幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで 作:とるびす
「射命丸ッまだですか射命丸ッ! 早く開けろッ!」
「うっさい! 何ですかこんな夜更けに騒々しい……。いま朝刊を刷ってるところなんだから邪魔しないでほしいわね」
「それどころじゃないんですよ! ああっ、取り敢えず入りますよ!」
仕入れたての新鮮な情報を紙面に捌きつつ、栄えある新聞大会チャンプの未来に向け邁進していた幻想郷最速の烏の元に、騒々しい来訪者が押し掛けていた。
扉越しに怒鳴り合っていた二人だが、来訪者の方が先に痺れを切らした。ドアを蹴破り、無理やり室内に侵入する。
「緊急事態なんです! 直ぐに出仕してください!」
「はぁ? 緊急事態って……例の会合で八雲紫が賢者大粛清を発表したっていうアレの事?」
「いやなんで知ってるんですか!? 先ほどあったばかりなんですけど……いやもういい!」
文の非常識さについて突っ込むのも、最早馬鹿らしい。長年の腐れ縁で彼女の扱いを心得ている椛でさえも、呆れ果てるばかりだ。
だが今現在、急件として椛のキャパを追い詰めているのは、八雲紫や射命丸文に関する事ではない。いや追い詰められていないと言えば嘘になるが、今もっぱらの緊急事態としてはあまりに弱い。
「はたて様が消えました! 幻想郷中を隈なく探してますけど、未だ見つからず……!」
「っ……分かった。私も出るわ」
数瞬の驚きの後、文は紙とペンをそこらに投げ捨て、身支度を最速で整える。
その間になるべく最大限の情報交換に努めた。長年の連携の賜物といえる。
「なぜアンタともあろう者がはたてから目を離したの! 分かってるでしょ、あいつ凄くふわふわしてるから……」
「分かってますよ! 不甲斐ない限り……!」
「山の様子は?」
「専ら今回の講和内容の件で持ちきりで、異変に気付いてるのは恐らく、上層部と、私達だけです」
不幸中の幸いだった。
もし仮に彼女の失踪が山中に知り渡っていれば、間違いなく未曾有の混乱が起こっていただろう。天狗に恨みを持つ勢力が一斉に蜂起し、かつての醜い争いが繰り返されてしまう。
それどころか、八雲紫や摩多羅隠岐奈あたりから妖怪の山が再起不能になるレベルの介入を受ける可能性だってある。
文と椛はそれを何よりも恐れていた。
「分かったわ。ひとまず私は幻想郷をひとっ飛びしてくるから、アンタは千里眼で手当たり次第に探してちょうだい」
「ええ、現時点ではそれしか……」
「全く……手がかかるんだから……!」
取れる方法は限られている。
しかし二人はそれぞれ別分野でのスペシャリスト。幻想郷において比類なき精度の索敵能力を持つ妖怪。そしてあともう一人、姫海棠はたての能力と合わされば、この世に出回る情報の全てを把握できるのだ。
今回はそのはたて本人の捜索となるため若干不完全な情報収集となるが、幻想郷内での話であれば、文と椛の二人だけでもなんら問題はない。
椛を部屋に置き去りにしたまま、文は黒い辻風となって幻想郷の空と同化する。光の速さで眼前を過ぎ去る景色、無音の空間をひたすら疾駆し、自慢の高速情報処理で視界に収めた範囲に探し人が居ないかチェックする。
それと同時に、文は並列思考で今回の失踪に繋がる経緯が如何なるものか、推測してみた。想像力の豊かさこそ、清く正しい新聞記者の本領といえる。
(考えろ射命丸……まず今回の件ははたてが能動的に行ったことなのか、それとも不測の事態、或いは拉致された可能性も……いや、外部からの侵入者が椛の哨戒に引っかからないのはおかしい。それにはたてを拉致るのだって、簡単なことじゃないわ)
はたての能力は戦闘とは無縁の長物。しかし、からっきし戦闘ができないというわけではない。妖怪の山において文の次にすばしっこいのは恐らくはたてであり、力も椛と同等程度には有る。
そんなはたてを何の痕跡も残さず連れ去る事の出来る人物ともなれば、もはや文では手に負えない領域の話になってしまう。
(今は自分にできることに専念しよう)
文はそう自らに念じ、最悪のケースを頭の中から振り払う。はたては自己の判断で姿を消したと、そう仮定した。
(どういう思考をすれば今回の行動に至る? ──重責に耐えられなくなって逃亡──現状を打破する奇策を思いつき実践中──いたずらや気まぐれ──憤慨して策無きカチコミ……全部あり得るわね)
はたてとはもう長い付き合いになる。ここ数百年は訳あって疎遠になっているが、椛からの話を聞く限り昔とあまり変わっていないようだった。
それだけの仲であれば、多少は先の行動を推測できてもいいはずだろうが、文の脳内では逆の現象が起きていた。はたての事を解っているからこそ、推測が覚束ないのだ。
理由はふわふわしているからに尽きる。
楽観的で直情的、それでいて理屈っぽく、少しばかり知性的でもある。なお根は若干幼稚。それが文によるはたての総評である。
(どんな理由があるにしても、はたてが並ならぬモノを抱え込んでいたのは確か。そしてその責任は……やっぱり私か?)
若しくは椛、またはその両名がはたてに与えているであろう影響は負の面込みで無視できるものでないのは、文も重々承知していた。
天狗の安全保障において欠かすことのできない存在として、昔から重宝されてきた三人だが、故に背負う事になってしまった負債はあまりにも過大だった。文は唯一、その負債から逃れる事に成功した幸運な烏天狗である。
だが他二人に逃れる術はなく、なし崩し的に泥沼に呑まれることとなる。
椛はまだいい。彼女には決意がある。どれだけ心身を擦り減らそうとも、最期まで闘い抜くと誓った想いの強さがあるのだから。
一方ではたてはどうだろうか? ……正直な話、決意なんてあったものじゃないだろう。望まずして混乱に巻き込まれたのだ。
文は少なからず責任を感じていた。逃げ出すべきではなかった。昔のように、三人一緒に困難と戦うべきだった。
だが、やはり……。
文は幻想郷を愛していた。
天狗の誰よりも、幻想郷を愛していたのだ。
故に、道を共にすることは、できなかった。
*◆*
「というわけで、賢者を辞めることになりましたわ。以後よしなに」
「ここまで底無しの馬鹿だとは私を以ってしても見抜けませんでした。誇っていいですよ紫さん、貴女は大馬鹿者です」
開口一番にこれである。
いつものようにキレ味抜群の罵倒がさとりから飛んでくるものの、今の私には全く効かない。
絶好調オブ絶好調! 故に無敵!
いやぁ、肩の荷がおりるって言葉はこういう時の為にあるんだとつくづく思ったわね。重責から解放されたおかげで心の奥から全能感が湧き上がってくる! ほんと、正邪ちゃんには感謝してもしきれないわー!
「……取り敢えず、煩いので落ち着きましょうか? お燐、熱冷ましを」
「はいさとり様」
さとりの合図とともにペットの火車が桶いっぱいの氷水を持ってきたため、慌てて心を落ち着かせる。一瞬で私の中の全能感が霧散してしまった。
あのままはしゃいでいたら恐らく氷水を頭からぶっかけられていた事だろう。ほんと、つくづく陰湿かつ暴力的な妖怪だわ。
「貴女のアホみたいな歓声を聞かされる身にもなって欲しいですね。……それで、なんでそんな大馬鹿な決断をしたんですか?」
「ではまず貴女に今回の会議の顛末を教えましょう。大なり小なり、貴女達にも関係のある事ですし」
なんの用事も無いのに地霊殿に来るはずがないわよね。今回の出来事は是非ともさとりの耳に入れておいた方がいいと思ったの。
では取り敢えず、今日の1日を簡潔に想起するとしよう。準備オッケー?
*◇*
発端は藍から妖怪の山での惨状を聞いたところ。ひとまず霊夢から拝借した巫女服を脱ぎ捨てていつもの導師服にばたばた着替えた。そのまま息つく間もなく河童の元へ出向きにとりと色々な事を話し合ったわね。
にとり曰く、河童は天狗を滅ぼす気などさらさらなく、ただ自分達の力を知らしめ自由を勝ち取る為の戦いだったとのこと。あくまでにとりの言うことだから信憑性については怪しいけど、私に対してそう宣言した以上、ここを落とし所と定めたのだろう。
その後迅速に戦いをストップさせ、講和会議を開く旨を幻想郷中に通達し、華扇と口裏を合わせて、最後に阿求を迎えに行ったわ。忙し過ぎて頭が破裂するかと思ったわね!
で、ここからが本題ね。
にとりの要求を通すべく色々な事を言い並べてみたんだけど、その悉くが例の新参賢者、稀神正邪に論破されかけたわ。
途中からなんか罪をなすりつけられそうになって吃驚したわね! 私がこの世で一番嫌いな事、それは『争い』ですわ。それを私自身が煽ってるなんて、そんなの詭弁もいいところ。私は憤慨した。
だけどね、途中からアレ? って思い始めたのよね。正邪ちゃんの言ってること正しいかもしれないって。私みたいな力を持たない妖怪がでしゃばった所で上手くいくはずがないのに、なんで私は今に至るまでデカい顔をしてたんだろうって凄く恥ずかしくなってきたの!
よくよく思えば私のやってきたことは全て失敗ばかり。賢者なんて大層な地位に身を置けたのも他の賢者方々のおかげだし、私が賢者になって得たものなんてカッコいい肩書きだけだし!
思わずお気に入りの扇子をへし折ってしまうほどのあまりの羞恥といたたまれなさに、私は賢者の辞退を決意したわ。
ただ何の理由も無しに辞めるのは藍が許してくれなさそうだから、適当な理由を付けて辞める事にした。今回の戦争責任云々の件はまさにうってつけだったわね。
しかも途中から正邪ちゃんが私に対して色々と援護射撃をしてくれたおかげでとてもスムーズに話は進んだわ! 流石は草の根ネットワークのリーダー! 弱小妖怪の味方!
そして私は賢者の辞退を堂々宣言! さらに、大妖怪ヅラしてるだけの隙間妖怪よりも賢者にうってつけの妖怪は沢山いるよねと付け加えた。
藍と阿求はめちゃくちゃ焦ってたわね。まあ今回私が賢者を辞任するにあたって一番余波を受けるのはこの二人だろうし、当然の反応といえよう。正直申し訳ない……。
まあ流石に藍と阿求に丸投げは粛清&謀叛案件だと思ったから、辞任の為の準備──後継者の選定を一週間以内に行う旨は伝えておいた。最後に私の辞任への決意は固い事を付け加えて想起は終了。
私は自分の思いの丈をぶち撒けたことに満足し、意気揚々とスキマで会場を後にしたのだった。
*◇*
「……お燐。私に頭を冷やす為の氷水を」
「さ、さとり様しっかり!」
顳顬を抑えながらクソデカため息。額に水袋を当てながら、さとりが信じられないものを見るような凄まじい視線を向けてきた。
えっ、なになに? 私なんかやっちゃった?
我ながらあの時の演説は上手くいったと思ったんだけど。それこそ永久保存版として残しておきたいほどに!
「で、その後、藍さんにも事の経緯を説明したと」
「ええ。私の後任に藍が就いてくれるならそれに越した事はないわ。ただ、にべもなく断られちゃったわね。残念」
「私は彼女が貴女への愛想を尽かさない……もとい尽かせない様が哀れで哀れで仕方ないですよ」
酷い言われようではあるが、だがまあ確かに言われてみれば、藍に依存し過ぎてるような気がしないこともない。これも全部パーフェクト過ぎる藍がいけないのよ!
あの子が晴れて正式に筆頭賢者の座に就いてくれれば幻想郷は一気に平和になるのに、何故か裏方の仕事ばかりを好むのよねぇ。
拒否する藍を無理やり賢者にしても仕方ないし、他なる候補の元に向かわねばならない。そうして私は取り敢えず統治能力のありそうな連中に片っ端から私の引き継ぎをお願いする事にしたのだ。
なおその間、厄介なゴタゴタは藍が全て引き受けてくれる事になった。軟禁&監視も一旦中断としてくれた。最初は自分も付いて行くと言って聞かなかったんだけど「まずはさとりの元に行く」って言ったら、案外すんなり許可が出たのよね。ここ謎。
だけどまあ何にせよ、これで心置きなく、私は賢者として最後の仕事に臨める運びとなったのだ!
「そして、白羽の矢が立ったのが私と」
「ええ。貴女なら何一つの不足なく私の代わりを務めるどころか、幻想郷を滞りなく運営することも可能でしょう。それに貴女って確か妖怪の山出身でしょ? だからあの伏魔殿の制御もお手の物なんじゃないかと」
「……」
地底は幻想郷に非ずと唱える賢者は少なくない。修羅蔓延る幻想郷を遥かに超える治安の悪さや、支配体制の相違など、確かに幻想郷とは文化的に異なる側面を持っているのも事実。
しかし分類上、私は地底も幻想郷の一部と見ている。地底の住民は元幻想郷の妖怪が大多数だし、何より互いが影響を強く及ぼし合っているからだ。
さとりは相変わらずよく分からない白けた目で此方を見ている一方で、傍らの火車からの威圧が目に見えて増大したのを感じる。
いまさらだけど、火車──火焔猫燐ってやけに私のこと嫌ってるのよね。この理不尽さは紅魔館のメイドに近いわね。どっちもなんかサイコパスの毛がありそうだし。
「結論から言いましょうか。私は幻想郷の賢者なんてゴメンです。代わりを当たってください。ていうか、あの馬鹿らしい宣言をさっさと撤回してこれからも貴女が務めるのが一番でしょう。貴女の代わりなんて居ませんよ」
「あら、珍しいわね。貴女いつも私に向かって『賢者向いてないから辞めろ』なんて言うくせに。ふふ、それが本心かしら?」
「ぶち殺しますよ?」
怖い。
「貴女は幻想郷一の嫌われ者、そんな貴女がトップに居れば下の者達はいずれ愚君を引き摺り降ろそうと団結するでしょう。まあ要するに共通の敵が必要なんですよ」
「私が嫌われ者……?」
「自覚がないのなら紫さんのことを疎ましく思っている人妖を一人ずつリストアップしてあげますよ」
机から羊皮紙を取り出してスラスラと書き込み始めるさとり。あまりに悲しくなったのでスキマで紙を取り上げてそこら辺に投げ捨てた。
なお紙面には「古明地さとり」と記入されていた。うん、知ってた。
そっか、共通の敵かぁ。
非常に悔しいけれど、確かに一理あるかもしれないわね。私が嫌われ者かどうかは兎も角として、この幻想郷では度々アンポンタン修羅達が手を結ぶ例外的な期間があった。
例えば吸血鬼異変の時だったり、八意永琳と殺り合った時とかね!
「なるほど、共通の敵。少しばかり参考にさせていただきますわ」
「……本当に賢者を辞めるんですか?」
「ええ。そもそも私では役不足にも程がありましたし、真に幻想郷を憂う者が居ることも分かりました。これ以上、私があの座にしがみつく必要もないでしょう」
「貴女って本当、見る目ないですよね。……まあいいですよ。私には止める権利などありませんし、辞めたいのならどうぞお好きに」
最後はやけに投げやりだった。うーん、さとりを賢者に捩じ込む作戦は失敗か。毒を以て毒を制そうと思ったのよね、ほらさとりの言ってた共通の敵にも通じるものがあると思う。
「誰が毒ですか。私は良薬ですよ」
「苦ければ良薬って訳でもないでしょうに」
さてさて、それじゃあ次を当たりましょうか。
共通の敵なら相応しい奴が何人かいますし。
と、私は去り際に地霊殿に来てからずっと不可解に思っていたことをさとりに問う。
「そういえばドレミー……あとてゐを見ないわね。貴女には彼女らの監視をお願いしていた筈だけども、大丈夫なの?」
「ええ大丈夫ですよ。彼女らは私の統制下に置かれています。間違っても、再度牙を剥くことはないでしょう。他ならぬ私が保証します」
「流石ね」
こういう点でさとりは頼りになるわね。彼女相手じゃ謀叛を起こそうにも事前に潰されて終わりでしょうし。
まあ彼女が私を裏切ってたら分からないけど!
最後にさとりにこいしちゃんへのお土産を渡して、私は地霊殿を後にした。今回も会えなかったのは寂しいけど、賢者を辞めて隠居すればこいしちゃんやフランと毎日遊べるようになる。その輝かしい未来を想像するだけで、幸せな気持ちになれるわね……。
ますます賢者辞任への思いが強くなったわ。なんとしても引き継ぎを成功させて賢者を辞めてやるんだから!
「ふふふ……久し振りね八雲紫。
「久し振りというなら私達もよねぇ、紫。あいも変わらず癪に触る面してるわね。もしかして挑発してるの? 殺すわよ?」
「……」
拝啓、AIBO。
ここは地獄ですか?
動機は単純なものだった。さとりの次に私が賢者候補に選んだのは、かの暴君蝙蝠レミリア・スカーレットその人。幻想郷共通の敵といえばやっぱこいつでしょう。
何故かボロボロな門番に挨拶して、いつも通りメイドに心底嫌そうな顔をされながら応接間に案内されて──其処には幻想郷に名高き三悪が居たのだ。
まず目的のレミリア。頗る上機嫌な様子で上座に踏ん反り返っている。
次に何故お前がここにいる第一号の風見幽香。早速殺害予告が飛んできた。めっちゃ怖い。
最後にお前はここにいちゃいけない第一号の八意永琳。無言で私を凝視している。誰か助けて。
そうだ、確か藍からの報告書に幽香が監視対象の永琳とともに紅魔館入りしたって書かれてたわね。完全に忘れてたわ。
そもそも経緯が不明なのよ! こいつらって絶対水に油の関係でしょ!? なんで仲良くテーブル囲んでお茶会してるの!?
まあ取り敢えず座れやと、レミリアに目で促されたので唯一空いている席に座る。対面にレミリア、左方に幽香、右方に永琳……八雲紫絶対殺す包囲網か何かですか?
あと右からの視線がやばい。
「まったく、何処に行ってたのよ。せっかくの戦勝パーティもお前が居ないと締まらなかったわよ。折角招待状まで出したのに」
「ちょっと外の世界にね。……『戦勝』っていうと、例の異変の?」
「
永琳を指差してケラケラ笑うレミリア。やっぱこいつ性格悪いわ。「永琳を見せしめにして飲むワインは最高」的なことまで言ってて、その場面を想像しただけで胃腸が痛む……!
あと貴女って永琳にボコボコにされてなかったかしら? 気絶してたから詳しいことはよく知らないけど。
で、永琳はそんな悪魔の悪戯も意に介さず、私の方を凝視している。ほんと怖いからやめて欲しい。なんなの? 貴女もしかして私のことが好きなの? だからそんなに見てくるの?
とまあ、冗談はこのくらいにしておいて……いま私はとても危険な状況下にいるのだろう。さっきから肌が粟立つのってつまりそういうことよね。脳内が麻痺するほどの膨大な殺気を当てられておかしくなりそうよ。
「そのくらいにしなさい永琳。こいつに手を出せばお前はもちろん、冥界の兎に地底の兎、そして竹林の姫様もただじゃ済まないわ。現状がどれだけ恵まれたものであるか、天才様なら分からないはずもないでしょう?」
そろそろリバース間近というところで、幽香からの助け舟。永琳は尚も冷たい眼差しを向けるものの、肌を刺すような鋭利な殺気は消えた。
まさかあの花魔人に助けられる日がくるなんて……明日は雹でも降りそうね。
「レミリア、そろそろ聞いていいかしら。何故この二人が此処に居るの? 当人の前で言うのもなんですけど、貴女達って水と油みたいな関係だと思うんだけども」
「そうね──確かに、好き好んで月の走狗や土臭い妖怪と馴れ合う奴なんていないでしょうね。だがこいつらは
あっ、太陽の畑が吹っ飛んだって話はマジなのね。一応藍からの報告で概要は把握してたけど、何かの間違いなんじゃないかっていう思いと少なからずあったのよ。そしてたった今、その思いは当事者どもによって無残に砕かれた。
冷静になって考えると、これも私が賢者である故の弊害と言えよう。私が舐められてるせいでみんな好き勝手に暴れ回ってるんだもの。
幻想郷を抑え込めるほどの強い統治者こそ、本来賢者に相応しい人材なのだ。間違っても私が就いていいものじゃない!
「取り敢えず二人とも表向きは食客として受け入れてるけど、実際は幽香は庭師、永琳はフランの主治医として雇ってるわ。まあ腕は確かだからね、せいぜい役立ってもらうさ」
「なるほど。……いや、それでもよく受け入れたわね。幽香は兎も角、永琳は……」
「それはお前にも言えることでしょう? 紫」
予想外の切り返しに戸惑う。
「お前は私たちを見事に受け入れてみせたじゃないか。私たちを益になるから生かしたと言うのなら、それは永琳だって同じよ。こいつには利用価値がある。少々、うちのメイドとも因縁があるしね」
「ああ、貴女も苦労してるのね……」
「どういう意味よ?」
私と同じという事はつまり、自分には手に余る連中を無理やり受け入れざるを得ない状況に追い込まれたって事でしょう?
苦労人レミリア……珍しい絵である。
あと、軽く流してたけど永琳がフランの主治医ですって? 薬の調合が得意だって事はてゐから聞いてたけど、この人メンタルケアまでできちゃうの?
怪しいわね。もしかしたらレミリアは秘密裏にフランを始末する例のDV計画を諦めていないのかもしれない。
……レミリアを賢者にするのはやめておきましょうか。あんまり力を持たせると、いざという時にフランを救えなくなるし、永琳や幽香の干渉を受けるかもしれない。さとりのアドバイスを真に受け過ぎて若干迷走していた。強さだけが賢者たる資格とはならないのだ。
「で、こんなタイミングでお前が此処に来たという事は、私かこいつらに何か用件があるんじゃないの?」
「いいえ何も。ただの顔見せよ」
「ふーん……まあいいわ。せいぜい
「っっっっっ!? ……ぁっ、能力か」
私の思惑が完全に筒抜けだった件について。
一瞬目の前の吸血鬼がレミリアの皮を被ったさとりに見えたが、よくよく考えると運命を操るだの把握するだのよく分からない能力があれば、私の思惑を知る事も可能……なのかしら?
もし仮に私が自分の後任にレミリアを選んだ運命が存在するのだとしたら、まあ確かにレミリアには筒抜けでしょうね!
「どういう意図で私をお前のポストに収めようとしたのか、そしてこの土壇場で私はそれに相応しくないと考えたのか──詳しい事は敢えて聞かないわ。もし勧められても断ってたしね」
「あら意外ね。貴女ほどの妖怪がこの地で橋頭堡となる地盤を得ることができれば、いずれは幻想郷の支配も……」
「面倒臭いからね。陰でこそこそやってるみみっちい連中と話す事なんか何も無いわ。……それに、そんな事に構ってられないくらいには面白そうなイベントがあるの。ねぇ? 永琳」
「何度も言うけど、無謀よ。
私が此処に来てからずっと黙り込んでいた永琳が、初めて声を発した。相変わらず底冷えするような恐ろしい声音。言葉の裏からひしひしと感じる嫌悪感とか殺意が全て私に向けられていると考えるだけで震え上がる思いだ。
で、なに? 私がよく知ってる?
そんないきなり話を振られてもなんと答えればいいのやら。試しに三人を窺うも、永琳は無表情、他二人はニコニコ笑顔(なお威圧)
「実現可能かどうかは私達が決めるわ。──で、どうかしら? 紫。賢者を辞めた後は私と一緒に月を獲ってみない?」
「遠慮させていただきますわ」
即座にレミリアからの申し出を断り、スキマを開いて帰宅……というわけにもいかず、メイドが私の首にナイフを当てながら「座れや(意訳)」と脅迫してきたので、渋々着席した。
正直に言いましょう。
私はもう月に関わりたくないの! どいつもこいつも私のこと本気で殺そうとしてくるし、実際何度も死にかけたし!
「ねぇ紫。貴女、あそこに攻め込んだ事があるんだってね? その時は負け帰ったみたいだけど、今度は大丈夫よ。私がいる」
「申し訳ないけれど、私この後大人しく隠居する予定でして……」
「お前が隠居? まさかとは思うけど、そんな平穏な日々を過ごせるほど自分の運命が甘いものだと考えてるのかしら?」
不吉な事言わないでくださいな! 私はもう何もしたくないんですぅ! 大人しくマヨヒガとか博麗神社で日向ぼっこしながらお茶を啜ってたいんですぅ! 私主導での月との戦争なんて天地がひっくり返ろうと実現する事はないわ!
あとそこの花魔人は滑稽そうに笑わない! 表情を崩さない永琳を見習いなさい。……あっいや、やっぱなしで。
「兎に角、そういう話は私の後任賢者と話し合ってちょうだい。安心なさい、私よりもずっと優秀な者に後事を託すつもりですから」
「まあ一応見定めてやる心算ではあるけど……正直、あんまり期待はしてないわよ。私は貴女が
お褒め預かり光栄ですわね! 丁寧な皮肉ありがとうございました。
げんなりしながらその場を後にしようとすると、レミリアは手元にあった紙の束を投げ渡してくる。決闘者ばりの投擲スピードにびっくりしつつ、スキマでキャッチした。
「そうそう。5日後に月への旅行日程を大々的に宣伝するパーティを開こうと思うの。それが招待状ね」
「いや私は……」
「あと他にも霊夢の分に式神の分。あと最近お前が連れてきた変な連中の分も咲夜に作らせておいたわ。来てちょうだいね」
有無も言わさぬ高圧的な態度でそんな事を言うレミリア。私がいま引き継ぎに追われてること知ってるはずよね?
いや確かに早苗と神奈子(ついでに秋姉妹)を紅魔館に招待するのはいいと思うのよ。幻想郷の面々に彼女らの事を紹介してあげたいし。
だけど今はないわー! こんな戦争終結直後で幻想郷がぐらついてる時にレッツパーリーできるわけないでしょうが! 自粛しろ自粛!
まあレミリアが聞届けるはずもないけどね。パリピDQN蝙蝠には何を言っても無駄だろうし……はぁ、もうやだ。絶対隠居する。
「神奈子。貴女に賢者の座を譲ろうと思うのだけれど、どうかしら?」
「辞退させてもらう」
あまりにも予想通り過ぎるその返答に、私は少々げんなりしながら了承の意を告げる。あからさまに嫌な顔をするわけにもいかないので、怪訝な様子を隠そうともしない神奈子と、首を傾げている早苗に笑みを返す。
これで私の勧誘は6連敗。ついにアテがなくなる所まで行き着いてしまった。ここまでくれば流石の私でも否が応でも気付かされたわ。
どうやら私の後任って頗る面倒くさいみたい。つまり超絶不人気職ってわけ。幻想郷の傑物達にここまで忌避される職に数百年就任してた八雲紫とかいう妖怪をどうか褒めて欲しいわ。
まあ……正直神奈子にお願いするあたりからもう諦めの境地だったわね。そもそも神奈子は新参ゆえに幻想郷に対しての影響力が未だ少なく、全盛期の力も未だ戻っていない。そんな彼女にそっくりそのまま私の後を引き継がせるというのは酷な話か。
いやだったら影響力も実力もない私がなんで賢者やってるんだって話よね。よく分かってますとも。ええ。
「しかしなんだ、他に候補は居なかったのか? 幻想郷は人材の宝庫だろうに」
「実力は有っても思想、統治能力、バランス感覚、立場諸々欠如してる者が多くてね。これがなかなか……」
これらの要素の中で完全とはいかずとも、複数を満たす者は少数いることにはいる。例えば幽々子とか慧音とか。神奈子もそうね。
まあみんな断られたんですけど!
「参ったわね……こんな所で躓くなんて」
「えっと、お師匠様? 私にできることなら是非ともお任せしてもらえませんか?」
「気持ちだけいただいておくわね」
心配そうに覗き込む早苗に笑みを返す。気持ちは嬉しいんだけどね、貴女のような汚れを知らないか弱き乙女には縁の無い話よ。
ていうか早苗を危ない目になんて合わせられないわ。亡き
けど早苗と神奈子を守るにしても、やはり賢者の力……特に天魔と張り合うだけの勢力が必要にはなってくる。
やはりまだ辞めるべきではないのかしら……?
「紫にも何か考えがあるんだろうが、私としては、お前が続投するのがベストだと思う。この幻想郷を治めるのにお前ほどの適任者はそうそういないだろうね。早苗はどう思う?」
「えっとですねぇ……どんなお仕事をされてるのかはまだイマイチ分からないんですけど、お師匠様のやる事なら間違いはないでしょうし、何より安心だと思います! なんたって、お師匠様はできる人ですから!」
「……」
えっ、なにやだ恥ずかしいわね。なんか久々にストレートに褒められた気がする。……ちょっぴり嬉しい。
そっか。思い返せばさとりもレミリアも幽々子も……みんな、私が適任だって認めてくれていたのね。賢者としての私を信頼してくれていたのか。
ふふ……なるほどね。
そりゃあアイツらからしたら私なんて一級品のスケープゴートでしょうよちくしょう!!! 嬉しさ余って怒り百倍!!!
私は騙されないわよ!
「何はともあれ、貴女の意思はよく分かりました。残念ですが、他を当たることにしましょう」
「すまないな。今回は力になれないが……いずれ何か別の形で埋め合わせをしよう。私達はあまりにもお前から貰い過ぎているからな」
「まずは信仰を優先してくださいな。全盛期の頃と変わらない貴女が味方となってくれるなら、大変心強い」
互いに強く頷きあう。神奈子って尊大な割には、しっかりと自分の立ち位置を理解して身を弁えてるのよね……。かなり強かである。
今のところ天狗たちも神奈子と早苗にはあまり強く出られないみたいだし、なんとか今の状態を保っていきたいわね。
あっいや、そこらへんは後任の役目! 私が考えることじゃないわ! 具体的な対策は後任に丸投げよ!
まあいざ二柱が危なくなったら多少強引にでも博麗神社に移住させればいいしね。霊夢の説得? 後任にお任せするわ。
早苗の見送りを背に、もはや歩き慣れた石段を降りつつ、思考に耽る。
何か物事をじっくり考える時、別な物事を並行して行なっていると脳の効率が良くなるらしいからね、わざわざ歩きながら考えているのだ。ゆかりんの豆知識、覚えておいて損はないわよ。
しかしそれにしてもホント上手くいかないわね。私の計画ではさとりに丸投げしてそれで終わりだったんだけどなぁ。まさかここまで不人気職だとは思わなかった。それだけ私が超絶ブラックな仕事をこなしていたっていう何よりの証左よね!
妖怪の山のむせ返るような自然の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、陰鬱な思いを洗い流そうとするも、頑固な汚れの如きそれは、全くなくならない。それどころか増大する一方だ。
ええい落ち着け八雲紫! まだ時間は一週間あるわ、それまでに決めれば大丈夫よ! 頑張れ頑張れ八雲紫! これが最後の仕事よ!
よし。ここらで一つ、方向を転換しましょう。
私は自分の後任に完璧を押し付けすぎたわ。次からはそうではなく、内面重視で選定を行うこととする。
そう、何より大切なのは人柄と理想だ。みんな仲良し幻想郷という最高で最難な私の夢に共感し、さらには実現してくれる人を次の賢者にしたい。
共通の敵とかそんなものに拘ってる場合ではなかったのだ。やっぱり人って中身が一番大切なのよ! 私みたいな!
しかしここは幻想郷。暴力と破壊に塗れたこの土地では崇高な人格者から消されていくのが常というもの。平和志向の妖怪や神なんて滅多に居ないわ。そう、私みたいな!
なので探すとしたら、外の世界とかあの世とか、幻想郷とは境界を別にする場所に目星をつけるのも良いかもしれないわね。地底は勿論NGで。
となると……
思い立ったらすぐ行動! スキマを開いて博麗神社に降り立つ。
境内を掃除していた霊夢は若干こっちを見遣るだけでほぼ無視。昨日の事をまだ根に持っているようだった。いい加減機嫌を直して欲しい。
だけどまあ、今日はいいわ。用があるのは霊夢でも、あうんでもない。
「はぁい萃香。御機嫌よう」
「おっ紫じゃん。どうしたのさお天道様もまだ高いこんな時間に。飲みに誘うにゃちょっと早いんじゃないかい?」
私は別に構わないけどね、と伊吹瓢を煽りながらカラカラ笑う萃香。いつも通り過ぎて逆に安心するわね。
萃香も萃香で賢者候補ではあるけど、多分幻想郷の安定よりも混乱の方が先行すると思うのでまだ誘っていないわ。
「今日は貴女に折り入って頼みがあってね。聞き届けてもらえるかしら?」
「いいよ別に。暇だし」
内容を聞くまでもなく快諾してくれた。どうやら私達の仲に頼みごとを断るという概念はないらしい。非常に頼もしいけど、ちょっぴり怖くなる私であった。もし私の後任になって欲しいと頼めば、彼女は快く引き受けてくれるのだろうか、と。
そんな事を薄っすら考える。
「で、その頼みっていうのは?」
「貴女、確か天界の一画を不法占拠してたわよね。それに関連した事なんだけど」
「ほうほう」
占拠という物言いにいくらか反論でもしてくるんじゃないかと思ったけど、萃香は頷くばかり。多少なりの自覚はあるのだろう。
余計にタチが悪いわね!
そう、今回の目的地は天界! 幻想郷とは最低限の繋がりしかない土地ではあるが、仙人からさらに昇華した天人様なら崇高な思想の持ち主の方がたくさんいるだろうと見込んだわけ! 実力者も多そうだしね! つまりエリート天人引き抜き作戦!
「つまり、私と一緒に天界へ行きたいと」
「その通りですわ。天人達を見定めるという目的での臨戸ではあるけれど、そのついでに桃の花でも眺めながら……どうかしら?」
スキマから外の世界で買った目新しい酒瓶をチラつかせつつ、萃香を流し見る。鬼は何も言わず、にっこり笑顔で頷くのだった。
さとり→レミリア→幽々子→慧音→映姫→神奈子の順で勧誘を行なっているゆかりん。
第一候補に挙がる程度にはさとりを信用してるんですね。驚いた()
今回は何やら動きがありましたが、もしこのまま進展がなければ恐らく小傘とか萃香あたりを無理やり賢者にしたんだろうなって。
ハーミット(隠者)
正位置:
経験則、高尚な助言、秘匿、精神、慎重、思慮深い、思いやり、単独行動
逆位置:
閉鎖性、陰湿、消極的、無計画、誤解、悲観的、邪推