幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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キミは生き残れるか?(無理)




吸血鬼異変──終結*

 チルノと大妖精は広々とした大広間に転移させられていた。

 その八方には転移陣が敷かれており、魔界から次々と使い魔が召喚されている。

 しかし二人はそんな状況を意に介すこともなく、はしゃぎ回っていた。

 

「大ちゃん、レティはどこいった!?」

「うーん……離れ離れになっちゃったみたいだね。ほら他のみんなもいないし」

「全く、どいつもこいつも臆病者ばかりなんだから。まあいいよ、レティやリグルやみすちーは我が四天王の中でも最弱!」

「あー……四人中三人が最弱ってどうなのかな? しかもリグルちゃんもミスティアちゃんも多分、私よりも強いと思う」

「そんなことどうでもいいわ! あたいと大ちゃんだけで戦力は十分! 親玉の場所まで一気にいっちゃいましょ!」

「うんうん、確かにそれが一番だよね。けど場所が分からないよ?」

 

 大妖精はチルノの言葉に素朴な疑問を返してゆくが、チルノはそれに回答せずに次の話題へと移った。大妖精の方も別に彼女からの回答は期待していなかったようで、次なるチルノの出した話題に相槌を打っている。

 

 妖精というのは自己中心的な存在であるが、そうして見ると大妖精という妖精がどれだけ異質なものであるかが容易に理解できる。そうでなければ相槌を打つという行為などできるはずがない。

 また、それらは大妖精の日々の生活にも出ている。

 大妖精は霧の湖のまとめ役であるが、彼女がこの役に甘んじているのは妖精たちの中で格段に精神が成熟しているからだとか、そういう理由ではない。

 確かに普通の妖精に比べれば大妖精は大人びているようにも見えるし、比較的には理知的だろう。

 だがそれらはただチルノの役に立ちたい、チルノをもっと立たせてあげたい。その一心によるものである。献身的な彼女の異質な性質が、それを生んでいるのだ。

 

 二人が駄弁っている間にも、召喚された使い魔たちが彼女らを囲ってゆくのだが、二人はなおも気に留める様子はない。チルノと大妖精にとってこの程度の使い魔ごときであれば、目を向ける必要すらない。文字通り眼中にないのだ。

 

 しかし使い魔たちにしてみれば、訳も分からずに強制召喚されたと思えば、目の前では(見た感じ)普通の妖精2匹が自分たちを意に介す様子もなくただ意味の分からないことをほざいている。

 場の状況が飲み込めないこともそうだが、たかが妖精ごときがこちらに一瞥もくれないことは、プライドの高い高位悪魔である使い魔たちにとって非常に許し難いことだ。見過ごすわけにはいかない。

 

 雑魚妖精ごときを殺しても、使い魔たちには暇つぶしにすらなりはしないが、今の鬱憤を晴らすにはもってこいの相手だ。

 取り敢えず軽く消し飛ばしてやろうと、一人の使い魔が指先に魔力を集中させ……

 

 ──ゴロリと、使い魔の()()()()()

 首の断面から噴水のように血が噴き出し、真っ赤なフロアをさらに紅く染めてゆく。なんの前触れもなく広がったその光景に、使い魔たちへと動揺が走る。何が起こったのか全く理解が追いつかない。

 

「チルノちゃん、ちょっと待っててね?」と大妖精は言うと、ゆらり……と使い魔たちへと視線を向ける。おおよそ、妖精が出すような雰囲気ではない。耳が囁くのは、濃厚な死の気配。

 

「私とチルノちゃんの遊びを邪魔しないでくれませんか? あなたたち如きに、チルノちゃんが構ってあげる時間はないんですよ」

 

 大妖精が手を掲げると同時にゴウッ、と突風が吹き、使い魔たちは一斉に床へと倒れ伏す。全員が首を一迅の刃のもとに切られていた。

 全員の死亡を確認した大妖精は羽を羽ばたかせ、黄金の風を巻き起こす。浄化の風は使い魔の体を光の粒として分解し、空気に還した。

 

 片付けを終えた大妖精がチルノへと向き直る。だが彼女は振り返ると同時にむにょん、とほっぺたを両手で押さえられた。

 ひんやりとチルノの腕から冷気が伝うが、大妖精はそれが気にならないほどに顔へと熱を感じた。顔はすでに真っ赤だ。

 

「チ、チルノちゃん……?」

「大ちゃん、なんで一人で片付けちゃったのさ。ここはあたいとのハイパーコンビネーションってヤツで背中合わせに戦う場面でしょ!」

「いやチルノちゃんに迷惑かなーって思って……。逆に迷惑だったかな?」

「そんなことはないけど……もういいや。もう一回やればいいだけだしね」

 

 チルノはそう言うと、部屋の温度を急激に引き下げてゆく。部屋中が凍りつき、絶対零度を下回る。勿論、大妖精に被害が及ばないように限定的に狭めた範囲のみであるが。

 そして数秒後、時は逆転し浄化されたはずの使い魔たちが復活する。

 当の本人たちは何が起こったのか理解できずに右往左往するだけであった。

 

「これでよし。いい? 次は一気に殲滅するんじゃなくて、じっくりコトコト煮込んでいくのよ! そして大ちゃんは戦いの途中であたいを庇って負傷、あたいに全てを任せて死んじゃうの! そしてあたいは亡き大ちゃんとの思い出を胸に最終決戦に挑む!」

「あーうん、えっとなんていうか……私、死ねないんだけどなぁ……」

 

 

 ────────────

 

 

 

 部屋中を蠢々(しゅんしゅん)と小さき者たちが隙間なく蠢き、合間から聞こえるは幽かな美しき狂気の歌声。そして闇に溶けた者たちが最期に見たのは、張り裂けた真っ赤な口膣だった。

 

 そもそも彼らと彼女らで勝負など成り立つはずがない。なぜならこれは上位者による一方的な捕食活動なのだから。

 

 バリバリと大小様々な咀嚼音が部屋に響き渡る中、リグルとミスティアは暇そうに部屋中央に座り込んでいた。その傍らでは蟲たちに紛れてルーミアが一心不乱に使い魔の肉へと食らいついている。

 

「はあ……いくら探しても吸血鬼はなし、かぁ。もう全滅しちゃったのかなぁ」

「まあまあそう落ち込まないで。みすちーの料理はやっぱり八目鰻が一番なんだからさ、無理に吸血鬼の肉で客を釣らなくていいんだよ。なんなら私が蟲たちでいっぱい宣伝してあげてもいいのよ?」

「それじゃ人間の客が寄り付かないでしょ。まったく、リグルもルーミアも気楽なもんで羨ましいわー……」

「そう言わずにさ。ほら、このお肉もなかなかいける」

 

 巨大なカミキリムシが持ってきた薄い肉をリグルが摘む。ミスティアも一度お店のことを頭から離し、少しばかり騒がしい晩餐に参加した。

 

 結局、吸血鬼のお肉は手に入らなかったもののリグル配下の蟲たちやルーミアは腹を膨らませ、ミスティアは歌ってリフレッシュすることができた。

 結果オーライというやつだろう。

 

 

 

 ────────────

 

 

 転移の際、他の者たちより一歩引いた場所に居た河童たちは、転移されることなく正面玄関に留まっていた。

 間も無くして大量の使い魔が召喚されたのだが──ここも例に漏れず。

 

「オラァァッ吹っ飛びやがれェェェ!!」

「爆ぜろやゴラァッ!!」

「ギョーンとしてドカーンッ!!」

 

 河童が銃のトリガーを引くたびに使い魔たちの体が内から弾けてゆく。エネルギーを圧縮して敵の内部に送り込み、内から外へと破壊する河童の新兵器である。いくら必死になって躱そうとロックオン機能付きなので躱しようがない。

 中には捨て身の一発を入れる使い魔もいるのだが、渾身の一撃もハイメタリックなパワードスーツを貫通することはできず、その使い魔はパワードスーツから放たれたレーザービームによって瞬時に肉塊へと変化する。一方的な蹂躙であった。

 

「ヒャッハァァァァ!! 汚物は消毒だァァァァァ!!」

 

 一人、時代錯誤な火炎放射器を持ち出して使い魔たちを火だるまにしてゆく河城にとり隊長。確かに性能としては防御、回避不能な最新型の銃のほうが格段に上だろう。しかし彼女が今回追求したのはロマンなので特に問題はない。

 唯一問題があるとすれば水の妖怪やら水子の霊やら言われている河童が火炎放射器とはこれいかに、という点ぐらいか。にとりにすれば些細なことだ。

 

 と、そうこうしているうちに使い魔軍団は全滅。部屋には判別不可能なまでにグチャグチャになった肉塊と、焼死体だけが残った。

 

「隊長、殲滅完了しました!」

「よし、尻子玉を回収した後に次なる獲物を探して移動を開始する! 次はスーパー光化学迷彩と核熱ブレードを試していくよ!」

『イエッサー!』

 

 

 ────────────

 

 

「パ、パチュリー様ッ、地下室への扉に結界をつけてなかったんですか!? なんかどさくさに紛れて突破されてるんですけど!」

「……いや、そんなはずはないわ。確かに今も結界は発動している。あの妖怪が何かしたと見るべきね。見たところ普通の妖怪ってわけでもなさそうだったし」

 

 慌てる小悪魔を落ち着けるようにパチュリーが言うが、当の彼女もそれなりに焦っていた。

 フランドールを無理に刺激した結果はパチュリーでさえも推測できない。何れにせよろくな結果にはなりそうになかった。

 

 一方、いつの間にか忽然と姿を消している主人に藍と橙も慌てていた。

 紫が勝手に行動を開始することは今に始まった事ではないが、彼女の守護を第一の主命としている式神二人にはあまりよろしくないことである。

 

「また紫様は御勝手に……!」

「藍さま! 私がここを抑えますのでその隙にあの扉へと────」

「ダメだ。お前といえどもあの二人を相手にするのは些か荷が重いだろう。おまけに、彼方さんはこれ以上あの扉の先へ通したくないらしい」

 

 パチュリーと小悪魔は扉を遮るように立っていた。彼女らとしてはこれ以上の余計なイレギュラーは、是が非でも避けねばならない。

 パチュリーが両手を翳すとともに、二種類の光が満ち溢れてゆく。全てを包み込む優しい光と、全てを照らす激しい光だ。

 相反する二つの輝きは互いを増幅させながら威力を増してゆく。

 

「ここから先は絶対に通さないわ。柄じゃないけど……この先に行きたければ私を倒してからいきなさい。──日&月符(ロイヤルダイヤモンドリング)

 

「柄じゃない」と言いつつ、パチュリーは結構やる気満々で己の最大火力を持ち出した。さらに周りでは五色の魔法陣が浮遊してさらなる追撃の準備が完了している。パチュリーの意外な本気度合いに小悪魔は表情を引き攣らせた。

 

「……強制憑依(ユーニラタルコンタクト)

 

 対して藍は式札を数十枚展開。その一枚一枚が藍の姿を形作り、全てに意思が宿る。

 単純に考えて藍が数十人である。

 この状況下においてもいつも通りの堅実な戦法を取る藍であるが、完璧にプログラム通りの行動をこなすことこそが式としての弱点であり、最大の武器でもあった。

 

「橙。一人でやれるね?」

「勿論です! どーまんせーまん!」

 

 藍の言葉に橙は大きく頷くと熱り立ち、高速で九字を唱えながら縦と横に指を切る。そして橙から魔除けの力が飛び出し、小悪魔の呪いを祓ってゆく。

 魔の者である橙が魔除けを使うのはプログラミングした藍(に要らない助言をした紫)によるそれとない皮肉である。

 

「小悪魔、止めなさい」

「了解です!」

 

 それすらも飲み込まんと小悪魔はさらに呪を撒き散らす。さらに影が蠢き、数本の黒い触手が飛び出した。

 

 互いが己の主人の為に全てを尽くす。

 策士と知恵者の攻防はまだ終わりそうにない。

 

 

 ────────────

 

 

 

 猛る武人は、鬼の前に屈した。

 攻防自体は美鈴の有利に進んでいるように見える。現に萃香の被打は美鈴のそれと比べて10倍ほどの差があった。

 しかし、萃香は全く堪える様子を見せないのだ。さらには萃香の一撃が果てしなく重い。攻撃が入るたびに美鈴の意識が飛びかける。

 

 荒々しく肩を上下させ空気を取り込むが、体力は一向に回復しない。己の内を巡る気脈が乱れている証拠だろう。外界より外気を取り入れてなんとか調節してゆく。

 もっとも────。

 

「──鬼の前で休憩とはいい身分ね? 休憩や洗濯っていうのはさ、鬼の居ぬ間にやるもんだよ。じゃないと……こうなるっ!」

「──ッ!?」

 

 目の前の鬼はそれを許すほど愚かではない。

 萃香が軽く腕を振ると凄まじい衝撃波が空気を走り、地を抉りながら美鈴へと迫る。不可視の攻撃ゆえに、衝突のタイミングを計るにはその破壊活動が及んでいる範囲をよく見るか、風と気配を感じなければならない。

 一流の武闘家である美鈴にとってその程度のことは朝飯前であるが、問題は……鬼が同時に衝撃波と変わらぬスピードで美鈴に突撃してきていることだ。なんの変哲もないショルダータックル、それが質量ある物にとって、何よりの脅威であった。

 両方ともに即死級の一撃。どちらか一方でも喰らえば、強靭な肉体を持つ美鈴でさえも良くてバラバラ、悪くて粉微塵であろう。

 

 だが、この程度で陥ちるような存在だったのならば、紅美鈴という妖怪は紅魔館の門番など務めていない。この程度で死ぬような妖怪であったのなら、伊吹萃香とここまでの戦闘は行えていない。

 

「……フッ!」

「っ! と……!」

 

 美鈴は右手をしならせ萃香を封じ、同時に衝突した衝撃波を左手でいなして萃香へとぶつけた。凄まじいエネルギーを相手取るには、それと同程度の技術力が必要だ。美鈴の技は萃香の破壊を操れるほどに卓越されていた。

 萃香の鬼としての範疇すらも遥かに超越した強靭な肉体は、最強の矛にもなれば、最強の盾にもなる。不条理をまさに体現したようなスペックである。だからこそ、不条理をぶつけ返すしかない。

 矛盾を相手取るには矛盾しかないのだ。

 

 最強の矛と最強の盾の衝突。その結果は相殺であった。だがそれでいい。

 ほんの僅かなスキ、それさえあれば美鈴はどこまでも戦える。

 

 鋭い掌底打ちを萃香の首に打ち込み、続けて右、左と顎を連打。そして俄かに仰け反った萃香の顎先へと烈火の豪脚による足刀。

 流石の萃香もたたらを踏むが、美鈴は震脚を容赦なく踏み込み、追撃を浴びせかけた。

 細胞の隅々までに気を張り巡らせることによって元々の数倍まで能力が底上げされた身体から繰り出される鉄山靠は、萃香の鳩へと突き刺さった。

 

 ──バンッ、と肉の弾ける音がする。衝撃に空気が震え、あたり一帯が陥没した。

 八極拳のその由来とは、”八方の極遠にまで達する威力で敵の門を打ち開く”……という旨であるが、簡単に例えるならばゼロ距離からの大砲による砲撃と言ったところか。

 人間の身体と技術をもってしてそう言わしめる八極拳奥義の鉄山靠である。能力、技ともに人間とは一線を画した美鈴による鉄山靠は、文字通り威力の桁が違う。その一撃は萃香へ届き得る。

 

「ぐっ、カハッ……ハッハッハ!」

 

 届き得た、はずだった。しかし萃香は数メートル後方へと吹き飛び、口から少量の血を吐き出したのみ。しっかりと地に足をつけて踏みとどまった。

 そして浮かべたのは壮絶な笑み。恐怖や苦痛は微塵にも感じられない。ただ在るのは歓喜と興味だけだった。正直、美鈴は相手が自分と戦っているのか……それとも遊んでいるのか。それすらもよく分からない。

 

「いいね、いいねぇ! やっぱりどつき合いはこうでなくちゃ!血と汗滾る死闘、最高だ! さあ、次は一体どんな技を見せてくれるんだい?」

「……やっぱり遊ばれてますか」

 

 一つずつ引き出しを披露させられている。そして、それらを全て完膚なきまでに力で正面からねじ伏せてゆく。太古より人間へと振るってきた圧倒的暴力と恐怖は未だ健在であった。

 

 美鈴はビリビリと萃香の重圧によって震える体を引き締め、地に足を突き刺した。

 なるほど、強い。自分では及ばない。

 

 

 だが、──勝てない相手ではない。

 

 

「貴女は強い。それも果てしなく、底が見えないほどに。正直、今すぐ降参したい気分ではあるんですがね……立場がそれを許してくれない」

 

 心底これ以上の戦闘が嫌だという気持ちを隠そうともせず、美鈴は苦笑混じりに呟いた。

 その言葉に萃香は眉を顰める。せっかく盛り上がってきたところだという、このタイミングで気分を削ぐような美鈴の言葉は気に入らなかったようだ。

 なんとか彼女の闘志を捻り出させてやろうと、萃香は挑発の言葉を投げかけようとする。しかし、それは萃香の杞憂であった。

 

「この技は……出来れば使いたくなかった。これは私の武人としての信条に反するものですから。だけど、私は武人である前に門番であって……護るためならば手段を選ばない。貴女を倒してお嬢様の元へ駆けつけなければならないのだからッ!」

 

 美鈴は叫ぶ。そして握りこぶしを手のひらへ押し付けると、気を練り始めた。

 それとともに膨大な力が美鈴より溢れ出し、その身へと吸い込まれてゆく。

 無尽蔵かと思えるほどに美鈴の妖力が高まり、そのエネルギー密度はどんどん過密になる。明らかに美鈴の身の丈を超える力であった。

 萃香はその現象に一瞬だけ首を傾げたが、すぐに納得して壮絶な笑みを浮かべた。

 

「本当に飽きない妖怪だよ。実に多彩で、老獪! そして無謀だ! 幻想郷をお前一つの身に抑えつけるつもりなのか! ハッハッハ、度胸は買うがね!」

 

 神秘の交錯点として存在する幻想郷が内包するエネルギーは、大陸にも匹敵するだろう。

 現に猛者たちによる破壊でも、幻想郷は壊れず今も存在し続けている。紫や藍による管理の賜物でもあるが、幻想郷自身の頑丈さが占めるウェイトが大きいことも事実である。

 

 そんな幻想郷のエネルギーを吸い上げることによって、美鈴はその身に力を宿そうとしているのだ。無謀な行為だと言わざるを得ない。

 鬱蒼と茂っていた草花は枯れ果て、砂と散ってゆく。代わりに美鈴の体から吹き出る紅蓮のオーラは、なお一層力を増して幻想郷を覆っていった。

 

 萃香はしばらく笑みを浮かべるだけであったが、美鈴の力が増幅するに連れて目を鋭いものにしてゆく。美鈴の紅蓮のオーラが自分の鬼気と拮抗し、そして焼き払っているのだ。

 とっくに体がぶっ壊れてもおかしくない、そう断言できるほどの凄まじさだと言うのに。

 

 どこまで……そう考えた時、萃香に一つの仮説が生まれた。その仮説ならば、美鈴が身の丈を超えたエネルギーを吸収できる理由に納得できる。

 

「龍脈を、そこまで扱うことができるヤツはそういない。高位の仙人や天人でも無理だろうさ。ハハッ、お前さんほとんど龍じゃないか!それも本家越えときた! ……なぜお前さんみたいなのが、西洋妖怪と一緒にいるんだい?その辺りがどうも不自然でならない」

「──ッグ……そう、ですね。私でも時折、そう思いますよ……!」

 

 歯を食いしばりながら美鈴は言った。だが言葉とは裏腹に、その瞳には確かな信念が宿っていた。表情は苦痛に歪むが、確かな笑みを浮かべる。

 

「多分、魅せられてしまったんでしょうね。あの方、たちには────ッ!!」

 

 ──ドクン、と美鈴の体が跳ね上がる。それとともに周りを焼き尽くす紅蓮のオーラは収束し、美鈴の中へと消えてゆく。

 二人の周りにはもう何もない。砂と塵による死の世界がどこまでも広がっていた。すべての生命力を美鈴が吸収し尽くしてしまったのだ。

 

「幻想郷に生きた者たちよ……どうかお許しを。全ては勝利を捧げんがために」

「ハハッ、酷いエゴだね。──それで、もういいかい? いい加減待ちくたびれちゃってねぇ。勿論、さっきまでと同じってわけじゃないだろう?」

 

 萃香は美鈴の外気法を律儀に見守っていた。無論、攻撃のチャンスではあった。だが、それでは面白くない。相手に全てを曝け出させ、真っ向からそれを叩き潰す。……それが鬼だ。

 気概を示すように手のひらを打ち、ニイッと笑ってみせる。美鈴もそれにつられるように笑った。

 

 ────一瞬の静寂の後、萃香は美鈴に殴りかかった。渾身の右ストレートはしっかりと美鈴の頬を捉え、そのまま殴り抜ける。

 

 萃香は空ぶった。しっかりと捉えたはずなのにまるで空気を殴ったかのように手ごたえがない。ふと、正面を見据えると──なかった。

 肘から先が霧散していたのだ。美鈴は手を前に出しているだけ。つまり、萃香の腕を打ち払っただけなのだ。

 

「……へえ?」

「随分と、鬼というものは脆いのですね。触っただけで崩れてしまった」

 

 ──マズイ

 そう思った時には、もう遅い。顎を蹴り上げられ、宙へと浮かぶ。

 なおも見据える萃香の目の前には、掌がかざされていた。

 

「それでは────終わりです」

 

 星脈地転弾(せいみゃくちてんだん)。放たれた彩光の波動は全てをことごとく破壊し、消し去った。数瞬後に波動は徐々にその勢いを収めてゆく。美鈴の前方にあったものは、今や何一つない。

 

 眼前に広がるは、どこまでも広がる荒野と、大きく抉れた大地。

 美鈴は膝をついて大きく息を吐き出すと、エネルギーを幻想郷へと還元してゆく。これで幻想郷の70%は回復するだろう。だが、あとの30%は戻らない。龍脈がこれから数千年とかけて復元してゆくしかないのだ。

 ことの重大さは美鈴が一番よく分かっている。勝つためとはいえ、あまりにも多くのものを犠牲にしてしまった。だからこうして懺悔するのだ。

 

「私は……勝つしかなかったんです。あの方たちのために、絶対に勝たなければならなかった。だから……だから────」

 

 

 

 

 

 

 

「よっと」

 

 死の世界で軽快な声と着地音が響く。

 美鈴の肩が震えた。

 

「いやー()()()()()()! 実に千年ぶりくらいか! いやー酒が美味い!」

 

 

 ──ここまで、規格外なのか?

 

 美鈴は深い恐怖を感じながら、鬼を見た。

 傷は一つとしてない。あるのは強者としての余裕と、確かな存在感だけ。

 

「おや、あのオーラはもう終わりかい? ふむ……残念だね」

「……消したと、思ったんですが……」

 

 力なく呟いた美鈴に、萃香は豪快に笑いながら首に手をまわす。そしてバンバンと肩を叩いた。酒臭さと肩への激痛で美鈴は顔を顰める。

 

「落ち込むなって! お前さんは私に勝ったんだ、一生の誇りにしてもいいぞ!」

 

「さっきから勝った負けたって……どういうことですか。まごう事なく、私が敗者で貴女が勝者でしょう? 私はもう戦う体力なんてこれっぽっちも残っていませんよ。……気力はありますけど」

 

「ハッハッハ! その気概や良し! だけどもう勝負は着いたんだ。私が敗者で、お前さんが勝者さ」

 

 豪快に笑いながら萃香は伊吹瓢の酒を煽る。そして語り始めた。

 

「私はこの闘いで制限を設けていたんだ。だけどお前さんはそんな私の誓いを破らせた!()()を使わされることになるとは、夢にも思わなかったよ!」

 

 

 

 ──いや、ちょっと待て。

 

 萃香の言葉を聞いた美鈴の頬に嫌な汗が伝う。

 まさか、今の今まで能力なしだったというのか?アレだけの力を見せておいて?

 ……それは、あんまりな話である。

 

「は、ハハ……これだから、長く生きるのは嫌になる。いくら鍛えても次から次に上が現れて……あんまりですよぉ」

 

 ほろりと切ない涙を流す美鈴に、萃香はなおも笑う。美鈴の言っていることは誰しもに当てはまる事だ。……萃香とて例外ではない。

 彼女の気持ちが痛いほどよくわかった。

 だから萃香は手を差し伸べる。ともに競った間柄として、健闘を称えるように。

 

「だからといって止められないのが、私たちってわけだろう? 鬼だって生まれた時から強いわけじゃないんだ。私も、お前さんもまだまだ上を目指せるさ」

「……ありがとうございます。正直なところ、貴女のこれ以上なんて見たくないというのが本音ですけどね。まあ、いつかは勝ってみせますよ」

「おいおい、勝ったのはお前さんだろう? いや、そう思いたくないんならいいけどさ。納得がいかないなら私の元へと何時でも来るといい! お前さんが幻想郷にいる限り、私は何度でも再戦を受け付けるよ!」

 

 とてもじゃないが負けた側のセリフではない。だが美鈴は深く考える事を止めた。鬼とはこういうものなのだろうと決め込んだのだ。

 

 二人は笑い合った。

 萃香と美鈴。性格も、種族も、趣向も、何もかもが異なる二人であるが、根幹の部分はとても似ているのかもしれない。

 美鈴は手を伸ばし、萃香の手を掴んだ。

 

 

 

 そして、轟音。

 突如飛来した黄金の閃光が夜闇を切り裂き、散り散りと舞い踊る。

 閃光は容赦なく萃香と美鈴を包み込み、爆音の中へと消えた。

 

 

 

 

 ──一体、何が……?

 

 美鈴は半身が地中の中に埋まった状態で目を覚ました。閃光は萃香の方向から飛んできた。もし萃香が盾になってくれなければ美鈴の命は危なかっただろう。

 見渡す限り、萃香の姿はない。ただ延々と荒野が広がり────

 

 彼女がいた。

 赤いチェックのベストとスカート、そして白いワイシャツを着込んだ緑髪の妖怪が。爛々と星と月の光が降り注ぐ中、日傘を差す姿はとても浮いている。

 そして萃香に負けず劣らずの化け物じみた妖力。次なる規格外の登場に美鈴は絶句するしかなかった。ただ目の前の暴力が通り過ぎるのを気と気配を抑え、息を潜めて待つのみ。

 

「……小鬼はいいとして、もう一人はどこかしらね。しっかりと、私の領域に手を出した事を思い知らせてやらなくちゃ」

 

 妖怪はそう言うと、キョロキョロ辺りを見回している。美鈴は地面に顔を埋めてひたすら隠れる。見つかれば今の自分では命がないだろう。

 運がいい事に、その妖怪は気配察知があまり得意ではないらしい。現に美鈴がいる方向とは反対の場所を探している。

 

「……はぁ、いないわね。このまま探しても埒があかないし、このあたりで切り上げようかしら」

 

 妖怪の独り言に美鈴は歓喜した。だが、よくよく考えればあんなに大きな声で独り言を出しているのはおかしいだろう。

 妖怪は敢えて美鈴に聞こえるように言っていたのだ。少しでも獲物に希望を持たせるために。

 結果として、美鈴の希望は瞬く間に打ち砕かれる事になった。

 

「──あたり一帯ふっ飛ばせば、関係ないものねぇ」

 

 右手に莫大な妖力が渦巻く。幻想郷の半分を消し飛ばしかねない威力だ。

 ……絶望するしかあるまい。口から飛び出そうなほどに鼓動を鳴らす心臓を抑えつける。逃れられない恐怖と絶望がすぐそこまで────

 

 このままみすみす殺されてたまるものか。美鈴は「すいません、お嬢様……」と、心のうちで謝り、妖怪の前へ飛び出そうとした。

 だがその決意は一度中断せざるを得なくなった。妖怪がピタリと動きを止めたのだ。

 

 明後日の方向を向いて、遥か山並みの先を凝視している。最初美鈴は彼女が何をしているのか見当もつかなかったが、気を感じる事によって彼女が見据えているものを把握した。

 あの方向は──紅魔館だ。

 

 嫌な汗が噴き出した。

 

「そこの妖怪! お前が探しているのは私ではないのか!? さあ、私は逃げも隠れもしないぞ!」

 

 美鈴は妖怪の注意を自分に引くべく、身を乗り出して挑発した。こんな化け物を紅魔館に向かわせるわけにはいかない。命を賭してでも止めなければ。

 妖怪は美鈴を軽く一瞥したが、すでに彼女からは興味が失せていた。つまらないものを見たかのように鼻で笑うと、そのまま紅魔館のある方向へと飛んで行ってしまった。

 美鈴はすぐに追いかけようとしたが、後ろから何者かに強い力で組み伏せられてしまう。その正体は萃香だった。

 

「止めておいたほうがいいよ。アレの機嫌が良かったうちに見逃してもらえたんだ、なんとか繋いだ命を無駄にするんじゃない」

「離してください! あいつを、紅魔館に入れるわけには……!」

 

 なおも暴れる美鈴を無理やり取り押さえながら、萃香はため息を吐いた。

 恐らく妖怪……風見幽香が自分たちを狙ったのは、先ほどの美鈴が使った技が原因だろう。大方エネルギーを吸い取りすぎて彼女のテリトリーの花でも枯らしてしまったのか。

 また、ただ目の前の存在が気に入らなかったという可能性もある。風見幽香とはそんなものだ。どこまでも横暴で、どこまでも気まぐれを愛する。

 

 なんにせよ、突然幽香の機嫌が良くなったことで助かったことは事実。萃香とて、幽香とサシで殺り合うのならば酔いを覚まさねばならない。

 

 しかし厄介なことになったものだと思う。

 このまま美鈴を行かせては、間違いなく殺されてしまうだろう。全快の状態ならばまだやりようはあるだろうが、今の彼女は力を龍脈に還元してしまい満足に体も動かせない状態だ。万に一つにでも勝ち目はない。

 せっかく面白いヤツを見つけたのだ。みすみす見殺しにするわけにはいくまい。

 

 空に浮かぶ月を見上げながら片手で美鈴を押さえ付け、萃香は彼女の悲痛な叫び何処かへを押し流すように伊吹瓢の酒を煽った。

 

(今日の宴会は、ナシかねぇ?)

 

 そんなことを呑気に思うのであった。

 

 

 

 

 ────────────

 

 

 一面が光輝いていた。鮮血のように広がっていた紅いフローリングやクロスは、白と銀に変貌し、氷特有の冷たさと鋭さを撒き散らす。

 これらはレティ・ホワイトロックによって引き起こされた事象である。彼女はほんの数秒能力を発動しただけ……たったそれだけだ。

 

 床から生える塔のような氷の彫像には、一人のメイドが閉じ込められていた。手足と腹部を拘束されており、自力での脱出は不可能だろう。

 ガチガチと歯を鳴らし、その隙間から白い息が漏れて、震える。それでも咲夜は憎悪の視線を絶やすことなく空を漂うレティへと向けた。だが、レティはそんな視線も「暑い熱い」と受け流してしまう。

 

 勝負は一瞬であった。

 レティの格上発言を戯言と判断した咲夜は、時を止めた。そして凍りついたのだ。何が起こったかも把握できなかった。

 

「貴様……い、一体、何を……!」

「やだねぇ、私は何もしてないわよ?気づいたら勝手に凍っちゃてて私もびっくりよー。フフ……──貴女、相当滑稽ね、色々と。まあ、貴女の主人もそうだけど、あまり後先考えないで行動してるといつか命を落とすわよ?」

「────ッ!!き、さまぁ……!」

 

 咲夜は必死にもがいた。だが奮闘空しく冷気に体力を削られてしまい、疲れ果ててしまう。

 そんな咲夜を心底憐れなものを見るかのような目でレティは見つめた後、くるりと反転して咲夜に背を向けた。そしてそのまま出口を目指して歩き出してしまった。

 咲夜は叫ぶ。

 

「待てッ、まだ闘いは終わって……!」

「いいえ終わりよ。これを敗北と言わずして、何と言うのかしら?お聞かせ願いたいものだわー」

 

 緩い笑顔を浮かべながらの間延びした返答。咲夜を激怒させるには十分過ぎる挑発であった。もっともレティにそのようなつもりはないのだが。

「あっ、そうだ」と付け加える。

 

「なんでこうなってしまったのか……それだけ教えてあげるわー。────貴女が思う冷たさと、本当の冷たさは別物よ。それが分からない限り何回やっても同じでしょうねー」

「わけの、分からないことを……!」

「それじゃ、さよーなら。貴女とはまた何処かで会えるような気がするわー」

 

 そうとだけ告げるとレティの体はポロポロと崩れてゆき、粉雪となって空へと散っていった。咲夜は最後まで何が起こったのか理解できず、氷像として固まり続けることしかできなかった。

 

 

 ────────────

 

 

 轟く爆音とともに()()()()レミリアは壁へと叩きつけられた。背中を駆け巡る衝撃とともに、口から空気が漏れる。

 だが彼女が息をつく暇などなく、瞬時に夥しい数の魔力弾がレミリアへと殺到した。一撃一撃に被弾するたび、レミリアの体は跳ね上がる。

 

「こ、んなものぉ……!」

 

 レミリアは体から魔力の波動を解き放ち、緑髪の悪霊が放った弾幕を全て霧散させる。それとともに部屋がミシミシと音を立てるが、崩壊することはなかった。

 一方で悪霊は笑みを浮かべながら三日月の付いた杖を時折に翳すのみ。その度に莫大な魔力が渦巻き、レミリアへと襲いかかる。

 

「……凄まじい威力だね。私の結界を揺らすなんてそうそうできるもんじゃない。もっとも、それだけだが」

 

 悪霊が杖で床を叩くと部屋を覆っている結界が新調され、また再び強度を増す。部屋が崩壊していないのは悪霊のおかげだったようだ。

 レミリアは立ち上がり際に爪を振るって魔爪の斬撃を放つが、いとも簡単に弾かれてしまう。どちらが優勢なのかが明白になる攻防であった。

 

 レミリアは荒い息を吐き出しながら、服と自分の身体に染み付いた黒い靄を鬱陶しそうに払う。だが靄は一向に霧散する様子はない。

 

「ああ……鬱陶しい。ここまで鬱陶しい奴とは初めて戦ったわ。癪に触る……!」

「うふふ……能力に頼り過ぎた弊害よ。目が良すぎるのも考えものってね」

 

 悪霊が杖を振るうと同時に、収束された魔力が破裂して空気が爆発する。レミリアもそれに対抗するように波状型に魔力を放出した。

 しばらくの魔力のぶつけ合いとなるが、レミリアの焦燥は増してゆく。

 その理由としては()()()()()()()()()()()()()()が一番に上がる。

 悪霊の放出した黒い霧はレミリアの能力を塗り潰した。どんな原理によるものかは不明だが、微量の魔力を感じることから魔法の一種だと推測できる。

 レミリアの体の周りには常に放出される魔力や妖力によって不可視の鎧が構築されている。大抵の呪いや魔法などはこの鎧がレジストしてしまうのだが、それを貫通してしまった悪霊の魔法技術はパチュリーを凌駕し得る。

 

 レミリアの能力は強力無慈悲なものであり、発動していればほぼ負けることはない。 そのことを悪霊はよく把握していたのだ。

 なんにせよこのような事態はレミリアにとって能力開眼以来初めてのことであった。

 

 魔力の残骸に紛れてレミリアが近接攻撃を仕掛けるが、悪霊はレミリアの音速を超えた連撃を杖で容易く捌く。近接戦闘にもかなりの心得があるようだ。

 グングニルを召喚できればまた違ってくるのだろうが、運命が分からない今に召喚するのはかなりリスキーなことである。誰の運命を貫くのかも把握できないのだ。

 

「お化けのくせに、何よこの馬鹿力……!」

「悪霊だって息は吸うし、ご飯も食べる。当然力だって付くさ! ほらっ!」

 

 杖を横に薙ぐ。先端部の三日月から魔力のスパークが迸り、レミリアの腕を焼いた。

 即座に傷は再生するが、腕の力が入りにくい。悪霊がなんらかの細工を仕掛けたことは明白だ。能力が使えればそんな攻撃わけないのだが……。

 

「フン、これで終わりにしてやるわ! 貴女に訪れるのは逃れようのない運命よ! さあ──惨めに死になさい!」

 

 ────ミゼラブルフェイト(惨めな運命)

 レミリアの手元が紅く輝き、紅蓮の鎖が射出される。凄まじいスピードで飛来した鎖は結界を破壊。悪霊を貫き、そのまま巻き付いて体を囲う。

 レミリアは自分の勝利が確実なものになったことを、久方ぶりに喜んだ。気分の高揚に自然と口が愉悦の笑みへと歪む。

 紅い鎖は対象の運命を縛り付け、強制的に死をもたらす。その効力の強大さはグングニルに並ぶ、レミリアの反則技であった。

 悪霊は余裕の笑みを崩し、苦痛の表情を浮かべると硬直する。そして間も無く項垂れ、そのまま動かなくなってしまった。

 

「……死んだか。いや、お化けはもう死んでるんだったわね。なら消滅かしら? プリーストみたいに光に溶けて……惨めな終わり」

「……」

 

 悪霊が光となって、レミリアに纏わりついていた黒靄が晴れる。それとともに封じられていた能力が戻ってきたことを感じた。

 レミリアは軽く息を吐くと、麻痺していた能力を発動して現在の状況、そして未来を見る。

 使い魔……言わずもがな黒。

 美鈴……敗北。

 パチュリー……苦戦。

 咲夜……敗北。

 そして、自分は────。

 

 

「────ッ!? な……」

「勝利の気分は味わえたかい?」

 

 背後から漆黒の鎖が飛来し、レミリアを縛る。奇しくもレミリアのミゼラブルフェイトに似た技であった。

 縛られたレミリアは力を失い床に倒れ伏した。鎖に妖力が吸い取られてゆく。力を込めるが鎖はビクともしなかった。

 

 背後の空間が揺らぎ、形を成す。

 

「中々のもんだっただろう? 私の()()は」

「きっ……さまぁ……!」

 

 悪霊はレミリアの顔を踏み、床へと押し付ける。先ほどまで下半身は実体のない霊体であったが、今は肉が付いていた。

 敗北を知らないどころか、挫折をほとんど体験したことのなかったレミリアにとっては屈辱どころの話ではない。

 

「さぁて、どうしてやろうかな? 別に何かしてくれとは言われていないが……何もしないでくれとも言われていない。殺すも生かすも、壊すも私次第ってわけだ」

「くっ……殺しなさい! 貴様に情けをかけられてまで、生き恥を塗るつもりはないわ!」

「そうかい。けど、あんたが死んだ後……あんたの妹はどうなるのかな?」

 

 空気が凍った。

 言葉を理解したくないが、嫌でも理解できてしまう。言葉には色々な意味が込められているのだろう。

 いえば人質。またいえばレミリアへのさらなるダメージ。

 ガチャガチャ、と鎖を鳴らしながらレミリアは叫ぶ。

 

「フランに手を出してみろ!地獄までも貴様を引き裂きに行くわよ……!」

 

「地獄に行くのはあんたでしょう?ああ、そのついでに妹に会えるかもしれないねぇ。地獄での再会……リアリスティックでいいじゃないか!」

 

 脳髄が煮え滾るような錯覚に陥った。

 まだ、自分への屈辱だけならいい。だけどフランはダメだ。あの子に手を出すことは絶対に許さない。

 渾身の力を込めて鎖を引きちぎりにかかるが、妖力を限界まで吸い取られた身で出せる力など、たかが知れたものだった。

 芋虫のように地面を這うことしかできない。

 

「くそ……くそ……っ!」

「うふふ、無様でいい気味だよ。──それじゃ、そろそろ終わりにしようか」

 

 杖先から魔力のスパークが迸る。弱体化状態のレミリアを優に消し飛ばすことができる規模まで、魔力は膨張を続けた。

 憤怒の声を上げることしかできないレミリアは、初めて自分の無力さを嘆いた。

 紅魔館の者たちや家族を守る立場にありながら、能力にかまけ向上心を持たなかった自分を恨んだ。

 

 今一度、やり直せるのなら────

 

 

 

 

「────っと、時間切れか」

 

 悪霊が呟いたのとほぼ同時のことだった。

 壁が全てを消し飛び、箱状に展開されている結界の外側が閃光に飲まれた。

 しばらくして光は収束し、あたりは暗闇に包まれる。今の閃光で紅魔館には巨大な穴が空いていた。結界の外には何も存在していない。

 

 レミリアは困惑し戸惑うことしかできなかったが、その一方で悪霊は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「相も変わらず、暇な妖怪だこと。いいところだったけど今日はここらで終いか」

 

 悪霊はため息をつくと──トン、トン、と杖で床を叩き、レミリアを縛っていた鎖を破壊した後、目の前にゲートを開く。そして中へと潜ってゆきながらレミリアへと言った。

 

「さようなら。多分もう二度と会うことはないわ。……最後に一つだけ言っておくけど、その気持ちを忘れないことよ。あんな心構えで生きていけるほどここ(幻想郷)は優しい世界じゃない。まあ、望むものは全て手に入るけどね」

 

 圧力を全く感じさせない悪霊の物腰にレミリアは毒気を抜かれてしまった。先ほどのフランドールのくだりもただの脅しだったようだ。

 このまま何もせずに帰ってくれるのなら結構。二度と目の前に現れないのなら万々歳である。しかしどうにも腑に落ちない。

 

「……結局、貴女は何だったの?」

「うーん……世話好きな悪霊さんってとこじゃないかな? 頼まれごとは断りきれないタチでねぇ」

 

 そこまで言うと、悪霊はゲートの中へと消えていった。それとともに部屋を包んでいた結界が消滅し、夜風が吹き込んでくる。ボロボロになったドレスが寂しく靡いた。

 と、少し遅れて一人の妖怪がやって来た。悪霊と同じ緑髪で、赤のベストとスカートを着込んだ妖怪だ。手には夜なのに日傘を持っている。

 妖怪はレミリアの方を一瞥することもなく悪霊が消えた場所を見ると、日傘を振り回して空間に穴を空けた。そして何くわぬ顔で空間の穴の中へ飛び込み、少しして穴は閉じた。

 

 レミリアはしばらく呆然とした後、ペタンと床に座り込んだ。

 幻想郷は自分の想像を遥かに超えていた。自分が手も足も出ないような奴がこの世に存在していたなんて夢にも思わなかった。

 

 ふと、今までのことを振り返ってみるとどうしようもなく悔しくなってきた。そして悲しくなってきた。

 自信、矜持、意志、思想、自尊心。

 この一夜で、レミリアはあまりに多くのものを失いすぎたのだ。

 

 完膚なきまでに叩きのめされ、地べたを這い蹲り、見逃され、新たにやって来た妖怪には存在すら認知されなかった。

 ──涙が溢れてきた。

 

「……私は……弱かった……」

 

 次から次に溢れ出てくる涙を抑えることができなかった。プライドの塊であるレミリアはただただ悔しかったのだ。初めての悔し涙ほどしょっぱいものはあるまい。

 スカートの裾へ涙が滴り、小さなシミを作ってゆく。ギュッと生地を掴んだ。

 嗚咽を止められない。泣きたくないのに、泣き止めない。こんな姿を紅魔館の誰かに見られるわけにはいかないのに。

 

「うっ……あぁ……あ……っ」

「涙を拭きなさい。可愛いお顔が台無しよ?」

 

 突然声をかけられた。

 悔しさが驚きに、そして羞恥心へと変わる。

 

 急いで涙を拭って声の方向を見る。

 そこには紫色のドレスに身を包んだ妖しく美しい妖怪が自然に佇んで、ハンカチをレミリアへと差し伸べていた。

 

 レミリアはその姿を見るのは初めてだったが、幻想郷に攻め込む前に噂で聞いたことがある。幻想郷最強の妖怪と呼ばれる賢者、八雲紫という名を。

 なぜか一目で分かった。目の前の妖怪がその八雲紫という存在であることを。

 

 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 今、レミリアの心は動揺でいっぱいだった。幻想郷最強の妖怪がいきなり目の前に現れたこともそうだが、一番はやはり泣き顔を見られたことだ。

 恥ずかしさのあまりにレミリアは紫へと殴りかかろうとするが、悪霊との戦いで失われた妖力がまだ戻っておらず体も満足に動かせなかった。

 すると変にジタバタするレミリアの姿を見るに耐えなかったのか、紫は自ら彼女の元へと歩み寄り、涙を顔についていた汚れと一緒に拭ってあげる。

 

「……っ!」

「動かないで」

 

 レミリアにしてみればこのような子供扱いは非常に癪に触るのだが、なぜか今回だけは嫌な気持ちがしなかった。真っ直ぐなそのスミレ色の瞳が、レミリアを惹きつける。

 ……結局最後まで拒絶できなかった。

 

「────これでよし。やっぱり可愛い子に泣き顔は似合わないわ」

 

 紫はそう満足そうに言うと、突然口を噤んでレミリアを見る。レミリアもまた懐疑の視線で紫を見る。どうにも居心地悪くなってしまった。

 しばらく黙って見つめ合っていた二人だが、先にその均衡を崩したのは紫だった。

 

「やめね」

 

 そう短く言うと、紫はスキマを開いた。

 

「異変はこれにて終わり。今回の件について当事者郎党を一切の不問にすることはできません。しかし、命は保証しますわ。そう伝えておきます」

 

 紫は手短にレミリアへとそう告げるとスキマへと消える。

 その姿を見送った後、場に残されたレミリアは惚けたまま夜明けを迎えるのだった。

 

 

 ────────────────

 

 

 フランと遊んでたらいつの間にかとんでもなく時間が経っていた件について。

 いやね、確かに時間を忘れて(年甲斐もなく)フランと遊んじゃったわよ?例えばチェスとかオセロをしたし、幻想郷のことについてもいっぱい話してあげた。

 締めにはいつの間にか復旧していたスキマ空間から取り出したテレビで『ものの○姫』を鑑賞したりもしたわ。楽しかった。

 

 まあそんなこんなで私たちは友達になったの。最初こそはフランが自己紹介の時に病んでるようなそぶりを見せてたから心配だったわ。

 私の目の前で手をにぎにぎした直後に急にめちゃくちゃ怖がられた時は軽くショックを受けた。

 けどその後からは普通に喋れるようになった。元々は明るくて元気な子みたいだから話も弾む。そしておまけにすこぶる良い子!フランは幻想郷の重要文化財よ!

 

 そんなフランとの時間が楽しくてねぇ、気づいた時には5時間近くが経っていた。

 相当焦ったけどフラン曰く「地下空間はパチュリーの魔法のおかげで時間の進みがゆっくり」らしい。いやホント助かった。精神と時の部屋万歳!

 おめおめと上に上がって藍たちに「何してたんです?」とか聞かれて「ものの○姫を見てました」なんて言ったら斬首じゃ済まなかっただろう。

 

 けどそれでも向こうじゃかなりの時間が経っているみたいだったからフランの能力でこの館の主人(フランが言うには姉らしい。優しい妖怪だと推測した)の元まで送ってもらったわ。どうせ外じゃ連中がデーストローイ!してる頃だろうし、講和時だろう。

 結局フランの能力がどんなものなのかはよく分からないけど……ワープゲートみたいなのを作る能力だから『繋げる程度の能力』って感じで推測してみる。

 ドヤァ……

 

 で、フランとの別れを惜しみながら再会を約束して私はゲートをくぐった。

 ワープゲートを抜けると、そこは奇妙な部屋だった。

 壁がないんだけど上等な家具がたくさん置かれているのだ。そして部屋の中央にはボロボロの服を着て泣き噦る少女の姿があった。

 ……色々とホラーよね。私は耐性があるけど妖夢だったらアウトだったと思うわ。

 

 取り敢えず泣かしたままにするのも気がひけるからハンカチで顔を拭いてあげたわ。……けどどっかで見たことある顔だったのよね。誰だったかしら。

 まあコウモリの羽が生えてたし、使い魔かなんかなんでしょうね。

 

 で、その後少女の様子を見ながら状況を確認してみた。よくよく見ると部屋には破壊の痕跡が多々あって、激しい戦闘がついさっきまで行われていたのが分かった。いやもうガクブルものだったわ。

 というわけでこんな危険な場所からは退避するに限るというわけで、少女に異変を終わりにして欲しい旨を当主に伝えるよう伝えて私は藍の元へと向かった。

 破壊の痕跡を見た限りでもフランのお姉さんは結構ヤバそうな感じだし?単独での直接対面は避けたかったのよ。なんか文句があるかしら!?

 

 私が藍の元へ着いた頃には戦闘が終わっていた。勿の論で藍と橙の勝ちだったわ。けど藍たちもかなり疲弊していたみたいでかなりの激戦だったことが見て取れた。やっぱり化け物の巣窟だったか。

 そして藍に全てが終わったことを伝え、念波で今回の戦いに参加してくれた全員に戦闘終了を宣言した。これで正式に今回の異変は終わりよ。

 

 そんで今、私は家でゆったりくつろいでるところ。なんだかんだでどうにかなったから良かったわー。新しい友達もできたし万々歳よ。

 さて、それじゃ私はそろそろ寝ることにするわ。明日からもまた新しい朝を迎えられることを喜びながらね!

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝に大量の被害報告やら砂漠化現象やら各地で謎の爆発やらで丸々一週間対応に追われ続けたのは、また別の話である。

 




萃香と美鈴に尺を割きすぎたかなと反省しつつ終了です。
色々と作者の好きなカップリングが露呈する話になったかなーと思います。
レミリアはこの敗戦を機に一から自分を見直しました。おかげで霊夢の夢想天生に直面しても逃げませんでした。これも全部悪霊さんのおかげ!
咲夜の成長はこれからだ!
東方荒魔境、完!

次回からお送りしますは「東方妖溶無〜ゆかりんのポロリもあるよ!〜」でございます。
来週(未定)もまた見てくださいね!


感想、評価が来るたびに作者がヤゴコロステップで月と交信して執筆が速くなるかもしれません。月の科学ってすげー!

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