幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:東方兎流陽寿

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アリス視点から


境界線上の命*

 さざめいていた木々の音も、春を告げる暖かな温風も、全てが死んだ。

 

 なにが起こったのかは分からない。だけど先ほどまでとは状況が何もかも違うということは、その場にいる全員が感づいていた。

 西行妖がついに復活を遂げようとしているのだろうか。その前触れだとすれば納得がいく。

 

「ちっ、防げなかったか!桜がついに満開に……」

 

「なんだかマズそうね。一旦離れるわよ」

 

 得体の知れぬ危険を察知した私と魔理沙は西行妖から距離を置いた。

 その一方、藍と橙も戦慄に身体を固まらせる。

 原始的な恐怖が二人を包み込んでいるようだった。元が動物な分、私たちよりもそういうのに敏感なのかもしれない。

 

「藍様これ……に、逃げたほうが……?」

 

「……橙、戦闘を終了しよう。お前は今すぐ魔理沙たちのところへ」

 

「藍様は!?」

 

「私も少ししたら離れる。いいね?」

 

「は、はい!」

 

 橙を避難させた藍は、分身式を全て消滅させると西行妖に背を向け、霊夢へと向き直った。

 二人の表情は険しい。

 霊夢は自分たちを邪魔したことへの非難の目を、藍はそれに対抗する強い意志を宿した目を互いに交錯させている。

 

「……何やら知っている顔だな。状況から推測するに貴女の元には幽々子様が向かっていたはずだが……?」

 

「ええ来たわ。そして今アレ(西行妖)に消えた。……私も何が何やらちんぷんかんぷんよ。取り敢えず紫を出してちょうだい」

 

「紫様は……おられん。貴女たちが此処に乗り込んでくるのと同じ時に行方を絶たれた。何かお考えがあるのだろうが私には……」

 

「話にならないわね」

 

 霊夢は藍の言葉をばっさり切り捨てると、スペルカードを取り出した。あの奇妙な光を止めることはできなかったが、西行妖を破壊するのは今からでも遅くはないはずだ。

 かくいう私も、いつでも破壊できるように戦闘用の人形を収納空間にスタンバイさせている。

 すると、慌てて藍が止めに入った。

 

「待ってくれ!その桜は幽々子様……それに紫様にとっても大切なものなんだ。せめてもう少し様子を見てからでも遅くは……」

 

「いいや限界ね。『夢想封印』!」

 

 霊夢が躊躇なくスペルカードを発動し、霊弾を放った。藍に話を合わせていてはいつまで経っても事が進まないと思ったんでしょうね。良い判断だと思うわ。

 霊弾が西行妖に触れるたびに、空気を震わす破裂音が辺りに響き渡り、同時に炸裂する激しい発光で全員が目を背けた。

 結構本気で撃ったみたいね。

 

 あれほどの威力での攻撃である。原型をとどめている方がおかしい。

 これで少々強引ながらも異変は終わりか……と、私はそう思った。多分この場にいる誰もがそう思ったはず。

 だけど、余裕の表情は一瞬で崩れた。

 

「うそ、無傷!?」

 

 西行妖は小枝一つ吹き飛んではいなかった。その耐久力の前に霊夢は愕然としていて、私はすぐに今までの考えを改めた。

 

 ”いざとなればどうとでもなるだろう”

 私の心の根底には大抵この言葉がある。いつも本気を出さずに全ての物事を達成する事ができるし、案外この世の中はちょろいものだと、そう思っている。

 

 だがこの西行妖はもしかすると、八雲藍や西行寺幽々子たちどころか、私たちですら手に負えない代物───私たちの慢心が呼び込んだ最悪の結果なのかもしれない。

 

「霊夢退け。次は私がやるぜ」

 

「……どうぞお好きに」

 

 霊夢とバトンタッチした魔理沙は八卦炉を構え、高密度レーザーを浴びせかけた。しかし西行妖には焦げ目すらつかない。

 ……ひとまず攻撃面は魔理沙たちに任せて、私はその間に西行妖の状態を調べておきましょう。どちらかと言うと私はこっち専門だしね。

 

 西行妖の裏へと回り込んで妖力の流れを感じ取ってみた。

 妖怪が何かアクションを起こす場合は妖力が必要不可欠だ。つまり妖力を良く感じ取っていれば、この木がこれより何をするのかが予測できるかもしれない。あくまで予測だが。

 またその後ろには藍が陣取り、私の言葉を聞きながら考察を深めていた。邪魔なような気もするけど、彼女の能力は本物だし好きにやらせておこう。

 

 調査の中で色々な事が分かってきた。その内容を声で発して藍に聞こえるようにしながらも、自分自身で色々と考える。

 

「妖力は、下へ?木の根へ集められている?…いや、違うわね。むしろコアは西行妖の根元にある。まさか本体は西行妖じゃなくて、地中に埋まっているナニカ?……これだけの妖力を下部に集めて、一体何をしでかそうとしているのかしら。演算が得意な式神さんはどう思う?」

 

「……西行妖に流れている妖力の質は幽々子様とほぼ同じ。構造形態が同義であるということは、成すこと在ることが統一されているということだ。つまりそれは西行妖が幽々子様そのものであるという論証になる。ならばこれから西行妖がするのは……」

 

「幽々子様?幽々子様がどうかされたんですか!?」

 

 聞き捨てならないワードを聞いたのであろう、ロープでぐるぐる巻きに拘束されている銀髪の半分おばけがうねうねと地面を這う。

 その様子を見ていられなくなったのだろう咲夜が、体を縛り付けていたロープをナイフで切ってあげていた。

 

 

 その時だった。

 西行妖の周りに巻かれていた注連縄が弾け、同時に凄まじい死の呪いが辺りに滲み出る。

 強力な呪いは風に乗り、白玉楼に咲き誇っていた桜の木を次々と腐らせ、死を迎えさせた。

 これには調査途中だった私と藍も一旦退避を余儀なくされた。アレは……万が一があり得る。

 

「これは、まさか幽々子様の能力!?……かな?」

 

「……いやちょっと違う。あいつ(幽々子)の能力はもっと強大で、見境いがあったわ。けど今のは効力が弱いし、ただの無差別的な能力の発動だった。同じように見えるけど似て非なるものよ」

 

 妖夢の言葉に霊夢が答える。

 なんでも冥界の主人……西行寺幽々子の能力であれば、先ほどの不意の呪い放出によって霊夢以外全員を殺せていたかもしれないという。

 とても恐ろしい能力だと言えよう。だが呪いは全員が弾いており、その点から見てもこの呪いは西行寺幽々子の能力とは比べようもないほどに弱いものだ。

 西行妖の耐久力は凄まじいが、所詮こんなものかと霊夢は若干安堵していた。かく言う私も自分の心配は杞憂だったかと安心した。

 

 

 だがその安堵は突然響いたハリのある一声によって霧散することになった。

 

「良かった、これだけ人数がいればっ!!」

 

「おっブン屋!今頃現れやがったか」

 

 空気が切れる音とともに彼女は登場した。

 漆黒の翼をはためかせてブレーキをかけたのは幻想郷最速のマスメディアである射命丸文。彼女とはそれなりに面識がある。

 今頃現れた文に魔理沙が軽い悪態を付くが、彼女はそれに反応する余裕を持ち合わせていないようだった。

 その焦燥っぷりに全員が注意を向ける。

 

「やけに慌ててるな。どうしたんだ?」

 

「幻想郷上空に木の根が張り巡らされていて、新たな異変が起きているんです!おそらくそこの桜の木が原因だと思われます!」

 

 ビシッ、と文は西行妖を指差した。

 

 待って、それマズいわよ。西行妖の内包妖力分布は根の下腹部に偏っているわ。その根が幻想郷に向けられているってことは……西行妖の呪いの殆どが幻想郷に向かって放たれることになる。

 規模はさっきなんかとは比較にならない。つまり……

 

 幻想郷……いや、顕界は死の世界になるわ。

 

 すぐにそのことをみんなへ伝えたが、にわかには信じられないようだった。

 霊夢と藍は薄々そのことに感付き始めてたみたいで、別段驚いた様子は見せていなかったけど、険しい表情をより一層険しくしていた。

 

「待て待て話が急すぎるしデカすぎる!」

 

 魔理沙が頭を押さえる。確かにいきなり提示した情報が大きすぎたかもしれない。もう少し順序良く過程的に説明するのがベストなのは確実だろう。

 だけどもう一刻の猶予もない。正確なカウントダウンがどの程度なのかは分からないけど、私たちに残された時間が限りなく少ないことは確かね。

 

「根の拡散はチルノさんが幻想郷で抑えてくれています。その間にこの木を切り倒してしまいましょう!私も微力ながら協力します!──『幻想風靡』!!」

 

「もうやってるわよ!だけど、小さな焦げ目すら付きやしない!ああ、もう……これならどうよ!?──神技『八方龍殺陣』!」

 

「こりゃ意地張ってる場合じゃなさそうだな。多人数でってのはちと卑怯な気もするが、私もやるぜ。──星符『ドラゴンメテオ』!!」

 

 常人には決して捉えることのできぬ超スピードで移動することによって発生する鎌鼬に似た真空刃で、文が西行妖を切り刻む。さらに西行妖の真下からマグマのように吹き上がるは莫大な霊力、そしてその真上から飛来し易々と西行妖を飲み込んだのは莫大な魔力。

 3人が本気で西行妖を潰しにかかっていた。幻想郷最強クラスの3人による一切容赦なしの技々は、対象を滅するべく破壊の嵐をもたらす。

 

 だがそれでも、西行妖はなお健在。彼女たちの破壊を物ともせず、その場に在る。

 

 正直な話、こういう案件は紫に全部任せちゃった方が楽で確実だと思うんだけど……流石にこの場にいない妖怪をアテにするのはダメか。

 

 ……仕方ないわね。あんまり手の内を見せるようなことはしたくなかったんだけど、第二の故郷のためなら致し方ない。

 

「サモン、ゴリアテ人形!」

 

 私も一つ、手を貸すとしましょう。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 アリスが召喚したのは体長50mを超える巨大な人形。その大きさは西行妖を優に越し、見下ろす形になっている。

 人妖問わず、そのインパクトには度肝を抜かれた。そんな好奇の視線を嫌いながらも、アリスは至極単純な命令をゴリアテ人形に命じた。

 

アレ(西行妖)を叩き斬りなさい」

 

 命令を発すると同時にゴリアテ人形の目に意志が宿り、腕に装着された河童製の回転ブレードが唸りを上げる。

 そしてそれを木の幹へと振り下ろした。

 

 ブレードが八方龍殺陣とドラゴンメテオに接触するが、対霊体装甲を施しているブレードはそれらを掻い潜り西行妖へと達した。

 凄まじい不協和音とともに火花が散る。刃の振動が木の皮を砕き、幹を徐々に破壊してゆく。

 

 一方で、静観を続けていた咲夜もついに協力を決断した。

 気怠げにナイフを取り出すと、西行妖へ向ける。連戦による疲れはあるが、ここで動かないわけにはいくまい。

 

「……死の呪いなんてウチ(紅魔館)の住人には通じないだろうけど……お嬢様に危害を加えようとしているのであれば、見過ごしてはおけないわね。──傷魂『ソウルスカルプチュア』!」

 

 スペル発動と同時に咲夜が両手に持っていたナイフが白く、妖しく光を発する。そして咲夜が繰り出したのは斬撃の嵐。

 空気もろとも西行妖を素粒子間隔で切り刻む。

 斬れることはないが、西行妖へのダメージは僅かながらでも入るはずだ。

 

 咲夜に続いて藍と橙が動き始めた。

 瞳にはまだ迷いが見えるものの、紫がいないこの状況下でも自分たちがすべきことはしっかりと把握していた。

 一体化した幽々子を救う方法は分からないが、このままでは幻想郷が危うい。幽々子の命?と幻想郷を天秤にかけるのであれば……心苦しいが、幻想郷の方を藍と橙は優先すべきなのだ。

 勿論、幽々子の救出を諦めているわけではないが。

 

「紫様は、もしかしたら……私たちのことをお試しになられているのかもしれないな。……橙、私たちもやるぞ。西行妖を叩く!幻想郷を守ることが我々の第一の使命だ!」

 

「ご命令とあらば!──童符『護法天童乱舞』!」

 

「──式弾『アルティメットブディスト』ッ!!」

 

 自分たちの式をフル動員し、西行妖の破壊という限定した目的によって最大限の強化、そして各々最高のスペルを叩き込む。

 激しい弾幕と卍型のレーザー弾幕が西行妖を削り、焼き尽くす。

 

 幻想郷最強クラスの面々による一撃必殺級の破壊を息つく間もなく撃ち込まれ、西行妖はついに限界を迎えつつあった。

 だがそれにも関わらず面々の焦燥は大きくなってゆく。霊夢でなくても解る、圧倒的なまでの嫌な予感。幻想郷滅亡のタイムリミットは刻一刻と近づいているのだ。

 

 

 

 そして、最後の一人である妖夢はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

 なぜこんなことになっているのだろうか?

 なぜ幽々子が愛した桜が周りへと害を為し、幽々子を取り込み、今みんなによって滅ぼされようとしているのか。

 

 容赦なく焼き尽くされているその光景を見ていると、ぽっかりと空いた空虚な心に、虚しさと悲しさが次々に流れ込んでくる。

 西行妖は自分にとっても馴染みの深かった桜だ。あの木の下で祖父である妖忌と何度も剣を打ち合った。

 時折かかる幽々子からの声援や、妖忌による妖夢の成長を喜ぶ低い声が。昔の光景とともに脳裏でフラッシュバックする。

 

 自分は何をすればいいのかひたすら自問自答した。だが明確な答えが返ってくることは決してない。半人前である自分が答えられるはずがなかった。

 

 西行妖を斬らなければ未曾有の大災禍が起こる。だが、その剣は西行妖の中にいる幽々子に届き得てしまうかもしれない。自分の手で、幽々子を消滅させてしまうかもしれない。

 こうしている間にも彼女たちが西行妖ごと幽々子を消滅させようとしている。……妖夢の第一優先事項は、どうひっくり返っても幽々子だった。

 

「ダメだ、このままじゃ幽々子様が……!やめて、やめて下さい!」

 

 半狂乱状態になりながら楼観剣と白楼剣を鞘から引き抜き、西行妖へと攻撃を仕掛けている面々へと斬りかかろうと駆け出した。

 全員を斬り殺してでも止める。そう思っていた。

 

「……っと!?」

 

 だが、何かに足を取られて妖夢は転んだ。

 それは西行妖の細い根だった。妖夢のスピードに合わせて足を絡みとったのだ。

 転んだ拍子に掴んでいた白楼剣を落としてしまった。妖夢はらしくない失態に動揺した自分を叱咤しつつ、剣を拾おうとして刀身を見たのだが、鈍色の鏡にはある日の白玉楼の庭先が映し出されていた。

 

 居たのは師である妖忌と、今より少し幼い妖夢。

 妖夢はすぐに分かった。映し出されているその日は、妖忌が白玉楼から姿を消した日だ。昔は何度もその瞬間を夢に見た。

 

 

 

『幽々子様は、お前が命に代えてもお守りするのだ。己の身を一振りの鋼とし、帰る鞘のために最後の時まで尽くせ。……だが、幽々子様を悲しませてもいかん。幽々子様はああ見えて結構傷つきやすいお方で、そしてとてもお優しいお方じゃ。ふとしたことで想定外の傷を負ってしまうこともあるやもしれん。「幽々子様を守る」、「幽々子様を悲しませない」……両方が直結しとるようで、これらを同時に為すのは難しいことじゃ。……現に儂はそれができんかった。だがな妖夢、お前ならできると思う。儂が為せずに終わってしまったそれを、お前に引き継いで欲しいのだ。

 

 ……そして、これが祖父として、師匠としてお前に託す最後の”言いつけ”───』

 

 

 

 祖父の最後の言葉が聞こえた。

 そうだ、自分は一番大切なことを忘れていた。あの日、祖父から託された魂魄家一子相伝の万事解決法────。

 

「……そうだ、そうですよねお師匠様。わざわざ教えていただきありがとうございます」

 

 気持ちを落ち着けた妖夢は自分の足に絡み付いた木の根をゆっくりと外し、側に落ちている白楼剣を拾った。

 もう一度鈍色に薄く光る白楼剣をぼんやりと眺め、小さな決心を固める。

 

「ふんっ!」

 

 そして唐突な切腹。

 だが血は吹き出ず、代わりに溢れ出すのは迷いなき覚悟。目はまっすぐに西行妖を捉えていた。

 迷いを断ち切る白楼剣の力である。

 

 

 

『迷った時は迷わず斬れ!そうすれば自ずと道は見えてこよう!人、空、時、死、運命、……全てを斬ってしまえいっ!』

 

 

 

「斬れば判る!斬れば解決する!だって、私に斬れないものなんて何にもないんだから!」

 

 辻斬り妖夢、爆誕。

 吹っ切れた妖夢の言っていることは物騒だが、その裏にはとある考えがあった。

 仮に現在、西行妖が幽々子と一体の存在であったとしても、今までは別個の存在として確かに自分の前でそれぞれ存在していたのだ。

 

 一体化の形が寄生的なものであるか、共生的なものであるかは判らない。

 だが幽々子と西行妖の繋がりを断つことができれば、どんな形式の一体化であったとしても切り離すことができるかもしれない。

 

 これらは考えるだけなら易い。一方でそれを実行に移し成功させることはすこぶる難い。

 繋がりには実体がないのだ。それを斬るというのは細胞の合間を縫って切断したように見せるよりも難易度は高いだろう。妖夢でさえもぶっつけ本番で繋がりの切断に成功できるかは分からない。

 

 だが、やらねばならない。

 今、この状況下で幽々子を救えるヴィジョンを見出せているのは自分だけだ。

 白楼剣を地面に差し、楼観剣を居合の態勢で構えた。

 

「力を貸してくださいお師匠様!私に教えを守れるだけの力と覚悟を……!」

 

 幽々子を守り、なおかつ全員を生かす(幽々子を悲しませない)

 これらを同時にこなさねばならぬのが魂魄家の辛いところだが、妖夢には覚悟ができている。

 

 時を斬り裂いた。

 斬り裂かれ存在しなくなった時間は妖夢にも制御不可能。しかしその間、妖夢は無意識下であらゆる事象の干渉を受け流し、行動することができる。

 すなわち、現在進行形で激しい集中砲火を受けており取り付く間もない西行妖へと一太刀入れることができるのだ。

 

 そして斬られた時は複合し、妖夢は意識を取り戻す。同時に手に確かなどっしりとした重みを感じた。ひんやりとして、だけども心を温かくさせる重みだ。

 

「幽々子様……!」

 

 腕の中には瞳を閉じた幽々子の姿があった。寝息のような穏やかな呼吸をしているので存在そのものに別状はなさそうだ。

 視界の隅には縦に裂けた西行妖が映る。

 

「やった!斬れたんだっ!」

 

「へえ、やるじゃない」

 

 突然裂けた西行妖に困惑し面々が顔を見合わせる中、何が起こったのかを一瞬で理解した咲夜が賞賛の言葉を漏らした。

 この場にいる誰よりも妖夢の能力を体感した咲夜は、彼女の潜在的な恐ろしさと瀑布の如き爆発力の危うさを理解していたのだ。

 

 

 

 なんにせよ、幽々子は助けた。幽々子が切り離されたことによって、西行妖はさらに不安定となっている。もはや時間はないと見ていいだろう。

 

 だが少女たちにはとてもやり易くなった。

 これで心置きなく全力で西行妖を吹き飛ばすことができる。

 

 先ほどの砲撃の威力を遥かに上回る一斉攻撃が開始された。藍や橙あたりが吹っ切れ、さらに妖夢もそれに参加したからだろう。

 西行妖は焼き尽くされ、微々に切り刻まれ、粉々に吹き飛ばされる。

 

 

 

 そして最後には西行妖の荒々しい切り株の断面のみが残った。桜の花や、木の幹に枝々はすでに無い。

 

「……アレ(切り株)だけはどうにも破壊できないみたいね。いくら攻撃しても傷一つ付きやしない」

 

「あの下には西行妖のコアが眠っている。それを護るために強力な結界が張られているわね。恐らくだけど西行妖によるものじゃない、第三者によるものよ。とても古い部類の術式のね。……まあ、根に拡散していた妖力は収束し始めたみたいだから一安心だと思うけど」

 

 霊夢の呟きにアリスがその理由を語る。

 言われなくても解る、と霊夢はアリスをジト目で見たが、面倒臭いからか声には出さなかった。その傍らでは魔理沙と文がハイタッチをして、幻想郷の危機を回避できた喜びを分かち合っていた。

 

 咲夜はそんな彼女たちをやれやれと呆れた様子で眺め、次なる行動を開始する。

 異変は解決できたが、レミリアに言い渡された”おつかい”はあと一つだけ達成されていないのだ。

 

「さて、異変も終わったみたいだし八雲紫を探さないといけないわね。結局最後まで出てこなかったけど……どこにいるのかしら?」

 

「そうだ、紫様を忘れていた!早く安否を確認せねば!妖力を微力に感じるからこの辺りにいることは間違いないんだが……」

 

「隠れることができそうな所はほとんどが吹き飛んでしまいましたからねー。多分私たちを驚かそうと機会を狙ってるんですよ!きっと!」

 

「だといいんだけど……」

 

 藍と橙も咲夜の言葉で紫がいないことを思い出し、慌てて行動を開始した。

 妖夢は未だ目を覚まさない幽々子のそばに寄り添っている。まだ予断は許せない状況であるが、容体は確実に安定してきていた。

 

 安堵の空気が流れる。

 全員が当面の危機は去ったと確信したのだ。

 

 

 

 

 だが、異変はまだ終わっていなかった。

 泥沼からメタンガスが吹き出るような音が唐突に響いた。音の発生源はもちろん西行妖だ。断面からドス黒い靄状のナニカが噴出する。

 

 すかさず霊夢が結界で封じ込めにかかるが、靄に触れた途端結界は役目を強制的に終え、バラバラに砕け散った。

 霊夢の顔が焦燥に歪む。

 

「こいつ……ッ!」

 

「しゅ、収束していた妖力が逆流を始めた!?あまりにも突拍子がなさすぎるわ!これ以上西行妖が行動できる要素はどこにも存在しなかったはずよ」

 

「けど現にアレは目の前で動いてるぜ。やっぱり下の部分も完全に吹き飛ばさないといけないのか。……いや、もう遅いか……?」

 

 黒い靄は冥界の空気に溶けてどんどん拡散してゆく。

 迫るのは絶対的な死の気配。

 逃れようのない確実な運命。

 空気全体に伝播する死を躱す術はない。

 

 一番近くに居たアリスが膝をついた。荒々しく肩を上下させている。

 さらに少し離れていた橙はへたり込み、えづいた。藍が思わず駆け寄って、気持ちを落ち着けてあげようと背中をさすってあげたが、効果はあまりなさそうだった。

 魔理沙は死の重圧によって汗を流し、苦しそうに胸を押さえる。咲夜も体の芯から凍る恐怖に後退りした。

 文は一目散に冥界から退散し、妖夢はなるべく体に悪そうな空気から幽々子を守ろうと、幽々子に覆い被さる。

 

 霊夢は目の前の悍ましい光景を、いつもと変わらない気怠げな様子で眺めると、お祓い棒を力強く握りしめ前に進み出た。

 死へと自ら向かって行く。

 

「魔理沙、アリス……あんたたちは逃げなさい。ここからは私だけでやるわ。メイドに狐と猫、あと銀髪のお化けも亡霊姫を連れて早く脱出するのよ」

 

「何言ってるんだ……!」

 

 霊夢の言葉にすかさず魔理沙が噛みついた。襟を掴もうとするが、霊夢は夢想天生により半透明状態なので、スカすばかりである。

 

「ケホっ…む、無茶だぜ霊夢!確かにお前の夢想天生ならあの靄の中でも生きていけるだろうよ。だけど、夢想天生はそろそろタイムリミットのはずだぜ。一年も経たないうちに二回も夢想天生を使ってるんだ……途中で解けたら一秒ももたない!」

 

「……早く行きなさい!分かってると思うけど幻想郷に出たらすぐに冥界との出入り口を塞ぐのよ。少しでもあの靄を冥界の外に出しちゃダメ。……いいわね?」

 

「おい待て!霊夢!」

 

 魔理沙の制止を振り切った。

 確かに夢想天生が発動している間にあの西行妖を完全破壊できるか?と言われれば、それは難しいと答えざるを得ない。

 ただそんな理由では霊夢は決して引かない。幻想郷を、そこに住まう者たちを救うためならどんな危険も厭わないのだ。

 せめて、魔理沙たちが冥界を塞げるだけの時間を稼げれば……そう考えた。

 

 霊夢といえども死は怖い。現に靄の中へと突っ込んでから体の震えが止まらない。歯を食いしばってひたすら突き進む。

 霊夢を突き動かすのは博麗の巫女という立場への責任感か、それとも単純で美しい誠の正義感ゆえか。

 

 ……どちらも違う。

 

「さあ、根気比べといきましょ。妖怪桜!」

 

 ただの意地だ。

 純粋で混じり気のない意地。

 それが霊夢の原動力になっている。

 

 霊夢は西行妖の真上へと陣取り、自分を中心にして結界を何重にも展開。呪いの靄を封殺した。さらに夢想天生による弾幕攻撃を西行妖へと叩き込む。

 死の世界を紅白の蝶が浮く。今にも消えてしまいそうなほどに紅白は霞んでしまうが、それでもなお反抗を続けた。

 

 

 

「……魔理沙。幻想郷に行かないの?」

 

「行かん」

 

 アリスの問いに魔理沙は即答した。

 霊夢だけにこの場を任せるわけにはいかない。必死に霊夢が戦っているのに自分がおめおめと逃げ出すわけにはいかないのだ。

 

「はぁ……貴女も変なところで相当の意地っ張りよねぇ。見ていて面倒臭いったらありゃしないわ。……私も残るわ。尻尾を巻いて逃げ出すのは田舎者のすることだから」

 

「アリス……」

 

 咲夜が前に進み出る。

 

「右に同じよ。逃げ出すなんて、そんな瀟洒じゃないことをできるはずがない。……お嬢様に顔向けできませんわ。紅魔館の恥にならぬよう、私はせいぜい抗ってみせるわよ」

 

「咲夜……!」

 

 魔理沙はふと後ろを見た。

 藍も橙も……妖夢も朧げに立ち上がった幽々子も逃げてはいなかった。

 魔理沙の訝しむ目線に、藍は軽く溜息を吐いてつらつらと言い放った。

 

「紫様がいないのに式である私が逃げ出すわけにはいかないだろう。それに私が言うのもなんだが、幻想郷最後の砦は私たちだ。念のために冥界と幻想郷の境目は閉じたが、それすらもあの靄は突破するかもしれない。ここで何としても食い止めなきゃね。───……橙は逃げてもいいんだよ?」

 

「……私一人生き延びても意味ないです。藍様と、紫様と一緒に居て初めて私の生きる意味が生まれるんですから!」

 

 素直に羨ましく思った。

 ちょっとばかし八雲の信頼関係に妬きながら「そうか…」とだけ相槌を打つと、魔理沙は次に幽々子と妖夢へ目線を移した。

 

「ならそこのお化け二人組はどうするんだ?私はそっちの病み上りのお嬢様だけでも脱出させた方が良いと思うんだが」

 

「私もそうさせたいのは山々なんですけど……幽々子様が絶対に残ると言い張ってて」

 

 寝起きのような若干眠たげな様子で幽々子は立っていた。ただ立つことすら難しいようで妖夢が傍から支えている。

 再び西行妖がコントロール下に呼び戻そうとしているのか、薄っすらと体が透けているようにも見える。だが彼女は気丈だった。

 

「……妖夢から大体の話は聞いたわ。とても迷惑をかけたみたいね。……私たちはこの異変の当事者……逃げ出すわけには行かないでしょう?けじめはしっかりと私たちがつけるのが道理よ」

 

「まあ……そうだな」

 

 魔理沙が深く頷いた、その時だった。

 

 メキッ、という破壊音が響いた。

 霊夢の結界が無残に砕け散り、光の粒となって赤黒い靄へと消えてゆく。

 ………霊夢の姿はどこにもない。

 

「───ッ!霊……っ」

 

「今そのことは後よ!来るわッ!」

 

 靄が全てを飲み込み此方へ迫る。目前まで近づく死の前にあるのは絶望のみ。

 全員が死を覚悟し、最後の抵抗をすべく決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

「『生と死の境界』」

 

 

 

 

 

 

 

 光が溢れた。

 

 白濁な死の気配で満ちていた冥界に、優しい生の息吹が吹き荒れる。

 西行妖によって奪われた生命が息を吹き返し、枯れ果てていた桜木が次々に開花してゆく。

 靄は完全に消え去り、西行妖は妖力の循環を完全に停止させた。

 西行妖のちょうど真上を漂っていた霊夢が重力に囚われ、落下した。

 

 

「……生きていることを説明するには、死んでいるものが必要である」

 

 何処からもなく舞い降りたのはスミレ色の蝶。

 

「だから、死なない生き物は存在し得ない。生きていなければ死ねないし、死なない生き物は生きてもいない」

 

 紫のドレスが優雅にひらめき、流れる金髪の髪が春風にたなびく。

 

「私は生命の実態を、この厚さ0の生死の境であると考えています」

 

 どこまでも美しく、妖しく、激しく静かで……見るもの全ての心を奪う境界の住人。

 

──羨望

 

──憧れ

 

──懐古

 

──友愛

 

──親愛

 

──憎悪

 

 彼女を中心に思念が渦巻いた。

 だが、全てに共通することは一つ。

 

 

 彼女は、彼女ではない。

 

 

 自分たちに魅せていたのは氷山の一角に過ぎなかったのだ。そして、どこまでも(いびつ)で不完全。

 

 ぽっかりと空いた左目にはスキマ空間へと続くような隙間が這っていた。

 左目だけじゃない、体のいたるところが欠損し、それを隙間が埋める形で彼女を補っている。

 

 何時もの柔和で優しい雰囲気はこれっぽっちも感じられない。

 あるのはただの虚無だけだった。

 

 

 

「一つや二つの境目じゃあ……ねぇ?」

 

 ────八雲紫は、こんなに恐ろしげな存在であっただろうか?




……寂しい


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