幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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2話目。明日も投稿予定です


比那名居天子は顧みない*

 眼前に広がる故郷を前に難しい顔で項垂れる。千里眼で事の詳細は確認できていたが、何分経っても胸の内から虚しさが消える事はない。

 

「……」

「……」

 

 居心地の悪い沈黙。顔を合わせれば活発的に互いを罵倒し合ってきた二人だが、ことこの状況では掛ける言葉が見つからなかった。

 誰のせいにすれば良いのか、そもそも喜ぶべきなのか悲しむべきなのか……それすらも二人には見当がつかなかったのだ。思考の収拾がつかない。

 

 だがこういう時、一番に話を切り出すのはいつだって文だ。彼女がいつだって全ての始まりだった。

 

「これで道が開けたわね」

 

 椛は思わず睨み付けた。言わんとしたい事は分かる、だがそれが(まか)り通ってしまえば正道は失われてしまうだろう。

 

「……流石に問題発言ですよ、それは」

「誰が問題にするのよ。上の連中は恐らく全員木っ端微塵、天魔様は既に亡く、はたては行方不明。現状、天狗の全てを決定する権限は貴女にあるわ」

「繰上げにも程があるでしょう! それよりも大天狗様の誰かが無事でないかの安否確認が最優先事項……!」

「それを決めるのも"貴女"よ。幸い、生き残っている天狗の大多数は外に駆り出されていた白狼天狗と鴉天狗。その両種族からの信任厚い犬走椛"様"なら、反発少なく次期天魔になれるかもね。仮に大天狗様の誰かが生き残ってても、貴女の決定如何では死んだことにしてもいい」

「笑えない冗談はやめて下さい」

「残念、大マジよ」

 

 二人の眼下に広がっていたのは、故郷の残骸。

 妖怪の山はクレーター状に陥没し、外面こそなんとか山の形を保っているものの、いつ崩壊するか分からない状態である。まるで天罰と言わんばかりに天から降り注いだ岩石らしき物は守矢神社、及び天狗居住地に直撃。甚大な被害を齎した。

 また妖怪の山が活火山であった事や、内部の地下機構や鉱洞も災いした。地盤が完全に崩れてしまっている。なおこれを見越していたのかは不明だが、生存圏強靭化を国是として進めていた河童や、守護に秀でた山姥の居住区域だけはそのままの形を保っている。

 

「何にせよこれで天狗のハリボテ天下は終わりよ。でも天狗を滅ぼすわけにはいかないし、火消し役を誰かが務める必要がある。はたてを引っ張り出してその席に着かせてみる?」

「話になりません」

「当然。だから貴女しか居ない」

 

 はたてを天魔の影武者として数世紀に渡り放置してきたのは明らかな失策だった。それは文も椛も痛感するところである。天狗の進む道としてはベストだったかもしれないが、はたての優しさを犠牲に捧げてきた結果だ。今回ようやく彼女自ら意思を示し山から逃げ出したのだから、その思いは尊重して然るべしというのが二人の共通解。

 

 もう彼女を天魔の代わりとして扱う事はできない。だからといって次なる候補が椛というのもまたおかしな話だろう。そもそも現場の妖怪である自分に紫や隠岐奈といった海千山千の古強者達を相手にする器量などない。

 能力を加味するなら文が適任だろうが、彼女にその気はさらさらなく。そもそも半はぐれ者として悪評の多い文をトップに据えるのは難しい。それでもこの非常時ならば受け入れられる可能性自体はあるかも知れないが、やはり本人の意欲、若しくは負い目が問題だった。

 

「今日ばかりは貴女の事を恨めしく思います」

「自分に無い物を私が持ってるから?」

「黙れ。……その生き方についてですよ。確かに貴女のような天狗が必要だったのは認めます。貴女がいなければ今頃天狗はもっと酷い事になってたかもしれません。それでも……文さんには逃げて欲しくなかった」

「──椛のようにはできないわ」

 

 戦闘による地響きで幻想郷が揺れる。いつの間にか快晴だった空は紅霧に覆われており、何時ぞやの異変が再来したかのように禍々しい気配が文と椛の下にまで蔓延している。

 恐らく、妖怪の山をめちゃくちゃにした者に関連したものなのだろう。

 当然、天狗として大義名分を引っ提げその者の討伐に赴かなくてはならない。しかし二人は動けない。話が終わらねば何も始まらないから。

 

「若気の至りであったのは否定できないわね。怒りに身を任せて後先考えずに組織を飛び出してしまったのは失敗だった。でもね、私は天狗である事を誇りに思ってるけど、同時に自分達の行為が無価値に見えて仕方なかったの。良くも悪くも、天狗が鬼に憧れ過ぎた故の悲劇よ。力ある者にしか死に方を選べない世界だけども、生き方を力に支配されるほど窮屈な話は無い」

「でもっ……退き際を誤ったのだとしても、文さんみたいに全てを捨てるなんて誰にでもできる事じゃない。一度得た物を手放すのは、とても耐え難く……不安だから」

「だから失敗だったの。貴女やはたてが私みたいにできる筈ないものね……」

 

 一々癪に触る言い方である。

 

「まあ、天魔候補が居ないんじゃ仕方ないし、一時でも八雲紫か河童の傘下になるのも一つの手だと思うわよ? 少なくとも生き長らえる事ができる。むしろ、もし私が天魔になるならそうするわね」

「……生き残った者達に大天狗様を捜索させます。生存の確認された中で最も高位の方に指揮を委ねます。私と貴女は山を破壊した狼藉者の討伐です。生存者が居なかった場合は別の手を考えます。いいですね?」

「椛様の御命令とあらば」

「やめろ」

 

 文は茶化して短く答えるだけ。いつもそうだ、この鴉天狗は肝心な事を話しているようで人を煙に巻いて楽しんでいる。先ほど吐露した想いがどこまで本当なのかも怪しいくらいだ。

 その一方で、文からの悪態に毒を吐く自分こそが天狗にとって一番の癌なのではないかと思ってしまう。組織の方針への疑問を誤魔化し、種族としての躍進に酔いしれ未来の問題に目を向けなかった半端者の癖して、哨戒部署長官などという地位に甘んじて黙々と従い続けた。

 その果てがこれか? 

 

 そんな苦難を知ってか知らずか、文は空を見上げたままぼそりと声を溢す。

 

「夢なんて見るもんじゃないわね。理想に浸って生きてるだけじゃ途方も無い悪意に呑まれるだけだもの。天狗の夢はこれで終わり」

「ジャーナリストともあろう者がそんな事言っちゃっていいですか?」

「なんでアンタの前でまで新聞記者でいなきゃいけないのよ。まあいいわ、頼りにならない大天狗様達は哨戒犬に任せて、さっさとテロリストを倒しに行きましょう。他の方々に横取りされる前にね」

「はぁ……っていうか頼りにならないは言い過ぎですよ。大天狗様の中にも優秀な方は多く居ましたし、ほら、例の英雄様も輩出してますし」

 

「ああ、そんな奴も居たっけ」と、かつての姿を思い起こす。天魔の右腕であり、妖怪の山の覇権を打ち立てた一連の流れにて、大いなる功績を残したパワハラ好きの元上司。武力は言うまでもなく、政治センスと商才に抜きん出た王佐の妖怪であった。

 今もまだ存命だったのなら天狗の未来はさぞ輝かしいものだっただろう。だが彼女は死んだ。功績と共に歴史の渦に呑まれてしまった。

 

 天狗の歴史にはそんな人物が何人か存在する。みな志半ばで何らかの凶刃に倒れ、夭折してしまう。かつて天魔の抱いた苦悩たるや計り知れない。

 だが文にはそんな事関係ない。

 

「死人に口無し、英雄に人権無し。むしろあの英雄のせいで大天狗が上にのさばる結果になったんだから、戦犯よどちらかと言うと。部下にすぐ手を上げるクソ野郎だったし、部下もろくでなしだし」

「様、抜けてますよ」

 

 今は亡きかつての上司へと散々な悪態を吐き、会話は締められた。否、締めなければならなくなった。椛の千里眼が接近する暴力を捉えたから。

 空を震わせる轟音とともに山の岩肌が破裂した。飛び交う弾幕と、振われる拳により崩れた山へ更にクレーターが追加されている。周辺被害が完全に度外視された考え無しの大戦闘。

 

 苦虫を噛み潰したように唸りを上げ、疾駆せんと地を踏みしめる椛だが、それを悠々と抜き去ったのは文。あまりの速度故に多重に発生した朧げな残像が生み出す一筋の黒き糸。天狗の絶技から全方位へと繰り出されたソニックブームはその場に居た者全てに後退と転倒を余儀なくさせた。

 萃香はたたらを踏み、レミリアは大きく弾き飛ばされ、天子は岩肌へと叩き付けられた。少し遅れて椛も参上し、うつ伏せに埋まる天子を組み伏せる。

 

 

「山を壊すにしてももう少し躊躇していただけませんかね、萃香さん。レミリアさんは前科持ちだから兎も角として」

「なんで前科持ちの方が咎められないのさ。天狗の司法は相変わらず腐ってるな!」

「上流階級は罪に問われないのよ。覚えておきなさい」

 

 したり顔でいつものポーズを決めながらそんな事を宣う蝙蝠お嬢様。なお腫れ物扱いされている事には気付いていない様子。椛からの恨み混じりの敵意も意に介さず、手に携えた槍を天子へと向けた。

 

「さぁて引導を渡してやろうか。こんだけ幻想郷で滅茶苦茶やったんだ、紫の奴もさぞ御立腹だろうしね。恩を売っておくのも悪くない」

「いや待て待て。一応めぼしい天人は紫の前に引っ立てる事になってんだ。それまでは手出し無用だよ。どーどー。ほら、お前さんには話してるって聞いたよ? 例の件さ」

「例の……ああ、アレか。うーん」

「おっと何やら興味深げな話をされてるじゃないですか。私も混ぜてくださいよー」

 

「どうでもいいけど! は、早くこいつの処遇を決め……ッきゃん!?」

 

 女々しい声を上げて宙を舞う椛。全力で下手人の右腕関節部分を取り、顔面を地に這い蹲らせる事により完成していた固め技がいとも容易く解かれた。

 それはなんとも強引な突破方法。フリーになっていた左腕で地面を殴り抜け、貫通させる事で一回転したのだ。さらにそのままの勢いで椛の腹を殴打し、今に至る。

 

 相当なダメージを負っているはずなのだ。天界から始まり幻想郷の猛者達による猛攻を受け続けて無事である訳がない。それでも天子は太々しく笑ってみせる。

 永久機関を思わせる程の無尽蔵のスタミナ。そもそも大した小細工もなく鬼や吸血鬼と殴り合っている事自体が甚だ可笑しい。しかもこんな状況下でも己の勝利を信じて疑わず、活力はちっとも失われていない。頭のネジが外れているのか? 

 紛れもない狂人。特別な事情が無ければ関わり合いを持ちたくない類の存在。

 

「少し見ない間にまた増えた! いいぞその調子でどんどん掛かってくるといい! 私はどんな奴の挑戦も受け付ける! そして勝つ!!!」

 

 天子自身、テンションが上がり過ぎてまともな思考ができていない現状は心得ている。強烈な酔いに振り回される感覚に近い。

 だがそれを利用するのだ。酔いに身体を委ね、数百年の溜まりに溜まった激情を幻想郷へと吐き出すことこそ最高の快楽。

 

 と、天子の視線が文で止まる。頭襟(ときん)を見て、顔を見て、服で目が止まる。

 瞳がより一層ギラギラと光る。

 

「お前はほたてを苦しめてた奴らの一派ね? 私が今しがたぶっ壊した山を牛耳ってる時代遅れの冷血漢連中」

「あやや……酷い言われようですねぇ。はたては貴女にそんなことを?」

 

 名前を間違えている事は完全スルー。笑顔で言葉を紡ぎ天子から内容を引き出さんとする。あくまでジャーナリストの顔として。

 

「アイツが居たくない場所なんて残しておく価値もないわ。だから一番に破壊してやった。ほたては怒るでしょうけど、私達の野望の為には致し方ない」

「野望……? まさか今までの行動は何か目的あってのことなんですか?」

 

 これは文のみならず、レミリアや椛にとっても意外だった。破滅願望を持った哀れなとち狂い天人による盛大な自爆テロ、もしくはそれに近いものを想定していた。というより、天子の大胆不敵な行動に合理性を無理やりにでも見出すのであれば、それが一番適していたからだ。

 

「まあ、はしゃぎ過ぎたのは否めないがね。事実、できる事ならこの美しき郷はそのままの形で残しておきたかった。だが此処に住まう者達の実情を知って──私は興奮した! 抑圧できなかった!」

「為政者にはとことん向いてないって話さ。分かったろう? お前如きが治められる程、幻想郷は安い場所じゃないのさ」

「何故? こんなにも美しいのだから私が治めて然るべきだ。思想と能力に最も優れた者が統治して初めて善政とは成り立つのだからね」

 

「それで? 地上の全てを均し、その全てを我が物とする事が貴女にとっての善政なのですか? それは甚だお笑いですね。大爆笑です」

 

 ごく自然に会話に入ってきたさとり妖怪を場の全員が一瞥する。当のさとりは、さも面白いものを見たように笑い掛けるも、三つの目はまったく笑っていない。

 天子とレミリアへ敵意を振り撒いていた椛は、さとりの出現に際し、バツの悪そうな表情をしながら何歩か後ずさる。

 

「また出たわね! 気持ち悪い奴!」

「ちゃんと口に出してくれて光栄です。まあまあ好きですよ、貴女みたいに正直な人」

「うげ」

 

 続いて見遣るは虚。その先にある隔てられた世界に住まう賢者の式。

 大方萃香やレミリアをぶつけて一旦様子見に興じ、己の中での懸念が払拭された途端畳み掛ける腹づもりなのだろう。藍が早くに動いてくれれば少なくとも地霊殿が倒壊する事は無かっただろうに、と。若干恨めしく思いつつも、彼女にまで聞こえるように声を張り上げる。

 

「幻想郷のトップたる支配者層を武力で排除し、知己の仲である姫海棠はたてを傀儡に仕立て上げこの地を己の庭とする。そして次に幻想郷の妖怪を率させ天界に仇をなし、過去の鬱憤を晴らした挙句両方を手中に治める……杜撰もいいところな計画ですが、いざ実行されると厄介極まりない。そうでしょう?」

 

 ここまで心の内が筒抜けであれば嫌でも気付いてしまうさとりの能力。一番に叩くべきはアイツだったか、と。天子は僅かに眉を顰める。

 

 有無も言わせぬ気迫に大気が震える。もはや言葉は不要。霊夢の到着や紫の判断を悠長に待つ必要は皆無となり、天子の生死は現場判断に委ねられた。

 思考の余地など存在しない。

 

「次から次によくもまあ……こんな連中が上にゴロゴロいるんじゃ生きにくいのも当然よね。ほたての気持ちもよく分かる。あと一つ言っておくけど、私の目的は破壊や殺戮ではない。救済と保全、そして革命! 私はお前達の圧政に苦しむ下奴を解放する為に剣を掲げたのだ! 大義は我に有り!」

「な!? 貴様ッ山をこんな有様にしておいて戯言を!」

「一段落ついたら山ごと元のように直してあげるわ。なんならもっと美しい場所に変えてあげてもいいよ」

 

 拳を天へと突き上げ声高らかに宣言。剣は何処に。

 これが比那名居天子の危うさだ。世間知らずの箱入り娘である故に世界の実情やシステムに疎く、なおかつ、その歪みを正してやろうとする自らの欲望と溶け合う歪んだ正義感らしきモノと実力を兼ね備えている。

 

 論外。

 話にならない。

 

 練り上げられた莫大な妖力の矛先が天子に集中する。止めても無駄である事を察した萃香は肩を竦め、自らも高密度の妖力弾を展開した。もはや言葉は尽くした、目の前の不届き天人を消し去る理由は十分すぎる。

 問題は誰があの天人を誅すかのみ。

 

 文や椛には正当な報復の理由があるものの、恥辱を受けたレミリアがそう簡単に引き下がる筈もない。一歩引いた面々ですら絶対に逃すまいと目を光らせている。萃香とさとりに睨まれている時点で逃走は不可能だろう。

 

 酔いが有頂天に達した天子も、場の状況が頗る厳しい事を肌で感じていた。これこそ人生で一度も味わうことのなかったスパイス。まさに苦境である。

 非常に面白い。面白い、が……さてどう切り抜けようかと。思案を巡らせた。

 

 

「天子ぃぃぃぃいいっ!!!」

 

 誰の決断よりも、天子の思考よりも。ほんの、ほんの僅かだけその場にいなかった部外者による乱入が早かった。結果、趨勢は天子に傾いた。

 当人を含め、この場にいた者全員が見誤っていたのだ。天子に対して最も警戒すべきは強靭な肉体でも、その無茶苦茶な思考でもない。天運を自らに引き寄せる特異体質こそ、彼女の本領と言える。

 

 天高くから飛来する鴉天狗。妖怪の山棟梁、天魔。滾っていた面々は目障りな乱入者としか思わなかったが、文と椛は唖然として固まる他なかった。

 天魔、もとい姫海棠はたての登場はアクシデント以外の何者でも無い。はたての素性を瞬時に把握したさとりは彼女が齎す影響に警戒を強める。

 

 現れるなり大声で叫んだはたてが次に行ったアクションは投擲。手に持っていた何かの柄を天子に向けて投げ渡す。

 

「ほら受け取って! 言ってたお望みの品よっ!」

「よし! 待ってたわよほたて──これでお前の志を果たすことができるわ!」

 

 ようやく目的の品を手に収めることに成功した天子は自らの勝利を予見し、荒々しい笑みを浮かべた。天子の力に呼応して柄から緋色の刀身が現れ、実体を持たず宙に揺れる。煌々と下界を照らす剣からは危険な雰囲気が漂う。

 

 いち早く危険を察知したのはさとりとレミリア。各々の能力で事態の急転を悟り、天子の横薙ぎよりも早く後ろに飛び退く。

 逆に不退転と言わんばかりに構えたのは萃香と椛。独自の防衛方法を持つ二人に退避の文字はなく、それぞれ()()による受けを展開。とはいえ、天子の恐ろしさを身をもって把握している萃香は勿論、野生の勘に秀でた椛の脳内は警鐘に満ちていた。

 

「──あいたっ!?」

 

 まず一番に接敵した萃香は剣圧により『疎』を維持できず、実体化したところを袈裟懸けに斬り飛ばされ、勢いそのままに振われた剣を椛が盾で弾き飛ばさんとする。しかし覚悟は空回り、盾は緋想の剣に触れた途端に粉々砕け散る。衝撃を感じる間さえなかった。

 

 上下に切り分けられた萃香は塵となって空気に溶けてしまい、残された椛は数歩後退りながら太刀を前傾に構える。

 

「クソ……ば、馬鹿な……! まともにぶつかってすら無いのにッ!?」

「見聞に違わぬ力。やはりこの剣は私にこそ相応しい! 天界の馬鹿共はまたもや判断を誤ったというわけだ!」

 

「ふむ、あれが緋想の剣……」

「知っているのか? 古明地」

 

 知っているも何も取れたて新鮮な情報である。結果が判るだけで経緯の理由が解らないレミリアの疑問に、自らの第三の目を指し示す。

 レミリアに向けて簡単に説明するならば、あの剣はフランドールの能力をより概念的な形で纏う性質を持つ物だ。敵にとって最も弱みになるであろう属性、形状、材質へと都度微細に変化させ、元来天子が誇る破壊力で薙ぎ払う。それだけでありとあらゆる存在に対しての一撃必殺となり得る。

 

 萃香の能力は疎を密、密を疎で殴ればそれだけで瓦解してしまう脆さを秘めており、その点は森近霖之助が持ち出した天叢雲剣で実証済みである。つまり緋想の剣は萃香限定でその在り方をかの神剣に変質させたのだ。

 

「つまり私があの剣を受ければ、差し詰め太陽光に焼かれるような痛みを味わう事になるってわけね。ふーん……アレで永琳を斬ったらどうなるのかちょっと気になるわ」

「事が終わった後にいくらでも試してください。──さて、これ以上あの人に好き勝手されるのは少々癪ですね」

 

 ちらりと、さとりは後方へ目を遣る。幻想郷において、緋想の剣を携えた天子の攻略を最も容易く成せるであろう人物は、既にこの場に居るのだ。

 

 盾を失った事で刀一本による戦闘を余儀なくされた椛は現在進行形で果敢に攻めかかってはいるものの、それでも天子の剣圧に対抗しきれず徐々に防戦へと追いやられていた。元々の馬力もそうだが、技術に勝る椛が簡単に押されてしまう要因としては、やはり緋想の剣がウェイトを占めている。

 太刀筋が視えないのだ。しかも筋繊維の動きから天子の狙いを把握しても刀身が不定形に揺らぐものだから持ち前の『千里眼』を活かすことができない。

 

 天子をまともに相手取る上で肝要となるのは、如何に正攻法で戦わないかに尽きる。そういう意味ではさとりが適任ではあるのだが、先にレミリアと取り交わした約定の通り、なるべく消耗戦は避けたい。

 同じくレミリアも動くに動けず、不完全燃焼を起こしている。

 

「まったく、咲夜は何処へ行ったのかしら? アレが居れば簡単に剣を取り上げられただろうに。先に帰ったのかしら?」

「あの人も色々と思うところがあるんですよ」

 

 それに時間停止などという大層な手段を取る必要も無い。どうであれ天子から緋想の剣を取り上げてしまえば良いのだ。そうすれば残るは珍妙な岩石を飛ばしてくるだけの頑強な天人だけである。

 

 射命丸文だ。彼女なら持ち前の比類無きスピードであっという間に接近し、天子の思考が追いつく間もなく剣を奪い取る事ができる。萃香の能力が通じない以上、この場において最も適任なのは彼女に違いない。

 無論、文とてその考えはあった。既に実行にも移そうとしていた。聡い鴉天狗が自らに求められるであろう役割に気付かないわけがない。

 移せないのだ。文にとっての最大の障壁が立ち塞がっているから。

 

「……昔っからアンタの思考回路だけはイマイチ読めなかったのよね。今もそう、なんでその考えに至ったのか小一時間くらい問い詰めたい気分よ」

「そう、一緒ね。私もずっと、昔から文の考えが知りたくて仕方なかったわ! 言葉が足りないのよ! いっつもそう!」

「それはアンタの方でしょうが。やっと引き篭もりを止めて独り立ちしたと思ったら可笑しな事始めちゃってさ。いつも私に手を焼かせる」

「はー? 手を焼いてたのはこっちの方なんですけどぉ!? 毎度毎度好き勝手やりやがってさぁ!」

 

 いや、どっち共だよと。そんな事を心の中で激しく叫ぶ満身創痍の椛。天子に斬り払われて声を出す余裕すらなかった。もし仮に自分がフリーだったなら大急ぎで両方をど突いてやるところだ。

 一見何の変哲もない口喧嘩に見えるが、その実、両者の間では高度な心理戦が行われていた。互いに隙なく構えており、空間の隙間を測っている。

 

 はたての飛行速度は文に遠く及ばなくとも、妖怪の山で堂々2位を名乗れる程である。飛行を妨害するくらいであれば文相手でも容易い。

 そもそも何故はたてがテロリストに与しているのか、その謎がらしくもなく文を慎重にさせていたのだ。

 それに対し、はたては大袈裟に声を張り上げて自白する。

 

「教えてあげる! 妖怪の山をぶっ潰したのは私の指示によるもの、幻想郷への宣戦布告代わりの一撃だったのよ!」

「それはまた急な事で……。どしたのよ?」

「どうしたも何も私は天狗が嫌いだから。今までの鬱憤を晴らしてやったまで!」

「ふーん。けど妖怪の山に丸ごと被害出てるけど、それはいいの? アンタ好きだったじゃない。この山に暮らすみんなの営みが」

「うっ」

 

 嘘が下手だ。間違いなく、事態ははたての予想と大きく異なっている。差し詰め天子に脅されて協力者にされているのか、それとも後乗りでもそういう形に自分の立場を持っていきたかったのか。

 何にせよ平和(日和見)主義の姫海棠はたてにこんな大それた事が出来るはずがない。事件の中心はやはり比那名居天子と見ていいだろう。

 

「それで首謀者のはたてさんはどうしてノコノコと私達の目の前に? 私と椛が此処に居る意味が分からないわけでもないでしょうに」

「そ、そうね。勿論分かってるわ。全て覚悟の上で私は行動を起こしたの」

「……私に友を殺せと?」

「友じゃないわ、怨敵って言いなさい。椛だって文だって関係ない。立ち塞がる奴らみんな殺すつもりで行く。邪魔な連中はアンタらを除いて全員消えた! 山の支配者はこの姫海棠はたてよ!」

「長く天魔様のフリをし続けただけあって中々真に迫るモノがあるわね。板に付いてるじゃない。褒めたげる」

「演技じゃないっての!」

 

 嘘、嘘、嘘。

 念のため、さとりを見遣る。頷くだけ。

 

 はたての目的は『嘘そのもの(ゼロレクイエム)』にあった。天魔の身分を騙り妖怪の山に圧政を敷き続け、外部勢力との結託により家臣団を大粛清し、挙句に幻想郷の制圧を宣言したはたて(天魔)は、まさに幻想郷にとっての大敵。

 その大敵を文か椛が打ち倒す事で一件の落着を図り、なおかつその名誉を以て天狗の指導者へと押し上げる。そうすれば長年はぐれ者として汚名を欲しいがままにしていた文や、種族として身分の低い椛でも、最低限の蟠りで天魔に就けよう。

 

 嘘ばかりではあるが、はたての決意だけは本気だった。天子と心中し、友と山を守る選択を取ったのだ。それくらいしか過去を贖う手段が思い付かなかった。何も役に立てなかった自分の最後の使命だと心に言い聞かせて。

 大丈夫だ。八雲紫と理想が合致している限り、彼女らの率いる天狗が無碍に扱われる事は決してない。はたてはそう確信した。だから死のうと思った。

 

 

「文。終わりにしよう、全て!」

 

 

「──気に入らない」

 

 吐き捨てる。

 

「あまりの浅知恵に反吐が出るわ」

 

 見たことの無い姿。

 

「お前の死なんて何の意味も持たない」

 

 ()たことの無い姿。

 

「天地がひっくり返ろうとそんな事は許さない。自己満足の極みなんて断固拒否よ」

 

 故に文は怒りを以って拒絶した。はたての決意の一切合切を否定し、全てを掃き溜めへと叩き込む。

 そんな事を許したら、自分の今までの行動が無意味なものになってしまうではないか。何の為に、誰の為に山を見捨てたと思っているのだ。本心をひた隠しにして空虚な夢に浸り続けた800年をふいにしろというのか? 

 

「……」

「無理にヒールを演じなくても、私達と一緒にあの天人を倒せばいいじゃない。天魔様はあの隕石で死んだってことにして、また平の鴉天狗からやり直せば」

「けど形はどうであれ協力しちゃってる風なのは事実だし、それにあの人って私の為に戦ってくれてるみたいだし……なんか見捨てるのも……」

「そうやって流されてるのがダメなのよ。力があるのに判断を他人に委ねるからどんどん袋小路に追い込まれて、今に至るんでしょ?」

「な、流されてないし! あくまで私は私のケジメを付けるだけ。天子と共に罪を背負うって決めたの。負けて断罪されるのも覚悟の上!」

 

「ちょっとちょっと! なんで私が負けるみたいな前提で話を進めてるのよ? 私はどんな奴が相手でも勝つぞ!」

 

 流石に聞き捨てならぬ言葉であったのだろう。飛び散る衝撃波を顔面に受けながら天子のツッコミが炸裂。

 椛は砕けた刀剣と共に地に伏しており、無言のバトンタッチがあったのか仕方無しにレミリアが応戦している。神剣と神槍が振り翳される度に緋色の衝撃波があたりを悉く淘汰する。互いの戦力は最早幻想郷に決定的な破滅を齎すに足る程度に達しており、レミリアが巧く受け流さなければ少なくとも人間の里を含む範囲での破滅が約束されていた。

 

「まだ私の力が信用ならないのか。お前の上司に同僚、幻想郷の猛者共を叩きのめして、なお私を軽んじるのか! そりゃ無いわよほたてっ!」

「だから誰よほたてって! そもそもアンタみたいな凄い奴を軽んじるはずないじゃん訳わかんないんだけど!?」

「凄い奴……まあ、それでいいわ。取り敢えずほたては勝利を信じて見守ってなさい! コイツらを全員片付けたら今度こそ幻想郷のトップを陥しに行くわよ!」

 

 承認欲求が程よく満たされたのか、天子は満足げに頷いた。

 天性の傲慢さ、そして環境からの疎外感が齎した心の飢え。この二つが天子という倫理ぶっ飛びモンスターを生み出した。言い換えても自己中心的な構ってちゃんである。それが比那名居天子という少女の行動原理なのだとはたては漸く理解した。

 

 然るべき者に相応の報いが必要である。

 勇者には賛辞を。賢者には知識を。侠客には大道を。徳には名声を。弱者には助けを。強者には夢を。平穏には停滞を。争奪には寂寥を。罪人には引導を。

 功罪関係なく、事象として在るからには何らかの対価が必要なのだ。それを捻じ曲げる事は何人にも許されない摂理といえる。

 

 天子は唯『当然』を求めたいだけ。自分の身の丈に合う当たり前の対価が欲しいだけ。

 それを周りが許さないのであれば、自らの力で打破するしかないのだ。『当然』を掴み取る事も対価に含めるのだとするならば。

 

 

「──というわけです。軽挙妄動もここまでくれば哲学になるのかと大いに感心しましたね。実行力のある馬鹿ほど幸せなものもない」

「あああああッさっきから五月蝿いわね陰険女!!! 何か文句があるならかかって来ればいいのに隠れて奇妙な事ばっか呟いてさぁ!」

「無礼な奴ね。この私と戦ってる最中に外野に向かって野次を飛ばすなんて。片手間で戦ってあげるほど手加減する気はなくてよ?」

 

 場はひたすらに破壊を振り撒く壊滅戦から、奇妙な舌戦の応酬へと変貌を遂げていた。一応天子とレミリアは剣を交えているのだが、さとりの介入によって手も(そぞ)ろな状態に陥りつつあった。覚妖怪の真骨頂といえる。

 

 はたては兎も角として、天子に対する精神攻撃は彼女自身に多大な影響を及ぼしていた。自らのメンタリティなど顧みてこなかった天子には少々酷な内容である。

 

 すぐにでも小賢しい地底妖怪を倒したい。しかし、腕の立つ吸血鬼相手に背を向けるのは、さしもの天子でも些か危険。いやそれよりも優先すべきは唯一の盟友と言っても良い()()()を誑かしている天狗を追い払う事だ。大義名分を失う訳にはいくまい。

 

 天子は途端に全ての思考をリセット。再び一から力の活用法を弾き出す。いま自分が取るべき精神衛生上最良といえる方法は──。

 

「ほたてェッ! 遠くまで離れなさい!」

「ちょっ……!?」

 

 結論。

 邪魔な奴、全部纏めて、吹き飛ばす。

 

 緋想の剣はその輝きを苛烈に吹き上がらせた。今まではほんの小手調べのつもりだったと言わんばかりの力の高まり。そんな天子に呼応して、周囲の瓦礫から蒸気と熱波が溢れ出る。

 幻想郷が揺れている。見境なしに放出されるエネルギーは徐々に集約を始め、力に指向性が生まれる。無何有(むかう)の大災害が人の意思により害を為そうとしているのだ。

 天子の言葉に反対しようとしたはたてだったが、そのあまりの力に身の危険を感じ言葉を詰まらせる。と、その一瞬の隙に文に首根っこを掴まれ、椛と共に引き摺られて無理やり戦線を離脱させられた。

 

 はたてを失った事に思わず舌打ちするが、そこは逆転の発想だ。これで心置きなく連中を消し飛ばせる。はたての回収はそれからで十分間に合う。

 

「ひれ伏せ、地面を這い蹲ってる卑しき虫けらめ! 我が悲願である理想郷の建設を邪魔するどころか、高貴な私をここまでコケにしてくれるとは、不届き千万の極み! この世から失せろ、道を外れし愚者共よ」

「……十分理解してるようですが、敢えて聞かせてください。()()を撃ったら幻想郷どころか地上が滅びますが、本末転倒ではありませんかね?」

「そうだな、なるべくそうならないよう努力はしよう。しかしもしもの時は口惜しいが仕方あるまいよ。地上を滅ぼし、人類を滅ぼし、地をならし、美しい四季を作り、新しい生命を造り、悲しむ事のない心を創り、貧する事のない社会を作り、この世界全てを創り直す……それもいい」

「大義名分がどうとかぬかしてたくせに」

「創り直すって言ってるだろ。人が消えれば塵も同じよ。けどまあ、ほたてなら大丈夫でしょ、あいつって結構すばしっこいから上に逃れられるはず。ていうか、そもそも吝かよ実際。滅ぼしたくて滅ぼすわけじゃないし?」

 

 呑気にそんな事を話しながらも、両者の威圧は飽和しつつある。天子は既に力を行使する体勢に移っているし、対するさとりも初めてその身に妖力を纏い始めた。

 逆に自分との打ち合いを中断されたレミリアは拍子抜けしたようにグングニルを投げ捨てた。代わりに別のスペルカードを手元に召喚する。

 

「私がやるわよ。貴女だと多分無駄に力を使っちゃうでしょ。約束を違える気かしら?」

「『ミゼラブルフェイト』は強力ですが加減と融通が利かない。集約されたエネルギーが暴走されては面倒です。とはいえ中途半端に収めても納得できない方が数名いるみたいですし、私が少し手荒に終わらせましょう。無論、無茶は致しませんとも」

「……ま、いいわ。今回は大人しくお手並み拝見とさせてもらいましょうか」

 

 初めから盤上はさとりのものだ。始動から終演までのゲームメイクに一寸の狂いもない……訳でもないが、取り敢えず大きな支障は無い。

 とはいえ、頗る面倒であったのは確かだ。天子の一番の目的がその場その場で容易く変遷してしまい取るべき選択を何度も誤りそうになったから。

 

 精神の成長と後退を繰り返す様に困惑を覚えたが、ある意味で納得した。やはり天子の本質は『飢え』なのだ。盲目な人間が初めて彩られた世界を見たかの如く、得られる物が急激に増えた事で次から次へと手を付けようとする。戦闘欲、顕示欲、支配欲、名誉欲、自我欲、破滅欲と、全てを満たそうとするのだ。だから物事の整合性がうまく噛み合わない。そして天子はそれを半ば自覚しながらも勢いで解決しようとしている。

 

 そんな天子の性質はある意味で摩多羅隠岐奈に酷似していた。様々な思考が同時並列上に存在しており、どれを選び自分とするかはその時の気分に委ねている。

 今、天子は幻想郷を人質にさとりとレミリアを消し飛ばそうとしている。それが天子にとって最高に気持ちいい展開だからだ。しかしその一方で、相対するさとりに期待する気持ちも同時に持ち合わせているようだった。

 自分の最高の一撃を防ぐ事はあり得ないが、もしそれが可能だったなら幻想郷は美しいまま残るし、目的の一つであった『全力をぶつけるに足る相手を見つける』事も達成できる。

 気楽なものだ。正直羨ましい。

 だからほんの少し、恨み言を言い放つのだ。

 

「地の底を知れば全てが勿体なく感じますよ。貧しくして怨む無きは難く、富みて奢る無きは易し。己の醜き僻みを知り、そして足る事を知れ、天の蛙」

「フン、鼻につくわ。全て解っていますよーって感じの上から目線。美しく残酷にこの大地から住ね!

 

 地響きと共に跳躍した天子は下界を睥睨し、剣の切先をさとりとレミリアへと差し向ける。瞬間、蓄積された膨大なエネルギーが緋色に弾けた。全人類の気質を天子の霊力によって撃ち出した超高密度の閃光。地上どころかこの母なる星そのものを撃ち抜かんばかりのレーザー。

 

 ふと、背後にレミリア以外にも気配を感じた。恐らく八雲藍がスキマ越しに待機しているのだろう。仮に為すすべなくさとりが消し飛ばされてしまった場合、幻想郷を守るために。

 

 不要だ。

 自分が負ける道理など一厘もない。

 

 

「想起──『在りし日の緋想天』」

 

 

 スペルの詠唱と同時にサードアイが妖しく発光する。途端、齎される筈の破壊は宙にとどまり、一本の線として拮抗する。緋色の閃光がぶつかり合っているのだ。

 

 さとりの能力は物理的な破壊とは縁の無いものだが、代わりに他二つの概念を破壊する力を持つ。それは『精神』と『記憶』である。そして今回、スペルにより破壊したのは記憶。

 世界を構成する三つの層の内一つを思うがままに捻じ曲げた。アカシックレコードとも言う世界記憶の概念を操り、かつて在った筈の事象を思うがままに改変、引き起こす事ができる、それが想起の能力。

 

「お前ほんっっっとうに気持ち悪いわね!? 剣も無いのになんで模倣できるのよ!? しかも使うのは今日が初めてのはずなのに!」

「さあ、どうしてでしょうね?」

「ぐぬぬムカつくぅ……! だが所詮は贋作、本家には敵わない! 同条件の力比べなら誰にも負けるものかッ!」

 

 戸惑いを胸の奥に仕舞い込み、天子は更に豪快に緋想の剣を振るう。閃光が一回り二回りと大きくなり、さとりのそれを凌駕した。結果、趨勢は天子へと傾く。

 対してさとりは慌てた様子もなく淡々と告げる。

 

「素晴らしい。このスペルでは対抗ができないわ」

「ったり前よ! 命乞いしてももう遅いわよ!」

「必要ありません。それに、無様な命乞いほど無駄な事はない。想起──『うろおぼえのデュアルスパーク』」

 

 天子の見立ては正しかった。贋作が本物に敵わないのは当然の事で、この方法で想起したスペルは過去のモノ。現在の天子に対抗するには無謀だ。

 しかしさとりが重視したのは威力では無い。あくまで限りなく近い性質の技をぶつけ、一瞬でも拮抗させる事が狙いなのだ。例えばマスタースパークを天子の放ったレーザーにぶつけたのだとしたら、術式はあっという間に瓦解し勝負にすらならないだろう。緋想の剣がそうさせるから。

 故に、緋想の剣には緋想の剣が有利なのである。それ以外の好相性は存在しない。

 

 結果、さとりを仕留め切れなかった天子は側面から放たれた別のレーザーに晒され体勢を大きく崩してしまう。と、間髪を容れず『緋想天』の均衡が崩れ、為すすべなく自らの力に飲まれた。

 流石の天子といえど立て続けに引き起こされたイレギュラーへの迅速な対応は不可能。抗おうにも如何ともし難く……。

 打ち上げられた閃光(with天子)は空を覆う分厚い紅霧を貫通し、天と宙の境目となる雲を突き抜け、天界を穿ち、その数瞬後に大爆発を起こした。

 

 茜色と言うには些かどぎつい幻想郷の空を華々しく彩る爆風を背に、ピースサインによるさとりの勝利宣言が行われた。流石にここまでやれば復帰不可能だろうと、漸く一息つく。実はさとりにとって今回が妖生初めての完全勝利である。

 死んではいないだろうが少なくない相当のダメージを負った筈。今頃天界でのびている事だろう。このまま二度と下界に降りてこないよう彼方側で念入りに監禁しておいて欲しいものだ。

 

「口だけじゃないのね。見直したわ。最後のやつって幽香のスペルカードでしょ? いつラーニングしたの?」

「結果が気になるならさっさと能力を使ってしまえばいいのに……。()()は理解できるけど、押さえ込み過ぎるのも身体に毒ですよ」

「実のところ、そう不便にしている訳でもないさ。修行の賜物ってやつよ。逆に貴女は能力に頼りすぎじゃない?」

「……私は別にサードアイを鍛えたいなんて思ってませんので。そもそも最初から最強ですので、鍛える必要は皆無です」

「自分に自信を持ち過ぎでしょ」

 

 余波で紅霧が若干吹き飛んでしまったので慌てて日傘を差しつつ、しっかり憎まれ口は忘れない王女の鑑。今回のぶっちぎりMVPを称えるくらいはしてくれてもいいだろうにと、さとりはちょっとだけ拗ねた。

 さてこれにて異変とも呼べないような騒動も終了だが、事後処理が待っている。何より確実に霊夢が向かって来ているだろうこの場は危険極まりない。

 

「では私は他に所用がありますので、あとはよろしくお願いしますね。それでは」

「それは通らないわよ。あの馬鹿(天子)に続いて霊夢の相手なんてまっぴら御免。それこそ当事者は貴女(さとり)なんだからしっかり言い訳してちょうだい」

「この紅霧を見れば第三者から見て誰が当事者なのかは一目瞭然だと思いますけど?」

「へえ、この私をスケープゴートにしようと?」

「はい」

「開き直りが早すぎるわ気持ち悪い」

「ここだけの話、あんまり博麗の巫女とは関わりたくないんですよね。思考するより早く相手を屠りにくる奴なんて私の能力形無しじゃないですか。それに引き換えレミリアは臆せずに立ち向かったのでしょう? 素晴らしい、私には到底真似できない」

「ふふん、まあブチ切れてるアイツを相手するのが得意な妖怪なんて幻想郷中探しても数える程度しか居ないのは確かだろう。それこそ私ぐらいかしらね。……あとその手には乗らないわよ」

「……」

「……本当に嫌な奴」

 

 幻想郷での立ち位置や体裁など知ったこっちゃねえと言わんばかりに霊夢へと熱視線を送り続けているレミリアだからこそ適任なのだと、そんな事を言いたげに無言で見つめるさとり。

 手筈は気に入らないがフランドール絡みで色々と恩のある相手にこうも頼られてしまうと中々断りづらい。懐が深過ぎるのも考えものである。

 

(まあ紅霧異変や永琳の時に比べればまだマシか)

 

 そんな事を思いつつ折れかけた、その時だった。

 

 二人の眼前が引き裂かれ、九尾の狐が飛び出す。そしていの一番にさとりへと飛び掛かり、胸ぐらを掴んで地に叩きつける。有無も言わせぬ憤怒の一撃だった。

 レミリアは訝しんだ。八雲の式による不意打ちに近い攻撃だ。躱せないのも致し方ないが、それはあくまで相手がさとりで無かった場合の話。いくら八雲藍の攻撃でも思考が筒抜けな相手にこうして無防備に、為すがままにされるのは不自然である。

 

 一方のさとりは唖然として藍を凝視するしかなかった。それは藍の行動に対してではなく、痛みに悶絶しているのでもなく。藍がその行動を取らざるを得なかった理由にあった。

 たった一つ。予想し得ただろうたった一つの誤算で緻密に組み立てた盤面が粉砕されたのだ。あまりの失意にさとりは言葉を失ってしまった。

 

「この微妙な雰囲気の理由を聞かせてもらえるかしら?」

 

 置いてけぼりのレミリアが話を促す。

 その問い掛けをひとまず緩衝材料としたのだろう。藍は激情を何とか抑え込み、どっかりと腰を下ろす。そして目を伏せながらポツリと語るのだ。

 

「コイツの放った攻撃が上空飛行中の紫様に直撃した。……目下行方不明だ」

「……そう。なるほどね」

 

 レミリアは瞑し、天を仰いだ。

 

 




ゆかりん、決め台詞を奪われるの回。
天子の性質について長々語っていましたが、要するに「脳みそ空っぽ気持ちいいぃぃ!!!」って事だと途中で気付きました。


天狗の凋落は文が話していたとある大天狗の英雄のせいです(責任転嫁)

なお掻い摘んで説明すると、英雄の戦死した時期は天魔が蟲の女王リグなんとかさんを討伐したタイミングですね。(幻マジ88話:幻想郷の黒歴史(前)の隠岐奈の発言、また後書きより)

女王配下の大百足のももなんとかさんや土蜘蛛のヤマなんとかさんと相討ちになったとのこと。これにより形勢は大きく天狗に傾き、最終的に勝利を掴みました。大戦後、英雄配下の管狐が本部に彼女の戦死を告げに来たことで死亡が発覚したとか何とか。なお遺体の所在は不明とのこと。
本当に死んだんですかね???

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