絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 待ち合わせをした楽器店の前に十文字はいなかった。寒い中で待っていたので、ひょっとしたら帰ってしまったのではと絢辻は心配になった。

「絢辻さん、こっちこっち」

 自動ドアが開いて、十文字が現れた。

「そんなとこに入って大丈夫なの」

 楽器店は、用もない一般の人には入りにくい。

「大丈夫だよ。だってここ、親戚がやってるんだから」 

「え、そうなの」

 その楽器店は、十文字の母親の兄が経営している。彼が幼少期からドラムに目覚めたのも、この店でドラムを触らしてもらっていたからだ。

「中に、ちょっとしたスタジオがあるんだ。とにかく、入って入って」

 絢辻の袖をつかんで、店の中へと引き入れた。

「楽器がいっぱいあるんだ」

 ギターやキーボード、トランペットにサックス、とにかくたくさんの楽器があった。

「まあ、楽器屋さんだからね」

 店主がやってきた。十文字は伯父に絢辻を紹介した。

「隼人がドラム以外で興味を示すなんてな。まあ、こんなに可愛い女の子なら、むりはないわな」

 伯父には、付き合っている彼女だと正直に伝えてある。

「せっかく彼女が来たんだから、ドラムの腕を見せてやれよ」

 店主に言われるまでもなく、彼はそうしようと思っていた。じつは今日のデートの途中に、絢辻との雰囲気が良くなったころを見計らって、ここに連れてこようと計画していたのだ。

「ジャジャーン」

 小さなスタジオに入るなり、十文字はさも自慢げに胸をはった。

「すごい。立派なドラム」

 そこには、アコースティックなドラムセットがあった。

「俺の部屋のシンセドラムとは、趣きっていうか、気品っていうか、なんか違うだろう」

 十文字は 愛しそうな目でドラムを舐め回した後、椅子に座った。スティックを手にして、叩く準備をしている。

「リクエストしてよ。絢辻さんの好きな曲を叩くから」

 突然そう言われて、絢辻は戸惑ってしまった。音楽はなんとなく聞くくらいで、とくにファンになっているグループなどなかった。

「とくにはないかな。クラッシックならなんとか」

「クラッシックは叩きづらいなあ。ううん、そうだ。これならどうだい」

 曲の伴奏が始まった。音源は、別の機器から流れている。その曲に彼のドラムが加わるのだ。

「ああ、これって、あのアニメの」

 昭和時代から放送され続けている国民的アニメのエンディングテーマ曲だった。十文字の手数の多いドラムが、聞きなれて平凡となっているメロディーに香味を与えている。

「絢辻さん、俺の横に来なよ。そこに椅子あるから」

 得意のドラムをたたいて気を良くしたのか、十文字はいつになく積極的だった。彼のリードに促されるまま、絢辻は丸椅子を持ってきて彼の横に置いた。

「もうちょっと近くの方が聞こえやすいよ」

 そう言って、丸椅子を極限まで近づけた。それではかえって演奏しづらくなるのだが、十文字には別の考えがあった。

「え、ちょっと、それは無理」

 十文字は絢辻の手にスティックを握らせて、目の前のタムタムを叩くように促した。

「ほら、このペダルも踏んでみて」

 絢辻はドラマーにリードされるまま叩き、バスドラムのペダルを踏んだ。思ったよりしっかりした音が出たので、うれしくなった。

 もう、二人の身体はぴったりとくっ付いている。絢辻の温もりを、十文字の暖かさをお互いが感じとっていた。

 不意に、絢辻の手を握っていた力が強くなった。狭いスタジオ内の空気が張りつめた。十文字の顔が、奇妙な角度をもって接近していた。接吻の予感に両者の鼓動は乱れ打ちとなった。

「あやつじさん」

「待って」

 ギリギリまで接近した十文字の顔を軽く押し戻した絢辻は、彼の無秩序な髪を両手で絞った。そして、そのまま後ろに流した。

「うん、これでよし」

「ほんとにいいの」

 白日のもとにさらされた十文字の顔が許可を求めていた。あの森島はるかの女心を揺さぶった美しい顔だ。

「いいよ」と言い終わる前に、唇同士が触れ合った。

 十文字も、絢辻も、キスは初めてだった。だから、お互いの感情や欲情を求め合うというよりも、ただやみくもに自らの衝動を押しつけているといった様子だった。とくに十文字は、絢辻の唇があまりにも柔らかいのに感動しきりで、この時が永遠に続けと強く願っていた。

 気持ちの高揚感と別に、とても息苦しい状態だった。絢辻はバスドラムのペダルを何度も踏み続けていた。ドン、ドドドン、ドン、と不規則な重低音が響く。

「ちょ、ちょっと、十文字君。苦しくて」

「ごめん、つい」

 二人の唇は、いったん離れた。お互いにやり過ぎたことを認めたが、感情は治まることを知らないようだ。瞳が見つめ合ったままだった。強力な電磁石にスイッチが入ったごとく、若い唇は再び引き合い始めた。

「アニキ、きてるんだって」

 ドアを蹴破るように入ってきて、開口一番そう言ったのは、隼人の妹、來未だった。十文字と絢辻の唇はあと一センチで そのわずかのすき間で何かが爆発した。強力な反作用が働き、二人は弾かれるように顔を離した。

「あ、ごめん。なんか、スゲー取り込み中だったかな」

 來未は腕を組んで立っていた。疑惑の目線を投げつけている。

「いや、別に。ただ絢辻さんにドラムの叩き方を教えていただけだから」

「そうそう。だって十文字君、上手だから」

 ただでさえ感が鋭い娘である。見え透いたウソなどまったく通用しない。むしろ逆手にとられてしまうのだった。

「あれえ、アニキ、キスマークついてるぞ」

「え、ウソっ」

 十文字は慌てて唇をさすった。

「なんだよ、ベロチューしてたのか、ベロチュー」

 年下の女子にからかうように言われても、絢辻は言い返せなかった。まっ赤になりながら、ひたすらうつむいていた。

「そんなのおまえに関係ないだろう。何しにきたんだよ。用がないなら帰れよ」

「伯父さんのとこで片づけのバイトするって、言ったじゃないか。女とイチャつくことに夢中で、人の話しきいてないんだよなあ」

 たしかに、來未はそのことを兄に告げている。

「だったら、バイトしてこいよ」

「いや、だからこの部屋に一時的に荷物をうつすんだってさ」

 二人は仕事の妨げになっていることに気づいた。色恋に呆けて、善良な中学生女子の邪魔をしているのだ。

「あ、うん」隼人は、適切な言葉を探せないでいた。

「あと五分待ってやるよ。続きをするんだったらお早めに。じゃあね」

 來未は出ていった。 

「これは、そうの、ははは」 

「今日はもう帰りましょうよ。なんか、いっぱいいっぱいになっちゃった」

 絢辻は急がなかった。

「そうだね、いろいろあったしね。俺、絢辻さんを送っていくよ」

「そのう、一つお願いがあるのだけど」

「うん、なに」

「私たち、付き合うことになったんだから、苗字じゃなくて、名前で呼び合わない」

 若い男女が付き合い始めると、往々にして女子の方が積極的になる。男子は、付き合い始めるまではあれこれ妄想するが、魚が釣れると淡泊になる者も少なからずいる。十文字の情熱が冷めることはなかったが、そういった細かいことには気が回らなかった。

「ええっと、じゃあ、詞、でいいのかな。はは、なんか呼び捨てじゃあ悪いような」照れくさくて、十文字は言いにくそうだった。

「全然大丈夫だよ、隼人」

 ニッコリと微笑む彼女の顔を見て、彼は十分な安心感をもらった。

「あ、でも他の人の前では、今まで通り絢辻さんでお願いね」

「わかったよ、詞」

 それからきっかり五分間話して、二人はスタジオを出た。一時、異様な盛り上がりを見せたキスの衝動は、來未の侵入によって抑制されていた。それでも血気盛んな十文字は出際に顔を近づけるが、彼女がやんわりと押し返すのだった。

 



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