終末、カルデアの技術者達 作:うんでるすたんど
また前の話とは別の人です。
冬の檻。
北の山脈、高度6000kmにも達する、魔術の関門がある。
幾重にも張り巡らされた迷いの罠と、深いクレバーや切り立った崖の中腹にある難関は、挑めば帰りぬ地として人々に恐れられていた。
登山すれば遭難は必然。
辿り着けば魔の致死を施される。
異郷。
山に棲む魔術師達は冬山の魔物と噂され、自然の要塞となった地に魔術を重ねて造られた建築物は、山に挑む者達の畏怖をかき集めて力を増していく。
其れこそがカルデア。
人類史最後の希望の地。
異端の技術が集うただの魔術の研究所に、今日も木槌の音が響く。
…コー…ン。
と、空気に抜ける音が山脈に反音している。
朝早く、太陽がほの明るく大地を照らし出した冬山の僅かな灯りを頼りに、男が独り、研究所の白い外壁を叩いて回る。
コーン、コーン。
雪が積もって隠れた外壁を、男は木槌で叩いては払う。
高く無く低く無く、打たれる木の音が穏やかに反響して、狼も眠る山の夜明けを満たす。
白い息を吐きながら、雪だるまに見紛うほど着込んだ服の中、耳覆いの付いた帽子を被った男が脚を雪に埋めては、引き抜いて、歩く。
緩やかに壁伝いを歩いていく。
それは大変な仕事だった。
男は先ずそれを思い立った。
しかし誰かがやらなければならない。
魔術の妙技を持ち寄って作られた研究所。
魔術界隈で有数の神秘に強い建築も、物質界では唯のセメントと鉄骨の塊だ。
毎夜降り積もる雪の重さに耐えかねて屋根が潰れる前に、誰かが雪を払わなければ。
そう思うからこそ、男はこうして早朝になる度、その小さな木槌を持って壁を打って回るのだ。
コーンと打つ、狐が目覚め、また一つ打てば、しだいに日が昇る。
叩かれて響いた音は軽やかに、男の耳から脳へ滑り込んで来る。
耳を揺らし、過程を辿り、魔術的に解析され、最後に男へ建物の劣化やひび割れや耐久度を伝えてくれる。
カルデアに住まう英霊も、マスターも、音に聴けども姿を知らぬ木槌の彼を聞き、技術班の人々は語った。
彼こそ我らが技術の門番。
研究城の誠の主人。
その名は木槌の衛兵である、と。
まぁ、男には全く知りえぬ所で語られた預かり知らぬ話なのであるが。
だが、あの悲しい事件の後で、ただ日が過ぎる中、技術班の沈む背を見て一番早く立ち上がったのは彼だった。
それでも、誰かがやらねばならぬ。
彼はただ実直に、静かに作業を続けているだけだ。
穏やかに、過ぎし日を笑って。
壁をぐるりと見回り、一周。
木槌の音が止まる。
次は上である。
目線だけで男はそう言った。
梯子とシャベルを取ってきて、雪を降ろしてから壁沿いに道を作ろう。
音が変わる。
シャベルを持って雪を切る音はとても静かだ。
時折、ザラメのように硬くなった所を掘る時だけ、ざくりと雪の音がする。
時はしだいに過ぎていく。
やおら日が東に高くなり、山の影と日向がはっきりと別れだした刻。
腹を空かせて崖の下を飛び回る鳶や鷹が、ふと賑やかに啼き声を挙げたのを男は聞いた。
二週間か三週間か、久しぶりの顔が見れると知って、男は笑う。
雑用係のご帰還である。
屋根の上でシャベルを握り腰に木槌を携えた男は、太く曲がった角の大山羊が引く荷車を連れて先を先導している茶革のマントを被った女に手を振った。
おぉい!無事帰ったか!
木槌の男の良く通る低い声、明るい響きに彼女が気付く。
また何処かで拾ってきたのだろう、槍の様な杖を天に突き上げて、女が返した。
ああ!今回も良い案配だったよ!
隠れた顔の端から、白い歯がチラリと見えた。
近づいてくる列が歩く道は、先ほど男が整え、踏み固めて慣らした一本道だ。
二頭の大山羊が荷馬車を牽いてついてくるのがわかると、女は脚を早めた。
荷物があるというのに、相変わらず早い脚だと男は笑う。
男が立つ屋根のすぐ下に来てから、女はマントのフードを取り払った。
美人である。
男は努めて冷静にそう思った。
雪の山を越えて来たからだろう、彼女の口から溢れる白い湯気が声に合わせて空に溶けて、日に照らされた頬が桃の様に色付いて見える。
父は南の海の産まれだという、金の髪と緑の瞳が美しかった。
男が惚けていると、彼女はパチリと瞼を閉開して屋根の上で立つ男の背後に視線を投げた。
誰か手伝っているのか?
男は静かに笑って答えた。
雪下ろしは大変だろうと、かのパラケルスス殿がホムンクルスをお貸し下さったのだ!
女は納得した様な、そうでない様な顔をして頷いた。
今度は男が問いかけた。
下界はどうだ?何か面白いことは無かったか!
女は口を歪めて、大声で一言。
無い!!
とだけ叫んで、踵を返して山羊を先導しに戻って行った。
それは良い。
男も笑って作業に戻った。
雪が降らぬ、冬山にしては暖かな日である。
今日は作業も捗るだろう。
また少し、刻が過ぎる。
太陽が山の天辺に昇った頃、研究所が建つ崖の斜面は光を山に遮られて影に覆われた。
毎日の事だが、影に入った雪の中は身を切るように冷ややかだ。
男は汗を掻いた服の内側から凍えそうになり、魔術で自らを温めて、また汗を流す。
屋根から下ろした雪はあっと言う間にホムンクルス達が給水タンクへ放り込み、窯に火を焚いて室内の濾過器へ回してくれていた。
有難いことだ。
ついつい手の平を合わせて拝んでから、男は、違うな、と被りを振る。
帽子に積っていた雪が僅かに落ちた。
語っても答えない者に、異国の祈りは通じまい。
ならばと、男はホムンクルス達が群がる所を目掛けて、その良く通る声を腹から出した。
さあ、飯の時間だ!食堂に行こう!
ーー
はて?
其処は食堂である筈だった。
然り。
だが、喧騒の後はいつも荒らされた場が残るのみ。
それにしたって、これは酷いんじゃなかろうかと、炊事場を片付ける青年は鼻を鳴らした。
飛び交った後の机は椅子に積まれ、余波で飛んだ鍋は溢れて排水溝に流れている。
正面では同じ技術班の友人が一人でプロテインバーをピラミッド型に積み上げていた。
二人は同時に溜め息を吐く。
グレーの瞳をした青年が、余ったプロテインバーでスフィンクスを作るのに挑戦しながら言った。
「あの狼肉、干してくばろうぜ」
ブラウンの髪の青年が、哀しげに言った。
「それもいいかもね。鍋の中身は戻らないから、別の火種になるだけだけど。」
再び重なる溜め息に嫌気がさしながらも、溜め息を吐く他にどう言ったらいいかもわからず、二人はやはり溜め息を吐いた。
そこへ、ずらりとホムンクルスを連れてやって来た男がいた。
彼は珍しく誰もいない食堂でぽかんと口を開け、数分辺りを見渡してから木槌で壁や床を叩いて回り、無表情なホムンクルス達と共に机や椅子を片づけて、それからようやく厨房の二人に話しかけて来た。
なんだ、何があったんだこれは?まるで学級崩壊した教室のようだぞ?
と、男は問う。
しばし沈黙。
「的を得てますよ。」
茶髪が言った。
「サンキュー木槌」
灰目も言った。
二人は事情を説明するついでにと木槌の男を椅子へ座らせ、並んだホムンクルス達にも水とプロテインバーを配って、やっぱり溜め息を吐いた。
二人が言う。
「実は、雑用さんがランサーさんとが喧嘩をしたんです。」
「喧嘩っつーか、暴動だったな、あれは」
二人が口を並べてへの字にする。
どのランサーかと、男は問う。
「槍が赤いほう」
「その派生全員も。」
ああ。成る程、把握した。
木の実を砕いて乾かして固めたような保存食を、みんながみんな齧り、水で流し込みながらの会話である。
不味い、誰も言わないでも心は通じた。
食堂に誰も居ないわけである。
改めて、男が尋ねた。
で、きっかけは何だ?
低い声色は不機嫌ではなく、しかし、余り聞きたくも無さそうな気持ちを過分に含んだ声だったが、二人は話したかったので好きな様に口を開いた。
「雑用の馬鹿が!狼肉をシチューにぶち込んだんだよ!!!」
「ゲイボルグが!アンサズが!爆破炎上鍋噴火したんですよ!!!」
絶叫だった。
「狼肉は犬肉かどうかって討論が始まって!!」
「鍋溢れるし!焦げるし!!」
「暇してた英雄王とスカアハとメイブが悪乗りして雑用の背後に回るし」
「全クーフーリンvs天敵の壮絶な戦いが此処で…他所でやれよ!食堂だぞ!此処!!」
「止められるわけもないし、マスター君に頼んだら笑顔でエリザベートさんを食堂に…。」
「おいやめろ!そこは、思い出すもんじゃ、ないぜ…」
「ぐすん。」
爆発した怒りは最上級のトラウマで塗り替えられたようだ。
椅子を立ち上がらんばかりだった二人の気迫が涙に濡れる。
男は黙って天井を仰いだ。
心底、その場に居なくて良かったと、そう思った。
話す事を終えた若い二人は、相変わらず同時に溜め息を吐いている。
男は言った。
では、俺は仕事に戻る。
続けて、もう一言繋げる。
雑用とクーフーリン達には、無くなった分の料理を日数換算して、その間プロテインバーで過ごして貰うしかあるまい。
途端、双子はパッと顔を輝かせて笑顔になった。
男も笑った。
冬山の少し暖かい日。
それもまたカルデアの日常である。
プロテインバーの味は、甘みの無い塩味の月餅みたいなやつ。
食えなくは無いが、食べてて辛い。
雑用係お手製です。