絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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本編
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「うわあああ」

 輝日東高校へと向かう坂道で、一人の男子高校生がよろけた体勢のまま、しまりのない声をあげた。忍者のように気配を消して背後に近づいた女子高生が、彼に膝裏カックンを食らわせたのだった。

「にぃに、隙ありっ」

 女子高生くノ一は、得意げにピースサインをする。  

「なんだ、美也かよ。先に行ったんじゃなかったのかよ」

「へへ~ん。先に行ったと見せかけての待ち伏せ攻撃なのだ」

 わたしのフェイント、どうよどうよと、くノ一がうるさかった。

「我が妹ながら、ホントにしょうもないなあ」

 橘純一はため息をつきながら、その場にくノ一を残して歩きだした。

「あ、にぃに、待ってよ」

 橘美也は、すぐに兄の後を追った。

「お、朝っぱらから兄妹仲良くイチャついて、お熱いことだねえ。それでいつ結婚するんだい」

 輝日東高校の制服を着た女子高生がもう一人、純一にくっ付いてきた。

「なんだ、薫か」

「ああ薫だよ。あたしじゃダメなのかい。そりゃそうよねえ、いとしい妹様がいるんだから」

 そう言って棚町薫はヘラヘラと笑ったが、後ろで美也が鬼のような顔して睨んでいることに気づき、あわてて南西の空を指さした。

「あ、あそこにアダムスキー型の空飛ぶニャンコみたいなUFOが、焼きそば食ってるよ」

「うそ、どこ、どこだよ。見えないぞ」

 純一がバカ正直に探していると、薫は抱きつくように彼の腕を掴んだ。

「あははは、そんなのあるはずないだろう。ユーフォーが焼きそば食うかよ」

 底ぬけに明るい薫の笑いにつられて、純一も笑いだした。さらにその笑いに触発されて、薫の笑いが倍になった。二人は爆笑しながらじゃれ合っていた。

 そこに美也がツカツカと近づき、能天気に笑っている純一の尻をおもいっきり蹴った。

「うっわ、ってなにすんだよ、美也。痛いだろう」 

「こっのバカにぃに。イチャついてるのは、どっちだってさ」

 フンっ、と精一杯不機嫌な態度を見せつけて、美也は先に行ってしまった。

「なんか美也ちゃん怒らせちゃったね」

「なあに、いつものことだよ。帰りに{まんま肉まん}を買ってやるさ」

「あ、それ、あたしの分もよろしく」

「それはない」

 えー、ケチといいながらも、薫は純一とくっ付いて登校するのだった。

 

 橘純一と棚町薫は二年A組のクラスメートだ。二人が教室へ入ったときには、すでに始業時間間際だった。

「やっば、ぎりぎりになちゃった」

「薫とバカ話しながら歩いてたら、すっかり遅れちゃったよ」

 純一と薫は、急ぎ自分たちの席についた。窓側の最後列が彼らの縄張りだった。

「よう、大将。朝から夫婦漫才かい」

 純一の小学校からの友人である梅原正吉が、からかうように言った。

「そんなんじゃないよ」

 いつものように軽くあしらっていると、そこに一人の女子がやってきた。

「ねえ橘君。十文字君はまだかな」

 純一にそう言ったのは、絢辻詞だった。彼女はA組の学級委員をしている。

「さあ、わからないよ。また今日も遅刻じゃないのかなあ」

「そう。それは困ったわね」

 絢辻が心配しているのは、十文字隼人という男子生徒だった。責任感が強い学級委員の彼女としては、遅刻ばかりの同級生を気にしていた。担任からもそれとなく言われているので、なおさらだった。ちなみに十文字隼人の席は、純一の隣である。

「ケイタイにかけてみたら」

 横から薫が口をはさんできた。

「私、十文字君の番号知らないから」絢辻は首を振った。

「それだったら純一が教えてくれるってさ」

「いやまってくれよ。俺は知らないぞ」

「ええー、なんで知らないんだよ」

 薫は役立たずを見るような冷たい目線を飛ばした。純一は申し訳なさそうに首を横に振る。ならばと梅原を見た。

「いや、俺も知らないぞ。ってか、アイツ持ってないんじゃなかったけ」

「そんなのあり得ないじゃん、いまどき。原始人かって」

 四人が困った顔をして固まっていると、チャイムが鳴った。絢辻は仕方なく自分の席に戻った。それでもチラリチラリと振り返って、十文字の席を見ていた。

 ほどなくして担任が教室に入ってきた。二年A組を受けもつのは、高橋麻耶教諭である。今朝は昨晩の一人深酒により、少しばかり顔がどんよりしていた。前席の生徒が、本日の女教師の機嫌がどのあたりをさ迷っているのか、顔色をそうっとチェックしていた。

 朝礼が終わり全員が着席した。高橋担任がぐるりと教室内を見回した。

「また一人いないぞ。どうなってるんだあ」

 今日の機嫌は泥沼の岸辺をさ迷っているなと、前席の生徒は首をすくめた。

「学級委員は、昨日注意したんじゃなかったのか」

「すみません」

 絢辻が起立して謝罪した。じつは昨日の放課後に話をする約束だったのだが、十文字が一方的にすっぽかしたのだった。自分のミスでもないのに皆の前で叱責されて、絢辻は悔しくてたまらなかった。その利発で可愛らしい瞳がうるうるしていた。

「いやいや、学級委員の責任ではないから。悪いのはあの男で、絢辻さんはなんともないのよ」

 クラスの優等生に八つ当たりして泣かせてしまっては、担任としての評判が地に落ちてしまう。生徒たちに嫌われるのは本望でないし、あとあと教頭の耳にでも入れば面倒なことにもなるからだ。  

「はは、はは、はは」

 高橋教諭が笑ってごまかしていると、教室の後ろのドアが、たいへん申し訳ございません、とばかりにそうっと開いた。そして一人の男子生徒が無言で、お魚くわえた野良猫のような忍び足で、しかし教壇の方向にはけして顔を向けず、自分の席へと向かっていた。 

「は~い十文字君。おはようだねえ。そんなに急いでどこに行くんだい。まずは、この二年A組の担任たる麻耶先生に、なにか素晴らしいご挨拶があってもいいんじゃないかなあ」

 その男子生徒は立ち止まった。

「あ、お、おはようございます」

「あれ~、それだけかい。先生はもっと君の声を聞きたいのだよ。とくに遅刻の理由なんかをね」

 笑みを浮かべた高橋教諭の顔が、時間の経過ととも真逆の表情へと変化していた。これはマズい、シバかれると十文字は悟った。

「い、いや、あの、そのう、なんてゆうか吹雪がたいへんで」

「いまは冬じゃないぞ」

「ふ、吹雪で電車が遅れるみたいに、どういうわけか今日の電車が遅れてしまって」

「おまえは徒歩通学だろうが」

「徒歩というか、それはですね、あのう、ええっと、タヌキが、いや黒猫が目の前を通りすぎたとおもったらじつはハクビシンで、それはじつに複雑な出来事で簡単にいうと」

「一行で言え」と言って、女教師は手にした長定規を教壇に叩きつけた。

「はい、寝坊しました」

 教室の後ろで直立不動の体勢で固まる男子のもとへと、教師麻耶はツカツカと足音を立てながら近づいていった。そして手にした定規を彼のアゴに当てて、さらにそれをクイっと上げた。

「ああ~ん。寝坊しましたって、これで何回連続なんだ。おまえは眠り姫か」

 サディスティックな声が教室の中に響いた。これは朝から面白い見せ物だと、クラス中がワクワクしていた。

「す、すみません。づみません」十文字は、とりあえず謝ることに全力を出した。

 高橋教諭は輝日東高校の卒業生であるが、在校時代は最強の女ヤンキーだったとのうわさがあった。だから、ぶちキレたら流血沙汰になると、男子の間ではひそかに言い伝えられている。その伝説の真偽は定かではないが、酒場での酒乱っぷりを複数の父母に目撃されているので、あながち根拠がない事でもなかった。

「まあ今日のところは勘弁してやろう。私も鬼じゃないからねえ。だけど罰として、放課後に化学室と準備室の掃除だな。徹底的にやってもらうか。もちろん一人でな」

「えー、そんなことは」と言いかけた十文字の鼻先に、長定規がビシッと突き付けられた。

「文句あっか」

「いえ、ありません。がんばります」

 こうして、二年A組の朝の行事は無事に終わった。ほどなくして通常通りの授業が始まるのだった。

 






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