その夜の冬木は異様な静けさに包まれていた。家々に明かりはなく、街灯の明かりのみが街を照らす。その光景は何とも言い難い寂寥感と、一種の終末を感じさせる。
市民の市外退避。
その遠坂時臣の決断は「一般常識」の埒外にある。彼は魔術師なので一般人ではないが、魔術師としての「一般常識」に当てはめたとしても100万人を超える住民を市外に避難させるなど正気の沙汰ではない。規模が膨らむほどに神秘の秘匿に必要な労働力も膨らむ以上、当然である。
故に、遠坂時臣にその決断を行わせたのは彼に固有の常識。つまり、「貴族の常識」であった。貴族たる遠坂の領地は冬木である。ならば領主は領民を保護せねばならない。故に、戦況悪化が明らかとなった以上領民の避難は当然の事。そんな現代人からすれば馬鹿を通り越して気が触れた狂人の振る舞いとしか思えぬ思考。だが、時臣にはそれらを行いうる手段があった。
綺礼に命じてアサシン集団に避難誘導と暗示の呪具を使用させ、教会の伝手で『都市ゲリラのバイオテロ』というそれらしい理由をでっち上げ、警察や自衛隊を金と暗示で動かして冬木から市民を逃がす。
その結果、今の無人の冬木が形成されたのだ。
が、しかし。流石の時臣も僅か数時間で作業が終了するなどとは毛ほども考えて居なかった。にも関わらず現在冬木市が蛻の殻になっているのは彼のサーヴァント『英雄王ギルガメッシュ』が意外にも手を貸したためである。
宝具『蜃の吐息』。集団幻覚を生じさせるだけの物だが、その効果範囲の広さから今回ギルガメッシュが時臣に渡した宝具だ。これにより、外部から見た、冬木の街は大量の虫とカラスが飛び回り、瘴気のように霧が満ちる如何にもバイオハザード状態と言わんばかりの様子に見えている。
「……時臣よ、我の宝物を下賜してやったのだ。手抜かりはあるまいな?」
「万事抜かりありません。……綺礼と璃正殿にも確認して戴いたので間違い無く市民を退避できました」
「ならば良い」
ソファに座り、ワインを浴びるように飲むギルガメッシュと書類の山を整理しつつ、紅茶を啜る時臣。遠坂邸の日常と化したその風景の中、時臣は疑問を隠せぬという表情を浮かべている。
今まで、自由気儘に振る舞ってきた英雄王が何故今になって時臣に手を貸したのか?
その疑問が何時までも頭の隅に引っかかって居るままなのだ。その表情を読み取ったのはソファのギルガメッシュではなくその後ろ。ソファの背もたれに腰掛けたエルキドゥだった。
「トッキー、さてはギルが手伝った理由が分かってないね?」
「……ええ。顔にでていましたか?」
「モロ出しだったよ」
「……私としたことが、優雅さに欠ける振る舞いをするとは」
そう言って頬を掻く時臣に、エルキドゥはニコリと笑って告げる。
「ヒントはね、トッキーがギルの臣下だって事だよ」
「私が英雄王の臣下である事がヒント……。あぁ、成る程」
エルキドゥの言葉を切欠に閃きを得た時臣は納得の声と共に微笑する。
「私の領民は王の領民というわけですね」
「あたり。トッキーは頭の回転は悪くないよね、ドジっこなのにさ」
「ドジ……ですかね?」
「自覚してないあたり真正だね」
そう言って時臣をからかうエルキドゥと、からかわれて戸惑う時臣。その二人の会話に口を挟んだのは静かに酒を飲んでいたギルガメッシュだった。
「……時臣よ、気づいているか?」
「……王?」
「明日でこの戦争は終わるぞ」
その断言は、今までのギルガメッシュのあらゆる声より良く通った、金の煌めきのような一言だった。そして続く一言は、剃刀すら鈍に感じる鋭さを以て放たれる。
「出陣の支度を抜かれば唯では済まさん。……此度の敵は、我も慢心を捨てるべき相手故な」
その真剣な呟きは、時臣の気を引き締めるに十分過ぎる物であった。
英雄王ギルガメッシュが何を感じ、何を察したのかは時臣が計り知れるものではない。だがしかし、彼が慢心を捨てるとなればその重大さは嫌でも分かる。
未だ見えぬ敵の影は、確かに至近に迫っていた。