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今日は新月、曇りの日。
月明かりも星明りも無ければ発電所に爆撃を喰らったとかで街灯の光すらも無い。
さらにはガス管も一部が破損して送気が止まってしまった。
けれど鎮守府の艦娘寮区画はとても明るい。
なぜかといえば、普段は訓練に使う運動場で米飯を炊くための火が熾されているからだ。
コの字型に組み上げられた竃の中にパチリパチリと弾ける薪火がいくつも設置されて、Y字の支柱に渡された棒が飯盒を吊るされるのを今か今かと待ち受けている。
まさに飯盒炊爨。
昭和末ごろから学校として行う場所は減りつつあったが、それでも多くの日本人が一度は参加したことのある風景が、ここにある。
話によれば実際に飯盒で調理をするのは日本くらいなもので、諸外国では配給のスープを温め直す程度しか火に掛けられることはないそうだが、しかし飯盒炊爨というのはもう日本人に根付いてしまった行為であった。
その証拠にこうして飯盒で米を研いでいるだけで、何だか心が弾んでくるではないか。
全員がそうだかは解らないが、少なくとも秋月はそう思う。
運動場の端に並ぶコンクリ打ちっぱなしの水飲場に、白く濁ったとぎ汁を慎重に流す。
僅かに空けた指の隙間から零れていく水が、何だかくすぐったい。
(これでお米は大丈夫だから、あとは吸水させて……その間はどうしようかな)
今はここにいない妹2人と同じく、他所の手伝いにでも行こうか。
だが軍人や職員へ配給するカレーを作るという6駆のところへは照月が行っているし、同じく配給の豚汁を作るという鳳翔のところへは初月が行っている。
これ以上の応援は必要ないかもしれない。
「秋月ねぇ、秋月ねぇ! 見て見て! 暁ちゃんからニンジンをもらっちゃった!」
米を研ぎ終え段取りを考える秋月の許へ、妹の照月が駆け込んできた。
チャームポイントのおさげをピョンピョン弾ませ、カレー用の大振りでちょっと黄色味の強いニンジンを高らかに掲げてのご帰還だ。
「お帰りなさい、照月。良いニンジンですね」
「でしょ? 手伝ってくれたお礼代わりにって分けてくれたの」
「それはありがたいですね。良くやってくれました」
ニンジンを受け取りながら、妹のことを褒める。
艦船だったころは、何の運命の悪戯かあまり一緒に行動することはなかった姉妹ではあるけれど、艦娘となった今は照月の方から懐いてきてくれるから仲は良好だ。
こちらが戸惑っているうちにスルスルと懐に入ってきていつの間にか本当の姉妹のようになってしまうのだから、良くできた妹である。
「でも手伝いはもういいんですか?」
「うん。けっこう人数がいたから人海戦術で終わっちゃった……それでそれで、秋月ねぇ。ご飯の準備は?」
「今はお水を吸わせているところ。でもお米だけという訳にもいかないし、おかずはどうしようかと」
「うーん。たくわんだけでも良いけれど、せっかくの飯盒炊爨なんだしちょっと豪華にいきたいところだよね」
「となると、やっぱり牛缶?」
「でも今週の分はもうあと1缶しかないよ?」
「3人で分けたらお肉1切れずつくらいでしょうか?」
「それは……さすがに侘しいなぁ」
2人して献立に頭を悩ませる。
別段、秋月型は貧乏というわけではない。
むしろ給料や待遇は、普通の水雷戦用の駆逐艦に比べると上なのだ。
だがその事実が、逆に足枷になっている。
なまじっか待遇が良いため、他の駆逐艦のようにギンバイや物資のやりくりで利益を出すようなことが、やりにくい立場になってしまったのだ。
かといって軽巡洋艦ほどにはお給料をもらっているわけでもない。
そういう色々が積み重なった結果、秋月型は質素倹約を胸に生活するようになってしまったのだった。
「姉さん、今もどったよ」
落ち着いた声で帰還を告げたのは、4女の初月。
ボーイッシュな外見で男の子っぽい喋り方なのに、何故か可愛らしいという艦娘である。
こちらも姉を立ててくれる出来た妹だ。
「お帰りなさい、初月。お手伝いはどうでしたか?」
「鳳翔さんの手があまりにも早くて……10人くらい応援が居たのだけど、それでも鳳翔さん1人の方が早かったよ」
「さすが小料理屋を切り盛りするだけはあるねぇ」
「それでもお礼をもらったし、役には立てたと思いたいね。あぁ姉さん。これ鳳翔さんから頂いたシメジとシイタケだ」
「これは、とても立派なキノコですね」
差し出されたビニール袋の中には大振りなキノコ。
シメジは軸が太く傘も大きくて、シイタケは肉厚でぷりぷりだ。
「でもさ、これだけ材料がお膳立てされちゃうと、もう献立はアレしかないよね」
「アレ、かい?」
「そうですね。では、牛缶の炊き込みご飯を作りましょう」
○
ニンジンは4つ割りにしてから薄切りに。
シメジは大振りなので小さく裂いて。
シイタケは傘の部分を削ぎ切りに。
それをちょっと固めに水加減したお米の上に散らして、そこへ牛缶を1缶まるごと汁まで投入する。
そうしたら香りと色を付けるために、醤油とお酒を少々。
最後に旨味を補強するため中華調味料をほんの1匙だけポトリと落とす。
後は火にかけ炊き上げるだけ。
「ねえさん、まだかい?」
「まだまだです。炊き込みご飯のときは、ちょっと余分に時間がかかるんですよ」
「うぅ、待ち遠しいな」
火から少しの距離を確保して広げられたレジャーシートの上に、秋月型の3姉妹が腰をおろしている。
秋月は正座。照月は崩して。初月は片膝を抱えて。
それぞれの性格が出る待機姿勢で、ご飯が出来上がるのを待っていた。
飯盒は既に火から下ろされて、今は蒸らし時間。
加熱によって出て行ってしまった水分が再び吸収されて、お米が瑞々しさを取り戻すための時間だ。
炊き込みご飯にはその障害となる副材料が入っているため、ちょっと長めに時間を取らなければならないのだ。
「そろそろ良いんじゃないか」
「まだまだです」
「……もうそろそろ」
「まだまだです」
「…………もう大丈夫じゃないかな」
「まだまだですよ」
そんなやり取りを4女と何度か繰り返して、はや20分。
最低限の蒸らし時間は経過した。
もう初月どころか照月さえ我慢の限界のようで、どこか落ち着きがない。
仕方がないですね。
秋月は再び軍手をはめなおすと、蒸らすため地面に放置してあった飯盒のところへと向かった。
底に付いたススを払ってからトントンと地面に軽く叩きつけ、ご飯を均す。
そして外蓋を開けた。
「ん~! 良い匂い!」
醤油と米の焦げた香りが湯気に混じって一気に辺りへ広がった。
これほど胃袋を刺激する匂いが他にあるだろうか?
少なくとも秋月には想像ができない。
「さぁ、お茶碗を出してください」
「「はい!」」
言うが早いか突き出された茶碗に、醤油色に染まった米を盛ってやる。
ところどころに散るニンジンのオレンジが、彩りに花を添えていた。
「「「いただきますっ!」」」
ほかほかの炊き込みご飯を、ちょっと多めに頬張った。
はふほふと口から湯気を吐く。
缶のままだと感じるあの牛肉感が完全に昇華されてご飯に染み込み、2種類のキノコから抽出された旨味成分と一体になって、味に深みを与えていた。
塩気もちょうど良く、薪火で炊き上げられた甘みの強い米飯に良く馴染む。
炊き込みご飯の旨さはガツンという強烈な旨さではなく、じんわりと染み込むようなゆったりとした旨さなのだ。
「ねえさん、おかわりだ!」
「はいはい……初月ったら、頬にお弁当が付いてますよ」
炊き込みご飯をよそった茶碗を返すついでに、丸みのある頬から米粒を取ってやる。
そのまま無意識に口へと運んだ。
「ちょっと! 恥ずかしいじゃないか」
「初月の味、した?」
「照月ねぇさん!?」
「うーん? そうですね、少ししょっぱいかも」
「秋月ねぇさんも答えなくていいから!」
頬に紅差し怒る妹を見て2人の姉は楽しそうに笑った。
牛缶の炊き込みご飯は、秋月型にとって姉妹仲の象徴なのであった。