ずぅん……と、重苦しい音が響く。
方片になったハサミが、砂煙を上げて砂漠へ沈む。
咳き込むように、口から血が溢れる。
ぼたぼたと地面へと垂れる鮮血は、止まることを知らず、ゴポゴポと空気と入り混じるように口から漏れ出していた。
それは小さな少女の口から溢れ、体を容易に染め上げる。
「あ゛……ぁぁ……ぅ、ぅ……」
嗚咽が漏れる。
突き飛ばされたガルダは呆然と尻餅をついたまま少女を見上げていた。
少女の体に突き刺さっているのは巨大な大剣。
胸から、ヘソに掛けて縦に貫かれた小さな体。
アリスの目が、点滅するように一瞬光を失う。
そんな自身を奮いたたせるように、彼女はぐっ、と唇を噛んだ。
「は゛や、く、に、逃げ、で」
未だに口から漏れる血が邪魔してなのか、言葉がぶれる。
それでも、その辛うじて残る強い光はへたりこむガルダを睨む。
「ひ、ひぃぃ!!!」
悲鳴を上げるガルダは慌てて四つん這いのまま、数度転けながらも無様に立ち上がり走り出す。
最早体の向きを変えることもできないアリスの目端に、砂煙の中消えていく男を最後に、アリスは小さくホッ、と微笑む。
脳裏に浮かぶのは大好きなあの人の言葉。
『私がいない時に、皆を守るのは貴方の役目よ? 頑張りなさい』
アリスの表情は、血反吐を吐きながらも、優しく微笑んでいた。
「お姉、さま、ちゃんと約束守、てるでしょー……え、偉い、で、しょお……」
1度目を瞑る瞳は、すぐに開く。
穏やかな瞳から一転した強い瞳がロランへと向いた。
「なぁんだお前すっげー早かったなお前ー! アイツ見てぇ! 誰だっけ! っつーか串刺しで生きてるお前マジでスゲー! スーパーすげぇ!!」
興奮する声を出す男へ向かって、1歩進む。
ずぐりと、大剣に血の痕を残しさらに奥へ。
「……ろ、ろらん、バカ……バ、カァ……」
「んぁ? お前顔色悪ぃなーおいー!ついでにお前頭悪いわけ? 前に進んだら抜けねーつっーの! 面白過ぎかよ!」
ゲラゲラと笑うロランを無視して更に1歩。
「お、お前なんか、だ、大、嫌い、」
「ガハハ! 初対面で嫌いとかひっでー奴!」
そこで、淡かった光が、少しだけ光が強くなる。
「な、なんで、ぞんな、事ォ! 言う、の゛ぉ!」
赤い瞳から溢れる一縷の雫。
「お、お前、なんか、大っ嫌い、だけど! 一緒に! あの人の側に! いたよぉ! いっぱい! いっぱいいっぱい喧嘩したも゛ん! お姉様の隣は私だっで喧嘩した、もん!!」
また、1歩。
「お、おおお? 泣くなよ……俺が悪いみてーじゃん……怒られちまう……」
「うるざぁい!!」
血反吐を吐きながら、アリスは吠える。
強い子だった。
戦いが全てだった。
だから苦に思う事も無い。泣く必要も無い。
始めての涙。
「何で! 何でぇ! 忘れない、でよぉ! そんなお前な゛んか見たくながっだもん! 嫌い! 嫌い! 嫌いだもん! お姉様を忘れてるお前なんて!!! お前なんでぇ!!!」
最初は弱い癖にお姉様に媚びる男だと思っていた。
すぐに離れると思っていた。
それなのに、ただのアークスの癖に。
必死で食らいついていた。必死で努力をしていた。
ジョーカーしか受けられない死と同義の依頼まで付いてきていた。
途中から慌てて引き離そうとしてやった。
それなのに離れなかった。
アリスと、ロランと、ルーファの3人で、訓練を続ける事が増えた。
「……あーガキがウルセェなぁ! 止めろよ! 叫ぶなよ! 怒られちゃうだろォ!!!」
子供じみたように声を荒らげるロランへ、もう1歩。
ようやく目の前。
黒く巨大な剣の付け根。
血をボタボタと流しながら、涙をボロボロと流しながら。
足元はふらついていた。既に小さな体の体積と釣り合っているのかと疑う程の血が広がっていた。
不幸中の幸いなのか、最早立てているのは、串刺しにされた剣に支えられているようにも見えるだろう。
それでも、少女はロランへと向ける目を止めない。
「な、なんだよ! なんなんだよお前!!」
見下ろすロランの服を、震える両手が掴む。
振り絞るように、ギュッと、力いっぱい掴む。
「思い、出ぜぇ゛!!!! バガァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!」
アリスの鮮血ような赤い瞳が、ロランの片方だけの瞳と絡み合う。
涙で濡れた赤い瞳が強く光り出す。
ロランは目を離せない。
その必死な瞳を。
彼女が振り絞った能力を。
ダーカーには効かないのは立証済みだった。
アークス、引いてはジョーカー専用のエスパーダ。
目から目へと放たれるそれは相手の脳へと直接、幻覚を、幻影を叩き込む。
「……がっあ!?」
ロランの頭から爪先に電流が走る。
何よりもキャパオーバーのように脳へと流れ込むのは、『思い出』。
脳を焼き切る程の勢いで流れてくるそれに、ロランの脳は揺れる。
普段は仏頂面の癖に、その表情は小さくだが確実に変わる人。
他人が思っている以上に感情豊かな人。
楽しそうで、嬉しそうで、時に悲しそうに、時に笑って、やっぱり仏頂面で、その癖ほっとけないお節介で。
下から見上げるような視線は、小さな子供の視点だろう。
見下ろす瞳は、とても優しくて。
特に映るのは。
いつも繋いでいた手と。
アイツの顔。
あの人。
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
獣のような雄叫びと共にロランは力任せに大剣を振るっていた。
必死に掴んでいたアリスは勢いに負けた破けた服の裾を握りながら、砂漠へと二度三度跳ねながら転がる。
小さな体は、その体以上の大きな石に体を止められ、びちゃりと勢いをそのままに血が石へと広がっていた。
「なんだよおおおおおおお止めろよおおおおおお!!!! ァァァァァァァァァァ!!!! ルーファなんて知らねェェェェェよォォォォ!!! アリィィィィス!!!!」
叫び声を上げながらロランは地面を蹴る。
あわせるように、アリスも無理矢理に立ち上がっていた。
左右に数度傾く体を必死に抑えながらも、何とか立ち上がる。
点滅のように光が消えるのと灯るのを繰り返すも、その瞳は、まだ死んでいない。
小さな体を、自身の血で染めながら。
それでも、彼女は立ち上がる。
「わた、わた、しが、止める、もん……お、お前が! お前が今お姉様に会ったら!! お姉様泣いちゃ、うもん! そんなの、やだ! や、だァァァァァァァァ!!!」
ふらつきながらも、少女は前へ出る。
満身創痍。
本当なら死んでいてもおかしく無いだろう。
普通であれば立ち上がる事は出来ないだろう。
どれだけの人としての機能がもう使えないのか、胃が、肝臓が、肺が、臓物が。
それでも、彼女は今立っている。
彼女を支えるもう一つの強い思いが、その小さな体をそうさせる。
両手を前に差し出す。
怒りの形相で向かってくる男へ向けて。
傍から見れば、抱き着こうとしても見えるだろうそれは。
半分憎くて半分好きで、間違いでは無いかもしれない。
しかしその手は再び服を掴む為。
今度こそ、離れない。
この力を最後に、せめて、せめてこの力で、無理矢理にでも思い出させる。
立ち上がるだけで力を振り絞り、歩を進めるは一歩が限界。
アリスには大剣を構え突っ込んでくるのは好都合。
石で打った頭から流れる血が、赤い瞳を更に赤へと染める。
それでも彼女は目を瞑らない。
最後のタイミング。
砂煙をあげるロランに、もう1歩。
10メートル。
5メートル。
1メートル。
70.40.50……
抱きしめるように両手を振るう。
その手は空を切っていた。
「は、ぇ」
急ブレーキをしたロランは、先ほどまで叫んでいたとは思えない冷徹な表情で、アリスを見下ろしていた。
大剣が振るわれる。
同時に飛んだのは、少女の2本の腕。
血飛沫を挙げて舞う両手がボタリと落下する。
「は、や、や、だ……」
嗚咽を零しアリスは崩れるように、そのまま膝を着いていた。
一瞬沈黙の後、ロランの唇が震えながら開く。
「……あ、アリス、を、俺が、俺が、おれが? な、何で?」
ロランの冷め切っていた表情はみるみる強ばり始めていた。
「お、俺が何でこんな事しなきゃいけねーんだよ!? な、なんでだよ! 答えろよ! アリス! アリス!」
俯く少女は答えない。
「うわ、うわ、うわ!!! 嫌だ! 嫌だ! 何で! 俺はアークスで! ルーファの相棒で!!」
ロランの表情が絶望に染まっていく。
片方だけの目が、右往左往と不気味に動く、震える唇は言葉を繰り返す。
「違う! 違う! 違う! あっあっあっあっ!!! 殺さなきゃダメなんだ! せめて! 俺の手でお前らを! 何で!? あぁぁぁ!! 消えるな! 消えるな! 折角思い出したのに!!! 止めろ!消えるな! 止めろ! 止めろ! 止めて止めて止めて止めてヤダヤダヤダヤダヤダ!!!」
頭を搔きむしりながら上下に体を振るうロランの叫び声は辺りへと響く。
数分の悲鳴の後、ピタリと、機械の停止でも見るかのように突然に体の動きが止まる。
ロランは抑えていた頭を離すと、ぼんやりと空を見つめていた。
「……あぁ、もう行かないと、怒られちまう。誰にだっけ。誰でも、いいや……」
その瞳に既に目の前のアリスは映っていない。
黒い大剣を引きずり、ロランはその場から去っていく。
未だ辺りの喧騒は続いていた。
戦争の最中、その中央で両手の無い少女は膝を着いたまま俯いていた。
赤い瞳は既に何処かを見ている、という様子は無い。
乱暴に結んでいた両端の髪は解け、白髪の長い髪が靡いていた。
アリスは、小さく微笑んでいた。
「お、ねえ様ー……あ、あの、ねぇ、アリス頑張ったよぉ……うん、そう、いっぱい倒した、もんね、ぇ、が、頑張った、ご、褒美に……カ、カナちゃんが、ねぇ、お姉様、とぉ、アリスの分、ケーキ、つ、つ、つ、作ってくれる、てぇ…あ、甘く、て、ふわ、ふわぁ……」
ぶつぶつと呟く言葉は、騒がしい辺りに掻き消える程の小ささ。
けれど、誰かと話している本人にはそうは感じていなかった。寧ろ、酷く静かだと、感じていた。
言葉を紡ぎながら、少女は顔を上げる。
「行、こう」
そう零すと、両手を上げる。
二の腕より先がない腕は前で数度間抜けに揺れるだけで終わる。
「あ、れぇ……あれぇ、あれぇ……あれ……ぇ……」
光が薄い瞳に、雫が零れる。
「も、もう、お、手て、に、に、に、握れない、よ……」
両の腕がだらりと落ちた。
がくん、と、まるで上から吊るされていた糸が切れたかのように、上げていた顔が落ちる。
子供らしい泣きじゃくる声と共に、ポタポタと、砂漠へと涙が落ちる。
喧騒は止んでいない。
荒々しい戦いの中、ただ1人だけ、少女がそこにいる。
何度もしゃくり上げながら、少女の嗚咽が薄く響く。
その姿は唯の小さな子供でしか無くて、砂漠の中でたった独り。
そして。
泣きじゃくる声が止んだ。