オーバーロード P+N シャルティアになったモモンガさん   作:まりぃ・F

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ごーめーんーなーさーいー


第7話 城塞都市エ・ランテル

 目の前で恭しく臣下の礼をとるニグンを、モモンガは注意深く見つめた。どうやら、その忠誠心に問題はないらしい。眷属との精神的な繋がりも、きちんとあるようだ。

 

(あんな演技までしなくてもよかったかなぁ)

 

 もしも忠誠が低めでも逆らわないよう、敢えて高圧的に振る舞ってみたのである。村を襲っていた騎士を使って実験しておけばよかったと思っていたが、大丈夫なようだ。そしてこんな事をした目的は言うまでもない。

 

「それではニグン、聞きたいことがあります」

「はっ! 何なりとお尋ね下さい」

 

 

 

 

 

 

 

「それはつまり、法国は王国を見限って滅ぼすことにしたということ? 」

「はい。躍進著しい帝国に併合させることによって、人類圏の強化を図るとのことです」

 

 ニグンの言葉にモモンガは考え込んだ。どうやら思った以上に面倒な事情に首を突っ込んでしまったらしい。

 

(人類の体制を強固にするための、犠牲か……)

 

 その理屈はモモンガにも分からないでもなかった。大を生かすために小を殺す、とはよく見聞きする言葉である。しかし、現実の世界では切り捨てられる側にいたモモンガにとって、あまり愉快なこととは言えなかった。しかもこういったことは、切り捨てる側に都合よく使われることもまた知っている。

 むろん簡単に判断を下せるものでは無いが、法国のトップにあまりいい感情を持つことは出来なかった。

 

(まあいいか、考えてもしょうがない。それよりも……)

 

「なぜ自分たちで占領しない? 」

「はい、直接聞いたわけではありませんので、私見もまじりますが……」

 

 ニグンの説明によると、占領後の隣接国が問題になるらしい。人間至上主義を掲げる法国にとって、異形が君臨する国というのは看過できないもののようだった。

 離れていればともかく、隣り合ってしまえば何らかの対応を取らざるをえない。しかしおそらくは法国をも凌ぐ強国と事をかまえるとなれば、ヘタをすると滅亡に繋がりかねなかった。

 

(だけどこのままじゃ、いずれそうなるんじゃないの)

 

 自身を至上のものとして妥協を知らなければ、他のすべてを滅ぼすか自らが滅びるかの二者択一になる。そしてなまじ力をつけるほど、その危険は高まっていくはずだ。

 

(まあ、一国の上層部がそんなことわかってないはずがないか。いや、それとも何か切り札でも持ってる? )

 

「それと、統治にかかる手間でしょうか。どう考えても人手も足りませんし」

 

 ガゼフたちが語っていたように、法国の統治システムはこの世界ではかなり高度なもののようだった。たとえ質を落としてみたところで、とても手が回らないのだろう。

 もっとも、モモンガにはあまり内政への関心はなかった。一番興味のある、そして大事なところに話を移す。

 

「あとは法国の戦力について、それとその他の強い存在についても」

 

 はたして自分にとって脅威となるものはあるのか。さらにこの世界の強者とはどの程度のものなのか。それ次第でモモンガの生き方に大きな影響が出ることは必至だ。ガゼフよりも詳しい話も聞けるだろう。

 

「やはり特筆すべきは、漆黒聖典でございます」

 

 それは、法国特殊部隊でも最強の、つまりは法国における最強の集団だ。数こそわずか十数名ほどだが、ひとりひとりがガゼフと同等、もしくは凌駕する力を持っている。隊長に至っては、その隊員たちが束になっても敵わないほどだ。

 

(隊長って、まさかプレイヤーじゃないだろうな)

 

 気になったモモンガは隊長の素性をニグンにいろいろ問い質してみたが、どうやら現地の人間らしい。しかし、神の血を覚醒させた神人と呼ばれる存在とのことだった。

 

(やっぱり神ってプレイヤー……だよな)

 

 ガゼフが表向きとはいえ周辺国家最強と呼ばれ、漆黒聖典がそれより少し強いぐらいとなると、この世界の人間の限界がそのあたりなのかもしれない。それならば、100レベルのプレイヤーが神と呼ばれるのも不思議ではないと思えた。

 

(そしてプレイヤーの血が混じると強くなる、とか)

 

 しかし、この世界の人間の弱さの原因が単にスペックが低いからか、いわゆるレベルキャップの問題か、あるいはレベリング効率のせいかはまだ判断がつかない。

 

(効率のいいモンスターの無限湧きとか、ないだろうしなあ)

 

 興味はあるが、そう早急に結論をもとめるものでもないだろうと、モモンガは考えを脇に追いやった。

 ちなみにニグンにはプレイヤーについての知識はないらしい。上層部もそうなのかはわからなかった。

 さらに続くニグンの話の中でモモンガが気をひかれたのは、やはりというべきか情報収集を行うものたちのことである。専門の部隊をいくつも揃えている法国の姿勢は、おおいに共感できた。

 かつてのユグドラシルにおいても、情報収集に抜かりがあると痛い目を見たものである。

 そして、各神殿の巫女たち。叡者の額冠と呼ばれる魔法のアイテムを身につけて魔力を増幅させることによって、高位魔法を使用する道具となったもの。

 元が低いため、増幅といってもせいぜい第六、七位階程度で、巫女の負担も大きいために連続使用も難しいそうだが、無視できない力だ。

 

「それと、これはあくまでそれとなく感じたことなのですが、何か切り札を隠しているのではないかと」

 

 ニグンは上層部との会話中の態度から推測したようだが、人かアイテムかもわからないという。モモンガは、これこそプレイヤーかと考えた。

 

(目立たないよう表に出ずに、国を隠れみのにして、とかありそうだよな~)

 

「周辺の国々についてですが……」

 

 ニグンが地図を取り出して広げる。モモンガは知らなかったが、この世界にしてはかなり精巧な出来映えのものだ。その都度地図を指し示しながらの人類外国家の話をざっと聞いて、ひとまず会話を終えた。

 こうしていろいろな組織の話を聞くと、やはりただひとり、この身ひとつで世界に放り出されたことは心細く思えてくる。どこかの国に仕えて保護を得ようかという考えも浮かんだが、後ろだてもない状態ではいいように利用される可能性も捨てきれなかった。

 

(ナザリックが一緒に来てればなぁ)

 

 一瞬そんな考えが頭をよぎるが、すぐに振り払う。仲間が居るならともかく、自分ひとりだけでは拠点を空けにくくなってしまい、籠りっぱなしになってしまうおそれがあった。モモンガとしてはこの世界を見てまわることを楽しみにしていたので、かえって足枷になりかねない。

 

(俺ひとりだけなら、逃げるも隠れるも自在だろうし)

 

 そう結論を出して思考を打ち切り、モモンガは改めて目の前で畏まっている男を見た。主が考え込んでいるのを見てか、何も言わずにじっとしている。

 

(話が終わったら処分しようかと思ってたけど、このまま使ってもいいかな)

 

 性格は真面目そうで、能力的にも知識を含めてなかなか優秀なようだ。これなら使い道も多いだろう。

 

(そういや名前何てったっけ? ニグン……なんとか、あ、ひとつ捨てたとかって。減っちゃって可哀想だな)

 

 代わりに何かつけてやるべきかとモモンガは考えた。せっかくなので、自分の名前からとってみることにする。

 

(アインズ・ウール・ゴウンはさすがにダメだな。となると、ブラッドフォールン……ブラッド……あ!)

 

 モモンガは、かつてオカルトに詳しいギルドメンバーが教えてくれたある名前を思い出した。吸血鬼の始祖とでも言うべき名前を。

 

「では、もう一度名乗りなさい」

「は! ニグン・ルーインにございます! 」

 

 シャルティア・ブラッドフォールンの表情が厳かなものへと変わり、漆黒のドレスを纏った小さな身体からはニグンが今まで感じたことのないほどのプレッシャーが押し寄せて来た。その重さに耐えかねるように、ニグンは思わず平伏する。

 

「わが名はシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン。そなたに新たな名を授ける。命名、ヴラド。これよりニグン・ヴラド・ルーインを名乗れ」

 

 美しく澄みわたりながらも威厳に満ちた声は、天啓となってニグンの身体を打ちすえた。ますますその身を沈めつつも、全身から堪えきれない歓喜の念があふれる。

 

「ははっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニグンはふと作業の手を止め、忌々しげに空を見上げた。だいぶ高くまで昇った太陽が、遠慮なく陽光を降り注がせている。

 かつてその名を冠した部隊を率いていた男は、吸血鬼となったことでいささかそれに嫌悪感を持つようになっていた。ダメージこそないものの、不快感までは払拭しきれない。

 今ニグンは主が振り撒いた死の後始末に勤しんでいた。物言わぬ骸となったかつての部下たちを、黙々と処分している。

 もっともニグンが行っているのは、使えそうな装備などの剥ぎ取りだ。消耗品など足のつきにくいものを、主からあずかった魔法の収納袋へと放り込む仕事である。

 ふと視線を地上に戻すと、ふたつの大きな影が目に入った。遺体の埋葬は、主の召喚したデス・ナイトの役目である。巨大な盾を使って瞬く間に穴を掘り、また埋め戻して踏みかためていた。

 この二体は、ニグンの作業の補助にと彼の主が召喚し指揮を譲り渡したものである。これほどのモンスターを事も無げに呼び出し、大したものでもないかのように下げ渡した主の力に、ニグンは改めて身震いした。

 

(いや、実際お嬢様にとっては、大したものではないのだろう)

 

 いろいろあって、ニグンからの呼称は「お嬢様」ということになった。その過程でなぜガゼフたちが自分を頑なに姫と呼ぶのか理解したモモンガが、ひそかに頭を抱えていたことをニグンは知らなかったが。

 この仕事ももうすぐ終わる。その次は、アンデッドの跋扈するカッツェ平野に赴く予定だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガゼフたち一行は、夜も明けきらぬ内から村を出発した。村人の生き残りは、村に一台だけあった馬車に乗せている。捕虜の騎士たちは当然のごとく徒歩だ。縛り上げられて数珠繋ぎにされている。

 歩けないほどの傷を負っていたものは、すべて斬られた。ガゼフ隊の戦士は、ヒールポーションのおかげで支障はない。

 ここで問題になったのは、姫君の処遇だ。歩かせるなどむろん論外、かといって狭い馬車に村人と一緒に押し込めるのも憚れるし、馬にも乗れない。誰かの後ろに乗せるしかないかとなって睨みあっていたところ、解決案は当の姫君から出された。

 

 

 

 

 

 辺境からエ・ランテルへと向かう街道の上を、騎馬の一団が移動していた。引き連れているのは一台の幌馬車と、歩かされている騎士の捕虜たち。そして一際異彩を放つ一台の車両。

 傷ひとつない漆黒の車体には金銀で見事な装飾が施され、車輪は軋む音もまったくたてず滑らかに回り、悪路にも関わらず揺れる様子もなく滑るように進んでいる。

 そして何より異様なのは、引く馬もなく馭者もいないのに動いていることだ。

 これこそは、モモンガがクリエイト系の魔法で造り出した自走馬車である。

 漆黒の姫君にふさわしい荘厳な佇まいの車両とそれを生み出した魔法には感嘆の声が上がったが、ひとつだけ皆が抱いた同じ感想があった。

 

(なんで馬がないのに馬車ってついてるんだ? )

 

 しかし、ちょっと自慢げに胸を張る姫君を前に、あえて突っ込みを入れようというものはいなかった。

 ただ、ここでひとつだけ騒動が持ち上がる。捕虜となっていたベリュースが、自分も乗せろと言い出したのだ。さすがにこの身のほど知らず過ぎる発言には、すべての人間があきれ果てていた。

 どうやらベリュースは、自分が重要な情報を持った大切な捕虜できちんとした待遇をされるべきだと思っているらしい。しかしそれは間違いだ。

 

(情報提供と引き換えに何か譲歩を引き出せるとでも思っているのか? 愚かな)

 

 ガゼフは心の中で吐き捨てる。おそらく自分に都合のいい未来だけを想像しているのだろうが、すでに彼らの行く末は決まっている、というより終わっているのだ。

 ベリュースにあからさまな欲望のこめられた視線を向けられ、シャルティアがうんざりしたように顔を背ける。ガゼフを見つけた赤い瞳が、助けを求めるように動いた。

 ガゼフはひとつ息をはくと、その大きな拳を固く握り締め足を踏み出す。言うまでもなく、力ずくで黙らせるためだ。

 

 

 

 

 

(やはり姫には話しておくべきだろうな)

 

 村を出発してからしばらく経って、漆黒の自走馬車と並走していたガゼフが、馬を馬車の側に寄せた。そして手を伸ばし、教えられた通りに内部に連絡をとるためのシステムを操作する。

 この馬車は、たとえ水中でも活動に問題ない完全密封型だ。窓は完全な透明化や内部からのみ見えるようになど様々に変えられる。今は壁と化して内外を遮断していた。

 外部から完璧に切り離された個室。その中でモモンガは一息ついていた。

 

(やっぱひとりは落ち着くなぁ)

 

 身体中の力を抜いて、背もたれに身を預ける。ついでに思いっきり気も抜いているが、決してだらしない姿勢にはならなかった。というより、この身体はどうやっても美しい、絵になるようなポーズをとってしまう。プログラムの影響は完璧なまでに細部まで及んでいた。

 

(なんというか……マンガかアニメのキャラにでもなった気分だよ。まあ、ありがたいけどね)

 

 うっかり変な、みっともない振る舞いをしてしまうようなことは、まずないだろう。よほど意識して、気合いを入れないかぎり、この影響から逃れることは出来なかった。

 

(ん?)

 

 コンソールからインターホンのチャイムが小さく鳴り響く。シャルティアの華奢な手がひとふりされると、モニターにガゼフの姿が映った。

 

「何か御用でしょうか」

「少々お話がございます。よろしいですかな」

「はい、構いませんが……止まりますか? 」

「いえ、このままで」

 

 シャルティアの手が壁にかざされると、すべての面に窓が生まれる。中からのみ見えるタイプのものだ。それでいちおう周囲の確認をしてから、軽く指を動かす。窓のひとつが下がって、外の空気が流れ込んで来た。

 漆黒の外壁の一部が下にスライドして開かれたのを見たガゼフは、その側に馬を寄せる。

 

「それで、お話とは?」

「はい、此度の件がどう処理されるかについてです」

 

 シャルティアの顔が、不思議そうに傾けられた。確かに今わざわざするような話ではないのかもしれない。しかしガゼフは続けた。

 

「あくまで帝国の仕業として扱われ、彼らは帝国の騎士として処分されるでしょう」

 

 いくぶん驚いたかのように、シャルティアの瞳がわずかに見開かれる。が、それ以上の反応は見せずに口を開いた。

 

「つまり、法国の関与は公表されない。いいえ、無かったことにされる、と。なぜなのでしょう? 」

「簡単に言ってしまえば、そうしたところで何の得にもならないからです」

 

 いちおう今までは、法国は直接的な敵対行動はとってこなかった。ここで非難してもあちらの態度を硬化させ、はっきりと敵対を表明させるだけだろう。むろんその魂胆は明白になったものの、表立って敵対されないだけでもまだましだ。

 

「少し弱気過ぎるのではありませんか?」

「いえ、他にもいろいろと」

 

 もし法国を敵とすることで国内がまとまるならば、それも手である。しかし、反国王派はここぞとばかりに国王の失策と非難するだろうし、当の国王派でも強硬派が騒ぎ対応を巡って分裂しかねなかった。

 

「何か、釈然としませんね」

「はい、ですが致し方ありません」

 

 ガゼフも悔しそうではあったが、この期に及んで王国には勝利も得もあり得ない。あとはいかにマイナスを減らせるかということでしかなかった。

 民の犠牲も足の引っ張り合いの道具にしかならない。ガゼフは、この国の行く末に暗然たる想いを抱かざるをえず、思わず目を伏せた。

 

(なんか落ち込んでるなぁ……うーん、ガラじゃないんだけど)

 

 わざわざこの話をしてくれたのも、後で処理を聞いた時に混乱しないようにとの配慮だろう。その気遣いへの感謝も込めて、モモンガはガゼフを元気付けようと口を開いた。

 

「ですが、私と出会えたことは幸運だとはお思いになれませんか」

 

 気休めかもしれませんが、と可憐に微笑む姫君の顔を眩しげに見つめ、ガゼフは力強く頷く。

 

「姫がいらっしゃらなければ、我ら全員屍を晒していたでしょう。本当に感謝しております」

 

 この出会いは、はたしてガゼフにとってどういうものだったのか。結局のところ、良かったとも悪かったともいえるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 進行方向の遥か彼方に、巨大な街が見えはじめていた。地平線の向こうから、少しずつその全貌をあらわにしていく。他の人間にはともかく、並外れた視力を備えているシャルティア・ブラッドフォールンの瞳にだけはその光景がはっきりと映っていた。

 

 

 

 

 

(あれがこの世界の大都市かぁ)

 

 一行は、すでに誰の目にも街の全貌が見えるところまで来ていた。モモンガも窓から身を乗り出すかのように顔を覗かせ、前方の光景を眺めている。

 馬車の中から見ているといささかゲームのような感覚にとらわれたが、頬に風を受けながらだとこれが現実のものであると実感できた。

 風を受けた銀色の髪が軽々と舞い、波うつ銀糸の上で陽光がきらきらと跳ねる。近くにいたものたちは、輝きの美しさに思わずみとれていた。そんな視線を気にもとめず、姫君の瞳は前にだけ向けられている。

 

 城塞都市エ・ランテル。王国が帝国及び法国と接する、つまり三つの国の中心に位置すると言ってもいい街だ。そしてそれ故に帝国の侵略に晒され続けている。王家の直轄地であり、領主ではなく国王が派遣した代官が統治を行っていた。

 

(うーん、何というか、風情があるって感じ?)

 

 確かにこの世界では大きな街なのだろうが、モモンガの暮らしていた場所に比べれば大したものではない。ましてアーコロジーのような巨大建造物を見慣れていれば、すべてが矮小に見えた。

 それでも何となく目を離すことが出来ない。ユグドラシル時代にこういった街を見たことはよくあったが、自然を感じながらだと趣が違うように思えた。何故かはわからなかったが。

 

(あれ、なんかいる?)

 

 モモンガは視界の隅に映ったものに意識を振り向けた。街道から少し離れた木々の影に、馬車と人影が見える。待ち伏せといった物騒なものでは無さそうだが。

 

「ああ、あれはエ・ランテルからの迎えです」

 

 それは、ガゼフが事前に使いを出して要請していたものだった。確かに捕虜をそのまま歩かせていると、要らぬ揉め事が起こりかねない。ガゼフたちは素早く捕虜を詰め込むと、速やかに出立した。

 

 

 

 ほどなく、一行はエ・ランテル外壁の正門まで辿り着いた。巨大な門は開け放たれており、脇に建てられた詰所の前に入場検査待ちの人々が列をなしている。ガゼフたちはそれを追い越して、ぞろぞろと門をくぐっていった。

 むろん止めるものなどなく、衛兵たちも敬礼して見送っていく。しかし、その視界にガゼフの後に続く漆黒の自動馬車が映ると、驚きに目を大きく見開いた。

 重厚にして優雅な車体は、エ・ランテル正門に詰めて久しい彼らですら見たことがないほど、見事なものである。さらに引く馬もなく動いているさまは奇妙ではあったものの、これならば仕方がないと納得させてしまうものでもあった。

 

「あ、あの、戦士長様、こちらはいったい……」

「うむ、途中同行することになった御方でな。身元の保証は自分がしよう」

「は、あの、いちおうお顔を拝見しても?」

 

 ガゼフは、わざわざ姫君に足労願うことにためらいを覚える。衛兵にしても別に王国戦士長の言葉を疑っているわけではなく、あくまで形だけにすぎなかった。ガゼフの様子からこれは何かあると察した兵は、そのまま引き下がろうとする。

 

「私は構いませんよ」

 

 突然の柔らかな声に、衛兵は驚いてそちらを向いた。見れば、馬車の扉がいつの間にか開いている。何の物音もしなかったことに戸惑う衛兵をよそに、中から漆黒のドレスをまとった少女が姿を現した。

 この日見た光景を、この衛兵は一生忘れることはないだろう。

 想像を絶するほどの美貌と立っているだけでも醸し出される気品、そして華奢な身体に不釣り合いな胸の膨らみは、その場にいた全てのものを魅了した。誰も抗うことなど出来はしない。もっとも見慣れているはずのガゼフですら、一瞬魂を奪われていた。

 我に返ったガゼフが、慌てて馬車に駆け寄ると手を差し出す。それを見た姫君はわずかにためらいを見せたが、おずおずとその小さな手を伸ばした。

 はにかんだ表情でガゼフに手を預けながら、馬車のステップをとんとんっと軽やかに降りる。まるで自身の重さなど存在しないかのように、静かでしなやかな足どりだ。しかしそんなことはないと主張するかのように、ふたつの膨らみが重たげに揺れる。

 

(しまったー! どんな羞恥プレイだよコレ。おとなしくしてりゃ良かったかー)

 

 地に降り立った女神が考えていたのは、こんな事だったのだが。

 

「こんにちは、シャルティア・ブラッドフォールンと申します。故あってストロノーフ戦士長様と同行させて頂いております」

 

 姫君は微かな笑みを浮かべ、優雅に一礼した。その丁寧な物腰に、衛兵は慌てて背筋を目一杯伸ばして敬礼を返す。

 

「は、はい!き、恐縮であります!」

 

 焦ってどもる衛兵の姿のどこがそれほどおかしかったのか、シャルティアは小さな手で口許を覆い、クスクスと笑い声を漏らしていた。そんな可憐な仕草と楚々とした姿に、衛兵の緊張は極限まで高まる。

 

「中の方もどうぞ」

「は、はいっ! 」

 

 姫君が馬車の方を見やった。その見目麗しい姿から視線を外すのは惜しいと思ったものの、役目もあるし馬車の内装にも正直興味はある。あの姫君を乗せてきた馬車とは、いったいどの程度のものなのかと。

 

「そ、それでは、失礼します」

 

 馬車に歩み寄った衛兵は、中を覗き込んだ。畏れ多くて、車内に足を踏み入れることなどとても出来ない。それどころか、車体に手を触れることすらためらわれた。頭だけを突っ込んだ状態で車内を見回す。

 

(す、すげぇ)

 

 衛兵は感嘆するほかなかった。そこには、男が今まで見たことも想像したこともないような光景がある。外装と違い白を基調とした優しく清潔な佇まいは、まるで異世界にでも迷い込んだように感じられた。

 調度類とて、想像もつかないほど値のはるものなのだろう、としか考えることが出来ない。サイドテーブルを覆うクロスの一枚を見ても、見事なまでの白さといい刺繍といいレースといい、自分の給金の何年分いや何十年かと思わずにはいられなかった。

 この純白の部屋でくつろぐあの姫君の姿、それは確かに絵になるだろう。

 

「どうかなさいましたか? 」

「い、いえ! ご協力ありがとうございました! 」

 

 自分では一瞬のことと思っていたが、どうやら随分見入っていたらしい。姫君に声をかけられ、衛兵は慌てて飛び退いた。

 ふたたびガゼフに手を預け、漆黒の姫君はまたしても軽やかにステップを踏む。衛兵はその後ろ姿を見送るのみだった。

 

(うわ、腰細ぇ! おっぱい後ろからも見えるじゃん、すげぇ!)

 

 顔が見えないせいもあってか、いくらか冷静にそのボディラインを観察出来たが。

 

 

 

 遠ざかっていく馬車を、衛兵は敬礼したまま見送っていた。姫君は窓から顔を覗かせ、隣を進むガゼフと何か話している。その美しい横顔を、飽きることなく見つめ続けていた。そんな視線を感じたのか、姫君が衛兵の方を振り向く。

 

(やべっ!)

 

 不躾な視線を送っていたと自覚している男は、緊張で身を固くした。貴族の不興を買って処罰を受けた平民の話はこの国では珍しいことではない。

 しかしシャルティア・ブラッドフォールンはその美貌に笑みを浮かべると、小さな手をヒラヒラと振ってくれた。思わず振り返しそうになる手を抑え、衛兵は敬礼している姿勢にいっそう力を入れる。

 

(うお、姫様いい方だー!)

 

 衛兵は感激しながら、馬車が見えなくなっても見つめ続けていた。そんな男のまわりに同僚たちが集まってくる。

 

「てめえ上手いことやりやがって」

「オレもお姫様とお話ししたかったぜ」

「キレーだったなぁ」

 

 冗談めかしてバシバシひっぱたいてくるが、やっかみまじりのせいでかなり強かった。しかしそんな痛みもまったく気にならない。浮かれ気分でへらへら笑うだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、失礼します」

「はい、お気をつけて、姫。またお会いいたしましょう」

 

 予定通りに、モモンガは途中で別れて冒険者ギルドへ向かうことにした。

 謝礼はとりあえずガゼフの権限で可能な限り渡し、後は都市長に会ったあと届けることになっている。王都についたら王家から追加を、という話は断っておいた。

 すでに報酬は十分受け取っている。実のところあの戦いの結果モモンガが得たものは、ガゼフたちが想像もつかないほど多彩であった。それに王家がらみとなると、いろいろ面倒くさそうである。

 

(そういうのに関わるには、まだ早いかなー)

 

 護衛兼案内として、ガゼフ隊からふたり同行することになった。この席を巡って熾烈な戦いが繰り広げられたことは、言うまでもない。勝者となったものは意気揚々と漆黒の自動馬車に従い、残りのものはいくぶん恨めしげに見送った。

 

 

 

 

 モモンガは、馬車の中から街の様子を物珍しげに眺めていた。大勢の人々が、街中を行き交っている。

 むろんモモンガが知っている混雑に比べれば、さほど人が多いというわけでもなかった。しかしこのあまりきれいとは言えない猥雑な光景は、人々が生きている証とも感じられる。

 たまに目につく使い方もわからない道具や、どうしてそうなったのか変な造りの建物。これらも、人々が生活してきた結果なのだろう。

 ゲームの中とは違う、確かに人々が生きている世界がそこにはあった。そしてこれからは自分もここで生きていくことになる。

 ちなみに当然馬車は街中の注目の的であった。ずっとあとを追いかけてくるものも少なくない。冒険者ギルドの前に到着した時には、思いっきり人だかりが出来ていた。

 ガゼフ隊のふたりが扉の脇につくが、これだけ人が多いと何かあるかもしれない。

 

(ギルドに入る前にトラブルとか、ゴメンだしな)

 

 モモンガは周囲の様子を探るために、魔法を使用した。周りの音を拾う、情報収集系の魔法である。

 

「〈兎の耳〉」

 

 シャルティアの頭の上から、ぴょこんっと可愛らしい兎の耳が飛び出した。それはぴこぴこと角度や向きを変えながら、収集を始める。

 ぴこぴこ。ぴこぴこ。

 

(どうやら、大丈夫そうだな)

 

 とりあえず、近づいて来ようとするものはいないようだし、冒険者ギルドの扉の内側近辺にも人は居なかった。モモンガは魔法を解除し、馬車の扉を開く。

 この場に集まった人々のほとんどは漆黒の馬車に興味を引かれたものたちだが、中には門でのことを知っている事情通もいた。そこから話は広がり、いやが応にも期待は高まる。

 どうやら降りたようだったが、馬車の影で見えない、と思った瞬間に漆黒の車体は消え失せた。その場に残された少女が、周囲を見渡しながらゆっくりと振り向く。

 人々のざわめきが、すうっと消えていった。あたり一帯を、痛いほどの静寂が支配する。

 噂などまったくあてにならない、そんなものを遥かに越えた女神のごとき姿に、すべての人々が息をするのも忘れるほどに見入っていた。

 表向き平然としてはいるものの、むろんモモンガは緊張している。動いていないはずの心臓が、激しく動悸しているんじゃないかと思えるほどだ。

 

(なかなか慣れない……けど、慣れてかなくちゃな)

 

 これからも注目を集めることは避けられないだろう。ならば慣れるしかない。

 漆黒のドレスをまとった少女は、冒険者ギルドの方へ向き直って足を踏み出した。その足どりはさながら女王のごとく、威厳と気品を備えている。

 

(さあ、いよいよだ。始めよう!)

 

 モモンガは、期待に胸をふくらませながら扉に手をかけた。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




エ・ランテル冒険者篇、始まります

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