幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで 作:とるびす
「──リー。ねぇ、メリーったら!」
自らを呼ぶ声に身体が引きずられ、意識が覚醒する。と同時に窓際に置いていた肘がずり落ち、メリーは窓に頭を強打することとなった。
いつつ……と額をさすりつつ、メリーは対面のシートに腰掛ける相方へと恨めしげな視線を投げかけた。
「何よもう、折角人が気持ちよく眠ってたところに……。野暮じゃない?」
「何言ってるのよ。メリーったらずっと外を眺めてるだけで全く反応しないんだもの! 眠ってすらないわよ」
「えぇ? 私さっきまで夢を見てたんだけど……もしかして目が開きっぱなしだった? うそぉ」
とは言うものの、こんな事で嘘を吐いても仕方ないだろう。相方の言葉は常に信憑性を以って受け入れねばならない。
白昼夢でも見ていたのかと考えたが、拭いきれない違和感は心に大きく影を落とす。メリーにしてみれば死活問題も同然なのだ。
「だんだん制御が利かなくなってきてるわね。大丈夫? 何か変わったことはない?」
「うーん……目が乾いたわ」
「それは大変ね。貴女の目は私たちの宝物だもの、しっかりと潤さなきゃ」
大袈裟だなぁ、と思いつつメリーが宙を指でなぞると、たちまち黒い空間が大きく口を開ける。そしてその中に躊躇いなく腕を突っ込み、目薬を取り出す。もはや見慣れた光景だ。
本当に便利な能力だと、蓮子はつくづく思う。時折意識が飛びかける事や、眠り癖が付いてしまいそうなのが難点ではあるが、それを考慮しても余りあるほど恩恵は多大だった。
しかし当のメリーは自分の能力に対して、あまり良い感情を抱いてはいなかった。日常生活に支障をきたしているのだから一般的な感覚では当たり前だ。それに自分自身でも能力の全てが把握できていないことが不安なのだろう。
勿論、蓮子はそんなメリーの心情を理解している。故に、若干わざとらしくメリーを茶化すのだ。
「寝不足かしらね。早寝早起き朝ごはんは大事ですよハーンさん」
「他ならぬ貴女がそれを言いますか宇佐見さん」
本日の集合にも当然のように遅刻していた蓮子に対し、メリーは口を尖らせる。微かな笑いが二人から込み上げた。
「それで話を戻すわよ。どこまで起きてた?」
「あー、そういえば話の途中だったわね。えっと……なんの話だっけ?」
「……了解。最初から話すわ。今度は寝ないでよね」
一呼吸置いて蓮子は語り出す。
「まず、この新幹線の行き先は覚えているかしら? 流石にそこまで記憶がないなら病院に連れて行かなきゃいけないけど」
「あー……覚えてるわ。確か東海道を通って関東に向かってるのよね? 確か蓮子の実家に行くんだっけ?」
「正解! 安心したわ。──それでその目的なんだけど、別に実家参りって訳じゃない。秘封倶楽部の活動の一環としての旅ってわけ」
「うん覚えてる覚えてる」
自分の記憶と照らし合わせるようにメリーは何度も頷いた。その様子に蓮子はにんまりと笑みを深める。
補足すると、蓮子と実家──旧家の関係はあまり良くない。蓮子の思想と相容れない事がなによりの原因であり、蓮子自身あまりその類の話をしないのでメリーは詳しい概要を知る由もない。
なので今回の活動はかなり新鮮であり、奇妙でもあった。蓮子が毛嫌いしている実家を訪れる事もそうだが、もう一つ不可思議な事があった。関東に踏み入るというその行為それ自体が、世間一般では褒められた行動ではないのだ。
「関東──特に東京は荒廃している。政府機能が京都に移遷して以来、あそこは凋落する一方。見るべきものは何もない……そう思う?」
「思うわ。だって文字通り、何もないんですもの。あそこには」
「でしょうね。都市全体がホラースポットなだけあって怪異は一丁前に跋扈してるけど、どれもこれもが小規模で実態を伴わない。つまり、私達の追い求めるような物ではないわ」
滅びは唐突だった。今は昔、首都圏を直下型の大地震が襲い、甚大な被害を生み出したという。時の政府はこれに際し、首都の移転を発表。結果、明治期以来の京の都が復活したのだ。
しかし大地震云々はあくまで政府による発表のみが根拠であり、周辺住民は揺れなど微塵にも感じていなかったとされる記録が多数残っている。さらに地震波計測器の不調、諸外国の不気味な沈黙、死体のあまりの少なさなど、不明瞭な点が目立つ。
このため様々な憶測が世界中を駆け巡った。
曰く「某大国の地震兵器の実験ではないか」
曰く「軍事クーデターが発生したのではないか」
曰く「不遇に追い込まれた古代宗教の裁きであると」
一方、蓮子とメリーは首都壊滅の都市伝説について、一応の結論を出していた。それは、なんらかの『大霊災』が秘密裏に発生していたのではないかという酷く曖昧な結論だった。
だが彼女らには特別な目がある。故に一般大衆では知り得ない現状も把握していた。首都圏はいわば怪異の坩堝なのだ。
なお、この首都壊滅に関連して他にも様々な滅びがこの国には齎されていたのだが、今回は割愛する。
「私達が求めるべきはあんなものじゃないわ。関東に向かうのはあくまで通過点に過ぎない。実家なんてついでよついで」
「ええ覚えてるわ。で、肝心の『今回の目的』……これをまだ聴けていなかったわね」
「そう、それをさっきまで説明していたのよ」
したり顔の蓮子はバッグから地図を取り出し、四方へ広げる。かなり酷使されているようで、紙の材質は端の方をメリーが持たないとロクな形を保てないほど草臥れていた。
蓮子にとって地図とは能力上無用の長物であるが、メリーへの情報伝達という点で重宝されている。
蓮子は新潟県から静岡県までを線引くようになぞる。本州をちょうど二分割するそれは地政学的な区切りとして目に見える形で存在している。
「畿内と関東を遮る天然の境界……中部地方は一種の仕切りであると言えるわ。ほら、フォッサマグナとかでも有名だし」
「……確かに中部地方……特に山々の連なる日本アルプスや長野の盆地は度々神話に登場しているし、妖怪達の決闘の場としての伝承も多く残ってるんだっけ。この前図書館の本で読んだわ」
「へえ、そんな本がまだ残ってたんだ? 明治と平成の焚書運動を逃れた書物がこんなに身近に?」
「焚書されなかった文献は大抵本の山に眠ってる。先人達が隠してくれたんでしょうね。これがウチの大学の良いところよねぇ」
神秘が抹消され世間から隠匿されている現代だが、よくよく目を凝らしてみると所々にかつての名残は点在している。
それを探し出すのもまた、秘封倶楽部としての活動の一環といえよう。
「メリーの言う通り、中部地方は日本の踊場のような場所だった。ある意味では無法地帯。関東も畿内も、両方が巨大な歪みを抱えている。その中間地点であるここら一帯は緩衝区域と言えるのかもしれないわね」
「じゃあ今回の目的地は……」
「関東から入ってフォッサマグナをなぞるように進んでいきましょう! 日本海に出るまで北上を続けるのよ!」
「──と意気込んだはいいものの……毎回見切り発車が過ぎるのよねぇ、蓮子ったら。そもそも徒歩で中山道を抜けるなんて無理だし……」
人が往来する路地の端にポツンと座り込み、呑気に蓮子の帰りを待つ。これからの事を思うと思わず溜息が溢れてしまった。
少し裏手に入れば蓮子の実家があるのだが、メリーはここで待っててとの事で、ただ今待ちぼうけを食らっているのだ。
メリーはとある調べ物をしつつ、今回の計画について考えてみた。
フォッサマグナの範囲内を調査するのは良いと思う。あそこ近辺には京都並みの怪異が溢れている。しかしいかんせん範囲が広過ぎるし、何よりインフラ整備が間に合っていないため、休日のうちに回れる場所というのはどうしても限られてしまう。
その事を指摘した途端、蓮子は目を泳がせながら計画の変更を発表し、メリーを大いに呆れさせた。プラトン並みの頭脳を持つと自称する蓮子ではあるが、こと秘封倶楽部の活動となるとうっかりを連発してしまうのが悪い癖だ。
「関東からじゃまず飛騨
メリーは地図に視線を落とす。目を付けたのは長野県中部。ここまでが短期休みという条件下における自分たちの限界だった。
蓮子の本命は飛騨盆地だろうとメリーは予測していた。なにせあそこは日本最高のパワースポットであり、今となってはほぼ現存しない神話の舞台だからだ。かつて飛騨山脈と呼ばれたその盆地の異常さは世界的にも有名であり、昔はユネスコ世界遺産の登録候補として名を連ねていたという。
メリーもかねがね行ってみたいとは思っていたが、今回はご縁が無かったということだ。素直に諦める。
と、そんな事を考えているうちにそれなりに時間が経っていたようで、パタパタと蓮子が駆け足で近付いてくる。
「ごめんメリー! 待たせちゃった」
「いいえそれほど。じゃあ行きましょうか。行く場所の選定も既に済ませてあるわ」
「さっすがー! メリーのお目に適った場所なら行って損はないものね」
あんまり期待しすぎないで欲しい、なんて事を薄っすら考える。だけど蓮子に頼られて満更でもない自分もいる。ほとほと自分の一貫性のなさに困り果ててしまうメリーであった。
そんな思考を振り払うように、メリーは地図上を指し示す。
「ここよ」
電車に数時間、高速バスに揺られて数時間、徒歩數十分。これだけかけても一向に目的地は見えてこない。一般人よりも比較的身体の丈夫な蓮子と、少々特殊なメリーはバテてこそいないものの、若干飽き飽きしていた。
星や月が出る時間になれば蓮子の能力で現在地と目的地を照らし合わせて正確な到着時間も判るのだろうが、そもそもこんな山道を真夜中に歩くのは愚策というほかあるまい。
「あー……ごめんメリー完全に舐めてたわ……。ちょっとしたハイキング程度にしか考えてなかったわぁ」
「朝起きるなりいきなり駅に呼び出されて何も聞かされないまま新幹線に乗せられた私に比べれば準備万端だと思うんだけど?」
メリーは一度怒るとしつこいのだ。
そして二人が目的地に到着した頃には、既に夕暮れ時を迎えていた。眼前に広がる水面が赤黒い波を立てて二人を歓迎している。
蓮子はその光景に胸を高鳴らせ、メリーは思わず眉を顰めた。見立てを遥かに超える境界の濃度。神秘の源泉。はっきり言って想像以上だった。
「なるほどこれは……見聞に違わぬ……」
「自分で選んでおいてなんだけど、あんまり良くなかったかもしれないわ」
「着いてしまった以上は仕方ないわ。さあ中枢へと向かいましょう」
二人は互いに頷き、さらに歩みを進める。
この湖を見下ろす場所には恐らく──境界の親玉があるはずなのだ。
周辺住民は日々の営みを変わらず続けているようだが、二人にはそれがとても正気なものには思えなかった。よくもまあこの条件下で平然としていられるものだと感心すらした。
時折流れてくる聞き覚えのない民謡を適度に聞き流しつつ、二人は先を急いだ。
しばらく歩くと有刺鉄線の張り巡らされたフェンスが二人の前に現れる。俗に『曰く付き』と呼ばれる場所は大抵こんな風に入れないようになっている。去年の大晦日に二人が踏み入った伊吹山もそうだった。
もっともこんなものはメリーの能力の前には何も意味をなさない。空間に亀裂が走り、数メートル先の空間と接着される。こうして二人は悠々と障壁を突破した。
やはり空気が重い。
心に感じる不気味なものを払拭するように適当に駄弁り合いながら、二人は考えを巡らせていた。ふと、蓮子が思い出したかのように語り出す。
「そういえば、この湖って一度消滅したらしいわね。確か平成あたりに」
「へぇ……まあそういう事もあるかもね」
湖が寿命を迎える事は特段珍しい事ではない。特に昨今の世界情勢を考えれば尚更であった。世界最古の古代湖であったバイカル湖がついに干上がった事などは記憶に新しい。
だが蓮子は首を振る。
「湖の消滅といってもそれには多大な時間を要するわ。それこそ数十年、数百年単位でね。ところがこの湖は一晩のうちに干上がってしまったらしいのよ。──そして数日のうちに復活した」
「それがこの境界に何か関係があると?」
「それを調査しないとね! なんらかの理由で秘匿された巨大な陰謀が暴けるかもしれないわ! 私のシックスセンスが疼く!」
「はいはい、超能力に目覚めたら是非とも実演してちょうだいね。……ふぁぁ……」
メリーは言葉半分に欠伸を噛み締める。
日が沈み始めていた。
「見てメリー!」
「ん……」
霞む目を擦りながら指差す方向を見遣る。山に向かって伸びる石段が延々と続いている。その先にはぽっかりと空いた奈落のように、闇の火口が二人を待ち構えている。
蓮子に迷いはなかった。自分に絡みつくような嫌なモノを振り払い、石段を駆け上がる。一方のメリーは好奇心よりも危機感の方が大きかった。故に本音を言うなら、蓮子を止めたかった。
しかし、彼女は手を引かれるままに歪みへと向かうしかないのだ。恐怖心を心の奥底に仕舞い込み、自分の曖昧となる意識に鞭を打つ。
いざという時、蓮子を歪みから引き戻せるのは
ほぼ全速力で石段を駆け上がった二人。さほど時間はかからなかった。
小山の頂上はなだらかな平面となっており、丈の長い雑草が生い茂っている。また至る所に腐った木材が点在していて、かつてなんらかの建造物が存在したことを暗に示していた。
一言で言うなら、不気味。
粟立つ肌を抑えながらさらに先へと進もうとする蓮子。しかし、相方がふと歩みを止めた。あともう少しで待ちに待った秘封と出会えるかもしれないのに、どういう事だと。蓮子は少々急きながらメリーを発破する。
「どうしたのよメリー。もうすぐそこなのに……」
「蓮子……アレを見て」
メリーは俯きながら闇の先を指し示す。彼女の特別な瞳が何かを捉えているのだろうか? 蓮子は目を凝らす。闇の中の存在へと意識を集中させる。
だが何も見えない。蓮子の目では狭間の存在を捉える事はできないのだ。
「分からない……何かが居るの?」
「……居るわ。幾多もの人の形をした境界が、中心へ向かってる。とても、強い悪意を……持って……行くのは……」
「ちょっ、メリー!? 流石にここで寝るのは不味いわよ!? 気をしっかりもって! ──メリーっ!」
蓮子の呼び声も虚しく、メリーは再び眠りに落ちた。崩れ落ちる身体をなんとか抱き寄せ、雑草の上へと寝かせた。重なり合う草葉がクッションのようにメリーを包み込み、埋もれさせていく。
思わぬ大誤算だった。メリーの容態はこの旅が進むごとにより不安定になっていたのだが、まさかこんなタイミングでピークを迎えるとは。
悔しげに口を食いしばるも、メリーの安全が大前提である。眠れる少女をこんな場所に放置する事などできやしない。
なんとか彼女を抱き抱えてこの場からの逃避を試みる。しかしその目論見は急遽中断せざるを得なくなった。
──雑草を踏みしめる音。
身を
メリーが倒れる前に言い残した言葉が蓮子の頭を何度も反芻する。彼女の言が正しいのなら、いま自分たちに近付いてきている存在はロクなものではない。ましてやメリーは昏睡状態であり、この場から離れる事すら出来ない。
蓮子に取れる行動は自ずと限られていた。
自分の存在は既にバレているだろう。
だがメリーはまだ大丈夫かもしれない。雑草の中に身を隠していればまだ──!
「……すいません! 現地の方ですか!?」
蓮子は立ち上がるとメリーから離れつつ、相手に問いかける。牽制の意もあったのでほぼ叫びのような声だった。
まずは意思疎通が可能なのかの確認である。もし相手がそれすらもできない化け物なのならば、上手く注意を引いてメリーの安全を確保しなければならない。
その存在は蓮子に気落とされたのか、ピタリと動かなくなる。やがて暗闇に目が慣れ、相手の全容が明らかになる。
蓮子は息を呑んだ。
数瞬の探り合いの後、先に声をかけたのは異形の女性だった。
「──貴女、一人で此処に? あっ、もしかして肝試しですか?」
「はぁ……えっと、そんなところです」
「肝試しはダメですよ。ロクなことになりませんからね。それに見ての通り、此処には何もありません。女の子が
女性はそんな事を宣う。蓮子にとっては良い意味で拍子抜けだった。
風貌は頗る怪しいのだが、反面柔らかな言葉遣いと表情には思わず気を許してしまいそうなほどだ。だがそれでも気を抜くわけにはいかない。
やはり、女性は異質だった。
目元を隠すほど大きな帽子を被っていた。かなり古いもののようで端が少し草臥れてしまっている。髪は背中からほど長く、暗闇の中でも分かるほどの艶やかな緑色。そして極め付けに一風変わった巫女服を着用している。
その風貌たるや一瞬幽霊かと見紛うほどである。いや、もっとも幽霊疑惑はまだ晴れた訳ではないが。
そんな蓮子の怪訝を知ってか知らずか、女性はからからと朗らかに笑う。
「あはは、すいません。だったら私は何なんだって話ですよね。……ほんと、なんだってこんな所にいるんだか」
「あのー、もしかして現地の人じゃなかったりします? それこそ、私みたいな他所者だったりして……?」
「んー上手く言えないけど帰省者って感じかな? ああ、確かにここらの土地は昔から
少しばかり深みのある言い方に蓮子は眉を顰める。雰囲気も話を進めるごとに硬化していっているような気がした。
「昔は何かの建造物があったんですか?」
「はい。この一帯にはそれはそれは大きな神社が建っていたんですよ! 太古には『東国一の大宮』なんて言われてたほどです。……もしかしてご存知ない?」
「……はい。申し訳ない」
この時、蓮子は嘘をついた。
実はここら一帯の歴史についてはそれなりに把握している。だがそれを何処の誰とも知れない人物に話すわけにはいかない。
結界破りは重罪である。それに繋がる文献の所持もまた法律によって禁止されている。よけいな知識の保持は罪だ。
故に知らないふりをしなければならない。一般人は風土記など知る由もないのだ。
女性は心底残念そうに顔を伏せた。
「そうですか……仕方のない事でしょうね。この荒れようじゃ喪われても仕方がない……ええ。寂しいですけど、仕方がない」
「……一つお聞きしたいんですけど、貴女は何故こんな時間にここへ来たんですか? お互い様なのは兎も角として」
好き好んでこんな僻地まで来る者など、自分たち含めてごく少数である事は当然として、次に大切なのはその『目的』である。帰省者と言っていたが、なら何故こんな夕暮れ時に、しかも自分たちと同じタイミングなのか。
肝試し、冷やかし、やましい取引、結界監視の仕事、警備員──可能性は様々。格好から鑑みるに脱法オカルトサークルの可能性もあるなと、やはり自分たちを棚に上げて考える。
「ふふ……聞きたいですか?」
「あっいえ、詮索されたくない内容なら全然言っていただく必要はないので」
「いえいえいいんですよ。
メリーの存在を言及され息が詰まりそうになるも、なんとか笑顔を浮かべるにとどめる。まさか最初からバレていたとは。自分が一人である事を会話中に仄めかし、思考を誘導する心算だったのだが……目の前の女性は敢えてそれに乗っかっていた事になる。
どこかふわふわした印象を受けるが、その実、油断ならない相手であると、蓮子は警戒を強めた。
「まずは名乗りましょう。私の名は……洩矢サナエ、かつてここに在った神社の一切を取り仕切っていた者です。まあ、今や昔のことですが」
「──神社の? それはおかしい。だって……っ」
その神社が在ったのは遥か昔で、若い貴女とは年齢が合わないじゃないかと、そう告げようとして蓮子は慌てて口を噤んだ。先程神社のことを「知らない」と言ってしまった手前、その事を言及するのは得策ではない。
蓮子の動揺はサナエにも十分伝わっただろう。だが彼女は気にした様子もなく淡々と自らの来歴を語り始める。
「まあ色々ありまして、神社の機能をとある場所に移しました。神社自体は此処で廃れた後も存続していたんですよ。──しかし滅せぬもののあるべきか……結局滅んでしまいました」
「それは、信仰が受け入れられなかったから?」
「そうです。我々は行き場を失い、やっとの事で辿り着いた新天地にて……滅ぼされたのです。……全てを受け入れるなんて、そんなムシのいい話は所詮幻想に過ぎなかった」
沸々と、何かの高まりが場を震わせる。淡々とした声音はみるみる冷たく、憎悪混じりのものになっていく。ざわざわと周りの雑草が怯えるようにその身を激しく揺らしていた。
「悔やんでも悔やみきれない。……どうせ滅びるのなら、せめてゆっくりと、倒木が徐々に朽ちていくような安らかなものが良かった。そんな最期を用意してあげたかった」
あまりに強い負の想い。帽子に隠れてその表情を窺い知る事はできないが、それで良かったのかもしれない。サナエの目を凝視することなどできるはずもないのだ。
「ああ憎い……あいつがどうしようもなく憎いんですよ。私から母を──神様を──全てを奪った、あの化け物が──!」
新緑溢れる草葉の匂いが鼻をつく。それはまるで、野晒しの挙句に錆び果てた人工物──鈍色の匂い。
蓮子はこの時点で確信した。
洩矢サナエがこの世における真っ当な存在ではない──人間ではない事を。
これ以上サナエを刺激するのは良くない。蓮子はその事をしっかり把握しているはずだった。しかし、彼女は止まらなかった。好奇心が恐怖心を大きく凌駕してしまっていたから。
「もしかして、騙されたんですか? 例えば、その新天地とやらに来れば全てが上手くいく、なんて甘い言葉に乗せられて」
「……否定はできませんね。ただ私たちにはそれ以外に選択肢が無かったことも事実。藁にも縋る思いであの人の言葉に従うしか無かった」
ふと、厳しい雰囲気が緩和された。
「結局、何事も『知る前』が一番楽しい。何も分からないまま、漠然と生き続ける事が何よりの幸福なのでしょう。だから
「やっぱり! 私たちがここに来た理由に最初から気付いていたんですね」
「貴女はかつての私と同じ目をしてましたから。未知を追い求める好奇心に溢れた瞳……何も声を掛けないのは可哀想だと思ったんです。あっ、勿論待ち伏せなんてしてませんよ。私たちが出会ったのは
ああ、とサナエは手を叩く。
「話が逸れていましたね。何故いまさら私がここに来る必要があったのかですけど、ただ単に最期一目だけでも故郷の風景を見ておきたかったんですよ。多分、もう二度と来れないでしょうし」
「……最期、ですか」
「あの化け物を野放しにしておくわけにはいきませんからね。多分勝てないでしょうけど、一矢報いる事ができればそれでいい。敵討ちってそんなものでしょう?」
言ってる事は物騒オブ物騒だが、当のサナエはなんだか楽しそうだ。身振り手振りで刀を振るうようなポーズも取っているので、もしかしたら討ち入り系時代劇が好きなのかもしれない。
と、一通り語って満足してしまったのか、サナエはホウッ、と独特の溜息を吐いた。そして満足げに蓮子を見遣る。帽子の端から翡翠の瞳が覗く。
「私の話を聞いてくれてありがとうございました。神様も喜んでくれてると思います」
「大袈裟だなぁ。いや、私も興味深い話が聞けて楽しかったですよ。……だけど一つだけ、謝らなきゃならない事が……」
「謝る? えっと、何に?」
不思議そうに首を傾げる。
「危ない遊びは止めろと、そう言ってくれましたよね。自分のような道を歩みたくなければ、道を引き返せと。しかもわざわざ自分が異形である事の説明までしてくれて」
「……これが末路ですので」
「嫌というほど分かりましたよ。如何に私たちが危ない橋を渡っているのかがね。だけど……それでも私たちは進みます」
「へぇ……仮にそれが破滅に続く道だと、分かりきっていても?」
「勿論。それが私たち秘封倶楽部なので!」
即断即決を好む蓮子に迷いはない。恐らくメリーは首を縦に振る事はないだろうが、あくまで秘封倶楽部の方針としてはこの通りである。
もっとも、むざむざと破滅に突っ込むような真似はしない。ボーダーの見極めを怠る事は死に直結するからだ。蓮子とメリーは無鉄砲ではあるものの、自殺志願者ではない。只の探求者なのだ。
くすくす、と。闇に搔き消える程度のか細い笑いが耳を吹き抜ける。てっきり先ほどの回答で不機嫌になっているものと思いきや、サナエは面白いものを見るかのように笑うだけ。
最初からそうだ。サナエは憎悪に身を焦がしながらも、その実どこか現状を楽しんでいるようでもあった。
狂人、とでも言うべきか。
「刹那主義……それもいいでしょう。手を伸ばせば暴ける未知を敢えて放置するのは苦痛でしかないもの。是非とも頑張ってください」
「相方は多分反対しますけどね。それでもやっぱり、私は──」
「心が命じた事は誰にも止められません。ですが、残された者の悲しみを想うなら、止まるべき場面はしっかり立ち止まるように、ですよ」
そして「もっとも私はもう残す人なんて居ませんから好きにやれますけどね!」と付け加える。とことんポジティブな幸薄少女である。
もはや互いに語るべき事は語った。
これからも蓮子は相方と共に結界暴きを続け、なんらかの岐路を迎えるだろう。サナエは憎悪に蝕まれながら、仇討ちに挑むのだろう。その上で、二人は互いに足りないモノを補完し合う事ができた。
神の思し召しか。
はたまた偶然の産物──奇跡か。
それを判断する者はこの場には居ない。
「それではお気をつけて。くれぐれも自分を見失わないように」
「ええ。また会えるといいわね」
「ふふ、どうでしょう。またの再会を祈念して、奇跡を願いましょう」
握手を交わし、サナエは反転する。宵闇はやがて黒霧となり、サナエの身体を包み込んでいく。
ふと、サナエは消えゆく中で問い掛ける。
「そういえば貴女の名前を聞いていませんでしたね。最後に教えていただけますか?」
「あっそういえば!」
話に夢中で完全に忘れていた。彼方はしっかりと最初に名乗っているのだ、フェアじゃない。
蓮子はドン、と胸を叩く。
「私の名前は、宇佐見──」
「蓮子っ! 何してるの!?」
背後から響く別の声。切羽詰まったようなその声音は、相方マエリベリー・ハーンのものに他ならない。彼女も起きていれば貴重な体験ができただろうに、なんて事を思いながら蓮子は手招きする。
だがメリーは固まっていた。サナエを見て完全に硬直してしまったのだ。一方のサナエも、メリーを視界に捉えると、大きく目を見開いた。
あまりの驚きに唇が震えていた。
「蓮子! その人、危ないわ!」
「あーいやいや、この人はね──」
確かにぱっと見ではかなり怪しい風貌のサナエに驚くのは無理もない。蓮子は弁解しようと口を開くが、それは他ならぬサナエから漏れた言葉によって遮られる事になる。
「お久しぶりですね、いつ以来でしょうか? ……それにしてもその格好、もしかしてふざけてます?」
「えーっと、それこっちの台詞なんだけど」
急に態度を硬化させるサナエ。対するメリーも表情が険しくなる。
妙な食い違い。サナエの言葉が何を意図してのものだったかは不明だが、なんらかの誤解が生じている。
「ちょっと二人とも落ち着いて──」
「なるほどそういうことですか。随分な戯れですね、流石ですよ」
蓮子の仲裁も虚しくサナエの圧が加速的に増していく。メリーが何かを言っているが、脳髄を駆け巡る雑音が邪魔して聞き取れない。
ギリギリと、世界が捻じ曲がっていく。サナエを包んでいた闇の霧が彼女の姿を飲み込み、風が吹き抜ける。
「先ほどの忠告を取り消しましょう。貴女達は何としても秘封を暴き続けなければならない。いわばこれは義務です」
あまりの暴風に目をまともに開ける事ができない。僅かな視界に真っ赤な三日月が映る。舌がやけに長い。
「貴女たちの旅が終わる時、私はやっと終われる! このクソッタレな現実を夢とする事ができるのです!」
「旅の終わりは、私たちが決めるわ! 貴女なんかに強いられる筋合いはないっ!」
「駄目ですよ。もう決まっているんですから。信じ続ければいつか願いは叶うと……そう言ったのは貴女じゃないですか。──八雲紫」
*◆*
「──子、ねぇ蓮子ったら!」
「あ、れ? ……!?」
自らを呼ぶ声に身体が引きずられ、意識が覚醒する。と同時に窓際に置いていた肘がずり落ち、蓮子は窓に頭を強打することとなった。
いつつ……と額をさすりつつ、 強烈なデジャヴを覚えた蓮子は驚きの表情で対面に座る相方へと目を向ける。
「なんで私、電車に乗ってるの? さっきまで雑草だらけの所に居たのに……」
「夢でも見てたんじゃない? ……というのは半分冗談で、私も同じ夢を見ていたわ。それも二回」
「……あの」
「そんな捨てられた猫みたいな顔しないで。説明するから」
これまでの怪奇とはまたベクトルの違う奇々怪界な体験。メリーと夢を共有するのは勿論初めてではなく、これまでに何度も活動上の一環として彼女の不思議な夢を蓮子は眺めてきた。
だが今回はケースが違う。
「この電車でのやり取り、実は3回体験したわ。違いは私が頭をぶつけるか、それとも蓮子が頭をぶつけるか。1回目と3回目は蓮子、2回目が私だった。ただどれも痛みを伴っていた」
「まあ、そうね」
いま額に感じている痛みは現実のものに違いない。1回目の自分については眉唾な話ではあるものの、蓮子に確かめる術はない。
メリーの話は続く。
「その後、関東入りした私たちは蓮子の実家に立ち寄って、すぐに目的地を変更しあの湖へと向かった」
「それをメリーは2回繰り返した。ってことは……貴女もしかして、あそこがどういう場所なのか初めから知っていたってこと?」
「夢の内容がそのまま現実通りになる確証が持てなかったし、1回目は貴女の呼び声のおかげで途中までしか体験できてなかったからね。ほら、ちょうど小山の頂上に着いたあたり」
「あー……あの時の眠りはそういう」
点と点が線で繋がった感覚。頗る無茶苦茶な話だが、メリーの言うことだから信じられる。寧ろ彼女を信じずして誰を信じるのか。
「1回目はあの女が現れる直前、2回目はあの女が姿を消す直前に終わったわね。つまり現在進行形で起きているこの奇妙な現象のキーが誰なのか、自ずと分かってくるでしょう?」
「女──サナエさんね。けどメリー、貴女も変よ。だって私の見たあの光景と記憶は間違いなく……」
「現実だった」
メリーの能力は夢に大きな比重を置いているものであり、本来なら現実への干渉能力はごく限られたもの。だが日を追うごとに彼女の能力は強大に、より増幅していく。そしてついには蓮子にまで無自覚に影響を及ぼし始めたのだ。
これは誰よりもメリーが懸念していたことだ。いつかこの能力が蓮子に牙を剥くのではないかと、恐ろしかった。
当の蓮子ははしゃぎ回っているが、メリーには到底そんな気楽に構える余裕などない。
「これは検証が必要ね! メリーの夢に私も簡単に入れるようになったならこんなにステキなことは無いわ! いや、それよりも現実を書き換えるほどの規模が最大の恩恵とも──」
「……」
勝手に分析を開始した相棒を横目にメリーは考える。あの女──サナエについては不明な点が多い。蓮子から自分が眠っている間のやり取りを大まかに教えてもらったのだが、結局全てが不明瞭なままである。
何故あのような悍ましい存在と自分の能力がリンクしたのか、それすらも分からない。
その上で二つほど気になる点がある。
「蓮子……ちょっといいかしら?」
「ん、どしたの?」
「貴女の瞳には、洩矢サナエはどう映った?」
「どうって、そりゃあまあ、人間じゃないんだろうなーってくらいよ。あの人もそのことは否定しなかったし」
「了解。──じゃあ次に、これを見てどう思う?」
小型万能デバイスを蓮子へと手渡す。画面にはとあるニュースの記事が浮かび上がっており、その内容は否が応でも自分たちの体験となんらかの関連性を見出さざるを得ないものだった。
蓮子の表情がみるみる険しくなる。
【湖とともに消えた謎。湖底より女性の遺体】
ちょうど平成の某日。件の湖が消えた事に関する記事であった。
遺体として発見されたのは、湖の近隣に住む女の子。名前は東風谷早苗というらしい。神職を務めていたそうだ。
湖消失事件の数日前から安否が分からなくなっていたらしく、誤って湖に足を滑らせたか、それとも殺されて沈められたのか……しばらくは昼のワイドショーでそんな事が議論されていた。
だがいつだって謎はさまざまな憶測を呼ぶ。
もっぱらの警察の意見として、身投げが最有力だった。東風谷早苗という少女は日頃の異常行動が目立つ人物だったそうで、統合失調を患っていると近隣住民から忌避されていたそうだ。
大衆ワイドショーでそんな事を報道するわけにもいかず、当たり障りのない憶測のみをコメンテーターがつらつらと述べ、いつしかこの事件は人々の記憶から埋没する。
だが地元では此度の事件への思いは中々消えなかった。東風谷早苗という少女を知っている彼等は、不吉なものを拭えずにいたという。
まことしやかに噂されたのが、人ではない何かに魅入られ、その身を自ら贄として捧げる事を強いられた、というオカルトめいた話。
科学神秘主義の跋扈するこのご時世にそんな噂を信じる者は少なけれど、後味の悪さは残り続ける。彼等が彼女に行ってきた行為も決して褒められるものではないだろう。よって彼等は彼女への慰めの為に民謡を書き起こした。それがあの湖周辺でのみ語り継がれる民謡『早苗様』になったそうだ。
「いや、怖っ」
「貴女結構危なかったんじゃないの? 完全に魅入られてたじゃない」
「けど変な事はされなかったし……ていうかメリー、どうやってそんな情報を瞬時に?」
「1回目にあの湖に訪れた時、民謡が聞こえたのよ。それがどうにも気になって、2回目の蓮子の実家で待ってる時に調べたの」
入念なメリーに隙はなかった。
ただやはり、どう推測してもあのサナエと名乗った人物が自分に対してあれほどの反応を示したのか、それが解らない。
解らない事があるのは、不安だ。
「で、どうするの蓮子。もう一度あそこに行くの? それとも──」
「一つ聞きたいんだけどさ、私たちはあの夢を覚えてるけど、サナエさんの方はどうなのかしら? 彼女も私たちのように……」
「覚えてるんじゃないかしらね。今頃思いのほか戸惑ってたりして」
「やっぱりかぁ。ならいいかな、今回は別の場所を目指そう」
「あら意外。どうして?」
蓮子は外を見る。晴れ渡る空は駿河湾を眩く照らし、陰鬱な記憶を洗い流してくれる。だが蓮子は敢えてそれを心の奥にしまい込んだ。
「あの人とは十分話したし、これ以上邪魔するのも悪いかなって。あの人は本来一人で感傷に浸りたかったと思うのよ。何かの決意を固める為にね。それに茶々を入れるのはあんまりでしょ?」
「まあ私は本音を言うならあそこにはもう行きたくないけど……いいのね? 話を聞く限り、多分もう二度と会えないわよ?」
「会えるわよ」
水面に反射する光が車内を明るく染め上げた。あの湖とは対照的に、青く、
「だって、信じなきゃ奇跡は起きないんですもの」
RNK「ていうか私たち下手したらループに嵌ってない?大丈夫?」
MRY「今見ている景色を夢とするかどうかは私たちの自由よ、RNK」
SNE「人間辞めてるなぁ……」
YKRN「主役は私だから(濁った目)」
以上ホラーチックにお届けしました。
幻マジ秘封世界?は結構ディストピア溢れる感じ。ゆかりんがなんやかんやしてる可能性はアリアリのアリス。
そして蓮子はより行動的に、メリーはより慎重に。これがさらに悪化すると行動力バカと臆病ヘタレになります。互いを補う系カップリング好き。
また湖周辺でのみ語り継がれる民謡について、初期案の題名は『サナエさん』でした。勘のいい読者さんはお気づきでしょう。そう、かの偉大なサークル様の例の曲と被るため急遽変更いたしました。