「それで、おめおめと帰ってきたのですか。このサイヤ人の玉座に」
底冷えするような冷淡な声だった。
例えるならば絶対零度。痛みすら覚える冷気。
静かで平坦で、抑揚がないのに怒りを感じさせる、暴力性を孕んだ確かな怒声であった。
ベジータ王は泣き出しそうだった。許されるならばこの場から消え去ってしまいたいとすら思える、こんな恐しいことはなかった。
側に控えていたナッパは柱の陰にそっと身を隠した。
ずるい。ワシだって隠れたい。ベジータ王は思った。
同時に、ナッパがこの場から逃げ出さない事を少しだけ感謝した。
「あなたを生かしておく理由を、私は説明しませんでしたか?
私が目を覚まし、サイヤ人の現状を知った時の怒りを、あなたはご存知ではありませんでしたか…?」
エミューゼを惑星ベジータに迎えてから3ヶ月が過ぎた。
あの日、ベジータ王と、ナッパ、フリーザ軍所属の科学者の3名を除き、調査団の構成員その全てが殉職した。
ガタガタと震えるベジータ王に向けられたエミューゼの笑顔は、今なお王のトラウマである。
「私を起こしたのは貴方ですか。私に挑む勇者は何処に? その惨めな戦闘力から察するに、貴方は勇者の使い走りかメッセンジャーか何かなのでしょう?」
ベジータ王は応えることは出来なかった。否、身動き1つ出来なかった。
平服し、許しを請う事すら出来なかった。
見下され、当たり前のように蔑まれながらも、屈辱を感じる事すらできなかった。
彼はサイヤ人である。それも、優秀な。
だからこそ、目の前の怪物がどのような存在かを、サイヤ人の本能で察していた。
フリーザや破壊神ビルスを前にした時よりも、明確な恐怖が彼を支配する。
スカウターは依然として1の数値を表しているが、もはやベジータ王は微塵もスカウターの数値を信じてなどいない。
「…少し脅かし過ぎましたか。寝起きは機嫌が悪いので大人気ない事をしてしまいましたね。貴方のような雑魚には食指も動きません、むしろ萎えるばかりですので、安心なさって結構ですよ」
まるで、赤子をあやすかのような声色と笑顔であったが、ベジータ王はまさしく赤子のようなものであった。額から膨大な汗を流し、息は荒く、目には涙すら蓄えている。
「ど、どうか、お助け下さい…さ、サイヤ人を、お救い下さい」
見栄も外聞も捨て、震える声で懇願した彼を、誰が攻める事ができようか。
ここにきて、彼はサイヤ人の未来を案じた。
絞り出すようにあげた声は、ベジータ王の隠れた、彼自身ですら気付かなかった本心であった。
彼はどうしようもなく傲慢で邪悪ではあったが、確かにサイヤ人の事を憂いていたのである。
完全に折れたかのように見えた彼のプライドが、そのプライドの破片とも呼べる小さな意地だけが、彼を突き動かしていた。
彼がエミューゼに事情を話し終えるまで、かなりの時間を要した。
えずきながら、死と向き合う恐怖から、何度も言葉に詰まった。
「……つまり、私に挑む者もいないのに、貴方は私を起こしたのですか」
丁寧な口調ではあったが、激情は隠し切れていなかった。完全に殺気を放っていた。
「何を血迷ったか……サイヤ人を救えだと……ここまで惰弱に堕ちたというのですか? サイヤ人が他者に救い求める?」
心底理解できないといった彼女に、ベジータ王は必死に弁明を続けた。
ベジータ王が生き延びられたのは、偏に彼女の気まぐれ故である。
眠りにつく前の最後の闘いから無気力になった彼女は、気分転換に少し現代を見て回ろうと考えたのである。
同時に、惑星ベジータにつけばベジータ王、延いては無様にも他者にいいように使われるサイヤ人達を皆殺しにしようとも考えていた。
かつて、サイヤ人でいることに耐えられなかった脆弱者どもの末裔だ。奴らの成れの果てを見ておくのも悪くないと。
嘲笑ってやるつもりで。かつての憎き同胞達に唾吐くつもりで。
だからこそ彼女はベジータ王を生かし、この惑星ベジータへとやってきた。
そこで彼女が目にしたのは、憐れなまでに退化したサイヤ人の姿だった。
まさか、自分たちの一族の地位を脅かす危険がある因子を排除までしていると知った時は、本当に殺してしまおうかと思った。
気を失いそうなショックを受けた。
こんなものがサイヤ人の末路なのか?
諸行無常なんて、盛者必衰なんて、冗談ではない。
何がサイヤ人の誇りだ、何が戦闘民族だ。
支配を受け入れ下品に笑う者達。見る影もない惨めな戦闘力。
聞けば、ブロリーという生まれながらにして高い素質を持っていた赤子を始末したという。
強い者が成長する前に消されていると言う退化の極み。
かつて自分を否定した怨敵たる同種たちを嘲笑う…そんな気も失せ、エミューゼは悲しみにくれた。
憎くも愛き同胞たちよ、これがお前達の望んでいた姿なのか?
お前達はこんな光景を望んでいたのか?
エミューゼの無気力は、さらに加速する一方であった。
そんな彼女を僅かにでも変えたのは3人のサイヤ人である。
ベジータ王は、エミューゼを刺激するサイヤ人が現れないよう、エミューゼを自身の隠し子であると公表した。
真実をしっているのは、ベジータ王自身と、調査に同行したナッパのみである。同じく同行した科学者は、表に真実が漏れないように軟禁している。
彼ら2人は当然だがエミューゼに喧嘩を売る気など微塵もない。
しかし、エミューゼの恐ろしさを知らぬサイヤ人達は、血の気の多さから彼女に絡んでしまうかもしれない。そんな事があれば自分達などこの星ごと宇宙の塵である。
かといって古代種であることを、フリーザに知られるわけにも行かなかった。
ゆえに、エミューゼを王族として扱うことにしたのである。
結果、ベジータに姉が出来ることとなったが、これが功を奏した。
ベジータの才能に、エミューゼが僅かながらに興味を抱いたのだ。
他にも、バーダックという下級戦士でありながら恐れを知らず修羅場を潜るサイヤ人、その息子であり、戦闘力でおとる身でブロリーを泣かせたカカロット。
ほんの微かではあるが、彼女はサイヤ人をかつてのあり方に戻すことができるかもしれないと希望を抱いた。
「ベジータ王子を生み出した功績……ただそれだけで生かしてやっているのです。サイヤ人復興に尽力なさいと私は言いましたね? サイヤ人らしく、誰にも、私にも頼らずに成し遂げれば、貴方の罪を赦すと、私は申し渡しましたね?」
「うぅ……し、しかしこれ以上は誤魔化せません…どうか、どうかお聞き届け下さい…!」
裏を返せば。彼女はその3人以外にはまるで興味がなかった。
ゆえに、ベジータ王が何をしようと、干渉する気はなかった。
口では脅しているものの、もはや殺すことすら億劫であると感じていた。
「ただでさえあの調査で不信感を持たれている…貴方の協力なしでは、もう……」
ベジータ王はまるで生きた心地がしなかった。前門のタイガーフリーザ、後門の核弾頭エミューゼ。
エミューゼが直接動く気がない以上、ベジータ王はフリーザに挑むことはできない。
結果として、以前よりもずっと胃が痛い日々が訪れてしまった。
つい先日、フリーザに呼び出された時のことである。
「お久しぶりですね、ベジータ王。なぜ呼び出されたかは、わかりますね?」
「貴方のところの兵は、私の資産でもあるのです。それが7人も死亡。我が軍の科学者も行方不明。たかだか滅びた星の調査でです」
「ベジータ王。黙っていてはわかりませんよ? 殺されたいのですか?」
悔しくてたまらなかった。もしエミューゼがその気になってくれれば、この忌々しい宇宙トカゲも始末してくれるだろうに。
今は恥辱に耐えるしかない。
ベジータ王は屈辱で震えていた。
「冗談ですよ、そんなに怯えないで下さい。今日お呼び出したのはお祝いのためです、ベジータ王」
不意に、フリーザが笑った。否、嗤った。
まるで、獲物を追い詰める蛇のような表情であった。
「なんでも娘さんがいるそうじゃありませんか。サイヤ人では珍しい白い髪をした娘さんが」
「知りませんでしたよ、貴方にあんなに似ていない娘さんがいるなんて。これはお祝いしなければならないでしょう?」
「どうしたんですか。私には会わせたくないと? わかりますよ、その気持ちは。自分の子は、娘さんは可愛いですからねぇ」
「でも安心してください。ただ、話をしたいだけです。貴方の娘さんと、ね」
ベジータ王の心臓が早鐘のように鳴る。
もしこの話を持ち帰れば、エミューゼに殺されてしまうかもしれない。
しかし、断れば、今ここで殺される。
ベジータ王の受難はまだ、始まったばかりであった。
次回はフリーザ様とエミューゼの対面となります