例えばの話である。
このお方は先の副将軍でございなどと言われたなら悪党はその場でひれ伏さねばならないし、ヒーローが変身している時にも黙ってみているのが筋というやつだ。
よくある「お約束」というやつならば、こういう時には秘密の隠れ家のようなところに逃げ込んだりするものである。
あればすごく便利だっただろうと青葉は思った。
そこまで手が回らなかった彼女は、先ほどから再三鎮守府に流れる放送によって、自分が何かやらかした事が艦隊の全員に知られていくのを、転がり込んだ古鷹の部屋でただただじっとこらえるしかなかった。
もちろん古鷹は天使だ。
嫌な顔一つせずに青葉を匿ってくれたし、今も青葉に非はない、何かの間違いなんだろうと言ってくれる。
だから堂々と潔白を証明すればいいと――。
そのために、二人で説得に行こうと――。
そういう事を言ってくるのだ。
青葉は天使を説得するという非常に心苦しい所業に従事せねばならなかった。
白か黒かとか、濡れ衣だとか。誤解だなんだとか、誰が間違っていているのだとか。
(そもそもそういうんじゃあ、ないんだよなあ……)
内心でうんざりとしていた。
その時である。
――ドン! ドン!
だしぬけの大きな物音に、青葉はびくりとした。部屋の扉は、彼女の沈黙を許さないように再三強く叩かれた。
内心でどきどきしながら古鷹と顔を見合わせた。
「あ……あのぉー……ふ、ふる」
ドンドンドンドン!!
ドンドンドンドンドンドンドンドン!!!!
音はやむ事なくまるで気の違ったように何度も何度もなった。
そして、同時にノブの方もガチャガチャガチャガチャと向こう側から回され始めた。
「警察ッぽい! いったい何が目的? 抵抗は無駄ッぽい! こちらには銃殺の許可が与えられているッぽい!!」
「そこまでではないよ。……だ、だめだよ夕立、ドアを壊しちゃ。きっとテイトクが困るんだ。テイトクを困らせるのは、許さないよ」
夕立と、時雨のようだった。
鎮守府が誇る狂犬ペアである。
「あ、わ、わ、わ……」
「青葉大丈夫? ……あ、慌てないで!」
窓から身を乗り出そうとする青葉の腰を、後ろから思い切り抱きしめ、なんとか捕まえて、古鷹は声に力を込めた。
「で、でも。し、しかし」
「わたしに任せて。ね?」
目と目で見つめ合い、ぎゅっ、ぎゅっと手のひらを力強く握りしめて、安心するよう笑顔で頷いてくる。
それは無条件で自分を最後まで信じてくれる人だ。
彼女の背中から、まるで後光がさすようだった。少なくとも、青葉にとっては、それは本当だった。
古鷹は優しい。まるで天使のようだ。
「ふるたかさあん……」
目じりに熱いものがこみ上げるのを抑えきれない青葉である。
そんな青葉に、もう一度にっこりと微笑みかけると。
そのまま、古鷹は。
部屋の中をすたすたと歩いて、扉の鍵をがちゃりと外した。
「……え?」
「殺す!! ――っぽい」
気が付いた瞬間、青葉は頭の後ろで手を組まされて、床に這いつくばるハメになっていた。
ぐりぐりと耳の裏に駆逐艦主砲の12.7cmの口径を押し付けられている。
「さあ! ムダな抵抗をしてみなさい! その時その脳味噌をずたずたの……お前のドーナツで素敵なパーティをしてやる! なんとしてでも殺してや……やる、ッぽい!」
「言葉を選んでいるようで全然物騒さを隠せてないですよね!?」
通常、多くの艦娘と人間の行きかう鎮守府において、第一種、つまり、完全な戦闘態勢でいる事は許されていない。即、素敵なパーティものの重罪である。組み伏せられている青葉にしろ、古鷹にしろ、歴戦の重巡洋艦であってしても、たった二隻の駆逐艦に手も足も出ないのは当然の事だった。
夕立の声はぐもぐもとして、やや聞き取り辛かった。
ぐるぐると唸っているのは、もしかしたら、目の前にある青葉の柔らかなうなじに、かぷかぷと甘噛みをしたいと思っているからかもしれなかった。けれど、彼女には硬く冷たい口枷が嵌められていて、それは到底かなわない。がちがち何度も歯を噛み合わせていて、よだれがだらだらと首元のマフラーを濡らしていた。
時雨はその後ろから、鉄の拘束具の隙間に指をひっかけて、くいくいっと軽く引いて夕立を諫めている。
あちこち跳ねた黒髪と、ぬうっと色濃く浮かんだ眼のくまは、酷く寝不足のようでもあり、そのじとっとした粘性のまなざしが、床の上の二人のどちらかを見下ろした。
まいったな、いったい、悪いやつはどっちだったかな……というような視線でもあった。
「ごめんね、騒々しくして。あっ一応いくつか応答があるんだ」
「はい。わかりました」
「助かるよ。あー、目標を確保。あー、時間は……適当でいいか」
表現のあからさまで直接的な夕立はもちろんなのだが、淡々とした時雨の口ぶりも、憐みどころか情がなく、心をどこかに落っことしてしまったようで、聞いていて青葉は背筋がぞわぞわするのを抑えられなかった。
「では、対象は逃げようとしたんだね? キミがそれを押しとどめていた」
「いいえ。違います」
「そう?」
「はい。青葉は、えん罪、ないしは互いの見解に違いがあって、それで」
「あー。いいよ、いいよ。別にそこまで……めんどうだし」
「そっ……そんな! そもそも、これは何かの間違いです! 青葉はそんな、悪い事なんて……!」
二人には権力の後ろ盾のある、立場が上に立ったもの特有の無遠慮な態度があった。
しばらくそうやって、公的な手続きにありがちな、長ったらしくて至極どうでもいいような問答があって(じゃあまず……艦齢を教えてくれるかな、えっ全長排水量はどれくらいあるの、彼女とかいるの、あっ髪切ったんだ?)、それらを終えると時雨は「ありがとうね」と適当に話を打ち切った。
床に目を下した。
「立ちなよ。……別に立たなくてもイイけど」
「ぽい!!」
慌てて青葉は立ち上がった。視線が泳ぐ。思わず、振り返って古鷹を探した。
彼女の酷く心配そうな顔があった。
何か言いかけたように口を開いて、そして……ずぼっと頭の上から小麦粉の袋を被せられた。
誰かの声が聞こえる。
怒鳴りつけてくる声も一緒に聞こえる。
「許可がでたらすぐ営倉に差し入れを持っていくからね!」
もごもごと自分にも聞こえない返事を繰り返した。返事どころか、被せられた袋がぴったりはりついてくるせいで息もままならなかった。
パンツ越しにお尻を何度も小突かれながら、部屋を出る音を聞いた。