは思わないテクニックの連発は、さすが2航戦だ。
一見すると惚けているようだが、その実力は1航戦に匹敵する。
駆逐艦の2人が目を丸くして驚き「すっごい……」などと呟いていた。
とはいえ。
「二人とも、はしゃぎすぎです。まだ作戦は終わったわけではありません」
そう。
遠足だって帰るまでが遠足なのだ。
ならば艦娘の出撃も、帰投するまでが出撃というものだ。
加賀の注意は正論だった……ちょっと言い方がきついような気もするけれど、長い付き合いの2航戦はその辺りのことも解ってくれる筈。
「「はーい、すみませーん!」」
むしろ解りすぎていて、調子が軽かった。
まったくもう、と呆れる加賀。
けれど良く見ると鉄面皮に微笑が浮かんでいることから、加賀もあの2人のどこかお調子者なノリは嫌いではないらしい。
「……? 赤城さん? 私の顔に何かついていて?」
「可愛らしい目と鼻と口が」
「っ!? からかうのは止めてください」
そっぽを向いてしまった加賀は、多分、口を尖らせ顔を真っ赤にしていることだろう。
冷静沈着に見えて実は感情の起伏が激しい友人なのだ、この元戦艦は。
ふふと思わず笑いを零してしまうと、それが聞こえたのか加賀がこちらを振り返って拗ねたような顔を見せる。
「頭にきました。あんまりからかうようなら、いくら赤城さんでもご飯を抜きにします」
「それは困ります」
赤城は慌てた。
こんな時間な上に戦闘の後なものだから、赤城だってお腹が空いているのだ。
それに今日は昼過ぎから出撃で3時のおやつだって食べ損ねている。
その上さらに、今日は加賀の得意料理をご馳走してもらえることになっているのだ。
「謝りますから、ね?」
「はぁ、仕方ありません。許してあげます」
「やりました」
「また! 赤城さん!?」
「ふふふ、さぁ皆さん、早く帰ってご飯にしましょう!」
ただでさえ高い体温を興奮で更に上げた加賀を放って、赤城は船足を上げる。
説教でもするつもりなのか追いすがってくるが、ちょっとだけ赤城の方が足が速く差は埋まりそうにない。
加賀の後ろには呼吸の合っている2航戦がぴったり付いてきていて、大分遅れて吹雪と初雪が続いている。
「吹雪、警戒艦をやらせていただきます!」
真面目な吹雪が大慌てで加速して、赤城の前方へ躍り出た。
教科書どおりではあるが、いい動きをする。
これは、ご褒美をあげなくてはいけませんね。
赤城は二人をご飯に誘うことにした。
○
「吹雪さん、初雪さん。こちらですよ」
まさに恐る恐るといった様子で空母寮の食堂に姿を現した2人の駆逐艦に、赤城は手を上げることで場所を示した。
1、2航戦の囲むテーブルは食堂の中ほどにある長めのもの。
真っ白に漂白されたテーブルクロスが少しのズレもなく掛けられていて、その上に水の入った足の短いグラスが並んでいる。
照明はさすがにシャンデリアとはいかないが、それでも軽い装飾の施された暖色灯で、これは蛍光灯やLEDよりもご飯を美味しく見せる効果があった。
「ど、どうしよう初雪ちゃん。駆逐寮の食堂と全然違うんだけど」
「当たって……砕ける……!」
どうやらこういうときに肝の据わるのは初雪の方らしく、彼女を先頭にした二人が食堂の中へと進み出た。
珍しくも可愛らしい来客に周囲の視線が釘付けになる。
隼鷹と千歳が駆逐艦に乾杯し、祥鳳と龍驤は小さく手を振ってからブリキの徽章をアピールして、瑞鳳は二人と自分の胸を交互に見比べてため息を吐いた。
「このテーブルとかもの凄く分厚いけど、いくらくらいするのかな」
「駆逐寮のテーブルなんて……長机とパイプ椅子のセット……」
あまりの格差に慄きつつも、駆逐艦の2人がお食事会会場へと到着する。
待ち構えていた飛龍と蒼龍が執事よろしく椅子を引いてやると、恐縮しきって縮こまりながら席に納まった。
「2人とも今日はお客様なのだから、もっとラクにしていいんですよ?」
「む、無理ですぅ~!」
「さすがの私でも……無理……!」
お姉さんぶって声を掛けてみるが、緊張でガクガクの二人には効果が薄いようだ。
まぁしばらくすれば雰囲気にも慣れるだろう。
赤城は楽観的に考えると、厨房で準備をしていた加賀に合図を送った。
「うぅ、こんなことになるなら、もっとマナーの勉強とかしてくるんだった」
「激しく同意……!」
「うん? それなら大丈夫! 私たちもそれほど得意じゃないからね」
「そうそう。戦艦寮なら話は別ですけど、空母寮はそこまで厳格じゃないんです」
作法を気にする2人を2航戦がフォロー。
もっともそれは気を使ったわけではなく、本当のことだ。
いわゆる海軍外交に用いられれていたのは戦艦か重巡洋艦という真の意味での主力艦で、大戦前半には補助的な扱いであった空母はあまりマナーを気にしない。
それは艦娘にも受け継がれていて、空母寮は豪華だがアットホームなのだ。
「なるほど。ちょっぴり気が楽になりました」
そう説明してやると、2人は肩の力を抜いた。
硬かった表情も穏やかになり、ときおり笑顔がこぼれるくらいだ。
「でしょう? それに今日はコースでもありませんから」
今日のお食事会、料理をしてくれるのは加賀なのだ。
将校待遇でコース料理の多い空母娘ではあるが、さすがの加賀もそこまでは作れないし、何よりコースばかりでは肩が凝る。
だからお食事会と称するたまの手料理は、実はコース料理から逃れて羽を伸ばす機会でもあるのだった。
「空母の人たちも……苦労してる……」
「そうなんですよ! お米1つとっても、平皿にライスとお茶碗にご飯では大きく違いますし、食べた気もしないんです!」
赤城は力説する。
それは魂の叫びであった。
加賀とペアで作った1航戦茶碗が埃を被ることなど許されないのだ。
「赤城さん、どうどう」
「落ち着いてください。そろそろお料理も来るみたいですし」
「出来ました」
やりました、と全く同じ調子で告げる加賀が次々と皿を運んでくる。
その全てが焼き色の付いた冷製の鶏肉料理だ。
「え、これ、大丈夫なんですか……?」
吹雪が心配そうにするのも無理は無い。
焼き鳥といえば加賀に対する揶揄のようなもので、瑞鶴との口喧嘩の際に良く飛び出す言葉でもあるのだ。
「心配はいりません。言い返すために練習しましたから」
この焼き鳥製造機!
瑞鶴にそう言われたときに「それがどうかしたのかしら。私の焼き鳥は世界一なのだけれど」と言い返す。
そのためだけに加賀は鳳翔に頭を下げ、鶏料理を極めたのだ。
「加賀さんて……」
「しっ、言っちゃダメ!」
「割と勢いと面子だけで生きてるところがありますからね……」
2航戦は苦笑する。
きっと一番外見と中身が一致しない艦娘は加賀だろうと。
「……? コールドチキンだから冷めるということは無いけれど、早く食べないのかしら」
「い、いただきます!」
「「「いただきます!」」」
口火を切ったのは吹雪。
たっぷりと敷かれた野菜にバジルソースのかかった、イタリア風サラダ仕立てのコールドチキンへと手を伸ばす。
「んむ! おいしい! 胸肉なのに凄くしっとりしてて、全然パサパサしないですね!」
「良い味覚をしているようね」
手放しで褒める吹雪に、加賀もまんざらではない様子。
いつもの鉄面皮に、やはりいつもの微笑を浮かべる。
「バジルは取られてしまったから……じゃあ私はシンプルなやつでいこうかしら」
赤城が選んだのは、塩味を薄く付けただけの単純なコールドチキン。
吹雪の食べたあっさり胸肉と違い、こちらはモモ肉で油も旨味も強いもの。
これをお刺身の要領でニンニク醤油にちょい漬けして、バクリとやるのだ。
「むはっ、うまっ」
まずやってくるのは、摩り下ろしたニンニクの香り。
もはや臭いというレベルに及びかねない強烈な香りだ。
それが過ぎると鶏肉のサラリとした脂が醤油と混ざり合い、和のテイストで舌を包み込んで……そこへすかさず白米!
ちょっと一口には多いかなという量を掻き込んで、幸せと共に飲み下す。
「あぁ、やっぱりご飯が一番ね」
「サンドイッチにしても美味しいですよ? はい、初雪ちゃん」
「ありがとう……です……」
蒼龍は赤城と同じ塩味だけのコールドチキンをトマトサラダと一緒に黒パンに挟んで、アボカド、マヨネーズ、粒マスタードを混ぜたディップを絞る。
アボカドは輸入が減少しているから、もの凄く贅沢なサンドイッチだ。
受け取った初雪は瞳を輝かせながら齧り付くと、普段はあまり表情の出ない眠そうな顔を崩して蕩けさせる。
「私はこれー!」
飛龍がビール片手に抓んでいるのは、やはり薄く塩味をつけたコールドチキンと茹でたモヤシにキュウリの細切りをスイートチリソースで和えたもの。
赤城も食べた記憶があるが、あれはピリ辛なのに甘酸っぱいという複雑な味で、お酒が進みすぎるから困った料理だと思う。
「どうかしら?」
「腕を上げましたね、加賀さん!」
評価を問う加賀に赤城は賞賛で返した。
以前に同じものをご馳走になったときは、加熱のしすぎでパサパサになっていたものもあったのだが、今回のものはそれが一つも無く水分を保ったままだ。
とてもおいしかった。
「よかった。ジップロックを買った甲斐がありました」
「ジップロックって、ジップロックですか? あのビニールの?」
「はい」
「え! あれでどうやってお料理をするんですか!? 私でも出来ますか!?」
チキンを堪能していた吹雪が、ジップロックに食いついた。
あまりの勢いだったので、加賀もちょっと驚いている。
「あ、すみません。私でもできるなら、他の駆逐艦の娘にも作ってあげたくて……」
「わかりました。吹雪さんでも出来ると思います。簡単ですから」
加賀の語る料理方法は、本当に簡単だ。
まず肉は冷蔵庫から取り出して重さに対して1%の塩を軽く揉みこみ、味をしみ込ませると共に常温に戻しておく。
そうしたらフライパンに油を引いて皮目に強く他は軽く焼き色を付ける。
このとき目的の料理がイタリア風ならオリーブ油、中華や東南アジアならゴマ油辺りにしておくと良い。
焼き色を付けたらジップロックに入れて空気を抜くように密封する。
可能ならストローで空気を吸いだして真空に近づける。
最後に、鍋に沸かしたお湯の火を止め密封した肉を入れて、肉の大きさにもよるが30分から1時間ほど放置し、端を切ってみて白とピンクの中間くらいに火が通っていたら取り出して冷ます。
「直接茹でたり焼いたりしないから、肉汁が抜けないんですね」
「はい。他にも鳳翔さんが仰るには、スーパーでクレイジーソルトやマジックソルトを買っておいて、塩の代わりにそれを使うだけでもイタリア風になるそうです。また焼き色を付けずいきなりジップロックすると鶏ハムになるとか」
「なるほど……これなら私にも出来そうです!」
生来の生真面目さ故か真剣にメモを取る吹雪。
こちらも酷く真面目なために教授に熱の入る加賀。
まるで師弟だか先生と生徒だかのような関係は、ちょっと妬けてきてしまうほど。
だから赤城は、悪戯することにした。
「加賀さんの弟子なら、その成果は私達が見てあげなければいけませんね」
「ですね! 今度は駆逐寮でお食事会かなぁ?」
「あぁ、それは楽しみですね」
「ええー!? それはこまります! 空母の皆さんにお出しできるようなものなんて、駆逐寮にはないんですよぅ!」
赤城の意図を察知した2航戦も乗っかってきて、吹雪が目をぐるぐるさせて混乱した。
この駆逐艦、やれば出来るくせにプレッシャーに弱いらしい。
「心配いらないわ。あなたは優秀な駆逐艦ですから」
「がんばれ……もぐもぐ……」
加賀は加賀で、無自覚に追撃を開始した。
本人は本当に励まそうとしている辺り、逆にたちが悪い。
初雪は我関せずでサンドイッチをバク付いている。
「無理ですぅー!」
吹雪の絶望の叫びが、空母寮に響き渡った。