幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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前半と後半は同時進行です



八雲紫の世界*

 紫の体から展開されたスキマに飲まれた巫女と魔法使いとメイドはあっという間に姿を消した。影形すらもこの世界から消え去ってしまったようだ。

 

 しかしその張本人である紫は未だ私たちの目の前にいる。今のところ橙ちゃんを狙う様子はない。

 

 場には私たちの様々な感情が満ちた。

 妖夢はまず警戒と懐疑。橙ちゃんは恐怖と、それでいてなお紫を信じる気持ち。

 私は……親しみと哀しみ。

 

 しばらく睨み合いが続いた。不用意に軽はずみな行動をとってしまえば取り返しがつかなくなるような、そんな気がした。

 だが、その間にもゼェゼェ、と藍ちゃんの荒い息遣いが聞こえてくる。早急に簡易的な介護が必要ね。このまま無駄に時間を浪費するわけにはいかない。

 

「……藍ちゃんの応急処置をしましょう。妖夢は医療器具の準備を。橙ちゃんは妖術で藍ちゃんを屋敷まで運んでちょうだい」

 

「承知しました!」

 

「藍さま……」

 

 藍ちゃんの状態を見ると肉体のダメージとともに、式へのダメージが非常に大きい。

 紫の拘束を引きちぎった時に途轍もない負担がかかったみたいだけど……紫が藍ちゃんに何らかの細工を施していた……?

 

 式への書き込みを即座に更新して命令違反の罰を与えたようにも見えるけど、それなら当の本人である藍ちゃんがすぐに自分への異変を感知するはずよねぇ。

 単なる不動陰陽縛りの類にも見えなかった。となれば恐らく、紫と藍ちゃん、及び橙ちゃんの間に結ばれている式契約に理由があるように思える。

 

 現段階で考えられるのはこのくらいね。あとは判断材料が少なすぎて推測の域を出ない。

 

 

 だけど一つだけ言えることは、アレを行ったのは紛れもなく私の友人八雲紫の、その裏側に潜んでいたナニカである……ということ。

 

 アレは今までの紫じゃないけれど、他全ては完全に八雲紫として在ったのよ。

 あの紫を見ていると何故だか胸が締め付けられるように苦しくなる。多分、藍ちゃんも同じ想いだったんだと思う。

 

 貴女の心が読み取れない。…親友として不甲斐ない限りね。

 

 

 

「どうしたの幽々子。まるで誰かと愛別離苦したような面持ちよ。らしくもない」

 

 背後から紫の声がした。いつの間にか紫が目の前から消えていた。

 気配を少しも感じなかったけど、別に驚く気持ちはない。紫ならこのくらい出来て当たり前だと思うから。私の親友は凄い妖怪なのよ。

 遠くで妖夢と橙ちゃんが何かを叫んでいる。だけど私は彼女たちを手で制した。

 今は警戒よりも紫との会話の方が大事。

 

「貴女のことは、八雲紫……と呼べばいいのかしら?」

 

「勿論。それ以外に私をどう呼べと?」

 

「……どうにも、貴女は私の知ってる紫とは随分とかけ離れてるように見えてね」

 

「そりゃ貴女の知ってる八雲紫とは別人ですもの。だけど、私は貴女の知ってる八雲紫と存在をともにしている。つまり八雲紫ですわ」

 

 ふーん。どうも目の前の紫とあの紫は別の存在に当たるみたい。別の存在であって同一人物……これもう分からないわね。

 もしかして多重人格? 今までもその場その場で言ってることや雰囲気がコロコロ変わることがあったし……あり得るかもしれない。

 

「多重人格ねぇ……残念だけどそんな大層なものじゃないわ。まあ、私はちょっとした故意的なトリックから発生した産物。貴女が思っているほど複雑でも、単純でもない存在なのよ」

 

「ナチュラルに思考を読まないでちょうだい。ただでさえ気味が悪いのに」

 

 本当に何でもできるのね。他人の心の内を読むなんて……まるでサトリ妖怪みたい。

 ……っていうことは、私のあれやこれや妖夢のパンツの色から今晩の夕食のメニューまで…全部紫に筒抜けってこと?

 

「そーいうこと。旧地獄の主人までとはいかないけど、貴女の今の全てが分かるわ。そうねぇ……フェイクのことまで行き着いてるのね。流石は幽々子と褒めてあげる」

 

「当たり前よ。ひとつの可能性としては考えていたわ。多分藍ちゃんも……」

 

「だけど藍は敢えて……っていうより機械的に、そして半ば本能的にこの可能性を考えなかった。だって、そうしたら私が不利益を被っちゃうから」

 

 彼女は外の世界に行きたい素振りを見せていたが、それはあくまでフェイク。……いや、フェイクというより、紫は途中で目的を切り替えている。

 恐らく最初は外の世界に純粋に行きたがっていたんだと思う。だけどスキマを開けないと知るや否や、すぐに思考を方向転換させていた。

 藍ちゃんを痛めつけたのも、橙ちゃんをわざと怖がらせたのも……全てが計算のうち。

 

 紫の目的は、博麗霊夢(紅白の巫女)霧雨魔理沙(黒白の魔法使い)十六夜咲夜(悪魔のメイド)と戦うことにあったんだと思う。

 

 だってお膳立てが過ぎるんですもの。私や妖夢、それにアリス(人形遣い)が邪魔しないことを念押ししたり、わざわざ変な空間に引きずり込んで戦おうとしている周到さが逆に胡散臭い。

 

 ……もっとも、元の紫なら藍ちゃんを痛めつけるなんて方法は取らなかったと思う。この辺り、元の紫との違いが特に顕著だ。

 

 あの三人組と戦うことで得られる利益なんて考えつかない。紫にしてみればこれも布石の一つなんだろうし、気にするだけ無駄。

 むしろこの質問が一番大事。

 

 紫に隠し事は無意味。だけどそんなものは必要ないわ。私が一番知りたいのは……

 

「それで、()()はどっちなの? 今のかっこいい貴女? それとも……あの危なっかしくて可愛らしい貴女?」

 

 なんとも形容しがたい姿形を取っている今の紫をかっこいいと評したけど、それと同時に不気味に思ってるのは内緒。……ってそういえば筒抜けだったわね。お世辞は必要ないか。

 

 

「……そうねぇ、どっちが本物かと言われると答えを出しにくい。だってどっちも本物だから。──ところで貴女はどっちの私が好き?」

 

「《彼女》の方よ。だって私は貴女のことが分からないんですもの」

 

「うーん……複雑だけど《あの私》が好かれているようなのは嬉しい限り。《あの私》が普段の私であるならば、私はあくまで必要悪としての、戦力としての八雲紫と言ったところなのよ。簡単に言えば、《腑抜けた私》ができないようなことをやるのが私ってわけ。なんにせよ、気に入ってるようでなにより」

 

 遠回しに別個の八雲紫が存在している理由を聞き出してみようと思ったけど、当然、その中核部分は話したがらなかった。

 簡単には明かせそうにないわね。

 

 と、ここで屋敷で藍ちゃんの治療をしていた妖夢が恐る恐る手を挙げた。大方私たちの会話だけじゃ状況に情報が全く掴めなかったんでしょうね。

 

「あのー……失礼ですが、私からも質問しても?」

 

「もちろんいいわよ。 それに貴女もあの災厄(西行妖)に立ち向かった一人の勇者。もっと堂々と聞いて来なさいな」

 

 へえ……どうやら妖夢の晴れ舞台を見逃しちゃってたみたい。惜しいことをしたわ。

 だって気付いたら妖夢に抱き抱えられてたんですもの。一生の不覚ね…。

 

「私には畏れ多いことです。それでは幾つか質問を───……貴女は紫さま?」

 

「ええそうよ。今朝まで貴女と話していた八雲紫とは別物だけど」

 

「……なんで体がボロボロなんですか?」

 

「うーん…黙秘するわ。乙女に体のことを尋ねるのは失礼よ?」

 

「す、すみません。それじゃあ……外の世界に行って何をするつもりなんですか? もしかして征服?」

 

「……黙秘するわ」

 

「えっと、なんで幽々子様と西行妖が合体……」

 

「黙秘するわ」

 

「結局なにも答えないじゃないですか!!」

 

 妖夢……これだから貴女は半人前なのよ。

 頭がキレる者にただ闇雲に核心の質問を問いても、まともな答えが返ってくるわけがないじゃないの。紫みたいな意地悪な性格の持ち主なら尚更よ。

 

 妖夢は気を取り直してさらなる質問へ。

 

「そ、それじゃ、あの三人組を何処へ?」

 

「ああ、霊夢たちならここに居るわよ。今も元気に夢幻の狭間で色鮮やかに舞っていますわ」

 

 紫はそう言って自分の左目……スキマを指した。ぐねぐねと、紫色の空間がぽっかりと空いた空洞を這って気持ち悪く蠢いている。

 胸の底から湧き上がる嫌悪感をどうしても拭いきれない。妖夢は顔を顰め、橙ちゃんは小さな悲鳴を上げた。紫は楽しそうに笑うだけ。

 

「と、閉じ込めているんですか……。それなら、橙さんはもう狙わないんですか? 邪魔になる三人を封じたのでしょう?」

 

 自分を話題に出された橙ちゃんが泣きそうな表情を浮かべた。

 妖夢ったら……全く質問の配慮を考えてないわね。まだまだ半人前にも満たない未熟者、一人前にはほど遠い……。

 

 紫はパタパタと手を横に振った。

 

「アレはね、言ってみただけよ。時間はないし状況も状態も悪い。外の世界に行くことはできるけど結果的には時期尚早。なら今できることをやるのが最善策よねぇ?」

 

「今できること……とは?」

 

「藍を試すこと。そして、例の三人組と一戦交える状況まで持っていくこと。ただそれだけ。……案外拍子抜け? そんなこと思われてもこれが真実なのよ。どうしようもないわ」

 

 あの三人組と戦うことを紫が望んでいるのは推測できた。理由はともかくとしてね。

 だけど……藍ちゃんを試す?

 

 アレは試すとかそんなのじゃなくて、ただの一方的な虐待よねぇ。しかもその過程で橙ちゃんに浅くない心の傷も負わせているのに、流石に無責任過ぎやしない?

 

「それは違うわよ幽々子。藍は……自分の責任を果たしたのよ。式失格は大いに結構、そうすることで彼女は多面的に成長することができる」

 

「……つまり、藍ちゃんがあの行動を取ることを分かっておいて、そうなるように仕向けておいて藍ちゃんをわざとボロボロにしたの?」

 

「まあ、そうなるわね」

 

 ……必要悪としての、八雲紫…ね。

 甘さや情を微塵にも感じさせない物腰は、確かにそう呼ぶに値するかもしれない。

 感情を排し、ただひたすら実利を追求する構え。それこそが違和感の核となる実態であり、今の紫を形成するモノ……。

 

 

「……そろそろ潮時ね。実体を保つのが難しくなってきたわ。だけど中のあの子たちも良い感じに仕上がったし、一応の目標は達成した」

 

 言葉とともに紫の体がボロボロと崩れ始めた。名残惜しそうな表情は見せど、最後まで妖しい笑みを絶やそうとしない。

 

「貴女……死ぬの?」

 

「まさか、どっちの私も死なないわよ。──私は再びしばらくの眠りに戻るだけ。あっちの私はしばらく姿()()失うだけ」

 

 ふと、紫が橙ちゃんの方を向いて手招きした。それに橙ちゃんはビクリと肩を震わせたが、決心を固めて紫へと近づいてゆく。

 

「紫さま……」

 

「八雲の名……まだ貴女には荷が重いかしら? 私って案外、橙のことを買ってるのよ? なのに歯を鳴らすまで震えちゃって……」

 

「わた、私は……」

 

 そわそわと落ち着かなそうに視線を右往左往させる橙ちゃんだったけど、ちらりと藍ちゃんの方を見て、紫へと向きなおる。

 

「八雲の名は、返却します。私ではやはり……」

 

「……なら──「そ、それに!」

 

 橙ちゃんは言葉を遮った。

 今までのあの子なら考えられるはずのない行動だろう。あの紫も少しばかり目を見開き、ジッと橙ちゃんを見据えていた。

 

「私が名を貰う時は、藍さまからって決めてるので……。も、申し訳ありません」

 

「……ふふ、うふふ。そうよねぇ〜私もそう思うわ。貴女はまだまだ未熟だし、何より貴女の主人は藍ですもの。──よく言ったわね」

 

 紫の瞳が穏和な輝きを発しているように見えた。感情を感じなかった紫から、溢れるまでの優しさを感じた。

 すると紫はポン、と橙ちゃんの頭を撫でる。瞬く紫色の光が橙ちゃんを包んでゆく。

 

「ふにゃあ……ご、ごめんなさい紫さま」

 

「謝る必要はないわ。ついでにこれは私からの餞別、大事に使いなさい」

 

 紫は何かを橙ちゃんに渡した様だった。なんらかの力が式へと流れ込んでいる。形あるものではないけれど、橙ちゃんはギュッ、と大切な物をしまいこむように、胸を手で押さえた。

 その姿を見た紫は橙ちゃんから手を離す。それと同時に腕が光の粒子となって空中に消えた。行き場を失くしたスキマが空気へと溶ける。

 

 紫の崩壊が始まった。

 結われていた繊維が解けていくように、砂上の楼閣がゆっくりと崩れていくように、儚さを湛えながら消えてゆく。

 若干のデジャブが私へと訴えかける。

 

「……射命丸文、そこに居るでしょう? 姿を隠してないで出てきてちょうだい」

 

「───お見通しですか。やはり、光の屈折など境界の妖怪である貴女には全く意味を成さなかったようですね」

 

 紫の言葉と同時に空間が揺らぎ、一人の烏天狗が現れた。初対面なのは間違いないんだけど……何処かで見たことがあるような気がする。

 どうにも頭がすっきりしないなぁ。

 

「ここで見たこと聞いたこと全てを忘れてくれ…って頼んでも、無意味よねえ? 貴女だし」

 

「そうですね。袖の下に何を忍ばせていたとしても、私を止めることはできませんよ。なぜなら私は清く正しい伝統のマスメディ───」

 

「時間がないから単刀直入に言わせてもらいますわ。しばらく世俗から身を隠そうと思ってるの。つまり、私は誰にも見つかりたくない。だから、明日の『文々。新聞』の見出しには『八雲紫失踪!』って大きく載せてくださいな」

 

「これはまた急な……。まずマスメディアはあくまで公正であってですね……」

 

「実際今から私は失踪するんだからその記事は真実になるわ。真実を誰よりも正確に幻想郷へと伝える………それが貴女のモットーじゃなくて?」

 

「まあ、そりゃそうですけど……報道を故意的に使われているような感じが拭えませんね」

 

「うふふ、よろしくね?」

 

 有無を言わせない強引さだった。

 なるほど、確かに普段の紫ならこんなことはしないわね。けど今の紫は紫で、強引な方法を取ることになんの違和感も感じられない。逆に普段の紫の温厚な対応に違和感を感じるような気すらある。

 

 はぁ……頭がこんがらがってきちゃった。

 

「久々の現世(うつしよ)は大いに楽しめましたわ。再びまみえることがあるかは分からないけど、もう二度と貴女たちと合わないことを願っています」

 

「随分な言い回しね」

 

 ……()()紫へ言っておきたかったことがある。消えちゃう前にどうしても言いたい。この機会を逃せば、次に紫に会える日は当分訪れないだろうから。

 

「……私はね、今回の異変で貴女に甘え過ぎたと思ってるの。貴女が西行妖の復活に協力するって言ってくれた時、とても嬉しかった。だって怒られるとばかり思ってたから」

 

「分かってたなら自重してくれても良かったんじゃないの? あの時は貴女と仕事の板挟みでとても大変だったんだから」

 

「ごめんなさいね。だけど、どうしても満開の西行妖を一目見てみたかったから」

 

「ふふ……手のかかる友人よ、貴女は。まあ、手を貸したのはどんな経緯や思惑があれど、《あの時の私》が判断したこと。貴女が気に病むことじゃないわ。むしろあんな結果になってしまって私の方が申し訳なく思っているくらいよ」

 

 紫は私の言葉に儚げな笑みを浮かべると、空気に溶けていった。

 ……もう彼女とは会うことがないのだろうか? 生憎、私はそんな風には全く思えないんだけどね。

 

 少しして空間に亀裂が走る。そしてその中から三人の人影が放り出された。

 

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 

 紫色の夜空に爛々三日月が浮かぶ。

 漆黒の大地からはいくつもの長方形の建物が生え出ており、切り取られた穴から溢れるネオンの光が闇を切り裂き、擬似的な昼を演出していた。

 連なる山々のような摩天楼が(そび)え立つ。まるで巨大な妖怪に取り囲まれているような、そんな錯覚を覚えた。

 

 この世界が白玉楼……引いては幻想郷でないことは明白。霊夢と魔理沙にとっては全くの未知の世界であった。

 

 

 霊夢、魔理沙、咲夜の三人は互いに背中合わせの隊形を取りながら周りを警戒する。

 

「……なんだここ。夜、だよなぁ? 眩しくて目を開けてられないぜ。しかも地面がゴツゴツしてて土が見当たらないし」

 

「ここは外の世界…に似た空間よ。ビルといいアスファルトといい……どっかの都会を模した場所みたいね。趣味が悪いわ」

 

 魔理沙の言葉に咲夜が答える。

 外の世界を実際に見たことがある咲夜には、この世界は実にそれと瓜二つに見えた。

 違うところといえば生命と活気が全く感じられないことと、不気味な空ぐらいだろうか。

 

「紫は外の世界かぶれなのかしら? そう言えばしょっちゅう外の世界に出かけているみたいなことを言ってたわね。さっきも何とかして外の世界に行こうとしてたみたいだけど…」

 

「なんにせよ紫が何かしたことは間違いないか。とことん思考と底が知れんな」

 

 ふてぶてしく、そう言った。

 色々と駄弁ってみたものの周りにはなんの変化も起きない。そろそろ何かこの状況に対する策を取るべきかと、各々が考え始めた、そんな時だった。

 

 

 目の前の空間が捻じ曲がり、破れると同時に闇が街へと放出された。ダムの僅かな隙間から決壊したように雪崩れ込む。

 そんな闇の中から、紫がドレスを翻して現れた。身体の異形は相変わらずだ。

 

 とても愉快な声音で紫は言った。

 

「ようこそ私の世界へ。ここには何一つとして生命は存在しない、貴女たちと私だけの世界よ。外の世界のとある場所を模して作ったんだけど……どう? 気に入ってくれたかしら?」

 

「気に入る要素がないわね。こんなのが外の世界だって言うなら、幻想郷が在る理由がよーく解るわ。何にしても、虚しいだけ」

 

「全くだ。せっかくこんなにジメジメしてるのに、こんな硬い土じゃキノコ一本生えそうにないぜ。空気も悪そうだし、つまらないだけだ」

 

「お嬢様があの世界を嫌われたから幻想郷に来たというのに……今さら私がこの場所を気に入るはずがないでしょう」

 

「あらあら辛辣ね〜。そんなに言われちゃ流石に悲しいわよ」

 

 紫は残っている方の瞳からホロリと涙を流すが、結局のところ頗る胡散臭いので嘘泣きであることは明白だった。

 警戒を高めるだけ無駄にも思えるが、それは慢心だろう。()()()が先ほど白玉楼で行った一連の暴挙と言動から鑑みるに、気を抜くのは危険だ。

 

「アンタ外の世界に行きたかったんでしょ? なら此処で満足しなさいよ。曲がりなりにも此処も外の世界みたいなもんなんだから」

 

「それはだーめ」

 

 嘘泣きを止めて指でバッテンを作る。

 紫の余裕の表れだろうが、三人からすれば不気味なことこの上なかった。

 

「私は外の世界へ観光に行きたいわけじゃないの。ちゃんとした目的があるのよ?」

 

「へぇ。で、その目的とやらは何なんだ?」

 

「黙秘権を行使しますわ」

 

 紫の意図は読み取れないが、おちょくられていることは分かった。

 わざとらしい笑みが何かと癪に触る。

 

 眉を顰めた咲夜が紫を威圧する。

 

「貴女の戯言に付き合っている暇はないわ。大人しく私のナイフの錆になるか、”ぎゃふん”と言って負けを認めるか…好きな方を選びなさい」

 

「あらあら相変わらず禁欲で乱暴なメイドだこと。貴女が好きな方を選んでいいのに」

 

 紫の小馬鹿にしたような挑発に、咲夜は口元をひくつかせた。目元が薄暗くなってゆく。ちょうどネオンの光がバックになっているため影で咲夜の詳しい表情は分からない。

 一歩前に進み出てナイフを構える。

 

 紫の不気味な眼光が咲夜を捉えた。

 

「ふふっそうねぇ、まず貴女(咲夜)からにしましょうか。この中で最も未熟な、ね」

 

「減らず口を。幻世『ザ・ワールド』!」

 

 世界が咲夜の意思の元に凍結、停止した。

 紫も例外なしに不気味な笑みを湛えたまま静止している。霊夢やレティ、妖夢と戦った時のような違和感は全く感じないので、能力が正常に発動していることが確認できた。

 

 背後を見ると、魔理沙は注意深げな様子で固まっており、その傍らの霊夢は腕を組んで咲夜のことをジッと目で追っていた。

 やはり霊夢には見えているようだ。

 そのことに若干の悔しさを感じたものの、改良を重ねた今回の『咲夜の世界』は一味も二味も違う。そのことが確かな自信である。

 中々に厄介な多次元構造を複雑怪奇に能力に組み込むことによって、世界の優位性を押し上げているのだ。現に霊夢は目で追えているものの、身体はあまり自由に動かせないようだった。

 

 紫へと向き直る。

 いざ彼女を手にかけると思うと、腕が震えてきた。かねてよりの念願が今こそ叶うのだ。

 かつて自分を阻んだ運命はない。

 

「これでようやく呪縛から解放される。貴女を倒して、貴女を超えて……それでやっと、私と紅魔館は前に進めるのよ」

 

 霊力をナイフへ滾らせ、紫の胸へと狙いを定めた。こみ上げる様々な想いを押し込めて、ただ一点のみに集中する。

 過剰な力に持ち手がカタカタと震え、刀身にヒビが入ってゆく。

 

「貴女との決着は過去への決別。部屋の片隅で意気がり続けた私への……!」

 

 ゆっくりと、紫の胸へとナイフを突き刺した。

 

 咲夜の表情が凍りつく。

 

 

「勉強不足。未来に出直しなさい」

 

 耳障りな声が耳元で囁かれた。

 どろり、と紫は空気に溶ける。

 刺した感触を全く感じなかった。いつの間にか魔理沙も霊夢も消えており、咲夜一人が街の中にポツンと佇んでいた。

 

 光は留まり、闇も侵食を停止する。

 モノクロの殺風景な世界だけが、冷たく咲夜を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!?」

 

「あれ、咲夜は?」

 

 時が動き出した。目の前でナイフを構えていた咲夜の姿は消え、代わりに紫が心底愉快そうな笑みをニヤニヤと浮かべている。心なしか紫の体から覗くスキマの目も笑っているような気がする。

 

 魔理沙は唖然とするしかなかった。

 端的に止まった時を見ていた霊夢でも、目の前で起こったやり取りは不可解だった。

 

 紫はそんな二人の様子を流し目で見ると、勝手に語りだす。

 

「そうねぇ……彼女(咲夜)に足りないものは多々あるけれど、強いて言うならば、自由かしら? 事を進めるための回りくどさがまどろっこしいもの。

 あとは自分への理解ね。強大な能力を持つに至った故に内面が追いついていない。けれど、この程度に収まっているのが彼女の凄みよねぇ。世界の隅々……それどころか遥か何光年までもが自分の庭だと錯覚しそうになるほどの能力ですもの。

 ──ただそれだけに惜しい。だから、そんな彼女には有り余る時間を与えてあげた。レミリアも従者が存分に使えるようになって満足でしょう」

 

「アンタ……咲夜に何をしたの?」

 

「フフッ…元来あの世界はあの子だけの世界。介入著しい現状を良く思っていなかったみたいだし、何者にも干渉できぬよう()()()()()あげたわ。きっと今頃、自由気ままに暇を満喫してるんでしょうね」

 

 世界から咲夜を切り離す。

 果たしてそのようなことが可能なのかどうかはさておき、もし本当に止まった時の中に咲夜が取り残されているのだとしたら、今彼女は───。

 

 嫌な予感がする。

 

 

 

「それじゃ、次いきましょう?」

 

 紫の言葉に体が昂った。

 言葉にできない恐怖が心の内を支配した。

 スキマが不気味だ。声が不気味だ。目が不気味だ。佇まいが不気味だ。能力が不気味だ。笑みが不気味だ。存在が不気味だ。

 紫という存在に対する嫌悪的恐怖だった。

 

 




次回で妖溶無完結です。めちゃくちゃ伸びちゃった。
次回はゆかりんも登場するんだ!復帰するんだ!

アスファルトな世界は紫そのものだからね。現実世界と同時に存在することなんてわけないのさ。魔人ブウみたいなもの

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