「はぁ、はぁ、はぁ__」
駆けていた。
その人物は広大な大地をおよそ現実ではありえないような衣服に身を包み、常人ではありえない速度で駆けていた。
「はぁ、っあ!?」
しかし、慌てるようにして走っていたためか、周囲が薄暗いこともあってか、足元に伸びていた木の幹に足を取られ転んでしまう。
「ち、くしょう!」
その人物は立ち上がると同時に何かを決意したかのように背に吊るしていた"剣"を構えた。
周囲の警戒をし、油断なく構えているとすぐに"そいつ"は現れた。
人間のように二足歩行で立ちながら、表面には肌ではなく鱗をまとい、人間のように武装したトカゲのような顔を持つモンスター。"リザードマン"。その上位種だ。
現実にいるはずもない生物に、現実ではありえない装備。しかしここは間違いなく一つの現実であり、"ゲーム"だった。
視界端に映るHPを表すバーは半分を下回り、回復アイテムの類はない。普通のゲームであれば死亡覚悟で挑んで、負けたら「あーあ負けちまった」と仲間と笑いあいキャラを強化してまたいつか挑めばいいのだろう。
しかし、このゲームでは死ぬことはできない。ゲーム内での"死"は現実における"死"にも直結するからだ。
HPとは文字通り命の残量であり、これが尽きれば現実世界における自分も死ぬ。
それがこのデスゲームにおける、覆ることのない絶対のルール。
"ゲームであっても遊びではない。"
「う、くそ、なんで……」
シュー、と鳴き声を上げる目の前のモンスターを見て、悪態を吐く。意味のない悪態だ。しかし、吐かなければやっていられない。そうでなければ、今にも恐怖で体が動かなくなってしまいそうだ。
ガチガチと歯がなる。それを無理やりに押さえつけた。
静かな音もない空間。一生にも感じられる数秒間。
行動は同時だった。
お互いに自らの持つ武器を構えた。すると、武器に鮮やかな光が奔る。
魔法というものがないこの世界における攻撃手段__"ソードスキル"。
先手を取ったのはリザードマンだった。
鮮やかな光が夜の空間を彩り、必殺の刃を相手へと届かせる。
__殺られる。
次の瞬間に自分の首が落ちる……そんな想像が脳をよぎった。
その瞬間だった。
キンッ、と何かが弾かれる音がする。
その人物が見たのは、一本の剣。
リザードマンの剣がこちらに届く瞬間に正確無比なコントロールでどこからか投げられた剣がリザードマンの剣を弾いたのだ。
しかし、瞬時にそのことを理解できる思考力をその人物は残してはいなかった。
だから、だろうか。
「頭を下げなさい」
その言葉に対し、即座に反応できたのは。
ソードスキルは大きく体勢を崩したせいか既にキャンセルされている。言葉通りに頭を下げた。
そして、その頭上をジェット機のエンジン音めいた轟音が通過する。
ズガァン! 耳元でなったせいか、キーンと耳鳴りがする。
数秒して、耳鳴りが収まってからハッとして周囲を確認する。すでにリザードマンの姿は影も形もない。
「大丈夫だった?」
後ろから声をかけられる。そこにきてようやく自分が後ろの人物に助けられたことに気づいた。
振り向くと、そこにいたにはまだ幼さを残した少女の姿。ツインテールの髪に勝気そうな瞳。赤を基調とした装備に片手にはシンプルな形をした剣。
その少女には見覚えがあった。当然と言えば当然だ。目の前の少女はこのゲームにおいて、最も有名なトッププレイヤーなのだから。
"双焔剣"ナツ。
ギルド"勇者部"という珍妙な名のギルドに所属する攻略組、最前線で活躍するプレイヤー。
このギルドに所属するメンバーには皆、とある特徴があった。特徴というか、生態、と言うべきか。
無償の人助け。
このデスゲームにおいて、最も難しいそれを勇者部は当たり前のようにこなしていく。
しかし、そんなものはどうせ噂で、実際は影でなんか怪しいことでもやっているのだろうと思っていた。
この時までは。
「立てる? 回復アイテムとかは?」
「な、無い……少し前に切れた」
「HPは?」
「……半分を少し下回っている」
「そっ」
そこまで聞くとナツはポーチからとあるアイテムを取り出し、こちらに突き出した状態でコールする。
「ヒール」
パリン、と少女の手に収まっていたクリスタルは砕け、同時に自分のHPが最大値まで回復した。
「なっ、なっ」
「幾つかポーション類も別けるわ。私が前で誘導するからついてきて。街まで送るわ」
「ま、待ってくれ」
こっちにポーションを手渡そうとアイテム欄から実体化させている少女を前に叫ばずにはいられなかった。
なぜこの少女はここまで自然に見ず知らずの相手に親切にできるのか。
先ほど使ったヒーリングクリスタルとて、最前線で稼げばそこまで苦労せず手に入るとはいえ、決して安い買い物ではない。赤の他人のために使うようなアイテムではない。
後で何かとんでもない要求でもされるのではないか。そんな保身を最優先したような思考が回っても仕方ないだろう。
「なぜだ。なぜ俺を助ける。俺は別にあんたらとは何の関係もない赤の他人のはずだ。なのに、なぜ……」
「……」
ナツはその言葉を聴くと、少し考えてからすぐに言葉を返す。
「私が助けたいからよ」
「……なに」
「だって私は、"勇者"だから」
迷いなく、曇りなく答えられたその答えに言葉をなくした。
ただ、眩しかった。その在り方に。
この狂ったゲームの中で汚れずに今もなお高潔な魂を持つその在り方はまさに、"勇者"、であった。
_____
「で、また無償で人助けしたのか」
「いいでしょ別に。それよりはい。これが今日の分よ」
「へいへい。お、今日もまた稼いできたな。……あんま言うような事じゃないが、ソロであんま無理するなよ、ナツ」
「忠告ありがとうエギルさん」
第50層アルゲート。第1層はじまりの街を抜けば、間違いなく最大の街。
その一角にあるエギルという顔見知りがやっている店に顔を出し、今日の分の稼ぎを換金してもらっていた。
今日は予定外でヒーリングクリスタルを一つ消費してしまったため、すぐにでも補填しなければならない。クリスタル類は万が一の生命線。幾らあっても多すぎという事はない。
「でも、どっかの黒ずくめほどじゃないから安心しなさい」
「いや、俺から見させてもらえればどっこいどっこいなんだが……と、噂をすれば、だな」
そう言ってエギルさんは私の後方へとその視線を移した。その視線を追って思わず後ろを振り向き、そしてその人物と目があった。
「よおナツ。まだ生きてたか」
「そっちこそ。死にぞこなったのねキリト」
売り言葉に買い言葉で会話を交わした全身黒ずくめのプレイヤーはキリト。同じソロである故か、とある縁で共に行動する機会もあり、すっかり顔馴染みになってしまった。
剣の腕は多少素人臭さが残っているものの、ゲームへの適応力と反応速度は天下一品だと私の友達も認めるほどの実力者である。少なくとも、彼以上にこのゲームに"馴染んでる"者はいないだろう。
「お前ら。騒ぐならここ以外でやってくれ。客が退いちまう」
「おっと、なら客でいられるうちに買取を頼む。ナツはもう済んだか?」
「とっくに」
そう言って場所を譲る。
キリトはエギルさんの前に移動するとウインドウを操作していく。
特別用事があるわけでもないため、何の気なしに横目でその状況を見ていると、途中でエギルさんが驚いたような声を上げた。
「おいおい、S級のレアアイテムじゃねえか。"ラグーラビットの肉"か、俺も現物を見るのは初めてだぜ……。キリト、おめえ別に金には困ってねえんだろ? 自分で食おうとは思わんのか?」
ラグーラビット!
そのアイテム名を聞いただけで多少なりとも驚いてしまう。
S級アイテムともなれば市場に出回らないどころか、フィールドで入手するのだって楽じゃない。
基本的にこの世界でのモンスターの出現には"減った分だけ足していく"というルールがある。つまり、フィールドに出回っているモンスターの絶対数には上限があるのだ。更にいうとリポップ__再出現場所もモンスターによっては決まっている。
その中でもS級アイテムを落としていくモンスターともなれば、広大なフィールドに一体いるかどうかだ。しかも、そういうモンスターに限って逃げ足が速かったり隠密性能が高かったりする。
巡り会うのも運なら倒せるかどうかもまた本人の運に大きく左右される。
そんなレアアイテムを売ろうとしている目の前のプレイヤーに驚きを隠す事などできようか。
「思ったさ。多分二度と手には入らんだろうしな……。ただなぁ、こんなレアアイテムを扱えるほど料理スキルを上げてる奴なんてそうそう……」
「キリト君」
女の声。この時になって私は自分がラグーラビットというレアアイテムを前に思っていた以上に舞い上がっていたことを実感した。普段であれば、ここまで接近される前に気づけたはずなのに。
そんな私の内心など関係なく、キリトは反射的とも言える早さで声の主の手を取った。
「シェフ確保」
「な……なによ」
キリトが手を取ったプレイヤーは一言で言うなら"美少女"である。
栗色の長いストレートヘアは見てわかるぐらいサラサラだし、顔の造形も女である私から見ても十二分に可愛らしい。体のバランスも理想的といっていいだろうし、体を包む白と赤を基調とした騎士風の戦闘服を見事に着こなしている。正直に言って文句のつけようがない。
彼女の名はアスナ。SAO内では他の追随を許さぬ有名人だ。
まあそれも、彼女の容姿が圧倒的に優れていること、戦闘面においてもSAO内でトップクラスであること、そしてSAO内で数多あるギルドの中でも最強と名高い"血盟騎士団""Knights of the Blood"の副団長であることを考えれば当然と言えば当然なのだが。
「珍しいな、アスナ。こんなゴミ溜めに顔を出すなんて」
それを聞いて私とエギルさんは「おいおい」という顔をする。キリトのケンカを売ってるのかと勘違いしそうなセリフを聞きなれていたとしても、ゴミ溜めとは酷い言いようだ。
しかしアスナの方から、お久しぶりですエギルさん、と声をかければ当のゴミ溜めの店主はだらしなく顔を緩ませた。
そして今度は私の方にも顔を向けて、
「ナツも。久しぶり」
「……ええ。久しぶりね」
どこか含みのある笑みを浮かべながら言葉をかける。
__ああもう。
内心で毒づきながら、顔をそらす。最初の頃ほどではないとはいえ、こういう空気は苦手だ。
そう、このラブコメの空気は。
アスナという一人の少女はこの目の前の黒ずくめ、キリトのことが好きらしく、そんなキリトと気が合い、共に行動する事もある私を警戒しているのだ。
正直、私とキリトはそういう関係では無いのだけど、まだそう言った話に耐性がなかった頃にアスナにキリトとの関係を問われた時に「キリトとはそ、そういう関係とかじゃないし、どうとも思ってないから! 勘違いしないでよ!」と返してしまい、勘違いを加速させる結果となった。
今でもなにがダメだったのかはイマイチわからないもののあいつらに聞いてもダメな返しらしく、今のややこしい関係性へと収まってしまった。
そんなわけで、巻き込まれないようにと遠巻きにあの二人のやりとりを見ていたら、どうやらアスナがキリトに手料理を振る舞う流れになったようだ。
そしてアスナが護衛の男に対し、もう今日は帰ってもいいという旨を言ったところ、なにかわめき出した。
「ア……アスナ様! こんなスラムに足をお運びになるだけに留まらず、素性の知れぬ奴をご自宅に伴うなどと、と、とんでもない事です!」
その台詞に内心辟易とする。アスナ"様"ときた。最近はこういう奴が増えてきている。こういう奴は周囲へも迷惑を及ぼす事があるから勘弁してほしい。様付けされた本人もうんざりとした様子だ。
「このヒトは、素性はともかく腕だけは確かだわ。多分あなたより十はレベルが上よ、クラディール」
「な、何を馬鹿な! 私がこんな奴に劣るなどと……!」
男の半分裏返った声が路地に響き渡る。三白眼ぎみの瞳にはキリトへの怒りや憎しみといった感情がありありと見える。しかし、男の顔が不意になにかを合点したかのように歪んだ。
「そうか……手前、たしか"ビーター"だろ!」
その言葉を聞いた瞬間、カッと全身に熱が走る。
"ビーター"。それは"ベータテスター"と"チーター"を掛け合わせた蔑称だ。しかしその蔑称が生まれた背景には理由があった。たった一人の大馬鹿が、プレイヤー間での闘争を防ぐためという理由が。
それを知っているからこそ、その言葉は私たち__"勇者部"の前では禁句だ。
「ああ、そう「待ちなさい」」
キリトが肯定しかけたところを、強引に割り込む事で止める。
「こいつがビーター? あり得ないわ。ビーターってのはベータテスター時代の知識を独占して自分一人がいいって奴の事でしょう。ボス攻略においてキリトは散々貢献してきたはず。なら、こいつがビーターってのはおかしい」
「な、なんだキサマ! そのビーターを擁護するのか!」
「このゲームを終わらせるために動く者はどのような志であっての等しく勇者であり仲間よ。そこにビーターもなにも関係ない。あんたこそ、上辺だけ見て知ったような口を語るんじゃない!」
「き、キサマ! 私に逆らうつもりか! 血盟騎士団所属でありアスナ様の護衛も務める私に!」
「はっ! 随分と軽い肩書きね。あんたみたいなのが護衛? 天下の大ギルドも随分と人手不足のようね」
「っ! そこまで言うなら、キサマも覚悟が」
「そこまでよクラディール」
ヒートアップした場を一言で収めたのは、アスナだった。
ハッとした私はすぐに言葉を引っ込める。クラディールも同様に。
アスナはその瞳を真っ直ぐとクラディールを向ける。
「彼女は"勇者部"のナツよ。勇者部には私たちも随分とお世話になっているわ。それに、彼女たちの存在はこのアインクラッドの中ではとてつもなく大きい。……仮にも我がギルドに入っているなら、その意味がわかるわね?」
「っ、ぐ、……は、い……」
アスナの言葉を聞き、それきり言葉を控えるクラディール。その目は今にも射殺さんとばかりにこちらを睨む。
私も私で勇者部を出してきたアスナに恨みがましい視線を送る。勇者部の肩書きは、こんな所で使うためにあるのではない。
しかし、そんな視線もどこ吹く風。アスナはこちらを一瞥もせずクラディールに言った。
「退きなさいクラディール。副団長として命令します」
_____
エギルさんに騒がした謝罪をして、三人で店を後にする。
「とんだ騒ぎだったな」
「悪かったわよ」
苦笑気味に話すキリトに私は返す言葉もない。
「まあなんだ。嬉しかったよ。勇者様」
「っ、あんたねぇ!」
そんな風に会話をしているとキリトの横で思い切り頬を膨らましているアスナが目に入る。
しまった、と思うももう遅い。
「仲が良さそうね二人は」
「まあ、たまに会えば一緒に攻略する仲だしな」
ここでこいつをぶん殴らなかった私はよくやったと思う。
キリト自身に含む所はない。そのままの意味だ。しかしアスナはそのままの意味が気に入らず、拗ねたように顔を背けた。
「あ、あれ?」
「はぁ……」
なにか間違えただろうかと、と困惑するキリトの横で頭を抱える私。めんどくさい。
しかし乗り掛かった船。このまま別れても拗れるのは目に見えている。勇者として、目の前の問題を先送りにするわけにはいかない。
「アスナ。さっきは助かったわ」
「……まあ、そもそもはうちのギルドの問題だしね」
「ま、なんかあれば今度はキリトが助けてくれるでしょ。ね、キリト」
「え、俺?」
「アスナが困ってたら助けてあげるんでしょ。助けないの?」
「え? あ、いや助けるぞ。うん」
「だって。よかったわねアスナ」
「う、うん」
これでよし。あとは余計に拗れる前に退散するとしよう。
「じゃ、私はここで」
「ナツは食べていかないの?」
「そんなに量ないでしょ。いいわよ私は。なにもしてないし。二人で楽しみなさい」
「……ありがと」
私にだけ聞こえるような声でお礼を言うアスナ。素直な答えに思わず笑ってしまう。キリトは何が何だかわからずポカンとしていた。
二人と別れ借りている宿へと足を向ける。今日は少し疲れた。
空を見上げる。この上には未だ幾重にも重なる未踏破層が存在する。そう考えたら、途端に気が重くなる。しかし、いちいち落ち込んでもいられない。
少しでも早くクリアする。クリアしなければならない。それがこのゲームがデスゲームへと変わったあの瞬間に私が__"三好夏凜"が同じ勇者部のメンバーに向けて立てた誓いだからだ。
人物紹介
三好夏凜
「結城友奈は勇者である。」のキャラクター。ツンデレ&チョロイン。登場時は刺々しい態度を取るも勇者部の面々には徐々に心を開いていく。
この作品における三好夏凜は二年間のデスゲーム生活のおかげか角の取れたような対応ができるように。しかし、勇者部として譲れない場面ではヒートアップしやすく、それ故に時に他者に対しては攻撃的になることもある。ソロで活動しているが、気が合うのかキリトと共に行動することがあり、アスナからは恋のライバル認定をされている。