オーバーロード P+N シャルティアになったモモンガさん   作:まりぃ・F

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第6話 月の女神

 ガゼフはモモンガとの会談に使用した家を本部とし、情報の収集と指揮に努めていた。今も矢継ぎ早に命令を出している。広場にはかがり火が焚かれ、その周囲の建物を障害物にした防衛線が敷かれていた。

 取りうる作戦はいくつかあったが、ガゼフは村で迎え撃つことを選んだ。あまり得策とは言えなかったが、この闇では騎馬で突撃して包囲を突破するのもむずかしいだろう。

 

「姫……今からでも、脱出されませんか」

 

 副長が何度目かになる提案を口にした。魔法をかけ終わったモモンガがそちらに向き直る。

 モモンガが行っていたのは、バフによる兵たちの強化だ。剣への魔力付与や防御の魔法、身体強化に耐性向上など様々な支援を受け、その戦闘力は格段に上昇している。

 さすがに一度で全員にかけるのは無理なので、いくつかの隊に分けて行われていた。それがようやく終わったところである。

 

「そのようなわけにはまいりません。それにどのみち、もう遅いでしょう」

(まあこっちにも思惑あるけどね)

 

 敵の正体は、スレイン法国の特殊工作部隊らしいということだった。目的はおそらくガゼフ・ストロノーフの抹殺。どうしてこんなに面倒なやり方をしているのかモモンガにはわからなかったが、現地の事情というものなのかもしれない。

 村を襲った騎士たちの目的もガゼフの誘い出しだが、出撃にあたりずいぶんと王国貴族からの横やりが入ったようだった。兵の数を削られたり魔法の装備の持ち出しに制限を受けたりと、皆が散々愚痴っていたのである。

 本来なら他国の人間に話すようなことではないのだろうが、よほど腹に据えかねていたのだろう。あるいは、それほど心を許しているということなのかもしれないが。

 

(どこにでもそういう連中っているよなぁ)

 

 おそらく自分たちの国が無くなるかもしれないとは、まったく考えていないのだろう。それとも、王国がどうなっても自分の領地は大丈夫だと思っているのか。

 いずれにせよモモンガの王国に対する評価はだいぶ下がっていた。ガゼフの話を聞くかぎり王はそう悪い人物ではなさそうだが、いまいち国をまとめきれていない。

 

(ぷにっと萌えさんがいたら、嬉々として悪巧みしそうだよなー)

 

 もっとも、今のモモンガのような放浪者にとっては、そういった乱雑な状態は必ずしも悪いことではなかった。かえって法国のようなまとまり過ぎた、戸籍が完備し冒険者もいないところは暮らしにくいだろう。

 

(それにしても、どの程度かな)

 

 周辺の人類最強国家が所有する特殊部隊、その強さにはおおいに興味があった。信仰系魔法詠唱者の精鋭の実力とは、どんな魔法を使ってくるのか、それはこの世界の強者の力をはかる指標になるだろう。

 実のところ賢明な策をとるなら、ここは逃げて安全な場所から観察すべきだった。命をかけてまでガゼフたちに協力する義理は確かにない。

 

(けど、ちょっとくらいなら手助けしてもいいよね。まあ……)

「いざとなれば、逃亡させていただきますから」

 

 それはモモンガの本心だったが、まわりはそうは取らなかった。一緒に戦うための、自分たちに気を使った建前と考えたのである。そんな敬意まじりの視線を面映ゆく感じながらも、モモンガは椅子から立ち上がった。

 

「それでは、準備も終わったことですし、そろそろ始めましょうか」

「はい。では姫、合図をお願いします」

 

 ガゼフの言葉にうなづいた姫君は、部屋にいたすべての兵を引き連れて表に出た。かがり火があるとはいえ、外は暗い。しかし暗闇は、モモンガの、そしてシャルティアの目には何の障害にもならなかった。

 シャルティアの紅い瞳に、自分たちを取り囲む敵の姿が映る。魔法詠唱者らしき比較的軽装の人間たちと、召喚されたとおぼしき天使たちが。

 

(あれって炎の上位天使……だよな、ユグドラシルと同じに見えるけど)

 

 モモンガの脳裏に、ゲームで見たモンスターの姿が浮かんだ。

 敵はほぼ等間隔で円陣を組んで迫って来ている。完全に囲まれてはいるが包囲に厚みは無く、騎馬で突撃すれば突破は容易に見えた。しかし簡単にそんな事を許すほど愚かな敵とは思えない。そうなっても対処できるのか、罠を張って待ち構えていると考えるのが自然だ。

 それを逆手に取って自分を囮にして皆を逃がす策をガゼフが提案したが、部下全員から反対された。

 

「シャルティア姫を危険にさらす気か」

 

 こうガゼフに叱咤され答に詰まったものの、当の姫君がともに戦う事を宣言して今に至っている。高潔で勇敢な姫のおかげで戦士長とともに戦えることとなり、その人気は崇拝の域にまで達しようかというほどだった。

 モモンガはひとり歩いて広場の中央で立ち止まる。直衞をつけるというガゼフの申し出は、前線にひとりでも多くの兵が必要だろうと断った。

 

(結局、敵の先制はなかったな)

 

 よほど戦力に自信があるのだろう。しかしその計算にはモモンガの支援は入っていないはずだ。さて、いったいどのような結果になるのか。モモンガは開戦の合図となる魔法を唱えた。

 

「〈光の庭〉」

 

 村全体が真昼のような明るさに包まれた。

 

 

 

 

 この光系魔法は、フィールドにかけるタイプである。〈持続光〉などと違い光は移動させることは出来なかったが、一定のエリアを昼のように明るくすることが出来た。

 しかし、ゲームでこの魔法が使われることはめったになかった。ユグドラシルにおいて、視覚もしくはそれに類する感覚の確保は最重要といえる。故にほとんどのプレイヤーは自力で特殊能力やアイテムなどで対策していたのだ。

 しかしガゼフ隊にはそのような備えはない。だからこそ有効な支援となった。

 一方、陽光聖典は魔法で暗視の効果を得ている。そして逆にそのために、周囲が真昼のように明るくなるという変化に気がつかなかったのだ。

 その魔法の発動を合図にして、守備側が全軍一斉に攻撃を開始する。結果、ガゼフ隊が先手を取ることになった。

 

「なにっ!」

「なんだと!」

 

 目眩ましのような効果があったわけではないので、奇襲というほどではない。それでも数で劣るガゼフ隊にとっては、機先を制したことは大きかった。敵が前衛に出していた天使たちに、次々と斬りかかっていく。いくつもの刃が天使に食い込み、中には致命傷を負って消滅するものさえいた。

 

「馬鹿なっ!」

「なぜだ!?」

 

 今度はさすがの陽光聖典も混乱している。天使には、魔力などのこもっていない武器への耐性があるのだ。魔法の武具が配備されていないガゼフ隊では、武技の使えるガゼフ以外は対抗出来ない。そのはずだった。

 しかし現実に天使は傷ついている。ニグンは自分の計算が大きく狂っていることを悟らざるを得なかった。

 

「た、隊長!周囲が明るくなっています!」

「なんだと!」

 

 部下の報告にニグンは慌てて暗視の魔法を解除する。するとその目の前には、報告通りまるで昼のような光景が広がっていた。ただし村の中だけが。

 村の外は夜の闇が支配しているというのに、中だけ切り取ったように明るい。それは異様な光景であった。普通の人間であれば驚き恐れるだけだったかもしれないが、ニグンはむろん違う。陽光聖典の隊長として、こういった不可思議な事態でも様々な経験を積んでいた。

 

(魔法かマジックアイテムだな……やはり魔法詠唱者か。先程のあれは、エンチャントだろう)

 

 冷静に事の次第を見極める。その考えを裏づけるように、魔法の矢がいくつか視界を横切った。

 

「敵に魔法詠唱者あり。皆に伝えよ」

(しかしいったいなにものか?)

 

 傍らの部下に命令しながら、さらにニグンは思考を巡らせる。ガゼフ隊に魔法詠唱者がいないのは確かだ。一番あり得るのは冒険者だろうか。

 しかし冒険者は人間同士の、増してや国が関わるような争いに参加することを好まない。これは冒険者の組合の方針でもある。

 それでも首を突っ込んでくるものたちはいた。ニグンは頬をはしる傷痕に触れながら、かつて自分たちを敗走させた王国最高位冒険者のことを思い出す。

 

(いや、それはないな)

 

 あの連中の動向には注意を払っていた。こんなところにいるはずがない。となると、たまたま居合わせたものが巻き込まれたのか。いずれにせよ、まだ隠された戦力がある可能性も高い。

 もともと双方の人数はほぼ互角だった。しかし天使を召喚できる上に魔法が使える陽光聖典が、戦力的にははるかに上である。

 しかもニグンにはまだ切り札があった。懐に納めたそれを頼もしげに押さえて、心を落ち着ける。

 戦況をより見極めるために移動しつつ、ニグンは敵の作戦について考えていた。

 

(目標は……私だろう)

 

 敵は現状、包囲陣のいくつかの場所に集中的に攻撃を仕掛けている。バラバラの、それぞれ離れた場所だ。包囲を崩せないゆえに、攻撃地点に隣接する隊員は援護しか出来ない。そのため各地点の攻防は、ガゼフ隊がやや押しぎみに進めていた。

 

(部下を足止めしておいてからの、ストロノーフみずからによる突撃……か? しかしそれでは足りんぞ。いや、まだ何かあるのか)

 

 

 

 

 

 

 天使の降り下ろした剣を受け止め、弾き返す。そこに同僚の一撃が脇から叩き込まれ、切り裂かれた天使は光の粒子となって消滅した。

 しかし息をつく暇もなく、後方にいた陽光聖典隊員から〈衝撃波〉の魔法が飛んでくる。かわせずに食らってしまうが、何とか倒れることなくこらえた。

 その光景を見た術者が眉をひそめる。先程から感じていたことだが、敵の戦士たちに防御系の魔法がかけられているのがはっきりと判ったためだ。舌打ちをこらえ、倒された天使の替わりを召喚する。自分に向かって来る戦士たちの姿が見えたが、隣から援護に寄越された天使たちがいれば問題ないだろう。

 そんなことを考えた矢先に、〈魔法の矢〉が飛来して前に出した天使を貫いた。

 

「なにっ!」

 

 一瞬で消滅した天使の向こうから、敵兵が飛び込んでくる。あっという間に肉薄した戦士が突き出した剣が、真っ直ぐに急所を狙ってきた。辛うじて身をひねってかわしたが、掠めた刃に切り裂かれる。

 軽装とはいっても、防護の魔法でそこいらの金属鎧より防御力は高いはずだ。やはり敵の武器は魔化されている。それに防御の魔法といい、敵の魔法詠唱者はかなり優秀だと思われた。もしかすると、まだ何かあるのかもしれない。

 脇にちらりと目をやると、援護の天使が他の戦士にブロックされていた。前に視線を戻しつつ、短剣を引き抜く。男は自分が不利な状況に追い込まれたことを悟らざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 また他方ではガゼフ隊の戦士が危機に陥っていた。魔法で動きを止められたところを狙われ、剣を取り落としてしまったのである。とっさに予備武器のショートソードを構え、突っ込んでくる天使に向けた。天使の剣は鎧の表面を削るに留まり、男の剣は見事に突き立つ。

 しかし食い込んだはずの刃は押し戻され、そのまま弾き返された。後にはほとんど傷痕も残っていない。

 

「くうっ!」

 

 続けざまに振るわれた天使の剣を、男は転がって何とか避けた。膝をついて立ち上がろうとした男の目に、落ちている自分の剣が映る。慌てて飛びついたところへ天使が剣を降り下ろした。

 脇腹に傷を負いながらも反撃を見舞い、辛うじて剣を取り戻して立ち上がる。傷は浅いが、もし防護の魔法が無ければこうはいかなかった。見れば天使にも今つけた斬撃の跡が大きく残っている。

 

(姫にはどれだけ感謝してもしきれないな)

 

 魔法による強化がなされていなければ、おそらく為すすべなく壊滅していた。それほどこの敵は強い。男は気力を振り絞って、ふたたび天使に斬りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニグンはようやく敵の魔法詠唱者が視認できるところまで移動した。魔法の的にならぬよう、距離は取っている。自らが召喚した高位の天使を盾に、そっと広場の方を覗き込んだ。

 

(む、ひとり……か? あの格好は……それに、子供?)

 

 魔法による支援の多さから術者は複数と踏んでいたが、どうやら違うらしい。距離があるため詳細はわからないが、その姿はドレスをまとった少女のように見えた。

 しかしニグンは気を引き締める。見た目が小さくとも侮れないこともあるからだ。陽光聖典を敗走させたあの冒険者パーティーの魔法詠唱者のように。

 

(まさかあれほどのバケモノではあるまいが)

 

 その脅威を推測しつつ、ニグンは戦況を眺めた。相変わらずガゼフ隊が優勢のようではある。しかしそう長続きはしないことをニグンはわかっていた。怪我、そして何より疲労が限界に近づいてきている。

 

「さて、どうするガゼフ・ストロノーフ。このままでは手遅れになるぞ」

 

 ニグンは小さく呟いた。まるでそれが合図になったかのように、二条の〈電撃〉が放たれる。ニグンの前方、その左右にいたふたりが、召喚していた天使ごと焼かれて倒れた。同時に広場を囲む家の陰から、騎馬の一団が飛び出す。

 

「いくぞ! 続けぇぇぇっ!!」

 

 ガゼフの号令に従って一斉に突撃してくる部隊を、ニグンは冷静な目で見ていた。群がってきた天使たちを一蹴しつつ進むガゼフたちだが、ニグンの顔に焦りの色はない。

 

「では、いくぞ」

 

 ニグンの周囲に、陽光聖典の隊員たちが次々と転移してきた。もはや包囲は必要ない。手の空いている隊員が集まって、召喚した天使で足止めしつつ魔法による攻撃を行った。主に馬に向かって。

 〈混乱〉〈恐怖〉といった精神異常系の魔法を受けた馬たちは、それでも臆することなく走り続けた。さすがにニグンも驚きの声をあげる。

 

「馬にまで魔法を?」

 

 その用意周到さに、ニグンは警戒感を高めた。もしかすると、こちらも形振り構っていられないかもしれない。

 

「天使たちを体当たりさせよ!」

 

 攻撃魔法に切り替えての集中砲火に、天使たちの突撃。ガゼフの部下がひとり、またひとりと脱落していく。しかしガゼフは止まらない。その姿にも動揺を見せず、ニグンは自ら召喚した天使を向かわせた。

 監視の権天使。視界内の味方の能力を若干向上させることができるが、自ら行動するとその効果は失われる。ゆえに本来なら動かさない方がいいが、ここが使いどころとニグンは判断した。

 他の天使とは明らかに格が違う存在を前に、ガゼフは眉をひそめる。全身鎧に身を包み、メイスとラウンドシールドを構えた姿は、威圧感に満ちていた。

 

(このままぶつかれば、馬がもたんな)

 

 そう考えたガゼフのもとに、またもや天使が殺到してくる。権天使までは、まだ少し距離はあった。しかしガゼフは決断する。

 一瞬で馬上に飛び上がると、鞍を蹴って天使たちに躍りかかった。

 

「武技〈六光連斬〉!!」

 

 あたりを切り裂くような気合いとともに放たれた一撃は、いくつもの斬撃に分かれてすべての天使を葬った。ガゼフはそのまま地に降り立つ。

 

「武技〈即応反射〉」

 

 着地したと思った瞬間、ガゼフはすでに一歩踏み出していた。着地の動作もなく、まるで大地に弾かれたようにしか見えない。

 

「武技〈身体強化〉」

 

 ガゼフはすぐさま疾走に移った。馬にも負けないのではないかというほどの速さで、権天使に迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 その様子を、モモンガは驚いた顔で見ていた。スキルでも魔法でもない、おそらくまったく別の何か。見たこともない技術に、モモンガは興奮を抑えきれなかった。

 

(武技、とかって言ってたよな? この世界特有のものか?)

 

 六つに分かたれた斬撃、崩れたはずの体勢を一瞬でキャンセルした動き、魔法のものにさらに上乗せさせた身体能力。似たようなものはユグドラシルにもあるが、それとは別ものだろう。

 

(うんうん、参加した甲斐があったなあ)

 

 モモンガにしてみれば、これを見れただけでもこの戦いの価値はあった。ただ、出来ればもっと色々見せてもらいたい。

 

(包囲も崩れたようだし、後はあそこが焦点だな)

 

 ついでにもっと近くで見せてもらおう。そう考えたモモンガは、ガゼフとニグンのいる方へ近づいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ!!」

 

 ガゼフと権天使が激突した。袈裟懸けに斬り下ろされる剣を盾が受け止め、横凪ぎに振るわれるメイスはバックステップでかわされる。ガゼフはもう一歩下がって、剣を握り直した。

 

(これは、強いな。闇雲に戦うだけでは……)

 

 周囲にはまたもや天使が集まりはじめている。後方の隊員たちも、魔法による援護の構えだ。あまりよい状況とはいえない。しかしガゼフは僅かに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 その様子を見ていたモモンガは、最後の策を実行に移すべく指令を送った。

 

(行け、敵のリーダーを討ち取れ)

 

 民家の扉が蹴破られ、黒い人影が飛び出す。それは一直線にニグンを目指して走り出した。

 

「来たか!」

 

 物音から、ニグンは敵の策が動き出したことを察する。すぐさま命令を下し、まだこの場にいない部下を呼び集めた。今度は、戦っているものも含めてである。

 突然目の前の敵が消えたのを見たガゼフ隊の兵は、何が起こったのか気がついた。満身創痍にも関わらず、慌てて駆け出す。敬愛する上司のために、たとえ少しでも力になろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 それが全貌をあらわにした時、陽光聖典のものたちが感じたのは恐怖だった。歴戦の猛者たちでさえ、足がすくんでしまうほどの。

 二メートルを越える身体に黒く禍々しい全身鎧をまとい、巨大な波うつフランベルジュとこれまた巨大で分厚い盾を構え。オープンフェイスの兜からのぞく顔は、人間のものではない。ほぼ腐り落ちた、骸骨も同然のものだ。眼窩の奥で、赤い光が妖しく輝いている。

 デス・ナイト。レベル三十五の、アンデッドモンスターである。

 そんなバケモノが、騎兵よりも速く、疾風のごとき速さでニグンへ迫った。群がる天使を蹴散らし、魔法の集中砲火をものともせず、標的を目指す。それを見たニグンの顔が、恐怖でひきつった。

 

 

 

 

 

 

 

 作戦実行に先立ちモモンガが作成したデス・ナイトを見たガゼフ隊の面々も、同じような表情を浮かべていた。例外はガゼフくらいだろう。実際のところ兵たちが逃げ出さなかったのは、目の前に「姫」が居たからこそ、そしてその「姫」がそれを呼び出した張本人だったからというのが理由だ。男というのは、美しい女性の前ではつい見栄を張ってしまうのである。

 それでも、デス・ナイトと行動をともにすることに不安を抱く意見が相次いだ。それを聞いたモモンガは、デス・ナイト、さらにアンデッドの有用性について熱弁を振るった。

 小さなこぶしを握り締め、時に振り上げ振り回し、身振り手振りを交え熱く語る姫君。ちょっとむきになって子供っぽく見える可愛らしい姿を、その意外な一面を皆温かく見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヤツの足を止めろ! 最高位天使を召喚する!」

 

 ニグンはついに最後の切り札の投入を決意する。その言葉に生気を取り戻した隊員たちは、天使に命令を下した。デス・ナイトに向かっていく天使を見ながら、ニグンは淡く輝く水晶を取り出す。そのアイテムに、モモンガは見覚えがあった。

 

(あれは魔封じの水晶? ユグドラシルのアイテムもあるのか)

 

 それは、中に魔法を封じ込めて誰にでも使えるようにしたアイテムである。神官長から与えられた法国の至宝を、ニグンは誇らしげに掲げた。

 使用を妨害することも出来たが、モモンガはあえて見送る。言うまでもなく、どうなるかを見極めるためだ。たとえ最高位の熾天使が召喚されたとしても、さほど問題はないだろう。

 そしてその瞬間は訪れ、ニグンの手の中でクリスタルが砕け散った。敬虔なる神のしもべが、神の御使いの降臨を告げる。

 

「出でよ、威光の主天使!!」

 

 天に大いなる輝きが生まれた。その姿は、光輝く翼の集合体。あとは、翼の間から生えた二本の腕が王笏をかまえているだけである。

 それは、異形であった。そして同時に聖なるものでもあった。陽光聖典のみならず、ガゼフ隊も畏敬の表情で天を仰ぐ。ガゼフすら例外ではなかった。

 立ち込める聖なる気が、辺りを払う。デス・ナイトがぐらりと傾いだ。落ち着きを取り戻したニグンが、最高位天使を動かす。

 

「〈善なる極撃〉を放て」

 

 それは奇跡の御技。人類の限界と言われる第六位階を越える、第七位階に属する究極の魔法。かつて世界を席巻した魔神すら葬った、絶対の一撃。

 デス・ナイトが光の柱に包まれた。滅びの光の中で、咆哮をあげる。薄れていく光から姿を現した死の騎士は、満身創痍となって膝をついた。それを見た陽光聖典の間から歓声が沸き起こる。

 しかしニグンは、一撃で消滅しなかったことに驚いていた。これがデス・ナイトの能力。どれ程大きなダメージを受けても、HP1を残して立っていられる。逆に言えばそれしか残っていないということだ。

 天使の剣を浴びて、あっけなくデス・ナイトは崩れて消滅する。陽光聖典は最高位天使を讃え、ガゼフ側の士気は地に落ちようとしていた。ひとりを除いて。

 シャルティア・ブラッドフォールンは、恐れる様子もなく、まるで庭園を散歩でもしているような気楽さで歩いて来た。さした傘をくるくると回しながら、のんきな雰囲気で。

 その顔を見た瞬間、陽光聖典一同は絶句した。あまりの美しさ、そして可憐さゆえに。この場の空気にそぐわなすぎるために。

 

「姫! 危険です! お下がりください!」

 

 思わず見とれていたニグンたちを正気に戻したのは、皮肉にもガゼフの叫び声だった。遅ればせながらニグンは、この少女の服装が広場にいた魔法詠唱者と同じではないかと気づく。僅かに警戒心が生まれ、眉を寄せた。

 

「そこで止まれ。何者か」

「はじめまして、スレイン法国の皆様。こちらはしがない旅の魔法詠唱者にて、シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンと申します」

 

 鋭く誰何するニグンを前にまったく緊張する様子も見せずに、少女は優雅に一礼する。このような状況に置かれても恐れも何もない、自然体の振る舞いにニグンは警戒を強めた。

 

(なんだ? 王族か? ストロノーフは姫と言っていたようだが、王国にこんな姫はいない……他国か?)

 

 このような少女が近隣諸国にいれば、間違いなく噂になっているだろう。となると余程遠くから来たのか。

 

「御用件は? 命乞いでもなさるつもりかな」

 

 この場の主導権が自分にあると確信するニグンは、余裕の表情で問いかけた。むろんそのようなこと、聞き届けるわけにはいかない。しかしこの少女だけは殺すにはあまりに惜しい、とニグンですら思わずにはいられなかった。

 今、この少女の生殺与奪の権利は自分にある。ならば好きなようにしても構わないのではなかろうか。これまでの人生の中ではじめての欲求が、ニグンに生まれつつあった。

 

「いいえ、違います」

 

 柔らかな微笑みを浮かべたまま、シャルティア・ブラッドフォールンは穏やかに告げる。勘違いをしている子供を優しくただすように。

 

「なぜ、切り札を持っているのが自分だけだと考えているのですか」

 

 シャルティアが右手で持っている傘をひと振りすると、それは手の中で蒼銀の優美な剣に変わった。ニグンは訝しげな表情をつくる。

 

「まさか、それで戦うつもりかね」

 

 笑みを深めたシャルティアが左手を掲げた。その手にはいつの間にか、一本の瓶が握られている。クリスタル製らしき透明な、芸術の極みというべき意匠を凝らした逸品だ。中には薄いブルーの液体が詰まっている。

 

「こうするのですよ」

 

 瓶が放り投げられた。姫の頭上に舞い上がった瓶が、放物線を描き落ちてくる。それはシャルティアの目の前で砕けた、というより消滅した。

 今この時、この場にいるすべての人間の視線は美しき姫君に集められている。その目に、姫の前に生じた白い光が映った。光はあっという間に人の形へと収束していく。

 

「あれは!」

「ひ、姫なのか?」

 

 そこに立っていたのは、白き姫君。輝く純白のドレスを身にまとい、淡く煌めく白い肌と髪をした、そして身につけたものすべても白い存在。色以外はまったく同じ形をした、純白のシャルティア・ブラッドフォールンだった。

 

 

 

 

 

 

 ニグンが主天使を召喚した直後、モモンガはすでに動き出していた。

 

「〈時間停止〉」

 

 その瞬間、世界が凍りつく。風すら止まった風景の中、モモンガは辺りを見渡して他に動くものがいないことを確かめた。主天使も固まっている。やはりと言うべきか、対策、耐性のあるものはいないようだ。

 

(無防備すぎるよな、この世界)

 

 モモンガにしてみればありがたいので、文句を言うつもりはないが。

 こうして時間を得たモモンガは、主天使への対策を考え始めた。正直、モモンガにすれば相手に不足がありすぎるが、他に何とか出来そうなのはデス・ナイトを含めていないため、自分がやるしかない。

 とはいえあまり目立つのも何なので、ここはアイテムの力ということにするつもりだ。モモンガは香水用の瓶を一本選ぶと、魔法〈上級道具破壊〉に時間遅延を施してから掛ける。

 

(あとは何を使うか……〈暗黒孔〉〈現断〉〈無闇〉あたりで一撃に……あるいは〈第十位階怪物召喚〉でもっと強いヤツを……)

 

 出来れば上位のアンデッドをぶつけて、その有用性を示したい。しかし何故かいまひとつアンデッドは評判がよろしくなかった。

 

(便利なのになぁ。となると、もっと見栄えのいい……)

 

 まあ確かに天使対アンデッドでは、こちらが悪者に見えなくもない。子山羊あたりならウケを狙えるかもしれないが、ここは美しさ優先でいくべきだろう。

 

(そうだな、一番美しいのを……)

 

 モモンガは、自分の知るかぎりもっとも美しい姿を思い浮かべた。満足気にうなずくと、最後にもう少し準備を済ませて時が動き出すのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 エインへリアル。それはモモンガではなくシャルティアのスキルである。効果は、自分のコピーを造り出すというものだ。アイテムは持たず、魔法や一部のスキルは使えない。しかしそれ以外は作成者と同じスペックを誇る。

 今のモモンガのコピーであれば、その戦闘力はワールドチャンピオンすらしのぐだろう。

 もちろんその強さは、知らぬものにはわからなかった。

 それでも、まるで姫君を守るために女神が降臨したような光景は、王国側の士気を高める。

 

「な、なんだ、あれ」

「天使……いや、女神?」

「月の女神様だ……」

 

 絶望に沈みそうになっていたガゼフ隊の戦士たちは、希望に力を得て踏みとどまった。あちこちから歓声が上がる。しかし純白のシャルティアがもつ荘厳な雰囲気のためか、あまり騒ぎ立てようとはしなかった。

 逆に、女神に向けて静かに祈る。自分たちを守るように立つ、気高く勇敢な姫君の無事を。

 

(女神様、どうか姫をお守り下さい)

 

 その祈りに応えた訳ではないが、エインへリアルが動き出した。それを見たニグンは声を張り上げる。

 

「愚かな! 最高位天使にかなうものなどいるはずがない!」

 

 強い言葉は不安の裏返しだ。ありえないと思いつつ、何故か打ち消すことが出来ない。

 

(あれは何だ! なんなのだ!)

 

 白い少女を見ていると、不安ばかりがつのった。それを必死に振り払う。結局ニグンは先程デス・ナイトを葬った神の奇跡にすがった。

 

「もう一度だ! 〈善なる極撃〉を放て!」

 

 主天使の笏が砕け、破片が円を描いて自身を取り囲む。それは、一度だけ使える魔法の威力を強化するためのスキルのエフェクト。ニグンの望みを受けて、最強の一撃が放たれる。

 エインへリアルは、天を衝く光の柱に包まれた。しかしその中で、少女の姿をしたものは小揺るぎもしない。光が消えたあとから現れた姿は、何も変わって見えなかった。

 

(馬鹿な! 効かぬはずが、はずがない!)

 

 先程のアンデッドと同じように、立っているのもやっとに違いない。部下も同じことを思ったらしく、天使たちが殺到した。

 何本もの剣がエインへリアルに突き立てられる。しかしまったくダメージを受けた様子がなかった。群がる天使たちを剣のひと振りで全滅させると、輝く少女は空を駆け主天使と対峙する。

 白く輝く美しき月の女神と聖なる威光あたりを払う主天使。その光景を見つめるものたちは、自分がまるで神話の世界に紛れ込んでしまったように感じていた。

 主天使が再び魔法を放つべく動く。しかし白い少女は一瞬にして距離を詰めていた。その場にいた誰もが全くとらえることの出来ない、転移のごとき移動である。

 天を指すかのようにかざされた白い刀身が、月の光を受けて淡く煌めいた。振り下ろされた剣は、切るというよりすり抜けるかのように通り過ぎる。綺麗に両断された主天使は、光の粒子となって消滅した。

 あまりにあっけなく訪れた終焉に、陽光聖典のみならずガゼフたちも呆然としている。ニグンは力なく呟いた。

 

「ありえない……こんなことが……あるはずが……」

(まさか、本当に女神だとでもいうのか……)

 

 ゆっくりと頭を振る。この結果を受け入れられずに、何度も。主天使を倒せる存在など、ましてやただの一撃で倒せる存在などいるはずがない。しかし、現実は覆せない。超越者、という言葉がニグンの頭に浮かんだ。

 

「それでは、これからどうなさいますか?」

 

 白い分身を従えた漆黒の姫君が、穏やかに問いかける。あれほどの偉業を成したというのに、表情はまったく変わっていなかった。まるで大したことでもないとでも言いたげに。

 それを見たニグンは、ついに心が折れた。叫び声を上げると、反射的にポーチから取り出したものを地面に叩きつける。

 微かな音をたてて砕けた玉から、濃い煙が勢いよく沸き上がった。それを見た陽光聖典隊員たちは、次々とニグンにならって煙玉を投げる。生じた煙は不自然なほどの勢いで拡がっていった。

 

「副長! 姫を守れ! 他は固まれ!」

 

 ガゼフの指示が一帯に響く。副長は手勢を率いてシャルティアのもとに駆けつけ、他のものは何ヵ所かに集まった。おそらく逃走を選んだと思われるが、ガゼフは油断なく構える。

 時間がたつと、煙はまたもや不自然なほどあっさりと消滅した。陽光聖典の姿はまったく見えない。

 

(何とか生き延びられたか。これもすべて姫のおかげだな)

 

 ガゼフの目には、喜びあう部下の姿が映っていた。それなりに犠牲者は出たものの、大いなる危地を脱してみな表情は明るい。ガゼフは礼を言うべく、シャルティアのもとへ歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 割り当てられた家に戻ったモモンガは、しっかりと閂をかけた。ガゼフたちは、まだ後始末に追われている。モモンガも手伝おうと申し出たが、最大の功労者に雑事はさせられないと、休憩をすすめられた。

 モモンガにしてみれば、疲労があるわけでもないし、睡眠を必要とはしない。しかしせっかくの好意を無下にするのも悪いと思い、ここは受け入れた。それに実のところ、都合がいい。モモンガはこれからする行動の計画を考えはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「追撃はないか……」

 

 ニグンは安堵の表情を浮かべて呟いた。思わず口に出てしまったのは、不安はないと自分に言い聞かせたかったからだろう。

 そんなニグンのもとに、部下たちがひとりまたひとりと集まって来た。確認してみたところ、あの場を脱出できたものはすべて揃っているらしい。錬金術製の煙幕の中でばらばらに逃げたにもかかわらずこの結果は、さすがに精鋭と言うべきであった。

 しかしニグンには、それももはやどうでもいい。部隊の再編の苦労について考えてみても、何も感じることはなかった。気力を根こそぎ奪われ、何もする気が起こらない。

 部下も同様だ。このあとの指示を問う声すら上がらないほどに。

 

「ずいぶんお疲れのようですね」

 

 その声が聞こえた時ものろのろと振り返るだけだった。しかし漆黒のボールガウンをまとった美しい少女の姿を認めた瞬間、一斉に後ずさる。

 

「どうやって……何の用だ……」

 

 我ながら愚問だとニグンは自嘲した。この少女ならば自分たちを簡単に見つけても不思議ではないし、用などひとつしかない。

 

「ちょっとマーカーを、ね。用はもちろん、後始末ですよ」

 

 漆黒の禍々しいオーラを揺らめかせながら、シャルティア・ブラッドフォールンが近づいてきた。それだけで、陽光聖典の隊員たちが次々に倒れていく。その光景を見たニグンたちには、なぜか確信できた。あれは死んだのだと。

 なおも悠然と歩いてくる姫君を前に、陽光聖典は恐慌状態に陥った。破れかぶれに殴りかかってくるもの、闇雲に魔法を放つもの、果ては逃げ出すものまでいる。

 そんな狂騒の中を、少女はまったく変わらぬ速度で歩いていた。近づくものは倒れ、逃げ出すものは魔法で撃たれ、降り注ぐ魔法の雨も意に介さない。

 

(あれは、魔法無効化能力……?)

 

 それを見ていたニグンは、あるモンスターの特殊能力を思い出していた。あれと同じように、耐えているのではなく無効化している。

 やがて少女はニグンの目前までたどり着いた。すでにニグン以外立っているものはいない。死を司る女神の前に、なすすべなく膝をついた。

 

「理解しましたか? 私に抗うことの愚かさを」

 

 あくまで優しげに、諭すように少女は語りかける。ニグンは自分の愚かさを骨身に染みて理解していた。絶対に逆らってはいけなかったのだ。この超越者には。

 その代償に自分はここで死ぬ。死を運ぶものの姿が、ニグンの視界いっぱいに映った。

 

(美しい……まさに、月の……)

 

 最後にニグンの心を占めたのは、その美しさだった。手が届くほど近くにいても、絶対に触れることはできない。まるで水面に映った月のように。

 その細い指が、ニグンの首にかかる。祈るように目を閉じたニグン・グリッド・ルーインの意識は沈みこんでいった。首筋への僅かな痛みとともに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星の瞬く夜空を、シャルティア・ブラッドフォールンは眺めていた。月明かりに照らし出される横顔からは、その内心を伺うことはできない。

 その背後で、ゆっくりと起き上がる影があった。姫君は振り向かない。近づいてきた影が、膝をつき臣下の礼をとった。そこではじめてシャルティアは振り向く。

 

「面を上げ、名のりなさい」

「は!ニグン・グリッド・ルーイン……いえ、洗礼名は捨てました。ニグン・ルーインと申します!」

 

 僅かに綻んだ口元から鋭い犬歯を覗かせ、ニグンは答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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