幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:東方兎流陽寿

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死なばもろとも*

 

 

「なんで泣いてるの? 悲しいことがあったの?」

「……ええ。とても大切なモノを失くしてしまったのよ。もう私は──前のようにはいられなくなってしまった。心の奥底では、それを望んでいたに違いないはずなのに……」

 

 幼子にこの心情を理解しろというのは、些か酷なものがあるだろう。だけど、彼女が縋ることのできる存在は、もうこの子しか残っていなかった。

 理解できまい。できるはずがない。

 

 だがそれでも、『宇佐見菫子』という少女はそれらを告げられるに値する資格を有している、と彼女は考えている。

 どうしようもない我が儘ではあるけれど、心の拠り所はいつの時も同じなのだから、恥じることでも自重すべきことでもない。

 

「よく分かんないけど、何かを無くしちゃったなら探せばいいよ。それか代わりの物を見つけて、それを大切な物にするとか!」

「ダメなの。探しても見つかるはずがない。代わりになるモノなんてあるわけがない……取り返しのつかないことになってしまったのよ」

「そっか……ごめんね」

 

 軽はずみな発言だったことを察し、しおらしくなってしまった菫子。だが当の本人からすれば、何を謝る必要があるのかと、不思議でならない。

 この無垢で純粋な在り方は、正しく子供だからなのか、それとも『八雲紫』の見立て違いだったのか───。

 

 いや、それでも構わない。

 

「ごめんなさい菫子。貴女に当たっても何も解決しないのに……情けない姿を見せてしまって。幻滅しちゃったかしら?」

「ううん、そんなことないわ。それよりも、そんなに大切な物だったなら探そうよ! 無くしただけなら今も何処かにあるはずだから! 私も手伝う! あのねあのね、探し物は得意なの!」

「ありがとう。……ありがとう」

 

 菫子の持つ特別な力。彼女にかかれば探し物を見つけることなど朝飯前なのだろう。自制が効かない以外に欠点のない()()()()だ。

 

 ピクリ、と。

 中指が微かに痙攣する。

 

 夢路の果ての邂逅。決して邪魔の入らないこの場所で、宇佐見菫子に出会った。

 この奇跡を、みすみす逃すのか?

 

 私には……理解(わか)らない。

 

 

 気付けば彼女は、彼女の腕の中。

 

「ど、どうしたの? 苦しいよ……」

「……本当にありがとう。貴女が居るから私は忘れないでいられる。いま私がここに在れるのは……全て貴女のおかげ」

 

 だから私は終ぞ言うことのできなかったコレを、何度も何度も繰り返すのだ。

 この世の全てを妬み、僻み、恨んだ……この呪詛に塗れた醜悪な言葉を。

 

「本当に、ありがとう。()()

 

 

 

 

 ───────

 ────────────

 ──────────────────

 

 

 

 壁を蹴破り襖を破壊しながら霊夢達は疾駆する。制止の言葉は前の二人に届かない。

 何かに取り憑かれたかのような霊夢の行動に、さしもの魔理沙も不気味な予感を感じられずにはいられなかった。だが、それでも──。

 

「おい待てって霊夢! 何の準備も無しに突入するのは、流石に無鉄砲すぎるぜ!」

 

 魔理沙とアリスからしてみればたまったものではない。魔法使いにとって事前の準備が生命線である。それも無しに敵の本拠地を進むのは、本来なら絶対に避けねばならない愚行。

 しかし霊夢と妹紅にはそんな事など微塵にも関係無くて、ただひたすらに突き進み続ける。途中あからさまに設置されたトラップや結界を正面から破壊し、一向にスピードを緩めない。

 

「今回は何時ものようには慢心できん。……相手が相手だ。連中のとこに辿り着く前にやられちゃ意味ないだろ!」

「んな事で躊躇してる場合じゃないのよ。それに私はあんた達に『付いて来い』だなんて一言も言ってないんだけど?」

「またくだらない意地張って……」

 

 素っ気なく言い放たれた言葉にアリスは頭を抑える……こんな連中のストッパー役なんて買って出るんじゃなかったと後悔しながら。

 紫もさぞ苦労してる事だろう。

 

 しかし今回の言い分はやはり魔理沙の方に理があるとアリスも当然のことながら考えている。いくらなんでも強行過ぎる。

 ……それに、アリスには深い懸念があった。

 

「全員感じているでしょう? この、嫌な雰囲気。妖力に乗ってここまで漂ってくる圧倒的な負のオーラ。……並大抵のことじゃない」

「よっぽどの事が起きてるみたいだな……」

 

 芯から凍り付くような冷たい殺気だった。西行妖が放ったあの『死』が纏わり付くようなじめったらしいものなら、この『死』は身を抉るような突き刺すもの。まるで今も首筋にナイフを押し当てられているような、そんな感覚にすら陥りそうになる。

 

 その発生源にどんどん迫っている。

 間違いなく、凄惨なレベルの死地が待っているはず。

 

「……やってるな永琳のヤツ。動くのが遅かったか、これじゃ八雲紫はもう殺されてそうだな。チッ、毎度ながらいけすかん奴だよ」

「永琳……ねぇ。そいつの事をえらく買ってるようだが、あの妖怪がそんな簡単にくたばるとは思えないがな。なあ霊夢」

「……さあどうかしらね」

 

 そう、魔理沙の言う通りだ。

 物心ついた時から感じてきた"凄さ"と、春雪異変の際に嫌という程味わった"強さ"。人間の中で誰よりも紫の事を知っている霊夢だからこそ、抱く事のできる確かな自信。

 

 あの紫が……況してやレミリアや藍も居るのに負けるなんてあり得ない。天地がひっくり返っても……そんな事が起こり得るはずがない。

 

 あり得ない……が、それでも、張り裂けそうなほどの悲痛な想いを伝えるこの胸に、嘘はつけない。

 脳裏をよぎる嫌な光景を振り払う事ができない。

 

 

 

 結局、大した罠が張られている事もなく、妹紅の案内と霊夢の勘によって一行は永遠亭の大体を走破していた。

 そもそも空間を隔離して場所を隠したのだとしても、この溢れ出る嫌なオーラで丸分かりだ。その代わり、近づくごとに段々とそれは膨れ上がっている。

 

 立ち止まりたくなる気持ちがどんどん強まっていく。流れる汗が止まらない。

 

 

「……っ、この壁の向こうね!」

「永琳にしちゃ随分とお粗末な隠し方だな。こんなもんじゃ……! オラァッ!」

 

 炎を纏った妹紅の脚は爆発的な破壊力を生み出し、壁を粉砕する。どうやらなんらかの細工がされていたようで一瞬だけ妹紅の蹴りと拮抗したが、所詮は一瞬だった。

 

 

 そして、()()は流れ出た。

 

「うっ……!?」

 

 最初に反応したのは魔理沙だった。

 身体の隅々まで浸し尽くす強烈な不快感。どんなプランを練るよりも早く『逃亡』の選択肢が脳内を埋め尽くしていった。

 息がつまり、えづきながら尻餅をつく。

 

 アリスと妹紅も、顔を歪ませながら懸命に今の状況を理解することに全てを費やした。

 冷静沈着なアリスも、物怖じしない妹紅も、この時ばかりは心持ちの切り替えで精一杯だった。それほどまでに凄まじい悪寒。

 

 そして霊夢は───。

 

「……どういうことなの?」

 

 目の前の光景に唖然としていた。

 

 

 血と異物に塗れた殺風景な一室に立っていたのは、たったの一人。

 

 何本もの矢を身体に突き立てられ、赤い血溜まりに沈んだ藍。周りには彼女の尾と思わしきモノが散乱していた。

 生死は判別できない。

 

 力無く壁にもたれかかって、半透明になりながら消えようとしている幽々子は、存在を維持するのも困難な状態に陥っている。

 側では妖夢が泣きじゃくりながら蹲っていた。

 

 今まさに終わりを迎えたレミリア。

 胸を押さえ、荒々しい息を吐き出しながら、霞む瞳で目の前の規格外を睨みつける。

 

 そしてそれらを冷徹に見下ろす人間。手に握られた矢じりからレミリアの血が滴り、感情を感じさせない瞳でレミリアと視線を交錯させていた。

 

 

「──化け物……め……」

「貴女に言われちゃおしまいね」

 

 捨て台詞を吐きながらレミリアは崩れ落ちた。

 先程までの威圧感は完全に霧散し、静寂だけが永遠亭の一室を支配する。

 だが、誰も声を出さない。否、出せない。

 

 未だに状況を理解できない。

 

 

 静寂を破ったのは、他ならぬ永琳本人だった。感慨深げに辺りを見回して、大きく息を吐いた。そしてたった一言。

 

「これにて『チャプター完了』──漸く、この時を以って時間は正常に動き始めた」

 

 神への懺悔のように仰々しく語る永琳の姿から、とても不気味なものを感じた。霊夢達だけじゃない、配下の鈴仙を含めてである。

 永琳もまた、いま倒れていった彼女達と同じように、生物として肝要な部分が壊れてしまったのだろう。いや、壊れていたのは元からか。

 

「ここまでは知っていた。このタイミングでの新たなる訪問者、おそらく最後の刺客。月を止めていた原因である術はほぼ瓦解した。コレを越えれば夜が明けるまでは安泰となる」

 

 永琳にとって月が昇り続けるのはよろしくない。つまり、永琳の残る勝利条件は、夜を明けさせることになる。

 

 藍に幽々子、そしてレミリアの意識、または生死の有無によるものだろう、戦闘が始まった時点で既に術は瓦解しかけていたが、幾度となく繰り返された果ての決着によって、それが決定的となった。

 月を止めていたのは一人ではなかった。数奇な現象によって、各々が一斉に月を止めるという珍しい事象が起こっていた。

 

 そして……残るはあと二人。あと二人を戦闘不能に追い込むことができれば、永琳の完全勝利。

 ここまで来て引く理由など、あるはずがない。

 

「この中に、夜を留めた術者がいるのでしょう?」

 

 

 次に言葉を発したのは妹紅だった。

 

「……随分と張り切ったんだな。あんなに嫌なもんを撒き散らして……多分幻想郷中にお前達のことバレてるぞ」

「私にも多少なりとも非はあるんでしょうけど、大体はこの三人が出していたものよ。まあ、もう潜伏する必要はないから関係ないわ」

「──……殺ったのか」

「八雲紫を消滅させることに成功したんですもの。むしろお釣りが来るわね」

 

 

 

 

 

 

 この場の状況を見れば大体察しがつく。霊夢も、永琳の言葉など耳に入っていないようで、部屋に入ってからずっとある一人のことを探し続けていた。

 

 どこにも居ない。

 藍に橙、幽々子に妖夢、レミリアに咲夜……この六人の他にあいつが居たはずだ。

 ……何がどうなって───

 

 

「──咲夜っ! 私にナイフをッ!!」

 

 声を張り上げて妖夢が叫ぶ。楼観剣は無く、白楼剣を振るう理由もない。例えチンケなナイフでも、肉弾戦で挑むよりは遥かにマシだ。

 咲夜もナイフを二本投げ渡し、自分の周りに回転するナイフの群れを展開する。

 

「悔やみきれない一瞬の抜かりッ! 私がもっと早く駆けつけて……紫様の代わりになれれば……挙句に幽々子様と共に戦えるだけの技量があれば、こんな事にはならなかった! 幽々子様、申し訳ございません……!!」

「やっと、お嬢様の考えに至りました。何故あのような行動をとり続けていたのかも……私が悉く無力である理由も。──気遣いは無用、と……言うべきでしたね。よもや……」

 

「当然、貴女達は向かってくるでしょうね」

 

 ほぼ同時に白銀の従者二人が地を蹴り、永琳に肉薄する。事態の急変に、暫くの静観を決めていたアリスもそれどころではなくなった。考慮すべきはこれから後の立ち回り。

 二人を先行させて永琳の出方を伺いそれに応じた対策を練るか、それとも霊夢と魔理沙の合わせて五人で徹底的に叩くかの、二つに一つ。

 

 

 よくよく考えれば、幻想郷最強クラスの三人を同時に葬った永琳相手に、その考えは甘いと言わざるを得なかっただろう。

 それどころか、練られたプランは一瞬のうちに根本から潰されてしまったのだから。

 

 咲夜と妖夢の敗北という結果を以って。

 

「な……!?」

「──!」

 

 刹那の交差。

 当の本人達も、起こった事の詳細は把握できていないだろう。振り抜かれた二閃は虚空を斬り裂き、縦横無尽に飛来したナイフは破壊された。

 そして妖夢は顎、咲夜は腹に衝撃を感じるとともに、床、壁へと叩きつけられた。

 

 元から満身創痍だった妖夢はこの一撃で失神。咲夜は耐えはしたものの、血を吐き出しながら項垂れた。

 

「紺珠の薬の効果に頼るまでもないわね。九尾の狐に比べれば貴女達の動きは十分対応できるレベルよ。ただ……これは褒めてあげるわ」

 

 永琳は胸に刺さったブラッドナイフを抜き取り、握り壊した。結果を度外視して一矢報いるつもりだったのなら、二人の連携は概ね成功と言っていい。

 問題は相手にしているのが永琳だったという事。

 

「私の毒で自壊を? ……おそらく、そこの化け猫の毒を抜き取った時から虎視眈々と狙っていたのね。ご主人様が痛めつけられているその間も──……いや、()()()()()()()かしら?」

「貴女でさえ……なければ……」

 

 口惜しそうに、やるせない様子で咲夜は歯を噛み締めた。咲夜と永琳の絶対的な相互関係は、両者ともに薄々と勘付いていた。

 そしてレミリアも恐らく、この二人よりも早くその事を把握していたのだろう。だから咲夜を前線に出さず自らが率先して動いていた。

 

 永琳の中での仮説が正しい確率は、本人が見積もって70%程度。それでも、確率論を抜きにして永琳を以ってして確信めいたものを感じさせるナニカが二人の間にはあった。

 

 

 もっとも、そんな事は今、どうでもいい。

 

 無情な一矢が咲夜を貫く。

 

「殺すには不安要素が大きい、だからといって野放しにするのでは永遠に終わりが訪れない。なので貴女には寛大な処置を施しましょう」

 

 通常なら死に至らしめる怪我でも永琳の技術なら仮死状態に留めることが可能。結果、咲夜は弧を描くようにして床に倒れ、動かなくなった。

 それと同時に幻想郷を覆っていた術式の一端が崩壊する。月の輝きが狂気の域まで届こうとしていた。

 

 部屋の隅で橙の呻き声が響く。

 

 あと一人。

 その居処は───

 

 

「霊夢……お願いだから正気保ってて。これで貴女まで失えば、アレには到底太刀打ちできない。……解ってる?」

「──……大丈夫よ。大丈夫だから」

 

 返した言葉はひたすらに淡々としていた。だが、どこか弱々しさを感じるのは気のせいではないと、アリスは見抜いていた。

 この状況、彼女らの言葉……それらを照合するに、紫はもう恐らく……。

 

 霊夢ならもうとっくの昔に分かっていたはず。勘のいい彼女のことだ、向かっている途中にも大体の事の顛末を薄々と勘付いていたに決まっている。

 

 一抹の希望は潰えた。

 ならば、どのような行動を取ればいいのか、霊夢は自問自答を繰り返す。

 

 

 ───決まっている。

 

 

「『夢想天生』……!」

 

 発動できないなんて失敗はもうない。紫による()()()()()()のおかげなのか。もし萃香戦を体験していなければ、霊夢は惨めに右往左往するだけの矮小な存在であったに違いない。

 これを見越していたのなら、紫は永琳を超える程の策略家だろう。

 

 霊夢の姿を見て安堵したアリスもまた、覚悟を決めた。紫を殺されたのは彼女にとっても看過すべき事態ではなかった。

 肌身離さず持ち歩いていた魔導書に括られた鍵穴を、アリスは敢えて鍵を使わずに握り壊した。もう後には退けない不退転の決意の表れだ。

 

「פרסום ספר הכשפים」

 

 たどたどしく、馴れない詠唱。

 無理もない。この詠唱を口に出したのは、アリスの生涯の中でたったの二回だけ。だがそれでも言い終えたならもう此方のもの。

 色取り取りの魔力が流動化し、螺旋を描くように莫大な恩恵がアリスを塗り潰す。

 

 一度しか開かれた事のなかった魔導書(Grimoire of Alice)。魔界の至宝とも謳われる、最高にして最強の魔法が封印された本。

 全能感と昂揚感に精神を汚染されるが、今はそれ以上に永琳に対する敵対心が強かった。もう喚くばかりだった子供じゃない。

 髪から色素が抜け落ち、代わりに瀑布の如き魔力がアリスを一から構成し直す。

 

 奇しくも、色鮮やかな二人の顛末は、全てを奪われた無色だった。全てを透き通し、原初の始まりとなった根源の色素。

 白や黒に最も近く、赤や紫に最も遠い色だ。

 

 

「アリス、お前……それは……」

「下がってた方が身の為だと思うわよ。もし動けるのであれば……倒れてるのを退避させてくれると助かるわ。あくまで貴女の身の安全を第一に、ね」

「私は、戦……っ!……ちくしょう……!」

 

 唇から赤い線が滴る。

 分かってしまったのだ。自分との隔絶された実力の差というものが。アリスの言葉も、何も言わない霊夢も、魔理沙に求めているのは決して助力などではない。ていのいい厄介払いだった。

 そして魔理沙自身も、ついに痛感してしまった。自分は決して対等では無かったのだと。

 

 アリスと霊夢の背中も、況してや永琳の姿でさえも、魔理沙には遠く霞んで見えた。

 

 

 魔理沙が後ろに退くのを確認し、ここでようやくアリスは状況分析が可能になる程度の余裕を手に入れた。ごちゃごちゃの思考に沢山の情報が割り込んでくる。

 なるほど、やはり負荷が高い。昔よりもなまじ成長した分、身にかかる負担は段違いだ。しかし自らを御すればまだ壊れずに済む。

 

 まずアリスが永琳の他に脅威になり得ると考えたのは、鈴仙と妹紅。一応敵方としてはてゐもいるが、あの深手では動けまい。

 鈴仙は戦闘に巻き込まれた小動物のように右往左往している。アレもかなりの戦闘能力を有しているようだが、参戦の意志を見せないのであれば、直接の脅威からは除外できるかもしれない。むしろ利用価値すら……。

 妹紅は本当に紫の殺害だけが目的だったようで、この死地においても暇そうに部屋の隅に座り込んで自分の髪を弄っている。無視でいいだろう。

 つまり、排除すべきは永琳のみ。

 

 逆にこちらはというと、アリスと霊夢を除いては満足に動くことすら厳しいだろう。

 魔理沙には戦える程の決意が無い。レミリアと橙は夥しい量の血を吐きながら床に這い蹲っている。幽々子は所々にラグのようなものを走らせながら項垂れ、妖夢に咲夜は先程の通り。

 そして藍は──。

 

 魔導書の力を解放した今だからこそ見えるほど、隠密に、水面下で、いろいろな事が判った。

 

「……」

 

 まだ全てが終わったわけじゃ無い。

 自分と霊夢の力が合わされば十分打開は可能だと考える。現に自分の魔力はこれまでに無いほどの高まりを見せ、霊夢の霊力はどんどん膨れ上がっている。ポテンシャル的には萃香を倒した時となんら遜色はないのだ。

 

 

 

 永琳は眉を顰める。

 

「まったく、とんだ魔境だったみたいねここ(幻想郷)は。これじゃてゐを恨む事ができないわ。むしろ感謝すべきなのかしらね? ……優曇華、さっさとこの部屋から出なさい。死ぬわよ」

「け、けどてゐの傷が……」

「1分以内に終わらせる」

 

 鈴仙を一瞥もせずに弓矢を構える。もし仮に──あの3人の他にあと1人、霊夢かアリスが居たならば……無かった運命ではあるが、実現していたかと思うと、流石の永琳も肝が冷えた。

 

 だがまあ、何にせよ、だ。

 結局のところ、恐るるに足らないという事は変わらない。自分の1000万分の1も生きていないような小娘がどうこうするなど最早有り得ない話である。

 

 見る限り透明になっている霊夢に攻撃は通じそうにない。ならば、と矢を三本つがえて弦を引き絞り、アリスへと照準を合わせた。そして放つ。

 だが魔導書から噴き出した魔力がそれらを淘汰し、さらに永琳を囲うように大規模な魔法円陣が何億にも重なって出現する。

 

 紡ぐは本来不可能な詠唱。

 

「להשמיד את כל」

 

 短くも難解なワード。普段のアリスならこの半分も発する事が出来ないほど、無理な詠唱だった。だからアリスは多少無理をした。

 その証拠に口を噛み切って流れ出た血液が透明な肌を伝う。それでもアリスは微塵にも集中を乱すことはなかった。

 

 極大消滅魔法。魂の構成物質すら微塵に破壊する術式である。アリスは永琳が不死であることなど知り得ない。だがそれでもこの魔法を選択したのは……一重に、この結末が永琳に最も相応しいと考えていたからだ。

 それだけの事をこの妖怪とも生物とも判別付かない女はやらかしてくれたのだ。

 

 アリスに言わせれば、妥当もいいところ。

 

 流石の蓬莱人も魂魄を散り散りにされては形を暫くは保てなくなってしまう。いや、それ以前の問題で精魂を薬で傷付け過ぎてしまっている。これ以上の消耗は薬で誤魔化せるとは言えども、是が非でも避けたい。

 

 幸いにも永琳はこの魔法を『知っている』。反発する術式を直ちに展開し、炸裂する消滅の波を片っ端から搔き消し続ける。彼女の情報処理技術を以ってすればこの程度は容易い───。

 

 が、手持ち無沙汰を甘んじるほど、今の霊夢は怠惰ではない。鋭い一閃が永琳を斜めに袈裟懸けし切り離した。

 消滅の渦に割って入るなど、霊夢を除いて実現できる者が果たしていようか。故に、永琳は霊夢の射程範囲に悠々と潜り込まされた。

 

 立ち込める紅い妖力は、かつての色よりドス黒く、なお一層の輝きを増した。これが霊夢の心の奥の感情なのだろう。

 

『毎回とんでもない局面で呼び出してくれる……。今代の巫女は実に面白い奴よ』

「……今回はアンタじゃ駄目みたいね。斬る程度じゃこいつを殺す事はできないわ」

 

「神降ろし──に近い類のモノ。なるほど、地上の巫女もなかなか優秀ですこと」

 

 既に切断面が接着を開始している。紫の隙間を斬り裂き、萃香の夢幻を斬り裂いたこの斬撃でも永琳を殺すには至らない。

 それどころか、斬られながらもアリスの魔法群を捌き切った。まるで最初から全て知っていたかのように……。

 

「……この奇妙な感覚──何か致命的な事を見過ごしているような。そんなはずがない……この魔法が発動したのはこれが初めてのはず。対策のしようなんて、あるはずがない……」

「『チャプター完了』──さて次は……何を試してみましょうか」

 

 霊夢へ牽制の矢を放ちながらあっけらかんと言い放つ。永琳の霊力が一瞬だけ揺らめく。

 

 この時アリスは気が付いた。

 永琳の自分達を見る目。アレは間違いなく観察者の視線だ。まるで自分達をゲージの中で暴れるモルモットと同じように見ているような、そんな屈辱的な視線。霊夢は既にイラついている。

 だがアリスは怒りよりも先に、軽い悪寒を感じた。あの目は何を物語っている?

 

 ……懸念は払拭するに限る。

 

 魔理沙が倒れていた者達を回収したのを見届けて、アリスは下準備を開始する。

 

 アリスが次に展開したのは複雑な紋様が刻まれた大規模魔法陣。そして集約される魔力の量は先ほどと比較にならない。

 大元の供給源である魔導書からチューブのような細い線が伸び出て、アリスの胸や腕に直接魔力を送り込む。考え得る限りでの最大火力で全てを消しとばすつもりだ。

 

 魔術形態としてはマスタースパークに酷似しているものの、構成されている術式はそれより遥かに複雑で高等。

 アリスより前方にある全てを、存在することすら許さない。だがその分、準備にかける時間は長い。そこを狙い目とするのは真っ当な思考だろう。

 

「その魔砲……厄介ねぇ」

 

 瞬時に練り上げた莫大な霊力を矢に纏わせ、術式を穿たんと渾身の一撃を放つ。だがそれは霊夢の剣閃によって八枚に切り開かれた。

 星の瞬きよりも速く動けるようになった今の霊夢なら、妖夢にすらできなかった芸当も可能になる。何にせよ、アリスに手出しは許さない。

 

「随分と強力なモノを降ろしているのね。特定の者にしか力を貸さず、さらには妖力を纏う神……新興宗教の類いかしら?」

『私を侮ってくれるなよ、常世思金神。貴様がどれだけ古かろうと所詮は過去の遺物よ。今を生きる幻想郷の者共に及ばん』

「──……なるほど、一筋縄ではない」

 

 と、辺りの力場が何倍にも大きくなる。

 あまりの魔力濃度にチャージの段階で空間が張り裂けようとしていた。

 これ以上はアリス自身が危険だ。

 

「霊夢ッ、撃つわよ!!」

『さて……できることならこれで消えてくれ、神代の亡霊よ』

 

 霊夢の姿が搔き消えると同時に、放たれた極大の魔法が永琳の視界をあっという間に埋め尽くす。恐らく、この場にいる者たちの行使する術の中で、最も強大な力。

 

 諦めるしかなかった。

 二人は永琳のキャパシティを超えたのだ。

 

 

 だから、()()()()諦めた。

 今は二度目だ。

 

 指を弾くと同時に展開される極小の魔法陣。それはアリスの魔砲に触れた途端にその魔力を悉く食い尽くす。そしてその魔力をそっくりそのままの威力で魔砲へとぶつける。

 

 結果、相殺──とはならない。

 魔砲の激しい衝突によって、アリスと永琳の中間で凄まじい爆発が起きた。

 熱と爆風に彩られ、煙が晴れた先にあったのは、無傷のまま存在する永琳と、喉を焼かれ苦しそうに悶えるアリスの姿だった。

 

「……っ!? ぁ"…!!」

「今のやり取りで私が貴女に優っていたのは大きく三つ。一つは元々の知識量、二つに事前の情報量……三つに詠唱の有無かしらね」

 

 アリスの魔砲が生み出した破壊力はそれこそ賞賛すべきだ。単純な力比べならアリスはこの場の誰よりも強いだろう。

 だがそれではダメなのだ。

 

 全ての魔法には顕現する為の術式が大なり小なり必要になる。つまりそれを解析されては途端に無力になってしまうのだ。

 事実、毎回同じような魔法を使っているように見える魔理沙ですら細部では緻密な術式の改変が行われている。魔法使いの戦いとは単純な魔力比べではない。全てを左右するのは情報である。

 

「あり、えない。…ありえない……!」

 

 だから、魔法使いでは永琳には勝てない。

 未来を体験できるからではない。それは永琳が()()()()()()()()()()()()()()()であるからだ。キャリアが違い過ぎる。

 

 彼女と拮抗できる者が居るとしたら、それは魔術そのものを司る神か、新たを創り出すことのできる創造神くらいなものだろう。

 

「動じればそれで終わり…ハァ……私は、まだ何も感じていないわ……!」

 

 魔導書の輝きがさらに増していく。そして段々と魔術との境界がボヤけていくのだ。

 

 化けの皮が剥がれた、とでも言うのか。

 アリスの姿は、もう先程までのものではない。

 

「アリス、お前……その姿は……」

 

 魔理沙は絶句した。

 そこにあったアリスはかつてのアリスだった。

 

 魔界で戦って、ムキになりながらあの魔導書を持ち出してきたかつての姿。

 霊夢も呆気に取られている。

 

 当の本人は気づいていないようだ。

 

 

「אינסופילאינסופיות──!」

 

「やめなさいアリス、それ以上は戻れなくなる! 引き摺りこまれるわよ!」

 

 霊夢の声にも耳を貸さず、ついには身体が魔導書を取り込んだ。こうなれば術式は全てアリスの意志のあるがままに変質を続けるだろう。

 魔法使いの弱点を根本から潰しにいった。

 

 だが永琳は何か感じる事もなくアリスの終わりを悟っていた。もう、彼女はとっくの昔に詰んでいたのだ。

 

「יליופיותסלאיסופיופיופפיות──……ッッ!? あぐ……が……ぎぁ"!?」

「アリスっ!?」

 

 溢れ出していた魔力が一転して収束を開始する。

 ──否、起こっているのは収束ではなく、濃縮。魔力が身体の中に留まり続けているのだ。それも徐々に汚染され、重度の魔力中毒になっているアリスが『危険』だと認識できる段階にまで、魔導書の魔力が過密している。

 

 簡単な話、乗っ取られたのだ。

 例で言えば紅霧異変でのチルノと霊夢による戦闘の一幕。魔力を乗せたブリザードは、霊夢の結界細工によって奪われている。干渉する能力さえあればそのような事も案外容易い。

 

 今回はまさにそう。

 アリスの魔砲と永琳の魔法。その二つが拮抗した時、術式は確かな繋がりを見せた。永琳が敢えて、そうさせたのだ。

 その決定的な瞬間を永琳が見逃すはずがなく、送り込まれた魔力は魔導書の中で留まり、着実な魔力汚染を引き起こしていた。さらにそれをアリスが直接取り込んでしまったことが決定的なものとなってしまった。

 

 結果、抑え込もうとする魔力と、反発し放出されようとする魔力とで衝突が起こり、アリスは体内から破壊される事となった。

 暴走し迸る力が魔力回路を引き裂き体外へと溢れ出る。蓄えられていた全ての魔力が流れ出るまで地獄は終わらない。

 

 

 そして魔法使いは魔法に溺れた。

 崩れ落ち、魔力溜まりへと沈む。

 

 月の瞬きが更に激しいものへ。

 

「月を止めていた最後の術者はやはり貴女だったのね。……凄腕の魔法使いではあったけど、夢写しの術を使っているようじゃ、高尚な魔女と呼べないわ。年を誤魔化したかった『お嬢さん』」

「アリス、お前……なんで……!?」

 

 魔理沙の問いは答えない。……10年前と全く同じ、年端もいかない少女。壊れた人形のようにアリスはピクリとも動かなかった。

 

 

 これで残ったのは霊夢だけ。厳しい表情で何度も頭を搔き毟る。明らかな憔悴だった。

 博麗の勘が告げるのだ。この化け物をどうにかするような手立ては、もう殆ど残っていないことを。幻想郷の敗北が近づいていることを。

 

 いや、幻想郷は既に負けているのかもしれない。

 紫のいない幻想郷など成り立つはずもなく、自然瓦解する未来図が容易に想像できる。

 アレが失われた影響は途轍もなくデカい。

 

「……紫」

 

 あいつならこの状況で、一体なにをしでかしてくれるのだろうかと考える。

 如何に絶望が蔓延ろうと紫はそれを打開してみせた。八意永琳だって、紫なら……もしかすると、あり得るのかもしれない。

 

 紫は自身が追い込まれた時、何をしてきた? どんな方法で窮地を切り抜けた?

 

 

(………いや、違う)

 

 

 紫が自らの力で窮地から脱する姿なんて、霊夢は一度も見たことがないのだ。いつも何かしら不思議な事が起こって、気付けば場は紫の独壇場。

 そう、こんな時なら───。

 

 ──大抵誰かが助けに来る。

 そして、それは大抵、あの狐だった。

 

「う"ぉあアアァァァアッッ!!」

 

 背後から伸び出た金色の尾が永琳の腹を抉り、そのまま巻き付き拘束。そして一気に距離を詰めると自分の尾ごと永琳を蹴り上げた。

 

 唯一、藍は意識を保っていたのだ。

 

 アリスや咲夜、妖夢の犠牲によって永琳に生まれた新たなる隙。それに付け込むべく、仲間達を犠牲にしながらも虎視眈々と狙っていたのだろう。

 

「……ッ大人しく寝てればいいのに、あのバカ…!」

 

「ハァ…ハァ……! 〜〜〜〜〜ッッ!!」

「呆れた……なんてしぶとさ。蓬莱人でもないのに大したものだわ。───まあ、褒めてはいないんですけど」

 

 藍の能力が発動し、永琳へと影響力を行使する。式神化の応用妖術であり、相手の意識の全てを自分の支配下に置こうとしたのだ。

 思考能力さえ奪ってしまえば如何なる力を持っていようが、完全な無力化を達成できる。……逆に言えば、永琳を倒すにはこれ以外の方法が無い。

 

 全てを賭けた藍による渾身の反撃だった。

 

 だが永琳は容易くそれらを弾き、お返しとばかりに尾へ矢を突き立てる。

 

 途端、夥しい量の血が吐き出された。

 

 




 
長いので区切りました。次話はなるべく早く投稿するウサ。本当ウサよ?
次回か次々回で穢嫌焦はおわり。頼むよ永琳……これ以上暴れないで……。

またアリスの詠唱にはヘブライ語を使用していますが、実際は何か変な言語を話してますのでそこのところご注意。
ちなみにヘブライ語を翻訳してみると「ゆかりん可愛い」とか「魔界神可愛い」とかしか言ってないのでそこのところもご注意。


対永琳相性早見表

霊夢◯
魔理沙×
妖夢×
咲夜×
藍◯
アリス×
幽々子△
レミリア△
ゆかりんー

(勝ち目)ないじゃん……。

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