いつもの行きまーす。
一瞬の暗転の後、視界が切り替わった先は細長い通路の途中であった。軽い酩酊感に頭を押さえながら蒼の薔薇の一行は、露骨に雰囲気が変わった岩壁の通路をきょろきょろと見回す。
「嘘ー、テレポーター?」
「聞いてなーい」
忍者姉妹が心外そうに顔を見合わせ首を振る。せめて責任を感じてる振りくらい出来ないのとラキュースが漫才を始めるのを横目に、イビルアイがため息をついた。
「しかし本当に集団を強制転移するとはな……アインズ・ウール・ゴウン魔導王の魔法の力は底知れん」
「おいイビルアイ、それよりここはどこか分かるか? 露骨に今までと雰囲気が違うし、階層が変わってるんじゃねえの?」
「そうだな……少し待て、見てみよう」
ガガーランの問いかけに頷くと、イビルアイは懐から懐中時計のような
「げぇっ……地下十階だと!?」
表示されたデータを見て思わず唸ったイビルアイの声を聞きつけ、漫才を中断したラキュース達が彼女の周囲に集まる。背後から時計を覗き込んで一様に顔を顰めた。
「地下八階から十階まで転移ですって? ……そんなの聞いてないわよ!」
ラキュースが唇を噛んで天を仰いだ。まあ、言ってないのだから当然だ。先程発動したテレポーターは、一行をこれから始まる
「ま、まあ愚痴ってもなかったことにはならねえだろ。とにかく出口に辿り着けるか、この先を見てみようぜ」
いち早く切り替えたガガーランの正論に頷くと、一同は探索を開始した。曲がりくねる細い通路の一方を選んでその先を辿っていくと、袋小路の行き止まりに辿り着いた。ティアとティナが進み出て、正面及び左右の壁から床に天井までぺたぺたと調べ回る。
「……隠し扉の類、なし」
「……罠の類、右に同じ」
それを聞いたラキュースが頷いた。
「そう、ありがとう。……こっちが行き止まりなら、反対側を確認してみましょうか」
反転して引き返し、ぞろぞろと反対側の先に向かうと、やがて通路の奥に見えてきたのは厳めしい門構えの頑丈そうな扉である。経験上、この先が玄室であればモンスターが配置されている可能性が高い。自然と沈黙の内に足音を殺した一同がゆっくりと扉の正面に近寄ると、てんでに武器を構えて呼吸を整える。
ラキュースが一同の様子を見回して頷くと、ガガーランにアイコンタクトした。ガガーランが頷いて、両手に
「ドラァッ……!?」
ともあれ、先手必勝である。突然の乱入に内部の者が驚くのであればもっけの幸い。そのまま吶喊して殲滅すべし。そのような目論見を頭の隅に描きつつも、計算と言うよりは本能に任せて雄叫びを上げながら突っ込んだ、否、突っ込もうとしたガガーランの動きが止まる。脇から左右に散ろうとした忍者姉妹の動きも以下同文。
部屋の奥には、一行と同数の生物が――否、生きてないから正確にはアンデッドが――居た。人間離れした巨躯を刺々しい漆黒の鎧に押し込め、その身長に負けぬ巨大な盾に半身を隠した死人の騎士が三体。そして、その隣に立つのは獣型のスケルトン……大型肉食獣の骨格標本めいた体の周囲を不気味に明滅する靄で鎧った骨の獣が二体。
目にした瞬間、筋肉が硬直し呼吸が止まり全身が総毛立つのを感じる。その身を委ねようとしていた獰猛な戦意がたちまち萎え、大型犬を察知した子犬のように尻尾を丸めて精神の奥に隠れていった。二の腕を鳥肌が覆うのを、ガガーランは他人事のようにぼんやりと眺めていたが。
「い、いかん、逃げろおおおぉぉぉ!!」
イビルアイの絶叫にはっと我に返ると、五体のアンデッドがゆらりと体を傾けるのを背に、入ったドアから飛び出してばたんと閉めた。とりあえずはこれで安全である。玄室に配置されたモンスターが扉の外まで冒険者を追いかけてくることはない旨、魔導王直々の説明で保証されていた。
「あ、あれ……何……?」
「……
冷や汗で全身を濡らしたラキュースがようやっとそれだけの台詞を絞り出すと、仮面の中に戦慄を覆い隠したイビルアイがそれに応えた。
「あれが、地上で見かけたのと同じだと……? 戦う気があるかどうかで、ああも違いがあるもんかね」
ガガーランが鎧の下で総毛だった鳥肌をさすりながらぼやく。市街に配置されたアンデッドは、アインズの強力な統制下において人間に威圧感を与えることの無いよう、立ち居振る舞いを徹底している。何よりも、戦闘を解禁されている
「どちらも魔導王が現れるまでは伝説の中でのみ語られるようなアンデッドだった。相手が一体だけ、つまり五対一ならば、我々の実力なら勝算もなくはないが……」
「現実は五対五」
「タイマン×五と考えても、イビルアイ以外全滅?」
そういう訓練を受けているからか、動揺をあまり表に出さないたちの忍者姉妹が言葉少なに現状を確認すると、イビルアイが頷いた。
「そうだな……まともにぶつかれば、あっという間にガガーランとラキュースが潰されて押し込まれ、複数にかかられては私も危ういな。狭い屋内のこと、
「とは言っても、反対側は行き止まりだぜ?」
ガガーランの指摘に、ティアとティナが肩を竦めた。
「手詰まり」
「これはもう、恥も外聞も捨てるべき?」
ティナが言った台詞は、降参して救援を要請しようという意味だ。アダマンタイト級冒険者チームとしては些かならず情けない話だが、玄室に突っ込んで玉砕するよりは遙かにマシだろう。眉根を寄せて一瞬躊躇ったラキュースは、すぐに切り替えて賛意を示すと虚空に向けて呼びかけた。
「……アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下! ご覧になっておられるのでしょう!? ギブアップです! 降参しますのでどうか救援を願います!!」
…………返事がない。まるで壁に向かって
「見てる筈……よね?」
ラキュースが不安そうに周囲を見回すと、イビルアイが同意した。
「その筈だが……嫌な予感がするな」
待っていても埒があくまい。そう言ってイビルアイは転移呪文を唱えるが、何も起こらない。半ば予想していたかのように、肩を竦めて言った。
「この階層には
「一人で逃げ出す気だったのか」
「ずるい」
「助けを呼びに行くためでしょ。こんな状況で茶化すのはよしなさい」
とぼけた声でからかうティアとティナを、ラキュースが黙らせる。それを無言で眺めていたガガーランが、やがて躊躇いながらも口を開いた。
「……このまま魔導王さんのアクションがなければ、俺たちに出来るのは突撃して死ぬか、ここで飢え死にするかの二択ってわけだ」
「……認めたくはないけど、そのようね」
「……まんまと乗せられちまったけどさ。王様が実は俺たちをここで人知れず謀殺するつもりだとか、そういう可能性ってあると思うか?」
「……そんな、まっさかー……」
ホホホ、と高笑いを上げてガガーランの懸念を笑い飛ばすラキュース。
場に沈黙が落ちた。
「ど、どどどどうしよう!? 私、この鎧が着られなくなる前に死ぬのは嫌よ!?」
「おいおい、おちつけリーダー……まだそうと決まった訳じゃ」
急に狂乱しだしたラキュースを、あれで恋人を作るつもりがあったらしいことに内心驚きつつガガーランが窘める。手伝って貰おうと仲間の方を振り返れば、跪いて祈りを捧げるイビルアイの姿が。
「……たすけて、ももんさま……」
うへぇ、こいつはもうダメかもわからんね。神頼みならぬ英雄頼みを始めたイビルアイを見てガガーランの胸中に黒雲が湧き起こる。ここで地の底の藻屑になるとしても、みっともない姿は晒すまい……そのように考えていると、通路の奥、行き止まりしかない筈の向こう側から足音がした。かっ、かっと、床の石を踏みしめる音、およびガチャガチャと金属鎧の慣らす音が連続的に聞こえてきて、一同は思わず顔を見合わせた。
人間の足音に聞こえるが、人型だからと言って友好的とは限らない。示し合わせたように立ち上がり、武器を構えて通路の奥に目を懲らす一同。
「――ああ、居た居た。探しましたよ皆さん」
「モ……」
だが、奥から姿を現した人影を見て、一同の顔に歓喜が溢れ出す。
「モモンさま!」
「それにナーベさん、ハムスケも……!」
「どうやらご無事のようで、何よりです」
どこまでも頼もしい漆黒の英雄とその相棒、僕の魔獣……チーム“漆黒”の姿を見た一同は、安堵の吐息をついたのだった。
◆
「なるほど……状況は大体理解しました。
簡単な状況説明を受けたモモンはひとつ頷くと、彼らの経緯についても説明を返す。魔導王の使いに呼び出され、火急の用事が入ったので後のことを宜しく頼むと突然言われて目を白黒させているところ、とりあえず現在位置を調べてみれば地下十階に居るらしい。蒼の薔薇の実力は確かなものがあるとはいえ、最下層の難易度は少々辛いのではと思って取る物もとりあえず駆けつけてみれば案の定……ということらしかった。
「申し訳ありませんね、皆さん。どうか魔導王陛下のことをあまり悪く思わないで頂ければ幸いです。何分、アダマンタイト級冒険者というものを
そう言って頭を掻いたモモンの台詞を聞き、一同は苦笑する。聞きようによっては、いやどう聞いてもかなり“蒼の薔薇”に対して侮辱的な内容だが、目の前の英雄の隔絶した実力を目の当たりにすれば怒る気も起きないというものだ。
「この階層は、玄室の守護者を撃破した後、先の通路に転移するか地上に戻る道を選ぶようになっています。では皆さん、ちゃちゃっと片付けて帰りましょうか」
とは言っても、まるで食後の散歩に行きませんかとでも言うかのような調子で伝説のアンデッドを片付けると言われればやはり驚きは禁じ得ない。かなり焦ったラキュースが、魔導王陛下に連絡してモンスターを下げて貰わないのかと問うと、モモンは首を傾げて言う。
「そうは言われましても。魔導王陛下の用事が片付くまで何時間かかるか分かりませんし、その間こんな所で待ちぼうけというのも気が滅入るでしょう? さっさと片付けてしまった方が早いですよ」
絶句する一同の様子に構うそぶりもなく、モモンは一つお願いがあるのですがと続ける。
「中は
ナーベが無言で頭を下げ、ハムスケがお任せ下され殿! と胸を叩くのを尻目に、蒼の薔薇の一同が目を剥いた。聞き違いでなければ、目の前の御仁は
「……モモンさ――ん、彼女達は自信がないようですので、私達だけでやった方が早くないでしょうか?」
呆気にとられる蒼の薔薇一同の様子をどう見たか、焦れたようにナーベが口を開いて言った。
「む、そうかナーベ? まあ、そうですね……何でしたら、皆さんには扉の外でお待ち頂くということでも結構ですが……」
本当は結構ではないのだが。その言葉には流石に反骨心を刺激された一同、倒せと言うのならともかくたかが一体相手に三十秒時間を稼ぐだけならなんとでも。ガガーランが俺の全力攻撃で十五秒稼ぐから、その隙をイビルアイにフォローして貰う形で大体なんとかなるだろうと言い、イビルアイはそれに同意した。
ここまでの流れがモモンの手の上である。ナーベにはわざと挑発的な台詞を言うよう予め仕込み済みである。どうせ仕込まなくても似たようなことを言いかねないのだ、いくら彼女が大根でも演技と看破される可能性は無いに等しい。ついて来てくれなければ困るのだ、英雄モモンの伝説を積み上げようにも目撃者が居なければ虚しいだけの自作自演なのだから。無論、ここでことさらモモンの偉業を積み増す必要は特にないのだが……殺すわけには行かないのだからせめて有効利用しようという、アインズの貧乏性が発露した企みであった。
◆
再びけたたましい音を立てて蹴り開けられた扉に反応し、先程のピンポンダッシュによって半警戒態勢を維持していた
モモンの右手に握られた大剣が弧を描いて振り抜かれ、彼の長身と刃の長さが作る高さが
それ以上その
上下に分断して上半分を切り飛ばし、そのままの勢いで
首が千切れかけた
「
人間であれば、生物であれば間違いなく致命傷である。それどころか
その間、
――そして、いよいよ全力の無酸素運動に限界が訪れ、致命打どころかろくに相手にダメージを通せなかったガガーランは、それでも満足そうに全身を貫く倦怠感に身を委ね、最後の一撃を振り抜いたまま硬直して息を継いだ。自分のやるべき事はやった、後は任せたイビルアイ――
「――って、おいぃぃいいいいい!?」
ところが。自分の硬直に割り込む形で
骨にヒビくらいは入ったかも知れないが大丈夫、傷は浅いと自分を慰めたガガーランは、地面に転がりながらようやく我に返ったらしいイビルアイが眼前に迫る
回転しながら飛んできた黒い大剣が、床の石畳に食い込みながら
残る一体、もう片方の
しかし。
実際の戦闘は、そのようなモモンの予想を覆す形で推移した。爪と爪が打ち合い、尻尾と尻尾がぶつかり合う。激しくも原始的な攻撃の応酬が互いの間で繰り広げられるも、その内実はやや格下と見られたハムスケが
「むっ、ここで<要塞>でござる! そして反撃の<斬撃>でござる! それ、そうれ!」
武技である。ハムスケがたゆまぬ修業――合間合間に食っちゃ寝していたような気はするが気にしてはいけない――の賜物により習得した、<斬撃>及び<要塞>のそれぞれ攻防における基礎の基礎と言ってもいい初歩の武技。それが、ハムスケの攻撃力を
「ハムスケ、援護するから注意して!
「了解でござるナーベ殿……っととぉ!!」
「――ご苦労、ハムスケ! 後は私がやる、下がれ!」
「合点承知でござる、殿!!」
危なげなく更に数合、
大剣を鋭く振って、剣に付着したゴミを吹き飛ばし佇むモモン。その背後に歩み寄ったナーベが心得た表情で大剣を受け取り、漆黒の戦士の背につけ直す。その姿を、“蒼の薔薇”は圧倒された面持ちで見つめた。
「凄い……殆ど一人で片付けてしまった……」
「あれについていくハム公にナーベも、ただ者じゃあねえな」
「さすがはももんさま」
口々に称賛の声がかかり、モモンは頭を掻いて振り返る。
「さて皆さん。中に設置された二つの転移門のうち、右の方から帰れますので行きましょうか」
久しぶりにこの姿で暴れられ、いいストレス解消になったな。内心そのような他愛ないことを考えながらも、モモンは感嘆の眼差しで自分を見つめてくる“蒼の薔薇”の一同にそう声をかけたのだった。
《
魔力系第一位階魔法。
使用者の現在位置を、迷宮入り口を基点とした相対距離で表示する。用途はマッピングの補助、回転床通過後の位置確認、ランダム転移後の位置確認など。
なお、オートマッピング導入作ではゴミとなるかと思われたが……記録されたマップを表示するための魔法として華麗に転生した(自由にマップを見ることができないとも言う)。