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隼鷹はこの日、なんだかツイていなかった。
朝は寝ぼけ眼で酒瓶を踏んづけひっくり返り、お昼のカツカレーではカツが衣と肉に分解して切ない思いをした。
極めつけは午後の訓練。練習航空隊の着艦訓練に付き合った際。
なんとこれに妖精さんが大失敗をしたのだ。
低速で着艦態勢に入った九七式艦攻は、しかし高度が僅かだけ高かった。
そこから無理に着艦フックを制動索に引っ掛けたので機体が上方へ浮き上がってしまい、続いて前のめりに落下して甲板へエンジンを叩き付けてしまった。
この事故で空母の中でも特に甲板の弱い隼鷹は、特徴である巻物甲板をプロペラでズタズタに引き裂かれて中破判定。
可愛らしい2頭身を申し訳なさそうに折り曲げ謝罪する妖精さんには、いいよいいよと言っておいたが、損傷は損傷だ。
本来なら晩ご飯にありつける予定の時間を
「風呂上りにパーッと1杯いきたいところだけど、さすがに空きっ腹にアルコールは良くないからなぁ……」
豪華客船に劣らない高級木材と壁紙を組み合わせた洋館仕立ての廊下で、隼鷹は腹をさすりながら1人ごちた。
空っぽの胃袋がそれに答えてグゥと鳴く。
これはとにかく何か腹に入れないとダメそうだ。
そう思うが、しかし隼鷹は1人で飲み食いするのが好きではない。
なんとも似合わないことではあるけれども、色々と思い返したり想像したりしてしまって、しんみりとなるからだ。
……飛鷹でも誘うか。
そう思って彼女の部屋の前まで赴いた。
だが、分厚い南洋材の扉から反応は無し。
コンコン、コンコンとノック音が空しく響く。
飛鷹は寝てしまっているらしかった。
どうやらツイていないのは、まだ続いているらしい。
頼みの綱の飛鷹もいなければ、飲み仲間の千歳千代田も今は他所へ行っていて、この鎮守府には居ないのだ。
「まぁでも、鳳翔さんのところへ行けば誰かはいるよねぇ」
万策尽きた隼鷹は、とりあえず鳳翔の居酒屋へ向かうことにした。
女将の鳳翔がいるため、少なくとも1人酒ということにはならないだろうから。
○
空母寮を出て巡洋艦寮の前を通り過ぎ、何故か窓から出入りしている駆逐艦娘と目が合って「しまった……! あ、いや、隼鷹さんか」みたいな顔をされながら角を曲がる。
そうしていざ鳳翔の居酒屋にたどり着いてみれば、なんと暖簾を下ろしているところではないか。
とことんツイてない。
今日という日を呪うことに決めた隼鷹は、空きっ腹のままベッドに入るような予感を覚えながらも、一縷の望みを託し鳳翔の背に声をかけた。
「鳳翔さ~ん! もう終わりなの~?」
「あら隼鷹さん、いらっしゃい」
少し驚いたような顔で振り返った鳳翔は、軽く背伸びをして暖簾を掛け直す。
微かに漏れる店明かりに照らされた赤布が、夜風に揺れた。
「今日は大人組があまり鎮守府にいないでしょう? そのせいでお店も閑古鳥でしたから、少し早いですけれど閉めようかと思っていたところなんです」
「あちゃあ、それは悪いところに来ちゃったかなぁ」
「いいえ。来てくれて嬉しいわ。さ、入って入って」
言葉通り嬉しそうに微笑む鳳翔に背を押され、店の中へ。
もう店自体に染み付いているのか、微かに醤油が香るような気がする。
カウンターの中へ立った鳳翔は、いつの間にかエプロン代わりの前掛けをしていた。
「それで、今日はお酒かしら? それとも遅いご飯?」
「この隼鷹さんにしては珍しいことに、ご飯なんだよね~これが」
「ま、本当に珍しい」
おどけて見せると、鳳翔は口に手を当てクスリと笑う。
それから片手鍋を火にかけた。
この香りは、どうやらイカ。それと大根にカツオ節。
「はい、お通しです」
見事に炊かれた煮物が出てくる。
しっかりと出汁が染みこんだ大根は、中心まで醤油色。
イカも丁寧に下拵えがされていて皮は見当たらず、その上で柔らかに炊かれて、しおらしく小鉢に納まっている。
これは絶対にお酒に合う。
ぬるめの燗をつけた日本酒で、ふんわりと味わいたいところだ。
「酷い! 鳳翔さんは鬼だ! こんなにお酒に合いそうなものを出すなんてぇ……!」
「あらあら。でもここはお酒を飲むところですもの。お酒に合うものしかおいてありませんよ」
「そりゃあそうだけどさ……ご飯前だからアルコールを我慢しているのに、これじゃあ生殺しだぁ」
「まぁまぁ、とりあえずそれを抓んで待っていてくださいな。すぐにお腹にたまるものをお出ししますから。そうしたらお酒も呑めるでしょう?」
「早めでお願いだよぉ~!」
カウンターから身を乗り出して、コロコロと笑う鳳翔に縋りつくよう懇願する。
ちょうど小鉢から立ち上がる湯気が鼻の辺りをくすぐって、またもや胃袋がグゥと鳴いた。
「ふふ、これは本当に急がないといけないようですね」
「赤城じゃないけど、お腹と背中がくっつきそうなんだよ」
「出来るだけ急ぎますから、我慢して。ね?」
そうやんわりと隼鷹を嗜めた鳳翔の動きは本当に速い。
小麦粉で作ったらしいちょっと厚めの皮に、キャベツや白菜のみじん切りとひき肉を混ぜた餡を包み、ものすごい勢いで形作っていく。
「あれ、餃子だ。鳳翔さんのところじゃ珍しいんじゃないかい?」
「お夜食にしようと思っていたのだけれど、特別です」
「特別かぁ、良い響きだね……しかし作るの早いなぁ。あたしには出来そうにないよ」
「慣れですよ、慣れ」
そういうが、いくら慣れても鳳翔の手捌きには追いつけないだろう。
皮を手に持つ。
餡ベラ(餡を包む作業専用の金属製のヘラ)で餡を2、3回塗り付けるように乗せる。
手を閉じる。
たったこれだけの動作で一つの餃子が完成してしまうのだ。
隼鷹が1個作る間に10個は並べてしまうだろう速度だった。
「すっごいな~」
それに見とれていると、あっという間に餡の入っていたボウルが空に。
「あれ? でもまだ皮が残ってるじゃん」
「こちらの皮には、別の餡を包むんです」
冷蔵庫から取り出されたもう一つのボウル。
その蓋代わりにかけられていたラップを取り除くと、カレーの香りが広がった。
カレーライスに使うルウのように複雑なものではなく、もっと構成要素の少ない、純粋にカレーパウダーだけの香り。
「神戸で作られた娘たちに教えてもらった関西風のホットドッグの中身を、餃子に詰めてみようかと思って」
「なるほど、だからカレー粉の香りがするのかぁ」
立ち上がってボウルを覗かせてもらえば、その中にはカレー粉で炒められたキャベツとウィンナーソーセージの輪切りが入っている。
こちらは少々包みにくいのか、鳳翔の作業速度にもそこまでの勢いではない。
「難しそうだなぁ」
「ううん、もうちょっと考えないといけませんね」
それでも手早く準備して、後は火を入れるだけ。
鳳翔はカンカンに熱した大判のフライパンに油を引き、軽く粉を叩いた餃子を投入。
お尻にちょっと焦げ目をつけて、水を差し蓋をした。
ジャアアアと水が沸騰する音がして、隙間から漏れた蒸気が吹き上がる。
「いい音だねぇ」
「鉄板の上で蒸し焼きにする料理ならではですね」
「余計にお腹が空いてきちまったよぉ」
「ふふふ。もう出来ますから」
蓋を取り去り、今度は大皿で蓋をして手で抑える。
そしてフライパンをくるりと逆さまに。
すると皿の上に餃子が並ぶという寸法だ。
「はい、これで完成です」
差し出された白い皿には、強めに焼き色のついた餃子が10個。
もう10個は鳳翔が食べるらしく、カウンターの向こうだ。
「おや? 鳳翔さんもご飯かい?」
「えぇ。お客さんが少なかったので、つまみ食いもあまり出来なくて……さ、食べて食べて。お腹が空いていたのでしょう?」
「待ってました! いただきますっ!」
取るものも取り敢えず、ノーマル餃子を口へ運ぶ。
焼きたての餃子はまだ少しも落ち着いていなくて、熱湯と見紛う程に熱された肉汁を舌の上にぶちまけた。
熱い。だが旨い。
口の中が火傷しそうだが、この熱さこそが肉や野菜から旨味を搾り出してくれるのだ。
「あつあっつ! うまっ!」
「はふ、ほふ」
鳳翔まで熱々の餃子を頬張り、顔を真っ赤にして堪えている。
冷ますため大きく息を吐くたびに、艶やかな黒髪のポニーテールがピョンと跳ねた。
「いやしかし、これはアレが欲しくなる味だよねぇ」
「言うと思っていました。はいどうぞ」
キンキンに冷えたグラスに瓶のビール。
もちろん、常に冷えたものを味わえるように瓶は小瓶だ。
大きいものは飲み終えるまでに時間がかかり、ぬるくなってしまう。
それが良いという人もいるが、隼鷹は小瓶を繰り返し頼む派閥に属していた。
「ひゃっはー!! さすが鳳翔さんだぜー!!」
「もう、飲まないうちから騒がないの」
そんなお小言もなんのその。とにかくまずは一杯飲もう。
餃子で熱され火傷した食道をアルコール消毒だ。
冷たいグラスを呷ると炭酸が一気に流れ落ちて、胃の中で弾ける。
「効くぅ~!」
隼鷹は唸る。
考えてみれば丸1日ぶりくらいのアルコールだった。
血流が増大して、食欲が目に見えて増す。
「それじゃあここで、カレー味いってみようかな!」
ジャンクな雰囲気を放つホットドッグ風の餃子は、中身がミンチやみじん切りよりも大きいために、普通の餃子よりずっしりとした重さ。
意外に食べ応えのありそうなそれへ、半ばまで噛み付いた。
「む、凄くスパイシーだねコレは」
第一印象としてはカレー粉の主張が強く、味も辛ければ香りも辛い。
だがそこへキャベツの甘みが合わさることで、後味は落ち着いてまろやかだ。
旨味は濃くは無いが、ウィンナーが十分に味を出している。
「複雑ではないけれど、止められない感じですね」
まさしくジャンクフード。
塩、強い香り、油脂、炭水化物。
ジャンクフードの構成要素を完璧に満たした、後引く味だ。
もちろんビールにもピタリと合う。
「あぁ、これはいけない。いけないよコレは……ビールお代わり!」
「はいどうぞ」
ここまでお膳立てが整ってしまえば、もう止まることなど出来ない。
餃子を食い、ビールを飲み、餃子を食う。
合間に鳳翔さんから叱られたり、鳳翔さんに絡んだり。
記憶が飛ぶまで、そう時間はかからなかった。
次の日目覚めた隼鷹は、なんだか昨日はツイていたと、そう思った。